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 投稿番号:101772 投稿日:2021年09月16日 13時00分48秒  パスワード
 お名前:空の青海のあを
『倭国 古代国家への道』古代日本統合の過程

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87113
『倭国 古代国家への道』
倭王はいつ、いかにして統治者としての専制的性格を獲得したか
古代日本統合の過程を探る
by 古市 晃教授


「万世一系」の天皇を頂くとされる「日本」の起源はどこに求めるべきなのか————。

複数の王統が大王位を目指し競合していた時代が終わり、
唯一の系統が大王の地位を独占するに至るプロセスを、
これまであまり注目されていなかった史料から読み解いた現代新書の最新刊『倭国 古代国家への道』の紹介サイト。

[1]空の青海のあをさんからのコメント(2021年09月16日 13時07分18秒 ) パスワード

ここ、面白かった:以下コピペ


同じ倭王でも、仁徳系と允恭系の倭王との間には、血縁関係が存在しなかった可能性が高い。
5世紀の段階では、倭王を出すことができる王統は、複数存在していたのである。


記紀に戻るならば、
結局、允恭の王統は雄略の子、清寧(せいねい)の代で、少なくとも男系としては断絶する。その後、
復活した仁徳の王統も、男系では直後の武烈(ぶれつ)天皇の代で途絶えてしまう。


記紀の歴代天皇の系譜は初代神武以来一度も途絶えることのない血縁関係によって結ばれていることが強調されるが
(いわゆる万世一系)

同じ記紀に記された伝承を丁寧に読み込み、外国の史書と比較することで、

5世紀の倭王の地位がそれほど安定したものではなく、
むしろ不安定で流動的だったことが判明するのである。
[2]空の青海のあをさんからのコメント(2021年09月16日 13時09分37秒 ) パスワード

5世紀の段階では、
倭王を出す王族とは拠点と系統を異にする王族たち——本書では周縁王族と呼ぶ——が存在した。

『古事記』、『日本書紀』には、そうした王族が倭王に反逆する一連の伝承が記されているが、
それらはいずれも海人(あま)海人集団によって支援されるという共通点がある。



5世紀の海人集団とは、
たんに漁労を生業とする人びとをさすのではなく、
朝鮮半島を往来できる外洋航海の技術と人間集団のネットワークを有している点にその最大の特徴があった。
[3]空の青海のあをさんからのコメント(2021年09月16日 13時15分37秒 ) パスワード

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87113?page=4
この辺りから日本の古代史がやっと見えて来る。


その海人集団を支配していたのが、
大和の葛城(かづらき)や吉備(現在の岡山県から広島県東部)、紀伊(現在の和歌山県)といった、
5世紀の倭国を代表する豪族たちである。

         素直に納得


彼らは海人集団を配下に置きつつ、朝鮮半島諸国、とりわけ南部に存在した小国の連合体である加耶(加羅)と活発に交流し、先進の産物や技術の獲得に努めた。


         うんうん


倭国にとって加耶からもたらされるそれらの資財——とりわけ鉄——は、
生産力を向上させ、軍事力を増強するうえで決定的な役割を果たした。

これらの豪族もまた、倭王に対する一連の反逆伝承を持つ。

それと同時に、彼らの中には、葛城や吉備の勢力のように、倭王と婚姻関係を結ぶ者もあれば、彼ら自身、王族の一員として認められる者さえあった。

彼らこそ周縁王族の中心であった可能性も高い。

5世紀には、王族と豪族の境界はいまだ曖昧であった。
[4]空の青海のあをさんからのコメント(2021年09月16日 13時18分05秒 ) パスワード

倭王の場合、
王陵の造営のような列島社会で共有される葬送儀礼の挙行や、倭国を代表して中国と交渉を行う外交能力が、その公共性にあたると考えられる。


一方、周縁王族の場合、
列島の開発に不可欠な先進技術や材料を朝鮮半島から入手できる力を持っていたことが、倭人社会の公共的な役割として認められていたのだろう。
そうであればこそ、周縁王族は王権の中で独自の地位を築くことができたのである。


5世紀、とりわけ後半の倭王の権力の性格を捉え直す必要がある。

これまでの学説でその専制的性格が強調されてきた雄略は、なるほど対立する仁徳系の王族を殺戮し、葛城、吉備、紀伊の勢力をくり返し弾圧した。


雄略が強大な権力を手中に収めたことは否定できない。
[5]空の青海のあをさんからのコメント(2021年09月16日 13時22分24秒 ) パスワード

5世紀後半は、高句麗により百済が一時的に滅亡するなど(475年)、朝鮮半島情勢が流動化し、
葛城の勢力らの役割が揺らいだ時期でもあった。


雄略を中心とする允恭系の王統が倭王の地位を独占し、周縁王族の担ってきた朝鮮半島諸国との交渉経路を掌握しようとした可能性は高い。

しかしそれは成功しなかった。



雄略は自身が弾圧した葛城と吉備の勢力の女性との間に男子をもうけるが、吉備出自の女性との間に生まれた星川王(ほしかわのみこ)は殺害され、葛城の血を引く白髪王(しらかのみこ)が倭王位を継ぐ(清寧天皇)。
しかし清寧が後継者を得られないまま世を去ると、彼の王統は男系では断絶してしまう。



代わって倭王位を掌握するのは、復活した仁徳系の王統であった(忍海郎女=おしぬみのいらつめ=から顕宗(けんぞう)・仁賢(にんけん)天皇へ)。
ただしその仁徳系も長くは続かない。
仁賢を継いだ武烈天皇の死後、後を継ぐ男子は誰もいなかった。


ここに5世紀の倭王位を掌握してきた仁徳・允恭の両王統は、いずれも男系では断絶したのである。


結局のところ、5世紀の倭国は権力が一人の倭王に集約されてはおらず、複数の王に分散していた段階にあった。
支配権力は倭王を中心に結集しつつあるものの、いまだその結集力は脆弱で、卑弥呼以来の共和制的性格を脱しきれていなかったのである。
[6]空の青海のあをさんからのコメント(2021年09月16日 13時24分45秒 ) パスワード

王の選出にはさまざまな方法が存在し、
倭国においても当初から世襲による継承方法が存在したことを自明とすることはできない。


いずれにしても、それまでに存在した多様な「王族」が淘汰とうたされ、倭王の王統がただ一つの王統のみに限られ、後に「万世一系」とあらわされるような倭王位の世襲化が実現するのは、5世紀末から6世紀初頭に登場する継体天皇の王統をまたなくてはならない。
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