【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る | 使い方とお願い | 日子の島TOP
 投稿番号:101232 投稿日:2011年04月18日 09時55分36秒  パスワード
 お名前:磯山
桓武平氏と美作菅家党
キーワード:神社・寺社
コメントの種類 :質問  パスワード

菅家七流は実在の武士団か?

[1]磯山さんからのコメント(2011年04月18日 10時36分08秒 ) パスワード

美作国神社資料(内務省神社局・大正9年発行)によれば、有元美穂太夫満佐の五男とされる原田日向守忠門の事績として八幡神社(旧勝央町真加部)の社殿修築を弘長2年(1262)に行っており、その祭神は與田別命とスサノオ命である。これは平姓原田氏では6代頼興(1253〜1296の当主)の時代である。梅花余香(誕生寺・昭和10年発行)では原田佐秀は原田日向守忠門の子となっている。結論を言うと3代平姓原田忠廉(1198〜1222)とは別人とする資料である。
そもそも平姓原田氏の信仰は原田神社(現:諏訪神社と言いながら信濃諏訪大社の祭神:建御名方富命、八坂刀売命を祀っていないので無関係?)のイザナギ命と速玉之男神で熊野信仰(台密)から天台宗(阿弥陀如来)を経て浄土教という流れである。
[2]磯山さんからのコメント(2011年04月18日 12時44分16秒 ) パスワード

スレ1の美穂太夫は三穂太夫に3代は4代に訂正します。

「美作国神社資料」をさらに引用しますと、有元氏の三穂神社(奈義町関本)の祭神は事代主神、スサノオ命、大国主命。森津山藩時代に加茂塔中分家した有元氏の軒戸神社の祭神は大巳貴命他、境内社に菅原道真卿。植月氏の日吉神社(旧勝央町植月中)の祭神は大巳貴命、大山祇命他。広戸氏の広戸神社(旧勝北町大吉)の祭神は大山祇命、境内社に菅原道真卿、事代主神、大国主命。この2氏は由緒欄に実際それぞれの神社を信仰したとある。江見氏の江見神社(英田郡川崎)の祭神は與田別命、大国主命、菅原道真卿、境内社に大山祇命。江見左馬守は弘安17年(1285)に長福寺三重塔(天台宗:英田郡英田町)建立。福光氏の福本神社(旧勝央町福本)の祭神は大巳貴命他。鷹取氏の美野神社(旧勝央町美野)の祭神は菅原道真卿、大国主命他。で由緒欄に3氏はそれぞれの神社を信仰した記述はない。この様に菅家党はその祭神に大国主命か大巳貴命を祀っており出雲大社信仰なのである。前述の原田日向守忠門は出雲信仰と無関係である事を述べておく。
[3]磯山さんからのコメント(2011年04月21日 12時22分59秒 ) パスワード

では何故、4代忠廉=原田日向守忠門とする錯誤が起こったのか?
 読みが共に「ただかど」と云うこともあるが、稲荷山城を久米郡旧中央町原田所在のものとしたからである。これも伝承と美作国神社資料の中に答えがある
 まず伝承から、有元三穂太夫満佐は天福2年(1234)に播磨国佐用へ攻め込み赤松久範と戦い敗死している。
 次に美作国神社資料から、植月氏の日吉神社の境内社の名称が稲荷神社(祭神:大国主命)である。旧勝央町植月中と旧勝央町真加部はすぐ近く。
 以上から判断するに戦後処理として真加部付近にあった稲荷神社跡地を稲荷山城とし原田日向守忠門が入城したと考えます。(忠門は質として赤松方にあった満佐の娘を娶ったのだろう。)
 現在、旧勝央町真加部は住友ゴムのタイヤテストコース(私有地)となっており、後世の歴史家は入れなかった。

こんなところでしょうか?

 
[13]中村さんからのコメント(2021年04月25日 14時47分37秒 ) パスワード

磯山様
お久しぶりです。

お元気なら、ぜひ投稿下さい。

お待ちしています。
 【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る
この投稿に対する
コメント
注意  HTMLタグは使えませんが、改行は反映されます。
 http://xxx.xxx/xxx/xxx や xxx@xxx.xxx のように記述すると自動的にリンクがはられます。
お名前 (省略不可)
削除用パスワード (省略不可8文字以内)
メールアドレス (省略不可)
URL
 ホームページをお持ちの方のみURLを記入して下さい
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇  DB-BBS-system V1.25 Rapah.