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 投稿番号:101757 投稿日:2021年06月26日 06時15分06秒  パスワード
 お名前:空の青海のあを
鬼伝説:大武丸伝承

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

日本人の好きな鬼伝承の紹介:

蝦夷の将の亡骸埋めた岩手「鬼死骸村」は今
2021/06/24
by 盛岡支局長  林 英彰氏

全文はURLへ
https://www.yomiuri.co.jp/local/michinoku/20210618-OYT8T50052/?dicbo=v1-7a75819efba36eb500df18410f0c4f4e-005cf44e9626609dbf8fac8cb7c263f9b4-ge2dimrzme3tsljwmrswiljuhe3ggljzmiydqljymu3gcm3cmyydczjsgm&from=yartcl_outbrain1


岩手県南部にかつて、鬼死骸という名の村があった。自治体としては明治時代に消滅したが、その地名入りの電信柱はいまも残り、バス停も最近まで現役だった。

宮城県境に近い一関市真柴地区。農村の風景を楽しみながら、まっすぐに延びた県道を車で南下する。この辺りかと右側を見ると、あった。「国鉄バス 鬼死骸停留所」の看板が目立つ待合所(いまは休憩所)だ。

中には村名の由来などが書かれた説明板やパンフレット、江戸時代に描かれた「鬼死骸村絵図」のパネルなどがある。コメントが書ける自由帳に「鬼死骸」スタンプも設置済みだ。

平安時代、 征夷大将軍の坂上田村麻呂が、抵抗する 蝦夷 の将、 大武丸おおたけまる を討ち取った。斬首は現在の宮城県まで飛び、それ以外の 亡骸を埋めた場所が鬼死骸と呼ばれるようになった。地元に伝わる由来だ。鬼死骸村は他村と合併した明治8年(1875年)まで実在した。


「バス停」の案内を頼りに、県道を北へ650メートル移動すると、田んぼの中に「鬼石」があった。その巨石は、大武丸の亡骸を埋めた上に置かれたといわれる。近くには、大武丸のあばら骨とも一部が埋められた場所とも伝えられる「あばら石」、坂上田村麻呂が平安を祈願して 勧請したという鹿嶋神社もある。高台にある神社は木々に囲まれ、昼間でも薄暗い。いい雰囲気だ。

ちなみに階段を上ると左側に、前足部分を失った小さな 狛犬が目に入る。鬼の仕業かと思ったら、東日本大震災時の地震で破損したらしい。鬼より怖いものはいろいろある。


問い合わせ先 真柴市民センター 0191・26・2523)

[1]空の青海のあをさんからのコメント(2021年06月26日 06時25分21秒 ) パスワード

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A6%E4%B8%B8

大武丸(おおたけまる)

陸奥国の岩手山(岩鷲山、霧山)に住んでいたと伝わる伝説上の蝦夷の首長、もしくは鬼。



岩手県
人首丸伝説
岩手県奥州市江刺米里は、かつては江刺郡米里村であり、さらにその前は人首村(ひとかべむら)と呼ばれていた。この地名は大武丸の息子に由来するとされる。

地元の伝説によれば、坂上田村麻呂の征討によって大武丸は栗原で、兄の悪路王は磐井にて敗死したが、大武丸の息子・人首丸(ひとこうべまる)は江刺まで落ち延び、大森山の岩屋を拠点としてなおも抵抗を続けた。その人首丸も田原阿波守兼光の兵によってついに討たれ、その地に葬られたという。



衣川の善城
岩手県奥州市衣川には、「大武麿」の拠点とされる山「善城」がある。

『衣川の古蹟』では、衣川南股柳沢向の霧山から南西に30町 (3.3km) の場所にある山が「善城」であるとしている。




宮城県

鬼首村と鬼死骸村
宮城県大崎市の鬼首温泉一帯は、かつて鬼首村と呼ばれていた。この名称は、大武丸が栗原郡佐沼の山中にて討たれ、その首が飛んで落ちた地であることに由来する。また、あるいは、「鬼切部」がなまったとも言われる。

一方、大武丸の体を埋めた地は鬼死骸村と呼ばれた。この村は近代以降に合併を繰り返し、21世紀初頭現在では一関市の一部となっている。


南方町の興福寺

宮城県登米市南方町本郷大嶽の興福寺は、大武丸の首を埋めた地と伝えられている。人々を悩ます凶賊・大武丸の討伐に赴いた田村将軍だったが、想像以上に手ごわい敵の抵抗に遭い、苦戦を余儀なくされる。田村将軍が大悲観音に祈ると、御台所の鈴鹿御前に気持ちが通じた。彼女は門を開けて将軍を招きいれ、大武丸に毒酒を持って眠らせた。その隙に大武丸の首を取った田村将軍は、賊が蘇ることのないよう、首を埋めた地の上に観音の梵閣を建て、それが興福寺の基となったという。

この伝説の起源は『長谷寺霊験記』下 第5「田村将軍得馬勝軍建立新長谷寺事」で三迫の新長谷寺として東北の田村語りに組み込まれ、『風土記御用書出』の「華足寺書上」に所収される「田村将軍様奥州七ヶ所観音御建立由来之事」に三迫大嶽観音として名前が挙がったことで奥州七観音に数えられ、奥浄瑠璃『田村三代記』で佐沼郷の大嶽山に大嶽丸の手を埋めたと語られたことで、江戸時代以降に史実とかけ離れた地域の伝承として定着したものである。

南方町にはそのほか、大武丸を鬼として描いた伝説もある。かつて柳沢区角欠には「角掛桜」という樹があった。田村麻呂に大岳山を追われた大武丸はこの地まで逃げてきたが、桜の枝に角を引っ掛けたせいでもげてしまい、戦意を失って降参したという。

また大岳山の西麓、細川との境には「まな板」という地名があった。これは大武丸が人畜を取り喰らったときの調理場であったという。



秋田県

出羽国房住山
秋田県三種町と能代市にまたがる房住山では、鬼面と呼ばれる阿計徒丸、阿計留丸、阿計志丸の長面三兄弟が住み、眷属を指揮して良民を苦しめるも、坂上田村麻呂将軍に倒された。将軍が房住山で鬼の慰霊法要をしていると、東の山上から日高山の麓の洞穴に逃れ生き延びた阿計徒丸が目を覚まして「身の丈1丈3尺5寸ある大長丸(おおたけまる)と申す」と叫んだ。



福島県

半田の赤頭太郎
福島県伊達郡桑折町には、赤頭(あかず)の太郎という大男の伝承が残っており、古い記録にはその背景がうかがえる物がある。

桑折町北半田熊野に所在する益子神社は、大竹丸の弟である「赤頭太郎」が明神として祀られたのを始まりとしている。

益子神社から程近い桑折町北半田道上には、赤頭太郎の異名である「赤瀬太郎」を顕彰した碑がある。
[2]空の青海のあをさんからのコメント(2021年06月26日 06時46分44秒 ) パスワード

大武丸伝説についての愛情あるブログの紹介

日高見国の蝦夷
2015-06-07
by 東北は岩手県一関市で京呉服の三代目さん


https://blog.goo.ne.jp/-umebachi-/e/8f16682d0caaa7bef291509817fcef0d
鬼死骸バス停
1日4本バスが走ってたんですね


https://blog.goo.ne.jp/-umebachi-/e/9c6a8d2a5e3f6d07dcf5664f5b569996
>阿弖流為が達国の岩谷を本拠地にしていた様に大武丸はそこからそう遠くない山王窟を本拠地にしてた様です。


https://blog.goo.ne.jp/-umebachi-/e/cf960e763b8e5b4e3089637ef9c06ff4?fm=entry_awp
大武丸の最期
2015-06-09

「鬼石」の画像
大武丸の斬首後の姿にも見えますね。
気の毒さが倍増になります。  
すがわらさんの哀惜を感じるからかな?


https://blog.goo.ne.jp/-umebachi-/e/d4455bca54ffb63d30cd69f45cecf7af
鬼屍骸村の史跡紹介
2015-06-11



https://blog.goo.ne.jp/-umebachi-/e/d25d726b79bf203304c64ae486ac8835
蝦夷(エミシ)再考 縄文人について
2016-10-23

https://blog.goo.ne.jp/-umebachi-/e/b75d97a53a94351b26f15b1e030c2a07
蝦夷(エミシ)再考その2 縄文から弥生へ〜
2016-10-25

https://blog.goo.ne.jp/-umebachi-/e/eaeb77057745b5f51fc646df44c7e68d?fm=entry_awp
蝦夷(えみし)再考その3 大化の改新
2016-11-06


目がうるうるして来た。
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