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 投稿番号:101491 投稿日:2015年10月15日 08時52分22秒  パスワード
 お名前:ミヤハラより
球磨(熊)国について

コメントの種類 :その他  パスワード

古代「球磨(熊)国」と呼ばれていた、私の故郷「球磨」についてを、私なりに研究していきたいとこちらのスレッドを立ち上げました。

球磨の神社・仏閣そして古代の遺跡等の御紹介をさせて頂きます。

皆様からの御教示をお待ち致します。
よろしくお願い致します。

[1]ミヤハラよりさんからのコメント(2015年10月15日 10時52分37秒 ) パスワード

岡原霧島神社について
岡原霧島神社は球磨郡旧岡原村(現あさぎり町)の岡本谷と宮原谷に挟まれた尾根の麓に位置しています。
明治42年(1009年)に岡本の大炊神霧島神社と宮原の中島霧島神社(宮原神社)の合併が許可され、翌年現在地に移転し社号を改めたとあります。
御祭神は天津彦火火出見命ほか二十二神。
村内数か所に鎮座の神社を、大炊神霧島神社と宮原の中島霧島神社(宮原神社)の合併の際に合祀されました。
中島霧島神社(宮原神社)※麻郡神社私考では中嶋大権現とあり。  
大炊神霧島神社は大同年中(806年〜810年)草創。日向国霧島神社と同体。
中島霧島神社は大同元年(806年)草創。日向国霧島神社と同体。※地元の言い伝えでは大同元年より草創はさらに遡るという事です。
岡原霧島神社に合祀となった神社に稲積神社(稲積妙見)があります。

稲積神社(稲積妙見)御祭神 天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)「右五神」別天津神(ことあまつかみ)
※御祭神 天之御中主神 高御産巣日神 神産巣日神 宇摩志阿斯訶備比古遅神 天之常立神
麻郡神社私考より
※八代郡白木社妙見同體
※當郡妙見勧請ノ最初也・・球磨郡内において最初の妙見宮勧請であった。
※草創年紀未考
※社人 椎葉久左衛門 
※明應五年丙辰(1496年)
 藤原為續(相良為続)公・相良長輔公 御願トシテ 中興
※中興に関わった人物
  綾 末續(綾 末続) 宮原出雲橘續久(橘 続久)
  石井太郎兵衛尉 阿部貞豊等

岡原霧島神社についてを簡単に御説明致しました。
所で・・この岡原霧島神社について書かれた
免田郷土研究会 郷土 第二号 昭和49年2月発行 に大変興味深い記述がありました。
御紹介させて頂きます。
取材当時(昭和48年〜49年1月頃)岡原霧島神社の宮司であった横瀬家の方でしょうか?横瀬安住氏の談です。

(岡原村)民族資料 横瀬安住氏談
@子供名付けの儀式
嬰子に手箕をかぶせ、弓に麻殻の矢をつがえて、嬰子の男女の性別を聞いてから短い言葉を唱えて(唱え言葉を失念)手箕を射た。

A七夕の日に詠う
「七夕さん七夕さん、月に三反、七苧桶、紡いで織らせて下しゃんせ、下しゃんせ)

B弓引きの式
子供名付けの悪魔祓いの作法が宮中にては親王、内親王御命名の時 鳴弦の儀とて、弓弦を鳴らす儀式があるが、岡原地区には昔弓引きの式があった。明治四十年頃、横瀬氏はその席に列席したことがある。
他、家の棟上げに弓矢をつくり、鬼門、鬼門裏に立てるのも同じ趣旨と思う。

とあります。
昭和49年発行の書籍ですから、当時の方(横瀬氏)は平成27年の現代では殆どの人が知らない、古くからの岡原村の伝承をしっかりと記憶されていたのですね。
感動しました。

ど素人の私ですが、「弓」を鳴らす儀式?が岡原村にはあった、継承されていたと言う事は解りました。

「弓」を鳴らす儀式について調べているとこのようなサイトを見つけました。
岡原村の伝承とは単なる偶然かな?とは思うのですが・・・

石上神宮 
http://www.a-namo.com/guest/akisan/tochugesha/2002/0206/isonokami/isonokami.htm

こちらのサイトページ一番したにある記述です。転記させて頂きます。

古(いにしえ)、神宮の神庫には歴代天皇や諸氏族から奉献された楯・鉾・太刀・玉・装身具など、多くの神宝が『延喜式』にある伴、佐伯の2殿に納められていたという。平安京への遷都に伴い、桓武天皇の時に、その神宝を山城国葛野郡の兵庫(京都府)へ運ぶのに延べ15万7000人が働いたが、異変があり、再び元の神庫に戻されたとも伝える。
  石上を支配していたのは、かの大化の改新に登場する物部(もののべ)氏。“モノ”は精霊を意味し、平安朝になったモノの怨霊と解せられて“モノノケ”といわれた。この“モノ”を取り扱うのに著しい呪術を伝えたのが物部氏で、中でも十種神宝をもって、天皇の霊を扱ったという。
大嘗祭(天皇が即位後、最初に行う新嘗祭)の時、物部氏が宮門の威儀に立ち、大楯を楯、弓の弦を鳴らして鳴弦の呪術を行い、悪霊を追放する役目を務めた。この呪術にたけ、部門の棟梁であった物部氏が、のちの“モノノフ=武士”の原型でもあるという。 ――同神宮パンフレットより

私の故郷、旧球磨郡久米郷にある「岡原」の伝承「弓引きの式」・・??
皆様の故郷やお住まいの地域にもこのような風習が残っているのではありませんか?(^−^)

では。

[2]ミヤハラよりさんからのコメント(2015年10月26日 08時02分26秒 ) パスワード

伊勢神宮と市房杉について

昭和51年6月発行の 免田郷土研究会 郷土 第4号 にとても興味深い記述を見つける事が出来ました。

井上快竜氏(故人)の「梵字のふる里」という論文です。

井上氏はカンボジアのクメールの民と、球磨郡久米郷との関係についても書かれていました。
さらに、市房山参道の神木についてこのように書かれていました。

中略・・
市房山参道の神木が、宮中御造営に使用されたり、又、米良・椎葉・球磨にまたがる市房山から伊勢神宮式年祭用の神木養成のために、伊勢神宮の徳川宮司が下向されたりと・・

と書かれています\(◎o◎)/!
市房山参道の神木が、宮中御造営に使用された事は知っていましたが、(以前コメントさせて頂いています)「市房山から伊勢神宮式年祭用の神木養成のために、伊勢神宮の徳川宮司が下向された」とは、知りませんでした\(◎o◎)/!
「伊勢神宮式年祭用の神木養成」・・伊勢神宮式年遷宮
2013年の伊勢神宮式年遷宮の際は、日本の苗字七千傑様よりありがたい御教示を頂いていました。
昭和51年に故井上氏は、上記の事について「(球磨との繋がりが)何か解っているのではないか?」と疑問を書かれています。

私の心の中にあるモヤモヤした気持ちと同じ事を感じ取っていた方が今から約40年前にいらっしゃった・・という事です・・
でも、この「モヤモヤ」を感じ取っているのは、私や故井上氏だけではありません・・
色々な方とお話していると、皆、大きく口に出さずとも、「モヤモヤ」を感じていらっしゃる事は会話の節々でわかります・・

という事で今回は
「伊勢神宮と市房杉について」を御紹介いたしました。

では(?_?)
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