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 投稿番号:100964 投稿日:2006年10月31日 22時13分37秒  パスワード
 お名前:おけい
善太新田から始まった

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

母方のご先祖をさがしています。私の曾祖母は安政元年の生まれで海東郡善太新田から現在の名古屋市の市橋金次郎に嫁ぎました。明治19年に祖母を出産。祖母が12歳のとき、曽祖父が死亡。祖母も祖母の妹も他家に嫁ぎ市橋を無家にすると除籍謄本に有ります。曽祖父は金次郎と言う名で他に音三郎なる名前も謄本には載っていますが、本籍は曽祖父が死亡後に住んだ場所と思われ、全く判りません。祖母によれば曽祖父は足軽で刀も家にあったと言っていました。
尾張藩の小者はどうやって調べたら判りますでしょうか?
お力をお貸し下さい。

[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月01日 00時04分36秒 ) パスワード

善太新田って今は蟹江になるんですか?
善太新田という地名は地元の人でないと全く分からないでしょうね。


海東郡は昭和40年代の初めに合併統一になった所ですね。
蟹江町に入ったり七宝町に入ったり。
最近この辺りってまた合併のあった所でしょ?
調べるのは更に難しいでしょうね。合併合併合併で。


御自分から遡って明治の初めの御先祖さままでの除籍謄本はお持ちなのですよね。
ということは曾祖母さまの御名字は分かってらっしゃるのでしょ?


明治の初めの除籍謄本の住所から同じ村の同じ名字の人を探し出して
そこのホンヤさんを見つけることですね。
そして菩提寺も分かると良いですね。


善太新田というのは知らないのですが
寛政時代あたりに開拓になった村ですか?
そういうのが分かったら
尾張藩の開拓の歴史を調べたら御先祖さまのお名前が出てるかもですね。


市橋さんといえば
織田信長の家来ですし
今でも名古屋のけっこうな裕福なお家ですね。

市橋家と結婚したということは善太新田の庄屋さんのお嬢さんだったのかしら?
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月01日 00時09分47秒 ) パスワード

善太新田を調べてみたら
佐屋
蟹江
十四村?
いろいろな地名の善太新田があるようで(一体どこ?)でした。

今は愛西市?


とりあえず尾張藩の開拓の歴史からワタクシでしたら紐解きます。
曾祖母さまの御名字はなんておっしゃるのですか?
[4]おけいさんからのコメント(2006年11月01日 07時22分27秒 ) パスワード

曾祖母は五島と言い、大次郎と言う弟が戸主のようです。又、曾祖母は二女となっているので3人兄弟かと。織田家臣の市橋であれば明治に子爵か男爵のはずですが、そのような話は親戚のどこにも伝わっておらず、父が早くに亡くなったので祖母たちは苦労したようです。曾祖母の父は与助、母はよう。
服部家に仕えていたのではないかと考えます。
曾祖母は娘達に(成瀬の殿様の乳母だった)と言っていたとか・・・。
実家は昭和50年代に家事で仏壇も焼けてしまったと伺いました。
今の当主の方は何も判らないと言っておいででした。
服部家の資料は何処に行けば見せていただけるのでしょうか?
短い時間にご指導有難うございます。
仕事に行ってきます。
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月01日 14時17分48秒 ) パスワード

全くお力にはなれないけど
ワタクシ的にはこんな感じ↓をいだきました。


五島さん・・・・
五島さんって結構あちこちで有名人を出してますよね。

NYの天才バイオリン姉弟の五島家は大阪の御出身みたいですし(確か関西みたいだった)
明治以降の有名人は財閥の五島慶太でしょ
その前の有名人は秀吉の家来にいますよね。

その五島という武士は
肥前五島宇久島の肥前福江藩主玄雅(はるまさ)で
もとは松浦出身だとも対馬の宗だとも清和源氏だともいろいろ説があって
桓武平氏の平重盛の4男有盛という話もありますし

レス4からすると平家関係かなあ?とだんだん想像が
平家→南朝方→その後尾張藩の新田開発にも関わり現在に至る
という流れに落ち着くのかな?


ワタクシ的には対馬に逃れた平家の4男の知盛さまの関係者かな?
重盛の4男の有盛より清盛の4男だった知盛さまの関係じゃないかな?と。
ワタクシの心の中では知盛さま関係の方が合理的なので。


それで「服部家」が出て来るのでしょうし
成瀬さんの乳母のお話も合理性が出てきます。
[7]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月01日 14時34分00秒 ) パスワード

ということなので成瀬家の10代目さんあたりの乳母さんだったのかしら?

江戸時代の終わり、明治維新の少し前に、
成瀬さんとこは犬山のお城を造ったと記憶してるので
成瀬家が城持ちになった後のお話ですね。

もし明治の初めの御住所がどこになるか
犬山なら犬山市役所で調べてくれるでしょうし
名古屋なら尾張藩関係で調べるのが良いと思います。
[8]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月01日 14時44分40秒 ) パスワード

名古屋あたりで「ごとうさん」は普通「後藤」ですよね。


この「後藤」という人も平家物語に出てきますから
やっぱり「平家」関係かなあと思うのです。

でも確か平清盛の5男重衡の乳兄弟じゃないかなあ?


で、今やってるNHK大河の「功名が辻」に武田鉄矢が演じた「五藤」という人物。
この人が非常に謎だったのです。
一族は高知にいらっしゃるそうですよ。


それで「尾張のごとうさん」とは一体どうなってるのか非常に不思議だったのです。
五島・後藤・五藤
みなさん平家がらみで南朝方がらみで尾張徳川がらみだったのかしら?


成瀬家は三河出身で藤原姓だそうです。
そうすると後藤・五藤はどうやら藤原姓らしいから
五島氏はやっぱりそっちの藤原系じゃないみたいですね。
「島」の字を使ってるというところに何か特別な意味がありそう。
[9]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月01日 15時18分49秒 ) パスワード

市橋家にお嫁にいらっしゃっても
それ以上のプライドがあったということじゃないのかしら?


成瀬の殿様の乳母だったとか
成瀬家にお仕えしたとか
そういうのが市橋家を超えるプライドだったんじゃないかしら?


市橋家というのは
元は美濃国土岐氏(足利幕府関係のエライ人よね)に仕えてて
それから織田信長に仕え、秀吉に仕え、そしてだんだん没落していった家。
市橋長勝とかね、結構戦国時代には活躍なさってますよ。


市橋城というのも大垣にありましたし。


名古屋あたりじゃなかなか立派なお家ですよ。
名門っていうのかな?名家っていうのかな?
そこらの馬の骨じゃないですよ。


きっとね、
市橋家は北朝方でしょ
だから
お曾祖母さまは御自分は南朝方だったから(フン)なんて思ってらっしゃったかも。

そういう力関係を感じました。笑
[10]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月01日 15時43分27秒 ) パスワード

成瀬家は尾張徳川家の付け家老として竹腰家と一緒に尾張藩を支えましたからね
ワタクシ的には徳川家は南朝方で充分なんです。
その徳川家が成瀬家を付け家老にしたのですから徳川成瀬は古くから信頼関係があったと思います

   明治時代になって薩長によって徳川南朝方説の否定が押し付けられましたからね
   薩長には逆らえませんが
   ま、徳川様の世には我々の先祖は協力関係にあったんですから
   薩長が何を言おうとも徳川家関係者として
   南朝方以来の仲間として現在に至る
   で良いと思います。


3万石の殿様におっぱいをあげた、お世話申し上げた、
そういうプライドって特別だったと思いますよ。


そういう立場に上がれたというのはやっぱり尾張徳川家との関係があったと思いますね。
直接には新田開発かしら?
善太新田の開発規模というのがどれぐらいだったのかさっぱり分からないのですが
いろいろな町に善太新田という地名がありますから広大だったんでしょうね。


やっぱり尾張藩の新田開発の歴史を調べないとねえ。
お曾祖母さまの御実家は庄屋さんだったのか代官だったのか
そんな辺りでしょう。

佐屋とか蟹江とか尾張西南部だったら服部家の監督のもとで新田開発が進められた
とは思いますが
五島家と服部家は津島神社がらみで御親戚筋なのかしら?
津島神社でも「五島家」について分かると良いですね。バリバリの南朝方ですよ〜


もし御先祖さまの御出身が江南とか一宮方向だったらゴメン北朝方だ。
北朝方の拠点は確か妙興寺さんだったと思います。

取り敢えず電話帳で「五島家」がどの辺りに多いかチェックしてみては?
五島家がどの辺りで多いか、それで北か南かハッキリ・・・するかも・・・笑
[11]さんからのコメント(2006年11月01日 16時12分40秒 ) パスワード

おけいさん、どうも初めまして。
ギャンブラーさん、ご無沙汰してます。←既に恒例のあいさつになってる気が(^^;
たまに出没しては、おせっかいを焼いてます。

善太新田のひいおばあさまのお家(五島家)について
>服部家に仕えていたのではないかと考えます。
>曾祖母は娘達に(成瀬の殿様の乳母だった)と言っていたとか・・・。
というのは、下記の服部家のことでしょうか?

http://www.aichi-kanko.jp/apta910.asp?ID=1048&Lnow=2&Lname=3

「成瀬の殿様」というのが↑に書かれている尾張藩家老の成瀬家のことであれば、名古屋市図書館で、
もし犬山藩主の成瀬家であれば、犬山市の図書館も合わせて調べられると手掛かりがあるかも知れないですね。
でも、おけいさんのお話では、ひいおじいさまは名古屋出身のようですので、
やはりまず名古屋市図書館へ行かれるのが良いかと思いますが。

図書館には各藩の分限帳があると思いますので、閲覧されてはどうでしょう。
ひいおじいさまのお家(市橋家)は足軽だったということなので、該当箇所を探してみられては。
善太新田の服部家に関しても、名古屋市図書館で聞いてみられると分かるのでは、と思います。
図書館のレファレンスコーナーで、「○○について知りたいんですけど」というと、歴史資料をあたって調べてくれますよ。
[12]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月01日 16時30分14秒 ) パスワード

隈さん

さすが!
検索の天才!
これから「検索博士」ってお呼びしようかしら(笑)

成瀬家の服部茂左衛門安久ですか。


佐屋あたりで代官だった「服部家」というのは聞いたことがあったけど
その家と関連があるのかなあ?笑
[13]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月01日 16時35分15秒 ) パスワード

「五島さん」を検索してたら長崎のサイトで「家盛」がヒットしちゃいました。


宇久氏
現在の北松宇久町を本拠とした中世豪族。
平家の家盛を始祖とする説もある。
鎌倉−南北朝時代には松浦党化して五島一円にも勢力を拡大。
八代・覚の時に福江島へ移り、純玄の時秀吉に服従。
文禄の役出兵に際し宇久姓を五島姓に改め、近世代名五島氏として明治維新に及んだ。


やっぱり「平家」なんだ〜(笑)
ということは「南朝方」なんだ〜(むりやり)
ということは「反織田信長」なんだ〜(お仲間決定!)
そうすると「徳川さま」の息がかかってる〜(当たり前)
[14]さんからのコメント(2006年11月01日 16時36分07秒 ) パスワード

今ちょっと調べたら、成瀬家当主は代々尾張藩付家老《兼》犬山藩主だったのですね。
御家老様でも、お殿様でも間違ってない訳ですね。。。
失礼しました。m(__)m

図書館を当たって、それでだめなら教育委員会・・・ですかね、ギャンブラーさん?


[16]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月01日 17時10分37秒 ) パスワード

おけいさんのお曾祖母さまは
平家か平家一門
の御子孫ということになりますか。

平家か
平家一門なら服部家関係かもですね。

都落ちの後?九州にいて、その後、伊勢伊賀尾張に戻って来て
尾張南西部に定住。


「後藤」じゃないというのが平家でも「重衡」関係じゃないというということかな?


こういう線で資料集めですね。
愛知県図書館や徳川美術館やらで出来るだけの情報を集める。
それから長崎からも資料を集める。

ひょっとすると隈さんとことも御親戚だったり、ね?
[17]おけいさんからのコメント(2006年11月01日 20時20分54秒 ) パスワード

大変詳しいお話を有難うございます。
愛西市役所やら犬山城の資料館やら、休みの度に出かけてはいたのですが。
伯母(母の姉)達によれば小学校に書類を提出する際、平民か士族かを書く欄が有り、(うちは士族と書いた)との事。又、祖父と祖母が口喧嘩になると(うちは百姓で、市橋は侍だからなっ!)と祖父がよく言っていたそうです。
私のご先祖様方は、あの明治の動乱から世界大戦の終戦をどんな気持ちで過ごされたのでしょう。出来れば昭和の時代にのんびりと生きて欲しかったです。
そうすると、私はこの世に居ない?
慌てずゆっくりと探してみます。
本当にご親切なお返事を有難うございます。
[18]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月04日 01時28分26秒 ) パスワード

<6>と<15>は犬山藩主殿様御家族の皆様の個人情報に係わるので消しておきました。
知ってる人は知ってることなので「個人情報」というほどじゃないんですけどね。
尾張徳川藩関係者および犬山成瀬藩関係者等なら誰でも知ってる基本中の基本だから。
でも関係無い人も見てるでしょうしね。
関係無い人にヨダレ垂らされるとお気の毒だから。父に叱られるんで「分を超えるな〜」って。


比較的御近所にお住まいのアカコッコさんには見ていただきたかったですね。
お散歩コースででも、殿様にお目にかかって、旧交を温めて欲しいです。

昨年の尾張徳川藩主の御葬儀の時に末代に亘る御交際を願ってました。
来年あたり3回忌ですから
この時にでも。
[19]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月04日 01時57分12秒 ) パスワード

http://www.hikoshima.com/bbs/heike/100788.html


おけいさんへ
古いスレッドですが旧尾張藩士の方への「お調べ所」の情報です。
旧尾張藩士に限って情報を公開してた、というのです。


尾張の市橋さん関係者で「足軽」は無いよお〜
と思いますから
「足軽」というお話はお身内での軽口だったんじゃないかしら?


夫の友人にアメリカで有数のお金持ちがいて
そこは今はネッスルに身売りしたんですけど「乳業王」でした。

でも息子さん達は学校で親の職業を訊かれると「牛乳配達やってる」って答えてましたよ。
知らない人は「へ〜、アイツのオヤジは牛乳配達か〜」ととってましたが
夫はバラすワケにもいかず黙ってたそうですけどね。


ワタシの知り合いにもスゴイ立派な家がありますが
そこの家族の皆様も世間には「うちは百姓」とおっしゃってます。
日本人は元は農耕民族ですものね。
皇室だって五穀豊穣を祈る百姓の親玉と表現出来ないわけじゃないですものね。


ですからね
旧尾張藩がお調べ所を次回開催なさる時には必ずお出掛けになってください。
その時に除籍謄本の明治の初め〜戦後あたりの物をお持ちになったら良いのじゃないかしら?
特に「士族」のタイトルのついた古い戸籍謄本があったら良いと思いますよ。

一応役職など知っていなきゃいけないそうですけど
尾張藩でしたら市橋姓の方は多いですから向こうの方が御存知だったり?
または市橋さんという方とお知り合いになっては?


先月だったかしら?
9月だったか10月だったか?
尾張藩主の慶勝公のいろいろなものの公開がありましたでしょ?
こういうのには是非お出掛けになってくださいよ。

どこでどう御先祖さまのお名前が出ていらっしゃるか
チェックは欠かさないで。

(なんでワタシがこんな事を書いているんだろう?謎だ)
[20]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月04日 02時03分33秒 ) パスワード

上記に思い違いもありますから
ここにコピー&ペイストしておきます:


投稿番号:100788 投稿日:2005年06月19日
暇潰しのギャンブラー
期限切れ情報:旧尾張藩士のお調べ所


期限切れ情報でごめんなさい。
友人から連絡を受けてたのに書き込むのを忘れてました。


今年の建国記念日の特別企画だったか
対象は1200件ほどですが
旧尾張藩士の御子孫用に「お調べ所」が開催されたそうです。


尾張藩が藩士の家の記録を明確にするために作成・提出させた
江戸中期の「 士 木木 シ斥 シ回」しりんそかい
江戸後期の「 藩 士 名 寄 」
を元に作成したデータベースから

・当主の名前
・家禄
・役職履歴
・お目見えを初めて許された年などを調べることが出来たそうです。


ただし名字だけからでは検索できないのでちゃんとした御子孫が対象。
さらに当時の居宅を探す地図コーナーもあったそうです。




ということですから
明治の初めの御先祖さまなら江戸時代最後の御先祖さまでもありますから
そのお名前で良いと思いますよ。
[21]アカコッコさんからのコメント(2006年11月04日 15時18分53秒 ) パスワード

11月に入りだいぶ秋めいてきましたが皆様お元気でご活躍のことと推察いたします。
 
何もわかりませんが手持ちの本から五島家について書き出してみました。
 
「日本城郭全集」から

黒田城(葉栗郡木曽川大字黒田字古城)明応年間(1490頃)五島源太左衛門光秋が、この地に武家屋敷を構えた。のち、山内但馬守盛豊(一豊の父)がこの屋敷をもとに城を造ったのが始まりであろう。

また尾張群書系図部集(続群書類従完成会)に五島家の系図が記載されております。

 その始祖五島正仲:足利尊氏に仕う。
 とありその四代後に光正:源太左衛門尉には明応年中、尾州葉栗郡黒田に来たり、黒田城代を勤むとあります。
 同じ「光」の字を使用しており、また明応年間なので親子か一族かと思われますが。不明な点があります。
 
 その光正の末裔:光久(源五郎)のところには尾州黒田の五島家祖と記載されており、「おけいさん」の祖母の家系かと想像されます。
 
 その光久の四代後 五島光紀(甚助)明和四年卒(1767)とあり、明治よりほんのちょっと前で、妻は中島郡奥村服部忠右衛門女とありますので、
 
 [4]のところに記載の黒田家は服部家に仕えていたのではなく親戚関係が続いていた事を述べていたのではないかと思われますが。いかがでしょうか?

 以上は一個人の考察でありますので、間違いがあるかと思いますが、こうやって想像することも出来ます。

[22]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月04日 16時02分01秒 ) パスワード

アカコッコさん


素晴らしい情報ですね。



>黒田城(葉栗郡木曽川大字黒田字古城)明応年間(1490頃)五島源太左衛門光秋が、
>この地に武家屋敷を構えた。
>のち、山内但馬守盛豊(一豊の父)がこの屋敷をもとに城を造ったのが始まりであろう。


はい、NHKの大河でもしょっちゅう山内家の在所として「黒田」の地名が出てました。


>五島「源太」左衛門光秋

「源氏の太郎」ですから「源姓」になりますね。
あらら。そうなの?
そうすると「北朝方」ということになるのかしら?
葉栗郡ですとやっぱり北朝方なのかな?


>妻は中島郡奥村服部忠右衛門女とあります

やっぱり「服部さん」と御親戚になるんでしょうね。笑
ま、あの辺りというか、尾張で「服部家」と親戚じゃない結構な身分の家を捜すのは難しいですものね
特に尾張徳川家がらみで「ある程度以上の家」でしたら。

ま、やっぱり「庄屋」か「代官」か「そのあたり」の家格またはそれ以上だった、と思いますね。
佐屋の人だったら「佐屋の服部家」が明治以降どういう家になっていくかとくに御存知でしょうし


そうすると服部家との関係は尾張管領斯波家がらみで親戚関係になっていったのかなあ?
ここで「恩讐の彼方」が成立したのかな?とコジツケテみます。


五島家は山内一豊の父親に黒田を追い出されたのかしら?
それとも
山内家の家老の五藤家と五島家はもともと近い関係だったのかしら?
   でも五藤家は藤原姓みたいだし五島家は源姓みたいだし。
五藤家が足利家との関係から藤姓をやめて(笑)源姓に変わり、この機会に五島姓になったのかしら?

非常に日本的で面白い展開の空想が広がっていきます。笑


それこそ愛知県教育委員会歴史編纂課の史料で確認出来そうですね。
[23]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月04日 16時28分16秒 ) パスワード

最近世間を騒がせている岐阜の元知事さん
     梶原さん
この方の御先祖さま?の
梶原景時は子供に「源太」を名乗らせてますものね。
彼の頼朝に対する思いがそのまま子供の名乗りになってますものね。


五島家にもそういうのがあったのかしら?


わたくしの母方も「源氏」を称してますけど(事実は源氏「方」で義経が一族の烏帽子親になってるし)
やはり大叔父が「源」の字を使ってます。(この人の娘に「ウチは源氏方ね」と念を押すと睨まれます)


こんな風に日本の「姓」というのは心情的にも混乱していったのだろうと思います。
氏姓制度の乱れは押さえられなかったって思います。

でも本姓で勝負して生きてきた家は混乱に乗りたくても周りが許さなかったし。
さらに
足利氏でも源姓でない足利氏が存在するし(足利又太郎忠綱)
足利の人間でも「北朝方なんかや〜めた!」という人間が出たし。足利尊氏弟
「南朝方や〜めた!」と言った楠正行弟の行動も日本人はやっぱり納得出来ないし。


日本人の家を語る時、血と涙と汗と心とを考えると、間口の広さと奥行きの深さに
自分が生まれてきた経緯の余りの意味の重さにクラクラしちゃいます。
記録に留められなかった部分はもっともっと多かったのだろうな、とか。
涙が出ちゃうわよ。
[24]おけいさんからのコメント(2006年11月11日 22時36分16秒 ) パスワード

いろいろとご指南有難う存じます。
せめて曽祖父か、その親くらいまでは確定したいと頑張っております。
休みの度にあちらこちらと彷徨って時間は過ぎてゆく・・・。
蓬左文庫に行ってみようかと考えておりますが。
[25]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月17日 01時47分51秒 ) パスワード

>蓬左文庫

「蓬左」って「名古屋」のことなんですよね。
私は園芸家の小笠原亮さんのお話で知りましたけど。

名古屋の特産の「蓬左菊」という名のように今でも使われます。
「蓬左文庫」だったら尾張藩の御文庫って使い方ですね。


昔は名古屋城に菊花壇(上家)を観に行ったものです。
懐かしい。
ここで蓬左菊も見られると思う。外と中の色が違ってて・・・

ま、普通、奥州菊や美濃菊、江戸菊、嵯峨菊、伊勢菊、肥後菊の方が人気はあると思うけど。
[26]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月17日 02時03分18秒 ) パスワード

「蓬左」とは名古屋のことであると書きましたが

蓬莱の宮(熱田神宮)の左側にある町、という意味らしい。

名古屋城には蓬左城、鶴ヶ城、亀尾城、柳ヶ城、楊柳城などの別名があり、←聞いたことないよ〜
「蓬左城」が特に使われたそうです。←全然聞いたことないよ〜

え〜っ?
金鯱城じゃなかったの?
です(笑)
[27]おけいさんからのコメント(2006年11月27日 22時19分30秒 ) パスワード

蓬左文庫、行ってきました。
有りました!が、明治になってから途切れているのでどの方が我ご先祖様なのか迷ってしまいます。2系統あり、うちは祖母の住んでいた住所から下級のほうであろうと思われますが。
曽祖父が載ってないんです。祖母が明治19年生まれであることから、曽祖父は尾張藩に仕官していなくて家族の誰かが仕えていたかと推測します。
祖母によれば近所の字の書けない人達の代書屋をしていたと曾祖母から聞かされたとのことです。
もう少し調べてみます。
有難うございます。
[28]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年11月28日 00時06分44秒 ) パスワード

おけいさんって
ホント性格の良いかたでいらっしゃる。
失われゆく日本女性の美徳を備えたかたと拝察いたします。ぺこり


尾張藩も幕末は青葉?青松葉?事件というのがあり
佐幕 vs 尊王でグチャグチャに揺れたのです。
この時には日比野の庶民も巻き込んで大揺れだったそうですよ。


そういう事件に巻き込まれ御曽祖父さまは尾張藩を離れたのか離れなくてはいけなくなったのか
上の人は切腹してますからね。


是非城山三郎の「冬の派閥」をお読みになってください。


尾張藩で敗れた人達は北海道の八雲という所に移住しました。森の近くだと思います。
八雲なんて昭和区に地名がありますしね。そこから取ったのかしら?


御曽祖父さまのことがもっと分かると良いですね。
どんな事があったのか?
涙の事件があったのか?
きっとおけいさんの誇りに出来る御曽祖父さまだっと思いますよ。
[29]おけいさんからのコメント(2007年11月03日 16時11分15秒 ) パスワード

一年ぶりにお邪魔します。
あれから暇を見つけてはぼつぼつと調査を続行しています。
尾張国諸家系図を見ていましたら国香流桑名系杉原氏系図の47系図に孝盛と言う方が有り、住市橋になっていました。国香20代の裔とあり、そのひ孫で分かれており、片方はあの市橋長勝家です。もう一家は長勝の兄弟が続き(吉兵衛)重長で途絶えています。こちらの市橋のことは何で調べることが出来ますでしょうか?
[30]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2007年11月03日 17時42分57秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/

おけいさんへ
 
市橋氏は清和源氏頼親流説、桓武平氏貞衡説、藤原氏公季流説などが存在する。
市橋長利の長男は杉原家利、次男が市橋長勝、家利の子は家次、義正、七曲(浅野長勝妻)、朝日(杉原道松妻、ねねの母)。
家次の後は長房−重長=重玄で途絶えるが、義正の後裔は分家を含めて続いている。
大略は「日本の苗字七千傑」姓氏類別大観(http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/fclan_index.htm )桓武平氏貞衡流を参照して下さい。
更に詳細は図書館などで寛政譜平氏貞衡流杉原の項を閲覧することをお勧めする。
[31]おけいさんからのコメント(2007年11月04日 00時25分50秒 ) パスワード

有難うございます。すぐには調べられませんがライフワークと考えやってみます。
[32]おけいさんからのコメント(2015年07月23日 23時42分54秒 ) パスワード

お久しぶりでございます。いろいろご指南いただいてから8年も過ぎてしまいました。
別の事でお教えいただきたくおじゃまします。

愛知県で大竹姓で家紋が桔梗って言うのはやはり土岐氏に連なるでしょうか?
今度は父方です。木曾川わ挟んで岐阜県にめんした所に明治から住んでおりますが、それ以前の事がわかりません。

解る事で結構です。宜しくご教授お願いします。
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