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 投稿番号:100935 投稿日:2006年07月28日 11時31分24秒  パスワード
 お名前:味岡
味岡姓が、何故 熊本県球磨地方にいるのでしょうか?
キーワード:味岡 愛知県 味岡村 川口家
コメントの種類 :質問  パスワード

熊本県球磨郡に住んでいます味岡と申します。

九州地域に古くから住んでいる味岡性は、熊本の我家だけで、父からは、大昔に愛知県小牧市の、味岡地から来たんだろう・・・ としか聞いていません。
(また、素生を調べようと思う身内もいません。)

川口信 氏さんのWEBコメント中に
『川口家家臣達の名前にも小嶋、井原、味岡、棚橋、栗田、林、伊藤など岐阜、
尾張関係の名前が多く見受けられます。』
とも御座いました。

もし宜しければ、いつ位に何故、遠い熊本県の球磨地方まで、行ったのか!行かされたのか?
情報が御座いましたら、お教え願います。よろしくお願い致します。

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[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月28日 14時26分19秒 ) パスワード

味岡さんへ

初めまして。
とは言っても味岡姓について何も知らないので他の方の書き込みに期待してください。


実は知り合いが小牧市味岡の近くに住んでました。
味岡という名は学校に残ってますから元は小牧の豪族だったんでしょうか?


田県神社って言ったかしら?
古代日本の男の神様と女の神様のなんちゃらのお祭りのある神社です。
うちにもアレの入ったお社がありますよ(笑)
ただ田県神社が男の神様か女の神様の神社かそれとも同一神社なのか詳しいことは知らないです。

つまり非常に古い歴史のあった所ということです。
平安時代に味岡という荘園があったそうです。


ということで愛知県または小牧市教育委員会の歴史編纂課から情報が得られると良いですね。


平安時代のどのあたりからの関係か?
川口氏の家臣団に名があるということは平家+南朝方+徳川家康関係の流れかしら?

可能性として
1)平家方として九州に残った?ということは平貞能関係?
2)南朝方として九州に行った親王さんに従って熊本に残った?
3)戦国時代に佐々か加藤か細川か、どなたかに従って熊本に行った?


田県神社関係でどなたか味岡姓の方はいらっしゃらないでしょうかねえ?
田県神社って南朝方の津島神社と盟友関係にあったのかな?


もし機会がありましたら小牧市の田県神社にいらっしゃってはいかがでしょう?
それから小牧市役所に行く。
小牧市内または田県神社の近くに味岡さんという人が今でも住んでいるかチェックする。
名古屋に出てるかも知れないですね。


それから御先祖さまを遡って明治の初めの戸籍謄本(除籍謄本)を手に入れ
その当時どこに住んでいたか調べる。
小牧か球磨か?
これによって御本家が特定されるかも。


もうすぐお盆なので御親戚の長老にいろいろお話を聞く。
今年を逃したらもう機会は無いかも。


川口氏の書き込みで「平家」「南朝方」「戦国時代」というキイワードは出たと思いますよ。
あとは裏付け。

田県神社かな?
ここの氏子だったかな?

この辺りに何かオカルト的なパワーを感じませんか?笑
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月28日 14時46分12秒 ) パスワード

味岡という地名は今は無いようですが
名鉄小牧線に「あじおか」駅というのがあり
味岡小学校や味岡中学校があって

名古屋空港というか小牧空港というか
        (↑__ もっと特定するとイチローの出身地の豊山という所なんですけどね)
小牧空港からですと20kmぐらい離れているようですよ。

田県神社は「あじおか」駅から1.5kmぐらいかしら。


で、ビックリしたことは、小牧に赤堀という地名があるんですけど
南朝方の忠臣に赤堀家というのがあるので(え?)っと驚いているのです。

これまでは赤堀氏は伊勢の出身じゃないのか?と思ってましたが

田県神社が南朝方だったら、赤堀氏はその関係だろうし
地縁的に味岡氏はやっぱり私の想像通りなのかな?っと。
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月28日 15時06分32秒 ) パスワード

ちょっと地図で確認しましたら

豊山と小牧は20kmなんて離れてなかったです。ごめん 5kmぐらい?
20kmも行ったら名古屋に着いちゃう?笑


小牧と犬山が近いというのは
家康+信雄 vs 秀吉+三法師の「小牧長久手の合戦」の小牧城vs犬山城の舞台にもなった所で
目と鼻の距離なんですけど
丹羽長秀の出身地の近くだし山内一豊の出身地の岩倉の近くだし

え〜?
それじゃあ!
小牧って北朝方の拠点のあった御近所じゃないのよお〜
と仰天しております。


田県神社は
もっと遠くの南朝方の津島神社の味方だったのか?
御近所さんの北朝方の妙興寺さんの味方だったのか?


平安時代に味岡荘園がどこに属してたか?
これが小牧市役所の中世の資料から分かると良いですね。
と逃げておきます。
[4]味岡さんからのコメント(2006年07月28日 16時02分27秒 ) パスワード

暇潰しのギャンブラーさん、有難う御座います。

最近 小牧空港を経由して、岐阜や滋賀に仕事で行くことが増えまして、
「小牧といったら味岡性の初まりなんだろうな〜」と考えていたら、
自分の素性が知りたくなり、今回 投稿致しました。

暇潰しのギャンブラーさんのアドバイスに従って、小牧市役所に行ってみます。

それと少しNETで調べたのですが・・・
福井市の東大寺領荘園 749年(天平勝宝1)にも、味岡地名があるみたいです。
福井県史
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/zusetsu/A11/A113.htm

味岡という言葉に、何か意味が在るのでしょうかね?
[5]アカコッコさんからのコメント(2006年07月28日 18時00分33秒 ) パスワード

味岡様 初めましてwebの本人です。

以前私も味岡姓について調べたことがありましたが、ようとして分かりませんでした。

 印旛村史近世資料編2の元禄十年九月の項には武市久太夫、馬場武右衛門、柳井秀右衛門、早川団右衛門、伊藤七郎左衛門、味岡勘兵衛 等々のお名前が記載されておりますが、現在はその周辺には見かけない姓です。以上下高野村(現・千代市)立石家文書:印旛村(岩井家文書)

 現在私の住まいの1キロぐらいのところに味岡時計店という店があり前より気にかかっておりますが、取っ掛かりがなくそのままです。

佐倉市青菅には味岡氏の墓石があり、現存しております。そのうちお参りに行ってまいります。
 
もし差し支えがないようでしたら、貴味岡家の家紋などお教えいただければ、幸いです。
[6]味岡さんからのコメント(2006年07月28日 19時25分29秒 ) パスワード

アカコッコさん、初めまして。
コメント有難う御座います。

面白いサイトですね。観るたびにワクワクしております。
味岡姓についても、我家の過去がヒモ解かれて行くみたいで!

我家の家紋は、へんてこな鳥の形の三雁金(みっつかりがね)だそうです。
私も初めて我家の家紋名を知りました。

千葉県の印村藩にも、味岡姓があるのですね。 お墓参り・・・遠い身内(多分)
ながら感謝致します。

日本の苗字7000傑より、藤原氏長家流那須氏(那須国造)に、味岡姓が出てくる
のですが・・・

何故 味と岡なの、何の意味と思っちゃうですよね! それでまた我家は熊本の
球磨川の源流ですし・・・ 非常に気になるんですよね!
[7]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月28日 21時18分28秒 ) パスワード

>へんてこな鳥の形の三雁金


いえいえ変てこどころか「三飛雁金紋=柴田家」ですね。
そして真田も雁金紋ですし。
(平家系は公的記録では使ってないようです)


家紋は替わりますから、どこから使用するようになったのか、そこが問題ですね。
他にどのような紋を使用してたのか?
それが分かると良いですね。


だいたい「雁金」という名詞
日本の有名な画家の実家が雁金屋という屋号だったんじゃないかしら?
今は使わない言葉ですけど江戸時代まではかなりの意味があったと思います。


味岡という荘園は結構日本中にあったのかしら?
元は天皇家の台所関係なのかしら?

いろいろな情報が出ると良いですね。


もし小牧に行けるようでしたら
熊本で御先祖さまの戸籍謄本を集めて
小牧関係が出て来たら小牧でも戸籍(除籍)謄本が取得出来るよう
行動なさいますように。

結構時間がかかりますから早めに取得なさってください。
郵送じゃ面倒でしょうから。

私は郵送で小牧市役所の教育委員会の歴史編纂所から資料を取り寄せます。
返信用封筒と返信用の切手を いくばくか X000円分ぐらい? 同封します。
[8]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2006年07月28日 23時16分37秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

味岡様

味岡姓は藤原氏長家流。那須氏の後裔。
発祥地は尾張国春部郡(春日井郡)味岡庄と推定。
何故、尾張から肥後へ移住かは推定の域を出ないが、
球磨郡人吉庄は平家没官領で、鎌倉期以降は蓮華王院領となる。
古くから良峯氏の支配地域で建久8年(1197)の地頭は良峯師高。
良峯氏の本貫は尾張国丹羽郡で尾張との関係は深い。
そのため濃尾地域の地名姓が多いのでしょう。
また球磨郡には那須姓も多く、県境を越えた宮崎県東臼杵郡椎葉村では第2位の大姓。
那須大八の伝説も一概にヨタ話とも言えず、那須一族が平家追討に向かい、日向から肥後にかけて土着したのではないかと考える。
[9]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月29日 00時19分58秒 ) パスワード

アカコッコさん

>佐倉市青菅には味岡氏の墓石があり、現存しております。

これはモロに堀田家にくっついて佐倉まで行った
という感じですね。

堀田家=南朝方=ですから
やっぱりお仲間ですから味岡家も南朝方の線ですね(笑)


そうすると味岡氏も戦国時代には御家再興に頑張ってたというのが見えてきますね。
[10]味岡さんからのコメント(2006年07月31日 08時59分33秒 ) パスワード

おはよう御座います。

暇潰しのギャンブラーさん

「三飛雁金紋=柴田家」て、柴田勝家ですかね?
この人物しか知識が御座いませんけど。

土曜日に、家の爺さんと本家の爺さんに聞きました。

家の爺は、相良家(日本で結構古い弱小大名)について、静岡の相良庄から
ついてきたとか。

本家の爺は、加藤清正についてきたとか。

根拠を聞くと、「昔 人の家系を勝手に調べて、本にして販売する人から
買ってみたら、そう書いてあったから。」

情けない結果でしたけど、戸籍謄本はまだとっていませんので、
諦めず調査します。

でも、平家落武者か、源家の追討軍か、もしくは家の爺達の「ついてきた」か。
罰ゲームか何かで、こんな遠い熊本まで行っちゃって、まじめな先祖だと
思いますね〜

天皇家の台所役とかで、収まってくれると「味」が付くのも納得いくんです
けど。
[11]さんからのコメント(2006年07月31日 09時51分49秒 ) パスワード

味岡さん、どうも初めまして。

私も始めは南朝方の関係かと思いましたが、
調べてみましたら、江戸時代の肥後細川藩士の中に「味岡」さんがおられたようですね。

細川氏入封の前に熊本を治めていたのが加藤清正(名古屋市中村出身)ですし、
さらにその前には佐々成政が治めていたこともあったようですね。
佐々成政の出身地は旧春日井郡比良村(現・名古屋市西区の北端)で、
小牧市味岡からは直線距離で10km弱です。

豊臣秀吉の九州平定後、本家のおじい様がおっしゃるように加藤氏か、
もしくは佐々氏の家臣として熊本について来られた可能性はありますね。

味岡さんの江戸時代のご先祖様が士族なら、その可能性が高いのではないかと思うのですが。
南北朝期に移住して土着していたら、もう少し同姓のお家が増えているのでは・・・。

ちなみに「アジ(味は当て字)」のつく名は秦氏に関係あり、と「秦氏の研究(大和書房)」には書かれてます。
これは確証ありませんけど。(^^;
[12]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年07月31日 11時11分28秒 ) パスワード

>「三飛雁金紋=柴田家」て、柴田勝家ですかね?

はい。勝家です。

柴田家は尾張です。
元はどこか知りませんが名古屋の千種区あたりで織田信長の弟に仕えてたと記憶してます。


http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sagara_k.html

播磨屋さんのこのサイトによりますと
平家方の相良氏。
   遠江にも行ったり戻ったり。
更に南朝方ですね。

辻褄合いますね。笑
相良家の家臣にいればバッチリなんですけどね。


球磨の「くま」はどこから来てるのでしょうね?
ひょっとして「隈さん」と同類の平家だったのかしら?


なんか「もぐら叩き」のように見え隠れしてますね。
[13]さんからのコメント(2006年07月31日 11時26分00秒 ) パスワード

ちなみに小牧の味岡庄は、平家の荘園だったそうです。
平重盛が再興した「小松寺」もあったとか。

http://tsutsuji.hp.gaiax.com/diary/02/1430424

当然ながらこの辺り、戦国期には織田・豊臣両氏の支配化にあったようですね。


ついでに書くと、伊勢の員弁郡にも「味岡庄」という名の荘園があったようで、
こちらを支配したのが伊勢の伊藤氏。

http://hishiki77.ld.infoseek.co.jp/2-2shushi/2-2-7shiro/kuwa/ajioka.htm

平家繋がり・・・?
やっぱり味岡さんも、平家・南朝方なのでしょうか?
[14]さんからのコメント(2006年07月31日 11時37分57秒 ) パスワード

ギャンブラーさんとちょうど入れ違いになりましたが(笑)、
熊本も菊地氏以来、結構平家・南朝方の集まる土地ですね。

これはやはり、相良氏・加藤氏・佐々氏それぞれの家臣団を地道に調べて、
「味岡」姓の方を探すしかなさそうですね。

[15]アカコッコさんからのコメント(2006年07月31日 13時20分14秒 ) パスワード

隈さんまた遭遇いたしましたね、隈さんがお元気なのが一番うれしいです。

 以前調べ矢ことをカキコします。

[5]に武市久太夫、早川団右衛門、味岡勘兵衛 等々のお名前が記載されておりますが。

 武市久太夫:川口宗澄の子宗祐は濃州武市浄三成の養子になっておりますので、その一族の流れかと思われます。蜂須賀藩にも武市姓が。

 早川団右衛門:「甲斐国史」に収められておる『中尾之郷軍役衆名前帳」に同名の 早川団右衛門の名前がみられます。

 この軍役衆名前帳」は甲州武田氏における統属組織を具体的に見る資料として武田諸士起請文とともにしばしば引用されるものです。中でも山梨大学服部治則氏は軍役衆名前帳の統属・身分関係を細かく検討・整理されており、寄親ー寄子同心ー又被官の系統続図にまとめられ、関連する有意義な研究をされておられます。

 早川姓は佐々成政が自害後に子の雄助が外祖父の名跡を継ぎ早川七兵衛となのり、尾張春日井郡の比良村に居住しておりますので、もしかすればこちら流れの早川氏だと勝手に想像しておりましたので、隈さんのコメントで納得いくものがありました。
 
 肝心の味岡姓についてはさっぱりなので、皆様お助けを(笑い)
[16]味岡さんからのコメント(2006年07月31日 18時59分50秒 ) パスワード

隈さん、はじめまして!

コメント中の
 ちなみに「アジ(味は当て字)」のつく名は秦氏に関係あり、
 と「秦氏の研究(大和書房)」には書かれてます。
って、

暇潰しのギャンブラーさんの
 古代日本に栄えたロマンな一族:秦氏
ですかね!

ん〜ロマンが広がりますね〜

でも色々な荘園に、「味岡」があるっていうことは、
もしかしたら・・・
農業が得意な、天皇の子飼いの管理人(外国人)!

うちの家系、目と鼻が大きいんですよね!


頑張って、先祖を辿ります。
[17]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2006年08月01日 02時24分01秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

味岡様

追加情報:
那須氏は下野発祥だが、日向、肥後が特に多く、
三河を中心に尾張、遠江など東海地域にも多い。
熊本県に於ける味岡姓は16軒(2軒の熊本市を除けば球磨地域)。
従って味岡姓の本州からの移動時期は平安末期から鎌倉初期と思われる。
味岡庄の領家詳細は不明だが皇室領庄園(平家滅亡後に領家が変わる?)。
人吉庄の領家交代と同様と推定される。
遠江国相良庄も蓮華王院領。
建久9年(1198)以降の人吉庄地頭は相良氏。
相良頼景、長頼は源頼朝に仕え源氏方。
頼元・定頼・前頼の代は南朝方。
実長以降は北朝(足利氏)方に鞍替え。
長毎は秀吉に仕える。
頼寛は家康に鞍替えして明治まで本領安堵。

肥後は菊池、阿蘇、名和、相良が同じ南朝方だが常に対立抗争した。
また阿蘇家にしても南朝大宮司と北朝大宮司が並立した。
歴史は単純ではないので相良家文書などを地道に調査することをお勧めする。
[18]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月01日 08時43分50秒 ) パスワード

隈さん

さすが!
凄いの見付けて来ましたね。
驚きました。


12世紀の初め尾張の味岡は白河法皇の御妹の荘園だった。
へ〜

その後、平重盛領。
ということは家老が家貞・貞能親子ですから
やっぱり繋がっちゃいましたね。

家貞は筑後守でしたしね。
九州に縁があったし。
山峨氏とか菊池氏とかも平家方でしたし。


やっぱり
平家
南朝方
戦国時代
に味岡家は活躍していたようですね。


伊勢の味岡も平家の武門を担当してた藤原家(伊藤さん)がらみですし。
平家
南朝方
戦国時代は反織田信長ですけど。


ところで宗教は何でしょうか?
一向宗(浄土真宗西本願寺)ですか?
これでしたら戦国時代にかなり反織田信長だった情況証拠になっていきますね。


もし日蓮宗だったら加藤清正かな?確か。


やっぱりいろいろな市役所などから資料を取り寄せたらいいですね。
家臣団の名簿なんか手に入るといいですね。
[20]味岡さんからのコメント(2006年08月01日 11時12分07秒 ) パスワード

愛知県春日井市上田楽町にある「伊多波刀神社」

古くから格式高い式内社で景行天皇42年(112)に創建されたと伝えられて
います。その昔荘園時代には味岡荘(旧鷹来村、味岡村、小牧町など)17ヵ村
の総鎮守でした。

http://www.kcci.or.jp/imamukashi/imamukasi-06.html
28 伊多波刀神社と流鏑馬


景行天皇42年 創建って、邪馬台国 時代ですか〜 ウサン臭いですね〜


最近 身内のおっさんも、出生調査に興味を出し、仲間に成ってくれそうです!
[21]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月01日 11時30分23秒 ) パスワード

味岡さん
良かったですね、協力者が見つかって。
お盆までに目鼻がつくといいですね。



蓮華王院
これって33間堂の正式名でしょ。
ということは清盛ということで平家がらみ?
これで良いのかしら?
[22]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月01日 11時38分43秒 ) パスワード

蓮華王院のサイトです:
http://www10.ocn.ne.jp/~mk123456/kyoto/miyo.htm


荘園をたくさん持っていた、とあります。
そりゃそうでしょう、後白河法皇と清盛がバックですから。

ということは蓮華王院の荘園は平家落人の受け皿になっていたのかもですね。
もともとは味岡家などが代官になって管理してたのかも知れないし。


やっぱり平家がらみなのかなあ・・・
と引き込んでしまう。笑


な〜んか姿をチョロっと出すんだけど捕まえられない。

蓮華王院+清盛+家老の家貞・貞能親子+アカコッコさん+堀田家+尾張味岡+アルファ

平家がらみでしょうねえ。
[23]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月01日 12時07分11秒 ) パスワード

http://www.ajioka.co.jp/corp.html

「味岡商店」のオーナーは味岡平一郎さんとおっしゃるそうです。


このお名前からしますと、この方は、もうバリバリの「平氏」ですよ。

平一郎というのは「平氏の家の長男」という意味です。
吉川英治の「新平家物語」で清盛の幼名が「平太」と書かれていますが
これは「平氏の太郎」という意味です。つまり長男。


この方が何か御存知でしたらいいですね。
ダメ元でお手紙書いてはいかがでしょう?


わたくしの知り合いで坂東平氏の1つの流れである某家では
今でも「平太」とか「平次」とか「平三」なんて名前をつけてますよ。
すごく立派な御家ですよ。
[24]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月01日 12時24分31秒 ) パスワード

味岡姓の武士が尾張藩にもいらっしゃいました。
お墓のある所が尾張藩ゆかりの千種区というのがねえ。
だって上記に書いたように柴田家がらみかな?とも思うから。
勝家は信長が誅した弟(信行だったかな?)の家老だったんじゃないかな?


味岡氏が尾張徳川家にもいた。謎
尾張藩には北条氏の子孫の横井家も御重臣にいました。
江戸時代って名家の子孫を捜して来て雇ったりというのがあったのですよ。

http://www4.airnet.ne.jp/soutai/01_soutai/01-1_a/03-2_si/ajioka_moritune/ajioka_moritune.html
お墓の画像:残念ながら家紋は見えないです。
http://www4.airnet.ne.jp/soutai/01_soutai/01-1_a/03-2_si/ajioka_moritune/ajioka_moritune2.jpg


名前 味岡守恒
よみ あじおかもりつね
生年 天明七年(一七八七)?
没年 明治三年二月二十六日(一八七〇)
場所 愛知県名古屋市千種区
分類 細工士
略歴

通称は武左衛門、研老又は戴魚王と号す。
少にして石川香山に仕へ、其明倫堂に出勤するに隨行し、退出に至るまで懐にする所の書を出して之を読む。
夜は香山の手足を按摩し、疑義を問ふ。此の如きもの数年、学漸く成り、遂に藩に召されて累進し、細工頭に陞る。
天性技能に工にして、会て藩主慶勝・茂徳・義宜の三代に製硯を獻り、賞を受く。
歳八十にして藩主より鯉魚一雙を賜ひ、是より戴魚王と号す。
八十四歳で没す。
篤敬院忠翁守忍居士。
(名古屋市史)
墓碑銘は「味岡武左衛門守恒」
[25]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月01日 12時44分10秒 ) パスワード

上記に福井の東大寺の荘園味岡について書かれてましたが

越中だの越前だの
これは平家がらみですし柴田勝家がらみでもありますね。

平盛俊は越中守でしたし
柴田勝家は越前北の庄城で織田信長の妹・お市さんと死にましたし。



味岡姓は珍しい名字なのに結構あちこちにあるのは何故か?
そして歴史の中に出て来るのは何故か?


丹羽秀長
「功名が辻」の第29話で

秀吉が日本の3分の1を占めて(徳川家康は13X 万石)←136だか138万石
秀吉と家康がそれぞれ三法師と信雄を立てて対立していくのについてゆけず
秀長は怒って越前に引っ込んで翌年お腹の病気で亡くなった
と描かれてましたよね。


なんで丹羽長秀が浮かんで来るのか良く分からないけど
もしかすると御先祖さまがらみかも。


明治の初めの御先祖さまがどこに住んでたか?
熊本か名古屋あたりか?
江戸時代から引き続いて明治の初めにそこに住んでた可能性が高いので
ホントここのところが分かると良いのですが。

明治以降「転居の自由」が許されて、昔の出身地に戻った、というのもあるんですよ。
それで除籍謄本を見ると家の秘密が分かったりするんですよ。


熊本の「くま」って昔は「隈本」と書いたりしてますよね。
       モロ「隈さん」じゃん!
昔の知り合いに「隈本さん」というのがロスにいたんですよ。


な〜んか見えない糸に結ばれてますね。
と「平家オカルト・ワールド」に引き込んでますね。
[26]田中愛造さんからのコメント(2006年08月02日 23時56分01秒 ) パスワード

 日本の苗字さんや隈さんのご指摘通リ。藤原氏族那須氏系図を見ても判明の如く、那須太郎光資・伊王野二郎資長・荏原三郎朝資・味岡四郎広資・稲沢五郎資家・河田(矢田)六郎資氏・沢村資視、等、兄弟が夫々の地方で名を残して居り、味岡氏も四郎広資が祖と思います。又、肥後細川家侍帳を見られても載せられており、早くから加藤氏や味岡氏は家臣団の一員です。江戸期には細川宣紀の子紀休付き中小姓味岡四郎左衛門(百石)と在りますね。
 都道府県別姓氏家紋〔東日本編〕には、静岡県、味岡(左三つ巴・藤原氏那須氏族)愛知県、味岡(左三つ巴・藤原氏那須氏族)岐阜県、味岡(丸に剣梅鉢・藤原北家氏族)と載せております。
[27]さんからのコメント(2006年08月04日 11時17分48秒 ) パスワード

どうも、皆さん出てこられましたね。

アカコッコさんもお元気で何よりです。(^^)/


味岡さんへ
日本の苗字さんが書かれているように、熊本県内でも球磨郡に「味岡」姓が集中しているのであれば、
土着の歴史が古い相良氏との関連を先に調べた方が良いかも知れないですね。

地元(球磨郡)の図書館等で相良氏関係の資料(特に鎌倉・室町期)を調べて「味岡氏」の名が出てくれば、
ご先祖様は相良氏についてこられた可能性が高いでしょう。
それで接点が見つからなかったら、それから小牧市や熊本市の資料(戦国期以降)をあたられると良いのでは。

もちろんギャンブラーさんのおっしゃるように、
まず戸籍謄本で明治初期のご先祖様の所在地確認を取っておくことは必要かと思います。

協力して下さるご親戚が現れて、本当に良かったですね。
頑張って下さいね。(^^)
[29]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年08月04日 11時48分34秒 ) パスワード

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/nasu.htm

によりますと
(どうやって読むのか分からないのですが)

味岡・稲沢氏は那須与一の子孫で(4代目になるのかしら?)
そうしますと鎌倉以降に名乗ったことになりますね。


稲沢氏は尾張の稲沢かと思いましたが下野の稲沢だそうで
この稲沢氏が愛知県にも荘園を頂いていたら味岡四郎広資・稲沢五郎資家兄弟は
揃って尾張に縁があったのかと想像しましたが
下野の稲沢では
4男の四郎広資も下野か坂東あたりの味岡なのかしら?
[30]アカコッコさんからのコメント(2006年08月26日 11時22分36秒 ) パスワード

尾張の稲沢市なら川口家と関係が濃いですけれども。

 味岡氏のお墓がある佐倉市青菅の称念寺に昨日お参りに行ってきました。

 十数年ぶりに訪れた訳ですが、住職もご子息の代になっておりました。

 川口家家臣達と言われている墓石のあたりには以前は大木の陰でうす暗かったですが、スッカリ剪定され朝日が差し込んでおりました。

 冬場には暖かい日差しをあびて、安らかにお眠りになれることでしょう。

 元知行地の先崎(まつざき)まで足を伸ばし、田んぼを見に。
 稲穂が重く頭をたれており、豊作みたいです。
 田圃を見ているうちに迷子になりました。なにせ田舎なので人も歩いてなく、聞くこともできず同じ道を2,3回も通る羽目になり、結局は佐倉の手前の「臼井」まで歩き続けました。こんな経験もたまには良いかな。


 以上報告まで。
[31]アカコッコさんからのコメント(2006年09月01日 14時14分00秒 ) パスワード

今日は朝から雨降りなので以前調べたことを。

 
 味岡氏は徳川時代に仁正寺藩(市橋家)、柳本織田藩、岩村松平藩等に重臣たり。(たぶん「姓氏家系大辞典より」)。

 また「角川日本姓氏歴史人物大辞典」(愛知県版)に尾張国愛知郡川名村(昭和区)の味岡山香積院創建の本願主として久屋町味岡九郎の名が見えるとあります。

 下記アドレスは味岡山 香積院の画像が見られます。
 
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~gigen/newpage6.html

吉田(豊橋)藩寄帳にも味岡氏の名前が見出せます。この本には現在(出版時)には県内122件のうち、豊橋市37件、岡崎市21件と記載があります

 以上のように岐阜・愛知絡みばかりで、答えにはなりませんね(涙・・・)
[32]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2006年09月01日 21時39分34秒 ) パスワード

>仁正寺藩(市橋家)


へえ〜
名古屋の名家の市橋さんとこは消えてなかったのですか。驚
織田信長がらみの時代だけと思ってました。

私の知り合いの市橋さんとこも結構な裕福なお宅で
名古屋の名家の名残りと思ってましたけど「現役」に繋がるモノがあったのですねえ。
失礼をば致しました。


久屋って言ったら久屋大通りですね。
名古屋の中心。


いやあ、知らないものですね。


>以上のように岐阜・愛知絡みばかりで、答えにはなりませんね(涙・・・)

いえいえ
このあたりに答えがあるんだ
とイヨイヨ思いました。
[33]アーティコさんからのコメント(2007年07月18日 23時31分14秒 ) パスワード

1年前の投稿なので、もう「味岡」さんはいないでしょうか?
もしまたこの投稿を見ることがあればいいのですが。。。

私も味岡なんです(今は結婚していて違う名字ですが)。
オジイチャンは熊本人吉の出身です。
もしかしたら親戚なのかと思い投稿しています。

[34]トンコさんからのコメント(2007年08月21日 17時37分37秒 ) パスワード

私も人吉の出身ですが、祖父や父親が、人吉で長い間、商売をしていたのですが、取引先のお客さんに味岡さんという名前の方がいました。いつも聞く名前でした。
そのお陰で、人吉で産まれ育つことができました。味岡さんに感謝しています。
自動車や建設機械の仕事をしていましたので、当地の建設業者を、私は、わりと知っていると思います。集金に行ったり、車検の車を運んだりしました。
今は、こちら関東に嫁いで東京で仕事しています。
[35]味岡さんからのコメント(2007年08月30日 16時36分26秒 ) パスワード

はじめまして、大阪に住む味岡と申します。私の身内も大阪に何人かいてるみたいで 大阪市天満橋にも墓地が明治時代ぐらいからあるそうです。
私もルーツが気になり調べようとしましたが 
判りませんでした。

家紋は違い鷹の羽です。
[36]味岡さんからのコメント(2007年10月06日 12時12分02秒 ) パスワード

[33]アーティコさん
球磨郡に住んでいます味岡です。

人吉市の味岡さんは、うちの祖父の兄に成られる方で、
嵯峨 大覚寺の僧正ですよね!


[34]トンコさん
建設業等を営んでますので、うちですね。

こちらこそお世話に成りました、
東京で頑張って下さいね!


アーティコさん、協力して調べてみませんか?
[37]味岡さんからのコメント(2007年10月06日 12時29分04秒 ) パスワード

今こんな感じです


旧キュウ 地名チメイにある味岡ア

時代ジダイ     西暦セイレキ 元号ゲンゴウ   場所バショ     持主モチヌシ/目的モクテキ         名メイ  
       
大和ヤマト・飛鳥アスカ・奈良ナラ 前ゼン 112年ネン 景行カゲユキ天皇テンノウ42 愛知県春日井市上田楽町 伊多波刀神社/味岡荘十七ヶ村の総鎮守  
       
平安ヘイアン 749年 天平勝宝1 福井県フクイケン福井市フクイシ   東大寺領リョウ/越前国桑原庄 足羽郡道守村開田   上カミ味岡アジオカ、下シモ味岡アジオカ
       
平安ヘイアン 1101年ネン 康和コウワ3 愛知県アイチケン小牧市コマキシ   皇室領/白河上皇の妹(後三条天皇の皇女)の所領   味岡アジオカ
       
平安ヘイアン 1177年ネン 治承 三重県ミエケン桑名市小貝須   未確認ミカクニン/荘園ソウエン   味岡アジオカ

家紋カモンについて

家紋カモン名メイ     意イ 味アジ                        
 
丸に頭合わせ三つ雁金 昔から「幸せを運ぶ鳥」として知られていた。漢の武帝の時代に蘇武という武将が、凶奴の捕虜となり16年という長い間、胡地に捕えられていた。
しかし、雁に結んだ手紙が功を奏して中国に帰ることができた、という故事もある。

時トキ 代ダイ               主オモな使用シヨウ              
               
平安ヘイアン時代ジダイより。  源頼朝が平家追討の兵をあげたとき、部下対して二文字に   柴田シバタ家ケ(織田家オダケの) 真田家サナダケ(武田タケダ家ケの) 花房ハナフサ家ケ(毛利モウリ家ケの)
結んだ雁の紋を描いた旗を与えたという故事があるそうです。  

味岡アジオカの意味イミ(現時点ゲンジテンの調シラべでは・・・)

「アジ(味は当て字)」のつく名は秦氏に関係あり、と「秦氏の研究(大和書房)」

秦(ハタ)氏とは・・・
聖徳太子の最も重要なブレ−ン「秦河勝」

梅原猛氏の「聖徳太子」下巻に、「秦王国という以上、秦氏の国に違いないが、秦氏は、応神帝の時に来朝した弓月(ゆみつき)君の子孫である。
姓氏録はこの弓月君なるものは、秦の始皇帝の五世の孫・融通王であるとする。秦王国は、この秦氏の多くいた国に違いないが、周防(山口県東部)、
豊前(福岡県の一部と大分県の一部)ともいわれるが、明らかでない。」とあります。

秦氏は弓月君にひきつられて百済から帰化した中国系住民で、各地に住んで機織りなどの技術で多大の貢献をすることになり、平安期の資料(新撰姓氏録)によれば、
一族は一万八千七百六十人の多くに上っているそうです。しかし、秦氏についていろいろ調べていくと、「百済系」という『日本書紀』の記述には疑問が生じ、
む秦氏は「新羅系」とする説が有力なようです。

秦氏は新羅系の帰化人でありながら仏教よりも神祇信仰に縁が深く。京都の中心にある上賀茂神社、嵐山の松尾大社、南の伏見稲荷、大分県の宇佐八幡などの
八幡神社などは全て秦氏の勧請とされています。これらの神々は、新羅に仏教が伝来する以前の古い神々であるようです。

秦氏は古くから大和朝廷に仕える技術者集団で、推古天皇時、摂政として厩戸皇子は「秦河勝」という優秀な人材と財力に着目し、聖徳太子のブレ−ンとして
重用したのだと思われます。

秦河勝は、その後皇極天皇の元で東国に派遣されたり、天皇家の服属者としての任務を全うしており。  平安遷都の際、土地の提供をしたのは「秦氏である」という。 
説もあります
[38]調べたい人さんからのコメント(2008年09月13日 21時50分48秒 ) パスワード

このサイトは健在でしょうか?
[39]味岡さんからのコメント(2008年09月19日 14時38分13秒 ) パスワード

健在ですよ

私一人ですが
[40]味岡.さんからのコメント(2008年09月19日 18時36分58秒 ) パスワード

実は、私も味岡なんです
[41]ajipapaさんからのコメント(2008年09月22日 17時35分56秒 ) パスワード

初めてコメントします。
私は、岐阜に住む味岡です。
ちなみに、家紋は丸に剣梅鉢です。

小さい頃から近所には味岡姓が多かったので
さほど苗字に関しては気にしませんでしたが
就職で関東方面に行った時に、改めて希少な苗字である事を
認識しました。

この投稿は参考になりました。
[42]味岡.さんからのコメント(2008年09月23日 01時19分18秒 ) パスワード

私は、三重県です。市内には、祖父の兄弟の味岡と、血縁関係のない味岡の3件しかありません。隣の市に、祖父の兄弟が1件あるだけです。


確かに、珍しい名字だと思います。


家紋は、よくわからないので、調べたいと思います。
[43]味岡さんからのコメント(2008年09月23日 16時33分12秒 ) パスワード

さすが同じ味岡!!
味岡姓について思考されてますね。

例えば、山本さんとか橋本さんとか・・・
まあ 山や橋に関係あるだろうと 合点いきますが、味と岡は、中々結び
にくい。

味岡の地名でメジャーな小牧市に、味岡の会を立ち上げてくれれば、
進展し易いんですけどね〜〜〜

ajipapa氏
小牧市に一番近そうなので、ご尽力願を!!
あと滋賀県で工事される時があれば、生コンのお引き合い願います。
[44]ajipapaさんからのコメント(2008年09月24日 15時24分39秒 ) パスワード

小さい頃聞かされた話ですが、
私の周囲の味岡を遡っていくと
大きく3つの味岡系統に分かれるようです。(全て同じ市内にありますが・・・)
何でも、江戸末期か明治初期頃に
大阪より伊勢の神社(神主)?さんと一緒に三重に来て
その後今の地(岐阜)に定住したようですが・・・

私どもの家は新家なので家系図的なものは無いですが、20年程前に
親父たちの従兄弟が集まり、本家にて家系図を作っていたような・・・

機会があれば、一度確認したい内容ではあります。
[45]味岡さんからのコメント(2008年09月24日 16時01分25秒 ) パスワード

ajipapa氏

家計図が出たら、可能であればメールでお教え願います。
[46]アカコッコさんからのコメント(2010年06月01日 17時28分54秒 ) パスワード

ドッコショと下から引き上げてきました。
久々の投稿なのでやり方を忘れてしまいました。

『伊王野家の歴史』
http://plaza.harmonix.ne.jp/~ionowie/ionohistory.html

上記HPによれば伊王野初代資長の父は宇都宮朝綱ともあり、那須家の家紋は一の字で、伊王野家も同じでなにか身近に感じが志摩す。

[6・8]日本の苗字7000傑より、藤原氏長家流那須氏(那須国造)に、味岡姓が出てくる
のですがまた[26]の田中愛造様のご指摘の蒸し返しでして、目新しい事ではないのですが、最近ひょんな事で、その那須氏系統の那須七騎の一家である伊王野家の子孫の方と知り合いになりました。(学校の先輩ご近所)

 那須七騎:その内訳は、主家の那須家をはじめ、一族の蘆野家・伊王野家・千本家・福原家、重臣の大関家・大田原家の七家です。
 だがインターネットには[那須七騎のうち、大田原・大関らは主家那須氏に先だって小田原に参陣したことから、豊臣大名となり近世大名として存続した。また、那須氏一族の芦野・福原・千本・伊王野の各氏も、大名には成りえなかったがそれぞれ徳川旗本として存続した。(伊王野氏は江戸時代初期に嗣子なくして断絶)]

 とありますが、伊王野家本流は水戸藩、他は池田藩・大田藩等々に仕えております。
 知り合いの伊王野氏は在地性が強かったのか、館林近辺に住まいし、大名秋元家が館林に転赴した時(弘化四年)より、武鑑に秋元家用人として伊王野氏の記載がはじまりました。
 大武鑑の秋元家用人の項には添役・番頭・城使番として地位で名前の記載があり、六万石の家臣の中から武鑑に名前が載るのは凄いことだと思います。

 那須頼資(4代)の子供達は矢田治資・稲沢資家・河田資氏・味岡広資・荏原朝資・伊王野資長・光資(那須家5代)となっております。

 昨年に近所の味岡家(眼鏡店)にもわざわざ眼鏡を作りに行ってお聞きしたのですが、メモしなかったので、また用事を作って、このスレをコピーして再度お尋ねしてみようと思っております。
那須七騎と伊王野家の動向を見ながらこれを機会に再度調べるつもりです。

[48]味岡さんからのコメント(2010年07月13日 12時13分34秒 ) パスワード

アカカッコさん、ありがとうございます。

久々進展がないか観にきました。

不景気なのに中々忙しく、私のほうは進んでおりません。 申し訳なく、恥ずかしいばかりです・・・

もし、わざわざ″″購入して頂いた味岡眼鏡店にて、何か進展がございましたら、UPお願い致します。
[51]あんじさんからのコメント(2011年07月25日 21時52分49秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2011年07月27日 10時12分52秒
[52]アカココッコさんからのコメント(2011年07月26日 18時53分43秒 ) パスワード

ご無沙汰しております。

 新・肥後細川藩侍帳[あ]の部

http://www.shinshindoh.com/samurai/01-a.htm

に味岡家のことが少しありました。

味岡四郎左衛門  (南東64-36 *)
    1、弥次右衛門
    2、太忠
    3、四郎左衛門  (1)百石擬作 伊三郎付(註・重賢弟紀休)
               (2)江戸定詰 御擬作百石
    4、四郎左衛門  御中小姓
[54]那須さんからのコメント(2011年07月28日 04時12分42秒 ) パスワード

味岡氏に直結しないけど
那須氏
川辺川上流に同級生に那須さんがいました。

那須氏は 
「虎踊り」の話が川辺川筋にあり、関与する丸目新八郎の上役は相良清兵衛。 
相良清兵衛(犬童清兵衛頼兄)は相良家家老。
父は犬童頼安。子は相良頼安
☆犬童求渓(相良氏族)が 「五木の子守唄」を つくった。
犬童頼兄のお嫁さん
ひとり目は、椎葉山(しいばやま)の権力者、那須弾正の娘・露袈裟(今朝・つゆけさ)
ふたり目のお嫁さんの名前は分かりませんが、夫の名前は蓑田甚兵衛と言いました。すでに息子がおり田代半兵衛頼昌と言い、母の再嫁後は犬童家の養子になりました。
☆これらがからんで 「なば山騒動」がおき、椎葉の土豪支配がくずれる。
 田代という集落はあるのに 田代という家がない と 思っていたけど
 同級生からの暑中見舞いに 田代さんの長男が と 書いてありました。
 どうやら 荒木さんのつながりのようです。
   →川辺→伊勢神宮宮司家→荒木田家→伊勢神宮宮司家→荒木

 ちなみに 相良氏では人吉永里相良氏が最終的に残った。永里という家も この集落に ある。直系ではないだろうけど・・・・・園田と姻戚関係。
園田も相良氏子孫の名にある。

あさぎり町深田東、内山地区にある内山観音堂にまつわる「千手の局(つぼね)の伝説

室町時代に下相良氏に滅ぼされた上相良氏(多良木)の分家の肥知岡(ひぢおか)氏の出といわれます。
その氏の娘が島津家家老本田丹波守親泰(たんばのかみちかやす)という人に嫁いで娘を産んだらしいのです。これが「千手の局」というわけです。

「千手の局」(島津家久の母)は、薩摩の当地では「橘姫」「少納言」の尊称でよばれていて、没年はわかりませんが、鹿児島県伊集院町の破鞋庵(はけあん)跡というところに「貴久後室花室清忻大姉(たかひさのこうしつのかしつせいきんだいし)」という人の墓が残っており、これが地元では肥知岡氏女(うじめ)の墓といわれています。

戦国大名の島津貴久公の四男家久を産んだとされる「千手の局」。
家久公の娘は、相良家の重臣相良清兵衛頼兄の息子の相良頼安(よりやす)と再婚し相良頼章(よりあき)を産んだといいます。その頼章は薩摩の加治木に移り住み、島津義弘により元服し、相良長毎の次女・於(お)萬(まん)と結婚しています。

島津家久女(島津久信室 後 相良頼安室)

誕生。父・島津家久、母・樺山善久女

長女は禰寝重張にとつぐ。・・・桓武平氏
次女は(佐多久慶)に嫁ぐ。晩年は母・樺山善久女を引き取っていたと推測される。
三女は(島津久信 後 相良頼安室)。

「千手の局」は「御家譜」(16代義久公)の張紙注記によると、彼女は実は本田丹後守親安なる武将の娘だったが、父が戦死し、母の実家で育ったために「肥知岡氏」を称するようになったという。

味岡氏と直結するのではないけど
上相良氏は南朝方
下相良氏(人吉)は北朝方

椎葉には与一の子という那須大八の伝説があり、源氏方かとも思われるが、那須兄弟が平氏に味方する中 与一一人源氏に味方し、系図は 「竹田系図」につく。

人吉あたりの人は 川辺川上流あたりにいた人たちを 平家ん衆がおらいたところ と いう。

島津も相良氏も鎌倉幕府に関与する。
人吉の蓮華王院領は預かり所・毛利氏(中原氏・大江氏) 大友氏(中原氏)地頭・相良氏
中原氏は母方のつながり。中原氏は 宇都宮氏が名乗っていた。

仏教事典では 鎌倉時代 「宇都宮信房」という真言宗の僧がいた と 書いてある。
[55]那須さんからのコメント(2011年07月28日 05時38分08秒 ) パスワード

川辺→伊勢神宮宮司→河辺(秦河勝) 荒木→伊勢神宮宮司・荒木田家
とつながるとき

那須氏ははるか古代の 
大臣命→建沼河別命→孝元天皇→神武天皇→イザナギ・いざなみの関係も出て、
『伊佐須美(イサスミ)神社』福島県大沼郡会津高田町

古事記によると崇神天皇十年、天皇の勅命を受けた四道将軍の、北陸道を進んだ大毘古命と、東海道を進んだ建沼河別命の親子が、新潟と福島の県境にある天津嶽(御神楽岳 1386m)の頂に、伊弉諾尊・伊弉冉尊の二神を祀ったのが創祀という。

高田には 阿部高田姫の言葉がある。
又 お江の女子・勝姫も高田姫という。その女子・高松宮初代妃寧子親王なのだと。

[56]アカコッコさんからのコメント(2012年10月12日 06時57分37秒 ) パスワード
URL=http://www.aa.alpha-net.ne.jp/akokoco/

御無沙汰しております。

先日なんとなく検索しており、なんと味岡氏(熊本県出身)と記事と遭遇しました。
それも南朝ゆかりの大覚寺で。
後醍醐天皇の吉野の朝廷を南朝と呼ぶ、その系統大覚寺統:亀山・後宇多両天皇が京都の外れの嵯峨にあった大覚寺の再興に尽力し、出家後はここに住んで院政を行った事からこの名称が付けられた。
大覚寺の56代大覚寺門跡に味岡良戒(明治36年熊本県生まれ)という人物がおられた。
只それだけなのですが。

味岡姓がもう一人味岡三伯(あじおか-さんぱく)
江戸時代前期-中期の医師。京都の人。饗庭(あえば)東庵にまなび,井原道閲(どうえ つ),浅井周伯,小川朔庵,岡本一抱ら味岡四傑をそだてた。

味岡・井原(川口家関係)が同一文にあり、これは何かあるかな?。

[78]三重県人さんからのコメント(2014年03月29日 01時29分46秒 ) パスワード

以前、コメントした味岡です。家紋がわかりました。どなたかお見えですか?
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