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 投稿番号:101074 投稿日:2008年12月19日 20時45分09秒  パスワード
 お名前:後平 URL=http://bbs.muryo-de.etowns.net/r.cgi?log=tachikawa
葛西氏、最上氏

コメントの種類 :落人伝説  パスワード


 家紋から葛西氏との関係を調べたらいいのではないかとお聞きしたのですが

北海道に百年以上、山形に三百年以上先祖がいたらしいのですが山形は最上氏

の領地だったようですがその辺に詳しい方はいらっしゃいませんか?

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月20日 03時20分40秒 ) パスワード

全く分りませんが

http://www2.harimaya.com/sengoku/bukemon/bk_kasai.html

奥羽葛西氏は三つ柏紋になってますね。
秋田とか。


そうしますと
明治維新頃に北海道に渡った士族(の一族?)ということで
北海道も史料を手に入れないといけませんね。


北海道は結構新しいですから
御自分からお1人お1人遡って除籍謄本を取得なさって
明治の初めの御先祖さまがどこに住んでいたか調べ
その一族はどのあたりに親戚があるかチェックして

それから「その場所」に行き
同じ名字の人を見つけ本家を探すと良いでしょうね。


もう既になさっていたら、ごめんなさい。


家紋は1家に1紋じゃないですから
(今は1つしか使いませんけど)
ご親戚の方から先祖や家紋や系図のことをお聞きになるのが良いと思いますよ。
まもなくお正月ですからおじさまおばさまなどにお聞きすると良いですね。



後平さんは伊勢ですから
平家バリバリだったようですね。
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月20日 03時36分34秒 ) パスワード

桓武平氏系葛西氏について書きますね。


葛西:豊島氏族

下総国葛西庄よりおこる。
「葛西」系図に
『平良文(村岡五郎)の孫、忠頼の子、中村太郎将恒、治安中
武蔵介藤原真枝を討ち、功を以って下総の葛西郡を賜ふ。』
とある。


略歴は
将恒ーーー武常ーーー常家ーーー康家ーーー清光ーーー清重(葛西氏を称す)ーーー
ーーー清時ーーー清貞ーーー清高ーーー親信ーーー親家ーーー晴親ーーー
ーーー持信ーーー政親ーーー親宗ーーー親信ーーー晴信ーーー
と続く。


清重は頼朝の挙兵に参加し、奥州征伐にも従った。
功により陸奥国の5郡を賜わり
この地に勢力を扶殖した。


南北朝の頃は初め、南朝方につき
次いで
北朝に従っている。


戦国の頃は伊達氏と親交を結び、伊達氏より晴胤を迎えたが
子晴信は天正18年、秀吉の小田原攻めに遅参して所領を没収された。
ついで大崎氏とともに秀吉に反抗したが討伐され
17代続いた名族も亡んだ。
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月20日 03時42分21秒 ) パスワード

http://www2.harimaya.com/kasai/ou_km_k.html

奥州 葛西氏系の家紋のバリエーションが出てますね。


●三つ柏    
●丸に三つ柏     
●隅切り角に三つ柏 
●丸に剣柏
●熨斗に三つ柏 
●抱き稲に三つ柏   
●亀甲に三つ柏   
●丸に蔓柏
●丸に一つ柏
●亀甲に花菱
●下がり藤
●丸に抱き茗荷
●丸に隅立て四つ目結 
●丸に柏
●丸に剣酢漿草

  
柏のバリエーションだけじゃないんですねえ。
[4]後平さんからのコメント(2008年12月20日 10時37分19秒 ) パスワード

 
  ご回答ありがとうございます。

 家紋は違い柏紋で下記から古い家紋だということをしりました。

 北海道は父の兄弟が総本家で山形から移住したというところまでは

 わかっているのですが。教えて頂きました事を参考にして調べてみ

 ます。


第7/33番目の紋様 柏紋

柏紋です。
この家紋はその紋様が柏の葉を図案化したもので、昔はこの葉で旅に出たときはこの葉に飯を盛って食べたました。神聖なものとして朝廷内で扱われ、そして、このことから神木として扱われました。
そのことからこの紋様は神官としての氏の紋様となったものです。

当然、この紋所の青木氏も勤めとして神官であるが、青木氏の場合は藤原氏と同様に自らの菩提寺と同じく神社も自らの専用の一族を祭るものとして持っていました。つまり氏寺と氏神です。

この5家5流の皇族賜姓青木氏の血筋を持つ神官族の青木氏が他の神官関係と血縁関係を持ちました。

江戸時代頃には家紋の持たない多くの御家人が自らのルーツの言伝えから神職の血筋を持つ者はこの事を理由にこの紋様の家紋を採用しました。
従って、主要紋類は別として殆どは江戸初期に132もの紋様に増えたのです。
この6つの紋所は平安初期からの古い時代の伝承です。

詳細は研究室を参照して下さい。

第1は三つ柏紋です。
第2は丸に三つ柏紋です。
第3は牧野柏紋です。
第4は違い柏紋です。

第5は丸に蔓柏紋です。下に掲載
第6は二つ葉蔓柏紋です。下に掲載
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月20日 11時23分51秒 ) パスワード

「違い柏」 桓武平氏 で調べたら 「飯塚氏」というのが出てきました。
[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月20日 11時30分55秒 ) パスワード

柏紋

柏は神々への供物を包む祭器として用いられた。
こうしたことから伊勢・熱田などの神官の専用紋となり
後世はそれらの神社の信仰者が家紋にした。

武士で初めて用いたのは
桓武平氏の葛西氏。
『奥州葛西実記』は文治5年(1189)に家紋化した、としている。

その他、山内一豊の紋としても有名である。


平氏系使用者:
豊前・久間・室・長田・飯塚・服部・横尾・久野・堀屋
[7]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月20日 11時48分18秒 ) パスワード

http://yogokun.hp.infoseek.co.jp/iidukatm.htm

飯塚氏・飯塚城について書かれています。

平国香の子孫、となっています。
平貞盛の父ですね。
良将の兄です。(将門の父)


飯塚氏は佐竹氏に滅ぼされた、となってますね。


ちょっと思い出したのですが
将門が死んだ後、将門の妻子の運命が・・・悲惨・・・
というのがありましたが

平将平の妻子が・・・国香や良文系の人との間に子をなしたのでしょうか?


紀元1000年ごろ、後に、平家になる人々が伊勢に下ってますから
一緒に伊勢伊賀に移ったのでしょうか?
[8]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年12月20日 11時51分16秒 ) パスワード

平将門については
福田豊彦 『平将門の乱』
林陸郎  『史実平将門』
赤城宗徳 『平将門』

この辺りが参考書だそうです。

弟の将平のことも史実が書かれていると思います。
[9]後平さんからのコメント(2008年12月20日 13時41分31秒 ) パスワード
URL=http://profile.ameba.jp/hikko7/


   ありがとうございます。

  参考にして調べさせて頂きます。

[10]山口さんからのコメント(2010年05月06日 00時24分30秒 ) パスワード

うちは 山口氏で 丸に三つ柏紋です。父親が青森県生まれで 大本家 本家 分家と 皆 青森県らしく 名主だったらしく 庭には 大きな柏の木が植えてあったらしいのですが 明治時代に自由につけたものなのでしょうか? もし 詳しくわかる方おられましたら 教えてください。
[24]Masamichiさんからのコメント(2022年04月01日 23時14分04秒 ) パスワード

別スレッドでも書きましたが、うちの家は佐谷氏で違い柏が家紋です。
桓武平氏らしいのですが、色々家紋を調べていたらこのスレッドにたどり着きました。
参考にさせていただきます。
ありがとうございます!
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