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 投稿番号:101526 投稿日:2016年04月24日 11時39分33秒  パスワード
 お名前:空の青海のあを
受傷死亡率1%の縄文人、ですって

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

http://healthpress.jp/2016/04/dna1.html
暴力沙汰で死んだ縄文人は23人!死亡率わずか1%!

[1]空の青海のあをさんからのコメント(2016年04月24日 11時40分44秒 ) パスワード

2016.04.10.

シリーズ「DNA鑑定秘話」第31回.

DNA鑑定秘話〜日本人は元来、暴力嫌いの平和主義者!? 争いで死んだ縄文人は1%!


 タイムマシンがあれば、およそ1万5000年〜2300年前にワープして縄文時代に滑り込める。福島かどこかの片田舎で、汗しつつ逞しく生きる骨太な縄文人と鉢合わせするかもしれない。

 シカ、イノシシ、ノウサギに弓矢を放ち、追い立てる男たち。大海原に丸木舟で漕ぎ出しては、マグロ、ブリ、ヒラメに銛(もり)を打つ。森に分け入って、クリ、クルミ、キノコを拾うのは、女や子どもたちの日課だ。浜や川は、シジミ、アサリ、サケが面白いほど獲れる。竪穴式住居では土器や土偶を練るのに余念がない。石器で木の実や種を擦り潰しながら談笑する老親たちの血色もいい!

 ムラ社会を作り、家族全員で生計を立てた縄文時代は、大自然と向き合う自給自足の循環社会だった。そんな縄文人の赤裸々な生きざまを目の当たりにするような、心躍る研究成果が発表された。

暴力沙汰で死んだ縄文人は23人!死亡率わずか1%!

 3月30日付け山陽新聞の報道によれば、岡山大学大学院社会文化科学研究科の松本直子教授(認知考古学)と山口大学国際総合科学部の中尾央助教(科学哲学)らの研究グループは、縄文人と欧米の先史民族の受傷人骨データから暴力による死亡率を分析し、英国の科学雑誌『Biology Letters』に発表した。

 その論文によると、全国の縄文遺跡から出土した縄文人の暴力による死亡率は、欧米の先史民族の5分の1以下のわずか1%台だった。この研究データは、何を意味するのか?

 古今東西、地上から戦争や紛争が途絶えたことはない。民族と民族の殺戮、狂気の大量虐殺、人間への抑圧、人権侵害、環境破壊が止む気配はない。人間が憎しみ合い、国家が奪い合うのは、飽くなき人間の本能や国家の深い利欲に根ざしている。

 人類の最大犯罪は戦争だ。戦争は、環境、文化、宗教、資源、社会システムなどの様々な要因によって誘発する――。だから、避けられない。克服も根絶もできない。そのような運命論的な論調、悲観的な観念、予断に立った常識が世界を支配しているように見える。

 だが、先の研究データは、戦争は必ずしも不可避ではなく、少なくとも日本人の祖先になる縄文人たちは、暴力や収奪を好まなかった事実の一端を裏づけている。

 研究データは、全国242カ所の縄文時代の遺跡から受傷人骨データ2582点を網羅的に収集し、体系的に算出したものだ。その結果、13遺跡の23体に何らかの武器で攻撃を受けた痕跡があった。だが、その死亡率はわずか1.8%、子どもを含めれば0.9%とさらに下がる。

 この死亡率は、縄文時代に匹敵する時代に狩猟採集していた欧米の先史民族の暴力による死亡率10数%と比べると、5分の1から10分の1の低さだ。

 このデータは、戦争や紛争の原因を究明する考古学や人類学が果たすべき役割や貢献度の高さも示している。欧米やアフリカでは、縄文時代と同じ狩猟採集時代の遺跡から、種族間の紛争よる大量虐殺の痕跡を残す人骨が発掘されることが少なくない。

 松本教授は「縄文期の日本列島は、狩猟採集できる食糧が広く分布していた豊穣の時代だった。人口密度も低く、集団間の摩擦が少なかった。人類が必ずしも暴力的な本能を持っていない事実を如実に示唆している」と分析している。
[2]空の青海のあをさんからのコメント(2016年04月24日 11時41分45秒 ) パスワード

魚介類を煮るためにも使われた縄文土器

 3月30日付けの福井毎日新聞によれば、福井県若狭町の鳥浜貝塚で出土した縄文土器片を調べた英国ヨーク大学の研究チームは、少なくとも9000年もの長期間にわたって、縄文土器は魚介類を煮るために使われていたと『米国科学アカデミー紀要』に発表した。

 発表によると、研究チームは縄文土器片から16点のサンプルを作り、ガスクロマトグラフ質量分析計を使って、残された脂質が動物由来か魚介類由来かを詳しく調べた。その結果、1万4000年前から5000年前に使われていた土器片のサンプルの77%から魚介類の脂を検出した。貝塚からはシカやイノシシを食べた骨も見つかった。

 およそ1万1000年前、氷河期から温暖期に入ると、森が拡がり、シカやイノシシも増えたため、食料が豊富になり、縄文土器の生産量が増えた。深鉢形が多い縄文土器は、煮炊きや食料の保存に使われたと考えられていた。調べた土器片からは動物の脂も検出されたが、魚介類の脂の成分が圧倒的に多かった。

 共同研究者で若狭歴史博物館(小浜市)の鰺本真友美調査員は、「魚を煮たものが美味しかったのか、祝宴に必要だったのかは不明だが、北海道でも約1万4000年前の土器で魚を煮ていた。全国で同じような傾向があれば、土器拡大の背景を知る手掛かりになる」と話している。

 21世紀を迎えるや否や、9.11事件、イラク戦争を皮切りに、中東紛争、IS(イスラム国)のテロ事件などが頻発し、難民移民、人種差別、経済格差が頭を悩ませる。

 しかし、今回の研究データは、縄文人は争いを好まず、縄文時代は平和が保たれ、社会は平穏だった事実に気づかせてくれる。非戦・平和を願った縄文人のDNAは、戦争をしない・させない・煽らない平和憲法(第9条)にも受け継がれているにちがいない。


佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。
[3]空の青海のあをさんからのコメント(2016年04月24日 11時48分59秒 ) パスワード

http://healthpress.jp/2015/05/dna5300.html


2015.05.24.

DNA鑑定秘話 第4回
DNA鑑定秘話〜5300年前の人間のミイラを最新のテクノロジーで解き明かす



アイスマンのお話です。
[4]空の青海のあをさんからのコメント(2016年04月24日 12時56分25秒 ) パスワード

 オーストリアとイタリアの国境、チロリアン・アルプスに深々と広がる海抜約3200mのエッツタール渓谷。1991年9月19日、氷河で覆われた小渓谷をトレッキングしていたシモン夫妻は、氷水の中に褐色のミイラ化した死体を発見する。9月23日、死体はインスブルック大学の解剖学教室にただちに運ばれ、アイスマン研究が始まった。

炭素の放射性同位元素の測定から、56%の確率で死後約5300年

 アイスマンは、エッツタ−ル渓谷にちなんで「エッツィ」とか、「ヒベルナトゥス」とも呼ばれる。

 身長159 cm、体重40kg、年齢46歳、男性。関節炎、鞭虫の寄生、潰れた鼻骨、肋骨の骨折。散髪の跡、脊椎の下部、左足、右足首の皮膚に刺青のような短い青い線。ヤギ、カモシカ、鹿の毛皮でできた着衣の断片。樹皮で編んだ外套、毛皮の帽子、革製で草をつめた靴。木製の柄のついた小さい銅製の斧と火打石の短剣。イチイ製の長弓とガマズミ製の14本の矢を入れた毛皮の矢筒......。

 アイスマンは何者か? 謎は、ますます深まった。

 オーストリア・インスブルック大学のシュピンドラー博士らは、炭素の放射性同位元素の測定を行い、アイスマンの死亡年代を分析。56%の確率で紀元前3300年頃、死後約5300年が経過と発表した。

 アイスマンのDNAは、ミュンヘン大学動物学教室のパ−ボ教授の研究室で、左殿部の組織(筋肉、結合組織、骨)と炭素の放射性同位元素を測定した組織から採取。PCR (ポリメラーゼ連鎖反応) 法を利用して、ミトコンドリアDNAの塩基配列を増幅・検出した。

 PCR法は、微量のDNA断片からDNAのコピーが短時間で大量に得られる分析法。合成酵素連鎖反応ともいう。およそ5300年前に死亡と判定されたアイスマンのミトコンドリアDNAの塩基配列を、西欧世界の各地域住民のミトコンドリアDNAの塩基配列と比較し、アイスマンの人種を分析した。

アイスマンは、アルプス以北の北部ヨーロッパ人か?

 分析の結果、アイスマンは北部ヨーロッパ人に近いことが分かった。ミトコンドリアDNAは、同一地方の同一民族内でも多数の型がある。その平均値を求めると、差が小さいのは、アルプス地方やアイスマンが発見されたエッツタール渓谷の住民と北部ヨーロッパ人と判明。アイスマンは、アルプス以北のヨーロッパ人、現在のドイツ人やオーストリア人につながる先住民と結論づけられた。

 遺体は、5000年以上もいい状態で保存されていた。それは死亡時に体が柔らかい氷雪に覆われたため、極端な乾燥から免れ、ほどよく凍結していたからだ。遺体がたまたま岩の割れ目の中に入り、氷河による破壊から免れたことも幸いした。

アイスマンは、なぜエッツタール渓谷で死んだのか?

 2000年9月、アイスマンは、南チロル考古学博物館で初めて完全解凍され、イタリア・カメリーノ大学考古人類学教室のロロ博士らは、腸内を剖検。小腸下部の回腸を切開して内容物を採取、肛門から大腸の内容物を回収して、DNA鑑定を行った。

 さらに2012年2月、ドイツ・サーランド大学のケラー博士の研究チームは、一度に10億個前後のDNA断片を解析し、1000億塩基対以上の配列を調べられる次世代シーケンサーを用いて、アイスマンの左腸骨 (骨盤の一部) から採取したDNAを解析した。

 これらの詳細な分析の結果、さまざまな事実が明らかになる。

 腸内からヤギ肉と穀物が見つかり、アイスマンは羊飼いや狩人と推定された。また、毛髪から銅とヒ素を検出したため、銅の精錬業との関与も考えられた。

 回腸と大腸の内容物からは、死亡直前の行動と食事内容を推測した。食物は、胃に入り2〜3時間経過すると小腸に移り、4〜5時間で大腸に移行後は、排便まで貯留される。アイスマンは、まずアルプス山麓の針葉樹林を通り、穀物類、植物類、アイベックス(高山にすむ野生ヤギ)の肉を食べた後、海抜3200メートルの高地へ行き、アカシカの肉と穀物類を食べた。その後、何者かに矢で射られ、食後6〜8時間後に死亡している。

 発見当初、アイスマンの死因は、寒さと飢えと推察された。だが、体内から発見された花粉は、死亡時期が春から初夏頃であることを示した。2001年のレントゲン撮影では、左肩から火打石製の矢尻を発見。3次元CTでスキャンすると、矢尻はアルプス南部と北部イタリアに特異な舌状形の石器で、アルプス北部の基部が平坦な矢尻とは異なっている。つまり、同族の仲間に背後から射られ、矢は肩甲骨を粉砕。近くの血管と神経を傷つけ、出血多量で死亡したと推測できる。アイスマンは、なぜ矢で射抜かれたのか? 同族内の何らかのトラブルに巻き込まれたのかもしれない。

 DNA鑑定では、遺伝子型からアイスマンの容貌や健康状態も推測できる。ABO式血液型はO型。牛乳中のラクトースを消化できないため、おなかを壊しやすい。目の色は、青か褐色の可能性が高い。冠状動脈硬化による心疾患、高血圧のリスクが高いなどだ。アイスマンも、現代人と同じ悩みを抱えていたのかもしれない。

 その他、ライム病の病原菌 (スピロヘータ) のゲノムとおよそ60%が一致した。ライム病は、ダニにかまれて起きる感染症で、皮膚の紅斑、発熱、筋肉痛、関節痛などの症状がある。アメリカ・コネチカット州ライムで発見された。アイスマンは、最も古いライム病患者になる。

 1998年、アイスマンは、イタリア・ボルツァーノの南チロル考古学博物館に移った。温度マイナス6℃、湿度98%の特製冷凍庫で永眠している――。


佐藤博(さとう・ひろし)
[5]ときおさんからのコメント(2016年04月24日 23時12分31秒 ) パスワード

興味深く読ませてもらいました。

決して狩猟採集だけの時代では無かったのがわかりますね。青森の
「三内丸山遺跡」でも検証すみですね。中部から東北日本は「栗」も大切な
食料の一つですね。
西日本は照葉樹林帯ではどんぐり図鑑「どんぐりと生きる」にある様に
ドングリが重要な食料の一つでした。下記は縄文晩期ですが縄文の前期から
農耕に近い食料生産をしていた様です。最初の発見で標準遺跡になったのが
岡山の南方遺跡です(10ヶ)。次は全国区に認知されていないのですが、私
も発掘に少し携わった場所が当地にあります。ここは41ヶの貯蔵穴です。
その後下記の図表のようになります。奈良県の大きな遺跡も入って居ません。
http://www.enyatotto.com/donguri/ikiru/donguripit.htm   
自然酵母も利用してクッキー状なハンバーグのような調理をしていた様です。
「縄文クッキー」等と呼ばれています(炭化して発掘されて居ます)。
[6]ときおさんからのコメント(2016年04月24日 23時18分51秒 ) パスワード

憲法9条に比定するのはやや強引ですが戦国時代なんての歴史上ですが
体験していますし2次大戦も体験していますしね。
ただ、日本人の特性の下地にDNAを受け継いでいるのでしょうね。
下記の虫歯の話からも裏付けられますよ

縄文人に虫歯が意外に多かった理由
2015年6月23日 江部康二 / 高雄病院理事長
http://mainichi.jp/premier/health/articles/20150622/med/00m/010/003000c   
古人骨から虫歯を探してみたら
 今回は、縄文人の虫歯率が意外に多かったのには、糖質が関係しているという話です。具体的には縄文人の虫歯率は8.2%でした。30%を超える現代日本人や、農耕が始まった弥生時代の16.2〜19.7%よりは低いのです。しかし、近現代イヌイットや、7600〜3000年前のアメリカ先住民が3%未満であるのに比べると、縄文人の虫歯の多さは際だっています。
[7]空の青海のあをさんからのコメント(2016年04月25日 03時20分27秒 ) パスワード

ときおさん


興味深いお話をありがとうございます。


>具体的には縄文人の虫歯率は8.2%

意外でした。
縄文人に虫歯はほぼゼロかと思っていました。

虫歯の原因は「やっぱり蔗糖」というのを東京医科歯科大学の研究論文で(こどもの時に)読みました。

虫歯になるほど蔗糖を食べたのかな?
歯が体質的に弱かったのかな?
など連想しました。笑
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