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 投稿番号:102117 投稿日:2024年04月26日 13時04分25秒  パスワード
 お名前:空の青海のあを
平家物語:巻一の13+14:御輿振+内裏炎上

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

源頼政
いいですね
優れた武将でありながら和歌にも秀でてて。

   「深山木の  その梢とも見えざりし  櫻は花にあらはれにけり」

桜の花の群を抜く美しさ  そして  源頼政の品性の貴さがこの一首に滲み出てますね。


47-200 Kahekili Hwy, Kaneohe, HI 96744 の墓地にある平等院を見る度に
源頼政公に思いを馳せます。


逆に

ウッカリとんでもない事態を引き起こすのも人間の一面。
 

「しまった!やっちゃったよ」

まさか!あんな事態を引き起こしちゃったなんて!
どーしよぉ〜
(大汗)
ボスに叱られるぜ
(号泣)


安元3(1177)年4月13日神輿射立て奉つりし武士六人獄定せらる。
これ等はみな小松殿の侍なり。



この6人
名前を晒しておきます。
(メッ)

内の1人はワタクシの前世の父上・・・
(汗)

[2]空の青海のあをさんからのコメント(2024年04月26日 13時09分17秒 ) パスワード

そうか・・・

あの事件の10年前の仁安2(1167)年5月28日に曽祖父さまが84歳で没してたのか。
[3]空の青海のあをさんからのコメント(2024年04月26日 13時20分53秒 ) パスワード

安元3年4月13日
小松重盛さまの家人が延暦寺と喧嘩して
流れ矢が日吉十禅師社の神輿に命中して大問題に発展。

この争いを起こしたスーパーバイザーの6人が禁獄された。
今の言葉で  拘禁  で良いのかな?
[5]空の青海のあをさんからのコメント(2024年04月26日 13時37分43秒 ) パスワード

重盛さま郎等のうちの6人


@
平 利家

わたくしの前世の曽祖父   家貞の弟である家資の子

伊勢国河曲郡林崎(鈴鹿市林崎)


地図
https://map.yahoo.co.jp/address?ac=24207&az=OTM&lat=34.88846&lon=136.59138&zoom=13&maptype=basic




え゛〜

ロスの空港で働いてた時の同僚
父にそっくりでビックリしたけど

やっぱり

ワタシとも血で繋がってたのか。


とんでもないオトコで
ヒトの説明をする時に  「XXは You のようなブス」  と先輩女性の同僚に言ってた。

だから

「田中さんねぇ、わたしに同じコトを言ったら  田中さんの首  明日の朝  1マイル先に落ちてるからね」

と言ってやった。


おじい様とお父様が海軍軍人だったけど
海軍と陸軍が仲が悪いのに嫌気がさして2人とも軍人を辞め
鈴鹿に戻って帰農して
戦後
アルゼンチンに移民して
そこで田中さんが生まれた。


叔母さんはチリの海藻学者。
マラソンの瀬古さんとお友達。瀬古は桑名の人だと言ってた。
[6]空の青海のあをさんからのコメント(2024年04月26日 13時52分09秒 ) パスワード

A
平  家兼


平内太郎家継の子


つまり  平(平田)家継の子  
わたくしの前世の父上であります。


   家兼の名前から   平 信兼から「兼」の字を頂いたってコト

             平 信兼は  鈴鹿の人で  別名「関」さん
                    家継の刎頸の友。
                    山木兼隆の父上でもありますね。

                    やんちゃをやらかした平資盛を預かっていた人でもあります。



幼稚園や小学校の時の   わたし(や姉)を可愛がってくださった先生が「関」先生でした。

わがままなワタシを可愛がってくださったのも  ソーユーこと  と納得がいきます。
[7]空の青海のあをさんからのコメント(2024年04月26日 14時04分58秒 ) パスワード

B
田使  俊行


別名  難波五郎


備前国の平家の家人


難波氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/bz_namba.html#google_vignette

田使首後裔
だそうです。

清水宗治のご先祖の一族⁉
ちょっと!ちょっと!ときをさん!
ビックリですよ!



無断でコピペ
すみません


平安時代末期、備前国の武士に難波(Naniwa)氏がいた。
難波氏はのちに「なんば」と訓むようになった。

『保元物語』「官軍勢汰」の条の、安芸守平清盛に従う郎等に「備前国住人難波三郎経房、備中国住人瀬尾太郎兼康」とあり、また『平家物語』にも、清盛が難波次郎経遠を召し出したことが見える。さらに『源平盛衰記』には、備前国住人難波次郎経遠、六郎経俊、三郎経房、難波五郎田使俊行などが見える。経遠は清盛の腹心であり、俊行の母は平重盛の乳人であった。
 

この難波氏は、本姓は田使首で、その系図は『古代氏族系譜集成』に「田使首」として掲げられている。その先祖は葛城直で、大和国に起こり、葛城山田直広主の子瑞子が、欽明天皇の十七年、備前国に児島屯倉が設けられたとき、その「田令」に任じられ、田使首の姓を賜わったのにはじまる。このことは『日本書記』にも見えている。



系図によると、瑞子の子息海は大化二年(645)児島評造に任じられており、その子枳波美は児島郡大領で、その子男麻呂は少領をつとめ、その曾孫緒主から津高郡の郡司家となり、緒主の曾孫諸主が津高郡駅家郷難波に住み、子の津高郡少領田使千世が難波大夫と称した。この千世の子孫が難波氏で、鎌倉時代初期までに、津高・松尾・横尾・笠加・坂崎・野口・久米・三次・安江などの諸氏が分出しており、備前国の大族であった。


千世から六代に経信が出て、その三子が太郎経友・二郎経遠・三郎経房で、経房の子が六郎経俊である。前記の平家の郎等の名がここに現われる。経遠の子三郎経家も清盛・重盛に仕えたという。その子六郎経宗は、上道郡清水村を領し、清水三郎左衛門尉と称したことから、平家滅亡後、ともかく源氏に属したようである。しかし、経宗の甥田太光功は承久の乱(1221)で宮方に属し、宇治で戦死している。


弘安四年蒙古襲来に際して、経興は筑前に出陣して博多湾の戦いで戦死した。子の難波新右衛門尉経隆は元弘三年(1333)の船上山の合戦に、名和方に与して功を顕わしたことが知られる。以後子孫は清水・難波を共用、室町期に至り因幡守行資は赤松満祐に属し、嘉吉の乱において討死した。室町期、難波氏から木梨・江崎・木村・豊居などの諸氏が分出している。



行資の子行隆は鳶淵山城を築いてそこに拠ったが、応仁四年(1470)山名氏に攻められて討死し、その弟行季も文明四年(1472)山名氏のために落城したという。


戦国期の難波十郎兵衛行豊は、嘉吉の乱で没落した赤松氏を再興した政則の娘を娶り、赤松家中で重くもちいられていたようだ。また浦上氏にも属したようで、鳥取荘内・居都荘内に所領を与えられている。行豊の孫宗綱は、備中国賀陽郡八田部領の清水城主となり、その子宗則は清水氏を称した。その子宗治が、豊臣秀吉の水攻めで知られる高松城主清水長左衛門尉宗治その人である。宗治は備前の戦国時代を生き抜き、毛利氏に属し、秀吉の攻撃にも屈せず、毛利氏への節をまっとうして高松城で自刃したことは、世に知られている。


先の行豊の兄、行治の子孫は宇喜多氏に仕えた。



これを読んで納得した。


我が家の親戚の某政治家
有名すぎるから名前はココでは秘す。

やっぱり平家繋がり南朝繋がり反信長繋がりじゃん!


         凄いね  日本史!!
         やっぱり日本人ってムカシっから繋がってるんだぁ〜
[8]空の青海のあをさんからのコメント(2024年04月26日 14時52分19秒 ) パスワード

C
藤原通久


伊勢国平家の譜代の家人の加藤氏


      伊勢の藤原さんだったら「伊藤さん」かと早トチリしちゃうのにね。
      あそこの子だったら  やりかねないからね



https://dynasty.miraheze.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B0%8F
無断コピペ
御許しを


源平盛衰記に

藤原通久は  字  加藤太、

       加藤家の太郎(長男)って意味だろうね



D
藤原成直


藤原成直は  字  十郎、是は右馬允成高の子、

     この人は別名   早尾十郎
     尾張の愛西市早尾の人
早尾:
https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E6%97%A9%E5%B0%BE#google_vignette

【名字】早尾
【読み】はやお,わさじり

【全国順位】 15,213位
【全国人数】 およそ360人

同名字は、福島県、東京都、愛媛県などにみられる。


地図  愛知県愛西市早尾
https://www.google.com/maps/place/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%81%E3%80%92496-0931+%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E6%84%9B%E8%A5%BF%E5%B8%82%E6%97%A9%E5%B0%BE%E7%94%BA/ @35.1915662,136.6805234,14z/data=!4m6!3m5!1s0x6003a2989624c5f1:0x87e7cdee581cc21d!8m2!3d35.1910308!4d136.6970977!16s%2Fg%2F12z84qh95?entry=ttu




E
藤原光景


藤原光景は  字  新次郎、
是は前左衛門尉忠清の子

          藤原忠清の子
          でしょうね
                忠清の男子に  忠綱・忠光・光景・景清がいるから

                   あそこの息子ならやりかねないし
                   笑






源平盛衰記
http://www.kikuchi2.com/seisui/gsall.html
無断コピペ
ごめんなさい。

こちらは「7人」になってますね。
成田兵衛尉為成が入ってますね。
次のレスに書きます。
暫しお待ちを。


廿日
P0098


今月十三日叡山衆徒、舁日吉社、感神院等之神輿、不憚勅制乱入陣中。爰警固之輩、相禦凶党之間、其矢誤中神輿事、雖不図、何不行其科、宣仰検非違使、召平利家、同家兼、藤原通久、同成直、同光景、田使俊行等、給獄所者也。従五位上加賀守藤原朝臣師高解官流罪尾張国、目代師経流罪備後国、奉射神輿官兵七人、禁獄事者、(有朋上P136)今日宣下訖。以此旨、可令披露山上給之由所候也、恐々謹言。


P0099
   四月二十日                権中納言藤原光能
執当法眼御房へとぞ有ける。


 追書に云、禁獄官兵等之交名、山上定令不審候歟、仍内々委相尋尻付交名一通、所被相副候也、平利家字平次、是は薩摩入道家季孫、中務丞家資子、同家兼字平五、故筑後入道家貞孫、平田太郎家継子、藤原通久字加藤太、同成直字十郎、是は右馬允成高子、同光景字新次郎、是は前左衛門尉忠清子、成田兵衛尉為成、田使俊行、難波吾郎と注したり。
[9]空の青海のあをさんからのコメント(2024年04月26日 14時59分31秒 ) パスワード

F
成田兵衛尉為成

名古屋は成田さんって多いな

わたしの小学校時代の悪ガキも成田君だったし
    成績優秀  しかし  悪ガキ  その上  カラダ  デカい
生まれた時代が悪かったね

戦いの時代だったら やっぱり  武将タイプだったんだろうね。




https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E6%B0%8F
無断コピペ
ごめんなさい


文献上で成田氏の活動がみられるのは『保元物語』で、
源義朝方に成田太郎がみえる。

行田市郷土博物館編 『忍城主成田氏』では、「成田系図」で助隆(助高)の孫・広能が保元の乱で戦死したとするのを、この『保元物語』からの援用ではないかとする。[

鎌倉時代には成田氏は御家人になったとみられる。
[10]空の青海のあをさんからのコメント(2024年04月26日 15時40分43秒 ) パスワード

まとめ


平家物語の6人説
源平盛衰記の7人説




平利家字平次、是は薩摩入道家季孫、中務丞家資子、



平家兼字平五、故筑後入道家貞孫、平田太郎家継子、



藤原通久字加藤太、



藤原成直字十郎、是は右馬允成高子、



藤原光景字新次郎、是は前左衛門尉忠清子、



成田兵衛尉為成、
     ↑
     
 この2人は別人ですよね?
 成田はもともと源義朝の家来だったそうですし

     ↓


田使俊行、難波吾郎



昔の人の書いた物ってホント厄介。
って
ワタシのアタマが悪いだけか・・・
しゅん
[11]空の青海のあをさんからのコメント(2024年04月27日 02時16分01秒 ) パスワード

我が家の親戚にも加藤さんがいます。
加藤なんて伊藤同様
名古屋じゃゴロゴロいて
まわりに加藤姓  いったい  どれぐらい  いるのか?


ということで
伊勢の加藤さんを調べてきました。
例によって  コピペ
すみません。



https://kotobank.jp/word/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%B0%8F-45545
加藤氏
改訂新版 世界大百科事典


(1)
伊勢国の中世武家。
藤原利仁流の末裔景貞(清)が伊勢に下向,祖となったという。

津市,鈴鹿市に景貞伝承の地がある。

その子景員,孫景廉・光員は源頼朝挙兵に参加,
その後,光員は頼朝側近として,
また1185年(文治1)平家家人上総介忠清を志摩国で捕縛,
没官領の注進など当国統治にも活躍,
朝明郡豊田荘など数ヵ所の地頭職を得,
左衛門尉,伊勢守に任官している。


1206年(建永1)当時,彼は西面の武士として後鳥羽院と,道前(みちのさき)政所職(神宮領朝明郡,員弁郡,三重郡)として大神宮と関係するなど複雑な関係を持った人物であった。


承久の乱には京方として,子光定と参加,所領は没収されて弟景廉に与えられ,光員はまもなく死亡したらしい。
執筆者:稲本 紀昭氏


(2)はどうでも良い
秀吉のママは御器所の人で  御器所は清盛がパパから相続した土地だから
もともと
加藤は平家がらみだろうと踏んでたから。

取り敢えず
(2)
豊臣秀吉の家臣より興った大名で,藤原道長の末裔と称する清正流,藤原利仁の末裔と称する嘉明流,光泰流の3流がある。(a)清正流。清正は尾張中村出身で幼少より豊臣秀吉に仕え,1588年(天正16)肥後半国19万5000石を与えられ熊本城主。文禄・慶長の役で先陣をつとめ活躍。関ヶ原の戦では東軍に属し,肥後1国54万石に加増。1611年(慶長16)清正没後,三男忠広が継いだが32年(寛永9)領地没収,出羽庄内に1万石を与えられる。その子光広(光正)も早世し,断絶した。(b)嘉明流。嘉明は三河出身であるが近江で秀吉に仕え,1586年淡路1万5000石を与えられ,のち伊予松前10万石に加転。水軍を指揮した。関ヶ原の戦では東軍に属し,伊予松山20万石に加増。さらに1627年会津若松40万石に加転。子明成に至り43年領地返上(会津騒動),孫明友が石見吉永に1万石を与えられ,のち近江水口2万石に加転。その子明英は下野壬生2万5000石に転封,嘉矩の代に再び水口2万5000石に戻った。維新後,子爵。(c)光泰流。光泰は美濃出身で斎藤氏滅亡後秀吉に仕え,丹波周山城主,近江貝津・高島城主,美濃大垣城主を経て,1590年小田原の役後,甲斐24万石を与えられる。文禄の役に出征中,93年(文禄2)陣没。子貞泰は美濃黒野4万石に減転されたが,関ヶ原の戦で東軍に属し,1610年伯耆米子6万石に加転,さらに17年(元和3)伊予大洲6万石に転封。その子泰興は弟直泰に新谷1万石を分与した。ともに維新後,子爵。
執筆者:加藤 益幹氏



その他の情報


加藤氏は、伊勢国目代職、伊勢前部(神領の地)の所職。 伊豆国狩野荘内牧郷職に補せられていた。 この末裔である加藤次景廉は、石橋山の合戦で敗れて後、甲斐に来る。 この一族が文治年間(1185〜90)郡内に入り、川口林郷に住み小林を名のるようになったという。



加藤家のルーツ

加藤は、平安末期に藤原景通(道)が加賀介(かがのすけ)となって加藤氏を名乗ったのが始まり。

やがて景通の子、景員(清)が伊勢に転じて、伊勢加藤氏の祖となり、
それ以降、
加藤氏は東海地方に広まったとされる。

実際、都道府県別に見ると、
岐阜県で第1位、愛知県で第2位、三重県で第5位と確かに東海地区に多いことが分かる。




加藤氏の先祖

加藤氏の初代と思われるのは源頼義に仕えた武士藤原景道で、加賀介となったことから加賀の藤原を略して「加藤」を称するようになったとされる。

景道の曽孫といわれる加藤景廉は源頼朝の挙兵に参加し、
平家が滅亡して鎌倉幕府が成立すると鎌倉御家人となった。

頼朝から安田義定を討つように梶原景時とともに加藤景廉も命ぜられた。




加藤清正と秀吉の関係

加藤清正は3歳のときに父を亡くし、1573年(天正元年)頃から豊臣秀吉の小姓になったと言われています。
もともと加藤清正と豊臣秀吉は縁戚関係にあり、
加藤清正の母と豊臣秀吉の母の大政所(おおまんどころ)が従妹姉同士でした。


    市のママは秀吉の妹だよ
    だから秀吉と市は母方の従兄弟

    そこに又従兄弟の  虎が関係するという  3人の人間関係。
[12]空の青海のあをさんからのコメント(2024年04月27日 02時27分12秒 ) パスワード

今朝のジムで昨日書いたことを反芻してて涙が止まらなかった。


1180年代の過去の自分の涙を思い出した
って感じ。



いとこ達が名古屋から遥かに遠い岡山の人達と何故結婚したのか
昨日書いてて
先祖が仲を取り持った
としか思えない。


友人の中のカップルにも   上記の関係だったのか   というのがいる。


知らないだけで
遺伝子はちゃんと反応するんだ
先祖が「血沸き肉躍る」喜びで  子孫達の縁を結ぶんだな


なんで何十年も心で繋がってるんだろう?
と思ってたけど

刎頸の友の時代を何度も経て来たんだな
知らなかっただけで。
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