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 投稿番号:100941 投稿日:2006年08月14日 08時39分31秒  パスワード
 お名前:暇潰しのギャンブラー
武士と画家:人見四郎と久隅守景

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

「新日曜美術館」を見ていたら
人見四郎という鎌倉時代の老武士の肖像画が紹介されました。

73歳で先陣を賜り
辞世の句を残したのです。

「花咲かぬ 老木の桜朽ちぬとも その名は苔の 下に隠れじ」
ーーーーーー老い木の桜ーーーーーーーーーーーーーーーーー

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月14日 08時43分58秒 ) パスワード

http://nire.main.jp/rouman/fudoki/14sait07.htm

どういう人物か検索してみました。


人見四郎という人物は2人いました。
源平時代に一の谷に参戦した人見四郎。
鎌倉時代末期に幕府方として参戦した子孫の人見四郎。


どちらも「鎌倉時代」の武士ですね。笑
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月14日 08時58分39秒 ) パスワード

国宝「納涼図」は久隅守景という江戸時代初期の画家の屏風絵ですが
夕顔(瓢箪)の棚の下に筵を敷いて男性と女性と子供が涼んでいるのですが

これまで自分達夫婦と子供の絵じゃないかと言われてましたが
今では自分と娘と息子じゃないかと言われているそうです。
(奥さんは狩野家の娘?)

人物の配置が夫婦には見えないということでした。
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月14日 08時59分23秒 ) パスワード

人見四郎の人物画を描いたのは江戸時代の狩野派の画家「久隅守景」。

狩野派の将来を託された画家でしたが
・新しい境地の開拓を咎められ?
・子供達(息子と娘)の不行跡を咎められ?
狩野派を破門されたようで


晩年に、自分の心境と死出の旅に赴く武士・人見四郎を重ね合わせ、描いたのでは?
と言われています。
[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月14日 09時00分38秒 ) パスワード

久隅守景は「家貧なれど志高し」と言われた画家で
子供達も絵の才能がありました。


娘はゆきで清原雪信の名で狩野派流の絵を描いています。
よくある源氏物語の「浮舟」のシーンは彼女の絵のようです。
彼女は男と出奔してしまい40歳で亡くなってるそうです。


息子は彦十郎で1730年に81歳で佐渡で没していて
日蓮ゆかりの実相寺(じっそうじ)にお墓があるそうです。
この人は  狩 野 探 月半 の名で描いているようです。
若い時に狼藉を働き佐渡に送られ、許されてからも佐渡に残り、没しました。 
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