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 投稿番号:102677 投稿日:2005年01月25日 22時06分10秒  パスワード
 お名前:nyao URL=http://www2u.biglobe.ne.jp/~vanquish
大ドジで沈んだ軍艦(爆)
キーワード:船 軍艦
コメントの種類 :歴史  パスワード

今年は日露戦争終結100周年&第二次大戦終結60周年ということで、
真面目な特集番組やら特集記事が飛び交うところでしょうが、
ここは変化球ということで「大ドジで沈んだ軍艦」特集(笑)
まずは日本海軍からいきましょうか。

1:戦艦「三笠」(1903年竣工)
日露戦争のクライマックスであった日本海海戦といえば、
この「三笠」抜きには語れません。
現在は横須賀市で永久保存となっている記念艦ですが、
実は日本海海戦のパーフェクトゲームから半年も経たぬうち、
弾薬庫が爆発して佐世保軍港にて爆沈!
日本海海戦における激しい砲撃戦でも死傷100人程度だったのに、
なんと瞬時にして300人以上が死んでしまったというから大騒ぎ!
この自爆で東郷大将が秋の凱旋帰港で乗艦する予定は木っ端微塵、
幸い岸壁近くで水深が浅かったため翌年引き揚げに成功しました。
乗組員のドンちゃん騒ぎや鋭敏過ぎる信管暴発など原因は諸説ありますが、
私としては自爆傾向のあった信管暴発説を信じてます。

2:巡洋艦「吉野」(1892年竣工)
「三笠」が戦勝後の不幸だとすれば「吉野」は戦争中の不幸。
日露戦争時までの戦艦や巡洋艦は体当たり戦術のために、
衝角という鋭い突起を船首の水面下部分に付けていたのですが、
イタリアから買い上げた巡洋艦「春日」の衝角が「吉野」の側面にずでーん!
7700トンの巨大ハンマーがブリキ同然の小型艦にぶつかり、
日清戦争で大活躍した殊勲艦「吉野」は真っ二つに折れて轟沈。
まだ旅順要塞もロシア太平洋艦隊も落ちてない大事な時期なのに…。
実のところ日清戦争以後の海戦は砲撃と魚雷で決着する時代となり、
衝角なんぞ「百害あって一理なし」てなわけで、
日露戦争以後に建造された軍艦ではあっさり廃止されましたとさ。

3:巡洋艦「三隈」(1936年竣工)
ミッドウェー海戦は日本が主力空母4隻を一気に失ったことで有名ですが、
その後日談というべきがこの巡洋艦「三隈」の沈没。
南雲機動部隊の敗北を知った山本五十六・連合艦隊司令長官は、
巡洋艦4隻の第7戦隊をミッドウェーに差し向け陸上砲撃を命じたものの、
ほどなく機動部隊壊滅の悲報が入り砲撃作戦は中止。
そして撤退途中の深夜に悲劇の第二幕の幕が開きます。
真夜中に「潜望鏡発見!」で慌てて回避命令を出したことが裏目に出て、
信号旗を見間違えた最後尾の「最上」が直前を走っていた「三隈」側面に、
ものの見事に衝突しちゃった!(夜戦の訓練きちんとやってたのに…)
わき腹をえぐられた「三隈」はもちろん「最上」も前部2割がたを失い、
それでも離脱できるだろうと判断した司令官は無傷の2隻で早々に離脱。
当初はどうにか離脱できると思われたのですが米海軍のお目こぼしはなく、
ありったけ飛行機を載せた米空母「エンタープライズ」「ホーネット」の、
わずかな飛行機に空襲されて「三隈」は沈没し「最上」も大破。
奇跡的に助かった「最上」もレイテ沖海戦で衝突事故を起こした挙句、
フィリピンの海に沈んでしまいました。

4:戦艦「陸奥」(1921年竣工)
日本海軍の戦艦はたまに爆沈事故を起こしているようですが、
その最後にして最大の悲劇は戦艦「陸奥」でしょう。
詳しいことは吉村昭『陸奥爆沈』に委ねるとしまして、
沈んだ時期が太平洋戦争のニューギニア戦線で激戦たけなわという、
本来ならば戦艦で暴れ回るべき大事な時期だったことも不幸ですな。

[1]総督さんからのコメント(2005年01月25日 22時24分58秒 ) パスワード

我々の良く知らないいろいろな事故が沢山あつたんですね、東郷も山本もどこまでしつていたのでしようかね、色々教えてください。
[2]nyaoさんからのコメント(2005年01月25日 22時52分11秒 ) パスワード
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旧日本海軍の次は米海軍を挙げねばなりますまい。
米海軍の大型艦は概して頑丈にできているため大ドジは皆無でしたが、
駆逐艦には特定の型式に大ドジが集中してます。

ファラガット級(FARRAGUT class)1934年竣工
1:ウォーデン(DD-352 WORDEN)
旧日本軍がキスカ撤収するまで北太平洋方面の米軍はドジ連発でしたが、
多分そのケチの付け初めがこのウォーデンでしょう。
実際にはキスカ撤収作戦の半年前に沈んでいるのですが、
その原因は「アムチトカ攻略で浮かれてたら濃霧により座礁した」(汗)
ウォーデン沈没後も同士討ちしたり無人の岩礁を撃ちまくって弾切れ、
というようなドジが続いたそうです。
2:ハル(DD-350 HULL)&モナガン(DD-354 MONAGHAN)
無理して重装備を積んだ挙句失敗策に終わったのは何も日本だけでなく、
米海軍もこファラガット級などで同じ轍を踏んでます。
ハルとモナガンの2隻はまさしくその直接の犠牲になった艦で、
1944年12月にフィリピンを襲った台風で揃いも揃って転覆し沈没。
神風吹いたんですかね?

リヴァモア級(LIVERMORE/GLEAVES class)1940年竣工
3:イングラハム(DD-444 INGRAHAM)
重装備でおっかないのは6年後のリヴァモア級でも変わらなかったようですが、
このイングラハムは1942年夏にカナダ・ハリファックス沖にて、
事もあろうに味方のタンカーと衝突してちゅどーん!
Uボートならばいざ知らず守るべきタンカーにぶつかるとは、

4:ターナー(DD-648 TURNER)
名前からして転覆しそうな船ですがその沈没の仕方が悲哀を誘います。
なぜって1944年1月3日という年明け早々に謎の爆沈!
しかも沈んだ場所がニューヨーク沖…本当に可哀想だ。
[3]総督さんからのコメント(2005年01月25日 23時16分07秒 ) パスワード

船を操船していて思うんですが、なかなか思うように動きません、思いどうりに動いたときなどラツキーておもつたりします、車でも事故がおこるので少しは勘弁ください。
[4]nyaoさんからのコメント(2005年01月25日 23時27分56秒 ) パスワード
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>総督さん
さっそくのご返事ありがとうございます。
回答ということでまず東郷長官の対応。
巡洋艦「吉野」が「春日」にぶつけられて沈んだ当時は事件・事故が続発し、
戦艦「初瀬」「八島」が相次いでロシア軍の機雷に触れて爆沈、
他にも通報艦「竜田」など大小さまざまな艦艇が失われていました。
沈痛な面持ちで報告のため長官室に入った関係各艦の艦長に対して、
東郷長官は菓子を進め「沈没した艦の分まで働いてください」と静かに一言。
大事な戦艦6隻のうち2隻など貴重な戦力をミスで失ったというのに、
なんて肝っ玉が太いんだろうか…。

お次は山本長官の対応。
空母4隻を失ったと聞いたときの衝撃は相当大きかったものと思われます。
自ら初期の海軍航空隊を育て上げただけでなく新型機開発にも携わり、
沈んだ空母4隻のうち「赤城」は彼自身が艦長を勤めた経験のある思い出の艦。
さらに同じく「飛龍」座上の山口多聞少将はアメリカ駐在時代を共にしており、
機動部隊全体の指揮を取った南雲中将よりよほど航空戦を理解していただけに、
「(私怨のある南雲はともかく)山口少将を死なせてしまったとは…」と、
さぞ沈痛の面持ちだったことは推測ですがまず間違いないでしょう。
そこへさらに飛び込んだ「最上」「三隈」の事故…。
その遠因が第7戦隊司令官の「放棄」同然の命令だったと聞いたとき、
山本長官は「この司令官は中将には昇進させまい」と思ったかもしれません。
それから1年と経たず山本長官は前線視察の帰路を襲われて戦死しますが、
第7戦隊司令官だった人物は結局中将に昇進してレイテ海戦の指揮官となります。
そう…「謎の反転」で批判を浴びた栗田健男中将です。
栗田司令官が損傷した2隻を放置せず無傷の2隻で援護していれば、
船首を失った「最上」を曳航するなどの処置を行えたはずで、
運悪く米海軍の追撃を受けたとしても「最上」型の戦闘能力からして、
手負い2隻の状態よりも格段に激しい対空砲火を展開できたと思われます。
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年01月25日 23時39分54秒 ) パスワード

裏話、面白かったです。(不謹慎ですけど)

当時は極秘だったんでしょうね。(笑)
[6]nyaoさんからのコメント(2005年01月25日 23時43分39秒 ) パスワード
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>船の操船
彦島荒田港〜小倉日明港の関門海峡フェリーを時々利用しますが、
比較的小さい700総トン程度の低速船でも急には停止できないので、
接岸するときは早めに機関微速〜停止〜後進して、
接岸直前はその操作が細かいこと!
その20倍以上の質量と倍以上の速度で突っ走る軍艦は、
乗組員全員の息が合わないと艦長の思うようには動かないものでしょうねぇ。
ラジコンヨットの操船でも結構てこずった私としては、
船乗りの技術は「職人芸だなあ」と思うのでありますが、
民間船より頑丈なはずの軍艦が単純な事故で沈んだり破損したら、
やっぱりツッコミ入れたくなります。
[7]総督さんからのコメント(2005年01月26日 01時06分17秒 ) パスワード

それはわかる、ありがとう。いつか船のことではなしあいたいね。
[8]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年01月26日 01時11分01秒 ) パスワード

江田島でもいろいろ事故があったそうですが当時は緘口令が布かれてたそうですね。

[9]nyaoさんからのコメント(2005年01月26日 01時38分52秒 ) パスワード
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日米とくれば次はイギリス!
栄光のロイヤルネイビー(英国海軍)にも大ドジで失われた軍艦は存在します。
それも予想外に多く。

1:巡洋艦トリニダート(HMS TRINIDAD)1940年竣工
これは大ドジが直接原因となったわけではありませんが、
ドジが尾を引いて結局沈んでしまった哀れな例です。
1942年3月末ソ連向けの輸送船団を護衛していたトリニダートは、
僚艦とともに独軍駆逐艦3隻を始末しようと張り切ったら、
自艦の発射した魚雷が暴走して自分にどかーん!と自爆。
どうにかムルマンスク港までたどり着き応急処置をしたものの、
本国への帰り道に空襲を受け傷が広がって結局処分されちゃいました。
出航したのは1942年5月13日と縁起の悪い日に出向したんだから、
やっぱりそれだけでも大ドジだ(と英米の船乗りは思うはずだ!)

2:駆逐艦アロー(HMS ARROW)1930年竣工
ドジというより哀れみを誘うこの駆逐艦の最期は1944年10月、
アルジェリア沖で貨物船の爆発に巻き込まれ「修理不能」の判定。
その4年前に英海軍がイタリア海軍の戦艦を飛行機で始末した、
イタリアのタラント港で解体処分と相成りました。

3:駆逐艦フレイザー(HMS FRASER)1937年竣工
こちらは1940年7月ボルドー方面にて作戦行動中、
ただでさえ荒れやすいビスケー湾がしけたので僚艦を見失わないよう、
つい間合いを詰めたら巡洋艦カルカッタ(HMS CALCUTTA)に衝突!
挙句の果てにフレーザーは沈没しカルカッタにも19人の死者が出ました。
あと1年待てば艦上レーダー実用化してたのにな〜。

4:駆逐艦ダッチェス(HMS DUCHESS)1933年竣工
アローが爆発の巻き添えならこちらは戦艦に「追突され即死」。
1939年暮れに戦艦バーラム(HMS BARHAM)にぶつけられ、
スコットランド沖わずか16kmという近海にて轟沈。
ダッチェスは1375トンでバーラムは32700トン、
約24倍のハンマーでへし折られるようなものだったろうなぁ…。
相手方の戦艦バーラムは縁起の悪い軍艦だったらしく、
この2週間後にはUボートに雷撃され損傷、
フランス降伏後にダカールに閉じこもっていた仏海軍を叩きに行ったら、
今度は戦艦リシュリューに返り討ちに遭いまた損傷。
高名な同型艦ウォースパイト(HMS WARSPITE)が大暴れしたマタパン沖海戦では、
僚艦の幸運とは裏腹に爆撃を食らってまたまた損傷。
懲りずに(?)イタリアの輸送船団を襲撃すべく出撃したら、
Uボートに魚雷3発を打ち込まれ今度は耐え切れず転覆して轟沈。
第1次大戦でも活躍した同型艦5隻で沈んだのはバーラムだけだから、
多分ダッチェス追突で呪われたんだろうなぁ。

5:駆逐艦マーガリー(HMS MARGAREE)1932年竣工
厳密には当時カナダ海軍に移籍していたのですが、
これまた北大西洋で船団護衛してたらその貨物船とぶつかって、
乗組員ほぼ全員死亡…。

6:駆逐艦パンジャビ(HMS PUNJABI)
こちらの大ドジはダッチェス同様に「戦艦に追突され即死」。
ソ連向け船団の護衛中に視界が悪くなったと思ったら、
突然左横に戦艦キングジョージ五世(HMS KING GEORGE V)が!
37000トンの巨大なバターナイフによってで一刀両断され、
パンジャビの後ろ半分はあっという間に沈んだものの、
幸い前半分の沈み方は緩やかだったため乗組員の9割が助かりました。
これぞ不幸中の幸い。

調べたらまだまだ出てきそうですが主要艦艇ではこんなところでしょう。
次はドイツ・フランス・イタリアというところ?
[10]総督さんからのコメント(2005年01月26日 01時48分31秒 ) パスワード

日本とドイツは負けているのでいくらでもあるが、やはり戦勝国のアメリカ、ロシアその他のヨーロツパの国などいくらでもあるのでは、60年の年がたつても秘密はヒミツ。
[11]nyaoさんからのコメント(2005年01月26日 02時28分46秒 ) パスワード
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「重大な過失による沈没」は戦争の勝敗とは関係なく、
そして戦時だけでなく平時にもそれなりに発生しているようです。
1985年のレイキャビク会談直前に起きたK−219沈没を、
米ソ両国の海軍軍人が明らかにした『敵対水域』や、
映画にもなったノンフィクション作品『K−19』では、
冷戦時代の旧ソ連における原潜部隊の実態が明らかにされました。
英米両国についても年月の経過とともに機密文書の規制が緩やかになり、
日本でも昔の艦船にまつわる定説が覆るなど、
年月を経たからこそ得られる情報も少なからずあるのです。
現在取り組んでいる研究では英海軍の小型艦艇に関する定説について、
最新情報を元に検証(または反証)しているところです。
[12]nyaoさんからのコメント(2005年01月27日 00時39分49秒 ) パスワード
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大ドジで沈んだ軍艦は独仏伊3国にもやっぱりありました。
まずはドイツ。

1:巡洋艦ライプチヒ(1931年竣工)
ワイマール共和制における事実上の主力艦として、
世界恐慌直前に起工されたこの艦は額面上の性能こそ優秀でしたが、
第二次大戦開戦間もない時期に英国沖で機雷を仕掛ける途中、
僚艦ニュルンベルクと仲良く(?)英海軍の潜水艦から魚雷を食らい、
半年以上も本国にて「長期療養」を余儀なくされる始末。
その任務くらい駆逐艦にやらせればいいのに(汗)
翌1940年からは他の巡洋艦がノルウェー沖や南米沖で次々と沈んでいるなか、
なぜか近海用練習艦として運用されるという勿体無い使われ方。
その最期はやっぱり近海であるダンチヒ沖を航海中、
2倍の重さの巡洋艦プリンツ・オイゲンとぶつかって派手に壊れ放置(哀)
仲良く「長期療養」したニュルンベルクは復帰後無傷で終戦、
装備も役割もそっくりの2隻の運命がかくも違うとは諸行無常ですなあ。

2:駆逐艦フリードリヒ・エックホルト(1935年竣工)
1942年の大晦日にノルウェー北部のバレンツ海では、
独海軍がソ連向け船団を待ち伏せ攻撃しようとしておりました。
ポケット戦艦と巡洋艦各1隻と重武装の駆逐艦6隻、
これだけあれば小型駆逐艦と掃海艇だけで護衛された船団なぞ、
2時間以内に全て始末できても不思議ではない有利な立場。
さて冬の北極圏はお昼でも暗く見通しが悪いため、
普通なら一本棒の隊形(単縦陣)で手堅く行動するはずが、
戦果を拡大しようと二手に分かれたのがケチのつけ始め。

測的手「風雪と煙幕で前方の識別ができません!」(味方を撃つわけには…)
砲術士「レーダーがまた壊れました!」(故障ばかりで当てにならないな…)
見張員「敵駆逐艦が雷撃の構えをしてます!」(こりゃ回避しなければ…)

おまけに護衛部隊の指揮官シャーブルック大佐は用意周到な人物で、
敵艦を発見したら新型駆逐艦で敵艦の針路を遮るとともに、
残りの護衛艦と船団は一斉に煙幕を張るよう前もって指示を出して、
各艦船とも事前の打ち合わせどおり巧みに独側の行動を妨害したのです。
だから発見から2時間経っても始末できたのは掃海艇1隻、
それに駆逐艦2隻をスクラップ同然にした程度で船団自体は無傷。
そこへ急報を受け駆けつけたのが英海軍の巡洋艦、
シェフィールド(HMS SHEFFIELD)とジャマイカ(HMS JAMICA)。
弱小船団をボコボコに袋叩きするはずが思わぬ伏兵の登場!
(それくらい想像できなかったのかね?)
クーメッツ中将座上の巡洋艦アドミラル・ヒッパーは煙突他を壊され、
これはまずいと慌てて回避したまでは良かったものの、
船団の行方を探していた2隻の駆逐艦までは連絡が届きません。(そんな馬鹿な?)
その2隻…フリードリヒ・エックホルトとリヒャルト・バイツェンは、
もやの中から現れた大型艦を見てアドミラル・ヒッパーと錯覚し接近開始。
錯覚された「大型艦」シェフィールドにいたバーネット司令官の反応は…?

航海士「前方に駆逐艦2隻!」
司令官「1回だけ信号灯を使え」(返事が正しくなければ撃つからな!)
信号兵「識別信号に反応なし!」
司令官(あいつらは敵だ!)「撃ち方始め!」

無言のチームワークでシェフィールドはエックホルトを、
ジャマイカはバイツェンにそれぞれ照準を合わせ一斉に砲撃開始。
砲撃直前に気づいたバイツェンは全速で逃げ出し難を逃れましたが、
前方に出過ぎて気づかなかったエックホルトはわずか2分で轟沈!
悪天候時の鉄則から外れた戦法で自ら識別を困難にしたうえ、
全然似てないはずの敵味方の巡洋艦を見間違えてしまうとは…。
結果として船団には1隻にほんの掠り傷を与えただけだから、
結果を聞いたヒトラーが「大型艦は全部スクラップだ!」と、
激怒したのも仕方ないですなあ。
[13]総督さんからのコメント(2005年01月27日 01時24分30秒 ) パスワード

軍艦の話もなんですがこの彦島はすごいとこですね、うちの窓からいつも見えてるんですが、先日三菱造船からフェリーが進水していきました、いま2隻はなにの船ですか建造中ですが、大きいですね。一度後学のため進水式を見学にいきましたが楽団などが入り、饅頭などもらつてすごかつたですよ。彦島の人あまり知らないようです、又教えてください。
[14]nyaoさんからのコメント(2005年01月27日 02時41分36秒 ) パスワード
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>三菱造船
彦島江の浦町にある三菱重工業・下関工場は、
他の造船所ではあまり建造しない特殊な船舶を得意とする造船所で、
近年は1万〜1万5千総トンくらいの高速フェリーが売れ筋とか。
普通のフェリーの5割増という30ノット(時速55km)の巡航速力は、
一昔前なら一部の高速大型艦だけに許された「冒険」であり、
エンジン出力や燃料搭載量だけでなく船体設計にも工夫と経験が必要です。
それら高速フェリーの全長は約170〜200mとこれまた大きいですが、
その形状は戦前に建造された巡洋艦「利根」(全長201m)に近く、
何らかの形でその当時からのノウハウが投入されていると思われます。
船の進水は大別すると水面に滑り出る進水台方式と、
ドック内に水を注いで浮かばせるドック方式に分けられますが、
同型艦で進水方式が全く異なる場合も多々あります。
進水方式が全く異なる典型例は戦艦「大和」と「武蔵」の事例で、
前者は呉海軍工廠のドックで比較的楽に進水できたのですが、
後者は狭い長崎港内に丸出しの工場で極秘裏に進水台を使わねばならず、
技術的難問や機密保持の問題で造船所の幹部は苦労が絶えなかったとか。
その困難さは吉村昭の『戦艦武蔵』で詳細に描かれています。
[15]いつも通りさんからのコメント(2005年01月27日 02時42分47秒 ) パスワード

三菱造船と呼ばれたのは昭和27(1952)年〜39(1964)年の12年間だけで
三菱重工業(株)下関造船所が正式な名前です。
古くは三菱合資会社或いは三菱重工業の彦島造船所などと呼ばれていましたが
昭和18(1943)年日立造船所を吸収して以来、下関造船所の名称です。
 こちらが進水式の様子
http://www.mhi.co.jp/ssmw/ship/sinsui/sinsui.htm

 壊れた船(海難と言います)も
http://www.kdocks.co.jp/img/repair1.jpg
 このように
http://www.kdocks.co.jp/img/repair2.jpg

下関造船所分実績は艦艇(含む保安庁船)は除く
竣工量2003年7隻総トン101,525t(16,504重量t),2004年3隻57,038(16,504)t
進水量2003年6隻総トン59,804t(27,137重量t),2004年5隻159,072(40,688)t
[16]nyaoさんからのコメント(2005年01月27日 03時42分23秒 ) パスワード
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>いつも通りさん
レス&フォローありがとうございます。
さてこのスレッドでもしばしば登場する単位「トン」、
船の場合は大雑把に言うと3種類の「トン」があります。

総トン…船の内部容積、1総トン=100立方フィート(約2.83立米)
一般に客船などで使われる大きさの単位ですね。
重量トン…搭載できる貨物や燃料などの総重量、1トン=1000kg
貨物船で用いられることが多く「載貨重量トン」とも呼ばれます。
排水トン…船が浮かぶときに押しのける水の重量(=船の総重量)
もっぱら軍艦で用いられる単位です。

ですからこれらの単位を単純比較はできないために、
造船所の建造実績計算は難しくなるわけです。
[17]元福浦本町住民さんからのコメント(2005年01月27日 10時08分21秒 ) パスワード

はじめまして、元福浦本町住民です。
彦島フェリーで思い出した事。
航路開通当初に見に行きました。桟橋の門に船が接岸出来ずに何度もやり直していました。
[18]nyaoさんからのコメント(2005年01月27日 22時19分28秒 ) パスワード
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独海軍にツッコミ入れたんですから当然次は隣国フランス。

巡洋艦プルトン<後にラ・トゥール・ドーヴェルニュと改名>(1931年竣工)
鋼鉄製軍艦の時代に入ってからというものの、
巡洋艦の主な武装は「大砲と魚雷」というのが相場でしたが、
このプルトンの主要兵器は大砲でも魚雷でもなく機雷!
それも10個や20個ではなく最大290個搭載という、
史上最も多くの機雷を搭載できた軍艦だったのです。
ところが第二次大戦勃発からわずか2週間足らず、
1939年9月13日に機雷敷設中その機雷が艦内で爆発!
文字通り自爆してしまったのでした。
得意芸のはずの機雷で自爆したこと自体相当な大ドジですが、
13日という船乗りにとって縁起の悪い日に作業したのが、
そもそも間違いだったんじゃなかろうか?

そのフランスと軍艦建造で張り合っていたのがイタリアですが、
魚雷艇やフロッグマンは活躍したのに大型艦はドジばかり。
そのなかでもとびきりの(?)大ドジを紹介しましょう。

巡洋艦バルトロメオ・コレオーニ(1931年竣工)
ムッソリーニ政権が英仏両国に宣戦布告したのが1940年6月。
その約1ヶ月後ギリシャのクレタ島沖を通過中の伊巡洋艦2隻は、
付近で早朝から潜水艦狩りをやっていた3隻の英駆逐艦と遭遇、
朝っぱらから追いかけっこの始まりです。
3隻全部足しても巡洋艦1隻分の武器しかないうえ、
イタリア製の軍艦はスポーツカーのように無茶苦茶速い!
ということで3隻の駆逐艦は煙幕を張って姿を隠すとともに、
北方にいた味方の巡洋艦1隻と駆逐艦1隻との合流に成功。
煙幕で一時敵艦を見失っていた伊側は再び駆逐艦を発見しますが、
逃げていたはずがこっちに向かって来ている…?
形勢が五分五分と判断した英側は見敵必殺とばかりに、
5隻が束になって伊側に真っ向勝負を挑んだのです。
ところが伊側は巡洋艦の数を2隻と誤解して、
形勢不利とばかりに退却を開始。
煙幕をきれいに展開できるくらい穏やかな天気だったので、
伊側は運が悪くても逃げられるはずだし本気で戦えばいい勝負だったのに、
何をどう間違えたのか退却時に直線コースではなく、
ご丁寧にも島の沿岸にきれいに沿って逃げたためとんだ道草!
5ノット差の鈍足ながら直線コースで追撃した英側はこれ幸いと砲撃開始、
バルトロメオ・コレオーニは無残にもエンジンに砲弾を食らって停止、
身動きが取れないまま前後左右上下に砲弾や魚雷を浴び、
英側の砲撃開始からわずか30分で沈み生存者はほんの数名。
もう1隻の巡洋艦ジョバンニ・デレ・バンデ・ネレ(長い名前だ)は、
袋叩きに遭ってはかなわんとスタコラサッサと逃げたとか。
この海戦は近くの岬の名前から「スパダ岬海戦」と呼ばれ、
伊海軍の無力ぶりを証明する破目になったのでした。

[19]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年01月28日 05時54分06秒 ) パスワード

>船の場合は大雑把に言うと3種類の「トン」があります。
>総トン…船の内部容積、一般に客船などで使われる大きさの単位ですね。
>重量トン…搭載できる貨物や燃料などの総重量、貨物船で用いられることが多く。
>排水トン…船が浮かぶときに押しのける水の重量、もっぱら軍艦で用いられる単位です。

これは勉強になりました。船のトンはカテゴリーが違うんですねえ。


>ご丁寧にも島の沿岸にきれいに沿って逃げたためとんだ道草!

イタリアらしい。(笑)
[22]空の青海のあをさんからのコメント(2013年03月23日 22時59分33秒 ) パスワード

お、久し振りにnyaoさんじゃありませんか!
と思ったら

ワケ分からない書き込みが流れて来ていましたね。

どうやら
http://www.hackettstown.org/hhs/site/default.asp
ニュージャージーの高校の優秀な学生の公開を喜んだ人の感謝の書き込みだったらしく


これまでゴミレスは通信販売の会社からの一斉宣伝かとばかり思ってたのに
たまには無邪気なのも紛れ込んでくるですねえ。


これは例の韓国の偽ウインドウズを使っている人達の間のトロージャンに一斉感染したあおり?

ということは韓国人学生のPCからここに流れて来た?


韓国 → ニュージャージー → 彦熱 → わたくし  の流れ?
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