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平家物語関連史跡・彦島編

 彦島はJR山陽線下関駅からバスで15分ほどの場所にある島です。島とは言っても現在は何本かの橋でつながれ、実際にそこを訪れると「島」という印象は受けませんが、800年前、源平の合戦の時代は海上交通の要衝として平知盛はここに根緒城を築き源平最後の合戦である壇ノ浦へ船出して行きました。
 現在の彦島を訪れても「これが平家物語関連史跡」という史跡はなく、いたるところに史跡の案内板の建つ四国屋島とは対照的です。それはこの地が平家滅亡の地であり、壇ノ浦の合戦の後、彦島は源義経によって陵辱や略奪の限りを尽くされたことと無関係では無いように思われます。

■小門海峡
そのおびただしい蟹の大群は、どれをとっても甲羅には人間の顔がはっきりと浮き出て目と思われるあたりからはぽろぽろと涙のような滴が落ちていた。
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■身投げ岩
源平壇ノ浦の合戦が源氏側の勝利で終わった後、この彦島に上陸した源義経配下の源氏軍は強奪・陵辱の限りを尽くし、島に潜んでいた平家の女官・雑仕女たちは耐えかねて次々にこの岩から日本一の急流に身を投げました。
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■清盛塚
彦島のほぼ中央、現在過ぎた丘陵と呼ばれている小さな森の中にひっそりと清盛塚が建っています。誰がいつこの塚を立てたのかは不明ですが800年を経た今でも花が絶えることはありません。
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■専立寺(せんりゅうじ)
寿永元年(1182)和田四郎常保の開基といわれており、そのころは安楽寺と呼ばれていました。開基の3年後に平家はこの地で滅亡してます。富士川の戦いの際に一門から離れて西下した忠清の執権が常保です。
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■西楽寺(さいらくじ)
ここ西楽寺に祀られている下関市指定有形文化財「西楽寺木造阿弥陀如来座像」は平重盛の持仏と伝えられ、平家一門と彦島の地との関わりがうかがえます。
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