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 投稿番号:100929 投稿日:2006年07月10日 23時36分11秒  パスワード
 お名前:烏夜啼
平行盛の友人(?)全性って誰?
キーワード:歌人
コメントの種類 :人物  パスワード

『玉葉和歌集』は平家に寛大だというので、見てみました。
が、ウチにあるのは影印本で、ミミズの、いやいや達筆な文字は読めません。
どうにか平行盛の和歌を探しあてました。とても悲しい和歌でして、贈答なのですが、次のようなものです。

元暦元年世中さはがしく侍けるころ
平行盛備前の道をかたむとてだん
之浦と申所に侍りけるに八月十五夜
月くまなきに過ぎにし年は経正忠度朝
臣などもろともに侍りけるをいかばかり哀れなる
らんと思ひ遣られてそのよし申遣はす
とて
全性法師
ひとりのみ浪間にやどる月をみて昔の友や面影に立つ

平行盛
もろともに見し世の人は浪の上におもかげうかぶ月ぞかなしき


ちょっと「備前の道をかたむ」の辺りがあやしいです。間違っているかもです。なんか、読めない字があって・・・
申し訳ありません。

ところで、全性法師って誰なのでしょうか。

[1]烏夜啼さんからのコメント(2006年07月11日 00時02分29秒 ) パスワード

行盛に和歌を贈っているのですから、
行盛の知人でしょうけれど・・・
行盛にこんな歌を贈るということは、全性自身が
一の谷で討死にした平家の人々に同情しているのでしょうし、
彼等と知り合いなのでしょう。

仁和寺の法眼禅性のことでしょうか。

禅性は藤原公重の子です。
公重は叔父実能の猶子ですから、徳大寺一家ですね。
公重は実兄公通とともに仁和寺とは親密で、
徳大寺実定は仁和寺内にも住まいがあったようです。
公重の子の禅性と覚延はともに仁和寺の僧で歌人です。
又、禅性は琵琶を藤原師長に師事しました。
この関係から経正とは知り合いの可能性があると思います。
又、守覚法親王の「御室五十首」の作者である禅性は、
守覚法親王主催の和歌の会メンバーだった忠度と
知り合いだと思うのです。

だから、全性は禅性かな、とも思うのですが、
勅撰和歌集に名前を間違えて載せるなど、
あり得るでしょうか。

それとも、全性は二位の尼の甥で養子の全真を間違えた、とか?
はたまた、彼等とは全く関係ない第三者なのでしょうか、
と、気になって仕様がありません。
[2]夏月さんからのコメント(2006年07月20日 14時55分51秒 ) パスワード

 鳥夜啼さま、お久しぶりです。

 全性については、まったくわかりませんが、禅性や全真
の間違いではなく、やはり全性という名の僧がいた可能性
の方が高いのではないでしょうか。
 先年、冷泉家で発見された言葉和歌集の中に阿闍梨全性
という人の和歌が一首載っています。時代が近いだけに同一
人物である可能性は高いのではないでしょうか。

まぼろしの歌集と言われていた言葉和歌集が、冷泉家で発見
された時は、結構話題になって、新聞のニュースにもなった
そうです。忠度のお母さんの歌も載っていますよね。
[3]烏夜啼さんからのコメント(2006年07月21日 23時07分44秒 ) パスワード

夏月様、ご無沙汰しております。

実は昨夜、コメントを拝読しましたが、仕事で疲れて、
お返事もせずに寝てしまいました。
返事が遅れて、申し訳ありません。


言葉和歌集って、惟宗広言撰のことですか??
あれって、確か下巻しか現存していないのですよね。
昔読んだ本には、一般には公開されていないと書いてあった気がするんです
けど、もう中身が読めるようになったのですか?
広言は文治年間に没したという説が有力のようなので、
言葉和歌集の作者の全性は、玉葉和歌集の全性と確かに同一人物
でしょうね。
そうですか、言葉和歌集に禅性でない全性という人物がいましたか。
情報、恐れ入ります。
全性という人物が確かに存在したのですね。
勉強になりました。本当にありがとうございます。

ところで、忠度の母って??
熊野の人でしたっけ。
盛方母(忠盛女・顕時室)の生母・為忠女が忠度の母なのでしたっけ?
和歌が残っているのは教盛母くらいなものかと思っていましたが、
忠度の母も才女だったんですね。
[4]夏月さんからのコメント(2006年08月07日 17時37分40秒 ) パスワード

 鳥夜啼さま、お返事を早くからいただいておりましたのに、
そのままになってしまい、本当に申し訳ございません。
 
 玉葉と言葉の全性が100%同一人物であると言い切ることは、
私にはできないのですが、経正、忠度の名前が出ていることからも、
彼らの歌仲間だった可能性が高いのでは、と思います。
 もうご存知かもしれませんが、
 千草聡氏「平家歌人の詠歌小考ー資盛、通盛、行盛らをめぐって」
 (福岡教育大学紀要、2002)
 というもあります。もしかしたら、全性についてもなんらかの記述
があるかもしれません。(すみません。内容を全然しらないものですので)

 言葉和歌集は、おっしゃる通り惟宗広言撰のものです。下巻しか現存
していません。翻刻版はすでに、新編国歌大観にあります。ただ、この
翻刻版には、?と思える箇所が多く、実際に影印版を見てみるのがbest
とか。影印版は、朝日新聞がシリーズで出している冷泉家時雨亭叢書の
中にあります。
 忠盛、経盛、経正、忠度、広盛、通盛、行盛といった平家歌人の歌も、
結構載っています。女性では、忠度母、有房妻(源有房妻って忠盛か
清盛の娘と言われていませんでしたか?)また新院播磨内侍という名も
ありますが、平教子のことかな?
 
 忠度母についてはいろいろ言われていますが、最近の研究によれば、
尾張の豪族の娘説も有力なんだそうです。実際そういったものを読んだ
わけではないので、私もはっきりとしたことは言えないのですが、吾妻鑑
に「尾張の住人原なんとかは、平忠度の外舅である、、」という記述が
あるのは読んだ記憶があります。確かに、母が尾張出身ならば、富士川
や墨俣に動員された理由もわかる気がします。熊野の人は、吾妻鑑に
よれば奥さんの方ですよね。

 禅性のことは初めて知りました。鳥夜啼さまは、本当にお詳しい
のですね。私の方といえば、弓丸さまにいろいろ調べてみますと豪語
したものの、結局子どもの世話で精一杯で、気がつけば育休明けの
職場復帰が目前にせまっていました。以前鳥夜啼さまが書かれていた
新平家物語も読んでみようかなとも思っていたのですが、、、多分
このまま、なにも出来ずに終わりそうです。


 
[5]ぼんやりさんからのコメント(2006年08月07日 20時17分49秒 ) パスワード

みなさまはじまめして。ぼんやりと申します。
おもしろい話題だなあと思い、国文学研究資料館の十二代集データーベースで全性を検索してみますと、玉葉和歌集のほかに風雅和歌集にも1首ありました。
風雅和歌集の詞書が興味深かったです。
「世中さはかしかりける比、西国のかたにまかりて、程へて都にかへりて侍けれは、しりたる人は皆なく成て、よろつ心ほそく哀なりけれは」
[6]烏夜啼さんからのコメント(2006年08月07日 23時52分54秒 ) パスワード

夏月様
いつもお相手して下さって、ありがとうございます。

お忙しそうですね。暑い盛りですから、お体にはご注意下さいませ。
お子様もいらっしゃるのに、お仕事は大変ですね。頭が下がります。
私なんて、昨年末はサバイバルだったのに、近頃再び雇われ講師で、
かなり安定志向ですよ。今月本番があるっていうのに、かなりいい加減です。
暑くても、夏月様のように、忙しくしてらっしゃる方もいるのに・・・
私も頑張らなくては。


福岡教育大の紀要ですか。それは存じませんでした。ご紹介、恐れ入ります。

『言葉和歌集』はあの角川のにありましたか。。。では、私撰集編に入ってますよね。あらら、昔『夫木抄』見たのに、気付きませんでした・・・
どこに目つけてたんでしょ(恥)図書館に直行しなくては。

有房の妻(有通の母)は、忠盛の娘ですね。清盛の娘という話もあるようですが、年代的に無理過ぎるので、忠盛の娘と考える方が一般的のようです。あと、二条天皇の寵臣・源雅重(行宗の子、母は源基綱女)の妻も
忠盛の娘です。この雅重は清輔から『万葉集』を借写してますね。顕時の妻(盛方の母)も忠盛の娘です。忠度は盛方から『万葉集』を借りているうちに、盛方が亡くなって、その母つまり忠度の姉でしょうか、盛方の身近な人と贈答してましたよね。
忠盛の娘は皆、文化人の夫人になってるんですね。
山に住んでいる「ありみちがはは」という人と有房との贈答歌が『有房集』にあります。他にも、山にいる有房の女君との贈答歌があるので、この女君は「ありみちがはは」と同一人物かもしれませんね。

忠度の母は尾張の人なんですか。初めて知りました。ありがとうございます。
忠度の妻は、建春門院津という人かもしれないそうです。熊野の御方です。

禅性は、灌頂を授けられていないにもかかわらず、琵琶の歴史の中では意外に
重要な位置にいる人のように思えるのです。
琵琶は室町時代初期に滅びますが、その最後の人物というと有名な栄仁親王以外に、藤原忠季(母・種子が鎌倉幕府最後の執権守時や、足利尊氏の御台所登子の姉妹)がいます。この人のことを調べると、禅性にまで行きついてしまうので、それで初めて私も、この
禅性の存在を知ったんですよ。全然、和歌の分野から知ったわけではありません、恥ずかしながら。
書き出すと、ややこしくなっちゃうのですが、禅性は藤原師長の弟子で、
師長が尾張に流罪になった時、そのあとを追って、配所まで行ったんです。
師長は嬉しくて、毎日のように琵琶について物語りして聞かせたのでしたが、
禅性はそれを書き記しておいたんです。2巻分ありまして、それを『東屋談』
と名づけました。
禅性は同族(とはいってもかなり遠縁ですが)の法印公審を弟子にしまして、
その『東屋談』を伝えました。禅性は「啄木」を伝授されていなかったので、
公審もそれを伝えられず、仕方がないので、西流当主の孝道から伝授されました。公審は娘・栄子に『東屋談』や幾面もの優れた琵琶を伝えます。
栄子は洞院実雄の妻となって、公宗、公守を産みます。公宗も公守もどちらも琵琶を極めましたので、『東屋談』も受け継いでいるのではないでしょうか。
公守の子孫は皆絃楽器の名手ばかりです。実泰、その子公賢は筝。
公守のもう一人の息子正親町実明も神楽の名手です。因みに、母が赤橋久時女だという説があります。すると、守時、種子、登子らの姉妹ってことになりますが、あり得ないですよねえ。
実明の娘・宣光門院は筝。
実明の子公蔭が赤橋種子との間に設けた對御方(義仁親王の母)は筝。
その兄弟の忠季が筝、和琴、琵琶、神楽等を極めたのです。
忠季の琵琶の師は幾人かいたのですが、そのうちの一人が、栄仁親王と同じく
崇光院だったのでした。『東屋談』、もしかしたら忠季が受け継いでいたかも、です。
そんなわけで、忠季のことを調べていたら、禅性にまで至ったというわけでした。長々とわけわかんないこと書いて申し訳ありません。

私は、和歌のことはまだまだわかっていないことばかりで、もっと勉強しないといけないなと思っております。夏月様に教えて頂くことは、とても勉強になります。本当に夏月様はお詳しく、日記の類までよくお読みになっていて、
凄い方だなーーと、ご尊敬申し上げております。
いつも、ご丁寧なコメント、ありがとうございます。
[7]烏夜啼さんからのコメント(2006年08月08日 00時13分29秒 ) パスワード

ぼんやり様

素晴らしい情報、恐れ入ります。

全性の和歌は『風雅集』にもあるのですか。
と、いうことは完璧に全性と禅性が別人だということが証明されましたよね。

ありがとうございました。
とても、スッキリ致しました。

全性は西国に行って、行盛との『玉葉集』の贈答をした、ということになるのでしょうかね?都から送った和歌だと思っておりました。
本当に興味深いコメント、ありがとうございました。
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