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 投稿番号:101230 投稿日:2011年04月06日 00時33分57秒  パスワード
 お名前:さくら
宮本武蔵
キーワード:それからの武蔵 小山勝清
コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

肥後高岡系図 というのがある。
それによると |高岡牧次 ・元眞(1843-1920) とあり この人は 本姓・宇野氏。

宇野氏(三つ巴紋)系図では 村上後胤・赤松氏と同族。
新免弾正左衛門 ・宗貫・ 新免宗貞為養子とある。

新免氏系図では
新免氏は、藤原北家 徳大寺實孝より出づ。著名なる剣豪 新免武蔵守藤原玄信は、新免氏の傍流にして播磨國揖東郡宮本村の産といふ。

筑前新免氏系譜では 武蔵と同時代の新免氏当主は、新免伊賀守宗貫であった。
*【新免氏・宇野氏略系図】

○徳大寺実孝─新免則重─長重┐
   ┌──────────┘
   │竹山城
   └貞重┬宗貞─宗貫─長春→
      ├貞弘  ↑
      └家貞  │
           │
 宇野則高─則清┐  │
 ┌──────┘  │
 │長水山城     │
 └村頼─政頼┬満景 │ 
       ├祐清 │
       ├宗貫─┘
       ├宗祐
       └祐光



とする。徳大寺家は閑院流で西園寺 三条家とは兄弟筋。

公卿辞典では 高丘家があり 西園寺の族・藪家の族。

[1]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2011年04月06日 19時59分42秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

宮本武蔵の出自は、新免氏の傍流とされているが疑問点も多い。
下記URLでも種々分析、批判されている。
 
http://www.geocities.co.jp/themusasi1/023.html
 
新免氏が徳大寺家から分かれたことは概ね理解できる。
赤松流を称するのは新免貞重が赤松家貞の養子となり、かつ新免を称したからである。
 
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/010/01052c1.htm
 
しかし、ここからが問題で筑前新免氏の祖とされる宇野則高は実在したが赤松系図などには見あたらない。
宇野系図にも見あたらないが、宇野氏一族であろう。
新免宗貫は宗実の表記もあり、旧字体の「實」が「貫」が似ていることから誤記の可能性も高いが、別人ではないかとも思える。
小寺氏が宇野氏から分かれ、後の黒田職隆氏が有る期間小寺氏の養子となったことからも筑前新免氏は 徳大寺や赤松とは別系の可能性がうかがえる。
今後、研究が進むことを期待したい。
[2]さくらさんからのコメント(2011年04月07日 03時31分15秒 ) パスワード

ありがとうございます。

小山先生がなぜ 武蔵の話を書いたのか?と前から思っていたのです。武蔵の木刀を持っている家などあったりして興味があったので。 小説家だから だけでなく 戦前に生まれておられる方は 何か しっておられたのではないか?と思うのです。昔は地縁 血縁の時代だったので・・・

こやまのとき 橘嘉智子が出るが(うちの高岡の橘紋とあわせ近く感ずる。神戸の鷲尾家は先祖を神皇産霊尊にしている。佐田彦 橘氏ともに 神魂尊に行き着く)
[3]さくらさんからのコメント(2011年04月07日 03時33分22秒 ) パスワード

おやま と 読むとき 北条が出る。熊谷直実。又 高岡にも通ずる。

熊谷をからめて大室家の話をかいているページがあり、広島 山口あたりの家は大室に集まるのだとそこでは書いていた。このページは少し過激と思うので・・・一度 削除され 再び出してある。

私の中では 高岡でも 佐田でも 血が入っているし、集落から出る苗字の家と昔からつながり つながっていたと 思うし、余り 厳密に見るのでなく おもしろい話があるな と 思って書いたので。

[4]さくらさんからのコメント(2011年04月07日 03時34分36秒 ) パスワード

● 桓武平氏 千葉氏流の鷲尾と英保と「源頼政」後裔
上総一族。鷲尾氏略系図- 匝瑳常広-鷲尾常定 (八郎)が鷲尾を称した。
英保 播磨国飾磨郡英保地頭 本姓中原氏/称源頼政後裔

道兼子孫の宇都宮流であるとき もと 中原を称していた。

英保助兼━次郎左衛門━弾正━兼盛━━━┓
┏━━━・・・・・・・・・・・・━━━┛
┗和泉守━内膳━備前守常政━与次郎常久━小河之直(福岡藩士一万石)
小川という同級生がいた。

[5]さくらさんからのコメント(2011年04月07日 03時36分35秒 ) パスワード

英保(あぼ)氏は宇野(小寺)氏の分流で、始めは江見氏を称した。
助兼の時、分家して姫路近郊・英保城の主となり姓とした。
また、英保氏の分流 神崎氏は総社の神主になってもいる。
● 源頼政と 嵯峨源氏
頼政は 「以仁王」に加担して、子孫低迷するが、
嵯峨源氏は 「渡辺綱」子孫・松浦氏により 「明治天皇」の母方の血に入る。

嵯峨源氏の流れを組む渡辺党の上に摂津 源氏の嫡流多田氏があり、それらを代表する形で頼政の系が源氏の一派を形成する。

【摂州多田院御家人 高岡氏系図】というのがある。摂州高岡氏は、池田奉貞の實弟肥後守貞望の後裔。源頼政後裔という中原と近くにいた可能性がある。

これらは 武士のときのことで、公卿辞典では 高丘家は閑院流。江戸時代頃橋本から養子が入り、以後 高倉 三条西 四辻 他から 養子養子で名がつがれた。つまり 徳大寺も西園寺と兄弟筋からでるので よく 辞典をみなければわからないけど 徳大寺の血がまわりまわって高丘へはいっているかもしれない。

[6]さくらさんからのコメント(2011年04月07日 03時39分51秒 ) パスワード

私の頭は パンクしそうですが
宇野氏から養子が入る肥後高岡家の上の世代に
肥後高岡氏の祖定徳は、柏原彦兵衞定勝の二男なり。という人がおり、7千傑さまの系図でも 柏原氏は宇野の近くにいる。
柏原と宇野の関係がひとつわかりました。

昔は 養子は 血筋に近いところから入ったはず。
ひらたくいえば 高岡と佐田は血縁関係があったと思える。

>小寺氏が宇野氏から分かれ、後の黒田職隆氏が有る期間小寺氏の養子となった

戸籍ではわからないのだけど 私の母(佐田)は 実父・山本との家の関係を私の祖母と山本といとこどおし。その先も ずっと ずっと そうだった といっていた。
母は 一族の中で 佐田の血が一番濃かったと。戦後 山本の父が佐田の血をほしがって 私たちまで全部 山口につれていこうとしたのだと。

佐田大神(猿田彦)
猿田彦大神を祀る神社の総本社「地祗猿田彦大本宮」は鈴鹿市の椿大神社
椿大神社の宮司は山本

佐田と山本は昔から近い家として認識していたのでは?・・・

公卿辞典にみえる山本 閑院家
山本 (羽林家/藤原北家閑院流)
藤原北家閑院流。阿野実顕の末子・勝忠を祖とする羽林家の家格を有する公家。後水尾 天皇の勅命で一家を興したとあるが、勝忠の養子・実富が西園寺実晴の猶子となったこと から西園寺家庶流ともされる。


[7]さくらさんからのコメント(2011年04月07日 03時43分33秒 ) パスワード

A)播磨赤松氏の族、衣笠氏
赤松から別所が出る。
赤松は村上源氏という。

村上源氏のとき 北畠がでて 佐田が出る。
前に 隅さんとの話で 佐田彦四郎がおり、舎弟・別所こねずみがいた。佐田・別所という こういう関係も Aのとき すっとつながると思う。 

>小寺氏が宇野氏から分かれ、後の黒田職隆氏が有る期間小寺氏の養子となった

武家としての黒田家は先が少ししかわからないが
中臣黒田がある。
中臣鎌子(藤原鎌足)は 黒田の養子にはいったと・・・

山本とのとおい昔からのつながりのように 黒田とも つながっていたのでは・・・ 
[8]さくらさんからのコメント(2011年04月07日 03時51分50秒 ) パスワード

集落に 恒松という家がある。
この苗字から 松浦あたりの松浦神社に 近江の人・佐々木小次郎のことが書いてあったので 図書館に行ってみてこようと思っています。

この神社の地域の人は 海の人をうみんちゅ 山の人をやまーどー と言っていた と・・・
[9]さくらさんからのコメント(2011年04月07日 04時23分12秒 ) パスワード

「和徳」は 桓武天皇后・高野新笠と同族。

桓武天皇は 「柏原天皇」といい、肥後高岡の養子に入るのも 柏原。同じ言葉なのもおもしろい。

柏原天皇の母の母は土師宿禰(大枝朝臣さらに大江へ)。
こまかなことをいわず 佐田は中原。大江広元は中原広元(中原の養子)。菅原は土師氏。

市では 柏原市があるが、市内にある横穴墓(高井田横穴群、玉手山横穴 群の2箇所)は大阪府内では、現在柏原市でしか発見されていない。大和川の向こうは藤井寺市。

玉手山古墳群のすぐ西に応神天皇陵(誉田山古墳)がある。応神天皇五世孫が継体天皇。
まだ ここまでで 繋がりも何もしらべていないけど・・・
[10]さくらさんからのコメント(2011年04月07日 04時43分43秒 ) パスワード

大枝氏は伊達氏から出たという。伊達氏は藤原北家山陰流。真壁郡などでるが・・・
伊達氏は 白石にも 関与する。白石は磐井を名のった。白石は白井に通ずると。

ときお様へ
>真壁郡余野下村
真壁は間違いです。→真庭郡が正解です。旧国名郡だと「大庭郡」です。

りんまんではこけちゃったけど(一応わたしの中では林は重要な苗字なのです)岡山の馬庭郡のこと ありがとうございました。
92の白猪が白井にもおもえるけど・・・

平氏に関与してくるのですよね? 
[11]さくらさんからのコメント(2011年04月07日 05時56分15秒 ) パスワード

馬庭郡は真庭郡のまちがいです。

突然で 別口ですが 佐田の本家の養子に入る人の系に 鹿児島の石丸がある。鹿児島? 石丸? と思っていたけど

島津から佐多が出て・・・・・・・・・・・・島津氏について語ろう 
伊佐氏で 伊達氏が出て・・・・・・・・・・伊達一族とその起源2、
仙台のほうにいくが

《仙台松前家》・・・・・・・・・・・・・松前(蠣崎)一族の系図より
始祖・武田信廣 蠣崎を称す

子孫・仙台松前家
   白石片倉家  共に 伊達家家臣

   頼完―――→幕臣池田家  幕臣池田直好養子

《幕臣池田家》
始祖・源頼政・・・・・・・・・・・幕臣・池田家系図

戦国大名である池田氏・田中氏・山中氏も橘流です。
★ 池田教正
池田氏はもともとは紀氏流であるが、池田奉政の孫で教依は★楠正行の遺児教正★を引き取り育てた。その子佐正が池田氏を称し、摂津に住した。ここから分かれたのが、後に美濃に移った近世大名家となった池田氏である。

摂州高岡氏は、池田奉貞の實弟肥後守貞望の後裔
摂津池田家家紋→揚羽蝶

もと物部伊居太足尼(五十言宿禰)の後胤にして、中絶ののち紀朝臣長谷雄の孫、紀維實が之を嗣ぐに依りて紀姓を称す。維實の玄孫、池田蔵人大夫奉貞は、継男子無くして源姓馬場下野守仲政 の四男奉政を養して氏を継がしむ。またその末流、藤原姓尾藤玄蕃允信平の男を婿に入れて氏を継ぎたるによりて藤原姓を称す。あるいは遡りて★馬場仲政は、源頼光の支流にして 清和天皇の苗裔より出づるに依りて後裔源姓を称す。★仲政の子が頼政★

ここにも 高岡 佐田 白石の固まりが見られる。
[12]さくらさんからのコメント(2011年04月07日 06時03分49秒 ) パスワード

松前家に伝わる伝承(『新羅之記録』)では、家祖・武田信廣は若狭武田氏の出身 。

新羅の記録 下巻は 福島大神宮宮司・笹井にも 関与した。
笹井家は 西園寺実氏を祖とする。

ぐるぐるまわって 平清盛の子孫 で 書いた 鷲尾 四条 に つながる。
[13]さくらさんからのコメント(2011年04月08日 03時51分16秒 ) パスワード

7山本→同級生に山本姓がいた。川向こうの平家城 相良外城 縄文時代遺跡があるところ

7黒田→同じく同級生に黒田(菅原)がいた。
こことの関係は知らないが
奥のほうに 「鶴富屋敷」があり
歌にもあるごとく 平氏と言っていたが
後の調べで 菅原となった。

菅原と藤原は 他にも 同じ家でそうなることがある。

京都北野天満宮で 中に入るとそれぞれの 社の立て札の案内に 敦美親王と菅原道真に血縁関係がある と 書いてあった。

敦美親王の系は 道長と結びつくと貴族になり
京極と結びつくと どんどん 武士化していった。近江源氏 (宇多源氏)佐々木氏
[14]さくらさんからのコメント(2011年04月08日 03時56分56秒 ) パスワード

(「伊達一族とその起源」の2)より
中山信名等の編による『新編常陸国誌』には、
『尊卑分脈』の山蔭流系図とは異なって、伊達氏の先祖を次のように記す。

「実宗初て伊佐中村に居る、因て中村を氏とす。子秀宗、徙て山尾に居る、
世山尾蔵人と称す。又下野守に任じ、芳賀郡に居り、氏に因て其地名を中村と改む。任満ちて伊佐荘下館に還り居る、世下館侍従と称す。
子助宗嗣ぎ大舎人たり」とある。そして、これと同様の系図が「梁川八幡神主菅野氏系譜」(『梁川町史』5所収)にも見える。

神主菅野氏は菅原姓を称した。
[15]さくらさんからのコメント(2011年04月08日 04時06分18秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2011年04月08日 04時09分12秒
[16]さくらさんからのコメント(2011年04月08日 04時19分13秒 ) パスワード

8松浦神社は 淀姫神社の間違いです。すみません。

本のほうには 氏子なども書いてあったので・・・とりあえず ネットから いただいてきました。

沙迦羅龍王(さからりゅうおう)
「さがらりゅうおう」とも読む。天龍八部衆の龍族のうち、もっとも強大な八大龍王の一神。
古くはインド神話にに起源を持つこの神は、「サーガラ」と名を持ち、サンスクリット語での意味は「大海」であり、「龍宮の王」だそうです。

「記紀」によると、日本に仏教が伝来したのが欽明十三年(西暦552年)ですから、その頃にはもう天龍八部衆は仏教に帰依していたこととなっており、八大龍王も同じく仏教の守護神としての性格を持っています。
後世の神仏習合の間に、この神話の中に取り込まれた可能性も垣間見えます。
しかし、元来の「名」の性格はそのまま受け継がれており、神宮皇后三韓征伐のくだりでも、やはり「龍宮の王」であることに間違いはありません。

龍王は 「鹿島神宮」にも いる。
毘沙門天の眷属
毘沙門天の眷属は
龍神 
天狗(天津狐と鳥の間の子孫)
である。
[17]さくらさんからのコメント(2011年04月08日 04時35分22秒 ) パスワード

松浦地方の族長「磯良」(しら)
もともとこの九州北部地方は海人族の治める地域でした。
「磯良」は普通「いそら」と読みますが、昔使われていた名では「しら」とも呼びます。
(※万葉仮名では「磯」を「し」と読みます)

先述の「肥前旧事」「八幡童蒙記」などの文献を見ると、「高良磯良」「安曇磯良」と二つの名が出てきます。
「高良磯良」は、恐らく武内宿禰の率いる部族、「安曇磯良」は福岡の志賀島を拠点とする部族だと思われます。
当淀姫の伝承に出てくる「磯良」はが果たしてどちらの「磯良」なのかは不明です。
ともあれ、この地方を中心にした強大な海の民がいたことは間違いないようです。

[18]さくらさんからのコメント(2011年04月08日 04時38分31秒 ) パスワード

『常陸国風土記』行方の郡の條に
「建貸間命が先住民の国栖を一網打尽にする際、杵島ぶりの歌曲を歌って歌舞を行って誘き出した」と記されている。

この杵島は『肥前国風土記:逸文』に出ている杵島のことで、
杵島の坤(南西)の峰を比古神、中の峰を比売神、艮(北東)の峰を御子神という。

御子神は別名軍神とも呼ばれ、この神が動くときはただちに戦がおこる。

この肥前の三神は素盞嗚尊、稲田姫、五十猛命であり、
軍神とは五十猛命のこと、イソタケル、
常陸では安曇の磯武良(イソタケル)として顕現したのである。

『琉球神道記』に
「鹿島明神は人面蛇神、一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯の如し、故に磯良と名付く。」とあるのに符合する。
[19]さくらさんからのコメント(2011年04月08日 05時18分44秒 ) パスワード

「スサノオ」は 「尾方」。おがた は 天孫系の神社・市房神宮 人吉青井阿蘇神社 宇佐八幡にも 関与する。
又 日向華本姫と蛇神との話があり 子孫 大いに繁栄したという。

宇佐八幡の阿蘇神社縁起では 高知尾明神 阿蘇神社 宇佐八幡をきょうだい神とし、高知尾明神を 神武の二郎とする。

大物主(大国主)は 佐田 山口。
佐田(牟礼)の屋根のつくり 大国主がいる出雲へ向かい北向かいの神社。
事代主は山口 佐田 高岡 
高岡に 物部の系があった。物部遠祖は天照国照彦天火明櫛玉饒速日命で天照を冠するのは ににぎ では なく この人。
丹後籠神社では 事代主が天照国照彦天火明櫛玉饒速日命とする。この神社の秘神を猿田彦 配神を弁財天とする。


「尾張熱田神宮」の 「熱田氏」の本姓を 「安曇」と 太田亮氏 は言う。
「熱田大宮司」は 「武内氏」で 「田中と通ずる。のち 系が藤原に移る。

多氏は 祖先・事代主の子・鴨王。
鴨王の 子孫が名乗る 中原からは 中臣 が 出た。

おがた サダは同族。ワンセット 山口も同じグループ
後 金 女真(女直) などで 顕著な性格を持つが 神代の話は もっと前で いうなれば 磯良の話は 神農氏(赤帝・炎帝)子孫・共工氏の伝説と酷似しており、
黄帝 神農氏(赤帝・炎帝)の頃 それより 以前は 伝説の帝・皇は 蛇(龍)体だった。
伝説の時代では 討った方も 討たれたほうも 同族。

このあいなかに 白石。
高 と 白石はセット。(白石は磐井を名乗り 君姓 古代の皇族と考える 王氏だったらしい 甕棺に関与し 荒木田家嫡流の人は 天照の骨 後に神武の骨というものが入っている甕棺と書く 甕棺は漢王室の間の期間にあるが もっと 前からあったらしい)

九州では 熊襲もいたが 熊襲も イザナギ・いざなみの子供。 
[20]さくらさんからのコメント(2011年04月08日 20時51分34秒 ) パスワード

明治天皇ご生母を出す松浦氏に関与したり松田聖子を出す蒲池氏

4より 宇都宮(中原・佐田と接点がある蒲池氏)

蒲池氏系図 で検索
「上蒲池の菩提寺の西念寺」は戦災にあうこともなく現在に至り、蒲池氏の系図や蒲池文書 などを 多数伝えている。系譜資料で代表的なものが、 ... 国郡代として日田にいた蒲池 嫡流(下蒲池)後裔の窪田鎮克は、晩年に蒲池に復姓する際に蒲池系図を調べている。→ここは 嵯峨天皇を始祖とする嵯峨源氏。渡邊の筋。つまり 一族の子孫から明治天皇を出す。

宇都宮氏とのつながり
この嵯峨源氏の源久直を祖とし、やはり嵯峨源氏の松浦党の源圓により受け継がれた蒲池氏は、南北朝時代に嫡子のないまま蒲池武久が多々良浜の合戦で討ち死にし、一旦は家系が絶えてしまう。娘が 一人おり、その夫となり蒲池の家督を継いだのが、関東の下野宇都宮氏の一族で九州に西下していた 宇都宮貞泰のひ孫にあたる宇都宮久憲だった。この蒲池久憲以降の蒲池氏は、筑後宇都宮氏ともいうべき存在となる。

[21]さくらさんからのコメント(2011年04月08日 20時54分00秒 ) パスワード

太田亮によれば蒲池氏は「筑後屈指の名族」だが、その出自については諸説あるとして、「藤原純友説」「嵯峨源氏松浦党説」「藤原氏北家宇都宮氏説」を挙げている(『姓氏家系大辞典』第一巻。角川書店)。

多氏の子孫説は、阿蘇神社関係の古文書によると阿蘇氏の祖とされる多氏は神武天皇の子の神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子孫とされるが、神八井耳命の孫の速瓶玉命(はやみたまのみこと)の奥方(妃神)が阿蘇国造神社の主神である蒲池媛(かまちひめ)であり神功皇后に仕えたとされ、その子孫という伝承である
[22]さくらさんからのコメント(2011年04月09日 23時30分13秒 ) パスワード

桓武天皇(柏原天皇)より 名前が同じ・柏原神社と柏原黒田神社
神奈備にようこそ
柏原黒田神社
由緒
 『社頭説明板』から
 当神社はもと塩殿神社と称し、塩土翁老を祭祀せるも、昭和二十年戦禍に遭い、社殿の損傷甚だしく、宮司これを感嘆し、その復旧を図る。時に★「北条鎮座氏神黒田神社御祭神」★ならびに上市鎮座春日神社御祭神を勧請合祀する声高く、三社の関係者合議のうえ奉賛会を組織して浄財の募集にあたり、昭和四十四年六月の浄暗に黒田神社御祭神ならびに春日神社御祭神を合祀する遷座祭を斎行し、社名を柏原黒田神社と改称す。

柏原市今町 柏原神社 ご祭神・、白鬚大明神です。この方は猿田彦。

『創建の年月は詳ならず。元、とある邸内に鎮座せしを、明治十三年信徒の協議に依りて当所へ遷座。無格社なりしも、泉北郡向井村の村社若林神社「天照皇大神、表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長帶比賣命」を合祀するとともに村社に列し、更に志紀村の稲荷神社「倉稻魂命」を合祀。(大阪府全志から)』
という文面を発見しています。


[23]さくらさんからのコメント(2011年04月10日 00時18分59秒 ) パスワード

「佐太」→佐太直・佐太忌寸が東漢氏系(坂上・山口・大蔵などが同族)
「佐田」が大中臣氏系
「佐多」が倭建命を祖とする健部氏系
で、別々に見えるけど、佐田大神は猿田彦で 遠祖・神魂尊。

22の白鬚大明神に通ずる。
又 北条鎮座氏神黒田神社とあって 
橘 北条・・・こやま おやま   こやま先生は何故武蔵を知っていたか?に通ずるものがあるみたい。

4につき 武家家伝_待機中01
英保(あぼ)氏は宇野(小寺)氏の分流で、始めは江見氏を称した。助兼の時、分家して 姫路近郊・英保城の主となり姓とした。鷲尾氏は関東の千葉氏が源流であり、淡河氏は北条時房の分かれであるからである。
4で本姓・中原としている。
道兼を祖とする佐田はもと中原。

[24]さくらさんからのコメント(2011年04月11日 05時30分13秒 ) パスワード

21の蒲池には 「山口」からたどりついた。私の姉と山口男子はいとこどおし。山口 白石 高岡は からまりあっている。

16淀姫神社には 恒松から 集落の中の市房神宮のお鏡を預かる家と同じところにいる。
恒松でネット検索すると
相良晴広女(島津義弘室後上村長陸室)
年度不明), 誕生 父・相良晴広、母・側室恒松氏(御東殿), 「南藤蔓綿録」巻之五 巻頭系図. (年度不明 永禄7〜永禄11年頃), 1564〜1568, 成人後、島津 忠平(後の島津義弘)の居城である飯野城に嫁ぐ, 「南藤蔓綿録」巻之十 元和三年十月 ...

というのが出た。佐多からも島津が出て、島津は志摩の国という意味だと本で見たことがある。
[25]さくらさんからのコメント(2011年04月11日 05時57分49秒 ) パスワード

まったく別口の話だが 恒松で検索すると 河野が出る。恒松も系図には関係しない。

伊予八塚 八塚氏の系図
河野通信・・・・彦狭嶋王命より50代なり。本家筋なり というのがある。
2−1)彦狭島命
@父:7孝霊天皇 母:蠅伊呂杼
A第3皇子、兄弟:稚武吉備津彦 大吉備津彦など
別名:伊予皇子
B越智氏祖(新撰姓氏録、記紀)。但し伊予国に来たことを記した文献などないとされている。
で 佐田が関与する蠅伊呂杼がいた。

又 別府という家が河野系図に見え 高岡 佐田をおいかけるとき なにかでみたのだが そのときは 意識していなかったので どこで みたか思い出せない。

系図に別府ということばが良く出る。
別府は高岡を追いかけているとき よく 出てきた。
[26]さくらさんからのコメント(2011年04月12日 19時31分31秒 ) パスワード

8・16・17・18より
恒松という家が集落にある。同級生がおり、学生の頃先生が「恒松の家は昔は武士か?」と聞かれたのに本人がうなづいたので心に残っているのだが・・・

相良晴広女(島津義弘室後上村長陸室)
年度不明), 誕生 父・相良晴広、母・側室恒松氏(御東殿), 「南藤蔓綿録」巻之五 巻頭系図. (年度不明 永禄7〜永禄11年頃), 1564〜1568, 成人後、島津 忠平(後の島津義弘)の居城である飯野城に嫁ぐ, 「南藤蔓綿録」巻之十 元和三年十月 ...



[27]さくらさんからのコメント(2011年04月12日 19時50分02秒 ) パスワード

恒松で大田亮氏辞典
肥前 淀姫社 承元3年文書 基頴郡恒松みゆ 

淀姫神社は松浦に2つ 佐世保に1つある。・・・長崎県の地名 日本歴史地名大系43 平凡社

北松浦郡 528上
佐世保市 602中
松浦市  615下
淀姫石器製作跡(佐世保)588中

1小佐々村(こささむら)
山代文書(関東下知状1244寛元2年)
松浦家脈族譜 松浦史料博物館蔵

永仁5年1297年
永仁3年 近江佐々木氏の一族 佐々木小四郎が当地に來住して小佐々氏を称したとしている。(永徳寺由来記)

岳の木場免に宝永3年(1706年)再建 淀姫神社

2 松原村
大野村南島部南に烏帽子岳がある。江戸時代平戸藩領

淀姫神社はトヨタマヒメ命をまつる。
ヤモード神事(注連縄をかける)
ヤモード→山の人 山ノ神のことで マレビトの変身と考えられる。

3松浦市志佐町浦免
祭神 景行天皇 淀姫命 豊玉姫命

淀姫とは神宮皇后の妹で 三韓出兵に随行したという。欽明天皇24年の創建。

4佐世保湾の東の天神丘陵にある旧石器時代の遺跡。
未発掘 黒曜石

旧石器時代・縄文時代の石材として用いられた。
旧石器時代の瀬戸内技法の工程が再現できる。
ー日本歴史地名大系43平凡社ー
[28]さくらさんからのコメント(2011年04月12日 19時54分07秒 ) パスワード

福賀村郷土誌(昭和29年発行)
佐々木古志らうの墓
「東に剣豪宮本武蔵あり西に剣豪佐々木小次郎あり」と謳われた当時の剣士二士、是に勝負をさしたら嘸面白いであろうと云い出したのが原田で遂に二剣士の勝負となり、彦島を場所として勝負の幕は切つておとされた。
一瞬の負が永ごうの負、遂に敗れた小次郎の遺髪を抱き当時懐妊中の妻は切支丹の信者であつたが折柄厳しい切支丹の圧迫にもたえかねて流れ流れて山陰の地に茲寺ヶ浴の廃寺に剃髪して尼となり、夫小次郎の冥福を祈りつつぼだいをとむらつたというのが伝説であり、その時、我が子に対する因果応報(昔は武士道として仇討の習があつた)の絆を断ち切る為、小次郎を古志らうと替えて記したとの云い伝えであり、今にその部落に佐々木の姓を名のる家があるも血統か否か不明である。
[29]さくらさんからのコメント(2011年04月12日 20時04分22秒 ) パスワード

大悲観岩陰遺跡 永徳禅寺
第92代伏見天皇の永仁3年(1295、鎌倉時代)近江の豪族、佐々木盛綱入道の子孫・佐々木 小四郎が当地にくだり、小佐々小四郎と称し地頭矢岳大守の時、佐々正興寺黙堂和尚の 道風を慕い開山したと伝えられています。

28の古志らう と 間違えました。


[30]さくらさんからのコメント(2011年04月24日 21時23分51秒 ) パスワード

27小佐々氏 近江佐々木氏の一族・佐々木小四郎
佐々木秀義略系図 9代目・佐々木時綱のあと 

佐々
佐々神社 開化天皇の後 丹波道主族
志夫美宿禰は佐々君の祖。
志夫美は伊勢国安濃郡渋見邑(今安東邑の大字)より起こる。渋見神社あり。

玄松子さんのページより

佐々神社
 ささ
三重県伊賀市音羽618   神紋 5枚根笹
式内社 伊賀國阿拝郡 佐々神社

御祭神
八重事代主命
合祀 須佐之男命 倉稻魂命 大己貴命 金山彦命 大山祇命

祭神は、現在、八重事代主命だが、
『神名帳考證』や『神祇志料』では、佐々貴君の祖神(大彦命)を祀るとあり、社名の「佐々」を祭祀していた氏族の姓によると考えているようだ。
[31]さくらさんからのコメント(2011年04月24日 22時22分21秒 ) パスワード

佐々
佐々木氏流
信綱の三男・奉綱の子(頼起(佐々山助僧都)一本良輝)時綱(四郎)

宇多源氏 京極殿 給帳 一万石 佐々五郎兵衛 京極家の重臣 他

佐々成政(比良の佐々) 尾張の佐々と同流
            菅原姓餘語氏流 改め 源氏 上に同じ

加賀の佐々       成政の弟から出る。

北家上杉流 

★美作の佐々       東北条郡 佐々孫五郎 信州川中島にて森忠政に仕え★、津山に来て 東北条郡に移り 更に この地に来る と。
[32]さくらさんからのコメント(2011年04月24日 22時34分18秒 ) パスワード

31★の範囲 うちの笹井と重なる。

★佐々成綱は 源平盛衰記では 紀姓★。

★佐々木秀義★ 伊豆国源平合戦のとき 平氏と戦う。
      ★平氏富(田)進士家助★なり。
        ⇔★京極・溝口  六角★に別れる。

肥後の佐々木(隣の集落にいた。この系かはわからない)
      長綱の後。秀義―定綱―信綱―奉綱―長綱(唐橋)(西条)

★の範囲 紀姓⇔佐田 紀姓。武内宿禰もこの流れにある。
     秀義は平氏富(田)進士家助か?
     家助は 家康に関与する。富田は 高岡 佐田に関与する。
     
こぼれ話
溝口は 相良氏に関与し 
     このたび 聞きこんだのだけど
     私の同級生の溝口の家の結婚式に 高岡・永田が来ていてこれも同     級生が 聞いて 遠い親戚だって・・・ と 教えてくれた。

(ここの高岡は うちとは 少し筋が違うといい、前当主は地域の長をしていた。戸籍取り寄せのとき 兄弟の別れは子孫とは言わないのです ということで 遡れば繋がるかもしれないが、うちのほうは壬申の戸籍は皆焼いたというので無理かも・・・うちの高岡は 三代くらい前の戸主が 三男が高岡の遺跡を継ぐ とある。)
[33]さくらさんからのコメント(2011年04月24日 22時50分49秒 ) パスワード

松本藩士・戸田家の家来に 笹井があり 丸五枚笹 丸九枚笹
大阪茨木総持寺の 墓地に 林家の大きな墓があり 丸九枚笹。

林は 鞍作り 林臣 蘇我 武内宿禰から 出る と。漢王室子孫・阿智使主随従七姓の漢人に鞍作りがある。
仏教戦争は身内の争いと 物部氏・蘇我氏では いっておられると・・・

総持寺は 藤原山陰が建てた。山陰は 京都・吉田神社も建てた。山陰の孫娘が藤原道長で、山陰の墓は 総持寺墓地にある。上の林家の墓と同じ墓地。

[34]さくらさんからのコメント(2011年04月24日 22時56分12秒 ) パスワード

うちの笹井は 岡山から来ている。信州篠ノ井に戦敗したあと、岡山に来たとしている。森候入国の際 出でて仕え とあるので、松本藩士戸田家家臣笹井と同族だろう。

戸田という家について
本でみるところでは 
堂上家ではないが藤原近衛流。

岡山に「今村宮」があり
そこの 宮司も 笹井。
神主に 黒住氏がいて、 孝明天皇に 天照の神道を ご進講したという。
織部の黒住氏というが ここが もとなのだと・・・ 
[35]さくらさんからのコメント(2011年04月24日 23時07分34秒 ) パスワード

高岡   天照国照彦天火明櫛玉饒速日命
笹井   八重事代主
佐田   大中臣 中臣 卜部
白石   皇孫・天津彦彦火瓊瓊杵尊 山幸(白石明神より)
に 関与していた。

吉田 卜部は 吉田。
尾方 スサノオ 
松本 集落で 尾方 吉田 松本は 親戚だと。

田中    高岡の姻戚関係にある。
高田    萩は 四軒で 萩。そこにある。今は川向こうの集落に移った。
永田    萩にある。今は 川下に移った。
山口    下益城郡にいた。
[36]さくらさんからのコメント(2011年04月24日 23時19分40秒 ) パスワード

『古事記』・『新撰姓氏録』・『先代旧事本紀』・『阿蘇氏系図』によれば、神八井耳命の子孫は繁多に分かれ、多君(太安万侶の一族)・小子部連・坂合部連・火君・大分君・雀部臣・小長谷造・伊予国造・金刺舎人・石城国造・丹羽臣・茨田連・嶋田臣等

笹井は 他に 根笹を使う 清和源氏がいる。

[37]さくらさんからのコメント(2011年04月24日 23時32分06秒 ) パスワード

孝元天皇の兄の家が 雀部朝臣だと。(この頃は朝臣といってない。)。
[38]さくらさんからのコメント(2011年04月24日 23時32分48秒 ) パスワード

雀ささき  雀部条を見よ
      (大)雀臣 武内宿禰の末
       臣勢氏の族 雀部朝臣

      摂津の雀部 違い柏 兎原郡

      丹波の雀部  天田郡に雀部郷あり。
             松尾文書 神家 雀部城(佐々木村)
             丹波志  雀部鍛冶子孫 福知山 紺屋町 下荒野町 鍛冶半兵衛 前田村に由緒あり。

雀部造  多臣族。 古事記・神武段 神八井耳命は雀部臣 雀部造云々等の祖。

雀部臣  武内宿禰の末。星河建彦宿禰

越智 越智はこしち をち条を見よ

皃島 備前国皃島郡 和妙抄 古之末 神代以来 旧地 
          イザナギ・いざなみ 国うみ条 古事記に建日方別 吉備・皃島を生む。
皃島高徳  父・備前国 和田二郎範長
      松崎・和田同族  和田は 佐々木氏流

      今木三郎和田備後の守範長が子・ 新羅王の子・天日槍の後なり。
                   「西源院本太平記」
[39]さくらさんからのコメント(2011年04月25日 00時49分37秒 ) パスワード

さなえさんへも見てください
[40]さくらさんからのコメント(2011年04月25日 02時56分56秒 ) パスワード

和田は前に見た本では 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命の末だった。

皃島高徳は ウィキより
太平記中では和田、今木といった苗字で表記される場合もあり、「児島」を「小島」と書き換える表記も散見される。

1331年の元弘の乱以降、後醍醐天皇に対して忠勤を励み、南北朝分裂後も一貫して南朝側に仕えた。晩年は出家し、志純義晴と号した。正式な法名は、志純義晴大徳位。

武家家伝佐田氏を検索すると 画面に 「筑後佐田・新 田氏系図」の言葉が出る。
新田 朝氏(にった ともうじ)は、新田氏本宗家の7代当主。新田基氏の長男で、新田義貞・脇屋義助の父。

脇屋 義助(わきや よしすけ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期の武将。新田朝氏の次男で、新田義貞の弟

脇屋義助の子・義治の妻が皃島高徳の女子。
[41]さくらさんからのコメント(2011年04月25日 03時02分57秒 ) パスワード

皃島高徳 と 新田 と 佐田 と 徳川家康 の関係

義助(脇屋)室高徳女子徳子ー脇屋義治(政義女子脇屋義治室)

義明(妻は佐田義久(脇屋義治の末子)の娘) 義隆.

家時(新田源太郎)ー満義ー政義女子脇屋義治室 

(源)新田義重ー義季(得川四郎)ー頼氏(世良田)ー教氏ー家時ー満義ー政義ー親季ー…松平清康━広忠ー徳川家康
[42]さくらさんからのコメント(2011年05月02日 23時50分46秒 ) パスワード

佐田=中原=鷲尾(四条)=英保=宇野=小寺=小河
佐田=中原=鷲尾=四条(四条貞子と結婚する西園寺実氏)
西園寺ー徳大寺家は閑院流で西園寺 三条家とは兄弟筋。
佐田=中原=黒田=小寺=鷲尾(四条)(黒田職隆氏が有る期間小寺氏の養子)
宇野 赤松は 村上源氏とする。北畠=佐田

赤松
村上天皇ー具平親王ー土御門師房ー六条顕房ー赤松季房ー○ー○ー宇野則景

櫛橋氏(櫛橋 娘婿 黒田)
藤原鎌足→藤原師輔→孫・行成・・・伊経→子・櫛橋氏祖・・・伊朝
         (世尊寺) (鎌倉時代没) (1331以後南北朝期)


櫛橋氏の系譜の史料
建仁寺・南禅寺の住持を歴任した禅僧・天隠龍沢の「翠竹真如集」にある。

伊朝―伊光─伊範─伊高─貞伊、そして則伊と続く。
伊朝は赤松氏に従って各地の戦いにおいて活躍した

この頃 赤松氏には
赤松一族の佐用・柏原・宇野がいた。

赤松は 三木城などに関与するが
別所長治の家臣
淡河弾正忠定範はじめ後藤又左衛門、別所甚太夫、光枝小太郎、 「櫛橋」弥五三、高橋平左衛門、小野権左衛門ら・・・

応仁の乱
播磨・備前・美作の守護に補任されることを得た。この間、則伊も政則の下にあって活躍し・・・

則伊は浦上則国の守る守護所福岡城の救援に赴き、・・・

多難ななかの天文十一年に伊家は死去したようで、伊定が櫛橋氏を継承した。
伊定の娘は「小寺氏の家老官兵衛孝高」に嫁いで男子を生していた。官兵衛はのちの「黒田如水であり、その子は黒田長政で福岡藩祖となった。その縁で、櫛橋氏は黒田氏の家臣となった」と『図説三木戦記』に記されている。

•櫛笥(羽林家/藤原北家四条流)
くしげ【公家】. [櫛笥(羽林家/藤原北家四条流)] 藤原北家四条流。祖・隆憲は、櫛笥家譜によれば四条隆益の二男で実正親町三条公兄の孫 とある。隆憲は四条を号していたが、後嗣の隆致以降は櫛笥家を名乗った。

宇野則高 則清 千代寿(村頼と推定される)
宇野則高
法諱を龍尚、号を仙友という(補庵京華別集)。

播磨宍粟郡の長水山城( 広瀬城とも。兵庫県山崎町)を居城とした。
応仁の争乱もたけなわの文明元年(1469)のこと。細川勝元は大内政弘に包囲された摂津池田城を援護するため、赤松政則に大内方の重要拠点・兵庫嶋を攻撃するよう要請した。このとき、政則が兵庫に出陣させた武将の一人として、「宇野越前守則高」の名がみられる(応仁別記)。

宇野則清
法名を春谷性栄禅定門という(『補庵京華別集』『翰林葫蘆集』)。
則清の系譜については、横川景三(1429〜1493)の著作『補庵京華別集』に、「赤松越州府君」の長嫡「宇野四郎源則清」と書かれているのがヒントとなる。

宇野千代寿(村頼と推定される)
武家家伝宇野氏系図に村頼はある。

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