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 投稿番号:101107 投稿日:2009年06月13日 20時28分02秒  パスワード
 お名前:半田
半田一族
キーワード:すべてを知りたい
コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

はじめまして。

自分は北海道の旭川市生まれの

半田です。

この半田がどこから流れてきたかを

知りたいと思い記載しました。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月14日 00時18分27秒 ) パスワード

半田さん

初めまして。
全く分りません。


が、1番確実な助言として、
御自分から遡って明治の御先祖さまの戸籍謄本(除籍謄本)を取得なさってください。


御先祖さまがどこから来たのかは北海道の場合は手蔓が掴めますよ。
というのは北海道開拓団として(屯田兵かな?)士族がたくさん入っていますから。
最初に直感として、旧尾張藩の佐幕派関係者かな?と思いました。
もし明治の初めの御先祖さまが「八雲」出身なら尾張藩関係でしょうね。


そうでなかったら可能性は日本全国になってしまいますかねえ?

地名の半田というのでも日本全国にありますでしょ。
1番フツウなところとして三重県の津に半田があるし、愛知県には半田市があるし
その他、岡山や福島や大阪や、ありとあらゆる所に半田という地名はありますよ。


半田さんの御先祖として
秦氏
平家
あたりかな。

平家の子孫で平家出身を隠すために平を半にしたというのが他のスレッドに書かれていますしね。
どっちにしろ伊勢・伊賀がらみかな?


愛知県だったら旧尾張藩が時々子孫に限って分限禄を公開しますよ。
八雲がらみなら旧尾張藩関係者には(あ、佐幕派だった子孫だ!)ってスグに分ります。


ですから、まず、明治の御先祖さまの戸籍を取得すること。
また1970年代前半の戸籍謄本には身分が載っていますよ。士族とか平民とか。


わたくしの友人は名寄だか足寄だかの人ですが、
先祖が旧美濃国出身で
尾張藩の竹腰系(この家老は美濃に本貫地があった)なら同じく八雲に入殖したと思います。
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年06月14日 10時08分59秒 ) パスワード

細川たかしは「先祖は石川県から屯田兵で来た」と語っていました。


金沢も幕末は同じく佐幕派と勤皇の戦いがあって
蛤御門の戦いで長州が負けたので、天皇を金沢に御動座頂く話を主君の前田以下が裏切って
勤皇方を大勢斬首したんだそうです。

その後、長州が盛り返して、勤皇方の世の中になりましたから
佐幕方は大変なことになり
それで北海道に渡ったのかも。


前田家も元は尾張名古屋の荒子の出身ですから
半田姓の人が石川県にいたとしてもおかしくないです。


明治の頃の除籍謄本が手に入ると良いですね。
その頃の住所の近辺に半田さんが今でも住んでいらっしゃったら
御先祖の一族かも知れませんね。
名字と家紋が一緒なら御一族でしょうね。
[3]半田さんからのコメント(2009年08月01日 12時57分02秒 ) パスワード

お返事遅くなり大変勝手ながら失礼いたしました。
色々と忙しい毎日だったので…本当に御免なさい。

私の父は函館生まれ、母は満州国で生まれ七つの時に旭川へ戻ったらしく…

私は旭川市生まれなんです。

母方の遺族方がアイヌの血を引いてるって思うんです。

父はキリシタンでした。名前も持ってたらしく…もう亡くなっていませんが、

相当な時間、母にキリシタンだと隠してたらしいです。

半田家の戸籍探しをしてみます。

新しい発見あれば報告します。

初めながら、お返事凄く嬉しいです。

これからも宜しくお願いします。

半田 誠より
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年08月02日 01時24分02秒 ) パスワード

お父さまはキリシタンでしたか。

キリシタンでしたら長崎が1番有名ですが
日本全国でキリシタンはいたでしょうね。

明治時代にもキリシタンであることから迫害を受けた話は聞いたことがあります。


教会にお父さまやお祖父さま、そのまた御先祖さまの記録があるでしょうね。


とにかく明治の初めの除籍謄本が手に入りますように。
当時お住まいだった住所の探訪に行けると良いですね。
[5]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2009年08月02日 18時33分50秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/

半田さんへ
 
半田姓は約35,500人も存在する大姓です。
家数に換算すれば、約8,900家も存在します。
発祥地としては、ざっと挙げれば、
陸奥国津軽郡半田邑、岩代国伊達郡半田邑、下野国都賀郡半田邑、
上野国群馬郡半田邑、常陸国河内郡半田邑、常陸国新治郡半田邑、
武蔵国葛飾郡半田邑、遠江国長上郡半田邑、尾張国知多郡半田邑、
伊勢国安濃郡半田邑、飛騨国吉城郡半田邑、越後国苅羽郡半田邑、
越前国足羽郡半田邑、丹波国船井郡半田邑、丹波国天田郡半田邑、
河内国丹南郡半田邑、和泉国南郡半田邑、播磨国揖西郡半田邑、
阿波国美馬郡半田邑、伊予国宇摩郡半田邑、伊予国新居郡半田邑、
肥前国松浦郡半田邑、肥後国飽田郡半田邑など。

従って半田姓だけでは、何の手がかりもつかめません。
江戸時代に居住していた場所を突き止めることが先決です。
 
キリシタンが明確で有れば、遡及がさらに困難と思われます。
例えば、天正少年使節として伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノの四名が欧州等に派遣されているが、その後禁教となり殉教者は家系図から削除、その他の資料も抹消されている。
現在四名の出自家系は、海外文献により解明されている。
[6]半田さんからのコメント(2009年08月15日 20時32分21秒 ) パスワード

お返事遅れました。

今は仕事中で…

色々と細かくありがとうございます。

時間を見て探索します。

先祖がないてるような気がして…

家計追ってみます。

本当にありがとうございます。
[9]大木みち子さんからのコメント(2021年01月23日 11時41分16秒 ) パスワード

はじめまして、私の母の先祖が半田という姓です。
三重県の亀山藩に仕えていた武士です。
半田忠太夫という名前を代々、男子が継承してます。
江戸時代の大坂の陣にも登場してます。
大久保家の家臣団の一つでしたが大久保忠総が亀山藩の石川家へ養子にはいると、半田忠太夫もついていったようです。
明治維新で、禄高がかなり減少しました。
百十五銀行を立ち上げた半田忠誨、また本家は北海道へ移住したと聞いています。
[10]うめきちさんからのコメント(2021年01月30日 16時55分56秒 ) パスワード


すこし調べてみました
大久保忠総→石川忠総は出てきますね

長上の方でサイトがでていたので拝見しておりましたが
伊勢に大久保城というのがあるようですし
半田氏についてですがしばしお待ちください
[11]うめきちさんからのコメント(2021年01月30日 20時02分55秒 ) パスワード

亀山市史をみておりました
こちらですかね
半田忠太夫殿とありました

西丸町 個人T所蔵 その10
資料番号 70-8-187

可能なら許可をとることにします
[12]うめきちさんからのコメント(2021年02月07日 13時19分05秒 ) パスワード

百十五銀行で
若月 生田という方が出てきました

半田忠誨はまだですが
やはり亀山市史でした
[13]うめきちさんからのコメント(2021年02月11日 20時25分49秒 ) パスワード

大坂の陣、石川忠総がでます

http://www.shimin-kyodo.sakura.ne.jp/bungei/aichikogan/tokaido93.htm


ご覧になってください
[14]うめきちさんからのコメント(2021年02月12日 08時15分12秒 ) パスワード

亀山市史 資料

西丸町 個人T所蔵 その10
資料番号 70-8-187
原題名(補足題) 不時帳附につき拙宅への呼出し状
発給年月日 (近世)5月18日
西暦年月日 9999.05018
発給者→宛所 平岩宇門→市川逸馬殿/半田忠太夫殿/増田太郎右衛門殿/同十次郎殿/香取半右衛門殿/船橋弥次兵衛殿/猪野源助殿/片山太右衛門殿/岡崎良庵殿/岡政右衛門殿/佐藤十右衛門殿/同大治郎殿/五十川郡右衛門殿/佐藤源右衛門殿/服部瀧右衛門殿/小川七平殿/坂本吉兵衛殿/橘良甫殿/藤浪源太兵衛殿/三嶋権八郎殿/前田俛藏殿/同■三郎殿
一括状況 70−8−182〜201紙縒一括
備考 継目剥離、9継
[16]うめきちさんからのコメント(2021年02月12日 18時20分16秒 ) パスワード

亀山市史ですが
こちらから出入りということでした
http://kameyamarekihaku.jp/sisi/index.html
あげておきます
[17]うめきちさんからのコメント(2021年02月25日 10時22分00秒 ) パスワード

遅れまして すみません

千賀地が地名であるのか今しらべて居ります
[18]半田さんからのコメント(2021年09月02日 07時58分33秒 ) パスワード

半田さんはじめまして

半田と申します笑
半田は長野の上田の方にあります傍陽(ソエヒ)辺りが出になりまして半田弾正信久様が始祖と言うこととに一応なっており傍陽に行きますと弾正塚や半田建立と言われて居る寺院や神社もあります。
場所的には真田さんのご近所さんで武田さんのお隣さんな感じです。
製鉄一族(家紋は梶の葉で諏訪大社)で600年前はかなりの豪族だったようです(3代に渡って正式な弾正だったようです)
因みに真田信綱は実は半田弾正信久様の実子で真田に養子に入ったのではないかという説もあります。

言い伝えを私が知る限りでは織田信長と戦って負けた長篠の戦いが半田一族にとっては大転機だったかもしれません。
戦国を生き抜き最後は徳川方について幕末を戦ったようです。
基本的に長野から北海道にかけての北側では半田という地名や姓の目立つところは幕末に幕府が集まって戦いを挑んだ所に目立つような気がします。

因みに製鉄一族で長野ということは泰氏系で、朝鮮半島、百済や新羅の方から渡ってきた一派だと思っています

もし私の知り得る範囲のことで宜しければお伝えすることは出来ますのでメール頂ければお知らせ致します
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