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 投稿番号:101243 投稿日:2011年07月11日 11時13分06秒  パスワード
 お名前:ヤマトヒコ
みもすそ川とは
キーワード:安徳帝入水
コメントの種類 :質問  パスワード

赤間神宮下のみもすそ川公園に、安徳帝御入水之処碑があり、二位尼による辞世「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは」が刻まれている−と観光ガイドにありました。

最近、その赤間神宮の依頼によって、國學院大學の松尾葦江教授が、赤間神宮の長門本平家の写本(旧国宝)など宝物を再調査した結果の記録と最近の研究成果を収録した「海王宮〜壇之浦と平家物語」を読みました。その中で、この辞世の歌の詠み手は、安徳帝でなければおかしい、という説(佐々木紀一「波の下の都」)がちょっと気になりました。

「みもすそ(御裳濯)川」は、伊勢神宮の最初の斎宮、倭姫が五十鈴川で裳を濯ったことからその名が生まれ、「皇統の流れ」を象徴する語句として使われるようになったといわれています。辞書を引いても「皇統のたとえ」という意味も掲載されています。

佐々木氏は、安徳帝を抱きかかえ入水した二位の尼は、たとえ外祖母であるとしても、「皇統のたとえ、みもすそ川の行く末を憂える歌を詠むのは僭越であり、詠むはずがない」という解釈です。

この歌をうっかり「みもすそ川の流れの沖にある壇の浦の波の下にも都がありますよ」と解釈していた自分に、赤面の思いがいたします。そういえば、この川の名は、安徳帝がこの川の川口に流れ着いたので「みもすそ川」と呼ばれるようになった、と子供のころ聞いたように思います。

それを確認しようと思いましたが、確認できる史料がみつかりません。事情をご存知の方がいらっしゃれば、ご教示願います。

[1]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2011年07月11日 15時52分00秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

確認資料は存在しないが、駒沢大学名誉教授桜井光堂博士は著書「古代日本領土の起源」で述べている。
みもすそ川は「五十鈴川(イススギの変化)」の改称であり、赤部族(統治のための宮殿が赤間宮)の統治者がミソギをする川と定義している。
古代地名研究ではヨタ話が多いが、桜井光堂博士の著書は博士号論文であり、日本古代の全国地名命名体系を喝破した画期的な書籍である。
 
興味があれば、一読をお勧めする。
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%81%AE%E8%B5%B7%E5%8E%9F%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%81%AE%E7%99%BA%E7%A5%A5%E7%9A%84%E5%BD%A2%E6%85%8B%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E6%A1%9C%E4%BA%95-%E5%85%89%E5%A0%82/dp/4880330175/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1310366973&sr=1-1
[2]ヤマトヒコさんからのコメント(2011年07月12日 18時06分09秒 ) パスワード

日本の苗字七千傑さん、参考資料のご教示ありがとうございます。住吉神社の縁起神話や神功皇后にまつわる伝承など、古い史跡の残る下関らしいお話で、興味深い説ですね。

その後、調べていましたら、社団法人「下関観光コンベンション協会」のホームページに、

《壇之浦古戦場を一望出来るこの場所は、『今ぞ知る 身もすそ川の 御ながれ 波の下にもみやこありとは』(長門本平家物語)という二位の尼辞世の歌から地名が生じたといわれ…》とありました。

みもすそ川という名称に「皇統のたとえ」という意味があるとすれば、この歌から地名が出来たというほうが説得力があるようですね。
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