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 投稿番号:100978 投稿日:2007年01月22日 09時22分58秒  パスワード
 お名前:暇潰しのギャンブラー
メモ:日本のお酒:さけは神様のお食事

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

NHKの歴史に好奇心「日本酒なるほど物語」のメモです。

最近友人達とお酒のお話で盛り上がったので
番組の内容について書き留めておきます。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月22日 09時25分13秒 ) パスワード

花緑さんがお訪ねするのは発酵学で有名な小泉武夫先生。


先生のあだな:
歩く食糧事務所
走る酒壺
味覚人飛行物体
発酵仮面
その他


ホントに面白い楽しい博識な先生です。
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月22日 09時31分29秒 ) パスワード

お酒は弥生時代には誕生してたそうです。


日本最初のお酒とは「口噛みの酒」くちかみのさけと言われ
まだお米のツブツブの残っている白いお酒でした。


米を軽く搗いた、玄米に近い状態のお米を
水に漬けてから
植物の葉っぱで包んで蒸す。

固めに蒸し上がった米を酒にするには成分の澱粉を糖分に変える作業が必要で
米を噛み続けると甘味が出て来るように(唾液の酵素により糖分に変わる)
カップ1杯70gの米がなくなるまで
お米を1クチ分ずつ4分かけて噛みまくるのです。


研究室の女性が
「コメカミや顎が痛くなる」と言ってましたが
なるほど米を噛みまくるとコメカミが動きますね。
なるほど
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月22日 09時32分31秒 ) パスワード

口噛みの酒はかつてお神酒として日本全国で作られ
沖縄の石垣島では昭和初期まで続いたそうです。
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月22日 09時36分21秒 ) パスワード

<2>の続き


この噛んだ米を置くこと1週間経つと発酵してヨーグルトのように甘酸っぱいお酒になるそうです。
(糖分に変わった米は空気中の酵母によって酒に変わるから)


成分
アルコール度  5.2%   今のお酒の3分の1のアルコール度
糖分       12%   今のお酒の糖度の4倍
酸味      7ml    今のお酒の酸味の4倍

だそうです。
[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月22日 09時52分37秒 ) パスワード

こうして「口噛みの酒」は日本酒でないことがお分かりいただけたでしょうか?
口噛みの酒は唾液で糖化させているから日本酒ではないのです。


女性はこの口噛み作業から解放されてラッキーでしたが
日本酒になるきっかけのこの麹黴(こうじかび)が見つかったからで
これは深緑色の黴で
稲魂(いなだま)と呼ばれるそうです。


蒸した米に植えつけたのが「米麹」。こめこうじ。


日本酒は
米+水+米麹を混ぜ合わせた飲み物で
米と水のほかに何故米麹が必要なのか?
[7]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月22日 09時53分19秒 ) パスワード

ワインは葡萄を潰して置いておけば
空気中の酵母によって自然にブドウ糖を発酵させ
アルコールになるそうです。


ところが日本酒の場合、お米は自然に糖化しないのだそうです。


それは日本酒が出来るのには
お米がブドウ糖が繋がった澱粉なので
自然に発酵しないから
まず澱粉を糖化してブドウ糖に分解させなければいけないからだそうです。
次に
このブドウ糖が酵母によってアルコール化しなくてはいけないそうです。


口噛みのお酒は米を噛んだ唾液の酵素で澱粉を糖化させているそうです。

口噛みのお酒でなく、
日本酒は
唾液の酵素であるアミラーゼをもつ「麹黴」=こうじかび=で澱粉が糖化されブドウ糖になり
酵母がこれを食べてアルコールにさせるのだそうです。


それで日本酒では糖化とアルコール発酵が2つの行程が同時に行われているのだそうです。

(難しい。高校の時に家庭科や化学でやったけどすっかり忘れていた)


アジアでは澱粉を糖化する黴として中国やベトナムで蜘蛛の巣黴を使用しているそうです。
[8]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月22日 09時58分52秒 ) パスワード

米麹を使った酒造りは奈良時代に始まり
平安時代には造酒の司(みきのつかさ)という専門の役所が置かれたそうです。


延喜式には13種の酒の醸造法が書かれていて
天皇や貴族が飲んだお酒を「御酒」ごしゅと呼んだそうです。



玄米を搗いて米を蒸し
稲魂を振り掛け
仕込みに水900ミリリットル+1400ミリリットルの米と米麹を加える。
今と比べて圧倒的に水が少ないそうです。
塩も加え10日間発酵させる。
麻布で漉して酒を絞る。

できた酒に米と麹を加えてさらに仕込み直し
これを4回繰り返すのだそうです。
[9]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月22日 09時59分36秒 ) パスワード

続きは後日。
[10]総督さんからのコメント(2007年01月22日 14時45分03秒 ) パスワード

私の母の実家わ宇部の造り酒屋ですが男山といいます、子供の時から酒蔵で遊んでいましたので日本酒の事わなんでのしつています。
[11]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月22日 16時11分51秒 ) パスワード

「男山」はアメリカでも知られてますよ。
お米が山田錦だったかしら?


知り合いの家が酒造りをやってて地元ではお殿様と呼ばれています。
総督さんの母上の御実家も昔の豪族だったのでしょうね。
[12]谷山正夫さんからのコメント(2007年01月22日 19時01分06秒 ) パスワード

日本最初のお酒「口噛みの酒」ってすごい醸造法ですね。酒好きの私でもこれなら直ぐ断酒できそうです。
[13]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月23日 01時52分31秒 ) パスワード

谷山さん

>酒好きの私でもこれなら直ぐ断酒できそうです。

ん?
逆に読んでました。


あの口噛みのお酒は「若い乙女」の噛み噛みで作ってたんでしょ?
「オバサン」厳禁だったなら
「若返りエキス満載」だったかもよ〜
[14]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月23日 03時31分20秒 ) パスワード

続き:

御酒の作り方を上記に書きましたが

40日後には
アルコール度   3%
糖分        34%
酸味        7ml


これは甘さ控え目のジャムに似ていて
塩味も強く
濃厚なエキスのようなお酒だったそうです。


見た目からすると「ネクター」みたいでした。
ジュースよりずっと濃い感じ。


このお酒は花緑さんに言わせると
「甘塩っぽくて、甘くて、濃い」


小泉先生の説明では
というのは「濃いお酒は腐らないから」腐らせないために努力したから。

糖分が多くなると蜂蜜やジャムのように腐らない。
菌は糖分によって圧迫され増殖できないから腐らない。

その上御丁寧に塩まで加えて腐らないように作った。


当時は砂糖がなかったので甘味料としての酒造りでもあった。
酒糟はよく噛むと甘いそうです。
これが味付けとして用いられた。
当時は貴重な甘味料だった。

酒糟は下級役人の給料でもあった。

山上憶良の句:
「糟湯酒                 かすゆざけ
うち啜ろひて咳かひ            うちすすろひてしはぶかひ
鼻びしびしにしかとあらぬ」        はなびしびしにしかとあらぬ(1字不足ね)


酒糟を拝領してお湯に溶いて啜ったという歌です。
[15]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月23日 03時36分17秒 ) パスワード

標題の「さけは神様のお食事」ですが

酒は本来神様のもので
さけ=さ+け

さ=稲の神様のこと。水田、稲穂に対する敬称として「さ」というそうです
(例:皐月=田植えの時期  早乙女=田植えする乙女)

け=食=食事


さ+け=神様の食事
[16]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月23日 03時39分10秒 ) パスワード

三重県熊野市育生町では御神酒作りをやってて
醸すこと30日。
アルコール度18%のお酒を造っているそうです。

直会:なおらい
神様に捧げたお酒を下げてもらって氏子が飲むこと。
こうして氏子は絆を固める

酔いが回れば無礼講で今はカラオケ大会だそうです。笑
[17]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月23日 03時42分53秒 ) パスワード

神様に奉納するために「酒」を造り
氏子は下げて貰って飲む。

神と人との橋渡しが「お酒」。


この儀式が「お祭り」で
お神輿が激しいのは神様が喜ぶから。
そして人も喜ぶ。


「笑い」も神様は好き。


御神酒あがらぬ神は無し
というそうです。


古来から
  酒
  祭
  笑い
この3要素が日本人には大切。
[18]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月23日 03時47分05秒 ) パスワード

平安時代アルコール度3%、糖度34%のお酒を毎日酔うまで飲んでいたらどうなるか?


藤原道長は糖尿病だった。


朝廷の仕事は稲の神様に豊作を祈願すること。
これが古代の日本のまつりごとだった。


それで藤原氏は酒豪揃いだった。

道長の場合は
30代で糖尿病になり
50代で背中に腫れ物が出来、目が見えなくなり
62歳で没。
[19]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月23日 03時47分53秒 ) パスワード

酒は本来神さまのお食事であるから
人間がたくさん飲んではいけません。
だって。笑
[20]総督さんからのコメント(2007年01月23日 04時32分18秒 ) パスワード

何でも良く勉強してるね、感心するわホント、勉強になります。
[21]布袋竹さんからのコメント(2007年01月23日 10時22分25秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/heike.html

私も「酒と祭り」には、鹿児島に帰ってきて、観察というか見ることが多く・
鹿児島には酒は、まったくと言ってよいほどなく、焼酎だけです。
「酒飲み」と言う言葉もなく「しよちゅのん=焼酎飲み」しかありません。
神様に上げる『お神酒』も焼酎です。最近はビールや発泡酒・酒も売られるようになりましたが。
お酒に祭りは全国共通のようですが、鹿児島では絶対に欠かすことが出来ないものです。
鹿児島は、どの祭りにも焼酎の匂いが付きまといます。行列のあるものでは、先頭に焼酎を抱えた・ふるまいをする・人がいます。
「せっぺとべ」では、田圃の中で泥んこをする人の中に入って、大きな孟宗竹に入れた焼酎を二人で駕籠屋よろしく担いで、注いで回ります。
「お田植え祭り」で、奴ぶり踊りでは、酔っ払って田圃に倒れこまないと受けがよくありません。
日本一の暴れ鬼「鬼追い」も一度出てきて、焼酎をしこたま飲んでからスタート、
その場に焼酎がなくても「ほとんどあるが」祭り前後の打ち合わせ打ち上げには役員の「のんかた=飲み会」のないのはない・と。
お祭りが終わって「直会なおらい」があり、焼酎を飲み、食事の用意がある。翌日も「マブリ」という慰労祝宴があるのもこの地方ならではです。

子供の運動会に一族郎党が集まり、豪華沢山の重箱料理に焼酎の昼食、これも鹿児島独特で、他の県では見たことがありません。『最近は少し廃れました』
デバイと言って、ただ食事や酒を飲むだけの行事も・・海に出かけ「浜でばい」花見も「でばい」です。

ちょっと脱線しちゃったかな・・丸っきりの下戸布袋竹「ドクターストップ・14年目・中」
[22]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月23日 13時12分53秒 ) パスワード

鹿児島が焼酎なのは「米作」の違いのせいでしょうか?  お米がとれなかったとか?
それとも古代の「神様」が違うのかしら?        畿内の神様系とは異なるとか?


系統が違うのかもですね。
出雲系
大和系
隼人系
こんな感じ?
[23]布袋竹さんからのコメント(2007年01月23日 18時57分09秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/heike.html

隼人系なのでしょうか。薩摩隼人と呼ばれて・・
天孫降臨のニニギノミコトが、南薩摩の木花開耶姫を后として、日本最初の皇居を南薩摩につくり、子供が山幸・海幸彦。山と海の釣り針取替えの有名な話があり、山幸彦は天皇家・海幸彦は隼人ということで・・

蛇足ながら、山幸彦=ヒコホホデミノミコトが南薩摩のトヨタマヒメを后にウガヤフキアエズノミコトを産み、このウガヤアキアエズノミコトの后は玉依姫。姉は豊玉姫。で、この二人の子供が人間の神武天皇の両親ということになっています。
この3代神代のお話のお墓は、古事記日本書紀などに場所まで書かれ、すべて鹿児島にあり、祭られている神社がウガヤ・・だけ宮崎の鵜戸神宮で他は、鹿児島。
もちろん、宮内庁の管理で役人が常駐しています。

神武天皇以下、十代近くまで神話の続きであろうとは言われていますが・・

鹿児島の焼酎はほとんど全てがいも焼酎で、芋は江戸時代に前田利衛門が琉球から持ってきたものです。で、焼酎との関連は・・
しかし、平家落人集落と言われるところで、芋以前に、米を使った焼酎醸造がつい近年まで続いていたとの話もあります。途中はヤミ酒・
いも焼酎が始まるまでは、どうだったのでしょうね・・そこまでは調べていません。
[24]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月24日 01時35分59秒 ) パスワード

>天孫降臨のニニギノミコトが、南薩摩の木花開耶姫を后として、
>日本最初の皇居を南薩摩につくり、子供が山幸・海幸彦。
>山と海の釣り針取替えの有名な話があり、山幸彦は天皇家・海幸彦は隼人ということで・・

>蛇足ながら、山幸彦=ヒコホホデミノミコトが南薩摩のトヨタマヒメを后に
>ウガヤフキアエズノミコトを産み、このウガヤアキアエズノミコトの后は玉依姫。
>姉は豊玉姫。で、この二人の子供が人間の神武天皇の両親ということになっています。


このあたりの舞台は鹿児島なんですか?
知らなかったです。


そうすると鹿児島は日本酒以前のお酒があったのでしょうね。
お米じゃなかったかも。

たとえば野に生える果物とか実を使って発酵させたお酒かもしれないし。
噛み噛み酒の前はアケビとか木いちごとか何かの実だったかもですね。


山幸彦・海幸彦のお話がそういう大昔の天皇家と隼人のお話とは知らなかった。
ありがとうございました。
[25]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月26日 09時16分45秒 ) パスワード

本日は日本酒のお話の第2献目でした。
凄かった〜
詳しくは明日の再放送を見て書き込みます。


要約:


日本料理と日本酒の関係。室町時代に持ちつ持たれつで発展した。
同時に酒の肴の鑑賞編の日本文化(舞・能・狂言・歌・華道や茶道など)も発展。
引き出物としては馬・鎧兜・弓矢・太刀・絹などの贈り物が決まっていた。



三好長慶が足利義輝将軍の御成を賜った時
屋敷の修理を初め
今のお金にして計10億円かけたんですって。

お酒は17献まであったんですって。
料理の数は98品。酒の肴の料理がさかなというのは殆どが海産物で魚が材料だったから。
能だの狂言だの舞だの
もう凄い歓待をして

こうやって心を通わせ

最後に将軍が三好に酒をついで、
この両者の関係が固いものとなって
これを契約書の無い契約=つまり「盃事」=と言うんですって。

要するに
室町時代の政治は宴会政治だった。


当時の将軍には力は無いけど権威はあったから
実力者は将軍のバックアップで天下をどうとでもできたわけです。

そしてその場に居並んだ貴族や他の大名も一緒に連なって
将軍と三好の盃事の約束に「わたしも」「わたしも」と参加するから
「お相伴」となる。


だから日本の政治には酒や宴会や引き出物は付き物なんですねえ。
これは室町時代からの習慣なんですから。

驚きました。


明日はちゃんと見て、細かいところを書き込みます。
もうボ〜ッとしちゃってます。
[26]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 11時22分08秒 ) パスワード

平安時代のお酒はアルコール度が低く糖度が高かったが
鎌倉時代から室町時代にかけて大変化が起こった。

現代の日本酒に近いお酒の酒造りをお寺の坊さん達が開発した。

坊さん達が酒を造り人々にふるまった。
酔えるお酒造りに知恵を絞った。
これを特に中世の近畿地方のお酒を僧坊酒という。
[27]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 11時25分25秒 ) パスワード

古代のお酒は水を加えることによって起こる雑菌の繁殖から腐るのを恐れ
水を加えるのは1回のみだったが

鎌倉〜室町にかけてのお酒は「火入れ」といってお酒を60度〜70度に温めた。
[28]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 11時47分55秒 ) パスワード

応仁の乱後
荘園からの収入が減ったため
酒造りがお寺の貴重な財源となった。


天下の美酒とされたのが
大阪河内長野の天野山金剛寺の「天野酒」。
これは醤油のように黒いお酒。
色は濃いがしっかりした甘味と酸味とアルコール度があって
とろりとしたお酒。

色が濃いのは2年間熟成させているから。


アルコール度   15.7%  (現代のお酒のアルコール度に匹敵)
糖度            15%



秀吉から11通の天野酒を絶賛する朱印状が残っている。
家康からは直筆花押入りの礼状が残っている。


酒を介して寺は金持ちになった。
またお酒を介して天下人からの保護を取り付けた。
これで焼き打ちを免れた。
[29]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 11時51分57秒 ) パスワード

近畿地方の僧坊酒:


滋賀の百済寺の百済寺樽

奈良の興福寺の南都諸白
奈良の正暦寺の菩提泉

大阪の金剛寺の天野酒

その他観心寺の観心寺酒


これらの寺は酒で生き残りをかけた。
  
[30]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 12時16分42秒 ) パスワード

おいしいつまみでおいしいお酒を楽しむのに
室町時代に酒の「肴」も発達した。
これにより食文化も発達した。

日本らしいお酒の飲み方が生まれた。

酒が日本料理を育て料理が酒を発達させた。
また目で楽しむ日本文化も発達した。

文化と酒と料理が互いに相乗作用で発達させた。
[31]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 12時20分54秒 ) パスワード

酒と肴の日本料理は京都で大発展した。
これは室町幕府が宴会政治だったから。


室町幕府は政治の実権は握っていなかったが
武士の棟梁としての将軍の権威は絶大だったので
最大の行事が「御成」だった。


「御成」とは大名が将軍をお迎えして大宴会を張ること。
将軍の御成を賜ることは大名に箔をつけた。
[32]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 12時28分59秒 ) パスワード

永禄4年(1561年)3月30日
三好長慶 将軍足利義輝の御成を賜う。


屋敷の建て替えを始め10億円以上かけた最大のパーティだった。


この大宴会にメニューが98品。
山海の珍味のオンパレードだった。


参加者は公家4人に三好と同格の大名達。


1つ1つ細かい段取りがあった。
誰が何時酌をするかそのタイミングも決まっていた。
[33]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 12時32分39秒 ) パスワード

将軍は午後2時にやって来た。
式3献で始まった。
これは3回盃を交わすこと。


「駆け付け3杯」という言葉がコレ。


この時の肴はおめでたい肴。


この後、庭に出て贈り物の馬を見る。
将軍は武家の棟梁なので必ず馬がプレゼントされた。


この時のお酒が天野酒だった。
[34]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 12時38分59秒 ) パスワード

最大級のもてなし・饗応
これをするのは将軍から権威を頂くため。
これで全国支配も夢ではなかった。


式3献で始まり
馬を見て
次は大広間に移りお食事に。

7の膳まで続く宴会。

まず「湯漬け」で腹ごなしをした。
海の珍味が7品のおかずがついた。


2の膳も珍味のオンパレード。

海の物と汁物2つがついて
御飯に汁物をかけて食べた。
これを湯漬けと呼ぶ。
[35]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 12時41分10秒 ) パスワード

日本料理が発達するにつれ
味噌・醤(醤油の前身)など調味料が確立し
煮る・焼くなど難しい調理法も確立した。
だしも使うようになった。
[36]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 12時49分45秒 ) パスワード

こうしてお酒も料理も発展した。


7膳の後、最後の〆にお菓子が出た。


これで終わりではなく
酒の席に移った。

その後、4献〜17献、と続いた。


献とは
料理が出るとお酒が1献出て
肴は何にしようかと考えること。

そして料理が出てくるとお酒が出る。
次の料理を何にしようかと考えるのが献立て。

この繰り返しがエンエンと続いた。(粗食なので 意味 わからない〜  汗)
[37]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 12時54分56秒 ) パスワード

宴の中の大事な肴の1つが目に訴えるもの。

酒飲んで料理食べて
次が
能舞台鑑賞。これを「肴舞」と呼んだ。

つまり「舞」も「肴」の1つということ。
「肴舞」とは芸能も「さかな」だったということ。

能や狂言や歌や舞やお茶やお花も肴の1つとして発達した。
[38]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 13時00分26秒 ) パスワード

さかな=肴=とは?


さかな(1)=酒菜=たべもの

さかな(2)=ひきでもの=弓矢・太刀・馬・絹・鎧など武家に必要な物

さかな(3)=肴舞さかなまい=芸能=能・狂言・舞・歌・茶・花
        舞台を見ることは宴の重要な肴
        特に能や狂言は肴舞として発展した。
[39]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 13時00分56秒 ) パスワード

つまり「御成」とは総合芸術の場だった。
[40]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 13時04分47秒 ) パスワード

魚は昔は「うお」とか「いお」と呼ばれていたが
魚が「さかな」と読まれるようになったのは

宴会の料理=「肴」に
海の物が多かったので
つまり
「魚」を使った料理が多かったため
「魚」が「さかな」と読まれるようになった。


ちょっと休憩。
[41]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 14時14分31秒 ) パスワード

酒は政治の場に使われた。

盃を取り交わすということが大事だった。

酒の盃を交わした=では、これからはヨシミに=と酒は絶大な力を持った。

御成は命懸けの宴であった。
[42]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 14時19分55秒 ) パスワード

17献目=最後=は御成の〆の酒で
御成の〆は 将軍が もてなし側に 酒を注いだ。


17献の最後は将軍が大名に、盃に酒を注いだ、ということは
     契約書の無い契約=盃事=が成立した
ということ。

これが「盃事」で
その席に居並ぶ人もこの盃事に預かるということで「お相伴に預かる」ということ。
[43]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月29日 14時26分48秒 ) パスワード

何を契約したか?

・利権
・相伴


【利権】
利益を伴う権利。特に、業者が政治家・役人などと結び公的機関の財政・経済活動に便乗して手に入れる、巨額の利益を伴う権利。

10億の饗応費なんて安い投資だったってことですねえ。


日本の政治とか商習慣とか、この時代から既に始まっていたってことですねえ。
それで「お相伴に預かって」なんて言葉もあるんですねえ。
[44]総督さんからのコメント(2007年01月30日 01時00分16秒 ) パスワード

ここまで勉強されると、私わ酒だ大嫌いでワインもビールもこの年まで飲んだこと無いんですだから研究なんて研究したことがなかつた、出もあそこまで結われると何とか言いたい酒蔵でちと勉強してきます。
[45]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年01月30日 01時10分32秒 ) パスワード

総督さん

そうですよ。
是非杜氏さん達と懇意になっていろいろなお話を聞いてきてください。


酒造りって地元の大金持ちの商売というイメージですが
2回も酒造りに失敗すると破産だなんて聞きます。

杜氏さんは大変な責任があったと聞いています。


最近は日本酒が焼酎だとか他のお酒に押されて下火で
知り合いの酒造りのお宅は休業中です。←ビックリしました
江戸時代から酒造りしてきた家なのに。
[46]総督さんからのコメント(2007年01月30日 03時42分30秒 ) パスワード

まあまあやつているようです、近いうちにいつて来ます。
[47]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月04日 07時05分54秒 ) パスワード

第3回目

4斗樽=一升瓶で40本だそうです。
それが
文化文政1821年には1年で122万樽江戸に来たそうです。

当時の人口が100万人と言われるので
毎日2合飲んでいた計算になるそうです。


大坂の食い倒れ
京の着倒れ
江戸の飲み倒れ


こんなに飲んだのは江戸だけ。
理由は分からない。

おそらく江戸が武士の町だったからだろう。
つまり
江戸の人口は半分が武士で
生活がお酒中心に回っていたからではないか。

武士の社会は祝い事から何かと「盃事」があり
飲むのが仕事のようなところがあったから。


伊達の上屋敷跡からは酒器がお猪口も含めて2万点もザクザク出たそうです。
[48]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月04日 07時10分33秒 ) パスワード

さらに庶民階級で考えてみると
職人の労働時間は 4〜5時間で
花見だなんだと酒がつきものであった。

また江戸の町には飲み屋が200軒以上もあったそうです。


古典落語にも酒が出てきて
小さん師匠はお酒のシーンが得意だった。

「酒は米と水
水戸さまは○に水
意見するヤツは向こう水」


と聞いてるだけでこちらも酔いそうな名落語だったそうです。


文化文政の大酒飲み大会では
・酒之上の管巻き
・続けて飲み九郎
・二日酔之進
など大酒飲みの名をつけて楽しんだそうです。
[49]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月04日 07時19分10秒 ) パスワード

下り酒:灘・伊丹などの上方のお酒が江戸に来て、これらを「下り酒」と呼びました。

殆ど地元の酒(=地回り酒)は相手にされず下り酒を飲んだ。
それで「下って来ない酒」を「くだらない」と言ったそうです。


江戸の人がいかに下り酒を好んだか
これは関が原の頃、摂津伊丹の鴻池が4斗樽2樽馬にくくりつけて江戸へ運び
江戸でうけて以来だそうです。


後に馬から舟で酒を運び
酒専用の船を「樽酒船」と呼んだそうです。

また「番船競争」というのも行われ
普通は10〜15日かかるところを
15艘で競って西宮〜江戸を5日で運んだそうです。


深川の料亭では利き酒が行われ
ここで値段が決まったそうです。


最初の酒は将軍家へ。

江戸では
女よりも江戸前の魚(肴)と下り酒と言われたそうです。


こうして江戸は世界一のお酒の都市であった。
[50]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月04日 07時25分26秒 ) パスワード

なぜ江戸の酒はダメだったのか?


醤油に限っては醤油も初めは下り醤油だったが野田など醤油の名産地が生まれたのに
酒だけはダメだった。

つまり江戸の人は下り酒の味が好きだったから。
・地回り酒=江戸近辺の酒=は甘口だった。
・下り酒は辛口だった。

粋な江戸っ子は辛口が性に合って「いなせ」だったから。


日本酒の発展は
最初が神様のお食事の「御神酒」で甘かった。
次が天皇や貴族の飲んだ「御酒」でやはり甘かった。

そこで甘くなくて酔える酒をということで
室町時代に今のアルコール度に進化したがまだまだ甘かった。

江戸時代初期の下り酒もまだまだ甘かった。
[51]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月04日 07時31分53秒 ) パスワード

江戸中期まで日本酒の最大生産地は伊丹で
伊丹酒は丹醸(たんじょう)と呼ばれ
将軍御用達のお酒だった。


酒永代仕込み帳(1689−1722年)の元禄15年(1700年)のレシピ通りに作ってみた。
by小西酒造

寒仕込みの酒を復元した。

アルコール度  18.2%
糖分        7.4%(これは室町時代の天野酒の半分)

仕込みに水は今の半分しか使ってなかった。
[52]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月04日 07時35分08秒 ) パスワード

下り酒が辛口になったのは飢饉からで
江戸時代には天保の飢饉・宝暦の飢饉・天明の飢饉などがあったため
酒に使う米の量を半分にせよ
と幕命が出たから。


水を増やすと少ない米で糖分控え目の酒が作れた。
しかし!
腐敗する危険性も増えた。
[53]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月04日 07時43分01秒 ) パスワード

糖分薄口で腐らない酒に成功したのは 灘 の酒。

(すごい競争があったのですねえ。灘が伊丹に勝ったということですね)
[54]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月04日 08時02分27秒 ) パスワード

問:雑菌を防ぎ、腐敗させないようにするにはどうするか?
答:「生 酉元 造 り」(きもとづくり)


きもと造り
A)
酒母(=しゅぼ=酒のもと)造りに努力した。
・米+水+酵母を混ぜ合わすと乳酸菌が雑菌を殺す
酵母が強くなって酒を造ることを「 生 酉元 造 り」(きもとづくり)と言う。

一気に辛口になった。
この「きもと作り」に成功した灘の酒は酒が腐る可能性が大きく減った。


灘の酒
伊丹酒の水の2倍の水の量で、今の日本酒と同じになった。



B)
灘のもう1つの工夫として暖気樽(だきだる)を勘考した。
これは熱湯を樽に入れ、酒母に投入して掻き回した。



つまり「乳酸菌」による殺菌と暖気樽による温度管理で日本酒造りの基礎となった。
米と水と麹菌と酒母と温度管理の「きもと作り」
今でいうバイオテクノロジーを身体でやったということ。
「菊正宗」


更に灘の酒からは黄色っぽさが消えた。
これは精米技術の向上で糠の色が無くなったから。

当時他の地域では足踏み精米機を使っていたので精度が低く糠が落ちなかったし人件費もかかった。
ところが
灘は六甲の水力を利用し3倍ヌカを落とした。(酒米も増えた)。
更に人件費も安く済むようになった。


これで酒の色も味もスッキリし端麗辛口の灘の生一本が誕生した。

アルコール度  19%
糖度         2.9%


また江戸の酒が絶対真似出来なかった点は原料の「水」にもあった。

西宮一区画から出る「宮水」には
ミネラルが多く
どんどん発酵し
辛口になった。
[55]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月04日 08時08分01秒 ) パスワード

問:江戸では本当に毎日2合も飲んだのか?身体を壊さなかったのか?
答:実は2合ずつ飲んでいたわけではない


理由:
当時江戸では酒は醤油の代わりの調味料の1つとして「煎り酒」という名で使われていた。

例:
お寿司に煎り酒で味をつけて食べた。
醤油の黒い色がつかない上品な食べ方とされた。
これは塩気とダシの味がする。


煎り酒の作り方:
日本酒に梅干を入れ半量になるまで煮詰めてアルコールを飛ばす。
これに煎り塩と鰹節を足して旨味を出す。
これを漉したものが煎り酒。

江戸っ子は寿司に煎り酒をつけて食べた。


だから日本酒は飲むだけでなく調味料としての酒でもあった。
[57]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月04日 08時15分56秒 ) パスワード

日本酒と江戸っ子が明治政府を認めた日の関係:


慶応4年4月11日江戸開城(266年の江戸時代の終わった日)

薩長の武士が闊歩するのを江戸っ子は面白くなく見ていた。
秋!11月6日
下り酒を愛した江戸っ子に明治天皇が命令を出した。
日本酒の大盤振る舞いを4日間江戸っ子にした。


こうして江戸っ子が明治維新を認めた日となった。


江戸を制した端麗辛口な酒は明治維新に扉を開けた酒でもあった。
ですって。チャンチャン
[58]総督さんからのコメント(2007年02月04日 12時34分05秒 ) パスワード

辛口わやつぱ剣菱だよねとうきょうでわみんながそういつていたね、東北で甘口沢山見たねしかしベトベトしていたね、でも私のようなものにわ甘口ならのめるけどね。
[59]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月04日 13時09分22秒 ) パスワード

へ〜
やっぱり東京は辛口が好きですか。


わたくしは甘口が好きです。
新潟の「越の寒梅」だったかしら?

ヤクザの親分に貰ったんですが。(((((((((((((^へ^;;;;;ヤバ〜
[60]たいら しゅうさんからのコメント(2007年02月05日 07時00分47秒 ) パスワード

暇潰しのギャンブラーさんへ

 今晩は、久し振りにマドリーに住む孫の顔を見に行ってきました。可愛いですね、孫って。スペイン人なのにケンタロウっていうんです。娘のヨウコが友達で日本人のバレリナーのお兄さんの名前が好きだからと命名したんです。日本人にとって名前は特別の思いがあってつけるのですけどね。先日は息子を紹介しましたから、今日は娘を紹介しますね。Google の image で
Yoko Taira と入字してみてください。息子とは違ってオリエンタルな顔立ちです。

 この欄は日本酒のお話ですね。何でもよく知っているのには驚きます。僕は柔道をやっていたのですが、柔道の創始者、嘉納治五郎師範は灘の酒造りの家に生まれたのはご存知かも知れませんね。あの超有名な銘酒”菊正宗”や”白鶴”は嘉納家のブランドです。

 大昔から酒造りを家業とし、天皇家に献上したところ(どの天皇かは忘れました)、嘉して納められたの事で、以来嘉納屋と名乗り、それが姓になつたという事です。
[61]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月05日 10時11分34秒 ) パスワード

http://cndanza.mcu.es/fotos/fotosele/yoko_taira.jpg

オビエド生まれの
バレリーナでいらっしゃるんですね。
5歳から始めたって書いてありますね。

全然息子さんとお顔が違いますねえ。


[62]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月05日 10時22分19秒 ) パスワード

でもお嬢さまの額は日本人のじゃないですよね?
角度が違うので、また角度が変われば、面影が変わるのでしょうね。
目元がたいらのしゅうさんに似てらっしゃるのでしょうね?


こんな貴重な情報が手に入りました
1840 天保11年   西宮の宮水(硬度5度内外の硬水)が酒造に用いられ始める。


>超有名な銘酒”菊正宗”や”白鶴”は嘉納家のブランドです。

ビックリ!

その上嘉納家で検索しましたら御影村と出てましたが
あの超々高級住宅街の?とビックリしました。
[64]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月05日 10時54分41秒 ) パスワード

嘉納家って御影の?!とビックリしていましたが


「月桂冠」は伏見なのですねえ。
わたくしの実家はこれを買ってたような気がします。


大学時代の恩師の家が酒造りの家で(当然ものすごいお金持ち)
1高で芥川・菊池・久米と一緒に勉強してたけど
   菊池だけは東大には行けず
自分が1番だったなんて話してました。1番出来の悪いのは久米だった、って。


8高の教え子には豊田や盛田やその他日本をリードする人物がいて
ワタクシには「お前のような頭の悪いのには就職の世話は出来ない」
な〜んて言われてました。(自爆)


学問は貧乏人のするもんじゃないとか
女はお針の学校に行けとか
時代の違う話をたくさん聞かされました。


菊 池 寛ゝ が「俺の名前のカンにはゝがあるからお前達より点がいいんだ」と言ってえばったから
「それはお前の親父が無教養だったって証拠だ」と言い返したなど
あの時代の文豪のお話などイロイロ聞かされました。


ま、物凄く長寿の恩師でしたから、それだけでも4人の中の勝者だったと思います。笑


「ねのひ」の盛田さんのお宅も物凄い大金持ちでその生活たるや御影の嘉納家に匹敵すると思います。


こういう家の子弟にしか(子女はダメ  笑)自分は教えたくないなんておっしゃる恩師でした。
あ〜
英語が(その前に日本語が・・・)分からなくて、よ〜く、立たされましたっけ(自爆)
[65]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月08日 11時05分41秒 ) パスワード

日本時間1月23日放送?のスタパに小泉先生がゲスト出演なさってました。

天皇の飲んだ御酒を試飲した有働由美子アナの感想は
1.まず塩味がして
2.もろみですね
と話してました。


「みりん」だね、と小泉先生。

平安時代はお酒であり給料の1部として現物支給であり砂糖代わりの調味料であった、と。


また平安時代、夏に氷室の氷で、オンザロックで飲んだりもしてた、なんてお話も出ました。
[66]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月08日 11時08分17秒 ) パスワード

皆さん誤解してるんだけど
日本酒は国酒であって
中国や朝鮮から製法が入って来たわけじゃない。

向うは蜘蛛の巣黴を使っているから
日本の麹黴を使うお酒の作り方とは
製法が全く違う!

とおっしゃってました。
[67]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月10日 05時31分17秒 ) パスワード

第4回(最終回):大日本酒税帝国


酒税は近代日本国家の発展に物凄く貢献した。

明治32年の国税収入内訳(総額1億3797万8000円)
酒税    35.5%   4891万8000円
地租    32.5%
所得税    3.5%
営業税    4.0%
海関税   11.6%
印紙収入税  8.7%
その他


慶応4年11月江戸開城後の明治政府は貧弱な財政状況で
土地からの税金である地租を
(地主に地権を発行しその値段に対して3%)課税しようとしたが
各地で農民一揆が勃発し地租は引き下げた。


今は歳入の4分の1を占める法人税は
当時は工業が未熟で
税を徴収するどころか
官営会社を民間に安く払い下げる時代で
明治中期に重工業が起こってきても官営工場を払い下げる方で
支出が明治中期まで続いた。


明治政府は支出ばかりでお金がいくらあっても足りず
富国強兵をするにも地租ではとうてい賄えなかった。


ここで国家財政の救世主となったのが酒税。
飲んだ人が飲んだだけ払う、広く浅く課税する方式を執った。

日清・日露戦争を経た大正4年
酒税による歳入が 8464万円
当時の陸軍の予算が6687万円で
酒税は20個師団を養ってもまだ余った。


造石税=清酒1石=180リットル(ドラム缶1本が200リットル)あたりにかかる税は
明治13年1880年に  2円
1883年     4円
1896年     7円
1899年     12円
1901年     15円
約20年で約7倍に上がった。
[68]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月10日 05時44分34秒 ) パスワード

ここで起きて来た問題は密造酒問題:どぶろく。税金のとれないお酒で裏の道。
どぶろくは自宅でこっそり造ったお酒なので税金を払うことがなかった。


現在は村の祭りで使うどぶろくについては役所の許可を取って作っている。


明治時代どぶろくは清酒より多く飲まれた。
明治29年1896年大蔵省はどぶろくからも徴収しようとした。
ところが農民は支払わない。
そこで明治32年1899年自家用酒製造禁止命令が出された。
つまりどぶろく禁止措置。


ここからどぶろくを飲みたい+税金は払いたくない農民 vs 官憲との戦いが始まった。

当時どぶろく王国は東北地方だった。
農民対税務署+警察の戦いが記録されている。
密造酒の取り締まり実態について書かれている。


農民はせっかく作ったどぶろくをどこに隠そうか?と
仏壇の裏
お墓の蔭
1番多かったのが馬小屋(覆うための藁もあるし)
便所の壺のあたり
など思わぬ所に隠した。

(まるで今のマルサ対策ですね)


黒の詰襟に黒のマント姿の税務署員はカラスと呼ばれた。


村人は一致団結してカラスの出現を監視し
これには村の入り口にあった小学校の子供達が伝令として報告に走った。
電気会社の社員も電気を点滅させて教えた。


現場を押さえても人々は逃げたり
村人が雪を投げたり石を投げたり暴言を吐いたり棍棒を振り回したりして抵抗した。

大正5年の秋田では税務署員が4人負傷している。

村全体で命がけの大騒動を繰り返した。


捕まれば重罪で罰金や監獄入りが科せられた。
そのため身代わりに老人や老婆が捕まった。


昭和26年になっても埼玉で摘発があった。
[69]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月10日 06時01分32秒 ) パスワード

しかしどぶろくの取り締まりは一方で日本酒の品質向上に良い結果をもたらすことになった。


政府はどぶろく作りの摘発をする一方
日本酒の品質向上に後押しし協力した。


明治37年1904年大蔵省が醸造試験所を設置し
伊丹・灘の手間暇かけた経験と勘の名人芸だった酒母作りや暖気樽法を
どこの地方の経験の浅い造り酒屋でも簡単に清酒が作れるよう
マニュアル作りをした。


それまでの日本酒は水を多くすれば雑菌が増えて腐敗し易かったが
酒母造りの替わりに最初っから人工的に乳酸菌を入れて醸造期間を3分の1にし管理をし易くし
暖気樽法の火入れによる殺菌法もマニュアル化した。


また試験所では毎年講習会を開いて全国に広めた。


大正〜昭和にかけて
17年後の大正10年には日本全国からどぶろく作りが減り清酒が流通し味も向上した。


明治40年1907年第1回全国清酒品評会が行われ
沖縄を除く全国から2138銘柄が集まった。


優等酒とされたのは伊丹・灘の淡麗辛口のお酒ではなく甘味旨味の豊富なお酒が良いとされた。
また東北のお酒が大健闘した。
特に秋田は灘を上回る入賞率で

地方の酒蔵が日本全国に対し自信がつき
地方のお酒がうまいと宣伝にもなり

こうして日本全国に清酒が根付いた。
[70]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月10日 06時13分38秒 ) パスワード

日本酒の甘口辛口の好みの変遷:


明治〜平成の130年間に亘る日本酒の甘口辛口の好みの変遷は
明治初期は辛口でアルコー度が15度を超えていたが
太平洋戦争を挟んで甘くなりマイナス10度となり
また平成時代になって辛口が好まれるようになった。


甘口が好まれた理由として
入賞したのが甘口のお酒だったこと
どぶろくの影響で甘口が好まれていたことから造り酒屋は甘口のお酒を造った。



酒税の変遷:


明治大正時代は日本は酒税帝国時代だったが
昭和になって2つの税収の変化が生まれた。

1.明治27年より昭和16年まで酒税が日本の財政を支えたが
  昭和16年戦争で国民がお酒を飲まなくなったので(飲めなかったし)税収が減った。

2.昭和16年1941年になると戦争が始まり所得税が増えた。
  つまりサラリーマンの源泉徴収が始まった。


その後、戦後、酒税は歳入の23%を占めたが
今は法人税が大きく占めている。これは高度成長で産業が発展し法人税と所得税で日本の財政を支えているから。
現在の酒税の歳入に占める割合は3%ほど。


また酒税が増えるかも知れないが酒を飲まないと経済が冷えるだろう(笑 by 小泉先生+花禄)
[71]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月11日 08時28分33秒 ) パスワード

読売新聞から酒税(笑)について載ってました:


エタノールに切り替えたら、酒税2千万円…もてぎインディ

米国を中心に行う自動車レース、インディカーシリーズの第3戦が4月19〜21日に栃木県のツインリンクもてぎで開催されるが、今季から導入されるエタノール燃料に関し、「酒税法」の適用を受けることが分かり、関係者は頭を抱えている。

関係機関に適用除外を訴えているが、このままでは約2000万円の酒税がかかる可能性が高い。

インディ500を含むインディカーシリーズは、従来は火災の際に水消火が出来るメタノールを燃料にしてきた。今季からは、環境問題に配慮し、植物が原料で再生可能なエタノールに切り替えた。

米国内のレースで使われる燃料はエタノール98%に2%のガソリンを混入させ、「飲料として使用できない状態」にすることで、酒税の対象外としている。日本でも同様の燃料を使用する計画だ。しかし、日本では「90%以上のエタノールを含むものは、基本的に酒税の課税対象となる」(関東経済産業局産業部アルコール課)。仮に10%以上別成分を入れると、「エンジンが正常作動しない」ため、これは実現困難という。

エタノールの卸売価格は1リットル約230円だが、100%近いエタノールにかかる酒税は1リットル当たり約1000円。大会でマシン20台が使用するエタノールは約2万リットル。酒税負担は約2000万円となる。ツインリンクは「エタノールは将来の自動車燃料としても注目度が急速に高まっている」と再検討を求めている。

(2007年2月10日 読売新聞)


笑った〜
[72]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月15日 03時06分35秒 ) パスワード

今日は堺屋太一が佐治敬三について語ってました。(1919年〜1999年)

佐治敬三が社長になった昭和36年から退くまで日本のウイスキー消費を支えた、と。
また戦後の日本文化をサラリーマンを中心にちょっと洋風に支えた、と。


イギリスのウイスキーの飲み方は
食後一気に「喉に」流し込み飲むもので、その後のアルコールと香りを楽しむが

佐治の推し進めたトリスの飲み方は
水で3〜4倍に薄めてアルコール度を日本酒並みの15%に下げ
ユックリ「口」に含ませ
つまみを食べながら日本酒のように飲ませた。

日本女性も職場に進出し、その結果、手間をかけずにお酒を飲めるということで
トリスは女性からも歓迎された。
[73]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月15日 03時24分58秒 ) パスワード

佐治敬三は阪大を卒業後「ホームサイエンス」という結婚生活を啓蒙させる雑誌を発行していたが
全く売れず父親の鳥井伝次郎(?)と出資について喧嘩が絶えず

おじの阪急グループの小林一三に愚痴ったところ
「雑誌が売れない=利益が出ない=大衆から支持されない=遊び・道楽=発行を続ける意味が無い」
と言われ雑誌を止め


違った方法で大衆の文化をちょっと洋風に変えるべくウイスキー業をすることになった。


大阪の商法や文化は「大衆がお金を使うのが本当の文化だ」というのが根底にあるんだそうです。


当時サラリーマンが50%に増えていた。(戦前は10%だった)
このサラリーマンに目をつけ、ここに佐治はビジネス・チャンスを見つけた。


トリスのスタンド・バー(トリス1杯70円、つまみの塩味豆70円の均一販売)は
昭和33年には日本全国で3万5000軒になっていたそうです。


戦後の日本のビジネスの特徴
1.規格大量販売
2.職縁社会
3.ちょっぴり洋風


戦後日本のサラリーマンが仕事帰りに横丁の安酒屋で日本酒や焼酎やビールを飲んでいるので
安く飲めるおいしいトリスを
ちょっとヨーロッパのパブの雰囲気で飲ませる。

こうして爆発的人気を得て
やがてトリスは高級化してダルマになり角瓶となり
オールドは1200万ケースを売って世界で1番多く売られたウイスキーの記録をたてたそうです。


こうしてウイスキーが日本の酒になった。
サントリーはスコッチのイミテーションではない、と。
[74]総督さんからのコメント(2007年02月15日 04時03分23秒 ) パスワード

この前福島から友人が着たので男山にいつて来ました、今貴と結う名前で関東方面に出ているようです、いつまでつずきますか、今わ杜氏さんわ二人の息子がやつていました昔の新潟の時代わもうおわつたようです。
[75]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月15日 04時59分31秒 ) パスワード

そうなんですか。

江戸時代までの新潟は人口でも東京を超えて栄えていたそうですが
明治維新から戦後を経て
新潟の時代は終わったんですねえ。
[76]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月25日 01時43分01秒 ) パスワード

アメリカではSAKEが人気でスーパーのお酒コーナーでいろいろ売られています。
(梅酒も売られている)

アメリカ人はコールドかルームテンパラチュァ
冷酒か室温
で飲むんだそうです。

どうして人気かというと
ワインと違って日本酒には防腐剤(サルファイト)が入ってないからですって。
これが入っていると二日酔いや頭痛になるんだそうです。
(え〜?日本酒が二日酔いになるんだと思ってたよ〜)

それでアメリカ人は日本酒は身体に優しく適度に身体を温めると思っているそうです。
(うっそ〜!)
[77]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月25日 01時52分05秒 ) パスワード

日本酒は非常に稀なオールナチュラル健康アルコール飲料なので
1日1合〜2合のお酒は「酒は百薬の長」と言われますが
醸造酒である日本酒のアミノ酸パワーは栄養満点で凄いんだそうです。

100種以上の微量栄養成分が含まれていて
麹に由来する有効成分は
美白効果
抗酸化作用
癌増殖抑制効果
もあるんだそうです。

加熱しても同じ効果が得られるから飲めない人は料理に使えば良いそうです。

料理酒の方が吟醸酒などの高級日本酒より有効成分が多いそうです。
料理酒は旨味成分の宝庫であり臭みを消し蛋白質を柔らかくする成分が入っているそうです。
それでどんなお料理にも「サッと一振り!」すればコクが出るんですって。
[78]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月25日 01時54分07秒 ) パスワード

そこでインスタントラーメンの仕上げに
お猪口1杯分のお酒を振りかけると

麺の油臭さが消えスープの旨味が増すそうです。

是非やってみてください。
[79]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月25日 02時00分54秒 ) パスワード

日本酒には2種類あって
・純米系(米と麹)
・アルコール添加系(米と麹に醸造アルコール)=発酵によるアルコール+人工的アルコール

アルコールを添加する理由は
酒質が安定して飲み飽きない
また
大量生産時の品質の一定化がはかれるためで
品質については両者の間に特に関係がないそうです。
[80]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月25日 02時08分50秒 ) パスワード

日本酒のグレードは
大吟醸
吟醸
本醸造
などあるけれど
大吟醸だからおいしいとは限らず
純米酒や本醸造でもおいしいお酒はいくらでもあるんだそうです。


ちなみにラベルに「純米大吟醸」と表示されていたら
そのお酒はアルコール添加ではない大吟醸

単に「大吟醸」と書かれていたら
アルコール添加の大吟醸酒

ということなんだそうです。


へ〜
[81]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月25日 02時14分06秒 ) パスワード

大吟醸
香りが高く非常にスムーズな酒が多い。
あっさりした白身魚の刺身・貝類・野菜の天麩羅などに合う。
特に
レモンなどの柑橘類をかけて合う料理であれば相性が良い。



吟醸系の酒は
フルボディ系(芳醇で酸味、旨味がある)から
ライトボディ系(たんれいですっきりしている)まで
また
香りの高いものから低いもの
とバラエティ豊かなので
ボトルの裏ラベルをよく読んで選ぶのが良いでしょう

だって。へ〜
[82]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月25日 02時18分32秒 ) パスワード

純米酒・本醸造系
比較的ボディのしっかりしたお酒。
照り焼きや煮物などこってりした料理に最適。


純米酒には赤ワインよりステーキに合うものがあるそうです。


また純米酒・本醸造酒のなかには
温めると
料理との相性や酒自体がおいしくなるものもあるそうです。


(日本酒って温めて飲むものだと思ってたよ〜)
[83]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月25日 02時20分00秒 ) パスワード

アメリカの感謝祭で食べる七面鳥料理もワインより
酸味がありボディのしっかりした純米酒の方が合うそうです。
[84]総督さんからのコメント(2007年02月25日 03時44分04秒 ) パスワード

今ブラジルでも日本酒ブームだそうで一年に50パーセントぐりいずつ輸入が増えているそうです来年わアメリカに追いつきそうです、今ブラジルえの輸出研究してますがむずかしいですね、白鹿なんか随分はいつているようです。
[85]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月25日 09時16分54秒 ) パスワード

あら〜
ブラジルも日本酒ブームですか。

日本に働きに行ってた人達と
2002年の日本でのワールドカップで日本酒に接したからでしょうかね。


日本酒は高いから、もっと安くなるといいのですけど。


うちはお風呂にお酒を入れてたこともあります。
今はやってないけど。
[86]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月26日 09時08分52秒 ) パスワード

日本酒

*精米歩合とは米の残存度


純米酒(醸造アルコール無添加)
・純米大吟醸    (精米歩合50%以下)
・純米吟醸     (精米歩合60%以下)
・特別純米     (精米歩合60%以下)
・純米       (精米歩合規定無し)


アルコール添加酒(醸造アルコール添加)
・大吟醸      (精米歩合50%以下)
・吟醸       (精米歩合60%以下)
・本醸造      (精米歩合70%以下)
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