鶴富姫伝説の椎葉村

椎葉村1椎葉村2椎葉村3椎葉村4●椎葉村5・椎葉山由来

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 上椎葉ダムは昭和30年に完成した日本で最初のアーチ式ダムです。ダムの上部が耳川の両岸を結ぶ生活道路となっていて誰でも通行することができます。ダムの路側帯に車を止め、1.5メートルほどある壁から、身を乗り出して下をのぞいてみると・・・・下半身から背中にかけてゾクゾクするようなすごい高さです。また、このダムによってできた人工の湖は「新平家物語」の作者でもある吉川英治氏によって「日向椎葉湖」と名付けられていて、春にはサクラの非常に美しいところだそうです。右の写真はダムの上から椎葉村を振り返ったところです。

 私たちは上椎葉ダムを渡り、椎葉中学校を経由して再度椎葉の街に戻り、最後の目的地「八村杉(やむらすぎ)」を目指しました。椎葉中学校はそのwebサイトで興味深い企画をいろいろやっているので、ちょっと立ち寄ってみようかという意見もありましたが、時間的にちょうど授業中の様子なので、それはまたの機会にすることにしました。椎葉の街から八村杉のある十根川神社までは約13キロの距離ですが、思ったより距離が遠くなかなかたどり着けず、道に迷った可能性もあったので、ちょうど目に付いた小学校に立ち寄り道を確認しました。小学校の校庭では子供達がサッカーを楽しんでいる最中で、先生によるとそこでサッカーをしている12人が全校生徒とのことでした。

 道は間違えていなかったようで、先生に教えていただいたとおりに車を走らせると、その小学校から数分で十根川神社に到着しました。まわりを田圃に囲まれた中に、こんもりと杉の茂った森があり、そこに十根川神社があります。その境内をずっと奥へ進むと(境内の入り口付近にも相当大きな杉の木がありますが、これは八村杉ではないのでご注意!私たちは危うくこの杉を八村杉と見間違えて帰るところでした)、一段高くなった社わきにこの杉はあります。この杉は樹齢800年で、鶴富姫伝説に登場する那須大八郎が植えたと伝えられています。

 そして私たちは八村杉に見送られながら椎葉村を後にしました。途中、いさぱっぱさんの提案で耳川の渓流に下りて休憩をしたのですが(どうも長時間車に乗っていたので野生に戻りたくなったようです。河原に下りるなりいさぱっぱさんが靴を脱いで川に飛び込んだので驚きました)、水は非常に澄んでとても冷たく、河原から見上げた椎葉の山々は非常に美しく、平家落人が武器を捨てて農耕にいそしんだのも、那須大八郎が鎌倉へ戻らずにこの地に屋敷を構えたのも、吉川英治をはじめとしてこの椎葉を訪れた多くの人が「椎葉夢中人」となったのも、すべて理由がわかったような気がしました。わずか1日の滞在では平家の伝説について深く探ることはできませんでしたが、鶴富姫のことについて、平家落人のことについて、街の方に伺った際も、途中道を何度か尋ねた際も、みなさん本当に親切で、そして、椎葉の歴史について非常によく知っておられ、椎葉の人と自然に感動し、是非また来たいと思わせてくれた1日でした。
 タイトル画は上椎葉ダムから椎葉村の景色を楽しむ私たちです。

 最後に冒頭で引用した椎葉村企画開発課発行のパンフレットより・・・・・

森の中のゆるやかな時間
 ここには不思議な開放感がある。なぜかホッと心安らいでしまう。きっと都会生活の中で失ってしまった大切な何かが、まだたくさん残っているからだろう。あるいは森の恵みに感謝しながら、豊かな文化を育て上げてきた人たちがいるからかもしれない。人間っていいな! 来るたびにそう思ってしまう。夕暮れの穏やかな光の中で出会った何気ない風景、無邪気な瞳を隠さない子供達、旅人に気軽に声をかけてくれる村人・・・そんなとりとめのないシーンの中に、心に響くいくつもの出会いがある。

自分流の感動を
 深い森に抱かれた秘境、民族学発祥の地、ひえつき節のふるさと、夜神楽と民謡の宝庫、平家落人伝説・・・椎葉にはいろんな顔がある。もちろんそれぞれの表情が輝くどのシーンにも独特の空気が流れている。静かな感動、大きな感動、不思議な感動・・・いろんな感動、見つけてください。ただし見つけだすには少々コツがいる。駆け足で旅すると見えにくいかも知れない。時には、ゆっくり過ぎるぐらいありのままの椎葉と、向かい合って欲しい。


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