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 投稿番号:101796 投稿日:2021年12月25日 14時03分51秒  パスワード
 お名前:空の青海のあを
動画)北条義時:「鎌倉殿の13人」を見る前に

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

https://www.youtube.com/watch?v=qxo9cL7S4NU


こんな立派な人だったとは知らなかった。
後鳥羽上皇の敵だから知ろうとしてなかったのを反省。

[1]丸に三つ柏服部さんからのコメント(2021年12月26日 05時05分56秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 いいタイミングで、いい話を視聴でき、義時の位置・姿勢・考え方についての
理解が深まりました。ありがとうございました。
[2]空の青海のあをさんからのコメント(2021年12月26日 08時49分32秒 ) パスワード

三つ柏さん

義時って「ナンバー2」に徹した人物、ということですね。

承認欲求を押さえたこういう人物というのは、なかなかいないですよね。   除:秀吉の弟秀長
800年も後に「光」が当たって、まさか評価されるとは、と草葉の蔭で喜んでいるでしょうね。


承久の乱
1221年(承久3年)
[3]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月04日 03時20分55秒 ) パスワード

https://news.yahoo.co.jp/byline/moriokahiroshi/20220103-00272898

「姓」から「名字」への転換期だった『鎌倉殿の13人』の時代

森岡浩姓氏研究家
1/3(月)



まさに  コレ!  ですね。
平安時代後期までは  本姓があって付け足しに俗姓がある
鎌倉時代になると坂東平氏のオンパレードですから区別するのに俗姓で名乗って貰わないと皆さんが平氏だらけ。



消えてしまうのが惜しいので下にコピペしておきます。
[4]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月04日 03時24分53秒 ) パスワード

森岡 浩
姓氏研究家

1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない実証的研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」「日本名門・名家大辞典」「47都道府県・名字百科」など多数。NHK「日本人のおなまえ」にレギュラー出演中。



現在では、「姓」と「名字」は同じ意味の言葉として使っている。しかし、江戸時代以前は「姓」と「名字」は別のものだった。「姓」の方が古く、「名字」は新しい。そして、2022年のNHK大河ドラマで描かれる「鎌倉殿の13人」の時代は、ちょうど「姓」から「名字」への転換期にあたっていた。



「姓」と「名字」の違い

「姓」は古くからあり、蘇我馬子の「蘇我」や、物部守屋の「物部」のように古代から使われているものや、「平」や「源」のように奈良時代以降に天皇家から分家する際に賜ったものがそうだ。

それに対して、平安時代中期以降に武士や貴族が、自分の家をはっきりとさせるために自ら名乗ったものが「名字」である。


従って、「姓」は一族の出自を示す大きなくくりで、「名字」はその中で家と家の区別を表している。

そして、「姓」は公的なもので原則変更できないが、「名字」は自称に過ぎず自由に変更できた。

とくに鎌倉時代から室町時代にかけては、分家すると新しい名字を名乗るというのはごく普通のことで、こうして名字の数は増えていった。



実は「姓」と「名字」には簡単な見分け方がある。古代の人は「蘇我馬子」(そが の うまこ)「物部守屋」(もののべ の もりや)のように、姓名間に「の」が入る。平安時代の貴族たちも「菅原道真」(すがわら の みちざね)「安倍晴明」(あべ の せいめい)と「の」を入れる。



一方、鎌倉時代以降は「北条時政」(ほうじょうときまさ)「足利尊氏」(あしかがたかうじ)「徳川家康」(とくがわいえやす)と「の」が入らない。この、「の」が入るのが「姓」で、「の」が入らないものが名字である。ただし、「豊臣秀吉」のように「姓」でありながら「の」を入れない例外もある。



「名字」の誕生

平安時代の朝廷は藤原姓の一族が席巻していた。そこで、公家たちは他家と区別するために、姓とは別に自分の家を指す「家号」(かごう)を名乗るようになり、この家号が次第に固定化されて「名字」となった。



同じ頃、武士達も自らの所領を示すために、その地名を「名字」として名乗った。「名字」を名乗ったからと言って「姓」がなくなるわけではなく、当時は「姓」と「名字」の両方を持つことが普通であった。


鎌倉時代頃からは日常生活では「名字」の使用が主流となり、「姓」は朝廷関連の公文書など特定の公式の場でしか使用されなくなっていった。

たとえば、足利尊氏は「姓」が「源」で、「足利」は名字である。

一般的には「足利」を使用したが、公的な文書では「源尊氏」と署名している。

この形式は明治初頭まで続き、菅原姓の大隈重信が「菅原朝臣重信」と書かれている文書も現存する。


「姓」から「名字」への転換期

「鎌倉殿の13人」の時代は、こうした「姓」と「名字」の両方が日常的に使われている時代であった。

ドラマの登場人物をみても、平清盛、源頼朝などは名字を持たず、姓である「平」や「源」を名乗っている一方、梶原景時や北条時政などは「平」という姓ではなく「梶原」や「北条」という「名字」を使用しているなど、「姓」と「名字」が混在して使われている。


こうした過渡期のため、姓の場合にのみ「の」を入れるというルールも混乱しており、名字を使っている北条義時は「ほうじょうよしとき」と名乗るはずだが、実際には「ほうじょう の よしとき」と「の」を入れて名乗っていたとされる。


やがて、源氏、平氏ともに嫡流が滅んだことで、日常的に「姓」を名乗る一族は表舞台から遠ざかり、以後は日常的に「名字」を名乗る人達の時代となったことから、「名字」と「名前」の間の「の」は使われなくなっていく。


さらに、日常では「姓」を使用しないため、やがて「姓」が何であったわからなくなった家も増え、戦国時代には「姓は不詳」という大名家もあった。

徳川氏(松平氏)の「源」、織田氏の「平」などは自称で、本来の「姓」はよくわからない。

それでも、公式の場では「姓」を名乗らなければならず、一定の地位にある家では自称で「姓」を名乗っていた。
[5]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月04日 03時44分36秒 ) パスワード

我が家の場合は
父方は「平姓」だけど
途中で後醍醐天皇から源姓を拝領して
ホンヤさんとこは「うちは源氏」なんて称していらっしゃいまして

    うちはホンヤさんとこにそれほど近くないし
    名家でもないから
    馬の骨ということで  そのまんま  平氏でいいよね、
    です。


中国でも実は姓はいろいろな事情があって勝手に替えてる人もあって
    例えば悪名高い先祖がいて隠したいとか

日本の場合は姓氏とか苗字とか名字はグチャグチャに変化が起きて
自分の先祖が分からないという人がいて  本当か?  とビックリしたけど
戦後76年間にいろいろあって
日本の某・超有名家の人さえ出自を隠したいという人がいて
    だけど  分かっちゃう   隠そうたって隠せないから


家紋が分からないとか知らないとか言う人もいて
ウソだろぉ〜
と思ったけど

家紋もいろいろ変遷するからね。


わたしも母方の家紋が大坂の役で敗れて落人になって
    名字と家紋を隠して
江戸幕府になって登録した家紋はとうとう復旧を許されず
そのまま今に至るで

忸怩たる思いがあります。

この「忸怩たる部分」がわたしのアイデンティティなのだから   しょうがないか
です。


大坂の役や鳥羽伏見の戦いや、第二次大戦の戦火の中を必死に持ち出した系図を運良く守れた家と
そうでない家があったわけで

今時  出自だの姓だの名字だの  意味が無いけど  やっぱり消してはならないんだとも思うし

その背景には  皇室が存続する限り  失ってはいけないんだろうな  と思う。 
[6]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月05日 02時57分29秒 ) パスワード

https://news.yahoo.co.jp/articles/f103c8dabba8350433f41860e6eabc144c967d37

鎌倉殿の「13人」って、いったい誰?:乳母でつながる一族郎党
1/4(火)

鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝亡き後、幕府は有力者たちによる集団指導体制「13人の合議制」を導入する。その顔ぶれをよくよく見ると、乳母人脈の強さが伝わってくる。


ということで以下に続く。
[7]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月05日 03時00分15秒 ) パスワード

北条時政
≪北条政子・義時の父 / 初代執権≫

頼朝挙兵を一族をあげ支えたことで、伊豆の地方豪族から権力の中枢へと躍り出る。頼朝の死後、嫡男の頼家が2代目・鎌倉殿となると、その後ろ盾である比企一族と対立。北条氏が抱え込む実朝を3代将軍とするため、比企能員を殺害、比企家を根絶やしにする。3代・実朝を廃し、後妻・牧の方の娘婿・平賀朝雅を鎌倉殿に立てようとして、政子・義時と対立して失脚。


梶原景時
≪石橋山の合戦で敗北した頼朝の窮地を救った側近中の側近≫

当初は頼朝と敵対する平家側の勢力だったが、石橋山の合戦で頼朝の危機を救い絶対的な信頼を得た。源義経と対立したことでも知られる。文化的な素養も高く、京都の貴族社会の人々とも交流があった。頼朝の死後は、浮いた存在となり、御家人らの弾劾で失脚。


安達盛長
≪妻は頼朝乳母・比企尼の長女=丹後内侍≫

伊豆で流人生活を送る源頼朝を側近として支え、頼朝の挙兵に当たっては、相模・下総の武士に参加を呼び掛けた。頼朝の死により出家。



足立遠元
≪安達盛長の甥≫

            甥の家だから遠慮して「安達」じゃなくて「足立」にしたのかな?

石橋山の合戦で敗走した源頼朝を支え、東国武士をまとめた。武士でありながら、文筆に長け、公文所が開設されると、中原親能・二階堂行政などと共に能力を発揮。


八田知家 
≪妹が頼朝の乳母・寒川尼≫

壇之浦の戦い、奥州藤原氏との戦いで武功を挙げる。



比企能員

             林原さまのご先祖さまですね

≪頼朝の乳母・比企尼の猶子(もともとは甥) / 妻は2代鎌倉殿・頼家の乳母を務め、 娘=若狭局を頼家に嫁がせる≫

頼朝の乳母・比企尼の一族は頼朝の信頼篤く、頼家が誕生すると、比企尼の娘や能員妻が乳母となり、後には、能員娘・若狭局が頼家の側室となる。頼家の後ろ盾として力をふるう比企氏と、実朝3代将軍に据えたい北条氏との対立の中で、北条時政に殺害され、一族も自害に追い込まれる。
[8]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月05日 03時02分15秒 ) パスワード

三浦義澄
≪源頼朝、北条時政、三浦義澄の3人は伊豆の豪族・伊東祐親の娘をめとった義兄弟≫

源頼朝が挙兵した際には、川の増水に阻まれて合流できず。しかし、石橋山の合戦で安房国に敗走した頼朝と合流し、坂東武士をまとめ兵を整えた。頼朝の征夷大将軍への任命文書(除書)を、勅使から受け取る大役を果たしていることから、頼朝からの信任の篤さがうかがえる。



和田義盛
≪三浦義澄の甥≫

源頼朝の挙兵に義澄らとともに参加し、頼朝が安房国へ脱出した 後は常に頼朝に近侍して信頼を得る。御家人を統制する侍所の初代別当(=長官)。公認の梶原景時失脚後に別当に再任されるなど、盤石の地位を築くが、一族の中に実朝廃位のクーデターを企てたことから、北条氏に滅ぼされる。


北条義時 
≪妻・政子の弟 / 2代執権≫

頼朝の挙兵に協力し鎌倉入り。北条氏は、梶原、比企など有力御家人を排除し、幕府の実権を握る。父・時政が3代目鎌倉殿・実朝の廃位を企てたことで失脚した後は、姉・政子とともに幕府政治を主導する。

北条氏への権力集中を疎んだ後鳥羽上皇は、北条義時追討宣旨(せんじ)を全国に発して兵を挙げた(=承久の乱)が、尼将軍・政子の演説により御家人たちが結束を固め、幕府の武力が朝廷を圧倒した。


三善康信
≪叔母が頼朝の乳母≫

京都の下級文人貴族。叔母が頼朝の乳母であった縁から、流人時代の頼朝に、頻繁に使者を送り京都の情勢を伝えるなど、“ インテリジェンス” 的役割を果たす。鎌倉幕府の問注所(=訴訟機関)の初代執事(=長官)。


中原親能
≪頼朝と政子の娘・三幡の乳母父(めのとぶ)≫

儒学を専門とする京都の下級貴族・中原広季(ひろすえ)の養子。同じく広季の養子だった大江広元とは兄弟関係。京都人脈を活かし、鎌倉と京都の連絡役として重要な役割を果たす。乳母父を務めた頼朝の娘・三幡が14歳の若さで世を去ると、出家した。


大江広元
≪中原親能と兄弟関係≫

中原広季の養子で、中原親能と兄弟関係。文官として、京都との交渉や鎌倉幕府の整備に尽力。公文所(後に政所)の初代別当(=長官)。承久の乱では、京都への進撃を主張し、幕府方の勝利に貢献。


二階堂行政
源頼朝と同じ熱田大宮司家を母方に持つ。公文所の設置や寺社の差配、幕府の財政などで実務能力を発揮した。
[9]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月09日 11時49分07秒 ) パスワード

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90365

「鎌倉殿の13人」、これから繰り広げられる「あまりに壮絶な裏切り」の中身
小栗旬の父・北条時政の芸術的な謀略
加来 耕三


13人うちわけ

第1は大江広元(おおえの・ひろもと)、三善康信(みよし・やすのぶ)、中原親能(なかはら・ちかよし)、二階堂行政(にかいどう・ゆきまさ)の、京より下ってきた官僚たちのグループ計4人。


今ひとつは、豪族の族長たち。三浦義澄(みうら・よしずみ)・和田義盛(わだ・よしもり)・比企能員(ひき・よしかず)・安達盛長(あだち・もりなが)・足立遠元(あだち・とおもと)・梶原景時(かじわら・かげとき)・八田知家(はった・ともいえ)の計7人。

これに時政と息子の義時を数えて、13人。
[10]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月09日 12時16分54秒 ) パスワード

     粛清につぐ粛清で  胸糞が悪くなる  のヒトコト。

     自分の先祖の話でもあるわけで
        わたしの母方おじじ様の正妻は政子の妹ですから
            つまり北条時政の1ダースいた娘の1人
        おじじ様は後鳥羽上皇方として敗れ北上山脈の江刺に流され
        同じく後鳥羽上皇方だった息子達は久慈と佐久に流されて斬られている

     旧華族の某おばさまに「ヨソの家の悪口は言っちゃダメ。自分の顔に唾することだから」と言われたように
     悪口も批判もせず  ただじっと耐えるしかないやね。
     I am what I am. わたしの中の北条氏の血はなんとも出来ないものね。            


https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90864


「鎌倉殿の13人」、小栗旬演じる“北条義時”は将軍殺しの黒幕なのか?
これから起こる「裏切り」の数々
加来 耕三

承久3年(1221)5月、承久の乱に討って出た。
後鳥羽上皇を隠岐に流し、順徳上皇を佐渡へ、乱においては局外であった土御門院は自ら希望して土佐(現・高知県)に遷り、仲恭天皇は退位となり、後堀河天皇が即位した。


このことは同時に、“鎌倉殿の13人”の制度が、完全に消滅したことを意味していた。
結果としてここに、鎌倉幕府は盤石なものとなる。

この時点で存命していたのは、
北条義時のほか大江広元、三善康信の2人、足立遠元と二階堂行政は、その晩年が明らかにされていない。 
[11]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月09日 12時23分49秒 ) パスワード

わたしが Kis-My-Ft2 の二階堂君を何となく好きなのは  
この子って  わたしのおじじ様の妻の1人と一族?といつも思うから。

    わたしの好みは横尾渉なんだけどね。こーゆー感じの男子が好き。♥

ひょっとして二階堂君って本当に  わたしと  かすってる?
[12]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月11日 02時52分20秒 ) パスワード

昨日から「鎌倉殿の13人」が始まりました。

   朝8時あたりにテレビのチェックでテレビをつけたら「のど自慢」をやってて画像と音声が壊れてた。
   その後、全国大学ラグビー決勝戦をやってたけど、これも壊れてた。帝京vs明治だったかな?


3時から「鎌倉殿の13人」の放送があるんだよぉ〜  泣
間に合う?
ニューヨークに苦情の電話を掛ける?
どうしよう?

と迷いに迷い(わたしなんかが電話で抗議をしなくても良いか)と諦めて
散歩に行ってシャワーして昼ご飯を食べて、テレビをつけたら大丈夫だった。ホッ


無事に「鎌倉殿の13人」を見ることが出来た。
中川大志のきれいなお顔を見ることが出来て  眼福!眼福!


だけど  工藤祐経 って、あそこまで落魄してた?

   伊東祐親が工藤祐経の亡き父の土地を奪った上に工藤祐経の妻=祐親の娘=まで土肥に与えられて

      このハナシ
      まさにわたしの父方先祖の所業と同じじゃんね
      平将門の父が亡くなったら貞盛の父やおじさん達が土地を奪ったハナシ
      みんなで将門を殺してしまうんだものね


とにかく  坂東平氏一族の人間関係がややこしくて   結局  みんな親戚じゃん!
当たり前だけど。

要するに坂東に居残った平氏が  伊勢伊賀に出て行って成功した平家が憎くて妬ましくて   自分達がミジメ ってハナシじゃん。


だけどワタシは  伊東祐親って  オトコとして  好きだな。
父や兄弟や夫がこんなタイプだったらイヤだけど  見てる分には  ああ、オトコだな  と思う。


朝8時からヤキモキし過ぎて疲れ果てて  7時半には寝た。
目が覚めたのは3時半だった。
今朝は4時起きで  1時間+  蛸踊りした。いつもは1時間弱だけど。
[13]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月22日 04時01分21秒 ) パスワード

https://news.yahoo.co.jp/articles/bd402075e352b08b8d994652efe331641471e272

仲が悪いけど実は〇〇〇!?伊東祐親と工藤祐経の複雑すぎる関係
1/21(金)

以下コピペ

『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で日本中世史が専門の歴史学者の呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビューする本企画。今回は、昨日放送の第2話「佐殿の腹」について、専門家の視点から見たみどころや、今後の展開の伏線となるポイントを解説してもらいました。


 『鎌倉殿の13人』の第2話では、本作の主人公である北条義時が、ついに源頼朝から平家打倒の決意を打ち明けられるシーンが描かれた。頼朝は長い流人生活の中で、他人に心を開かぬ猜疑心の強い人物になっていた。そんな頼朝が、慎重家で、それでいて頼朝への直言を憚らない義時を信頼した瞬間は見ごたえがあった。まさに歴史はここから動き始めたと言えよう。歴史学の観点から、第2話のポイントを解説する。

続く
[14]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月22日 04時02分41秒 ) パスワード

北条時政の矜持


 さて『鎌倉殿の13人』では、頼朝の身柄引き渡しを求めて、伊東祐親(すけちか)の軍勢が北条時政の館に押し寄せる。しかし真名本『曾我物語』によれば、頼朝が北条に逃げたことを知った祐親は頼朝を討つことを断念しており、実際には一触即発の事態には陥らなかったようである。

 ただし「武士として一度匿うと決めたからには、北条時政、死んでも佐殿を渡すわけにはいかねえんじゃ!」という時政のセリフは単にかっこいい啖呵というだけでなく、当時の武士の意識を反映したリアリティーのあるものだ。

 武士にとって館と所領は命であり、これを外部の侵略から文字通り命がけで守ることが武士のアイデンティティーであった。そして助けを求めて自分のテリトリーに逃げ込んできた者をいったん受け入れた以上、その武士には逃亡者を庇護する義務が発生する。庇護している者を引き渡しでもしようものなら、「子分を守れぬ親分」のレッテルを貼られ、その武士の面目は丸つぶれである。武士はなめられたら終わりで、たとえ不利な状況でも戦わなくてはならない時があるのだ。

 細川重男氏は当時の北条氏の状況を「伊東氏に飲み込まれまいとジタバタしていた」と評する(『執権』講談社学術文庫、2019年)。「伊東祐親の言いなりにはならない!」という矜持を時政は持っていたはずで、フィクションとはいえ、そのことを象徴する名シーンと言えるだろう。
[15]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月22日 04時03分54秒 ) パスワード

伊東祐親と工藤祐経の因縁


 第2話では、第1話に引き続き、伊東祐親と工藤祐経(すけつね)の険悪な関係がクローズアップされた。どうして、この2人はそんなに仲が悪いのか。ドラマ内では簡単な説明しか行われていないので、十分に理解できていない視聴者もいるかもしれない。拙著『頼朝と義時』でも略述したに留まるので、この場を借りて説明しておこう。


続く
[16]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月22日 04時09分31秒 ) パスワード

真名本『曾我物語』によれば、発端は伊豆の有力武士である工藤祐隆(家継)による所領配分をめぐって、子孫たちが相続争いをしたことにある。


工藤祐隆の息子たちはみな病弱で早逝してしまったので、祐隆の後妻の<<<連れ子>>>である継娘が産んだ男子を嫡子に取り立てて伊東荘を譲り、伊東祐継(すけつぐ)と名乗らせた。



一方、祐隆の嫡男(『伊東大系図』によれば祐家、既に死没)の嫡男、つまり祐隆の嫡孫も生存していた。
そこで彼を次男に取り立てて河津荘を譲り、河津祐親と名乗らせた。

祐継・祐親は共に祐隆の養子であるから、義兄弟ということになる。
この所領配分の後、祐隆は亡くなった。



けれども祐親は祐隆の所領配分に不満であった。

祐親は祐隆の孫である。
これに対して祐継は祐隆の<<<後妻の連れ子が産んだ男子>>>だから、祐隆の血を引いていない。

祐隆の血を引いていない「他人」の祐継が、嫡子として本拠地である伊東荘を相続するのはおかしいではないか。
自分こそが祐隆の嫡子として伊東荘を相続すべきだ、というのである。
もっともな言い分だろう。



ところが実は、<<<祐隆は継娘と密通しており>>>、それによって生まれたのが祐継であった。
だから祐継は祐隆の実子であり、祐親の叔父にあたる。
そんな事情を知らない祐親は、伊東荘奪回を密かに心に誓っていた。


             あら、そうだったの?
             コレは知らなかった!

                 オトコって案外こーゆートコには疎いよね。
[17]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月22日 04時12分43秒 ) パスワード

両者の確執が大いなる伏線に...


さて伊東祐継は43歳で重病に倒れ、危篤状態に陥る。
祐継の嫡子である金石丸はまだ9歳であった。
祐継の義弟である祐親は祐継の枕元で金石丸を後見すると約束する。
喜んだ祐継は、祐経と祐親の娘である万劫(まんごう)御前との結婚を頼んだ。

           ふむふむ


祐継が亡くなると祐親は河津から伊東に移り、伊東祐親と名乗った。
一方で祐親は祐継の追善仏事を熱心に行い、金石丸を安心させた。
そして金石丸が13歳の時に元服させ、祐経と名乗らせた。
約束通り、娘の万劫とも結婚させた。


           ここからが  騒動  ですね
           続く      
[18]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月22日 04時20分35秒 ) パスワード

翌年、祐親は祐経を連れて上洛し、
平重盛(清盛の長男)に目通りした。

祐親は祐経を京都に残したまま伊豆に戻り、
伊東・河津を不当に独占し、
祐経には屋敷1つも分配しなかった。



長ずるにつれ騙されていたことに気づいた祐経は京都で訴訟を起こすが、祐親はワイロをばらまいたので、上手くいかない。


しかも祐親は娘の万劫を取り戻し、
土肥遠平(どひ・とおひら)と再婚させてしまう。


            あら、そうだったの?!
            遠平の奥さんって  八重さん  じゃなかったの?


所領ばかりか妻まで奪われた祐経の怒りは想像するに難くない。

ただ、『鎌倉殿の13人』を視聴しているだけだと、祐親が一方的な悪者に見えるが、祐親には祐親なりの正当性があったことが分かるだろう。



もっとも坂井孝一氏は、
祐隆が後妻の連れ子に子を産ませたというスキャンダラスな話は『曾我物語』の虚構であり、祐継は実際には祐隆の後妻が産んだ子、祐親の単なる叔父だったのではないかと推測している(『鎌倉殿と執権北条氏』NHK出版、2021年)。 


さて両者の確執を長々と説明したのは、このことが曾我兄弟の仇討ちの遠因になっているからである。
兄弟の仇討ちは、平家が滅び、義経が死んだ後の話だが、この伏線を良く覚えておいてほしい。『鎌倉殿の13人』でどのように描かれるのか、今から楽しみである。

by 呉座 勇一氏
[20]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月22日 14時14分51秒 ) パスワード

伊東市役所前に伊東祐親像があるということで
おぉ!やっぱり伊東祐親を好きな人ってたくさんいるんだ、と感激。


       わたしは「人間的には」大庭景親(と畠山重忠)が大好きなんだけど
       「オトコとして」伊東祐親が非常に面白いし  そういう意味で  大好きです。

          伊東祐親が父親とか兄弟とかオットだったら  冗談じゃないよ!  ですが。


https://news.yahoo.co.jp/byline/moriokahiroshi/20220122-00275715

「鎌倉殿の13人」に登場する、伊東一族のルーツ 所領争いで伊豆と日向に

森岡浩姓氏研究家
1/22(土)


以下コピペ

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源頼朝は北条政子の前に八重姫と結婚していた、という説を採用している。

八重姫は頼朝を監視する立場にあった伊豆の武士伊東祐親の娘。八重姫は父の目を盗んで頼朝と結ばれて子をなしたが、激怒した祐親によって子を殺され、別の武士のもとに嫁がされたという。この話は『曽我物語』に記されているが、『曽我物語』はフィクション性の高い読み物で、事実かどうかはわからない。

さて、伊東氏のルーツは静岡県の伊東市。伊東一族は大きく伊豆伊東氏と日向伊東氏があり、二つに分かれたのは、ドラマにも登場する伊東祐親が深く関わる所領争いが発端だった。



伊東氏のルーツ

伊東氏は藤原南家の武士で、もとは伊豆国狩野付近(現在の静岡県伊豆市)を領して工藤氏を称していた。平安時代末期、工藤祐隆は狩野の所領を四男工藤茂光に譲った後、自らは伊東に移り住んで伊東家継(家次)と名乗った。これが伊東氏の始まりである。

家継は、養子祐継に本領の伊東、孫の祐親に河津と、所領を分割して相続させた。しかし、これが両者による所領争いのもととなり、有名な曽我兄弟の敵討ちに発展することになる。



伊豆伊東氏と伊東祐親

河津の地を与えられて河津を称すことになった祐親は、本領の伊東が与えられなかったことを不満とし、祐継の没後、その子祐経の上京中に伊東領を横領。以後伊東祐親と称して伊豆伊東氏の惣領の地位についた。

祐親はその後、平家方として頼朝を破るが、勢いを盛り返した頼朝に捕まったのち自害した。

伊豆伊東氏は長男祐泰が殺されたことから以後大きな発展はできなかったが、代々同地の武士として続いた。その祖として伊東祐親の人気は高く、伊東市役所の前には騎馬にまたがった伊東祐親の銅像が建てられている。



日向に転じた伊東氏

一方、祐親に伊東領を奪われた祐経は以後、工藤祐経と称した。そして源頼朝の寵臣(ちょうしん)となると各地に所領を与えられ、建久元年(1190)には日向国(現在の宮崎県)の地頭となったという。


伊東氏の家譜である『日向記』によると、祐経が曽我兄弟に討たれたのち、跡を継いだ祐時は頼朝から再び日向国の地頭職を与えられて伊東氏を名乗り、まず一族庶子を代官として日向国に下向させた。やがて本家も下向、以後伊東氏は日向国を代表する武家となり、戦国時代を生き抜いて幕末まで飫肥藩主として続いた他、一族は九州に広がった。


江戸時代の備中岡田藩主の伊東家は、そのルーツがはっきりしないにもかかわらず祐清(祐親の二男)の子孫を称しているなど、全国の伊東一族のほとんどは伊豆か日向のどちらかの伊東氏の末裔と伝えられている。



森岡浩氏

姓氏研究家
1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない実証的研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」「日本名門・名家大辞典」「47都道府県・名字百科」など多数。NHK「日本人のおなまえ」にレギュラー出演中。
[21]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月25日 04時46分45秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」第3話を見て、
これ以上この大河を見続けるのはシンドイな
という複雑な心境です。


まったく母方先祖の話に流れが似てる。

母方が平維盛の目代=奴可入道西寂=の横暴から
父と兄が殺され
わたしの母方おじじ様とその母方伯父の沼田の次郎が奴可入道西寂を殺して反平家になって
頼朝に呼応して頼朝の相婿になって

   その後  承久の変があって  元寇があって  南北朝の戦いがあって 大略   わたしがいる。



北条義時は平家方の堤信遠からの度重なる辱めを受け平家に反発を深めていた
って伏線で
山木兼隆屋敷襲撃事件で殺される           この人  平信兼の息子なんだよね・・・父方繋がりだから複雑な心境
という展開が次回なのかな?


北条宗時・義時兄弟は伊東祐親の孫。   三浦義村も伊東祐親の孫。笑
だから  この3人はいつも  つるんでるわけ。

         三浦義村の奥さんの1人は土肥遠平の娘
         土肥遠平って伊東祐親の娘=工藤祐経の奥さんだった人を貰ってるよね
                  あ〜  こんがらがる


政子も伊東祐親の孫=宗時と義時と同母=という噂は聞いてるけど  ホント?
    そうすると政子と八重さんとは姪叔母の関係?笑


工藤の本名(笑)は本姓・坂東平氏  俗姓・伊東で良いのかな?
だから飫肥の伊東家は工藤よりも伊東。
    工藤祐経は伊東祐親の孫に殺されたけど
    やっぱり工藤氏にとっては  伊東の豪族の人間としては伊東の屋号が良いってことなんだね


           こういうフクザツな心境って
           わたしだったら  伊東は名乗りたくないけど


ややこしくて  こんがらがる。
血と地で繋がって  通字も同じのを使って
もう  みんな  親戚であり  一門であり   後に上下関係に。



平家が没落して滅びて行くシーンは見るに忍びないから指の間から覗くかな。
平家と一緒に広島の沼田の本家一族も滅びるわけで  

     その後に  土肥遠平が地頭か  と思うと

これが武家系日本人が生きて来た歴史なんだなと  それで  今の自分がいるわけで  
その他大勢だった一般日本人には
大河ドラマは娯楽に過ぎないんだよな〜


それにしても北条時政って  至ってフツーのオッサンだったのか
たまたま頼朝が婿に転がり込んで来て日本史に名を残すことになったのか
と。

全くハナシは飛ぶけど   子供はたくさん持つべきで  少子化なんて以ての他なんだね。  


第3話を見て
      義時が種籾の貸し出しの記録を整理してて  その後に  伊豆の兵力を導き出すシーンに
      やっぱり  若い時にいろいろなジャンルの仕事を経験しておくって  有効なんだなと思った。

              わたしは  職種広く働いたけど  浅過ぎた・・・・残念っ
[22]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月27日 08時20分19秒 ) パスワード

上記レスに書いた堤信遠について記事がありました:https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20220127-00279063

【深読み「鎌倉殿の13人」】北条時政の顔にナスを擦りつけた堤信遠とは
by渡邊大門氏
株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
1/27(木)


以下コピペ

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、堤信遠が北条時政の顔にナスを擦りつけるシーンがあった。ところで、この堤信遠なる人物は、いったい何者なのだろうか。


■堤信遠とは
 堤信遠は、生年不詳。その生涯や一族・父母についても詳しくわかっていない。北条時政と同じく、現在の伊豆の国市に本拠を構える豪族だったのだろう。

 治承3年(1179)に平(山木)兼隆が伊豆に流されたが、のちに伊豆国の目代になった(知行国主は平時忠)。信遠は、兼隆の後見として支えたという。その屋敷は、山木館の近くにあった。

 治承4年(1180)、以仁王と源頼政の挙兵が失敗いた。頼政は伊豆国の知行国主だったので、その地位は平時忠に与えられ、目代には兼隆が就任した。

 改めて大河ドラマの場面を振り返ってみると、時政は子の義時とともに目代の兼隆のもとを訪れた。新任の兼隆に挨拶をするためである。兼隆の代わりに対応したのが信遠である。

 ちょうど飢饉のときだったので、時政は手土産として野菜を持参した。しかし、信遠は野菜を足で踏みつけ、ナスを時政の顔に擦り付けたのだ。

 信遠が怒ったのは、時政が以仁王と源頼政の挙兵に関与したのではないかと疑ったからだ。時政は野菜をかき集め、無念にも退去せざるを得なかったのだ。

 ナスの一件は別として、兼隆・信遠と時政の対立が直後の山木館襲撃の伏線になったのは事実だ。時政は娘の政子の夫・源頼朝を守っていたがゆえ、平氏に与する兼隆や信遠と対立したのである。

 伊豆国は時忠と同じ平氏の兼隆の支配下にあった。それゆえ、時政や頼朝の行動に最大限に注意を払うのは当然だったに違いない。以仁王と頼政の挙兵には、大きなインパクトがあったのだ。



■むすび
 とはいえ、堤信遠については知るところが少ない。今後、このような東国武士が登場する可能性は大いにあるので、注目したいところである。なお、信遠が時政の顔にナスを擦りつけたのは、単なる演出だろう。


渡邊大門氏
株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
1967年神奈川県生まれ。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。十六世紀史研究学会代表。千葉県市川市在住。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』(星海社新書)、『関ヶ原合戦全史 1582−1615』(草思社)、『戦国大名の戦さ事情』(柏書房)、『ここまでわかった! 本当の信長 知れば知るほどおもしろい50の謎』(光文社・知恵の森文庫)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』 (朝日新書)など多数。
[23]空の青海のあをさんからのコメント(2022年01月31日 11時40分47秒 ) パスワード

第4話「矢のゆくえ」

   八重さんの矢
   佐々木経高の矢


もう「両親が離婚した家庭の子供」の心境でした。

    パパもママも  わたしの大事なパパとママなのに
    泣

心が引き裂かれて  肩身が狭い  子供の心境でした。
ヲ〜
「肩身が狭い」って  こういう状態のことだったのか  と実体験しました。
    すごく心が苦しくて  肩が閉じてしまうのです。


第4話
やっぱり、いたたまれなかった。
平家と源氏
どちらもワタシの先祖達なのに。



山木兼隆は平信兼の息子だから
平信兼は平貞盛の弟の繁盛の子孫だし
平家が壇の浦で滅亡後
    伊賀で  たぶん私の前世の父の家継そして藤原忠清と3人で挙兵して
    佐々木4兄弟の父である秀義を討ち取った。

       佐々木の爺さま歯抜けでしたね  何を言ってるかさっぱり分からなかった
     
北条時政と三浦義澄と岡崎(もともとは三浦氏で義澄の叔父の)平四郎義実
     爺会  フルメンバー  でしたね


       北条義時のイトコの三浦義村(山本耕史)と和田義盛はここも従兄弟で良いのかな?三浦と和田は一族だから。
             屋号が飛び交うからワケ分からない
             名前も通字が同じで似てて混乱するし


佐々木経高は佐々木4兄弟の次男なんだけど承久の変では後鳥羽上皇方だったのです。
経高は自害して
息子は殺されて。

そうか、この人が山木兼隆の屋敷に最初の火矢を放ったのか。



メンタル
ホントにやられるワ
[25]空の青海のあをさんからのコメント(2022年02月07日 14時58分55秒 ) パスワード

第5話

見ていられなかった。


ま、義時のへっぴり腰は面白かった。
    「腰が引けてるよォ〜。そんなんじゃヒトは斬れないよォ〜」とテレビ画面に突っ込んだ。
    ポプコーン  ぶつけたれ
    でした。


来週  大庭景親と伊東祐親が斬首かな?
2人とも  別の方向から  わたしの好きなオトコ達なのに。
号泣だな。


ロス時代に親しくしてた元華族の女性
ご主人と彼女の御縁は  共に大庭景親の兄の子孫と弟の子孫  ということ。
ま、彼女は全く知らないようだったので  言いませんでした。
もし「ご先祖さま同士が兄弟同士だったんですよ」と教えてたら彼女は号泣だったろうな。

   ご主人は沖縄戦で亡くなってるから
   ただでさえ死別だから良い想い出で一杯なのに

   わたしが「結ばれるべくして結ばれたご主人でしたよ」なんて教えてたら
   戦死から50年近く経ってたあの時でも私の言葉に涙にくれたのだろうなと思う。

   第5話を見て   彼女に伝えておくべきだったな  とわたしは後悔で涙に暮れてしまう。


        彼女ともオカルトパワーで親しくなったんでしょうね。


三谷幸喜
   「人間」を描くの
    うまいですね。
   「男」も「女」も。

         男の勝手さ
         女の勝手さ

             シェークスピアの作品を見てるようです。


「鎌倉一の武士」畠山重忠の最期は  どう描くのかな  と。
このヒトを嫌いな日本人はいないでしょ
その上に中川大志が演ずるのだから。
[26]空の青海のあをさんからのコメント(2022年02月14日 11時29分17秒 ) パスワード

次回いよいよ義経の登場?

わたしは  三つ柏さんから頂いたご本の記述の

    牧の方は平忠盛さまの正妻の池の禅尼の「姪」にビックリ!

         さらに

    母方のおじじさまの正妻の谷殿=やつどの=は牧の方の娘?!


ということは  ワタシって父方母方で  池の禅尼・宗子さまと牧の方とも  繋がってた?!

        だろうな

とは思ってたけど 

とても  コーユー場で書き込むなんて  図々しくて出来なかった
勿論  DNAに刷り込まれた記憶上では  当然でしょ!  ハナタカァ〜  
だったけど。


畠山重忠  あの時  数えで17歳なんだね
わたしの34代前のご先祖が生まれた時のパパ=35代前さん=と同じ年齢


今日のシーンで  三浦の爺さん(三浦義明)が畠山重忠に殺された話がちらっと出てたけど
三浦の爺さんは畠山重忠の母方の祖父なんだよね
それを殺すんだから

     やっぱり畠山重忠の本当の血の繋がった母親は江戸太郎重長のシスターだったのかな?父親が江戸重継の娘という意味。


     畠山氏と江戸氏は同族。


        江戸太郎重長の娘がわたしの34代前の先祖の母になります。

        ムカシは親子関係が複雑怪奇だから  他人かな?と思ってると一族だったり兄弟だったり。


三つ柏さんから頂いたご本に「書かれていた」ことに  (え?本当だったの?)と  ビックリ仰天です。


日本人だから  それも狭い武士仲間だから  みんな親戚なのは当たり前
ヨソの家の悪口を云うことは自分の顔に唾を吐くこと


平貞盛系平氏と藤原秀郷系藤原氏は仲が良いし
平氏の中で婚姻しまくりだし藤原氏とも婚姻しまくりだし


今日のエピソードでわたしが畠山重忠を大好きな理由に納得しました。
母方の本当の祖父ちゃんが江戸氏だったら  そりゃ  名目上の祖父ちゃんの三浦義明を殺すわな、と。


今日はショックが大き過ぎて  これから  般若心経を詠みます。
[27]空の青海のあをさんからのコメント(2022年02月14日 15時53分52秒 ) パスワード

三浦義明の最期
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E7%BE%A9%E6%98%8E

以下コピペ


治承4年(1180年)に義朝の遺児・源頼朝が挙兵すると、一族挙げてこれに合流しようと居城の衣笠城を出撃する。
しかし、途中で石橋山の戦いにおける頼朝の敗戦を聞き、引き返して篭城。
ほどなくして敵方に参加していた畠山重忠率いる軍勢と衣笠城合戦となり、一族郎党を率いて奮戦する。
だが、最終的には刀折れ矢尽き、義澄以下一族を安房に逃した後、独り城を守って戦死した。
享年89。


『吾妻鏡』によると義明は「我は源氏累代の家人として、老齢にしてその貴種再興にめぐりあうことができた。今は老いた命を武衛(頼朝)に捧げ、子孫の手柄としたい」とし、壮絶な最期を遂げたとするが、

『延慶本 平家物語』では三浦氏の軍勢が城を脱出する際に、老齢の義明が足手まといとなって置き去りにしたとされている。

                     実はコレが真相?
                     あの喰えない爺会の連中の世界ならアリウルかも。


なお、敵将の畠山重忠の母は義明の娘であり、義明から見ると外孫であった。
このため重忠は衣笠城攻撃を行うのは本意でなかったが、
父の畠山重能が大番役で在京していたため、
平家方として働かざるを得なかったとされる。


だが武蔵国の河越重頼や江戸重長が重忠の加勢にすぐに応じられたのは、
平家方の大庭景親の動員に応じて相模に来ていたためであり、
衣笠城落城後にすぐに大庭軍が数千騎を率いて攻め寄せてきている事から、
三浦攻めは重忠の平家への義理や外聞のための通り一遍のものではなかったと考えられる。


また、近年になって肥後国小代氏に伝わる「小代系図」(『肥後古記集覧』所収)の蓬莱経重の項目にある「母江戸四郎平重継女也 経重者畠山庄司次郎重忠一腹舎兄也」という記事が注目されている。

             やっぱり畠山重忠の母は江戸重継の娘だった?


蓬莱経重は系図上は児玉党の秩父行俊の子とされるが、
同党の通字である「行」の字を名乗っておらず
他氏からの養子とみられている。

清水亮は、
畠山重忠の父畠山重能の正室は義明の娘であったが、子供に恵まれず
江戸重継の娘を側室として重忠ら兄弟を生み、
後に嫡男である重忠は正室(義明の娘)の養子とされ、
経重は児玉党系秩父氏へ養子に出されたと解する。

これを裏付けるものとして『源平盛衰記』「衣笠合戦」(巻22)で義明が重忠を「継子孫」と呼ぶ部分が存在することを指摘する。

この説が正しければ、形の上では義明と重忠は外祖父と外孫になるものの実際には血縁関係は存在しておらず、

重忠が敵方であった三浦氏を攻撃することを制約する要素はなかったとみられている。

             やっぱりワタシのDNAの記憶が正しかった?


また、江戸重長は実の甥である畠山重忠支援のために援軍を派遣したとも解される。


             わたしの  オカルトパワー  すごいジャン!
[28]空の青海のあをさんからのコメント(2022年02月14日 16時02分55秒 ) パスワード

このオカルトパワー   わたしが般若心経を詠んだから?


http://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/101807_39.html
にイロイロ仏教について勉強したことをコピペしていて

もう  いいかな?  と最後のコメントを @2022年02月14日 15時36分20秒  切り上げたところ

なんか導かれるように  三浦義明をウイキ検索したら 「 答え 」 が見つかりました。


ホントに  この  平熱  オカルトかかってる。

やっぱりオカルトパワーが三つ柏さんに「あをちゃんにも読ませてやっておくれ」と頼んでくれたんだと思う。
[29]空の青海のあをさんからのコメント(2022年02月16日 04時44分43秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

やっぱり後味悪い。


今回は小太郎が侍所別当の職を頼朝に約束させたけど
これで  この筋肉バカは後に粛清されることになっていくのかな?  でした。

三浦は三浦で  後に千葉の子犬から  「三浦は友を喰らうぞ」  と悪口言われるわけで。



治承4年  1180年
北条義時   数えで18歳の年   1163年生まれ
畠山重忠   数えで17歳の年   1164年生まれ
三浦義村   数えで13歳の年   1168年生まれって?13歳のガキじゃん
和田義盛   数えで34歳の年   1147年生まれって?オッサンじゃん


演じてる俳優がオッサンやオジサンや爺さんだから混乱する。

義時と重忠は1歳違いというのは知ってたけど

三浦義村が義時の5つも年下の厨房だった?中坊だったなんて  初回あたりからの義時の知恵袋的存在って?ウッソォ〜


安房に逃げようって舟に乗るところで畠山重忠の軍勢に捕まって
同じ坂東武士だから  見なかったことにしよう  とハナシがまとまったところに
義村の従兄の小太郎が来て  わや  に。


    小太郎が畠山重忠の軍勢に矢を射掛けて
    義村もガッカリで(あの  バカ!  余計なことを!)というシーン。


実際は和田義盛の弟の義茂が矢を射掛けて・・・  これが  小坪合戦
怒った畠山重忠が三浦の89歳のヨボヨボ爺さんを死なせたハナシが・・・・ 衣笠城合戦


今回の「鎌倉殿の13人」では、この部分が纏めて紹介されたから   和田義盛のことを  筋肉バカ  と思ってしまった。


和田義盛の弟の義茂は三浦義村と年齢の近いイトコだったのかもね。


とにかく坂東の武士たちは  血と地でしっかり繋がってた
そこを  伊東祐親が坂東の覇者になろうとしてた  ってことですね。


第2章の流人時代の頼朝については  もう少し  頭を冷やしてから読みます。

北条時政  治承4年は未だ  数えで43歳だったんですねぇ。  (1138年生まれ)
「わしの人生  もう  ヒト花 咲かせたい」って年代だったんだな?
[30]丸に三つ柏服部さんからのコメント(2022年02月17日 14時52分37秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 Airmail、昨日到着しました。いつもながらありがとうございます。

 ただ今、新年度体制の準備のため、頭脳的に余裕がなく、申し訳なく
思っております。色々な過去の資料を調べながら、新しく配布する資料
を沢山作っております。3月半ば頃まではかかる見込みでありますので、
よろしくご容赦の程、お願い申し上げます――
[31]空の青海のあをさんからのコメント(2022年02月18日 04時39分20秒 ) パスワード

三つ柏さん

ご連絡をありがとうございます。

やはり2週間はかかるのですね。
アメリカの郵政省はとっくに破綻してて   現在  更に破綻の方向で  
この先どうなるのやら?  と国中が呆れ果てているところです。


    ムカシっからひどいですから
    ラスベガスにいた時  15年ほど前  フランスからの小包を待っていたら
    配達の人が来た!
    ということで玄関に行ったら  その配達人は車に乗り込んで逃げて行きました
    「不在者通知」をドアに挟んで。

        ちゃんと家の中にいたのに!  玄関のドアベルが鳴るのを待ってたのに!

    郵便局に取りに行ったら「まだ配達から戻ってないからココにはない」と窓口係が言うのです
        いえいえ  あなたの後ろの棚にあるのが見えてるんですけど(怒)
        フランスからの小包の箱にはきれいな緑の装飾があってアメリカの殺風景な小包とは100%異なるから一目で分かるのに

    「あなたの後ろの、その緑の箱をチェックしてくださる?」ということで
    「あった!」
     だとさ。


ハワイもひどいですからね

だけどハワイの場合は日系人だとわざわざ電話で「小包が来てるから取りに下まで降りて来て」と連絡してくれたりするけど
他の民族の人だと上記のラスベガス並み。

時々、空港の近くの本局まで取りに行かされて「まだ戻って来てないから明日また来てくれ」と帰されたり。


こんなだからFEDEXに客を奪われるわな。

本当にアメリカの郵便事情  どうなるのかな?  です。



「鎌倉殿と執権北条氏」の著者の坂井孝一氏、
ぜったいに  絶対に  伊東氏の一族だと思います
伊東祐親に対する理解に溢れているから。



伊東祐親が娘の八重さんを江間氏に与えなかったら私はもっと伊東祐親を好きになってたけど
当時の 「父親として」  あんなもんだったのだろう  とは理解する。

     わたし自身は子供を殺されて八重さんは入水自殺したとずっと思ってた。
     あのNHKの展開だと北条泰時って八重さんが生んだのかな?と想像しています。
          北条義時の側室「阿波局」は実は  八重さん?




最近の日本の子供達って  「お釣り」  を知らないどころか  「貨幣」  が分かってないとか。


   先日わたしが570ドル40セントの買い物をして  取り敢えず  40セントの小銭を出して
   レジの人から「570ドル40セントのお買い上げで40セントは頂きました」
      (さっさと  570ドルも払えよ!)  と5回言われて  やっと  気付いたハナシを日本の友人にしたら

   友人は(初乗り料金の距離)タクシーに乗って 1万円札を出して  お釣りをもらわずに降りてしまった  全然覚えて無かった  と言ってました。


友人はウッカリお釣りをもらうのを忘れただけですが
最近の子供達は  そもそも「現金」を知らないわけで  「お釣りをもらう」  っていうのも知らないようです。 


こういう子供達が増えているのですから
爺会の皆さんで子供達に世間の常識を教えるってコトをいつかやって欲しいです。


日本は、現在、年度末で大変ですよね。
わたしは明日確定申告の納税処理を税理士にお願いに行きます。
3月末に還付金が入金になったら  晴れて  自由の身です。
[32]空の青海のあをさんからのコメント(2022年02月18日 04時53分07秒 ) パスワード

わたし的には「和田姓」って好きで、和田義盛にも好意がある。
だけど「和田姓」って日本中にゴロゴロ転がってるから出会う「和田さん」も初対面で好意を感じる人とド〜でも良い和田さんがいる。

恐らくわたしが好意を持つ「和田さん」は  和歌山あたりの  特定すれば  楠正成系の和田さんだと思う。



友人からのレス:


和田義盛、最期は北条義時や三浦義村に嵌められてしまったイメージがあります。

北条時頼の時代の宝治合戦を知ってると、和田合戦の時に三浦は義盛に味方した方が良かったのでは?なんて妄想したくなりますが。

三浦一族内で義村と義盛の仲も微妙だったのかもしれませんね。(苦笑)
[33]空の青海のあをさんからのコメント(2022年02月21日 17時38分55秒 ) パスワード

いやぁ~   「鎌倉殿の13人」は  胸糞悪い  って感じで  見ててツライ。
                      胸糞悪い  の理由は1番下に告白。


殺し合いというのはオトコの本能なんだろうけど

    ゲームの一種、というのは第7話のセリフに出てましたね
    Boys will be boys.  の  一部なんだろうな、と

    現在はウクライナを巡ってロシアとアメリカが対立してて
    EU諸国にしてみれば  犯罪と汚職でヨーロッパで底辺ナンバー1のウクライナなんか  ド~でも良いのに
    アメリカが義侠心を出してるから本心は(巻き込まれて迷惑なんだよっ!)のヒトコトだろうけど

    コロナで経済がメチャメチャだから  本心では  「戦争自体は歓迎」なんだろうな、とワタシは思ふ
    

「鎌倉殿の13人」を見てると平家を滅ぼした後の鎌倉一派の内部抗争を思い出すのでツライ。

上総広常(佐藤浩市)が梶原景時・天野遠景に謀殺されるシーンも放送されるのかな?と。

天野遠景は比企能員を殺すしね。
比企能員は佐藤二朗が演じていて佐藤二朗は名古屋のベッドタウンの春日井出身で  
梶原景時は春日井に領地を持ってたから景時が落ちたかった最終目的地は春日井だったのかなと想像する

     わたしの先祖のおじじさまは梶原景時の粛清に加わっている


天野遠景は後世の南朝方の天野氏のご先祖なのかなと思うと親近感がある


上総広常の菩提寺や供養塔が夷隅にあるから    
    服部家ホンヤさんとの関係が一層  ああ、桓武平氏つながりで  服部政信の4男の信成は夷隅に1500石の領地を貰ったのかな、 

佐藤浩市を見乍ら  夷隅  を考えてしまう。
服部信成は先祖が上総国にいたことは当然知っているよね?上総広常も知ってるよね?


などと身近な人々の連想も次々に浮かんで「鎌倉殿の13人」を見ているのが苦しい。


最近は  久慈  がやたらと目に入って来て 
 
   (承久の変で上皇方に付いたおじじさまとその息子達 ・・・ 
          しかし わたしの直接の先祖は母が時政の娘だったことから鎌倉方
    おじじさまは承久の変の後、江刺に流されて翌年5月19日に没した  丁度没後800年。
    息子達は佐久(伴野村だったかな)と久慈に流されて斬られた)

        長野県下伊那郡伴野村の現在の地名は佐久市。
        伴野村は、下伊那郡にはなく、南佐久郡だった。

            やっぱり方向音痴に燃料をますます投下するだけだな
            土地勘が無いから混乱に拍車がかかる


丁度先週も久慈関連の番組をいくつか<<<偶然に>>>見た。
久慈では「なもみ」と呼ばれる  なまはげ  みたいな行事があるのを知った。


 
人類の歴史は戦争抜きには語れないし
敵を滅亡させた後は内部抗争になるのも古今東西同じ
だから粛清の嵐はおきまりコースで


2度目の蒙古襲来の3年後に北条時宗は亡くなるけど(1284年)
その1年後  霜月(11月ということ)騒動で  安達泰盛とその一族が平頼綱に粛清された。

その8年後、恐怖政治をやってた平頼綱が誅殺された。(1293年)
この時にわたしの35代前の先祖も(当然わたしの34代前の、母親が江戸太郎重長の娘の、先祖も)平頼綱の粛清に参加している。


だから「鎌倉殿の13人」を見ていると   粛清にわたしの母方先祖も「毎度」加わってたんだ、  と突き付けられる。


これが人類の歩んで来た歴史の現実でありワタシ自身の血でもあるわけだ。これを認めざるを得ないから胸糞が悪くなる。
[34]空の青海のあをさんからのコメント(2022年03月03日 18時03分15秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」
見てるのがツライ。
彼らの最期を知っているから。

   三浦義村(1239年没)の子でも粛清されてるしね。宝治合戦=1247年6月5日=三浦一族500余名が自害

   わたしの母の親友でわたしが知ってる1人は三浦姓。
   すっごく仲が良くて  刎頸の友  って感じ。
   ということは  母方は宝治合戦には参加してなかったのかな?


わたしは父方では平将門に対して原罪を感じ、母方では鎌倉の御家人だったことに原罪を感じて「鎌倉殿の13人」は見るのがツライ。

でも三谷幸喜の作品ということで、まるで自分がその場に参加しているような臨場感がある。

やっと義経が出て来たけど
この子は義朝の血を濃く引いた子だなと思う:勝つためには手段を選ばないというヤツ
三谷幸喜の脚本で「サイコパスは遺伝が8割」というハナシを納得したくなるようなヤツ
今で言うと発達障害のASDのアスペルガーか?一種の天才というヤツ。戦術の人だね。


         頼朝は義家の血を濃く引いてる人物だなと思う:猜疑心が強く残酷


でも、ま、相手を出し抜く知恵、というのは人類に与えられた力の1つだろう。
日本の神話なんて「相手を出し抜く知恵を持った神様の話」がいっぱい書かれているから日本人は古来「認めて来た」わけだ
それが  ずっと  1945年8月15日まで有効だと  日本人は信じてたわけだ。

REPENTの無い日本人は   やっぱり  1941年12月8日の真珠湾奇襲には今でも日本人は心躍り歓喜するしね。
「戦術」  が  どういう結果を齎したか?   やっぱり REPENT  してない。
義経は最後の最期まで  なぜ自分が兄頼朝から忌み嫌われたか  理解出来なかったんだろうな   と思う。
せいぜい「兄ちゃんはオレさまの才能に嫉妬してるんだ」しか思わなかったんだろうな。


    だけど母方おじじさまの子供の1人*五郎なんとか*の烏帽子親は義経なんだよね
    だから我が家では義経の悪口を言ってはならないのだ。






坂井孝一先生は、わたしは、平家関係者だと思っている。
伊東祐親への理解には涙が出る。


『鎌倉殿と執権北条氏―義時はいかに朝廷を乗り越えたか』で驚いたのは

1)

     承久の変の原因の1つの「摂津長江荘と倉橋荘の地頭の改補」って  
     ココ!  義時が地頭だった  というのは知らなかった。

         そりゃ  義時  怒るわな。

     わたしは単純に「地頭の改補」だと思ってた。
         鎌倉の御家人の誰かが地頭だったのをクビにして
         後鳥羽の息のかかった人物に与えようとしたのだろうと思ってた。

いえいえ、   後鳥羽上皇が  義時の  荘園を  取り上げようとした  のだ。
そりゃ怒るよね。
後鳥羽上皇が喧嘩を売ったのは北条義時なんだから、そりゃ戦争になるわな。

   

2)
      実朝の暗殺をやった公暁って読みは【くぎょう】じゃなくて【こうきょう】が正しいというのも知らなかった。


          仏教は「呉音」だと思ってたから【くぎょう】だと思ってたけど
          園城寺は「漢音読み」だったのか。それで【こうきょう】が正しいのか。
          へぇ〜

送ってくださって、本当に感謝しております。
ぺこり


ということで検索して来ました:
http://www.shiga-miidera.or.jp/doctrine/be/126.htm
全文はURLへ。

以下抜粋

呉音と漢音

音読みには呉音と漢音があります。

呉音は揚子江南部の下流域に3世紀に栄えた魏・呉・蜀の国(現在の蘇州・上海地方)で話されていた漢字音です。ですから呉音といいます。
仏教が日本に伝来したのは538年。朝鮮半島の百済の国からでした。当然のことながら経典は呉音で読まれていた訳です。

しかし、7世紀から9世紀、中国は随・唐によって統一されます。
彼ら北西部の民族が話す漢字音を漢音といいます。


桓武天皇は中国での標準語たる漢音を正式な漢字音(正音)と定める勅まで発令しております。
しかし、当時の仏教界では慣れ親しんだ呉音での読み方が根強く残りました。
今日、仏教語をほとんど呉音で読むのはその影響が色濃く残っているからです。


呉音と漢音の違い

まず数字をイチ、ニイ、サン、シイ、ゴウ、ロク、シチ、ハチ、ク、ジュウと読むのが呉音。
イツ、ジ、サン、シ、ゴ、リク、シツ、ハツ、キュウ、シュウと読むと漢音。

その上の単位の百、千、万は呉音で、漢音ならばハキ、セン、バンとなります。


呉音で読み始めたならば、呉音で統一し、漢音で読み始めたならば漢音で統一するのが原則です。



最澄は漢音読み、
空海、円仁、法然、日蓮等は呉音読み、
円珍、親鸞は呉音で読んでも漢音で読んでも同じ。

「明」の呉音はミョウ、漢音はメイ。
(「明」は他にもミン・ベイ・ボウとも読むらしい)ミンは知ってた。
[37]空の青海のあをさんからのコメント(2022年03月07日 05時35分22秒 ) パスワード

またもや書き直し:

     知り合いに認知症が始まったと、その人の家族から聞いて
         若年性アルツハイマーが何たら  とハナシていたら
     まさか、と思うようなことでも思い出せないんだってよ、例えば「枕草子」の作者とかさ
     という話から   わたしも  清少納言の名前が思い出せなかった・・・


     それで  気になってた事を確かめたら  やっぱり思い違いをしてたので
     本日  書き直し  です。

以下コピペ


引き算  間違えてたから  書き直し。
小学校1年からやり直さないといけないな。




うちの「おじじさま」の【弟】の烏帽子親が義経だった件で、先祖関連の本箱を探索。
結論は   「五郎通経」で「号甲冑冠者」と書かれてた。


      正解は「弟」でした。
      おじじさまが四郎で  
      弟が五郎。この人の烏帽子親が義経で、弟は「五郎通経」



おじじさまは奥州合戦にも参加。
おじじさまのこの時の心の裡を読んだことがあって  これも  承久の変で後鳥羽上皇方についた理由の1つ  と書かれていた。

  
烏帽子子の五郎さんは自分の烏帽子親を討ちに行く心境はいかばかりであったか?




この本を捜すのに何日かかったやら。

だって  まさかの  北朝方の一族の文書を纏めた本  に書かれていたのだもの
わたしは  必死になって  我が家の=南朝方=の文書を引っ繰り返して (誰だっけ?)と 捜してたよ。



一応去年この本箱のエリアは片づけておいた。

     だから、このエリア、今は雪崩れていない
     Off- Piste(バックカントリー)は危険だから   (突っ込んで埋まったら窒息)  死だもんね
     現在このエリアには「圧雪車」2台投入で固めてある  笑    
     雪崩れた所に分け入って文書に滑って転んで骨折したら「死」が待ってるかも、だものね
     だから現在はこのエリアには簡単に出入りが出来る。

        だけど父方母方の文書が膨大な量収めてあるので  迷子になる。



ということで  「その本」  を捜しまくって  やっと今朝「その本」を見つけられたのでした。
我が家の文書じゃなくて  なんと! 北朝方の文書の中に  書かれていたわけでした。

     なんでウチの文書じゃないんだぁ?❓?
     

で驚いた!


うちのおじじさまと正妻さん「谷やつ殿」との間には男子が3人生まれてた。
自分の直接の先祖しか意識してなかったよ。
そうか母方我が家には  時政の孫は3人いたのか。



それどころか北朝方の文書の中に   
なんと!  わたしの34代前の先祖の祖父ちゃんの母親が工藤祐経の娘  と書かれていた。
ヲイヲイ


    あ、34代前の先祖というのは南朝方の文書=我が家の家書=の記載であって
    北朝方の皆さんの文書では  35代前になるのでした。

        1代分  誤差があるのは  それなりの  内訌の結果なんだろう。
        誰が省かれた?誰が加えられた?のだろう
        暇になったらクロス・レファランス=cross-reference=相互参照=しないとね。


伊東祐親とは父方で  どこかで  血で  繋がってるのはなんとなく分かってたけど
    伊東祐親と工藤祐経は一族だから工藤祐経とも繋がってて当たり前なんだけど

まさか  母方でも   伊東や工藤と繋がってた   というのは想定外だった。


これが  日本  日本人  ということなんだよね


オットの甥っ子が京大に行ってた時に
【日本史の教官が「日本人は8代遡ったらみんな繋がる」と言ってたよ】とわたしに教えてくれたけど
わたしの父と母は  そーゆーエニシだったのか。

        南朝方+反信長+一向一揆方以来のエニシかと思ってたけど
        やっぱり
        源平時代からのエニシだったのか。

             恐らく  もっと  前の時代からなんだろうけど
             そうすると神話時代にいっちゃうな   



どこか   上の方のレスで?  工藤祐経の悪口を書いたけど  自分に唾吐いちゃいました。




それにしても菅田将暉
「アルキメデスの大戦」で
戦術では日本を地獄に落とすことになる、という先見の明のあるカシコイ人を演じたのに
「鎌倉殿の13人」では
戦略を理解出来ない義経役ですか。

真逆の人物像じゃぁありませんか。



今朝は   工藤祐経がうちの母方先祖の中に名を連ねてたことを知って   呆然としてます。
どうやって消化しよう?
[38]空の青海のあをさんからのコメント(2022年03月08日 04時31分20秒 ) パスワード

神回でした。
いつもの放送時間がアッという間に過ぎました。
30分未満にしか感じなかった。



見てて
(あぁ、これが日本人のメンタルだな。旧日本軍そのものだな)
と思いました。



旧日本軍。
優秀な人が士官学校に行って
卒業後に戦地に送られて
そこで現実に直面する。

日本に戻っても自分が戦地で何を見て何を思ったかなんて日本の国内にいた人には言えない。


     自分で農業をやったことのない旧日本軍の首脳部の人間には【兵站】の重要性は文字上で知ってても
     物資の配給、兵隊の衛生なんて  こんなの  アタマの隅にも無い。

        母の従兄がフィリピンで3月に戦死してるけど
        某有名職業軍人家庭育ちの友人が「戦死じゃないよ、餓死だよ」。


頼朝も同じでしたね。
勢いに乗って平家の追討軍を殲滅させたい。

時政・義時は
食糧が底をついててムリだと反対。
「わしら坂東武士には土地と一族を守るのが精一杯」


    木曽義仲は勢いで京都まで行っちゃいましたからね。
    それで京都人の反発を買った。


       母からは「京都の人間は(大阪の人間とは違う)」と幼いころから叩き込まれました
       わたしは 京都の親戚との腹の読み合い  大阪の親戚の底抜けの明るさ  に翻弄された


元・某大企業の御曹司が実家が破産して身寄り無く預けられた先で
有名人の子供ということだけでちやほやされ
図に乗って実力も無いのにヒトを顎で使おうとして断られ

だけど頼朝はそこで政治力とか演技力とかを体得したんだろうね


サイコパスは80%が遺伝の義経は「父ちゃん譲りの出し抜く力」の方をせっせと琢磨したんだろうね
ウソも方便
勝てば良い


義経は水泳のフェルプス君とか坂本龍馬とか伊藤若冲とかエジソンとかみたいに  アスぺで天才  なんだろうね。

     フェルプス君はオリンピックメダル28個、そのうち金メダルが23個。
     2028年のロスオリンピックに出る気  マンマン  だそうですよ。

         わたし達も  どうなのか  知りたいしね。


義経の不運は
ヒトの心とか
ヒトが言ってる言葉の裏を読む技術とかは
全く学習しなかったことなんだろうね。

     ココに梶原景時の不運もあったのかな?
        梶原景時が発達障害児をコントロールする能力があったとか
        後白河みたいにうまくヒトを操る能力の片鱗でもあったら

     発達障害の子達ってラスベガス時代の御町内とか日本の友人達の子供達とかにいて
        忍耐力の無いわたしにはムリだと思った
        わたしは才能を潰す人間の方だ


フツーの人間じゃない頼朝と義経を見乍ら
フツーの人間の時政と義澄のじゃれあいを見てるとホッコリする
     まさか  このじゃれ合いが水鳥の羽音を引き起こし平家の撤退になったという脚本  三谷幸喜  ウマ過ぎ!


当時の坂東の武士たちは  フツーの人々  だったんだろうな
その しょぼいジジイ達が  歴史に躍り出たのか



伊東祐清役の竹財輝之助
上品で美しいな〜
とホレボレして見ています。

でも印象に残らない顏。

   

八重さんの2番目の夫の江間次郎

この俳優さん  芹澤興人。
「仮面ライダー・ビルド」の青羽さんだと一瞬で分かった。
 
1回チラッと見たら絶対に忘れない顏してる。
息の長い俳優だと思う。      
[39]空の青海のあをさんからのコメント(2022年03月09日 15時00分11秒 ) パスワード

録画を消す前に(もう1回見ておこう)と思い  ちょっと  見た。


義澄
「この世で一番みすぼらしいのは何か知っているか?」

時政
「・・・・・・」

義澄
「しょげているじじいだ」


このシーン  好き!


その後、時政が義澄に「次郎、思いっきり殴ってくれ」と言って
義澄は平手で叩いたのよね
グー  じゃないところが  友としての愛があったからなのかな?
とかね。


で、時政が「このヤロー」って突き飛ばして義澄が水の中に転倒。

いいね、このシーン。
まさに  Boys will be boys.  だ。


竹馬の友なんだろうね

その上
義澄の正室も伊東祐親の娘
時政の正室も伊東祐親の娘


ずっと後の時代に三浦が滅ぼされるのは  出自のことからかな?  と思ったりする。
北条氏も平姓なんて言ってるけど  かなりアヤシク  実は仮冒かも。
三浦は正真正銘の桓武平氏の出身だけど。


      泰時の正妻は義村の娘で   泰村の妻は泰時の娘なんだよね。

三浦が北条に飲み込まれて  三浦が北条の下について
その後
三浦が鎌倉将軍(第4代将軍の九条頼経)に接近して北条氏を上回り
それで
執権の北条時頼にアヤシまれて滅ぼされるわけで。


何重にも何重にも三浦と北条は婚姻でしっかり結びついていても  政敵  ともなると潰される前に殺っちゃえ
だね。



こういう歴史を見ていると

義経ってプーチンに思えて来る。

プーチンは核を使うのか、と世界はハラハラしたけど
プーチンが核を使ったらイギリスやフランスやアメリカから報復をされるだけだろう


で、

ロシアの動向を一番目を凝らして見ているのは中国だろう

    中国にしてみれば(台湾進攻が可能か 諦めるべきか の)判断材料だから
    

中国はロシアの味方を表明すれば世界から(中国がいよいよ台湾を取りに行くぞ)と思われるし

    台湾の次は沖縄と尖閣諸島じゃん

       下手すると韓国が竹島を取りに来るかも知れないしね


ま、難しいね
EU諸国やNATOがウクライナ救済に直接動けば第3次世界大戦?


方向音痴のわたしはベラルーシがどこにあるか  やっと  分かったよ。
ウクライナとリトアニアの間だったのか。知らなかったな

リトアニアは絶対に国民玉砕覚悟でベラルーシやロシアに立ち向かうだろうし。
   リトアニア人はアジアで言うと「勇敢なるベトナム人」に相当。

わたしが尊敬する2民族の片方のリトアニアを後方掩護するためにもベラルーシには断固としてロシア並みの制裁をして欲しい。


こういう時代だから「鎌倉殿の13人」の意味が図らずも巨大になったなと思う。
   「相手を出し抜いて勝つ」という意味。


最近我が家の近くの海兵隊の募集事務所が2回もガラス戸を割られていて
わたしは(海兵隊の威信にかけても犯人を見つけなさいよ)と思ってたのをエスカレートして
「ネイビーシールズを使いなさいよ!」


そしたら友人が
「バカだね。半グレなんかを捜すのにネイビーシールズを使え、って?ネイビーシールズの対象はプーチンに決まってるでしょ」


わたしって、軍事能力  ゼロ  だね。
[40]空の青海のあをさんからのコメント(2022年03月17日 16時02分22秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」


見ててツライ。


上総広常が佐竹義政をだまして殺したのは広常らしい。でも「老けたな」と言われたから殺した、は三谷幸喜の脚色?チバラキの戦いはこの時代から?笑


伊東祐親の子供については  八重さんと祐清の気性が逆だったら   歴史が変ってたのかなと思った。 


大庭景親が死んでしまって残念です。


仁田忠常役の高岸宏行さんの笑顔には癒されます。


和田義盛は筋肉バカかと思ってたけど心優しい豪傑だったのかな?私は「和田姓」が好きだけど  この感情はどこから来てるのかな?


三浦義村が腐った草餅?を食べて下痢で動けないなんて信じられない。草餅の「草」が瀉下剤効果の「センナ」だったとか?


畠山重忠役が中川大志なんて  畠山重忠ってイケメンだった?  わたしは中川大志の顔って全く好みじゃないけど武将役=兜=が似合うと思う。 

    イケメンなのに兜が全然似合わない俳優のトップに独眼竜政宗(1987年)の伊達成実役の三浦友和を挙げる。心底ガッカリした。今でも悪夢。




母方の、承久の変の時に後鳥羽上皇方で久慈に流されて斬られた人  が気になるけれど
この久慈が   岩手の久慈なのか  常陸の久慈なのか   未だに混乱している。

北朝方一族の記録を読めば良いのだろうけど  何かが邪魔して  本棚に行けない。
何か知りたくない事実が書かれているのかも知れない。
[41]空の青海のあをさんからのコメント(2022年03月21日 10時28分57秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」


すごい脚本!
天才三谷幸喜。


    いろいろどんでん返しがあって  ついて行けない。

        義円が行家叔父さんと同行した裏に義経の罠があった?こーゆー嫌な人間  いるよね。ヒトを出し抜くヤツって。
        それが
        梶原景時にバレてて頼朝に知らされてた?
        義経はヤッパリやばいヤツだと頼朝にまたまたバレてた?

            武闘派の義経には頭脳派の義円は鬱陶しかったというのがよく演出されてたと思う。


               想定外だった
               全く知らなかった


        伊東祐親と祐清父子って一緒に殺されてた?

               祐清も一緒に殺されてたのは知らなかった

                 祐清って次男の割に素直な性格だったんだね
                 伊東家を継ぐということで(長男は河津氏)惣領育ちになってしまってたのかな?
                    フツー、次男って家督が貰えない分、ガツガツしちゃうけど祐清はオットリだものね


        梶原景時   ちゃんと仕事をする人だったんだね
               善児を手下にしたのは   あの時代に有り得たのかな?



        義円を殺った平盛綱って俗姓・高橋左衛門尉のことだったんだね。



        小泉孝太郎
        美しい!
        後白河の前に参内する時の宮中作法がすっごく美しくて驚いた!


          足立遠元のは鎌倉武士の作法の方で  これが  武士の礼法に発展していくのか  と見ています。


        八重さんは次週義時と結婚するのかな?
        父と兄を殺されて  義時が江間荘を拝領したのだから  もう義時を頼るのかな?


        阿野全成が「頼家の若死に」を予言するシーンには背筋が凍った。

           これは全く知らなかった
[42]空の青海のあをさんからのコメント(2022年03月28日 14時41分03秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

後妻打ちの実行犯って義経主従だった?
これは知らなかった。


義経が馬の轡取りをやれと言われて断った話は知ってたけど
「馬の毛アレルギー」
を理由にしたのは知らなかった。
三谷幸喜  さすがです!

    あ、三谷幸喜は猫の毛アレルギーだったから  それを  馬の毛アレルギーで使ったのかな?


牧宗親が髻を切られたのは  あれは  日本男子への最大の侮辱だけど
明治以降の丁髷廃止で今の人にはピンと来ないでしょうね。

角髪「みずら」以降  日本の成人男子の象徴だもの  
明治時代の丁髷禁止=断髪令=散髪脱刀令(明治4年8月9日太政官第399)は日本人男性はどんな思いで受け入れたのかなと
牧宗親の嘆きに思いました。




それにしても藤原秀衡   立派な人だったんだな  と思う。

義経のような発達障害?サイコパス?を受け入れ、育て、2度も受け入れた、というのが
     いくら戦略上の作戦でも
人を見る目が無きゃとても出来ない。

先々週?「義経が兵を3000送ってくれと言って来たが、義経なら自分の力で勝てる」と言ってたような?


実の子でも発達障害の子供を受け入れられなくて崩壊する家庭が多いのに。


私は  I don't have a good eye for boys. だな
         オトコを見る目が無い。
あの大江広元は(一緒に出てた中原親能の弟なんだって  驚  兄弟で頼朝にヘッドハンティングされてたのねぇ)
冷静な?というか冷酷な?目で義経を見抜いてましたね。

   だけど嫡男の大江親広も後鳥羽上皇側だったのを思い出すと
   登場人物の将来が透けて見えて   
   胸が詰まる。


三谷幸喜の「人間像のさまざま」は実に「人間」を興味深く愛情を以て描いているなと感心する。

上総広常が習字やってたのは知らなかった。
義時の「お孫さんの手習いですか?」には笑ったけど
「いずれ京に上った時に恥をかかないように手習い中」に
三谷幸喜は上総広常に愛情があるんだなと思った。涙


    亀が広常に色目を使ってくるのがキショク悪いと言ってたシーン
    あれって  まさに  佐藤浩市本人のホンネ!  って感じで  ヲヲッ  となった。
    だから  コレも三谷幸喜が佐藤浩市に【言わせた】セリフ  だと思う。



登場人物の1人1人に細かい愛情がある。

     1番好きだったのは和田義盛がツグミを掴まえて来て「見て!見て!」と仲間に見せて回ったシーン。
     こんな可愛いオトコだったの?♥

         ワタシってホント  I don't have a good eye for boys. オトコを見る目が無い。


義経の最期についても三谷幸喜は愛情を込めるんだろうから今から楽しみ。


頼朝が少しずつトップにふさわしくなって行く姿も楽しみです。
   日本中が
   「ヨリトモ!お前なぁ、流人の身で何の力も無いくせにヒトの褌で相撲を取ってるの  自覚しろ!誰の力だと思ってるんだ?」  
   と叫んでいるのが聞こえそう。
   きゃはは
[43]空の青海のあをさんからのコメント(2022年04月04日 12時50分00秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

神回でした。
しっかり泣いた。


木曽義仲
ほんと良い漢!
男の中の男。
He is a man amongst men.

いい男だ。


「義」がある。
あんな叔父さん(行家)でも頼られたら放り出すことは出来ないとか
行家と嫡男を秤にかけても行家を守るとか

中国史に出て来るような豪傑だなと。



だけど彼らの最期が見えてしまうから見ててツライ。


あいかわらず頼朝のクズっぷり義経のサイコパス行家もカスだし。
河内源氏の中で優秀そうなのは前回死んだ義円だけ?早死にしたから良く見えるのかな?
常識のあるフツーのマトモな人間に見えるのは範頼だけ?


鎌倉の常楽寺の義高の墓と伝わる塚(木曽塚)
見に行きました。
[44]空の青海のあをさんからのコメント(2022年04月05日 03時09分53秒 ) パスワード

自己レス

>木曽義仲
>中国史に出て来るような豪傑だなと。

窮鳥懐
までは覚えてたけど
その後は何だっけ?
誰が言ってた言葉だっけ?
と。
BBAはツライよ。



「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」

そうそう、コレコレ。


追いつめられた鳥が懐の中に入っては、いくら猟師でも殺すことはできない。
人が困窮して救いを求めて来れば、助けるのが人情であるということ。

「顔氏家訓―省事」にあることばから。
「窮鳥懐に入る」だけでも使われます。




検索しました:


顔氏家訓

中国、南北朝時代の学者顔之推(がんしすい)が、子孫への戒めとして記した家訓で、2巻20編からなる。

顔之推は、梁・北斉・北周・隋と、4朝に仕えた人であったが、この本は晩年、隋代に書かれたものとされている。


主として儒家的立場から、身の立て方、家の治め方、世の処し方などが述べられているが、
なかには「帰心篇(へん)」などのように、仏教的なものを導入している部分もあり、また、文字や典故を考証した部分もある。

それゆえ、清(しん)の『四庫全書総目提要』以来、雑家の書物として扱われるようになった。
そのなかには「文章篇」のように、文学論を展開させる部分もある。

要するところ、7世紀初頭の文化、文明についての批評書で、その意味において注目される。

[鈴木修次]
『宇野精一・鈴木由次郎訳・編『顔氏家訓』(1982・明徳出版社・中国古典新書)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)



顔氏家訓
Yan-shi jia-xun

中国,六朝末の家訓書。顔之推の著。7巻。開皇 20 (600) 年頃成立。著者が子弟に与えるという形で述べた処世訓の書。

宗教,学問,文学,言語,風俗,社会,経済にいたるさまざまな事柄についての貴族として必要な処世訓が,興亡の激しい六朝末期に,4代の王朝に仕えながら身をまっとうした著者の体験に基づいて,きわめて具体的に堅苦しくなく述べられている。

いかなる乱世にも耐える保身の場を,平穏質朴な家庭の維持のうちに見出す生活哲学の書で,また当時の貴族の家庭生活,社会の様子などを知る貴重な資料。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典


                     へぇ〜あ、そう





デジタル大辞泉「顔氏家訓」の解説

中国の家訓書。2巻20編。顔之推が、子孫への戒めとして記したもの。儒家思想・仏教思想をまじえ、官界で生きていくための教訓などを残す。家訓書の祖となった。

             家訓書の祖?
             へぇ〜




世界大百科事典 第2版「顔氏家訓」の解説
がんしかくん【顔氏家訓 Yán shì jiā xùn】


中国,6世紀の顔之推の著。20編から成る。著者のゆたかな人生経験に裏うちされたこの書物は,たんに一家内の子弟たちを訓戒することばに終始するだけでなく,六朝時代における江南と華北両社会の家庭生活,風俗,儀礼,学術,宗教など,多方面にわたる知識を提供する。後世,家訓の祖と仰がれた。

日本への伝来も早く,吉備真備の《私教類聚》はその影響のもとに成ったという。【吉川 忠夫】


              吉備真備が日本に紹介したのかもね。




世界大百科事典内の顔氏家訓の言及
【家訓】より
内容は単なる人生訓・処世訓の枠を超え,家礼,土地経営,学問,交際等多岐にわたり,違反者に対する制裁規定を伴うものも少なくない。現存する成文化された家訓では,北斉(6世紀)の顔之推の《顔氏家訓》が最古であり,以後著名なものとしては,唐の柳玭の《柳氏家訓》,宋の趙鼎の《家訓筆録》,元の鄭太和の《鄭氏規範》,明の霍韜(かくとう)(1487‐1540)の《霍渭?家訓》,龐尚鵬(ほうしようほう)の《龐氏家訓》等がある。これらは各時代において他家の家訓の手本となったり,そのままの形で使用された。


【私教類聚】より

吉備真備の著か否か疑う説もあるが,すでに平安後期の《政事要略》に6ヵ条の引用が見える。滝川政次郎は,これと中国北斉の顔之推(がんしすい)の著《顔氏家訓》と比較研究し,同書が《私教類聚》に影響を及ぼしたとし,偽作説を排した。【横田 健一】。



日本大百科全書(ニッポニカ)「私教類聚」の解説

奈良時代の教訓書。
1巻。
吉備真備(きびのまきび)が769年(神護景雲3)ごろに記したものでわが国最古の家訓と目されるが、
『拾芥抄(しゅうがいしょう)』に目録がみえる以外は、『政事要略』などに逸文が残る。
[45]空の青海のあをさんからのコメント(2022年04月11日 10時15分13秒 ) パスワード

見ていられなかった。


皆さん  キャラが立ってて  破滅に進む前段階の高揚が良く描かれていて
涙無くして見ていられなかった。


     わたしは  やっぱり  あの時代に生きてたら犬死に組だな  と思った。


「政治」の世界は  田中真紀子女史に言わせると  10分後にはヒックリ返ってる。
ホント  いやな世界です。


頼朝・義経兄弟はホントいやなヤツ。
 
         京のヤツラも嫌なヤツばっかりだけど。


義経のサイコパス度  ホント  菅田将暉は良く演じてる。
殺したくてたまらない  やっと殺せるのかぁ〜  ってのがホント良く演じられてた。


     だけど  凱旋して来ても頼朝は会ってくれないんだよね
     義経は楽しみに会いに来るのに。
     「腰越状」の伏線が今日のあのシーンだったのか。

         義経、アンタも裏切られるんだよ


大姫  かわいそう
八重さんと同じような苦しみをあの幼さで知ってしまうのかと。

本日の義高を見てて  20数年前に寂寥感漂う小さな墓標を見た時の淋しさを思い出してしまった。


三谷幸喜
ホント  天才!
[46]酔石亭主さんからのコメント(2022年04月11日 19時41分03秒 ) パスワード

あをさん

ご無沙汰しております。

ちょっと前の、

>常識のあるフツーのマトモな人間に見えるのは範頼だけ?

に関して、源範頼はかなり前に遠賀川流域に八剣神社が十数社もあるのでなぜかと思って調べたら、範頼が北九州に勧請してそれが各地に勧請されたものでした。養父が藤原範季なので、そうしたことも影響しているのでしょうね。

来年の大河ドラマは「どうした家康」だそうで、家康は本能寺の変の後、
伊賀越えをして伊勢白子から三河大浜に船で逃げたと言うのが通説です。
ところが知多半島には、常滑或いは大野に上陸し半田・成岩の常楽寺に行った
との史料や具体的な証拠などがあり、常滑と大野でちょっとしたバトルになっていたようです。
(今は大野町は常滑市に含まれますが、戦国、江戸時代は別の領域で、大野の方が栄えていたようです)

面白そうなので、どちらに上陸したのか解き明かそうと思い、あれこれ調べ始め始めました。もっとも最近はあまり気合を入れていないので、のんびり進めるつもりです。

「鎌倉殿の13人」は登場人物が多すぎて、よく見ていないと人間関係がわからなくなりそうです。さすがにあをさんはきっちり見ていますね。
[47]空の青海のあをさんからのコメント(2022年04月12日 04時37分14秒 ) パスワード

酔石亭主さん

お久し振りでございます。


なるほど範頼の  まとも振りは  養父の育て方が良かったからでしたか。
    義経は平泉で「褒めて育てる」式だったから、発達障害に輪が掛かって、ハッちゃけて行ったのか。
    

上総広常

最期の伏線
   ああいう背景だったのか
というのが良く分かり
気の毒な思いが倍増しました。


三浦も(義澄が「北条は助けてやってくれ」と仲間の爺さん達に頼んでいたのに)結局は泰村の代で北条に滅ぼされてしまうのですから

「鎌倉殿の13人」は見てて本当にツライ。



>伊賀越えをして伊勢白子から三河大浜に船で逃げたと言うのが通説
>ところが知多半島には、常滑或いは大野に上陸し半田・成岩の常楽寺に行った

わたしもコレ  どうなってるの?  と思いましたが
途中が抜けているのでは?と

    白子から大浜に逃げる途中で  常滑上陸→半田→海→碧南上陸  だったのかな?などと思い浮かべました。  

    知多半島をぐるっと回ったら  白子の次は幡豆あたりから西尾の西を(笑)通って碧南かなと。


記録を残した人が 大雑把に書いたのか 当時は誰でも分かっているから省略したのか ハタマタ 方向音痴だったのか?

    常滑や半田に上陸してたら  阿久比に寄ってお大さまに会ったのかな?  と想像したりします。



「書いちゃったもん勝ち」ということでしょうか?
[48]酔石亭主さんからのコメント(2022年04月12日 13時57分25秒 ) パスワード

あをさん

ややこしいのは出航地にも各説があり、白子、若松、長太(なご)、四日市、桑名などが挙げられている点です。
到着地側では、常滑、大野、三河大浜(碧南市浜寺町付近)があり、常滑から大野へ、大野から常滑へと言った説もあります。(注:桑名説は到着地が名古屋ですがこれは有り得ない)
更にややこしいのは、家康を送り届けたのが、伊勢大湊の豪商である角屋の柴船、白子の農民である小川孫三の小舟の二つがあり、どちらも恩賞を賜っていることから具体性がある点です。

どの組み合わせが正解なのか、地元の方々も頭を悩ませている模様…。

あをさんが指摘されるように、端折ったり、省略したり、内容を自分の都合がいいように盛ったりと、史料を読むとそう考えられる部分が幾つも出てきます。

とは言っても、整理していけばそれほど難しくはなさそうで、すぐに答えに辿り着けるんじゃないかと思ってはいます。
[49]空の青海のあをさんからのコメント(2022年04月12日 15時25分36秒 ) パスワード

酔石亭主さん


地図を見乍ら  アレコレ  家康一行のルートを予想するのって楽しいですね。


四日市からでしたらマッスグ東へ行くと  新舞子とか大野  ですから  なるほど四日市説  気に入りました。
しかし  四日市まではわざわざ北上はしないでしょうね。

長太=なご=って読むのですか。伊勢の地名は古過ぎて読めないです。ルビを感謝します。


白子からだったら  野間や内海に上陸して  知多半島を横切って  一色方向に出て碧南に北上したのかな?


伊勢大湊からだったら伊良湖を目指して渥美半島行きだったんじゃないの?と。
途中に島はあるし三河に距離的に最も近いし。
ただし  伊勢大湊まで  行ったのでしょうかねぇ?


とはいえ  本当に  諸説あるのですねぇ。
一行が分散して  それぞれ  ルートを違えて  三河に逃げたのでしょうかねぇ。


いろいろ想像して  あ〜でもない  こ〜でもない  と出発地の協力者を予想するのも楽しいです。


>(注:桑名説は到着地が名古屋ですがこれは有り得ない)

いやいや  桑名説  お〜  なるほど!  と思いました。
広い広い伊勢湾を小さな舟で急いで渡るより  伊賀伊勢の山を越えて  桑名に出て尾張に出る方が  安全だったのかな?と。


ホント!楽しいです。
ニコニコ
[50]酔石亭主さんからのコメント(2022年04月12日 20時25分45秒 ) パスワード

あをさん

>なるほど四日市説  気に入りました。
>桑名説 お〜 なるほど!
四日市の場合、鈴鹿川のすぐ北、長太の場合すぐ南が想定されます。四日市と桑名は陸上での移動距離が長く、総勢35人が平野部をぞろぞろ歩いていたらリスクが高くなるので、候補から外すべきでしょうね。もう一点は、後代の人が旧東海道を移動すれば便利だろうからそのルートを使ったのだろうと安易に考え、四日市や桑名と書いたんじゃないかな、と思っています。

>長太=なご=って読むのですか。
長太は那古の表記もあるようで、那古に野を付ければ那古野ですから、名古屋の古名候補の一つになってしまいます。(なご)は海面が静かで穏やかなことを意味しているようで、だとすれば元は凪(なぎ)で、海面が凪いでいれば和(なご)やかだから、それに適当な表記を当てたのではないかと推測しています。

>ただし 伊勢大湊まで 行ったのでしょうかねぇ?
いえいえ、白子沖に角屋の船が航行していたので呼び止めて乗せてもらったそうですが、聞こえるはずがないし有り得ません。茶屋から角屋に急報が届いて角屋が伊勢大湊から船を白子に回したと言うのが実状かと…。

>一行が分散して それぞれ ルートを違えて 三河に逃げたのでしょうかねぇ。
さすが鋭いですねえ〜。それが多分正解でしょう。
家康は、後の東海道関宿から先の移動経路が平野部なので、リスク分散のため二手に分かれて移動すべきと考え、知多半島の上陸場所を大野湊に設定した。(桶狭間の戦いの後家康は大野に退いていますから、ここには土地鑑があります)家康は数人の供回りと共に小川孫三の小舟で白子の若松浦から大野湊に向かったが、伊勢湾横断の経験のない孫三は舟を常滑の正住院の裏手に付けてしまった。(この場所は単なる海岸線なので小舟でしか上陸できない)一旦上陸した家康は常滑に着いてしまったと悟り、大野に向かえと言い、舟を大野に回した。

残りのメンバーは白子で待ち受けていた角屋の柴船(かさ張る柴を運ぶ船だから30人近い人数でも収容可能と判断)に乗り、大野湊に着いた。商船なので伊勢湾を渡り大野湊に供回りの一行を送り届けるのも、慣れたルートで簡単なはず。

こう考えれば、角屋の柴船と孫三の小舟問題は解決するし、常滑説、大野説のバトルも解消されるしで、めでたしめでたしとなるはずです。なぜ出航地が白子、白子若松浦になるかは、まあこれが通説とされている面もありますが、わたし的には、関宿で家康が休息したとされる瑞光寺から最短距離になるのが大きいのではないかと…。

白子から知多半島をぐるっと回る三河大浜直行説は孫三の小舟では危険が高すぎるし、当時伊勢から東国への物流は知多半島を経由するのが一般的だったようで、直行は除外できそうです。また文献等では途中の経路が省かれたという面も想定され、これらから三河直行説は間違いとしておきます。

いずれにしても、史料・文献・伝承・それらに関する論考の類は相当多そうなので、できる限り全てに目を通して上記の推論で問題がないかチェックしてみようとは思っています。
[51]空の青海のあをさんからのコメント(2022年04月13日 04時47分56秒 ) パスワード

酔石亭主さん

心楽しくなる詳しい解説を感謝致します。
愉しかったです。

ムカシの書き物は  ヒトの手で  いかようにも  「記録」されるので
どこまで改竄捏造隠蔽ドラマ化されたのか
特に「神君家康公」のお話ですから  幕臣によって盛りに盛ったんだろうなと思います。

    倒幕後は長州薩摩の「手」によって  逆バージョンで  記録される(された?) のでしょうね。 

           こういうところが中国の記録と違うなと
             中国は新しい王朝が異民族に依ってですから差異が分かり易い?  

酔石亭主さんの解説で

    逃げる時の
    アタフタ  ヲタヲタ  
    の様子がよく分かりますね。

    思わぬ場所に舟が行ってしまって  
    ヲイヲイ、着きたい所はここじゃないよ
    と冷や汗流している家康が見えるようです


江戸幕府の間、記録が何度も何度も書き写され書き直されて、記録係は<合理的>なハナシにしたつもりでしょうけど

    コレが日本の歴史の参考文献の姿かも  ですね。


是非、当時の姿というのを発表なさってください。
[52]酔石亭主さんからのコメント(2022年04月14日 07時09分53秒 ) パスワード

あをさん

家康が崇敬してやまないのが、「鎌倉殿の13人」の主要登場人物である源頼朝
で、彼のパパである義朝も平治の乱の負け戦の後柴船に隠れて逃げています。大垣辺りから柴船に隠れて移動し、弥富市の柴ノ森でもう大丈夫だろうと、柴を荷上げし、一路野間を目指したそうです。(柴ノ森近くに服部家住宅がありましたね)

船は内海に着いてそこからは徒歩で野間に向かったとの地元伝承が残っていますが、これはちょっと疑問。真冬の伊吹下ろしが吹きすさぶ荒れた伊勢湾を内海まで行くなど考えられないと思いませんか?多分、伊勢湾を最短距離で渡り、寺本から古見の間に到着、古見からは海岸沿いの丘陵の尾根を旧常滑街道に沿って移動し、日長で丘陵を下り、隠れ里のような日長の集落を抜けて、大野、常滑、野間と移動したのではと思います。


このように考えるのは、以前に日長の山と川に挟まれた隠れ里のような集落を歩いていたら、勝崎姓のお宅が多いのに気付き、家に戻って名前の由来を調べたところ、


勝利と突き出た土地から。 愛知県知多市日長では平安時代の武将の源義朝から
勝利を誓った突き出た土地により賜ったと伝える。

とのことで、日長に立ち寄った可能性があります。いずれにせよ、柴船ではかろうじて生き延びた義朝ですが、苦労して逃げた野間で惨殺されると言う哀れな結果とはなってしまいました。家康と義朝、何が人生を分けたのでしょうね?

そう考えると、やはり歴史は面白い。
[53]空の青海のあをさんからのコメント(2022年04月14日 14時43分55秒 ) パスワード

酔石亭主さん

懐かしい固有名詞が次々に目に入って、思わず知多半島の地図を拡大し、思いを馳せました。

古見にも海水浴に何度も行きました。

新舞子は名古屋人に超人気で、混んでるから避けて、混み過ぎ!、野間とかに行きました。
わたし達子供はヒトがいない野間で海水浴を楽しみ、親達にとっての野間の楽しみは野間大坊ですね。


そこで日長!

日長姓:
織田家などを輩出した現愛知県である尾張国知多郡日長邑発祥ともいわれる、藤原南家熱田大宮司族。円満院宮侍にみられる。

と、いうことは    またもや  空想の世界に入り浸りました!


源義朝は知多半島の頼朝の母の一族関係者も頼っていたのかもですね。

園城寺円満院?
義朝の8男の義円は園城寺にいましたよね
ということは「義円」の【円】は  円満院  がらみ?

などと空想が飛びに飛びまくりました。  以上、外れているかも。


名古屋港は遠浅で、19世紀の終わりから工事を始めて20世紀の初めに開港になった新しい港なんですが

だから源義朝が大垣から木曽川を舟で下って野間に行こうとした途中で正妻の実家の熱田の宮に寄ったりしたのかな?とか。


>船は内海に着いてそこからは徒歩で野間に向かったとの地元伝承が残っていますが、
>これはちょっと疑問。真冬の伊吹下ろしが吹きすさぶ荒れた伊勢湾を内海まで

内海~野間はだいたい4qほど?

野間に行きたかったけど偏西風(実際には北西の風?)に押されて4kmずれて内海に到着してしまった?
それで風に逆らって舟で野間に戻るよりは、歩いた方が確実で、時短だった?

     こういうのを空想して1人でウケてしまいます。
     義朝の不運は鎌田の舅を頼ったことと北西の風?

              風について勘違いしてますか?


知多半島の地図を見ていると野間のすぐ北に「奥田」というのがあって   奥田城があって  水野家がらみ
名古屋港を開発したのが奥田さんですが(京都の人だそうですけど)  元は どこの人?と思いました。


尾張藩で奥田さんというと名家 + 超優秀 
だけど  尾張藩の奥田さんは稲沢の方の斯波氏系だから
知多とは関係無いのかも。


でも人間は移動するから  ホントのところは分からないですね。


わたしは家康が井伊直政を頼りにしていたのがイマイチ不思議です。
[54]酔石亭主さんからのコメント(2022年04月15日 09時44分47秒 ) パスワード

あをさん

私は夏休みには裏の海で毎日泳いでいましたよ。当時は季節によってアサリやハマグリなどを籠いっぱい採ったり、ワタリガニやナマコやシャコも捕まえたり、ハゼを釣ったりしていました。今となっては懐かしい思い出ですね。ところが昨今ナマコは高級品ですし、シャコは寿司ネタで見ることはほぼなくなり、絶滅危惧種みたいな感じです。最近の水産物は美味しくないし、今と昔、どちらが豊かだったのだろう、などと思ってしまう今日この頃です。新舞子や大野などはたまに親に連れられて行き、内海や野間は極めて稀に行った記憶があります。

>1源義朝は知多半島の頼朝の母の一族関係者も頼っていたのかもですね。
それはどうかな〜と思います。藤原季範の次男の源季実は平治の乱の際源義朝方に与し、平清盛に敗れて敗走し、最後には斬首されていますし…。またWikiによれば、由良の兄弟である藤原範忠は義朝敗死後に甥の希義を捕らえて朝廷に差し出している。一方、弟の祐範は頼朝の伊豆国配流の際に郎従を1人派遣し、その後も毎月使者を送っている。とのこと。この時代は親兄弟でも敵味方に分かれたり殺し合ったりでよくわかりません。

ちなみに、大野庄(大野から朝倉辺りまで)においては源満仲の後裔・源頼清が大野判官代だったとの所伝があります。ただ源頼清は承久の乱で京方となって討たれ、大野庄などの本領を没収さたとのこと。源頼清は河内源氏ですから、距離はあるものの根っ子部分では源頼朝と同じですね。

>2園城寺円満院?
枳豆志(きづし)庄(武豊町全域と常滑市南部、美浜町布土で内海野間庄のお隣)は知多半島最古、最大規模の荘園で承久3年(1221年)の承久の変ののちに鎌倉幕府の直轄領となっています。ここは1337年に足利尊氏によって園城寺に寄進されています。

日長姓に関しては、日長神社(祭神:日長命、日本武尊)によると祭神の日長命は宮簀媛命の兄とのことで、そうなると兄は建稲種命。建稲種命はその活動から日本武尊に充てられそうなので、日長命=日本武尊と推測。まあ、神社の由緒はほぼ伝説ですから事実関係は不明です。

枳豆志庄が園城寺に寄進されたこと、同じ知多半島に日長氏がいること、藤原南家熱田大宮司族の存在、この三つがどこかでうまくリンクして、いつの時代からかはわかりませんが、ずっと後代の明治になって士族となった円満院宮侍に日長氏(本姓藤原氏)がいる結果となったのかもしれませんね。(全くの想像です)

いずれにしても、知多半島の特に内海、野間も含めた南部は源氏が強い思い入れを持った場所だったのではと思います。建久元年(1190年)、頼朝は上洛の帰途、義朝を供養するため野間大坊を訪問。何度か見ている大坊本堂前の大門は、その際に頼朝が造ったそうです。常滑と武豊の境にある警固山は、頼朝が法要をおこなった際、警固のための武士を置き、物見山に利用したことに由来します。

頼朝がどんなルートで野間まで行ったのか調べたいところですが、なかなか難しそうです。
寺本の尾張八幡神社(その前が旧常滑街道)から道行の草薙剣盗難事件で(有名な?)法海寺(創建は天智天皇期)へ向かう途中の場所に野間海道大権現なる小さな祠があり、平安末期から鎌倉初期頃にはこの野間へ通じると推定される野間海道を通って行ったのだろうと思います。まあほとんどは旧常滑街道に重なっているのでしょうが…。日長の勝崎姓の由来も頼朝一行が義朝供養のために通過し、何事かと供回りに聞いた村人が義朝供養の話を義朝自身の話と取り違えた可能性があります。そう考えないと、前に書いた勝崎姓の由来の意味が不明となってしまいます。

この時代は色々あり過ぎて書き始めるときりがないし、あれこれ間違えそうな気もするので、この辺で止めておきます。
[55]空の青海のあをさんからのコメント(2022年04月18日 12時00分58秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

終わりがけの  上総広常の願文のシーン  本当に胃からブツが2回上がって来ました。


[56]空の青海のあをさんからのコメント(2022年04月25日 10時33分16秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

なるほど、伝説がいっぱい生まれたんだね。
三谷幸喜は「あんなの伝説だよ」とバッサリで、視聴者は目が覚めたのかな?
あ、今は「目からウロコ」って表現するのか。


三谷幸喜は政治音痴の日本人にちょっとは学習させたかな?



なんか「アマデウス」を見てるみたいだった。

サリエリ vs モーツァルト。
   なんで、あんなチンピラみたいなヤツに神は才能を与え給うたのか?
梶原景時 vs 源義経。
   自分も義経のようにあそこまで吹っ切れたらいいのに何故自分には神の御加護が無いのか?


和田義盛
やっぱり、可愛い。
きっと三谷幸喜は和田義盛が好きなんだろうと思う。



義経とプーチン。似過ぎ。
コロシに行ってるんだから  1人逃がさず
プーチンは蝿も逃がすなと言ってたんだっけ?


昔  1979年のイラン革命で大勢のペルシャ人が亡命して来てて
殆どがユダヤ系でサンタモニカやビバリーヒルズに住んでて、もっと高級なビバリーグレンとかにも住んでて

中にはバハイも少数いて  この1人が大学で教えてるような女性で  ハッキリ 物を言うひとで

    トンチンカンなユダヤ系のおばさん達とは違う合理的な考えの人で


わたしが「アレキサンダー大王が」と言ったら「アレキサンダー糞ッタレと言え」と訂正してきた。

確かに   the Great という言い方はペルシア人には不適切な表現で the Son of a Bitch でないと  ペルシャ人には面白くないわね。

    ソモソモ、わたしはギリシャ人でもマケドニア人でもないのだから、アレキサンダーに「大王」は必要ないわけだし

    今でも  ペルシャ人の心の傷に塩を塗った自分を恥じる  どーしょーもない政治音痴の日本人です。



義経はかつて日本人には人気だったけど  
義経も  「実像は」  と
三谷幸喜は伝説によって作り上げられた悲劇のヒーロー像を日本人に「しっかり両目を開けて見ろ」と言ってるんだね。



今回も泣いた。

泣いたけど  和田義盛が巴御前を気に入ってた  という背景が分って  ああ、巴さんは大事にされたんだなと  納得した。
[57]空の青海のあをさんからのコメント(2022年05月02日 10時10分50秒 ) パスワード

泣くしかない回だった。
主要登場人物  みんな  「なんで?なんでこうなるワケ?」 それぞれの嘆き  しかと受け止めた。
  


頼朝がどんどん政治的に大物になっていく様子に
日本人の殆どが頼朝は嫌い
というのが分かる。

日本人は  殆どの日本人は  政治は好きじゃないものね。暗躍するヤツは許せないし。


そうか  大船で降りて15分歩いて  義高さまのお墓にお参りしたのだったのか。

連れてってもらったので  どこか  覚えてなかった。
[59]相良四郎さんからのコメント(2022年05月06日 11時00分29秒 ) パスワード


源氏方にも人気者は いた筈で
今回は見ようと思います

[60]空の青海のあをさんからのコメント(2022年05月09日 12時56分49秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

6分で片のついた壇の浦。CGによる史上最速瞬殺処理能力の高さを見よ!だったね。

その前の屋島は「アッ」と言う間だったね。ナレーションで終了だった。
我が家の母方おじじ様は屋島の戦いで義経に与力し、壇の浦にも義経方で参戦しベイビー・ブラザーは義経に烏帽子親になってもらった。

4年後甲冑五郎通経は奥州合戦にどんな思いで烏帽子親を討ちに行ったのか。
心情を考えると古文書を紐解く気力が湧かない。
少年時代からの尊敬する人を殺しに行くって?


戦争って
戦うか・逃げるか・捕まって瞬時に殺されるのを選ぶか死ぬまで奴隷になるのを選ぶか。
三択問題だね。

「君はどれを選ぶか?」
ま、わたしは今回もヤッパリ犬死にだろうなと思う。


ウクライナの人達は現在「三択問題」を突きつけられているんだよね。
プーチンはウクライナの次にモルドバを狙ってるんだろうけどモルドバは簡単に占領されるんだろうなと思う。
だけどリトアニアはやっぱり最後の最後まで今回も戦うんだろうなと思う。相手がロシアだけに。



今日はちょっと早くビーチ公園に行ったので、まだ、ウクライナの人達は集まっていなかった。
本当にもの静かな人達で、ウクライナ国旗を携えていないと存在が分からない。
たぶんプーチンはこういうウクライナ人を簡単に攻略できると踏んでいたんだろうなと思う。



それにしても エモさ0%の壇の浦の合戦  って初めてだった。
父方主人の知盛さま  映ってた?  分からなかったよ。

それに腰越状が宗盛さま筆って?
これまで弁慶が書いたとばかり思ってた。


今日は義経の正妻の  (河越重頼の娘(お郷御前) が平泉まで同行して一緒に死んだ  という) 心情が分かった。
三谷幸喜  ホント!天才  をんな心が分かってる!

    お郷御前、死ぬ時に「をんなの幸せ」を噛み締めて死んで逝ったんだな、と思った。



義経の八艘飛び。

きれいどころを揃えたジャニーズJr.の運動会を見てて
7 MEN 侍 のメンバーで筋肉マンの菅田琳寧リンネじゃない方
少年忍者の安嶋秀生あじまひできが跳び箱21段265pを軽々飛んだのですよ。

       ↓ このうち どれかで見られると思います
https://www.youtube.com/watch?v=aEwtDeXn9t0
ジャニーズJr.大運動会【巨大跳び箱】2022春〜7夜連続SP企画〜2/7
ジャニーズJr.大運動会【開会式】2022春〜7夜連続SP企画〜1/6


だから義経の八艘飛び伝説は

    伝説だから義経が平教経さまに追われて舟から舟へと逃げて  それが計8舟  だった
    ということだと思っている

けど

義経は幅跳びが得意だったのかな?
とジャニーズJr.の身体能力の高さから思ったりする。
[61]空の青海のあをさんからのコメント(2022年05月16日 10時26分02秒 ) パスワード

本日の「鎌倉殿の13人」
18分ほどにしか感じられなかった。
これまでで1番短く感じた。


見終わって  録画してあった「ザ・少年倶楽部」を見て  アタマの中をクリアしようとしたけど  出来なかった。

    浮所飛貴を見ても「可愛い!」なんて黄色い声が出なかった。


源行家みたいな人が同僚にいた。
ま、必ずこういうタイプっているよね。


時政パパの    策を弄して平家を滅ぼして来て自分も策を弄されて破滅する  ってハナシ   
結構このオヤジ  言うんだよね  
シレッと。


静御前がこれまでのいたいけな感じじゃなくて  いかにもしたたかな京女って感じに度肝を抜かれてる。
わたしは  麻生祐未の静御前が一番好きで  こんなに美しく  こんなに透き通った声の美しい女性  本物の人間? と感動した。

    石原さとみの静御前にはガッカリした
    今回の石橋静河のふてぶてしさにはもう愕然

        Women are strong.   They'll somehow manage on their own.
              女は強い。女は1人でもなんとか生きていく
        そんな印象を受ける。

              麻生祐未を圧倒する静御前役の女優の出現を期待してる


とにかく本日のわたくしは立ち直れない。
[62]空の青海のあをさんからのコメント(2022年05月23日 10時48分47秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

ヒトコトで表現すると「本音ホンネ本音の大合唱」の回だった。
登場人物それぞれの本音。




1番好きなシーンは
義経が三浦義村の小ズルイ性格を「アイツは損得の分かる人間」と言ったところ。

ま、三谷幸喜が  本音を見抜くのがうまい  本音を描くのがうまい  ということ、なんだけど。


    だから義村の子の泰村は  義時の子孫に排除されるのかな?と想像した。


ホント
良く心の裡を描いてる。

大姫のトラウマもちゃんと「蝉の抜け殻」で描いてたし。
PTSDの人は  明るく笑った瞬間にドーンと奈落の底に落ちる  というのも三谷幸喜は知ってるんだぁ、と感心した。



わたし個人には
30年ちょっと後、おじじさまが江刺に流されて  
    (平泉と江刺って36qあたり  9里の距離  電車だと1時間)   
おじじさまは平泉に行ったのかな?
なんて思った。

     江刺ったって稲瀬っていうすっごい山の中だから36qなんて距離じゃないけど。


流された翌年死んでしまうけど  頼朝に呼応して以降の40年を  江刺の山の中で何を思ったのかな?と。
すぐ近くに平泉があるわけだし。


義経が褒めて欲しかったのは頼朝なのに
    赤の他人の秀衡は自分を正当に評価してくれて褒めてくれた
こういうのもツライだろうな。

あの義経の涙に  心の中の棘が流れ出た  って思った。


    やっぱり最後の最期まで義経はサイコパスだったな。
[63]空の青海のあをさんからのコメント(2022年05月28日 14時34分07秒 ) パスワード

本日の「義経のスマホ」
結構面白かったです。


義経の参考書として「源義家  武士は殺し方が9割」とか「源義朝  戦の多動力」なんかの本がスマホに出てて



平家との和平交渉ということで休戦しなきゃいけないのに義経は「卑怯でも勝てば良いんだから」
「一の谷の合戦とか鵯越えの活躍は  多動力を学んだから」
というハナシで語られてました。

   この部分に関して「義経の戦術の強行突破感を〔多動力〕で押し切るのは笑った」なんて反応がありました

   わたし自身は(え?義朝って〔多動力〕あった?あったのは清盛の方でしょ)という反応です
        義朝に「多動力」があったなら  あんな負け戦はしなかったろうし  あんな最期も迎えなかったろうし




源氏は  つまり河内源氏は
もともと身分が低く  頼義や義家の時代からの「武力」については諸人恐れて口を噤み  心の中では  軽蔑してた  ということかなと。


頼義や義家の残虐性についてコピペ:

京の義家の屋敷の近所の者が、ある夜に義家が鬼に引きずられて門を出て行く夢を見た。そこで義家の屋敷を覗うと、屋敷の中では義家が死んだと大騒ぎになっていた。あれは義家が地獄に引きずられていくところだったに違いない。


父頼義も殺生の罪人で、本来なら地獄に堕ちるべき人間である。前九年の役で切り落とした首は1万八千、その片耳を取り集めて、乾して皮古二合に入て上洛した。しかし、後年仏門に入って、その耳を堂(京・六条坊門北の耳納堂)の土壇の下に埋めて弔い、自分の殺生を悔いたために最後は成仏できた。
頼義は享年88。晩年は戦で命を落とした敵味方の為に「耳納堂」という寺堂を建立し、「滅罪生善」に励んだ。


しかし義家は罪も無い人を沢山殺して、それを悔いるところも無かったので無限地獄へ堕ちた。(『古事談』)


今様狂いの後白河法皇が編纂した『梁塵秘抄』巻第二にある「鷲の棲む深山には、概ての鳥は棲むものか、同じき源氏と申せども、八幡太郎は恐ろしや」はそのような言い伝えを反映しているものと思われる。

それらの伝承は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけてのものであるが、同時代の藤原宗忠がその日記『中右記』に「故義家朝臣は年来武者の長者として多く無罪の人を殺すと云々。積悪の余り、遂に子孫に及ぶか」と記したことも合わせ考えると、それらの説話も個々には事実ではあり得ないが、当時の京の人間の義家観として、義家の実像の一面を伝えているようにもとれる。

____________________________________


義家は難しい性格で  家来は恐々としてた  と聞いている。

義家は68で死ぬまで火宅の人で、だから世間は義家は地獄に堕ちて  これが  子孫代々に伝わって  鎌倉幕府の源氏将軍が3代で終わった  という感じなのかな?




源頼義
長男:源義家
次男:源義綱の四男の源義仲の孫という源盛俊は石橋氏・服部氏の祖。また、七男の源義直は、河内国の石橋氏の祖。
三男:源義光は、常陸源氏・甲斐源氏の祖となり、佐竹氏・武田氏などの祖。
四男:河野親清(または越智親清)  わたしの母方先祖でもある・・・   義経がおじじさまの弟の烏帽子親というのも・・・  こーゆー事
   わたしの母方は「うちは源氏」と言う    わたしは納得しかねるんだけど



長男の源義家 → 義親 → 為義 → 義朝 → 義平、朝長、頼朝、義門、希義、範頼、阿野全成、義円、義経



源義家の子孫は多過ぎるから有名子孫のみ:

A
源義重(新田氏の祖)
新田氏からは、山名氏・世良田氏・里見氏・額戸氏・脇屋氏・大館氏・堀口氏・由良氏・岩松氏(父系としては義康流)などが出た。徳川氏は新田氏の末裔を称して征夷大将軍の宣下を受ける。

B
源義康(足利将軍家の祖)
足利氏からは、仁木氏・細川氏・戸崎氏・畠山氏・斯波氏・石橋氏・渋川氏・一色氏・石塔氏・吉良氏・今川氏などが出た。

以下略
[64]相良四郎さんからのコメント(2022年05月30日 05時08分47秒 ) パスワード

今回は・・の続きですが、
見ようと思ったら
壇之浦の事後でした。

いきなり判官と義時では寂しかったです。
泣く泣くテレビの電源を切りました。

[65]空の青海のあをさんからのコメント(2022年05月30日 11時03分32秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

いよいよ次回から内部抗争の始まりですね。
三浦義村が「外に敵がいなくなって、これからの戦は御家人達の間の戦いだな」と言ってました。

中村獅童(梶原景時)が「皆が  九郎九郎と惜しむ  つまり  九郎の死は自分のせいということだ」と言ったあたりで
これから起きる事件の数々を思って吐き気がした。

    梶原景時自身は九郎の死は自分のせいでもあると思ってたのかな?

         サリエリだってモーツァルトをイジメたとか死なせたとか
         勝手なハナシをでっち上げられて悪人にされて
         サリエリの実像はモーツァルトの才能を認め音楽家の遺族を保護したりなかなかの人物なのに。

    三谷幸喜は梶原景時を認めてるね。
    だから梶原景時の最期は涙のシーンになるのかな?



源氏ってサイコパス。
頼朝も義経も。
    この血は頼義・義家からしっかり受け継いだんだろう。


頼朝の心理的気味悪さ  全開になってきましたね。
八重さんをいたぶったり。
嫌らしいおとこだ。

     あれはどういう心理からなのかな?
     猟奇的な心理?
     現代の男だったらストーカー気質?


前回の終わりの方で  義経の首の前で泣くシーン
ヲイヲイ
サイコパス全開じゃん!

自分が殺させておいて  泣く?
やっぱりサイコに問題ありまくりじゃん。


今回  八重さんをいたぶって  反吐がでそうだった。



だけど  当時  義経の首です  って言われて  頼朝は信じたとは思わない

      文覚が義朝のしゃれこうべですと持って来た頭蓋骨を「あなたが信じればこれは義朝のシャレコウベになるんだ」には
      「これが義経の首です」と言われて認めれば義経の首になり奥州攻めの口実は手に入れられたわけだ



前回の義経のお郷御前を殺すシーン
自分で殺しておきながら「赦してくれ」と泣いた義経

DV夫
そのまんま。


     娘も殺した
     ってところが  日本人  ってことなのかな?
         日本人の好きな「心中」っての。
         「この子を残して逝ってはこの子がカワイソウ」っての。

     お郷さん殺して  次に  娘も殺した  というところが  今のワタシには理解出来なかった
          わたしは既に日本人じゃないからか?


     この演出がイマイチ理解出来なかった
          お郷さんと義経が「生きるの死ぬの」のやりとりをして  
          お郷さんを殺して娘も殺した  
          という演出なら腑に落ちたんだけど

              これじゃ  日本人的にはありふれてるから
              三谷幸喜は(そんな脚本  オレは書かないよ)だったのかな?


     
三谷幸喜
人間の腐った内面を描くの
うまいね。

非常に現代劇的だ。


頼朝がどうやって死ぬのか  頼朝をどう死なせるのか  
こんなにワクワクして頼朝の死を待つ自分もかなりサイコ?
[66]空の青海のあをさんからのコメント(2022年05月31日 12時54分09秒 ) パスワード

本日の「義経のスマホ」

屋島の「扇の的」事件が取り上げられてました。


(義経のスマホ  で)義経に常に反対してた(という設定の)佐藤継信が義経の身代わりになって射殺されるハナシ。


扇の的の与一の成功の後に、「みごとだみごとだ」と与一を褒め称えて舞い踊った平家の老人が射殺され
当然平家からの反撃で  継信が死んだ。


義経は「いつも自分に反対ばかり唱えてた継信が自分の身代わりになって死んだのは何故」と人生相談をして
答えは「スマホだから」   ???   

           聞き取れなかったし意味不明だった
           (ただのスマホでのやりとりだ   と言ってたのかな?)


           嗣信は嵐の中を屋島に渡るのも反対して義経から「だったらお前は来なくていい」と返信されて
           嗣信は「行きます」と訂正して同行した。


それにしても「義経のスマホ」では義経自身が与一に「あの老人を射殺せ」と直接命じたことになってた。

    「平家物語」では伊勢三郎が「 御 言定 」ゴジョウであるぞ  と言ったから与一が射殺したことになっている。



あの射殺された50ばかりの老人は  伊賀の家長の弟の  十郎兵衛尉家員で  やっぱり  わたしには辛過ぎるし吐き気がする。



都の武士と東国の武士とさらに北の育ちの義経の違いは何なのか?

    都の武士は貴族の犬だから犬としてのお行儀が要求されてたってコトかなと。
    だから卑怯なふるまいをしない。
    与一に祝福することは都の武士にとっての礼儀であり作法だった。


    東国の武士はもともとが坂東平氏だったり藤原秀郷の子孫だったり頼義・義家由来の源氏だったりで
    この人達は小競り合いはあっても元々が近く遠く婚姻関係にあったわけで
    どんぐりの背比べだったのかなと。


    藤原秀衡が義経を養ったのは  やっぱりイマイチ理解出来ない。
    秀衡にとっての  前九年後三年の役=源氏  とは何だったのかが まず 分からないし。

          「炎立つ」は見てた。



「義経のスマホの義経」の方が「鎌倉殿の13人の義経」よりも義経像を適切に描いているのかな?
[67]空の青海のあをさんからのコメント(2022年06月02日 15時12分49秒 ) パスワード

本日の「義経のスマホ」。

壇の浦を取り上げてて、
「鎌倉殿の13人」よりも端的に
義経と梶原景時と頼朝の違いをバッサリ見せてくれていました。



梶原景時のライン:
大将が先陣ではハイリスク。何かあったらどうするのですか?
と義経に反対。


義経は先陣は自分に決まっている。
なんで反対するんですか?
オレのこと、好きだから反対するんですか?

            前回   佐藤嗣信  のことがあったからね


景時と義経のこのラインの繰り返しの喧嘩があって
景時は義経のことを「ただのコミュ障が図に乗るな!」と罵倒。


義経は景時に
「お前なんか兄貴から何の期待もされてない。自分は兄ちゃんから1番期待されている」と捨て台詞。



そこへ頼朝から義経に
「壇の浦の戦いのタスクをリマインドしておけ」とライン。


義経は頼朝に「兄ちゃんにとってオレが1番だよね?」と言って欲しい。
この言葉を何度も確認。



で、  義経は「オレはお前達御家人どもとは違うんだよ」


これには温厚な畠山重忠も「聞き捨てなりませんね」とライン。



平家滅亡。


速報:合戦MVPは源義経に。


義経の家来達は「トレンド入りじゃん!ヤッバー」と大喜び。


義経は
景時、ざまぁ!
オレが平家をぶっ潰した。
全てオレの手柄!



そこへ頼朝から義経に怒りの電話。
「この大馬鹿者が!わたしはお前に何と言った?この戦いの1番プライオリティが高いタスクは何だと言った?安徳天皇の生け捕りと三種の神器の奪還だ」


義経は頼朝からの【タスクをリマインドせよ】のラインを捜し出す。


          義経は頼朝からのこのラインの重要性が目に入ってないんだよね
          平家を殺すことしかアタマに無かった


頼朝「おい 義経  聞こえているか?」


義経「でも  そうかも知れないけど  オレ  平家をぶっ潰したし・・・」


頼朝「ただ、勝てば良いというものじゃない。お前のせいでこの戦いは負け戦だ!お前には愛想がつきた。2度とオレの前に現れるな!」



そして画面には「壮絶!  武家ハラの一部始終  御家人が涙の告発」


画面には義経から景時への数々の罵倒のラインが晒されている。



義経の人生相談:
生まれて初めて心を開いた人に縁を切られました。どうすればいいですか?


義経  
涙  涙  涙


______________________________

こんな流れだったような?


やっぱり義経は義家の血を1番濃く引いてるのかも。
「武士は殺し方が9割」


サイコパスは遺伝が8割。義経の殺したくて殺したくてたまらない
そういう面が「軍神」という美称で化け
戦法を考えつく才能が常人を超えた義経は当然「ヒーロー」なわけで
やっぱり  憧れ  ではあるわけだ。

戦いには勝たなきゃ意味が無いからね



河内源氏はサイコなんだろう
今回の大姫もかなりおかしかったし
足利尊氏もバイポーラーだとか。



義経は戦術に優れていたのだろうけど  それだけの人物
頼朝も変だけど戦略に優れていて  やっぱり  偉人なんだろう。

         ブレにブレまくる自分が情けないや。
[68]空の青海のあをさんからのコメント(2022年06月04日 04時18分54秒 ) パスワード

昨夜の「義経のスマホ」
長々と書いてたのをウッカリ削除してしまった。


     平家のオカルトパワーの仕業だったかも
     平家  怨みのシーン  を書いてたからね



取り敢えず簡単に記す。



大江広元が
「腰越状のことですか?本気で怒ってる人に手紙は無いね。ちゃんと会って謝らないと許して貰えない」
と語ってました。



      え?
      頼朝<が>義経<に>会ってくれなかったんじゃないの?
      その接見禁止を頼朝に入れ智慧してたのは大江広元自身じゃないの?


          それとも義経が頼朝に会って貰えなかったってハナシは
          義経伝説の1つに過ぎなかったの?



ゲス過ぎる裏垢(裏アカウント)の発覚。

      コレはわたしには意味不明だった
      わたしは「腹の探り合い」ってのは出来ないんで


スゴスゴ帰って行った義経に頼朝は、4日後、所領地24箇所を没収。


10月、土佐坊昌俊(そうしゅん  だっけ?)の義経暗殺未遂事件。
「義経のスマホ」では頼朝の命令だったと。


   兄貴はオレを殺したいんだな



弁慶は

   殺したいほど好きだったんだよ



義経

   誰もいなくなった
   もっとみんなに寄り添えば良かった
   もう遅いけど



佐藤忠信は山中で捕縛された
                  佐藤継信の弟。


常陸坊に弁慶と義経のツーショットを撮って貰う。

        合言葉は  チーズ  じゃなくて  「判官!判官!」  に笑った。



いい箱作ろう  1185年  鎌倉幕府成立

         今は  いい国作ろう  1192年  鎌倉幕府  じゃないんだよ



兄貴は本当にオレを殺す気なんだな




昨日はアップ出来なかった
すっごく胃の調子が変だった
    ビーフの食べ過ぎだったのかな?


今朝は6時に目が覚めた
8時間  ぐっすり  眠ってしまった
わたしとしたことが・・・
3時間は寝坊だ
4時にはベッドから出たかったのに



やっぱり  義経って  「MEATHEAD」  筋肉バカ  なんだな。

殺す  殺したい  最大数で殺したい   
そういう脳の使い方には優れていた  
ってコト。


今の言葉で表現すると  「承認欲求」  の激しい  政治音痴。  
政略というのは全く理解出来ないタイプ。

             コレ  わたし自身  自分の事じゃん(泣)
             わたしも職場の政治闘争に孤高の人を気取ってたら両方からヤラレタよ。
             自分の仕事をちゃんとやってるのを認めてくれればソレで良しと思ってたら  そうじゃなかった。


                   「和」の一員でなきゃいけないんだよ人間関係は



義経の疎外感はすっごく分かる。
弁慶は最後の最期まで一緒にいてくれた
これが救いだね。


木曽義仲と今井兼平の主従関係
平知盛様と平家長の乳兄弟関係

死ぬ時は一緒だよ。


昨日は古い友人からメールが来て
今年で終わり  来年のお誕生日おめでとうメールは書けないから
と言って来た

まだ4年は生きられると思ってたけど
と。



過酷な時代に一緒に最期を共に出来る人がいるってあの時代に生きた人には最大の幸せだったのだろう。


いつの時代であれ  誰であれ  
死ぬ時は1人で死んでいかなきゃいけない人にとって  
死出の旅路を共に歩いてくれる人がいる幸せは  やっぱり  刻んでおきたいんだな、と。
[69]空の青海のあをさんからのコメント(2022年06月04日 12時45分53秒 ) パスワード

「義経のスマホ」
最終回
「さよなら、大好きな男」


安宅の関事件から衣川で自害するまで。



安宅の関で富樫から「勧進帳を読め」と言われてしどろもどろの弁慶に義経がラインで口上を送る。


安宅の関での義経の役はスマホで撮影して記録を取るという助手だけど
富樫の家来に「コイツ、撮影していない。チョウ― 義経っぽい!」と見破られて

義経が「そうだ!オレが源九郎義経だ」と名乗り始めて弁慶が杖で義経を打擲。

富樫に許されて関を越える。



義経は藤原秀衡にラインで
「迷惑をかけて申し訳ない」
と不甲斐無さを謝罪するも


秀衡からは
「迷惑をかけられる相手がいるなんて最高じゃないか」
と返信ラインが来る。




弁慶から「こないだは叩いて悪かった」と謝罪のラインが来て義経は「まだ痛む」と返す。


弁慶
「初めて出会った時にスマホを脛に当てられたお返しだ」
と返すと

義経
「まだ根に持っていたのか」
と返し


弁慶
「あっと言う間だったな。なるようになるさ。いざとなれば異国に逃げてもいいし」


そこへ藤原泰衡の軍勢が押し寄せ



弁慶
「泰衡の裏切りだ!
逃げろ!
ここは絶対に通さない!

みじめな生い立ちだったけど
お前に出会えて  
命を懸けられる友達が出来て幸せだったぞ  
ありがとう」


弁慶の死


義経
「オレも雲の上に行く
来世でまた会おう」


義経自害。




脚本家は「土方のスマホ」も手掛けた竹村武司。

     なるほどね


歴史考証は歴史学者の清水克行。



男とは何か?
男の友情
男の生き様死に方


義経の悲劇性はやっぱり日本人の  心情に合う  ね。
一般大衆が義経を好きだというのは否定出来ないや。
武士社会の成立に伴う産みの苦しみ時の大スター。


人間像のさまざま
群像劇

義経の短い生涯には華があるね。
生き方の参考にはならないけどね。
[70]空の青海のあをさんからのコメント(2022年06月06日 12時34分17秒 ) パスワード

「鎌倉殿の⒔人」


「鶴丸」という男の子がどういう人物になるか
そこに興味があります。
「金剛」の右腕になるのか  もう登場せず  子供時代だけで消えるのか?


前回「はつ」と「金剛」の結婚の話が出てたのに
今回は出てなくて
そりゃ八重さんが死んじゃったからでしょうけど。

「はつ」が泰時の正妻(前妻)になって3代目執権の時氏を産み
               後の名君・時頼の祖母となり
再婚した人との間に生まれた子の1人が三浦合戦で、三浦に付かずに北条氏方についた者が三浦家を再興させるのかなと。


前回は瀬戸康史や市原隼人が出てて嬉しかったのに。



だんだん  出演者が分からなくなっていく。
[71]空の青海のあをさんからのコメント(2022年06月13日 10時08分22秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」


ビックリ!
     定説:  曽我兄弟事件の背景に北条時政がいて  というのは良く知られたハナシ

実は  小物腹黒の比企がいて   範頼を巻き込んでた?

     要するに範頼がお人好しのバカだった?
     素直な範頼の義侠心は小物腹黒の比企に煽られたから?
     とんでもないことになったね。大江広元に話してしまってたからね。ハナシがややこしくなるわな。


範頼はこの事件が無かったら名将軍でいられたかも知れないのに
政治性に欠けること
義経並みの凡人だったってことか。


    まだ阿野全成の方が「政治」が分かってたね


とにかく本日は「比企陰謀説」部分に驚きまくった。
比企家にとっては鎌倉で北条氏を出し抜くチャンス到来だったからね。



畠山重忠が頼朝の寝所を守ってたハナシも知らなかった。
これは三谷の想像かな?


それにしても配役が   まずいよね?

金子大地が万寿なんてね  逞し過ぎ。
坂口健太郎が万寿で金子大地が金剛だったら良かったのに。



市原隼人が一瞬映っただけだったからガッカリだった。
[72]空の青海のあをさんからのコメント(2022年06月20日 10時21分49秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

泣いた。
今回は泣いた。


源範頼
 三谷幸喜は本当に人間を描くのがうまい。
 範頼は死の前にあれだけ良い人物に描かれて
 「以て瞑すべし」
 でした。


本当に  いい漢だね。
ああいう男  好きだな。

 ヒトのせいにしない
 卑怯な逃げは打たない

いい漢だ。
誠心誠意  ほんと  いい漢。
源氏の中で  唯一まともな人間  って感じ。


 だけど都への使者が景時の手に捕まって文が頼朝に渡ってたのは知らなかった。
 これは  万事休す  だ。
    なるほど 申し開き出来ないわ。



比企の嫁
賢い。
自分があれだけ煽っておきながら
幕引きもちゃんと考えてあげるなんて
男に生まれてたら
    と気の毒。



大姫
泣いた。
この人のことで泣かない日本人はいないだろう。

全成のインチキ祈祷を見破ったのは面白かった。


巴御前
和田義盛と幸せそうだったね。
義仲さまもいい漢だったけど義盛もいい男だよ
って大姫に言って大姫を納得させたシーン
良かった。


義盛が聞いてたシーンも良かった。




岡崎義実
そうだったね
三浦の一族だったね。

この人の出家って  あの富士の巻狩り頼朝暗殺未遂事件がらみだったの?
これは知らなかった。

それで梶原景時弾劾状に名を連ねているのか。
景時が殺されて  納得できたってことだったのか。


石橋山の戦いで25歳で討ち死にした嫡男のことを話して政子に改めて石橋山の戦いを評価してもらって所領を1つ拝領して


やるべき事はちゃんとやって死を迎えたという感じで満足して黄泉の国に旅立ったという感じ。



今後ますます「鎌倉殿の13人」は殺伐とした展開だな。
[73]空の青海のあをさんからのコメント(2022年06月27日 14時25分16秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

最後のシーンの  安達藤九郎盛長の「佐殿〜〜〜∞〜〜〜!」の絶叫に震えた。
背筋が震えた。

野添義弘
すごい役者だなと思った。




藤九郎の妻は頼朝の乳母・比企尼の娘って本当に?

あの時代は  みんな親戚なんだね。




時政が  「範頼と比企の噂を流したのはオレ」  と告白したシーンが
   坂東彌十郎
愛されキャラで人気沸騰だね。



北条時連役の瀬戸康史
ここでは料理全くできない男子役に笑った。
なんで?
だったら「グレーテルのかまど」は成立しないじゃん!
ミスキャストじゃん!



大泉洋
すごい人だね。


だけど頼朝
ひょっとして  バイポーラー?
足利尊氏は言われてるよね。

これは義家の血?


わたしの母方が源氏を称してて
       1 頼義が父親って疑惑はわたしは認めない   満77歳あたり?
         だけど上原謙って71の時に娘が生まれてるよね

       2 後鳥羽源氏は認める


義家は父親から受け継いだ?
ということは   わたしもヤバいのか?

かなり薄まってると思うけどね。

1065年としてわたしは20世紀生まれだもんね。
     笑
   頼朝だったら有り得るよね?
[75]則岡流島崎氏さんからのコメント(2022年06月29日 08時49分05秒 ) パスワード

空の青海のあを 様

 ご無沙汰しております。先の投稿を削除し、修正しました。
 この2日間で大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を最新分まで一気視しました。というのも、先週末に、去る4月9日に放送されたNHK‐BSの「決戦!源平の戦い」のオンデマンド放送を視たからです。
 この番組に、この3月まで在籍していた大学の担任の先生が出演されていました。その場面は、「一の谷の合戦」における「鵯越の逆落とし」を検証するシーンです。歴史好きなら誰もが知っている出来事ではありますが、この作戦が本当に可能なのか知りたいテーマでもあります。今回先生の行った検証では、そのことが物理的に可能であることが立証されました。
 そのような経過もあって、現在放送中の大河ドラマが気になったという次第です。
 今さら?と思われるでしょうが、やはり面白いですね。三谷幸喜監督独自の視点から観た斬新な人物像や出来事などが次々と描き出され、シビアな部分と併せて、娯楽性に富んだ作品にもなっていると思いました。特に「畠山重忠」、良いですね。悲劇の武将のようですが、今後も楽しみです。

則岡流島崎氏
[76]空の青海のあをさんからのコメント(2022年06月29日 15時31分09秒 ) パスワード

則岡流島崎さま

>特に「畠山重忠」、良いですね

はい
いいですね。

気の毒ですね
無実の罪で殺されるなんて。
誠心誠意、頼朝や鎌倉に尽くしたのに。


     佐藤浩市演じた平上総介広常も気の毒でした。
     広常のように罠に掛けられて粛清された人って古今東西数えきれないほどいたんでしょうね。



>「決戦!源平の戦い」

たぶんコレは今でも録画保存してあると思います。

脳がついていけなくて途中で棄権したので
気力が回復したら

    「一の谷の合戦」における「鵯越の逆落とし」を検証するシーン

拝見しますね。
則岡流島崎さまがらみで理解出来ますように!


    毎日が日曜日なのでシナプスも一緒に休業中なのです。
[77]空の青海のあをさんからのコメント(2022年06月30日 15時10分28秒 ) パスワード

則岡流島崎さま

>「一の谷の合戦」における「鵯越の逆落とし」を検証するシーン

再生して拝見しました。


2時間の長丁場
    「一の谷の合戦」における「鵯越の逆落とし」を検証するシーン
に取り敢えず早送りして見ました。



多田行綱だったんですねぇ。
この人は  つくづく  運の無い人   でしたね。



こういう人、いますね。
一生懸命知恵を絞って頑張るのに何をやっても認められない人。


人間って  本当に  いろいろですね。
わたしはナンバー1とかナンバー2とかは目指さず  
ナンバー3か4あたりで充分  という生き方を選んで来ました。

多くを望んで  大きく失うのがイヤ  ということだと思います。
ささやかでも確実な幸せだと感謝できる人生が良い  ということだと思います。



多田行綱の手柄が令和の琵琶法師達によって語られたのが良かったです。
ありがとうございました。
[78]空の青海のあをさんからのコメント(2022年07月04日 10時43分57秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」


イヤな内容の始まりですね。


全成って  八田知家に殺されたの?
これは知らなかった。
[79]則岡流島崎氏さんからのコメント(2022年07月04日 16時00分15秒 ) パスワード

空の青海のあを 様

 「決戦!源平の戦い」視られましたか!
 番組では「多田行綱」が「鵯越の逆落とし」の企画・立案・運営の全てを行ったとのことですが、彼はあまりにも地味なので、娯楽作品である「平家物語」では、この作戦の美味しいところを「義経」に持っていかれたということなのでしょうね。
 しかし同時に、この検証で「義経」の評価が下がる事はないともされていました。つまり源氏軍の司令長官として「多田行綱」の提言を採用したこと自体に「義経」の軍事的才能の高さを感じるとのことでした、なるほどなと思いました。

則岡流島崎氏 
[80]空の青海のあをさんからのコメント(2022年07月05日 04時51分13秒 ) パスワード

則岡流島崎さま

>源氏軍の司令長官として「多田行綱」の提言を採用したこと自体に「義経」の軍事的才能の高さ


多田行綱
どこまでも報われない人物ですね。


>「義経」の評価が下がる事はない

トクな人ですね。

いますね
こういう何をやっても良い方向に評価される人。



     今回の三谷幸喜の脚本では
         義経=鼎の軽重を自問出来ないトロいヤツ
     とハッキリ描かれて

        三谷幸喜  すごい!  と日本中がどよめいたんじゃないか  と思いました
           平家方を皆殺しにするより  玉体の保護と三種の神器の奪還が国体にとっての重要案件  だったのか と


ま、多くの日本人のメンタルって  そーゆーところがあるな  と改めて思いました。
ついつい目先の勝利を称賛してしまう。


     今回のコロナ蔓延とプーチンの侵攻で  何が重要だったのか  みんな猛反省だと思います
   



わたしが働いていた時
すぐ上のフィリピン人のリーダーが「こんど昇給の面接があるから 青ちゃんの手柄を譲ってくれ」と言って来て
「いいよ、いいよ、使っていいよ」
と言いましたが

こういうまともな上司もいれば
ヒトの手柄を自分の物のように吹聴し、自分の失敗は「我々のドジ」なんて拡大して言い訳する上司もいました。



いろいろな人間がいて
必ず損な役割を担わされる人もいるわけで

多田行綱
令和の琵琶法師達に正しく評価されたのだから
以て瞑すべし。

草場の蔭で喜んでくれていたら
と思います。
[81]空の青海のあをさんからのコメント(2022年07月18日 10時02分00秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」


いやいやいやいやいや
胸糞が悪い
のヒトコト。


頼家の涙
      これは良かった。
わたしもホロっと来た。


あの人達の末路も知ってるから

     だから日本人は政治が嫌いなんだよォ〜
     
でした。



結城朝光と実衣さん

どういう関係に発展?
フリン?
なんかアヤシかったよね?
♡💛❤が飛び交ってたよね?
[82]空の青海のあをさんからのコメント(2022年07月18日 15時17分13秒 ) パスワード

質問

結城朝光と実衣さん

どういう関係に発展?
フリン?
なんかアヤシかったよね?
♡💛❤が飛び交ってたよね?





答え

若くてイケメンの結城朝光が「絶世の美女こそ琵琶は似合います」って実衣さんに言ったから。


He is a dashing man. No wonder she would fall for him.
彼はいいオトコ。
彼女が惚れて当たり前。



だそうです。
なるほど。
[83]空の青海のあをさんからのコメント(2022年07月19日 14時01分49秒 ) パスワード

https://www.youtube.com/watch?v=Thk_QJ7THrs
13人の合議制の末路 失脚、叛乱、滅亡……鎌倉幕府バトルロワイアル!
[84]空の青海のあをさんからのコメント(2022年07月25日 10時03分59秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

虫唾が走る。
ホントいやな展開。


     我が家のおじじさまも梶原景時追討軍にいたし。
     当然あの連判状に名を連ねていたし。




鎌倉はコロシアイだね
疑心暗鬼の世界

なんか日本の暗部って感じ
    ド田舎に住んでた時  こんな感じだった。
    わたしはヨソモノだったからね。

      冷蔵庫1つでもア〜だコ〜だ言われてた。
[85]空の青海のあをさんからのコメント(2022年07月25日 12時12分55秒 ) パスワード

梶原景時糾弾状の署名の件

おじじさまの名前は
下段   土肥千次郎維平さんと曽我一太郎?祐綱さんの間にあります。
曽我さんはこれで良いのかな?達筆過ぎて読めないよ


土肥さんは  その後  比企討伐に参加し  
そして    その後  和田義盛方に付き  息子達は討ち死にし 土肥維平は処刑され

維平の三男である維時は  維平の父・遠平=祖父の養子=義理の叔父=小早川景平のもとへ行きました。
   (土肥遠平が安芸国地頭職に任ぜられたので)


           あ〜
           ややこしや〜


     で!
     この小早川景平ですが
     安芸国沼田の人で

          安芸国沼田(ぬた)は   わたしのおじじさまの母の実家です。




おじじさまが頼朝に呼応したのは
平維盛の目代が横暴で
父と兄を殺され
母方の伯父である「沼田の次郎」と組んでこの目代を殺し
おじじさまは鎌倉の御家人となりました。


            沼田の母の実家は引き続き平家方で
            平家と共に壇ノ浦に滅びました。

            それで土肥さんが地頭になった、というわけです。


                沼田は今の三原とか竹原のエリアです。



今回のエピソードはわたしにはツラ過ぎた。




わたしの母方は内訌で結局戦国時代に滅亡するんだけど
竹原にお墓があって

    小早川隆景が建ててくれた


このお墓に行って  写真を撮ったら  たくさん  写ってて
    泣いてる人や笑ってる人や酔っ払ってる人や怒ってる人など


そこから  いろいろ私と大阪の親戚にいろいろ降りかかって
この話は平熱で何度も書きました。



今回   梶原景時糾弾状の中に  おじじさまの署名が土肥さんの次にあって
ウチと土肥さんって
仲が良かったんだな〜
としみじみしました。


    わたしの実生活では  最初  土肥さんからは嫌われてた
    2年後あたりは  結構  蔓んでたけど


           これってDNA的に  初対面では  土肥さんはウチのこと  嫌ってたのかな?

           だって和田義盛事件の時  味方になってあげなかったし
           戦国時代  向こうが助けの手を差し伸べてくれたのにウチはその親切に応えなかったし



こういう血とか肉とか涙とかを共有した記憶って  ずっと  DNAに刷り込まれて 続いていくのかな?
[86]空の青海のあをさんからのコメント(2022年08月02日 10時15分05秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」


三浦初さんと北条泰時の結婚
もうすぐ?

だけどスグにこの2人は離婚しちゃうのよね。


でも初さんは三浦を滅ぼすのに北条の味方になって
滅びた三浦を初さんの子が継ぐんだよね?



ということは  初さんと泰時の離婚の原因は  北条ではないし  三浦でもない?
なんで離婚?

初さんと泰時は血族で又従兄妹だし、八重さんが面倒を見て 幼友達以上、兄妹みたいに育って 夫婦になって
これ以上の固い絆は無いと思うのに  なんで  離婚?




三浦初さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%83%A8%E7%A6%85%E5%B0%BC

建久5年(1194年)2月に13歳の泰時が元服した際、源頼朝の命により三浦義澄の孫から良い娘を選んで泰時と娶せる事が決められる。この8年後の建仁2年(1202年)8月23日、義澄の嫡男義村の娘(のちの矢部禅尼)が泰時に嫁ぎ、翌年長男の時氏が産まれるが、後に泰時と離別している。


その後、三浦氏佐原流の佐原盛連に再嫁して三子(蘆名光盛・加納(三浦)盛時・新宮時連)を産み、

夫・盛連の死後は三浦矢部郷に帰って出家し、法名禅阿、矢部禅尼と称した。

嘉禎3年(1237年)6月、幕府から矢部禅尼に和泉国吉井郷が与えられ、孫の時頼が三浦矢部郷まで下文を届ける使いをしている。


北条氏との対立によって三浦一族が滅亡した宝治元年(1247年)の宝治合戦では、

佐原氏の多くは三浦氏側について滅んだが、
矢部禅尼の子達は北条氏側として戦っていて、彼女が関わっていたと考えられる。

盛時は後に三浦姓を名乗って三浦家を再興している。


            分からない
               初さんの気持ちも盛時の気持ちも分からない



建長8年(1256年)4月10日、不食の所労により70歳で死去。時頼は祖母の死にあたり50日の喪に服している。
[87]空の青海のあをさんからのコメント(2022年08月08日 15時34分15秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」


登場人物の命運が分かっているだけに

仁田忠常を見て「あら、仁田さん、まだ生きてたの?」と安堵したり
義村の小ずるさに感心したり
善児が出てたから、え?比企能員、ここで殺される?まだ早いよね?と一瞬思ったり


畠山重忠  今回  髭生やしてたけど?   前回  既に 生やしてたっけ?  
中川大志はわたしの好みじゃないけど(イケメン!イケメン!)と思ってたから髭に気づかなかった?



三谷幸喜が
「次々と粛清されていく有力御家人役俳優陣にどうやって華を持たせて最期を迎えさせるか」
興味あるところです。



全成の最期
八田さんに殺されるシーン
すっごく印象深かったです
神回だったね。
あの日は台風が来てた?
今回の九字切りはみごとに成功!
初登場の時は失敗して(下手くそ〜)って視聴者はみんな笑ったのにね。


新納慎也、演じきった!って感じだった。

6年前の「真田丸」(2016年)の 豊臣秀次役の最期も凄かった。
この時にスゴイ俳優だなと思ったのを思い出した。


    
八田さん  あの人の立ち姿  本当に素敵  姿勢がいいよね? ステキなのは市原隼人だけど
    だけど  いつも汗臭そう  髪の毛いつも汗で濡れてる  
    お風呂  ちゃんと入ってる?  髪の毛  シャンプーとリンスしてる?笑
   

八田知家が出るたびに戦国最弱の城主・小田氏治は八田知家の子孫なのに、というのがちらつく 
400年の間に知家の血が薄まった? 



北条義時が比企能員を前に「鎌倉殿のもとで悪い根を断ち切る!」と非情になる決意をしてたけど  
次回から本心で「粛清已む無し」になるのかな?



北条義時の最期は  三谷幸喜はどう描くのかな?  
松本清張みたいな「悪は許さじ」系のどんでん返し?
    3番目の正妻の伊賀局に毒殺されるとか?
    山本千尋演じる「トウ」に暗殺されるとか?




「鎌倉殿の13人」の後半は集中できなくてツイツイ妄想に意識が飛んでしまう。

今回の大河後半は大掛かりな合戦シーンより「政治」や「粛清」というのが焦点で
登場人物の退場の仕方が見ものになってる観が強くて 

 
実衣さん演じる宮澤エマ、演技以上の滂沱の涙だったよね。

実衣さんは熟年離婚寸前の今時の日本の嫁みたいに全成とは心が通わなくなっていたけど
あの呪詛事件は自分の父親の時政のせいなのに、
全成が北条氏を売らず、最後まで自分の一族を守ってくれた、と
物スゴイ悔恨があったんだろうな、と。

自分の話を聞いてくれない夫に愛想を尽かしていたけど
全成は自分を愛して守ってくれていたんだと気づいたら、
自分だって処刑されてもおかしくないのに、
政子の元に庇護を求めて
生き延びた、
というところに  精神  狂う  よね?

    その後、実衣さんは実朝が暗殺された後に
    自分と全成との間の息子の時元が義時の手勢に殺されて

    わたしだったら生きてはいられないと思うけど  それでも  生きてるって?

    過酷過ぎ。

        こーゆー封建時代を経た日本人だから政治に関心が無いんだって思う 
    



頼家は呪詛の罪で叔父を処刑してしまって
    でも自分は死ななかった
    叔父は嵐を呼んで嵐に包まれて死を遂げた
    だから叔父は本気で自分に呪詛はしなかった!
と思うと  罪の意識から  自分で自分を呪うことになった?  それで倒れて寝込んだ?



平家滅亡後の東国のゴタゴタは見ててツラ過ぎる。

だけど「愛」については  なかなか  興味深い。
いろいろな男女の愛のカタチがあって
全成が実衣さんを思う気持ち、全成って本当に実衣さんを愛してたんだなと。
実衣さんは結城朝光にヨロめいていたけど。

    ダンナが構ってくれないからホストに狂う暇な主婦?
    笑
[88]空の青海のあをさんからのコメント(2022年08月15日 10時21分36秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」


ホント
イヤなハナシ。


現在の日本の立場を見てるようで  
    戦うのか  逃げるのか  座して敵のいいようにされるのか  
お前はどうするのか?

    ロシアと中国が日本を狙ってるもんね
    前門の虎、後門の狼
    オレ様達を忘れるなよ  と恫喝してるもんね


その答えは畠山重忠が言ってたよね。Show the Flag 一択。


今回は畠山重忠と和田義盛が喧嘩しなかったね。
畠山重忠は心が決まってるけど和田義盛は坂東武士同士が戦うなんてと和田義盛って  ホント  いい人。
三浦義村は相変わらず小ずるくて。 
北条泰時は前回へっぴり腰だったけど今回も若狭局(せつさん)を殺せなくて。
北条泰時は義時の若い時に似てるのかな?



    この雰囲気の役者は坂口健太郎にピッタリだな、と。



時政が比企能員に言った   坂東武士は勝つためなら何だってやるっていうのが  やっとココで出てきたか  でした。

    やっぱり平家とは違うんだな、と。西の人間の常識とは相容れないな、と。



ますます北条氏の闇に突き進むね。



だけど  比企能員が着物の下に鎧を着てたのが  笑った。比企能員がなかなか喰えない人物ってのが最後にも出てて良かった。

このシーンと和田義盛が良かった。


医者が佐々木秀義と同じ俳優ってのが  今回は孫役  ということで笑った。
[89]則岡流島崎氏さんからのコメント(2022年08月15日 13時04分19秒 ) パスワード

空の青海のあを 様

 「鎌倉殿の13人」を視て今さらですが、「畠山重忠」のファンとなりました。彼のことを知れば知るほど魅了されます。
 話しは逸れますが、「畠山重忠」のことを考えているとき、ふと太平洋戦争で活躍した戦闘機「零戦」と戦艦「大和」のことが思い出されました。彼らには「畠山重忠」と共通した日本人独特の美学を満たす要素を持っているように思います。それは「滅びの美学」、すなわち「美しく潔い、しかしもろい」という点です。
 ご存じのとおり「零戦」は、旋回能力や航続距離の長さで戦争当初は太平洋の主となっていました。しかし上記の条件を備えるため、ここまでやるかというほど徹底した軽量化を行いました。それゆえ防弾装備が不十分でエンジンも非力なものとなりました。ゆえに、後の航空戦の主流となる「一撃離脱戦法」に対応できず、主役の座から降りることとなりました。
 フィクションですが、ある漫画で「零戦」を設計した「堀越二郎」の言葉が印象に残っています。「零戦は危険極まりない航空機です。まさしく飛ぶ棺桶です。ですから私はせめて機体だけは美しくあらねばと思ったのです。」これと同様に、「大和」にもこの設計思想が込められていたように思います。
 この思想は、敵の攻撃から防御する必要がなくなった戦後のモノの開発にも受け継がれ、世界から高い評価を受けることとなりました。そして「美しく潔い、しかしもろい」モノに魅了される価値観は、現在でも多くの日本人の中に宿っているように思えます。
 先日、学校のレポートの取材も兼ねて「大和ミュージアム」「江田島旧海軍兵学校」を訪問しました。コロナ渦の平日にもかかわらず、若い方々を中心にとても賑わっていました。「畠山重忠」「零戦」「大和」が、今もって日本人を魅了しているのは以上のような背景があるのではないかと考えています。

則岡流島崎氏

[90]空の青海のあをさんからのコメント(2022年08月15日 17時59分07秒 ) パスワード

則岡流島崎さま


畠山重忠
本当に素晴らしい人物です。
三谷幸喜は畠山重忠の最期をどんな風に描くのか  悲しいけれど  楽しみです。


演ずる中川大志の本日の太刀裁き(立ち回り)も  まぁまぁ 若い俳優にしては、良かったです。
最後の比企方武士も  ちゃんと  斬れてました。
      ワン・テンポ、 ツー・テンポ  ちょっと遅かったかな  とは思いましたが。

      立ち回りの相手役の大部屋さんが
      (どこ?どこにいる?  え?そこ?その場所、ちょっとマズイなぁ、動けないよ)
      という感じで  中川大志  遅れた?  と思いました。
      撮り直してあげて欲しかったです。




戦艦大和については是非  菅田将暉主演の [アルキメデスの大戦]をご覧ください。
たぶんネットでも見られると思います。
 
ご参考までに: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%A4%A7%E6%88%A6#%E5%AE%9F%E5%86%99%E6%98%A0%E7%94%BB



ゼロ戦については
ロス時代に知り合った名古屋出身の女性の父上がゼロ戦に関わってました。
確か岡山出身で、8高から東大に行った、と聞いた記憶です。

     彼女が「自分は旭丘高校出身」だと言ったので驚きました
     旭丘は名古屋で1番の県立高校ですから
   
     いろいろ合点がいきました

彼女の娘さんはアメリカに連れて来られて、英語が出来ないから、教師から特別に教育されて
プリンストンに行って 
そこから東大の博士課程に国費留学した  
と聞いた記憶です。

     娘さんの経歴は、さすが祖父が東大出身、母親が旭丘出身と分かるような  超 優秀な学歴の数々で
     現在のお勤め先も素晴らしい大学です。
     その大学は別の友人で父親が東大を出た人が「東大より凄いレベル」と称賛してた大学です
         因みに、その大学はわたしの伯父がフルブライトで留学した後に、教えていた大学です

     
旭丘出身の女性と知り合うことになった経緯は

      1990年代の初めに私の夫の甥がUCLAの学生で
      アファーマティブアクション(合法的逆差別)で、
      希望する教授の授業が受けさせて貰えないから
      彼女に相談して、
      夫の甥は京大に国費留学しました。


夫の甥が日本へ行ってから数年後、
ひょんなコトから彼女と知り合って、

      甥っ子と彼女と私を繋ぐ人物は  北条義時の孫35代目さんです(笑)
      その人物の家は尾張藩のご重臣でした



彼女と夫の甥が知り合いだったと知って
わたしも彼女から大変な有益な情報を教えて貰いました。(アメリカでの働き方のコツですが)


         
        賢い人と知り合う   という楽しみを知りました。



ゼロ戦は日本で1回  アメリカで(個人の所有のゼロ戦を)1回  見ました。

すっごく小さな戦闘機で、華奢で
1960年代の日本車が「ビール缶で出来ている」とアメリカ人から揶揄されてた
そういうタトエがピッタリでした。


    だから逆に日本車は衝突事故に遭っても車体がダメージを吸収してくれるから
    人体への衝撃が小さくて済む
    と、頑丈な作りのボルボとの違いを聞いた記憶です。



アメリカの軍用機はどんどん図体が大きく開発されていったのに比べて
ゼロ戦は、と悲しく思います。


去年の夏、アフガニスタンからの撤退後、真珠湾の隣のヒッカム空軍基地に来た?
もの凄く巨大な軍用機が F22 ラプター に左右を挟まれて   飛んで来るのを見ました。

      「威風堂々」  という四字熟語は  コレか!  と思いました。

       F22 ラプター2機は  まるで  鯨に付き添う鰯2尾  って感じでした。


映画「キングダム」の王騎将軍(大沢たかお)と、左右に付き従う痩せっぽちの要潤2人
そんなシーンを連想しました。



是非「アルキメデスの大戦」はご覧になってください。
[91]則岡流島崎氏さんからのコメント(2022年08月16日 23時29分32秒 ) パスワード

空の青海のあを 様

 情報提供ありがとうございます。
 実は「アルキメデスの大戦」は大好きな漫画です。とかく情緒的になりがちなこれまでの戦記モノでは見られない、「数学は国を救う」という主人公「櫂直」の信念に、新鮮な感覚をもって共感しています。先の投稿で「零戦」について触れた「ある漫画」も「アルキメデスの大戦」のことです。
 もし「櫂直」のような軍人が実在したら、現在の日本はどうなっているのだろう?と考えさせられます。

則岡流島崎氏
[92]空の青海のあをさんからのコメント(2022年08月22日 10時52分31秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

整理出来ない悲しみで一杯です。日本の歴史ですからね。


先日日本の伯母へ「梶原景時斬奸状におじじ様の署名があるのに気が付いた?」と手紙を送りました。

   石田三成もそうだけど
   主人に誠心誠意尽くして同僚から嫌われて結局は一族皆がハブられる
   そういう人っている

   わたしの回りにそういう人 いた?  いたとして自分はそういう人へどう接して来た?

と「鎌倉殿の13人」を見ていると   <わたしだったら  どうした?>  と自分に訊いてしまいます。



今回は「善児」が良かった。
人間の心を取り戻した姿に泣けました。
あれ、一幡のためのブランコの椅子だったのね、善児が作ってたの。
善児が綱を切ったシーンは義時が「トウ」に一幡を溺死させたって比喩?



仁田さんが自決したのは三谷幸喜のせめてもの視聴者へのサービス?
視聴者は仁田さんが御家人達からメッタ刺しにされるシーンなんて見たくないから。


北条泰時は若い時の優柔不断の北条義時のイメージで描いているのかな?



権力闘争
巻き込まれたくないけど
巻き込まれないのも大変なのよね。
[93]空の青海のあをさんからのコメント(2022年08月29日 10時50分35秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」第33回  修善寺



もう吐き気。

「合議制」ってみんなで話し合って  じゃなくて  
みんなでコロシアイ  殺される前に殺しちゃえ   を話し合う場  か。


時房が兄・義時にグチャグチャ泰時のハナシをして
義時が「あれは=泰時は=かつてのワタシなんだ」と言ったシーン


     兄(義時)と弟(時房)
     父(義時)と子(泰時)


          こーゆーのは  男じゃないから  イマイチ  分からない


             将来  時房(叔父) vs  泰時(甥)  の関係
     
                  こーゆーのも分からない


                       三谷幸喜はシェークスピア風に描くのかな?
                            あ、ギリシャ風かもね



「トウ」が善児を  父の仇・母の仇  と機会を伺ってた裏に
義時から「トウ」に   善児を殺せ  という指示があったんだろうな
と思った。

    お兄さん(宗時)の翡翠のお守りを見てるから。



金子大地
すごかった
流石!

「しもべえ」で初めて見て知って「頼家」役には期待してなかったけど
    第33回は凄かった。
    立ち回りもすっごく上手くて驚いた。

    運動神経  中川大志より  ずっと優れてた。



だけど頼家が後鳥羽上皇に院宣をお願いしようとしてた?ハナシは知らなかった。


    頼家がアワビの干したのが好きって設定
    わたしはホタテの干したので間に合わせてます。



頼家が一幡の菩提を弔ってるのを善児が知って  善児は心が揺らいだんだろうね
その一瞬の心の隙で頼家を仕留められなかったんだろうな、と。



それにしても三谷幸喜
演出が細かい

泰時が猿楽にアヤシイ人物がいるのを見抜いたシーン
凄かった。



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録画しておいたいくつかの番組をFFでザっと流して見たので  どの番組のどのシーンか忘れたけれど


「八鳥」という  ハットリさんが出てて
今は絶滅危惧姓で300人ほどだそうです。

https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E5%85%AB%E9%B3%A5

服部と同様ともいう。
現三重県である伊勢服部氏の子孫。  伊勢服部氏なら  ワタシと繋がる?
古代の服織を職掌した部民や居住地。
近年、三重県四日市市に多数みられる。    四日市なら大都市だからね。


生息地は三重県・愛知県・静岡県浜松市中区・宮崎県・新潟県・東京あたりに出没。


これでへぇ〜っと驚いてたら  次に見たのが  海外用の番組の「伊賀」の紹介。



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忍者の先祖伝説で藤原千方がらみ。

      藤原秀郷  ー  藤原千常(松島家家譜に出てた記憶) ー 藤原千方(孫)
     


https://igakanko.net/?p=259
一部コピペ

千方窟は、木津川支流の前深瀬川を10qほど上がったところの山奥にある岩城で、
地元では千方将軍と呼ばれる藤原千方の伝説があります。


藤原千方伝説地は、昭和45年8月10日に市の指定史跡に指定されました。


「太平記」によると、平安時代に伊勢と伊賀との国境でとても大きな勢力をもっていた豪族・藤原千方が四鬼(金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼)を従えて、朝廷に反乱を起こした際にこの岩城に立てこもり朝廷軍と激しい攻防戦をくりひろげたとされる地です。
                 
別名【四つ鬼の窟】とも呼ばれています。
並み外れた能力を持つ四鬼と、四鬼を自由に扱えた千方将軍の討伐に派遣された右大将・紀朝雄(きのともお)が

        《草も木も 我が大君の国なれば いづくか鬼の 棲なるべし》

             草も木も、この世に生を享けるものはすべて天皇の治に従う。
             鬼といえども、天皇に背いてこの国に住むことはできない

という和歌を送った。

この歌により、鬼たちは、天皇に背く身であることを恥じ、ここが己の住むべき国ではないと悟り、本物の鬼になって奈落の底に堕ちていった。
その穴の跡は今も4つ残っており4つとも風が吹き抜け、どこかでつながっているそうです。


千方将軍もその後、紀朝雄に首を落とされ絶命したといいます。

この時の将軍の首は川の流れに乗って流れて行くと思われましたが、「千方ともあろう者が、流れるままにはなりはしない」と、突然流れを遡って川上の若宮八幡宮近くで止まったことから、若宮八幡宮に将軍が祀られる事になったといいます。

なお、この地方では節分に「鬼は外」とは言いません。
鬼は、人と神との橋渡しをする種族であると考えられていたためです。


また、四鬼と千方将軍の並外れた神通力は、まさしく忍者のはしりだったとされ、千方窟は忍者発祥の地とも言われています。


四鬼【よんき】とは、人並み外れた修行を重ねた剛勇の持ち主を指し、並外れた能力をもち忍術を使ったと考えられ、伊賀忍者の始まりとも云われています。


以下の詳細はURLへ


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https://igakanko.net/?p=182
忍者にまつわるスポット


今日見た番組で百地砦も紹介されてました。



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おまけ
https://igakanko.net/?p=81
忍者のふるさと
[94]空の青海のあをさんからのコメント(2022年09月05日 18時24分25秒 ) パスワード

本日の「鎌倉殿の13人」。

おんな  と  おとこ。

   オトコってちょろい!

   日本の男って、女の手のひらの上で転がされてる」とか表現されるけど
   なるほど!
   と思いました。

         三谷幸喜の人間観察、ホントに素晴らしい。



いよいよ畠山重忠が?
いやだぁ〜



三浦義村。
世渡り指南。

義時が言ってましたね
義村は・・・
って。


実朝に   女との別れ方指南なんて  まだ  早いのに。



女の品定めに八田知家にお願いするなんて
八田知家なんて義時より女を見る目が無いタイプなのに
まだ三浦義村の方が女を見る目があるかな?


今回はハッキリ「鶴丸」が分かった  と思う。
タメ口きいてて  驚いた
でも八重さんの言いつけだから  こうなった?  と思った。



今回は八田知家と和田義盛が  ばか  っぽくて笑った。
でも  わたしは  こういう感じは好き。
       転がし易いから?笑


でも和田義盛と巴御前  本当に良い夫婦だと思う。
最期がどう描かれるのか   今から悲しい。


       三谷幸喜って  視聴者を笑顔にさせてからドーンと落とすからね。
[95]空の青海のあをさんからのコメント(2022年09月12日 10時09分14秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」


最後の1分
「もうイヤ!もうイヤ!もうイヤ!」
と泣いた。



義時も分かってたんだね
自分が戦うべき相手。
重忠に言われなくても。



日本中の重忠ファン
中川大志ファンが大泣きだよね。




それにしても義村!
さすが女を見る目がある。
やっぱりね。


    「飯粒つけながら裁縫する女がいるか」


日本のオトコが義村のような「目」と「耳」を持ってたら日本の嫁は泣かずに済むのに。
ま、ムリだね
日本のオトコは「お人好しのロバのアメリカのオトコ以下」だから。



義時
オトコを見る目はあるんだね。


義時
時房に「最後のヒトコトは余計だ」と。
ホント良い人なんだけどね
女を見る目  聞く耳は  また  違うんだろうね。


         わたしもオトコに甘いしね
         特に  若いオトコには。



重忠の実像って知らないんだけど
義村が「あいつは優男だが  やる時はやる」と言ってたように
優男だった?


    心優しい  というのは  想像は出来るけど
    中川大志みたいなイケメンだった?


    それにしても重忠の息子の重保(杉田雷麟)もイケメンだったね。
    キリッとした若武者。

        実朝役の方が良かったのに

        柿澤勇人が実朝なんて   34歳のオッサンじゃん   初々しさは出てたけど
        手とかの  老い(笑)  のオッサン臭は隠せてなかったよ


               中川大志の方がずっと若いじゃん(24になったばかり)




それにしても実衣さんは  広元と政子の仲    に気づいてたね。

ま、政子にすれば頼朝亡き後  頼りたいだろうし
広元も奥さんを亡くしてるし

敏感に分かるよね。
[96]空の青海のあをさんからのコメント(2022年09月19日 10時01分06秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

昨日テレビを点けたら 「鎌倉殿の13人」の再放送をやってて
義時が   起請文を持って鎌倉へ来い  と言い
重忠が   で、討つ  ってことか   と返すシーンで
もう泣けて泣けて「もう、イヤ!」とテレビを切った。


今朝テレビを点けたら「鎌倉殿の13人」のサブタイトルが「武士の鑑」で
これが目に入って号泣した。



稲毛重成と畠山重忠は従兄弟なんだよね
稲毛重成は畠山重忠に劣等感がいろいろあったんだろうね。

恐ろしい。
[98]空の青海のあをさんからのコメント(2022年09月26日 14時35分44秒 ) パスワード

書き直し


「鎌倉殿の13人」


今日はフラグがいっぱい立ってたね。
42年後の1247年に起きた三浦一族が滅亡した宝治合戦も見えてたね。



三浦義村
やっぱり三浦義村は小ズルい。
計算・計算・計算。
どう立ち回るか、その計算で勘ピューターを叩きまくってた。



      わたしは削除したレス<97>に「時政がウソを言ったから」義村は義時側に密告したと書いたけど

      確かに時政は義村にウソを言ったけど
      義村だって時政の甘言に色気を出してたじゃないね

         善哉が元服して鎌倉殿になれば義村は自分が執権?と計算


      ま、小ズルくて女好きの義村だけど  女の正体をちゃんと見てる。
      自分が時政に操られそうになってるけど時政は「りくさん」に操られているのを見抜いてる。

      実朝を退位させたら結局は自分が時政に殺されるんだろうとも分かってる。
     



今日の出だしのヤモメ男の大江さんと後家の政子さんの雰囲気   💛  だったね。



今日の回で
畠山重忠の妻のちえさんは所領を重忠の生前に譲られてたから
尼御台が安堵状を渡そうとしても
    (姉さんから貰わなくっても夫から生前贈与されてますから  キリッ)
     でしたね。

重忠は謀反人じゃないって、ちえさんに、ちゃんと政子と義時は言ってあげてたら良かったのに。



結局この所領を持参して再婚したのが足利義兼の子の義純で
この義純との間に生まれたのが  畠山泰国  ということか。

     この子孫が北朝方になり東軍方になり
 

         つまり昨日の相婿は今日の敵
         つまりワタシの敵じゃん!
[99]空の青海のあをさんからのコメント(2022年10月03日 10時28分07秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

来週はお休みなんですってね。



八田さん
おんなの本性はからっきし読めないのに
相変わらずステキ!


開始4分ぐらい?
時政の名越の屋敷を取り囲んでる時
泰時から義時へ時政の命乞いのシーンで

八田さんが

「いい加減、分かってやれ。このお人は謀反の咎で何人も御家人を殺してきたんだ。
親だからって許したらどうなる?御家人すべてを敵に回すことになるんだよ」



これだけ読めるのに  なんで  おんなの本性は見抜けない?
ま、そこが  八田知家はいいオトコ  ってことなんだけど。



自害しようとした時政を止めた時も「息子でなくて悪かったな」と言ったシーンも
さすが!
八田どのらしいセリフ。


セリフが1つ1つ  短いのに適切。
いいオトコだ。

汗臭さも坂東武者らしくて   こんな感じだったんだろうな  と思う。
和田義盛も坂東武者らしいけど。




和田さん役の横田栄司
前回あたりから痩せてたね。
もう既に体調が悪かったんだろうね。

声が前回も   演技してなかったね  本来の声なのかな?  
若々しくて高くてわたしは好きだけど  これまでの坂東武者風には聞こえなくなってる。

          都会的って言うか
          垢抜けた喋りになってて  あれ?  と思ってた。



ムカシ、うちの学校の宗教劇でユダ役をやった学生が自殺したんだけど
ひょっとすると横田さん  和田義盛役になりきって  本物の和田義盛に持って行かれちゃったのかな?
と連想した。




「りくさん」の「てっぺん、取りたかった」のセリフで
あれ?
「承久の変」のフラグ  立った?
と思った。

京都に戻って娘婿が殺されたのを知って  後鳥羽上皇を焚きつける?




それにしても三谷幸喜   おんなの本性  よく分かってる
この人  いつも  女子会に入り込んでる?  と思った。
女子会トーク
しっかり描いてるよね。





鎌倉時代は日本と日本人の基礎を作った時代だから
もうちょっと後の時代に出て来る「談合」

      公共事業に於ける談合は江戸時代からだそうだけど
      そもそも「談合」は  室町時代からだっけ?


良くも悪くも  今年の大河「鎌倉殿の13人」の世界が   今の日本なんだな
と思う。



実朝が「武衛じゃないよ  羽林だよ」と言ったシーン。
うちの母方おじじ様が後鳥羽上皇方に付いた心境が分かった気がした。
[102]空の青海のあをさんからのコメント(2022年10月17日 10時38分59秒 ) パスワード

またもや書き直し
名前が同じ過ぎて間違えちゃうよ


「鎌倉殿の13人」

ビックリ!
あの鶴丸が平盛綱なのか。


     恐怖政治をやった平頼綱の祖父になるのか。
        うちの先祖も材木座の屋敷から平頼綱成敗に参加してるのに
        鶴丸が頼綱の祖父というのは全く想像もしてなかった。


             鶴丸って誰?
             とずっと思ってた。
             誰に化けるの?
             と。



平頼綱や長崎円喜が平資盛の子孫を仮冒してるとか悪口を言われるその背景が
今日の義時のセリフでちらっと語られてたから
ああ、なるほど
ガッテン!ガッテン!ガッテン!



それより実朝がBLとは思ってもいなかったけど
片思いの相手が  従兄の泰時  というのは  これまたビックリ!


泰時が鶴丸と抱き合って喜び合ったシーンを実朝が見て   ああ、オトコの友情が羨ましいんだね
と思ったけど   羨望じゃなくて  嫉妬だったんだね。


        オトコの嫉妬もコワイわぁ〜

             ↓  こっちに行くわけか

義時が実朝に「鶴丸を御家人にして欲しい」と願い出たのを
実朝が逆上して
    陪臣(まだ御内人とは言わない?家の子って言うのか?)を御家人には出来ない!
    北条は鎌倉の政治を欲しいままにしている!
と逆襲したのか。



この御家人になれなかった思いというのが  鶴丸→盛時→頼綱に伝わって  頼綱の恐怖政治に発展するわけか。



あの時、鶴丸を御家人にしてあげてたら 鎌倉騒擾や後の鎌倉幕府の崩壊にはいかなかったのかもね。

歴史とはこんなものなのかな?



それにしてもオトコの嫉妬とは
国を滅ぼしちゃうのか。



女好きは頼朝の血
なぁ〜んて頼家は褒められてたのに
弟の方は  色好み  の遺伝子は兄ちゃんに全部持って行かれて  1つも残ってなかったのか。

おんな好きもBLも   どっちも  身を亡ぼすのは同じか。
身どころか国が吹き飛ぶんだからね。
[103]空の青海のあをさんからのコメント(2022年10月24日 11時02分08秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」罠と罠



これが「政治」ってのだね。
「組織」。
今  放送してるのは  組織を生み出す時の苦しみの最中 ってトコ  か。
外科的治療、というか。
だから血を大量に流すのは当たり前。


泉親衡について得体の知れなさを「西」の陰謀だろうとの説。
なるほど。

    「西」にあるのは権威だけで力は無いもんね
       だったら  どうする?
       陰謀を使う、ってのだね。陰謀で言葉が悪けりゃ「アタマ」を使う。


そこにお人好しの和田義盛の甥やその従兄弟(和田義盛の子供達)が引っ掛かったってわけか。They fell for it!
そりゃ  和田一派がバカだわ。



「鎌倉殿の13人」同様
反吐が出そうで   ロシアのウクライナ侵攻のニュースは見たくも聞きたくも無い。
旧日本帝国もロシアと変わらぬことをやってたんだって突き付けられるから。


    幕末の日本が英・仏・ロシア帝国・米・蘭の餌食にならなくて本当にラッキーだった

    だけど日本は後に自分たちが「しゃしゃり出て行った」んだもんね

    その日本への報いを  沖縄・広島・長崎  が代表で受けたってわけ   



「鎌倉殿の13人」の場合は  代表が  上総広常・梶原景時・比企義員・畠山重忠  
で  今  和田義盛  ココ。



実朝は心が張り裂けそうだったんだろうなと思う。

    大海の   磯もとどろに寄する浪   割れて砕けて   裂けて散るかも


この歌を思い出した。
大きな声で叫びたかったんだろうな、と。


    初めてこの和歌を知ったのは10歳ぐらいだったかな?
    岸壁に打ち付ける  大潮で嵐で波が高くて  という情景しか想像できなかった
    実朝の心の中には思い至らなかった。




17歳の実朝が天然痘に罹った話。

    春霞   龍田の山の桜花   おぼつかなきを知る人のなさ

先週に引き続き本日の回でもアバタがひどかったのを見て  やっと  この歌の意味が分かったように思う。



17歳じゃねぇ
中学生や高校生だってニキビ面を気にしてるだろうし。

     当時の鎌倉じゃ「洗顔男子」とか「美容男子」なんてやってないだろうし
     京都の貴族やお公家さんチの若者だったら化粧品をいっぱい持ってたろうけど


それが天然痘によるアバタじゃ  穴ぼこだらけの顔は一生治らないし   人に見られたくないよね?
特に大好きな従兄の泰時には見られたくないよね


     天然痘にボロボロにされた己の醜い顔を見せたくない見られたくない
     それでも大好きな従兄の泰時には会いたい
     泰時と笑い合ったり肩を抱き合ったりしたい

          なんで  その相手がオレじゃなくて鶴丸なんだ?
          あんな下品なヤツとなんで泰時は楽し気に笑い合うんだ(怒)


     相聞歌を送ったのに返歌が無いなんて   返歌が欲しいってちゃんと伝えたのに
     その上に拒否られて



傷つき易い17歳の男の子が
唯一の理解者である和田義盛を次回失うのかな?

大海の磯もとどろに寄する浪   割れて砕けて裂けて散るかも

この心境
わたしも泣きそうだ。
[104]空の青海のあをさんからのコメント(2022年10月24日 16時06分55秒 ) パスワード

平盛綱


鶴丸は先週、義時から「諱をつけてやろう」いうことで「盛綱」を称するようになり
「氏も要るな。平だ。鎌倉に平家ゆかりの者がいるのも平和な証だ」


ということで今日  ハタ!  と思い至った。



平資盛の子孫という話はどうかは分からないけど


八重さんの父上は伊東祐親で平家方だったから鶴丸の親が平家方だったのは有り得る。



山木兼隆は 平信兼の子だし  平資盛は伊勢で謹慎させられていた時 平信兼に預けられていたし 
この線からしても鶴丸が平家系らしい + 資盛と接点があるかも  という線は有り得る。



ということで先週の義時の「諱は盛綱。氏は平」というのは  有り得るワケか  と納得。



いろいろ考えてしまう。
[105]空の青海のあをさんからのコメント(2022年10月31日 10時13分31秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」
義盛、お前に罪はない


もうずっと泣きっぱなし。


八田さん 出てて  嬉しかった。
坂口健太郎の右笑窪が可愛かった。片笑窪何だね初めて気が付いた。
平六はあいかわらず小ずるくて  そこが演出的に  平六らしくて   満足。
大江と政子はやっぱり出来てるね。
朝時は母親が比企の娘だった記憶だけど  祖父ちゃんの比企義員の血  なのかなと。
BGM  義盛の最期にはピッタリの葬送曲だなと。
横田さんの声がまだ初めの頃の声でお元気だった時の収録だったんだろうな、と。



古今東西  こんなもんだよね
ロシアの中も中国の中も   プーチンや習近平からの弾圧に必死の抵抗をしてる人達が  かなり いるんだろうけど 
体制側は芽を摘むために力をますます加えて弾圧してるんだろうな、と。


実朝は 「西」の御方の力で義時を牽制しようとしたのか。
実朝が自分に力が無いと分かると後鳥羽上皇にすがるという手に義時は仰天したのか。
頼朝や頼家より手ごわい敵に育ててしまって目論見違いに  ウソだろ  だったのかな?




朝時も辛かったんだね。
名越って、ありゃ、何だ?と思ってたけど  なるほど。
[106]空の青海のあをさんからのコメント(2022年11月04日 00時00分56秒 ) パスワード

全文はURLへ

https://news.yahoo.co.jp/articles/4193fae1a73e6d31464ad9a93bfc12823e4d2cb1

愛知・一宮に小栗旬さん、坂口健太郎さん登場
11/3(木)
by 川瀬慎一朗氏


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で北条義時役を務める小栗旬さんと、息子・泰時役の坂口健太郎さんが3日、今後のドラマで描かれる「承久の乱」(1221年)ゆかりの地である愛知県一宮市で開かれたトークイベントに出演した。

 承久の乱は鎌倉幕府を開いた源頼朝ら源氏将軍3代が没した後、朝廷の権威を回復しようとした後鳥羽上皇が幕府の第2代執権だった義時を討つために挙兵した内乱。鎌倉幕府の正史「吾妻鏡(あずまかがみ)」には、幕府軍が尾張国一宮・真清田神社(一宮市)の周辺に陣地を置き、軍議を開いたとの記述があり、泰時が参加していたとされる。

2人は2日には真清田神社を訪れており、小栗さんは「承久の乱の成功を祈願してきた」と明かした。 承久の乱では、両軍が愛知、岐阜両県の間を流れる木曽川を挟んで戦い、幕府軍が圧勝。朝廷は権威を失い、北条氏が主導権を握る執権政治が本格化した。2日に愛知県江南市の複合タワー「すいとぴあ江南」に上り、承久の乱の戦場となった木曽川を眺めたという坂口さんは「良い景色だった。ここに陣を実際に張っていたんだと教えてもらい、泰時も昔ここにいたと知れて良かった」と振り返った。



コメントのコピペ


中世の木曽川は、犬山を過ぎると広島の太田川のように網流となり、南東は今の日光川(=2級河川)、北西は今の境川〜長良川に合流するまで氾濫原でした。真清田神社のある一宮村は木曽川の作った小高い自然堤防に位置し、大河川を挟んで西国朝廷側と対峙するのにはうってつけだったのでしょう。

ちなみに承久の乱から350年余りあとの大洪水で、木曽川本流は今のルートとなり、尾張国は今の一宮市と羽島市に分断されます。
そしてしばらくして、徳川家康率いる東軍が現在の東海道線に沿うように進軍していきます。道中、石刀神社界隈を荒らしてしまったらしく、家康は合戦終結後に石刀神社に幕府の三つ葉葵(尾張徳川家より強い)と犬山の山車5輌(うち2輌戦災焼失)を授けました。

そんなこんなで今年の大河主演トークショーがまさかまさかの尾張でしたが来年も尾張か美濃でないかなあと淡い期待を寄せています。
[107]空の青海のあをさんからのコメント(2022年11月07日 11時23分22秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

なんとも・・・

こうして今の日本が出来上がっていき、日本人のメンタルが成立していくのかと思うと
わたし自身の心も複雑過ぎて  言葉が無い。



母方「おじじさま」は後鳥羽上皇の親衛隊(西面武士)になっていた息子達と共に京方で
「おじじさま」の正妻の生んだ子は北条の血を引くから鎌倉方で
この分裂だけでも私の心は引き裂かれる。



後鳥羽は味方になれば名誉と身分を与える
義時は勝ったら新たに土地を与える

この「計算」。
お前はどっちの「恩賞」が欲しいか?
よぉ〜く考えよう!


母方は結局  
父の分と兄たち2人の分+α(一族の土地も)失ったわけで
そこから失地回復に頑張ることになり
大変だった。



「承久の変」で日本人は  って当時の人口の750万人全員ってワケじゃないけど
目からウロコの経験をしたんだなと   感慨深い。



それにしても、あの船が浜で朽ち果てるのは時房と「トウ」の仕業だった?
いい推理!
非常に合理的で  ガッテン!ガッテン!ガッテン!



義時
すごい政治家に化けたんだね
驚いた。



わたしには1つどうしても悔いがあるのは
泰時役は高杉真宙にやって欲しかった。

でも坂口健太郎の右笑窪が可愛いから  ま  満足です。



それにしても三谷幸喜
オトコに脱がせるの
好きだねぇ。

八田さんがいつも胸をはだけてて笑っちゃうんだけど(郷ひろみの「ジャケット返し?)
今日は久し振りに山本耕史も脱いでた。


ホント三谷幸喜の人間像
素晴らしい!
のヒトコト。



鎌倉彫が陳和卿ゆかりというのは100%知らなかった。
[108]空の青海のあをさんからのコメント(2022年11月14日 11時29分40秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

Women are quite scary.  Don't you know it's called mounting?
女同士はコワいね。    マウンティングって言うらしいよ。


政子さん、今回はうまくやったね。前回は丹後局(鈴木京香)にしっかり苛められてたけど。

    「何なの?もう御台所に収まった気?」
     って感じに 大姫と政子はボロクソにやられてたけど。




なるほどねぇ
それで源仲章が殺されたのか。
わたしは貰い事故だったとばかり思ってた。



権謀術数
すごい世界だね。

向こうの手に載せられないよう薄氷を踏む思いだったんだね。




寛一郎
佐藤浩市に比べて顔の線が細いというか華奢というか声も強さが無いし。
でも目がパパにソックリだね。

His bright eyes look just like his father's.  
その澄んだ瞳がお父さんのにそっくりだ。

若いせいかパパの目よりももっとキラキラしてて少女漫画に描かれるような★が瞬いてる目をしてるんだね。
驚いた




大江さん
やっとコクッたね

目が見えないから言えたんだね。



政子の頬に(まんざらでもない色)が出てたよね。
ふっふっふっふっ
政子も大江さんが好きだね。頼りになる頭脳派だから。




義時の死因って「のえさん」から毒を盛られた説の一端がちょっと見えた感じだったけど
「のえさん」と源仲章って出来てた?
遠江の生まれだって言ってたね。



来週いよいよ実朝暗殺事件だね。
[109]空の青海のあをさんからのコメント(2022年11月21日 11時44分06秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」

凄かった。



実朝
どーしょーもない甘ちゃん。



義村
ちゃんと計算してるね。
さすが小ずるいオトコ
健在。



義時
やっぱり  オンナを見る目は相変わらず育ってないね。
こーゆーオトコ
いるよね。


時房
いい弟!
アタマは良くないのかも知れないけど
仕事はキッチリやるタイプ   
かな?


         わたしも  こんな感じの労働者だったな   と思う。



大江殿
まさか彼から「源仲章をやりましょう」
と出るとは思わなかった。



十神像?
十二神像になっていった?
東アジア的には10より12の方が安定してるものね。



面白かった。
義時、よく処理した。
[110]空の青海のあをさんからのコメント(2022年11月28日 11時01分03秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」


容疑者いっぱい!


三谷幸喜は義時の最期を一体どんなハナシにするんでしょ。

今日の感じでは泰時も容疑者に認定してしまいました。
政子だって容疑者疑惑が無きにしもあらず。
従弟の三浦義村だって内心悔しがっているだろうし。



「のえ」さんか「トウ」かと思ってた時が単細胞過ぎたな。
[111]空の青海のあをさんからのコメント(2022年12月05日 15時32分14秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」


政治の世界の回でしたね。
権謀術数。
まさにゲーム感覚でしたね。
腹の探り合い。
   



    鎌倉内の政治の世界  vs  京都での後鳥羽上皇の政治の世界


兼子が時房に「勝ちは後鳥羽上皇に譲れ」と言ったシーン
気の毒でした
武士は「犬」でしかない悔しさ

後白河 → 後鳥羽上皇 → 後醍醐天皇へとエンエンと続いていくんだなと
わたしの方が悔しかった。

    とはいえ我が家は勤王だからなぁ。




とうとう後鳥羽側の大将軍の藤原秀康が出て来ましたね。

この人も結局は最終的には後鳥羽に裏切られるわけで気の毒な最期です。

この人自身、政治力で鎌倉に負けてた
    三浦義村を味方につけられなかった。弟の三浦胤義は後鳥羽方になったけど
    大江さんの息子も後鳥羽方だったよね

この藤原秀康は和田義盛の一族だという説もあって
武士の世界は公家の世界同様  世間が狭すぎて  親戚関係すぎて  みんな回りまわって親戚で
ワケ分からなくなる。


結局 藤原秀康は 後鳥羽に裏切られて  乱の責任者として滅んで行く。
後白河といい  後鳥羽といい   自分が不利になると院宣を出して  スグに裏切る。



三谷幸喜はすごいと思う。

この時代を大河でやっちゃうんだもの。
フツーの大河だったら壇ノ浦と義経で終了させて 
義経君は日本人の大好きな英雄だよね  
で泣かせて  スッキリ 終わりなのに。

だからダメなんだよね
  日本人の政治感覚が育たずに来てしまった。


「鎌倉殿の13人」で日本人の意識にちょっとは変化が起きたかな?
[112]空の青海のあをさんからのコメント(2022年12月12日 18時06分47秒 ) パスワード

「承久の乱」に突入ですね。


さすが三谷幸喜。

政子の演説
「頼朝さまのご恩は山よりも高く  海よりも深い」
って美辞麗句を止めさせてましたね。

本音で語る政子の演説に御家人達は心を打たれた
って設定でしたね。



三谷幸喜
本当にスゴイ!




うちのおじじ様は「権威」には逆らえなかったって事かな?
息子達が西面武士だったしね。



坂口健太郎
ホントに笑窪が可愛いね。
ちょっとふっくらして  笑窪のカタチが   ちょっと   変わってたね。
[113]空の青海のあをさんからのコメント(2022年12月20日 01時18分23秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」


泣いた。
宇治川の戦いの時には涙腺崩壊だった。
[114]空の青海のあをさんからのコメント(2022年12月20日 10時22分09秒 ) パスワード

「鎌倉殿の13人」とは爺さん達のことじゃなかったのでしたか。




梶原殿
全成殿
比企殿
仁田殿
頼家様
畠山の重忠
稲毛殿
平賀殿・・・・・・・・誰?・・・・・・・りくの娘婿か・・・忘れてた
和田殿
仲章殿
実朝様
公暁殿
時元殿



義時がすごい「政治家だった」というのは理解した。
新しい世を作るのには外科手術=血をたくさん流さないといけない=が必要ってのでした。


後鳥羽を赦したら後白河の二の舞になって院宣で自分達が粛清されるんだものね。
日本の聖域を成敗した画期的人物だったんだね。
マッカーサーでも触れなかった領域に踏み込んだ人物だったってことか。
驚いた。



西国の武士は3000箇所もぎ取られて
東国勢が進出したってコトだったのか。
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