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 投稿番号:103004 投稿日:2007年03月01日 02時15分51秒  パスワード
 お名前:nyao URL=http://www2u.biglobe.ne.jp/~vanquish
読書 2007春
キーワード:読書 海軍
コメントの種類 :雑談  パスワード

日付が3月に変わってしまったのとある程度期間が経過したので、
たまった本の紹介を新しいスレッドで紹介しましょう。
どうせまた海軍ネタだろうと思ったあなたは…大正解(笑)
でも今回は教科書が教えない近代日本史をドンと紹介する、
二人の提督にまつわるお話2本立てでスタート!

『東郷平八郎 元帥の晩年』
佐藤国雄・著、朝日新聞社、1990年

今や歴史教科書ですぐに名前が出る日本海海戦の立役者ですが、
その神格化は大正年間まで全然なかったどころか、
とある商品名をもじって「東郷バカネ」という地口もあったほど、
日本海海戦の圧勝後もさほど英雄視されたわけではありません。
(この辺は阿川弘之『米内光正』『井上成美』の冒頭部分をご覧あれ)
そんな東郷元帥がなぜ祭り上げられるようになったのか、
そしてその政治的な影響がいかなるものだったかについては、
教科書で決して触れられることがありません。
本書は世間に知られていなかったその辺の史実を改めて掘り起こし、
日本海海戦以後の「空白」を埋めた朝日新聞の連載記事を、
まとめて単行本化したものです。
東宮御学問所総裁として皇太子(後の昭和天皇)教育に専念した頃はともかく、
昭和に年号が変わってからの言動は「艦隊派」の取り巻きに担ぎ出された結果、
生涯現役扱いとはいえ軍縮を望む当時の世論に逆行することもあり、
さらに東郷元帥の言動が清掃の道具として利用される事態に発展した経緯を、
膨大な資料で検証しひたすら冷徹な筆致で描き出します。
ちなみに東郷神社建立についてはさすがに当人反対だった由、
その点だけは晩年まで正気を保っていたようですな。

『小澤治三郎 果断・寡黙・有情の提督』
宮野澄・著、PHP出版社、1999年(文庫版)
*原著は1994年に祥伝社より刊行

こちらは「艦隊派」のせいで進言を退けられるなど散々な目に遭い、
せっかくひねり出した名案も年功序列のせいで実施させてもらえず、
それでも黙々と海軍に奉公して敗戦まで勤め上げ、
その後は研究関連を除き表立った活動を控えていた有名な提督のお話。
海戦史を少々ご存知の方ならばマリアナ沖海戦のアウトレンジ戦術や、
ハルゼー提督を見事に引っ掛けた囮作戦を思い出すでしょうが、
太平洋戦争の開戦初期に行われたマレーおよびインドネシア方面作戦も、
この小澤提督の存在なしには語れなかったそうです。
とにかく晩年まで同僚や部下はおろか家族に対しても寡黙、
彼の次女と結婚し彼と同居した作家の大穂利武との会話量は、
大穂氏いわく「10年で原稿用紙10枚あるかないか」!?
そんな小澤提督の苦労話やそこから生まれた柔軟な発想を読むうち、
上記の東郷元帥と正反対とまでは言わぬまでもかなり異なっていたことや、
「過度の」年功序列がもたらす弊害を知ることになります。
…小澤提督に弟子入りしたかったなぁ。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年03月01日 05時29分20秒 ) パスワード

「東郷鋼」
通学路にありましたよ(笑)

強そうなネーミングに元帥から名づけたのかなと思ってました。


>東郷元帥がなぜ祭り上げられるようになったのか、
>そしてその政治的な影響がいかなるものだったか


どうしてなんですか?
[2]nyaoさんからのコメント(2007年03月07日 01時43分23秒 ) パスワード
URL=http://www2u.biglobe.ne.jp/~vanquish

>東郷鋼
暇さんご明察です。
日本海海戦の合戦中ずっと吹きさらしの艦橋で微動だにせず、
合戦終了後立ちんぼうだったその位置に足跡が残っていたとかで、
そういった話も含めてネーミングの由来になったのでしょう。
さて東郷元帥の発言が政治的にもたらした影響とは、
要は「海軍軍縮交渉の難航とその破綻」を招く一因になったこと。
書くとネタばれになるうえ長くなりかねませんが、
当時の日本海軍では強硬だった加藤寛治や末次信正など「艦隊派」と、
「国民あっての海軍だ」として軍縮条約の維持を目指す「条約派」が、
ワシントン海軍軍縮条約の前後から対立していて部内が真っ二つに。
そこへ東郷元帥が首を突っ込んだから軍縮交渉の部内調整が大もめにもめ、
軍縮条約締結後なんと「条約派」の提督たちが次々と首に…?
首になった「条約派」には山梨勝之進など戦後高い評価を受けた人物も多く、
ロンドン海軍軍縮条約の次のラウンド交渉は「艦隊派」主導で進められ、
結局交渉は決裂し「大和」「武蔵」の建造が開始されたという次第。
名前を挙げた人物については海軍関連の書籍でもよく紹介され、
ネット上にも多数の記事がありますのでご覧ください。
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年03月07日 03時49分10秒 ) パスワード

>当時の日本海軍では強硬だった加藤寛治や末次信正など「艦隊派」と、
>「国民あっての海軍だ」として軍縮条約の維持を目指す「条約派」が、
>ワシントン海軍軍縮条約の前後から対立していて部内が真っ二つに。



そういえばロンドン軍縮会議なんてのがありましたね。
末次信正・加藤寛治ら艦隊派が東郷を祭り上げて利用したのですか。


>軍縮条約締結後なんと「条約派」の提督たちが次々と首に…?

この東郷という人は
立派な提督のイメージがあるけど実際には台風の目で話をややこしくする人だとかで
評価が分かれると聞いたことがありますが
反対派の提督達が干されたのですか。

そりゃあ、反対派から悪口を言われたでしょうね。
[4]nyaoさんからのコメント(2007年03月18日 23時23分18秒 ) パスワード
URL=http://www2u.biglobe.ne.jp/~vanquish

続いて紹介する本も日本の近代史を語るうえで欠かせない、
しかも外交の立役者ご本人の口述自伝という貴重な作品!

『外交五十年』
中央公論新社、2007年(文庫版)
*幣原喜重郎が口述したものを1951年読売新聞社が編集、
その後1987年に中央公論社が出版した文庫版を改版

な・な・な・なんと幣原喜重郎の口述自伝です!
値段は他の文庫本の倍でしたが注目すべき内容だと信じて、
奮発して読んだらこれが予想以上の大当たり。
外交官としての駆け出しから終戦直後に首相となった時期まで、
約50年間にわたるキャリアで経験したさまざまなエピソードが登場。
それも「日露戦争秘話」的なネタやら外交美談やら、
はたまた抱腹絶倒の珍談奇談やらが次々と披露され、
お堅いばかりでない幣原氏のお茶目な一面をうかがえます。
もちろん有名な「幣原外交」の解説もきっちり本人が口述され、
さまざまな困難に直面し苦悩した日々のことも語られています。
本作の序文は幣原氏本人が1951年3月2日付で書いていますが、
わずか数日後に病没したことから本作は事実上氏の絶筆であり、
その点で本作は単なる自伝・回顧録としてのみならず、
日本外交史の一次史料としても貴重なものであるといえます。
数あるエピソードのなかで特に気に入ったのが、
幣原氏が外務省の電信課長当時に師と仰いだ米国人デニソン氏の言葉。
「僕は1ページ書くのに、必ず3度か4度は字引きを引く。
それだけの注意がなくてはいけない。
筆に任せて書くなどということはいけない」
私も手紙を書くときは必ず辞書を傍らに置いてますし、
EメールやBBSへの書き込みでも特に重要な記述については、
辞書や関連文献と照らし合わせながら慎重にやっていますが、
この一文を読み改めて筆を執る覚悟を噛み締める次第です。
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年03月19日 02時34分40秒 ) パスワード

>この一文を読み改めて筆を執る覚悟を噛み締める次第です。

です、ね。


私は「アヤシイ」時には字書をひきますが


>筆に任せて書くなどということはいけない

筆に任せて書いた時は誤字やってます。
「せっかく」というのを「折角」じゃなくて「切角」って書いてるし
「塾」というのは「熟」と混乱して書いてるし。

いやあ〜
恥ずかしい。
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