鶴富姫伝説の椎葉村

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秘境

「・・・椎葉村はその山のあなた中央山脈の内で、肥後の五箇荘とも嶺を隔てて隣である・・・村の大きさは壱岐よりはるかに大きく隠岐よりは少し小さい。しかも村中に三反と続いた平地はなく、千余の人家はたいてい山腹を切り広げておのおのその敷地を構えている・・・」

 かつて椎葉と出会い、民俗学誕生のきっかけともなった柳田国男の「後狩詞記(のちのかりことばのき)」に描かれている椎葉像である。山また山、村の96%が山林。幾重にも重なる山々に囲まれた奥深い山中に椎葉はある。その秘境性ゆえに、どこから眺めても<雄大>という表現がしっくりくる。一歩奥に踏み込めば、原生林も残っているほど。どことなく神秘が漂い、目の当たりにすると、つかの間の悟りが開けそうな気さえしてきます。

 一帯は国定公園にも指定され、国見岳(1739m、県内第2位)を筆頭に烏帽子岳、向坂山、扇山、一房山など千メートルを越す山々が耳川、一ツ瀬川、小丸川の源流をはじめ谷間を縫うように走る渓流が、山里の自然をたっぷり演出してくれます。

「朝は朝星、夜は夜星」、働き者を例えた椎葉のことわざですが、星が残っているうちから起きないまでも、椎葉に来たら早起きをお勧めします。霧が立ち上ぼる山々の神秘を発見できるはずです。日本最初のアーチ式ダム「上椎葉ダム」も発電所という文明の産物を超えて、自然に溶け込む幻想的な世界に。峠まで足を延ばせば、はるかなる雲海を目にすることだって・・・。

 また、このそびえたつ山々にはドングリなどでなじみ深いブナ林が発達していて、その林床には約300種の珍しい草花が見られるといいます。例えば、尾根筋を歩くと、県内では唯一のナンゴククガイソウのお花畑が見られ、扇山にはシャクナゲの群生が広かります。エノハ(ヤマメ)が生息する渓谷に目を向けると、沢ぞいには清流でしか育たないワサビが白い花を咲かせ、渓流の珍味といわれるカワノリや岩壁に群生するイワタケもこの辺りが日本最南限の自生地です。

 運がよければリスやノウサギ、シカ、イノシシあたりに出会えるかもしれません。珍しいのはアカヤマドリとコシジロヤマドリ。この両方が同じ地域に生息するのは、日本中でこの国見岳だけだそうです。あるいはコキマダラセセリ、アカシジミ、ヒメキマダラヒカゲ……何、それ?といわれそうですが、それだけ珍しい蝶たちです。

 平家伝説を語る上で宮崎県椎葉村は避けることができません。例えば、椎葉村は美しい渓流が貫いていますが、ここに見られるホタルは源氏ボタルより平家ボタルが圧倒的に多く、また、山には平家カブがたくましく自生しているなど、圧倒的に平家優勢の自然を見ることができます。

 伝説といえば、春に一斉に花開くエドヒガン、いわゆる山桜ですが、この真っ白に咲き誇る様子を源氏の白旗と見間違えて、自害した平家の一行もいたとか。御池がその「平家自刃の地」。十根川神社脇の「八村杉」(右写真)にも伝説ロマンが漂います。平家の落人を追討に来た那須大八郎が植えたといわれ、樹齢800年、高さ54m、根回り19mという堂々たるものです。

 そして忘れてはならないのが「鶴富姫恋物語」です。

 およそ800年前、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士たち。追っ手を逃れて各地のふところ深い山奥へ。古文書「椎葉山由来記」はこんなふうに伝えています。要約すると・・・

「道なき道を逃げ、平家の残党がようやくたどり着いたのが山深き椎葉だった。しかし、この隠れ里も源氏の総大将頼朝に知れ、那須与一宗高が追討に向かうよう命令される。が、病気のため替わって弟の那須大八郎宗久が追討の命を。こうして椎葉に向かった大八郎、険しい道を越え、やっとの事で隠れ住んでいた落人を発見。だが、かつての栄華もよそに、ひっそりと農耕をやりながら暮らす平家一門の姿を見て、哀れに思い追討を断念、幕府には討伐を果たした旨を報告した」

 ふつうならここで鎌倉に戻るところです、大八郎は屋敷を構え、この地にとどまったのです。そればかりか、平家の守り神である厳島神社を建てたり、農耕の法を教えるなど彼らを助け、協力しあいながら暮らしたといます。やがて平清盛の末裔である鶴富姫との出会いが待っていました。

庭の山椒の木鳴る鈴懸けて
鈴の鳴るときゃ出ておじゃれ
鈴の鳴るときゃ何というて出ましょ
駒に水くりょというて出ましょ

 いつしか姫と大八郎にはロマンスが芽生えました。「ひえつき節」にもあるように、姫の屋敷の山椒の木に鈴をかけ、その音を合図に逢瀬を重ねるような・・・。大八郎は永住の決心を固め、村中から祝福されます。ところが、やがて幕府から即刻兵をまとめて帰れという命令が届き、夢ははかなく・・・。

和様平家の公達流れ
おどま追討の那須の末よ
那須の大八鶴富おいて
椎葉たつときゃ目に涙よ

 このとき鶴富姫はすでに身ごもっていました。しかし仇敵平家の姫を連れていくわけにもいかず、別れの印に名刀「天国丸」を与え、「生まれた子が男なら我が故郷下野の国へ。女ならこの地で育てよ」と言い残し、後髪をひかれる思いで椎葉を後にするのです。

 生まれたのはかわいい女の子。姫は大八郎の面影を抱きながらいつくしみ育てました。後に婿を迎え、那須下野守と愛する人の名前を名乗らせたそうです。

 それにしても、なぜ大八郎は平家の落人を発見したとき、すぐさま討伐しなかったのでしょう。それほど哀れな姿に映ったのでしょうか。それだけなら、とどまることなく黙って引き返してもよかったはず。椎葉に魅せられた作家のひとり、吉川英治氏が「新・平家物語」の中で、椎葉をこの世の理想郷として描いているのが、ひとつの答えかもしれない、敵も味方もない。富も権力も意味を持たない、戦い、憎しみあってきた源氏と平家の間に美しい恋さえ芽生える。人間はなぜ争うのか、という問いかけを、椎葉での鶴富姫と那須大八郎の物語に託しています。いってみれは、戦うのがナンセンスなくらい自然が雄大で、近くに敵がいるのに住んでみたいと思わせるほど温かく迎えてくれる条件が揃っていたということでしょう。大八郎は<椎葉ファン>の第一号かもしれませんね。

 今回、椎葉村の入り口となっている日向市に在住の友人の案内によって、晩夏の椎葉を訪れることができましたので、私が見た椎葉村を紹介させていただきます。

 また、今回は時期をはずしましたが、この悲恋の二人を偲んで、毎年11月には「椎葉平家まつり」か盛大に行われます。祭りは鶴富屋敷の「法楽祭」から。かがり火が揺らめく中を、恋物語の主役鶴富姫と那須大八郎が再会します。色鮮やかな十二単と武者姿に。「来た甲斐があった」「歴史のなかに迷い込んだよう」「明日からが楽しみ」と、どの声も感心することしきりです、2日目、3日目は村のメーンストリートを十二単の平家方・鶴富姫と源氏方・那須大八郎がよろい姿の騎兵と一緒に練り歩きます、祭りのハイライト、「大和絵巻武者行列」がそれ。豪華な時代絵巻に沿道から拍手喝釆です、「ひえつき節踊り」や「臼太鼓踊り」「山法師踊り」などもパレードをにぎやかに盛り上げます。歩き疲れたら、「秘境の名物」や特産品コーナーでちょっとひと息。タ方からは民謡と神楽による郷土芸能も。こうして伝説ロマンが甦る3日間、山里は平家と源氏に占領されます。

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