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 投稿番号:100804 投稿日:2005年08月04日 23時06分13秒  パスワード
 お名前:暇潰しのギャンブラー
古代日本に栄えたロマンな一族:秦氏5

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

「古代日本に栄えたロマンな一族:秦氏4」の続きです。

http://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/100531_100.html

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月04日 23時13分02秒 ) パスワード

「古代日本に栄えたロマンな一族:秦氏4」の流れをアップしておきます。
続きをどうぞ:


[98] 小林雅成さんからのコメント(2005年08月04日 08時16分53秒 )
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

日本の苗字七千傑(S)様

国語の読みをお伺いしたいのですが、
八幡社の【幡】という文字は【はた】とは読めませんでしょうか?
広辞苑、姓氏辞典、地名事典、大漢和辞典などを鑑みた上でS様の見解をお伺いしたいと思います。



[99] 工藤さんからのコメント(2005年08月04日 19時37分55秒 )

日本には大陸系の道教に基くシャーマニズムが伝わる以前に、独自のシャーマニズムに基く自然神「八百万神(やおよろずのかみ)」が存在した。特に辞典は見ずに書きました。この手の話しは楽しんでしたいものですね。



[100] 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年08月04日 22時55分19秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

「幡」は一般的な読み方は、ハン、ホン、ハタ、ノボリであるが他の漢字と二字以上では特殊読みがある。
因幡(イナバ)、幡多(ハタ)、八幡(バハン、ハチマン、ヤワタ、ヤハタ)など。
また石清水八幡(ハチマン)宮の鎮座地が、山城国綴喜郡八幡(ヤワタ)となっており、同字異訓、異字同訓が多い我が国特有の混乱表記となっている。
八幡をハチマン、ヤワタ、ヤハタと読むのは後世的で、本来はバハンである。
バハンブネ(八幡船)などの用例があり、バハンとは日本のことである。
おそらく現在のマレーシアのバハン(パハン)の地名遷移であり、ゲルマン読みではヤアパンと成り、更にヤポン、ジャポン、ジャパンなどの日本を示す欧米言語の転訛に繋がる。
 
ここからがヨタ話だが、
古代系譜に登場する人物名の××命(尊)はシュメール語のミグトの転訛、天皇を表わす皇尊(スメラミコト)はシュメール・ミグトの転訛であり、バビロニア起源をうかがわせる。
日本への民族移動ルートはシルクロード経由ではなく、バビロニア−ペルシャ湾−ゴア−バハン−海南島−沖縄−鹿児島の海上ルートと推定される。
秦氏の出自が秦韓(辰韓)経由かは不明だが、ペルシャ帝国やローマ帝国の漢訳が大秦であり、ことによるとフランスの学者ラクペリー提唱の漢民族バビロニア起源説の通り遠祖は同地域発祥とも考えられる。
[2]小林雅成さんからのコメント(2005年08月05日 01時28分28秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

日本の苗字七千傑様

早速のご回答有難う御座いました。
[3]さちこさんからのコメント(2005年08月05日 01時31分28秒 ) パスワード

祝 秦熱シリーズ復活!

明子さん。ありがとうございます。
秦氏の夏、日本の夏ですな。。。

福助さん。
遅くなりましたがいつも服部家及び秦氏について関心をもって頂きありがとう。いつも質問に答えられずごめんなさい。
壮大な話で頭??かも知れませんがまたぜひコメントください。

小林先生。
八幡社についてですが私の住んでる北勢では四日市の八田(ハッタ)に、
八幡神社があります。(大笑い?)
平田家が集中している朝明川沿いの平津にも八幡神社跡があります。
八幡山や八幡公園、などもあります。

桑名、白子にも八幡神社や八幡町があり、
伊勢のこの地域の八幡社に源氏は関係ないだろうと考えます。

鎌倉の鶴岡八幡宮が源氏ゆかりの地なので、
八幡社=源氏が定着したのかも。

以前行った平家の伝説で有名な四国の阻谷では八幡神社に安徳帝がまつられてました。

本物かどうかはわかりませんが、
平家のものと伝えられる赤旗には八幡大菩薩と書かれてるそうです。

テレビで見たか何かは忘れましたが、
兵庫県の荒田八幡神社が平家ゆかりの地で、
福原遷都800年の記念碑が建てられたとか。

八幡信仰は九州の宇佐八幡宮からで西日本の八幡信仰はあまり源氏に関係ないだろうと思います。

次は愛知万博ネタ。

三重のいなべ市のハッタ(治田)に、
マンボというイランのカナートという用水路とよく似たもがあると書きましたが、
万博のイラン館前にカナートの模型がありました。
その説明書きにはイランを起源としたカナートは西は北アフリカから、
東は日本の三重県にあると書かれてました。
カレーズなど呼び名はさまざまですが、
北アフリカではハッターラ、西南アジアではハッドというそうです。

[4]工藤さんからのコメント(2005年08月05日 15時45分17秒 ) パスワード

いやいや、お言葉ですが、八幡さまについては源氏にも、平氏にも大きく関係すると考えます。八幡社の起源・宇佐神宮は八百年前の源平合戦の時代よりもさかのぼる事、さらに何百年も古い。まず、基本的な姿勢で間違えてはいけないのは、自身の姓が平家落人の出身だからとか、源氏側の出身だからとて、このどちらか片方に現在の自身を同一化してしまうことは間違った姿勢であると考えています。もう八百年も前の話しですね。自身は平家落人の出身だと信じていても、源氏方に加勢をした祖が入ってるのは「必然的」と考えます。明確な記録は無いかもしれません。同様に逆もそうと考えます。理由は、結婚をする際に源平を意識しては当人の二人は結婚する訳ではないでしょう。名・姓の由来はどちらか片方によるのかもしれないが、実際には(生物としては)このミックスと考えます。当然この源平の両方を尊重する姿勢が妥当と考えています。

実はこの秦氏についても同様と考えています。あまりちょっとここまでは私は言いたくはないのですが、(大変失礼であるので)あえて言うと、自身の姓が秦氏もしくは似た様な大陸由来と考えられる姓を持つからといって、自身を大陸側へ同一化してしまうのは、あまり賢明ではないと考えています。現在の対外関係が冷えているので、その歴史認識を近ずける意味で緩和したいという意識は大いに理解できます。しかし、逆の立場に立ってみれば、大陸由来の姓をしているからとて、大陸の彼らは、何百年何千年にもわたってミックスしてきた日本人を彼らと同様兄弟と見なすでしょうか。残念ながら夷人であるのは動かしがたい現実でしょう。人によっては、わざとらしいと受け取って反発を招くかもしれませんね。

 むしろ、このような歴史事実の過度な同源化よりも、同源でない別物ないしとしても現在の彼らの歴史文化、人権思想を尊重していくことのが優先すると考えますがいかがでしょうか。率直に言うと優先順位が違うんですよ。優先順位が違うと「わざとらしさ」を伴うと考えますがどうでしょう。

大変失礼、いろいろ言いましたがいかなる場合も私は秦氏さんは尊重しています。

バハンの件はこれは初めて伺いましたが、本に説として載っていたのでしょうか。それともこれ、東南アジアのバハンが由来と確定的な歴史事実なんでしょうか。このへんは漢字の渡来以前の話のようにも感じられますが。またこれもちょっと調べてみたいですね。ありがとうございます。
[5]小林雅成さんからのコメント(2005年08月05日 23時13分27秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

秦熱スレッドさらに末広がり、心よりお祝い申し上げます。

:::::::::::::::::::::::::::

日本の苗字七千傑様へ

ご見解を受けまして、私見を加えさせていただきますと、「幡」は、部首が巾でありますので、布切れ、つまり織物に関する語でありますから、バハンの大和言葉にこの字を当てたのはそれなりの意味をくんだうえのことかと。ハン、ホン、ハタ、ノボリと多岐にわたるのは、ルーツを異にするものがこの字を
共有したものかもしれません?バハンは私も初耳ですが、海の道を通って伝わったというのは旧来の説かと。

日本語との共通語が多いのと、東南アジアの紋章に日本にあるようなのがうじゃうじゃある国がありまして、これもそれを傍証できるかもしれません。そういえばドラヴィダ語の方言のような言葉にも日本語との類似が指摘されていたような。

幡多ですと、岡山に幡多廃寺塔跡という遺跡がありまして、1KM程度先に八幡の地名があり、また500M離れて平八幡宮ってのがあります(^^;)名字でハチマン、ヤハタともにありますが、どちらも源氏系統と流布説で説明できる家紋を使用しています。他の都道府県はごっちゃになっているかもしれませんが、岡山の場合は、源氏系統は八幡神社、藤原氏は春日神社、平氏系統は厳島神社、菅原氏は天満宮や天神様、その他氏族は、源氏に破壊されるのを恐れて○○神社だったものに○○八幡神社と八幡をくっ付けてる
ところがやたらと見につきます。

バビロニアについては、沼田博士が『日本紋章学』で展開されているので、家紋屋は別段ヨタ話ともおもいません。
むしろ、大衆受けするので、ウェルカムです(^^)

秦氏族が鳥をトーテムとするという古代氏族研究家の宝賀先生の説を援用しつつ敷衍すると、アケメネス朝ペルシャのゾロアスターのレリーフが鳥の羽を持つ人物として彫刻されてますから、おそらくはその頃が起原かも。

:::::::::::::::::::::::::

さちこ様へ

八幡は、私のパラダイムで解説すると偶数尊重で、8を基本数とし、やっぱりハッティやなぁ。製鉄やなぁ。
宇佐八幡の近くに秦氏の部民が開発したという銅の精錬施設あるみたいやし。
鎌倉もあっこも産鉄ちゃうんかなぁ?こがね吹く吉備の国にいるさかい、製鉄なんて別にめずらしゅうもないんやけどねぇ。
新日鉄ってもともと八幡製鉄ってのがあったわけでしょ?もろやんかねぇ。昔小学校の社会の教科書に古い製鉄所の写真が
載ってた記憶あるわな。

岡山にも、平津が昔あったけど、今は楢津といってます。若宮八幡いうのが祀ってありまっせ。

>北アフリカではハッターラ、西南アジアではハッドというそうです。
そうそう、知ってはるおもうけど、日本でヨセフス・フラヴィウスの『古代ユダヤ誌』の翻訳したのは、秦 剛平先生です。
ダンの末裔という伝承があるのは、浅草の弾左衛門(秦姓やけど藤原っていっとるなぁ)やおらっちのように田舎でほそぼそ御用商人していた非農耕民ぐらいしかおらへんのかいなぁ。シバ族やガド族は山ほどおるのになぁ、いびつやな、日本(^^;)

あ〜、ぼやきになってしもた。あいかわらず、散文やし。
[6]工藤さんからのコメント(2005年08月07日 13時04分55秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2005年08月09日 07時12分58秒
[7]小林雅成さんからのコメント(2005年08月07日 20時47分32秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

工藤先生

勘違いされてはるようですので、補足説明しますと、私の専門は、日本史ではありません。
高校時代も漢字を覚えるの面倒だから、世界史と地理を取って日本史は外しております。
http://www.gsim.aoyama.ac.jp/JPN/index.html
私の母校はこちらでして、世にいうMBAです。同期でドクターコースに教授からお声がかかり進んだのもいますが、私はちゃらんぽらんで、単位ぎりぎりまでしか取ってなかったのでまあお頭のいいとはけしていえないでしょう。体力あるのでフィールドワークで家紋の調査をしているだけです。先生と言われるのは、どーもしっくりこないです。普段は大阪のカルチャースクールで、有閑マダム相手に家紋のウンチクを垂れているだけですから。
熱心にきいてくれるなら、大学生、社会人をといません(^^)

あと、ぶっちゃけた話、『先生』は、名誉とかは伴うのでしょうけど、TVとかのギャラが低くなっちゃうんですね、ですから、家紋コンサルタントですとかいってギャラが安ければお引き受けいたしませんとか
言うこともあります。今からいっとけば、自分の値段があがるでしょう。
まあ、家紋はウンチクだけではあまり金にはなりません。モノを売らないと、、。
系図はもっとなりませんけど。

ご指摘の箇所ですが、田舎を廻っていたときに他人のいったのを聞いたことです。それをあたかも自分が言った様に書いてしまったのは私のミスです。ご指摘有難う御座います。
岡山については、『何でもありーの』、『人生いろいろ、家紋もいろいろ』で通していますからそんなのも
ありだと見なしております。
なんどもかいておりますが、個人的には伊勢平氏は秦が化けておるという説を唱えておりますからまあ、その名称も当然かなとも思います。

結局、小林氏は金のことしかいわんやつやなっていうのが、正鵠を射てますか?やっぱり秦やがな(^^;)
[8]さちこさんからのコメント(2005年08月08日 13時20分45秒 ) パスワード

飲酒運転をするヤツがいるから飲酒運転を禁止する法律ができる。
偶像を崇拝するヤツがいるから偶像崇拝を禁止する。

だれも飲酒運転などしなければいちいち法律で禁止しないでしょ。

社寺を大切にしないから大切にしろと法で定められたのではないでしょうか?
寺を破壊した源氏がいないとは限らないでしょう。

八幡宮の総社宇佐神社は秦氏の神社です。
宇佐神宮の祭祀族の赤染氏(秦氏)が白村江の戦いの時、
日本軍とともに新羅と戦った頃から日本化が進みましたが、
当初は新羅系の信仰だったのです。

これは学術的にも認められていてちゃんとした定説です。
嘘だと思うなら調べてみてください。

工藤さん。

ここは秦氏のスレッドです。
思考が偏っていると思われるかも知れませんが、
ここはそういう所なのです。
平熱特別自治区なのです。
自分の先祖をひいきして雑談しててもかまわないでしょう。

子供に歴史を教えるわけでもなく、
公共の電波でもないのです。

私はネット以外ではこういった価値観を人には押し付けてません。
といううか秦熱に感染してるの内緒にしてます(笑)




[9]小林雅成さんからのコメント(2005年08月08日 21時07分17秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

関係各位

業務連絡。

秦家の家紋で丸に切り竹十字を発見しました。
利害関係者の書き込みを求む。
[10]工藤さんからのコメント(2005年08月08日 21時17分39秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2005年08月09日 08時14分57秒
[11]工藤さんからのコメント(2005年08月08日 21時54分49秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2005年08月09日 07時19分42秒
[12]小林雅成さんからのコメント(2005年08月08日 22時41分27秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

工藤様

>「先生としての質」
もしかして、《手鏡》の元早稲田大学教授の植草先生のことですか?彼のことをよくしっている某先生も存じてますし、彼の女性関係のうわさも存じていますが利害関係が多少なりともありますので、コメントは控えさせていただきます。

>金銭的な利益になるといった話も私はここではしたくありません。
秦の有力部族は商業系なんですよ。金の話は大なり小なり出てきますよ(^^)もうかりまっか?で挨拶の1部ぐらいに見做された方がよいのではと。

>出身の大学等もここでは示唆しないほう
私ぐらいだと思いますが、書き込んでいるのは。自己宣伝のようなものです。
まあ、あんまし頭は切れませんので、宜しく!

ほんまに先生してはるのでしたらおいそがしいでしょう。時間のあるときでええとおおもいますよ。


[13]さちこさんからのコメント(2005年08月09日 00時04分44秒 ) パスワード

>秦家の家紋で丸に切り竹十字を発見しました。
 利害関係者の書き込みを求む。

小林先生もしかして能勢さんですか?
違うかな〜?ちごたらごめん。
心当たりバリバリやねんけど(笑)


後から揚げ足とられたらいけないので訂正しておきます。
8番に書いた私のコメントですが、
宇佐神宮の祭祀は赤染氏と書きましたが、
赤染氏は香春神社で宇佐神宮は正しくは辛島氏です。
お昼休みに急いで書いたので記憶違いしてました。

原始八幡信仰は鍛冶神信仰です。
定説等というのは好きでないけど、ま〜定説です。
お偉い先生が支持したはりますから(笑)

>1224年に幕府側が編纂し、日本最初の武家法・貞永式目には、破壊では なく第一条に、社寺を大切にし、修理を勧める条文があります。破壊は即  ち、法破りということになるはずです。

少しくどいけど、1224年は、
源氏の鎌倉幕府、いい国(1192)作ろう鎌倉幕府成立のの32年後の話でしょ。
小林先生が書かれた源氏の破壊を恐れて云々は源平の時代かその少し後の話。
時代がずれてる。

 小林センセ。
浅知恵の揚げ足とりに惑わされてはいけませんえ。

>残念ながら私は先生という言葉でここで呼び合ったりするのは、あまり好き ではありません。

工藤さん。
自らご自分のことを先生とおっしゃったではありませんか。
余計なことかも知れませんが重要な事と思いますのであえて書きますが、
先生というのは敬称で自ら名乗るものではありません。
歴史の知識以前の一般常識でございますワ。


なんだか攻撃的になってしまいました。反省〜。
皆様ご存知の平和主義の服部家です守りの服部家です。
でも服部家に攻撃してくるものは撃つ。(笑)

平熱ご愛読の皆様、
秦熱を引いてしまわないで今後ともご支持をお願いします。
悪意がなければ批判意見も大歓迎です。
お気楽にお越しくださいませ。




[14]工藤さんからのコメント(2005年08月09日 07時42分45秒 ) パスワード

ティチャーの件については、ここでは話からずれるので、私はその話をするのをやめてもよろしいですか。私が書いたものは消しておいたので以後は私に関しては無しということでよいでしょうか。どうしてもというなら、私自体がここから引いてもいいです。もう一人のかたのほうは私には手に負えそうも無いので、小林様に言いますが、ある程度わかっていただけると思っていたのですが、がっかりです。

[15]小林雅成さんからのコメント(2005年08月09日 21時52分26秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

工藤様

結局、工藤様が行間を読んでくれというのは、暗に工藤という名字は秦と関係があるかここで断言してくれってことなのかもしれませんが、一応藤原氏に分類されていますから、あえて私がいわなくても藤原氏でいいのでは?日本には表と裏がありますから、藤原氏で生きればいいとおもいますよ。

[4]の書き込みを拝見した限りでは視点(point of view)というか、価値観(value system)が明治以降の方だとおもいます。おそらく大都市部にお住まいと思います。世界的に見てこの過去をすぐに忘れてしまう特技をもつ日本人は、グローバルスタンダードなんでしょうか?

トーラーを読んだりタルムード思想に傾倒しているユダヤ人はアナクロイズムなんでしょうか?同様にコーランを諳んじて爆弾抱えて突っ込んじゃうアラブの若者のアナクロなんでしょうか?フランス語でいうとエートル・ヴィヴァンに思えるのですが。

小生に限定していいますと、小学生の時には、手形の裏書や固定資産の減価償却を知っていました。うちの両親は、金のことをとにかく叩き込み、ものごっついうるさく言われてそれに反抗して私はウンチクタレ物書きになったのですが、うちは日本人の平均像とはかけ離れていると思います。近所のおじさんには『世間知らずの旧家のボンボン』といわれ、はじめてつきあった彼女には、別れのセリフが『あなたとは家柄が合わない』とかいわれると、10代の青年はものごっつう心にきざみますよ。これって私がわるいのではなくて家柄の差がありすぎるから?愛はじゃ、なんなの?って。

工藤様の親戚で、○○藩の殿様の生誕何百周年祭があったときに来賓で呼ばれる方がいますか?うちの江戸時代の親戚はそんな家なんですよ(^^;)平均とちゃうでしょ、だから思考方法もずれはあります、あえて否定はしない。

削除はもったいないですよ。さちこさんはあんなふうに書いてありますが、ビジネスで会ったら、歓待してくれるとおもいますよ。ここは特別な雰囲気があるので、クールダウンしましょう!
私の書き込みは、冗談も含みます。マジで書き込みますと、読むと鬱状態になりますよ。
[16]小林雅成さんからのコメント(2005年08月09日 22時35分32秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

さちこ様

日曜日に遭遇しましたんです。名字の秦さん。勿論墓石やけど、、。
その日は福岡藩士の墓もみてたけど、丸に切り竹十字の秦さんの家紋みたら、そんなのぶっ飛びました(^^;)
たしかにこれは、能勢家の代表的な家紋です。摂津には能勢さんけっこういてはるでしょ?

疑問1.やはり隠れキリシタンなのか?
疑問2.能勢氏の中には秦姓があるとみるべきなのか?
疑問3.岡山でこの家紋を使っているのは近江の佐々木氏族系統の家。
疑問4.能勢氏の『見聞諸家紋』にのるは十二目結だが江戸期になると丸に切り竹十字になる。
疑問5.結局、清和源氏頼光流で伝えている能勢氏は佐々木氏族とかなり近しい関係か?


>原始八幡信仰は鍛冶神信仰です。
おっしゃる通り、無理に反論せんでもええ(^^)

>小林先生が書かれた源氏の破壊を恐れて云々は源平の時代
話しのソース(源)は、藤原氏を称する方(実は古い葛城(かつらぎ)氏の子孫と推定)が『うちのご先祖がいた山の城に源氏方がせめてきて落城、城のあった同地の神社は、後に移していまは別の丘の上に鎮座。』といわれたことを受け売りしたわけです(^^;;)葛城氏系統の氏神様か?

実は、この葛城氏で岡山県に分布しているのは、工藤氏の代表紋同様に木瓜紋を使用します。紀の武内宿禰の子孫であるという伝統に基づく使用。

[17]さちこさんからのコメント(2005年08月10日 01時10分08秒 ) パスワード

私、反省してます。工藤さん。

ネットの世界では顔が見えない。
顔が見えればどんな方がどんな気持ちか判るのですが、
難しい世界です。

専門家は別として素人で秦氏などに関心を持つのはなんとなく良い趣味ではないなと日頃から思ってます。
好きなんですけどね。勿論(笑)

割と私、謙虚でしてな。(ほんまや〜!)
平熱の中に秦氏や服部家ネタがありますが
本来は遠慮しなければいけないことだと考えてました。

管理人ともいえるギャンブラーさんが服部家の方ということで、
私の姉御と思い、妹分なら許されると結構好き勝手書いてしまってます。

でもやはり平家に秦氏があっていいのか?
多分この手の話題は不愉快に思われる方があるのではないかと日頃感じてました。

だから過剰防衛したのかも。

工藤さんの真意をくまず、
嫌がらせではないかと判断したことお許しください。

秦氏は新羅系など言うけれど、
新羅などずっと昔に滅んでしまって今はないのです。

子供の頃の故郷の生まれ育った家に行ってみても、
よその人が住んでいればここはもう我が家ではない。
それと同じです。

工藤さんとまったく異なる考えにも思えますが、
根源は同じですね(笑)
秦氏も日本と融合して今日に至るのです。

秦氏のルーツ=日本人のルーツのひとつ。


自分が異民族であると考えてたら、
自分のルーツなどお気軽に書けませんよ。
結局自分は日本人やと判ってるからお気軽なんです。

工藤さんにも秦氏のDNAの1つや10万は入ってます。
そんなつもりでこれからもよろしくお付き合いください。

楽しいぞ〜。面白いぞ〜。秦氏は!
[18]さちこさんからのコメント(2005年08月10日 01時53分19秒 ) パスワード


小林先生。

能勢さんは強烈です。

理由は言えませんが服部家よりも過激です(笑)
昔は知らんが能勢さんと聞くと今も引くがな。←あくまでも現在形の話。

丹波八上城主が波多野家。
この波多野家と能勢家は親戚関係。

波多野家は信長と対立していたが、
明智光秀が自分の母を人質とすることで和睦。

信長がこれを裏切り八上城を攻撃。
光秀の母は波多野氏に殺害される。

よく知られてる話かもしれませんが。


この波多野氏は藤原秀郷を祖とし、
今の神奈川県の秦野市を領地としたことから波多野氏を称した。
・・・らしい。。がっ!

藤原秀郷!
あんたは元から秦氏やばれてんで〜。

この波多野氏が実質上、曹洞宗永平寺を開基した一族。
道元が有名ですが貧乏な僧。
土地を提供したり資金を出したのは波多野氏。

今もこの波多野家、
永平寺内に住んでます。

あんまり関係ないかな?
[19]小林雅成さんからのコメント(2005年08月10日 21時42分53秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

さちこ様

>理由は言えませんが服部家よりも過激です(笑)
やっぱり、隠れキリシタンなん?

>よく知られてる話かもしれませんが。
戦国の研究者かマニアならしっとるやろ(^^)

>あんたは元から秦氏やばれてんで〜。
(^^;)(^^;)
秀郷流が大族のため、影響少なからず。
小生、諸般の事情を鑑みコメントを控えさせて頂きます。

>あんまり関係ないかな?
寺のネーミングは、パトロンの意向が反映されるとみていいかと。
永平寺、漢文調でレ点を付けて読むと平(ペ)、永(ナーガ、ルージャ)
つまりペルージャ、アケメネス朝ペルシャ経由でやってきた
龍蛇を信仰対象、シンボルとするもの。

藤原秀郷が大蛇を退治する話、それによって民に感謝され、打ち出の小槌を
プレゼントされ、そこからは無尽蔵に米がでてきた。
つまり、退治して自分の一族に同化させた蛇族、打ち出の小槌は当時の経済的特権を牛耳ったという隠喩でしょう。
[20]さちこさんからのコメント(2005年08月12日 01時15分32秒 ) パスワード

>藤原秀郷が大蛇を退治する話

それ!それ!なんやけど。
大蛇やなくてムカデやネン。←(知らないだけで大蛇の話もあったかも)
近江富士(三上山)を七巻き半の長さに巻いてる大ムカデがいて、
それを瀬田の唐橋から矢を討って退治した話。

私が屁理屈考えるには、
七巻き半、八巻きにはちと足らん。
八ではないので撃っちゃえ。。。とか?

藤原秀郷と言われるとピンとこなかったんですが、
ムカデ退治の田原藤太、近江八幡太郎秀郷、ですな。
あ〜。あいつか。

子供の頃からお正月には京都は伏見稲荷に初詣に行ってましたが、
必ずこの付近を通り我が家では通称ムカデ山でした。

この山が見えると父が必ずウンチク垂れをしていました。

近江富士と言われるこの山は近くでは低く見えるのだけれど、
琵琶湖対岸の各地からよく見える、
本当に富士の形に見えます。

軍事拠点の山だったのでしょうね。
近くの山は現在も掘りたくり削りたくりなので鉱山資源もありそうです。

源平藤橘を基本として系図を製作する場合、
藤原氏を本姓とするには武士化していた藤原秀郷が系図を繋げやすかったのかも。



能勢さんですが、
私の知る能勢さんは今もクリスチャンです。(笑)

後に隠れキリシタンだったかは判りませんが、
能勢家はキリシタン大名です。

服部家に縁のある池田市から大阪までの道を能勢街道と言ったこと、
切り竹という服部氏系の家紋から、秦氏系なのは間違いないかと。

能勢家と縁戚関係にある波多野氏も、
島津家とよく似た丸十紋を使用してるのでキリシタン関係という説もあります。(他の紋も使用してますが)

能勢家は本能寺の変の時明智光秀に加担し兵を出してます。
怪しい関係よのぉ〜。(笑)
[22]さちこさんからのコメント(2005年08月13日 00時00分28秒 ) パスワード

http://nagata.kanagata.net/ise_shiseki/hamada_jyo.htm
[23]さちこさんからのコメント(2005年08月13日 00時30分20秒 ) パスワード


   ↑
以前にも書いた鵜森神社です。
藤原秀郷を祖とする浜田城主赤堀氏の神社です。

藤原秀郷の墓が群馬県赤堀にあることからも、
この神社の伝承はあながちでたらめではないと考えてます。

大きく写ってる兜は国の重要文化財で藤原秀郷のものと伝えられ、
四日市博物館に展示してあります。

重文とはいえ藤原秀郷のものというのは眉唾かも知れませんが、
平安時代末から鎌倉初期のものいうのは間違いないそうです。
[25]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月13日 00時49分51秒 ) パスワード

ttp://nagata.kanagata.net/ise_shiseki/hamada_jyo.htm
出なかった。


>藤原秀郷を祖とする浜田城主赤堀氏

南朝方だった三重県の赤堀氏はこの系統なんでしょうかねえ?


>大きく写ってる兜は国の重要文化財で藤原秀郷のものと伝えられ、
>四日市博物館に展示してあります。

藤原秀郷の兜が四日市博物館にあるというのはそういう意味で非常に納得です。


赤堀氏は
1.藤原秀郷の子孫で伊勢に来た藤原氏の一族?(=忠清の一族?)
2.鎌倉時代以降?足利以降?伊勢に来て南朝方になった?


どっちにしろ戦国時代末期までには力尽きたと思いますが。
[26]さちこさんからのコメント(2005年08月13日 01時27分20秒 ) パスワード

22は出ましたか?

>南朝方だった三重県の赤堀氏はこの系統なんでしょうかねえ?

多分そうだと思います。
四日市に現在、電話帳によると赤堀さんは8軒だけです。

この鵜森神社が子供の頃親しんだ神社だったことは以前にも書きましたが、
先月、寺の永代経で父を車で送り迎いしたのですが、
檀家の中に四日市の赤堀さんがいたのです。

新しい檀家、信徒さんかも知れませんが、
田舎の寺なので何か親戚関係があったのかもしれません。

お盆で今日は寺から住職が来るので聞いてみようと思うのですが、
父がいるとね〜(笑)

住職が帰ったら待ってました〜!とばかり旅行に行きます。

信州から黒部ダム。
涼しい所で少し頭を冷やしてきます。
でも天気悪そうです(涙)

16日には帰ってきます。

早よ起きて苦手な掃除もしなきゃいけないのでもう寝ます。
[27]小林雅成さんからのコメント(2005年08月13日 04時10分58秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

>大蛇やなくてムカデやネン。
やられた、詰めが甘いとタコのゲソ取られた(^^;)

>近江富士(三上山)を七巻き半の長さに巻いてる大ムカデ
藤原秀郷流佐藤氏の代表紋が源氏車ですが、そのスポークが八本なんです。
で、それより劣っていた(7.5)ということで、屈服したわけですね。
数字遊びのようでもありますが、民話に織り込まれた部族の歴史が
数で象徴される。ちなみにムカデは、私の推論では鉱物資源の流通に
係わった商業民ではないかと。

>ムカデ退治の田原藤太、近江八幡太郎秀郷、ですな。
タワラコータローです(^^;

>私の知る能勢さんは今もクリスチャンです。(笑)
そうですか。私の知る能勢さんの親族関連の家はクリスチャンです。
昨日のニュースで、秦氏の牙城である郵政公社を潰しにかかった小泉先生が
広島県の能勢和子先生を自民党公認から外し、本人涙ながらに出馬断念したそうです。
なんだかな〜という感じ。

>切り竹という服部氏系の家紋から、秦氏系なのは間違いないかと。
やっぱり、そうおもう?さらに煮詰めて古代ヘブライの10部族の匂いは?

>能勢家は本能寺の変の時明智光秀に加担し兵を出してます。
>怪しい関係よのぉ〜。(笑)
これは、親戚なんですよ。戦国時代につるむのは当然。
能勢氏:清和源氏頼光流、明智氏:清和源氏頼光流土岐氏族
[28]小林雅成さんからのコメント(2005年08月13日 04時25分29秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

さちこ様

>藤原秀郷を祖とする浜田城主赤堀氏の神社です。
お盆やなおもうて掲示板覗くと小生の祖母の実家の名字がさちこ様により
書き込まれているじゃ、あ〜りませんか!
昨日、実家の親に『盆は帰省せんでえぇ』と言われてトーンダウンしていた折、祖母の名字を見つけ、ついついウルウル。ああ、なんちゅう偶然。
というか、改めて我が肉体に流れる秦の血の濃きことを実感しました。

ちなみに、浜田さんも、秀郷流がいますねぇ。
[29]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月17日 00時04分23秒 ) パスワード

さちこさん

やっと全部画像見られました。
ありがとうございました。
ケーブルなので?重いのはなかなか繋がらないのです。


秀郷11世の孫豊前守景綱信濃国に移り佐野小太郎を称す
景綱より8世の孫肥前守田原孫太郎景信が上野国赤堀より伊勢栗原に移り地名を赤堀と変えた。


秀郷が940年に活躍なのは30代でしょうから10世紀の初めに生まれたのでしょうね。

11世の孫ということは1世を20年として約200年後あたりでしょうから
景綱は12世紀の初めの生まれ?

田原孫太郎は8世の子孫ならさらに160年後あたり?13世紀中頃?

この田原孫太郎の孫か曾孫あたりが南朝方か。
本姓藤原→佐野→田原→俗姓赤堀氏に。


日本人ってこうやってアチコチ日本中を転居してるのかもですね。
どうしても江戸時代の転居禁止に縛られてずっと1箇所に縛られてたような先入観がありますが。


秀郷11世の孫の景綱というのが
名前から藤原忠清の父の古市武者景綱との関連を連想してしまいます。
方や信濃国、方や伊勢国。
同一人物ではないようですが、偶然の一致なのか、何か関係があったのか。


とにかく秦氏はロマンが広がりますねえ。
[30]さちこさんからのコメント(2005年08月17日 00時09分29秒 ) パスワード

>秦氏の牙城である郵政公社を潰しにかかった小泉先生が

小林先生。
楽しい旅行から帰ってきていきなり反応してしまいました。(笑)
織田信長と小泉センセはよく似ている。

小泉さん=血液型A型←(本人公表)

織田信長=A型かB型。
信長は型破りな行動と人気からB型説もありますが、
私はA型人間、間違いないと思います。

「長島に属するもの草木の一本たりとも形を留めてはならぬ」

郵便局の民営化に反対するものは皆殺し(笑)
この感覚は完全主義のA型ですね。

今日山から降りてきて政治の話は判りませんが、
今度の選挙は楽しみよの(笑)

ちなみに私はO型です。
小林先生は?

>浜田さんも、秀郷流がいますねぇ。

浜田と言うのは現在四日市の地名になってます。
赤堀氏の城があったのが浜田城。(鵜森神社)
私は大阪で生まれましたが、
四日市浜田で育ちました。
浜田っこです。

赤堀氏のこと住職に尋ねました。

赤堀さんは、うちの寺の信徒になったのは一年位前だそうです。
現在は四日市に住んでるのですが、
以前は寺の近くの桑名に住んでいたからとか。
その関係だそうです。

でも桑名に移ったのは仕事関係で、
元は四日市にいたらしい。

住職言うには。。
「赤堀家は地名忘れたけど元は四日市の伊坂ダムの近辺の出身で。。」

伊坂ダム近辺=平田家集中地なのでこれも何かあるかも?

少しお話すれば気さくな住職なのですが、
今まで父と住職の話になかなか割り込めなかったと言うか。
今回父がいなっかたので少し質問してみました。

うん。
秦熱に感染しそうな住職だ!
手応えありです。

取り急ぎ今夜は失礼。
[32]さちこさんからのコメント(2005年08月17日 00時26分20秒 ) パスワード

>やっと全部画像見られました。
 ありがとうございました。
 ケーブルなので?重いのはなかなか繋がらないのです。

そうでしたか少し話の順序が逆になりました。

29に関してはまたコメントします。
[34]さちこさんからのコメント(2005年08月18日 23時05分24秒 ) パスワード

http://www5c.biglobe.ne.jp/~ito/archatimankofun.htm
[35]小林雅成さんからのコメント(2005年08月18日 23時27分38秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

さちこ様

>織田信長と小泉センセはよく似ている。
貴女と同じことを、今日のニュースで旧自民党の綿貫先生がのたまわったのが流れとりました。『織田信長の焼き討ちと同じ』といっておられましたで。

>「長島に属するもの草木の一本たりとも形を留めてはならぬ」
そうそう、先日『美作名門集』を読んでいたら、長島の城主が美作に落ち延びて土着したというのが出てたけど、ホンマ?みんな亡くなったのとちゃうの?特に偉い人とか。

>郵便局の民営化に反対するものは皆殺し(笑)
ずばり、言いえて妙。

0型のオヤジ(^^;;)

>浜田っこです。
あら、そうなの?高校時代の古文の先生が浜田先生だった。

>元は四日市にいたらしい。
寺に属するのは縁がないと、円もやけど(^^;)

9月10日に家系研究協議会が大阪市であります。
http://www.geocities.jp/kakenkyou/kinenannai.html
[36]さちこさんからのコメント(2005年08月18日 23時40分51秒 ) パスワード

削除したくりごめんなさい。(涙)

赤堀家なんですが、
住職が伊坂ダム近辺というので気になり電話張で調べました。

平津だ〜。

赤堀家は平津。
確かに伊坂ダムの近くです。

工藤サンのコメントに屁理屈たれた平津八幡神社跡。
ここに赤堀家が多いのです。

[34]をみてください。

八幡神社古墳いったい誰の墓なのか?

四日市には赤堀氏一族の菩提寺もあるのに、
何故服部家の菩提寺の信徒になったのか?
謎なんですけど。

住職から何で赤堀さん知ってんだと尋ねられ、
何で赤堀サンが新しい檀家になったのかこっちが教えて欲しいわ。
などと思いつつお盆でもあるしこの話はやめました。

来月は伊勢湾台風の47回忌の法事なのでその時にもまた問い詰めてやる(笑)

赤堀さんというのは四日市の地名からで、
この地域特有のものと思ってましたが、
岡山にも多いのですね。

岡山か〜。
やはり秦氏ですね。
[37]さちこさんからのコメント(2005年08月19日 00時17分58秒 ) パスワード

>そうそう、先日『美作名門集』を読んでいたら、長島の城主が美作に落ち延 びて土着したというのが出てたけど、ホンマ?みんな亡くなったのとちゃう の?特に偉い人とか。

小林先生この件詳しく教えて欲しいです。

長島の歴史を読んだら服部家はどうして現在も長島で繁栄してるのか、
不思議なのです。皆殺しにされたのではなかったの?

信長に追い詰められた長島末期、
長島願証寺に、蓮如の血を引く幼い子がいたらしい。
信長が攻め込めば、幼子といえども容赦なく殺害される。
なんとかその子の命を助けたいと葦で編んだ船を布団にくるみ、
木曽川に流す。
それを偶然拾った人々は蓮如の子孫と知り信長に見つからないよう、
こっそり育てる。

やがてその子が大きくなり長島願証寺を再建しましたとさ。

めでたし、めでたし。

なんかどっかで聞いた話ですな(笑)

長島に伝わる話です。
[38]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月19日 01時15分28秒 ) パスワード

>長島の城主が美作に落ち延びて土着したというのが出てたけど、

私も知りたいですね。
昔の平家時代(いや、もっと前の時代かも)のよしみで落ちていったのでしょうかねえ?
従姉妹が岡山に嫁に行ってますがやっぱり昔のよしみなんでしょうかねえ?


>長島の歴史を読んだら服部家はどうして現在も長島で繁栄してるのか、
>不思議なのです。皆殺しにされたのではなかったの?

あら?さちこさん
貞友公は追い詰められて伊勢の山の中で自害しましたが
服部家は弟が恭順を示して許されたと聞いてましたが。
それでワタクシ的には全然不思議じゃなかったんですけど・・・?


>なんとかその子の命を助けたいと葦で編んだ船を布団にくるみ、
>木曽川に流す。

モーゼのお話ですね。
でも<なんとかその子の命を助けたいと、布団にくるみ、葦で編んだ船を>流した、
でしょうね。
でないとその御子は、ブクブク沈んでしまいましたとさ、になっちゃいますから(笑)


それにしても秦氏はロマンが一杯ですね。笑
[40]小林雅成さんからのコメント(2005年08月20日 01時14分56秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

『美作名門集』中村彌平太の著書ですが、池ヶ原村の大岡氏の意向が色濃く出ているといわれ、かなり意図的に調べているようです。その為、取材を協力的な家とそうでない家、正確な内容の家、伝承そのままとか作為があるようなのまで玉石混交のようです。史料としてはまあまあ使えると思います。昔も今もこの手の書籍は、取材のあとに売りつけに来るので、載ってない家はそういのも想定の範囲内で協力してないのかもしれません。

同じような詳細内容は、『姓氏家系大事典』の福島氏の欄にあります。
正式には長島の城主の孫(?)ですね。
この系図は小生が実見しておりまして、清和源氏頼光流となっております。
津山藩の公文書には、真庭郡の方から落居になっておりますが、取材の際にはそんな話しはまったく出ませんでした。同一村の複数系統か?
また、ここは有名なS先生が取材されておりますので、以下を参照されたし:

ごさんべえのぺーじの福島家
http://www.kct.ne.jp/%7Ekshimizu/tfuku.htm
[41]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月20日 01時37分00秒 ) パスワード

へえ〜
ここに福島さんが出てきますか。


確かに尾張の福島家は源氏だそうですが
福島正則ってその前に名乗ってたのは「鬼頭」さんで
「加藤・鬼頭は尾張では太閤さん以来の名門」って言うそうです。

(名古屋では確かに鬼頭さんも多い名字です)

虎の家も市の家も秀吉の母方の親戚だそうで(大政所は名古屋の昭和区?御器所の人)
そうすると虎や市は西区中村よりも昭和区御器所あたりの人なのかなあ
と連想が行きます。

市が鬼頭をやめて福島姓を名乗ったというのが私には不思議なんです。
福島の家は名門だから、源氏だから、そういうことでは納得してます。
もしかすると徳川家の出自よりは「確か」だったり?笑
それで潰された?
非常に納得です(笑)


福島って市の母方か祖母方の実家だったかも。
[42]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月20日 01時43分13秒 ) パスワード

あ、正則の父親は福島姓で載ってました。
なんで〜?

ということは
鬼頭は本姓源氏の福島派生の尾張地域限定の俗姓だったかもですね。
(源氏>福島>鬼頭)
特に名古屋市昭和区御器所あたり?笑
[43]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月20日 04時15分59秒 ) パスワード

加藤清正は中村の出身だそうで
そうすると秀吉の家の近所の子供?秀吉の父親の遠縁?または母親の遠縁?

一応訂正の上書いておきます。
[44]小林雅成さんからのコメント(2005年08月20日 10時34分25秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

補足です。

長島の城主→福島氏→清和源氏頼光流→[27]の能勢さん→秦熱は廻る、次はどんな家?

鬼頭、木頭、木藤→藤原氏族→秦熱は廻る(笑)
[45]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月20日 11時14分15秒 ) パスワード

小林先生

全然関係無いのですが
慶応大学の教授の能勢先生(54歳ぐらい)が最近お亡くなりになったそうです。
確か前立腺癌だったようです。
残念ながら斎場の式次第はキリスト教かどうかまでは確認出来てないです。

無理なさったのでしょうね。
御冥福をお祈り致します。
[46]さちこさんからのコメント(2005年08月20日 23時35分01秒 ) パスワード

>特に名古屋市昭和区御器所あたり

なんだかよくわからん話になりましたが、
御器所城主は織田方の服部家です。
昭和区あたりは織田方の支配下になっていた。

現在の中川区、港区などは長島の服部系です。

地形が判らないと理解しにくいかも知れませんが、
長島の服部家の防衛は、
信長軍が伊勢湾に進入しないように守られていたのです。
織田信長VS服部家は、
尾張VS伊勢水軍という側面もあります。

信長と長島との戦いを。
一向一揆だけでは語ることができないのだと確信してます。

>服部家は弟が恭順を示して許されたと聞いてましたが。
 それでワタクシ的には全然不思議じゃなかったんですけど・・・?

ギャンブラーさん、これはどこの服部家のお話でしょう?
長島一向一揆をもう少し深くお考え下さい。

[47]さちこさんからのコメント(2005年08月20日 23時54分26秒 ) パスワード

小林先生。

福島家と長島の服部家の関係は今のところよく判りません。
また詳しく教えてください。

以前から岡山牛窓の服部家は気になっていたのですが、
こことは関係あるのでしょうか?

牛窓の服部家は立地条件などから、
長島の服部家とは何か関係があるのではないかと思っていたのですが。
[48]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月21日 00時25分43秒 ) パスワード

さちこさん

わたし的には
>なんだかよくわからん話になりましたが、
逆に「おー、おー」納得です。


今川義元に1番槍をつけた服部小平太は津島の服部家と聞いてました。
この小平太は後に秀次の守役の1人となって後に切腹しましたが
御器所の服部家と関係があるなら、そういう関係か、と納得します。

ま、私にとって「聞いた話がだんだん状況証拠で確信になっていく」のは
私にとっての話で、
聞いた時に出典のことまでは訊いてないのでゴメンなさいです。(笑)
[49]小林雅成さんからのコメント(2005年08月21日 02時45分28秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

ギャンブラー様

>慶応大学の教授の能勢先生(54歳ぐらい)
遺伝もあるでしょうし、長命の家系で、40、50代で亡くなられる場合は、
先祖の遺徳を自分の代で使い切ってしまう人生ですね。長生きしたいですね、ほんまに。
神のご加護がありますように、アーメン!
[50]小林雅成さんからのコメント(2005年08月21日 03時14分59秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

さちこ様

>福島家と長島の服部家の関係は今のところよく判りません。
私もわからんよ(^^)、伊勢の長島って1箇所しかないのでしょ?

>以前から岡山牛窓の服部家は気になっていたのですが、
牛窓ならたぶん秦系統でしょう。幡というところに亀山公園がありそこに牛窓神社が鎮座。畑の地名も町内2箇所。綾浦、紺浦、野上、矢寄、子父雁など意味深な地名のオンパレードやし、北部の塩田はもと錦海湾やし、、。
たぶん、八本矢車だと思う。

小林雅成
大阪よみうり文化センター 家紋講座 講師
近鉄文化サロン阿倍野 講師
朝日カルチャーセンター 講師

[51]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年08月21日 16時23分13秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

>今川義元に1番槍をつけた服部小平太はと聞いてました。
桶狭間戦の場面で有名な服部忠次(小平太)の系は、
【織田】久長−敏任−敏豊−【服部】豊興−豊忠−忠次(小平太)
※系図により敏任を久長の兄弟とするものもある。
※豊興の母は服部石見守保長姉で外家の姓服部を称する。

従って服部将監(御器所服部家)とは別系である。
小平太が津島服部家の小藤太の弟と称したとも伝えている。
[52]源六位さんからのコメント(2005年08月21日 23時22分17秒 ) パスワード

スレッドの流れを止めるようですが、「畑」と付く地名や
苗字は、秦氏に関係あるんでしょうか?

[53]小林雅成さんからのコメント(2005年08月21日 23時40分51秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

源六位様

>「畑」と付く地名や苗字は、秦氏に関係あるんでしょうか?
あくまで仮定の話。ただのはたけの意味もあるし。いろいろ検討すべきであって、秦の血を引かない人がみてもわからんだろうと思う。

今の日本は秦氏族が、名前を変えて政治的、経済的に支配しているといっても過言ではない。

よく知りうる者は寡黙になる、よくあるパターンです。あなたも賢い人なら寡黙を通されたほうが賢明かと。
[54]さちこさんからのコメント(2005年08月22日 13時01分17秒 ) パスワード

小林先生教えていただいた福島家のページですが、

>「玉野屋親類記」に、「福嶋氏英田郡豊野村、遠祖福嶋正則末孫也」という 系図があります。郷土資料にも同様の記述が見られますが、肝心のご当家に は遠祖福嶋正則という言い伝えもないようです。

と書いてありました。
織田家支配の後の長島城主は福山正則の弟でした。
長島城主というのは服部家ではなくてこちらかも。
[55]小林雅成さんからのコメント(2005年08月22日 20時02分15秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

さちこ様

なるほど、福山まさはるだったのですね。それも織田のインベージョンの後でそうなったと(^^)ということはこのあたりで、アロンアルファかな?

よくあるケースですね。それより前が服部氏の居城だったと。
[56]さちこさんからのコメント(2005年08月23日 00時18分17秒 ) パスワード

>なるほど、福山まさはるだったのですね。

小林センセ。

揚げ足とらんといて(笑)

福山雅治。
「絶対、君が〜好きだよ〜。」←古いわな。
でも好みのタイプですわ。
面食いやネン。

でも治という字はハルと読むのですね。

伊勢では治田をハッタ、名古屋では治田をハルタと読んでます。

長島一向一揆の後は信長の家臣、滝川一益が長島城主になりました。
その後ですね。
福島高晴が城主になるのは。

先日桑名の石取り祭りがありましたが、
長島にも同様の祭りがあり、

「蟹が桃切ってホッタレ、ホッタレ」←ホッタレは捨てたれの意味。

石取り祭りではこう歌われてます。

一説によると蟹江城というのは、
長島服部家が騙されて滝川一益に資金を出して、
建てた城。
金だけ出さしておいて後は信長に内通し服部家を追放。。(涙)

本能寺の変の後は家康、秀吉連合軍が蟹江城を占拠。
滝川一益を追放。

桃というのは滝川一益の家紋です。

蟹というのは家康、秀吉連合軍で、
桃は滝川一益のこと。

蟹が桃切ってホッタレ〜。
と歌い継がれてるのは、
滝川一益がこの地で嫌われてたかららしい。

福島家のことはあまり悪くは言われてません。


牛窓の服部家の家紋は八本矢車でいいのでしょうか?
やはり気になりますな。
[57]小林雅成さんからのコメント(2005年08月26日 01時20分56秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

さちこ様

>面食いやネン。
そうやろ、そうおもた。

>伊勢では治田をハッタ、名古屋では治田をハルタと読んでます。
ハルタHAR TAをリウル・パッチムをリエゾンしてHATTAとよむんやな、と
ハングルに置き換えて解読(ホンマかいな?)

>「蟹が桃切ってホッタレ、ホッタレ」
シバ族が契丹部族を駆逐したとも解せるか?

>福島家のことはあまり悪くは言われてません。
ほほう、善政だったのかな?

>牛窓の服部家の家紋は八本矢車でいいのでしょうか?
アベノセイメイのお告げで牛窓は凶方向なので、今年は調査にいかん(^^)
わかったら教えるわ、one of these days
[58]源六位さんからのコメント(2005年08月26日 02時47分23秒 ) パスワード

またまた流れを断ち切るようですが、京都の太秦に数人知り合いが
いるんですが、羽田や畑といった苗字で、皆松尾大社の氏子です。

氏子総代の人もいますが、やはり太秦の有力者です。稲荷神社の
数からも、その人口は推して知るべしですね。

ちなみに、政界や経済界を牛耳っている秦一族で思い当たるのは
羽○氏ですね。
[59]小林雅成さんからのコメント(2005年08月26日 04時24分51秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

源六位様

>皆松尾大社の氏子です。
いっておきますけど、京都は秦の都だからね。太秦は秦のメッカだから、多いのはあたりまえっちゃ、当たり前なんですわ。象徴的な名字をださなくても暗黙の了承です。

>羽○氏ですね。
羽田先生は辞書にもあるとおり、信濃の名門やからね。顔つきというか骨格は小生と同じパターンですわ。何度もいいますけど、日本の支配者層は秦氏族ですからね、化けてるからわからんやろうけど。

《源平の交代》思想とかは、脚本・監督は秦ですねん。俳優の源平も割り振ったのは秦なんや、、、ゆうても普通の日本人は信じへんな(^^+)
[60]畠田さんからのコメント(2005年08月27日 15時55分12秒 ) パスワード

 こんな秦氏関連のスレを捜していました。やっと見つけられて、助かります。秦氏が名前を変え、日本を支配しているという、のは私も同じ考えです。
 私もあまり深い知識はないんですが、秦氏ユダヤ人説はトンデモ説とすぐされてしまうけど、ペルシャ人、ソグド人、またはギリシャ人説くらいならかなり信憑性ありそうな気がします。
 秦河勝の河勝は、現代の朝鮮語読みではハスンとなります。ンはパッチムといって、あまり聞き取れない音だそうで、ハスと聞こえます。ハングル文字は、14世紀当時の発音を保存している文字なんだそうで、古代の日本語や朝鮮語の発音を残しているんじゃないかと思えます。また、ペルシャのことは漢字で波斯と書き、パシとかハスとかいったそうです。河勝に通じるのではないかと想像します。河勝は実在というよりは、象徴的な名前と聞きましたので。それならば、かなりある苗字の橋本とかもその由来かな。元総理にいますし、彼の出身地の近くには、秦という地名があります。
 また、中国唐代はササン朝ペルシャから逃れてきた人々がかなりいたようで、景教教徒も相当いたようです。でも、景教はネストリウス派じゃなくて、カトリックなんだそうですね。日本にも6世紀ごろに、カトリックがすでに伝えられていたんでしょうね。中央アジアにはギリシャの植民市とかあって、ギリシャからもたくさん人が来たでしょうね。そういった人々が、逃げてきたり遊牧騎馬民族と一緒に東に向かって通商に出て、中国朝鮮を経由して、日本にやって来たのが
秦氏ではないかと思うんですけど。
 しかし、秦氏は奈良時代の半ばから急に消えてしまいますけど、藤原氏に名を変えて存続したと聞いたことがあります。ちなみに、藤はプジ、ペジ、ぺクジェでであって(クはパッチムのため落ちる)、原はバル、ブル(古代朝鮮語で、火、魂の意)だそうで、百済の魂だとか、すると富士山は百済山?
 と、いうわけで長々と小耳に挟んだことと想像を交えて書き込みましたが、
なにぶん素人の言うことですので、こんな考えもあるのかぐらいの御扱いで。
[61]小林雅成さんからのコメント(2005年08月28日 19時16分42秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

さちこ様

>『美作名門集』を読んでいたら、長島の城主が美作に落ち延
この続きの話。実は、三重県津市にも同じ地名豊野がありました。
よくよくチェックしたら頼光流の発祥地も豊能郡(とよの)やなぁ!
[62]小林雅成さんからのコメント(2005年08月28日 19時19分58秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

畠田様、ウェルカム!!

[63]さちこさんからのコメント(2005年08月28日 20時59分52秒 ) パスワード

NHKの大河ドラマ!

何やネン!
あくまでもドラマやからおとなしく見てたけど(笑)

松坂慶子、ボンカレーのパッケージに登場ですな。
私の記憶では明日位から松坂慶子さんの和服姿のボンカレー店頭に並ぶと思います。

CMにも出るのかな?

「カレーの底にも都がございますぞ。」←これはない。

タイミング良すぎ。。

平家滅亡にあわせて松坂慶子売り込もう。
ボンカレーも売りましょう!

私、ハタよね、お秦さんよね。

そんな戦略ですな。

[64]さちこさんからのコメント(2005年08月28日 22時18分32秒 ) パスワード

畠田さま!

小林先生に続き、
ウェルカムシリーズUでございます。

秦氏は中央アジア出身地というのは今やトンでも説ではないみたいです。

タジキスタン、
キリギスタン、
ウズベキスタン、
この三国が愛知万博で中央アジア共同館として出展してます。

以前は東アジアへの仏教伝搬の地でしたが、
イスラムという歴史をおいて、
現在はムスリムが多いようです。

万博ネタ。

某有名雅楽師の東儀秀樹氏が愛知万博で、←某つけるな(笑)
東大寺の大仏開眼供養会を再現したというニュースがありました。

NHKのアナが。

「この時には現在の中国、韓国をはじめ、
 遠くはチベットや中央アジアからも使者が来ていたそうです。
 現在の万博のような国際交流の場だったのですね。」


とにこやかに言ってました。
多分それなりの確信があったというか、
学術的にもそう言っていいからだと思います。

ソグド人ネタを初めて平熱にスッレド立てられたのは、
隈さん、でした。
二年前の五月頃と記憶してます。

その時私ははまったく判らなかったのですが、
今少し判ったような気がします。

ソグド人の本拠地は旧ソ連内にあり、
なかなか解明できなかったようですが、
時代は変わってる!

今後いろんなことが解明できるかも。


>「美作名門集」を読んでいたら、長島の城主が美作に落ち延この続きの話。
 実は、三重県津市にも同じ地名豊野がありました。

小林先生。
美作って宮本武蔵の関係ではありませんか?
関係あるかも?

岡山と伊勢の服部家はの関係は気になります。
急ぎませんのでよろしくお願いします。



[65]小林雅成さんからのコメント(2005年09月03日 06時06分04秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

畠田様

>秦氏が名前を変え、日本を支配しているという、のは私も同じ考えです。
ご同意いただき有難う御座います。自分の商売に口出ししなければ、同じ氏族が支配していても
どうってことないのです。貴方も外国語をお使いになるので、確信HATAですね(^^)

>ペルシャ人、ソグド人、またはギリシャ人説くらいならかなり信憑性
現代の中国ですが、王姓が人口の第一位かとおもえば違うんです、いつのまに漢民族は
ペルシャ系になったんやと思うくらい。でも漢の劉邦の奥さんは呂氏の娘で、呂さんは、当時商売人やなぁと
古代中国史を考えたら、案外中国ものっとられてるなと感じますね、
のっとっられてはみ出たのが華僑(華人ネットワーク)かな?もともと殷のミヤコが商でミヤコに住んでた人のナリワイ(業)
が商業やいう説もあるようやから、もともとそうかもね。北京原人はちゃうやろーけど。

>14世紀当時の発音を保存している
サウス・コリアで李(RI)がIの発音になったのは最近のようですね。表記はイウングになっちゃってるけど、
ノース・コリアではRIのまま発音やし。

>河勝は実在というよりは、象徴的な名前と聞きましたので。
小生が昔、猿楽の里のマンションに住んでまして、その近くに名字が川勝さんが住んではりました。サンボリックというと
川勝さんのレゾン・デートルって何?(^^;;;)猿楽は勿論秦の支配分野ですので。

>苗字の橋本とかもその由来かな。元総理にいますし、彼の出身地の近くには、秦という地名があります。
郷土史家の新田文雄先生著作の『吉備諸家系譜』か『備作名門八十家』に自民党の橋本先生の系図が載ってます。
藤原氏らしいですよ(^^)橋本先生の父親の出身が秦地区だったと思います。今回、1億円のハシタガネで失脚されて
不憫でなりません。そういえば、お金のスキャンダルはこのスレッドのどっかにあったなぁ?

>景教はネストリウス派じゃなくて、カトリックなんだそうですね。
そうなんですか、景教=ネストリウス派と書いてある学校の教科書って案外ええかげんやな(爆笑)

>日本にも6世紀ごろに、カトリックがすでに伝えられていたんでしょうね。
イスラームも伝わっているとおもいますよ、ただ庶民が知らんだけで(^^)

>原はバル、ブル(古代朝鮮語で、火、魂の意)
バル地名は九州に残ってますね、さすが九州、古いわいな。

>百済の魂だとか、すると富士山は百済山?
呂氏関連で、秦なんでしょうけど、ガド族のカラミかな?


小林雅成
大阪よみうり文化センター 家紋講座 講師
近鉄文化サロン阿倍野 講師
朝日カルチャーセンター 講師
[66]小林雅成さんからのコメント(2005年09月03日 06時43分44秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

さちこ様

>NHKの大河ドラマ!
製作者のメッセージがよめますねン。後白河法皇の役:俳優の平(ひらみきじろう?)にやらせてるから、この人から平姓が派生したというメッセージでんねん。ほやから、桓武平氏とちゃうで、従来の分類表記を踏襲すれば清盛は後白河平氏清盛流やなぁ。同じくタレントの阿部寛や小泉先生の息子さんが、平家方やっているから、鷹をシンボルとする名字が平に扮しますでっせ、という重要なメッセージをくまないと、、。

>松坂慶子さんの和服姿のボンカレー店頭に並ぶと思います。
松坂慶子好きですねん、オヤジ丸出し(^^)

>美作って宮本武蔵の関係ではありませんか?
直接は関係ないとおもう。


参考論文:宝賀寿男 家系研究協議会の機関誌掲載「鳥トーテムをもつ秦王室とその族裔たち」
[67]源六位さんからのコメント(2005年09月04日 01時01分36秒 ) パスワード

秦氏、思っている以上に分布しておりますね。
源平藤橘を名乗る地方豪族の大半が秦氏だと思えてきます。
たとえば、有名どころであれば奥能登の某家は平氏の伝承あれど国造の流れを汲む秦氏、また藤原氏北家を名乗る秀○流も秦氏だと思われますね。

史実が真であるとするならば、2万人渡来した秦一族は日本人の大半
を占めていても可笑しくないですね!

何ゆえ中央政権から表向きは締め出されたのか、疑問ですね。
[68]小林雅成さんからのコメント(2005年09月04日 01時42分40秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

>源平藤橘を名乗る地方豪族の大半が秦氏だと思えてきます。
中央もなんやけど、、。

>何ゆえ中央政権から表向きは締め出されたのか、疑問ですね。
秦の始皇帝の崩御後、秦王朝のローヤルファミリーは皆殺しに遭っているんですよ。命からがら生き残り朝鮮半島経由で日本列島に移住した末裔は生き残るにはどうすればよいか、策を練った。ハタの名を出さずに実質的に支配出来ればそれでいいのではないかと。

で、そういう貴方も系譜学を究めれば、夥しい清和源氏の大部分がある一族がヘンシーンしていることにきづき驚愕し、やがて系譜研究から顔をそむけるようになるかもしれない、真実は貴方にとって必ずしもコンフォータブルであるとは限らない、真実を知らずに江湖に流布している従前の源平藤橘を踏襲すべきか。

失われし部族の末裔よ、ヘブライの末裔を全て分類してはならぬ、源頼朝がダンであるように、平清盛もダンであった。神はダンの支配する穢れた都市を今年中に浄化されるのか。
[69]さちこさんからのコメント(2005年09月04日 21時45分50秒 ) パスワード

>松坂慶子好きですねん、オヤジ丸出し(^^)

小林先生。
いや〜。先週は松坂慶子はどうなるネンと思いましたが、
壇ノ浦ではそれなりによかった!

私も松坂慶子さん好きです。
年齢を重ねても花のある女優さん。
憧れの女性ですね。

でも役者としては大根。

時子を演じるのは無理だろうと思ってました。

誰を演じても松坂慶子キャラが出てしまう。
知的なタイプの重みのある女性を演じられないというか。。

大河ドラマではある意味、彼女の雰囲気に助けられた平家かも。
タッキー義経に滅ぼされる平家。
このバランスはとれてますな。
NHKここまで計算したかな?

松坂慶子さん。
私の記憶にない熱演だったかも。。?
大根女優卒業かな?(笑)

大河ドラマ。
新撰組、宮本武蔵、利家とまつ?
その前何やった?という感じです。

昔の大河ドラマは威厳があったよな。。
でもやはり平家ものはいいかも。
[72]さちこさんからのコメント(2005年09月04日 22時49分00秒 ) パスワード

>後白河法皇の役:俳優の平(ひらみきじろう?)にやらせてるから、この人 から平姓が派生したというメッセージ。

平幹二郎の平(ヒラ)はご本名だそうです。
義経が始まる前、NHKのテレビのインタビューに出演してました。

ご本人曰く、

「平家と関わりがあったという事は先祖から伝わってないが、
 平という苗字から平家に関しては、思い入れががある。」

だそうです。

ちなみに松平健さんの松平は芸名ですな(笑)


あくまでも私見ではありますが、
平清盛は後白河法皇の子といううのは×だと思います。

源平の戦乱の世
親子は対立すれども、
法皇が我が血筋を引いた孫を憎く思うか、
義経に討伐を命じるかです。

後白河法皇自体、傀儡法皇。。ではないか?
法皇の背後にいたのは公家系藤原氏。

後白河法皇のずるさは、
藤原氏の保身そのものだと思う。
仕方ないことではありますが。

コップの中の嵐の長期安定、藤原平安政権。
それを脅かす、
経済的に優位であった秦氏を意図的に排除してたと思います。
だから源平の戦いでで爆発したのだとも私は考えるのですが。

藤原秀郷関しては例外では公家系の藤原氏とは違うというか武士化して秦氏化したか、
秦氏が秀郷の背後にいたからだと思います。
[73]源六位さんからのコメント(2005年09月04日 23時56分14秒 ) パスワード

小林先生

>中央もなんやけど、、。

中央とは朝廷においてですか?鎌倉幕府ですか?


>命からがら生き残り朝鮮半島経由で日本列島に移住した末裔は

秦氏が始皇帝の一族という信憑性はどうでしょうか?
秦朝の一族にしては渡来した人数や、渡来時期の秦王朝との時代の
ズレが気になります。


>で、そういう貴方も系譜学を究めれば、夥しい清和源氏の大部分がある一族がヘンシーンしていることにきづき驚愕し、やがて系譜研究から顔をそむけるようになるかもしれない、真実は貴方にとって必ずしもコンフォータブルであるとは限らない、真実を知らずに江湖に流布している従前の源平藤橘を踏襲すべきか。

是非真実を知りたいですね!清和源氏に関しては、経基と満仲が
つながっていない様に思えるんですが・・・
その辺の研究って、一般人の趣味程度の研究でわかるものなんでしょうか?
[74]通りすがりさんからのコメント(2005年09月05日 17時07分41秒 ) パスワード

>従来の分類表記を踏襲すれば清盛は後白河平氏清盛流

後白河法皇 1127〜1192
平清盛 1118〜1181
[78]小林雅成さんからのコメント(2005年09月08日 00時10分56秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

さちこ様

>憧れの女性ですね。
でしょ、被写体だけなら許せるでしょ(^^)

>タッキー義経に滅ぼされる平家。
自民党の小泉先生の息子さんがでてはって、タッキーは創価学会員やし、連立ドラマやねぇ、南無妙法蓮華経、ほーら、金粉で写経するぞ〜!!
NHKここまで計算しとるな(^^;)

>ちなみに松平健さんの松平は芸名ですな(笑)
里見浩太朗さんも芸名で、本名は佐野さんやから秀郷流ね、家紋は小生の紋と同じ。

>平清盛は後白河法皇の子といううのは×だと思います。
も〜ん、おっさんをいぢめないで(^^;;大河ドラマの話やないですか、史実とちゃうで。

本末究竟等
[79]小林雅成さんからのコメント(2005年09月08日 00時31分21秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

源六位様

>中央とは朝廷においてですか?鎌倉幕府ですか?
中央は、京都、鎌倉は英語でいうと意訳するとローカル・ミリタリー・オフィスないしはビューローやから地方。鎌倉は○○系統やろ、ちゃう?

>秦氏が始皇帝の一族という信憑性はどうでしょうか?
小生の、かきこみをよーく、見て頂戴(^^)、ヘブライ、ダン、シバ、ガド、ナフタリとか書いてますでしょ?この人何いいたいんやろか?と。

>清和源氏に関しては、経基と満仲がつながっていない様
まあ、あまりものごとを究めて敵をたくさん作らぬように。四面楚歌という昔の教訓もあることだし。小生9月10日は家系研究協議会の25周年記念大会やし。

知らぬが仏のホーホケキョ。
[80]さんからのコメント(2005年09月08日 14時44分30秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2006年12月11日 09時28分48秒
[81]さちこさんからのコメント(2005年09月09日 00時12分33秒 ) パスワード

通りすがりさん!

秦熱へようこそ。
おひさしぶりです。
熱烈歓迎です。なつかしいな。

遠慮せず、ずずっと〜奥へ、良席をご用意しております。
皆の者!通りすがり殿にお茶と菓子を!

これを機会にまたお越しください。

隈さんからもコメントあって嬉しいです。

小林先生。

隈さんにお互い揚げ足とりされてしまいましたな(泣)
大河ドラマやなくて連立ドラマ。。
なるほど。

金粉まけ、まけ。

日本の伝統芸能は能や歌舞伎など裏方の黒子が幕間に登場します。
黒子は見えていても見なかった事にするのです。

金粉が舞い散る時は、
歴史のブラックホールになるのかもしれません。

永遠の謎。。

秦熱、ますます楽しくなりました。
世界史まったく判らん私ですが、
なんかヒントが得られるので、
愛知万博もう一度行ってみようかと思います。

 伊勢の秦氏が平家にば〜けて〜。
 よせばいいのに、天下取り。

  「さぁ、皆さんご一緒に!」

 浪花ぁ節だぁ〜、よぉ〜。
 秦氏の、平家のぉ人生は〜
[82]さんからのコメント(2005年09月09日 12時18分11秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2006年12月11日 09時29分23秒
[83]さんからのコメント(2005年09月09日 12時19分43秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2006年12月11日 09時29分40秒
[84]さんからのコメント(2005年09月09日 12時44分39秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2006年12月11日 09時29分58秒
[85]さんからのコメント(2005年09月09日 17時11分05秒 ) パスワード

上の話を確認したら、牛祭もミトラカーナ大祭も多少幅があるみたいですね。
でも大体どちらも10月10日前後なのかな?
一応補足します。

***************

さちこさん、私の長話は適当に読み飛ばして構いませんから。(^^ゞ

まぁ、所詮私も世界史はド素人なので、偉そうなことは言えません。。。
高校では日本史選択だったし(でも日本史も忘れたけど)。
でも、秦氏の正体をどーしても知りたくて、ネットや本で調べまくってます。
今世界史を勉強中なのは、
「秦氏って朝鮮渡来?それとも中国?それとも西域出身なの??」という疑問から。
それを知るには、海外の情報を調べないと分からないだろうなぁと思いまして。
最近は日本国内の情報だけでは気が済まず、漢和辞典片手に中国語と格闘中。
あ〜誰か漢文の得意な人、訳して〜!(>_<)

という訳で今大変なので、日本国内の調査はさちこさんに任せます。(^^;
[86]さちこさんからのコメント(2005年09月09日 23時10分21秒 ) パスワード

>さちこさん、小林先生、揚げ足取りで失礼しました。

私こそ揚げ足とりなどと言ってしまって失礼でした。
本来ならご指摘ありがとうございましたと言わなければいけないけど、
身内、身内。←(許してね)

私の勘違いは仕方ないけどこれを読んだ方が、
誤解してはいけませんね。
感謝してます。

小林先生〜。
弘法も木から落ちるです。


白河法皇、後白河法皇。

でも後がつくのと、つかんのと、どない違うネン!

醍醐天皇、後醍醐天皇。
鳥羽天皇、後鳥羽天皇。

醍醐というのはチーズとか乳製品を意味していたと思います。

>漢和辞典片手に中国語と格闘中。

サンスクリット語だった仏教の経典は、
当時シルクロードで公用語であったソグド語に訳された後、
漢文になったものもあるみたいですね。

インターネットで検索してみたら、
三蔵法師がソグド人を通訳としていたとか?
ホンマ?

密教の密は蜜でソグド語で日曜日。とか。。

まか〜はんにゃ〜、はらみた〜

般若心経。
このあたり訳してみます。
私なりに。

般若心経を訳した本があるみたいですね最近。
筆者の坊主がTVに出演してたけど、
ウンチクたれやね、
否定はせんけど本能的に(?)
よみかた違うと思った。


[87]さちこさんからのコメント(2005年09月09日 23時43分42秒 ) パスワード

>あ〜誰か漢文の得意な人、訳して〜!(>_<)

漢文なら服部家でしょ。
と言いたいですが、我が家は。。情けナ。。ですが。

漢文の先生とはお付き合いあるのでそれなりにとか思いますが。。

いっそうのこと漢文なら中国人に読んでもらったら?
英語や日本語の判る中国人に。
と思いますが中国人もよく判らない。。のでしょうね。

話変わりますが、
ウズベキスタンのウズとはなんぞや?

○○シスタンのシスタンは国の意味。
キリギスタンはキルギス。
タジギスタンはタジク。

ならばウズベキスタンはウズべクです。

ウズは何が語源でしょう?
太秦(うずまさ)のウズとの関係は?
気になるのです。

○○マサ、○○マジャいう地名は中国西域に多く、
古墳や有力者の墓に多いです。

うずまさのマサは墓の意味かも知れないと思います。
[88]小林雅成さんからのコメント(2005年09月10日 05時13分28秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

イラク北西部の有力部族の長:ドレイミ氏。奴隷+見?

これもお偉い人にハタミ氏(秦+見?)がいて、総合商社丸紅の元会長の春名氏はアラビアではハルナは高貴な名称だとかいうことを書いてはった(日本経済新聞社、『私の履歴書』より)

ハルナ、春名、榛名、秦なる木の名称、オー・マイダーリン・クレメンタイン
日曜日に市場へ出かけ糸と麻を買ってきた♪←是は商業系の歌のロシア語バージョンか?
[89]さんからのコメント(2005年09月10日 06時56分11秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2006年12月11日 09時31分26秒
[90]さんからのコメント(2005年09月10日 13時35分05秒 ) パスワード

私のコメント[80];

> 死者12万人だって。

と書きましたが、資料を確認したところ、

「20余万人を無差別に殺害」

とありました。お詫びして訂正いたします。m(_ _)m
[91]源六位さんからのコメント(2005年09月10日 17時30分40秒 ) パスワード

>小林雅成先生

鎌倉は○○系・・・2つの○のうち1つでも
埋めて頂けないでしょうか(笑)

最近、日経新聞にインドの製鉄会社タタの記事が
ありました。

  タタ=タタラ=多田?
[92]さちこさんからのコメント(2005年09月10日 22時34分42秒 ) パスワード

般若心経。



摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 
  
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 

空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 

無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 
 
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 

以無所得故 菩提薩 依般若波羅蜜多故 

心無礙 無礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 

究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 
 
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若 波羅蜜多 
 
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 
 
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 

菩提薩婆訶 般若心経 



[93]さちこさんからのコメント(2005年09月11日 00時21分04秒 ) パスワード

>ウズベクのウズは、「我らの」という意味だそうですよ。
 私もちょうどウズマサとの繋がりを考えていたところです
 「マサ」はトカラ語で「大きい」の意味というのを読んで、
 「我ら(秦)の大公」の意味かな??と。

太秦の語源に関しては色々な説がありますが、
隈さんの説、なるほど説得力があるというか、
一番受け入れやすいです。
トンでも説脱皮になるかもしれませんね。
勿論これを正しいと決め付けてはいけないですが、
なんとなく納得。

> 死者12万人だって。
 と書きましたが、資料を確認したところ、
 「20余万人を無差別に殺害」
 とありました。お詫びして訂正いたします。m(_ _)m

金粉、金粉。
十二万人も二十万人も同じ同じ。
神経質になったらあかん。

今日はは楽しい選挙ですね。

某週刊誌の見出しでは小泉さん、
ヒトラー小泉に昇格したはりましたな(笑)

本人も尊敬する人物、織田信長としてました。

昔なら、構造改革=秦氏皆殺し。。だったりして。。

小泉サンは判るけど、
    
   この人
    ↓

「尊敬する人、織田信長。
 織田信長のような政治家になりたい。
 岡田克也。」

あんた、どの選挙区から立候補してんねん。
三重三区、長島も含む北伊勢やろ。
日本で一番信長からボコボコに攻撃されてるとこです。

勿論現在、信長のことマジで恨んでる人はいないし、
このことが直接選挙結果につながるとは思いませんが。
一事が万事、
古くから北伊勢に住んでる人の反感を感じることのできない人です。

GO!Go!平田!

ですな(笑)

私の住んでるとこは三重三区なので、
平田VS岡田は直接関係ありません。


ヒトラーと言うよりは、

ドラキュラ小泉VSフランケン岡田

貧乏神小泉。。。ですな←(人相から)

ほれ!金粉。




[94]さちこさんからのコメント(2005年09月11日 00時34分53秒 ) パスワード

私の住んでるとこは三重二区です。訂正。

四日市は自民の、岡田いじめで南北に選挙区が分断。
二区は中川VS小林です。
[95]小林雅成さんからのコメント(2005年09月11日 02時10分15秒 ) パスワード
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隈様

家系研究協議会創立25周年記念大会に出席してきました。

>「出る杭(目立つ外人)は打たれる」
目立たないのが一番。京都の町衆も表にはあまりでてこないでしょう。

>いつのまにか国を乗っ取られるので怖いらしい。。(^^;
貨幣経済がいいよ〜んと教えているだけなんやけどね。

>でも毎回しぶとく落ち延びて、いつのまにか復活してる(笑)
孫氏の兵法ですね、『三十六計逃ぐるに如かず』
ソフトバンクの孫さん、大金持ちやなぁ(^^)

>「我々は失われたイスラエル10部族の子孫である」との伝承
源氏や藤原氏はなんで、ヘブライの伝承をすてたんかなぁ?

>「かつてアッシリアにより捕囚され、
岡山市民はアッシリアのレリーフの購入資金で1億以上寄付を寄せてるんですね。粘土か岩石か知らんけど、あんなもんになんで1億円もはらうんや、ルーツがばればれやで(^^)

>イスラエル→ペルシャ→ソグディアナ→中国→朝鮮半島→日本
イスラエルとペルシャの間にバビロンとアッシリアがあるのでしょう。

>弓月城が建設されたのはおそらく5世紀以降では??
融通王(KING OF FINANCE)が後に”佳称”を用いて弓月君なんですか?

>弓月城は唐代の西突厥・弓月部の貿易・軍事拠点だったんだけど、
>灌漑事業は得意分野っていうのも、秦氏との共通点です。
日宋貿易で金儲けしてたのは、平清盛?
ゼネコンよろしく土木事業をあちこち手がけてたのは伊勢平氏?

>この分野は小林先生がお詳しいのでしょうか?)、
私は、高校2年のときにフェルディナン・ド・ソシュールの『一般言語学講義』を読んだぐらいです。
英語、フランス語、ロシア語、ポーランド語、ハングルしかかじってないからトカラ語なんてわからないです(^^;;
[96]小林雅成さんからのコメント(2005年09月11日 02時26分02秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

さちこ様

>金粉まけ、まけ。
景気回復、金粉、まけまけ!

>金粉が舞い散る時は、歴史のブラックホールになるのかもしれません。
手塚治虫はそれを火の鳥で表現したかったのかなぁ、ううむ(^^)

>伊勢の秦氏が平家にば〜けて〜。
化けたつも〜りが、しっぽが見えて〜る
だれも言わない裸だと
裸の王様、王様、金まみれ〜(注意:悪口ではありません(^^;)
  
>鳥羽天皇、後鳥羽天皇。
このあたり質問されたことがある、昔はわからんかったが今はわかる。
[97]小林雅成さんからのコメント(2005年09月11日 02時29分25秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

源六位様

家系研究協議会創立25周年記念大会に出席してきました。

>鎌倉は○○系・・・2つの○のうち1つでも
>埋めて頂けないでしょうか(笑)
どうやら貴殿、知能指数が高いようですね(^^)
わかっても、いっちゃいけないこともある。(川柳)

>最近、日経新聞にインドの製鉄会社タタの記事が
ドラヴィダ語グループの語彙で日本語とそっくりなのが数百あるとかいう説ね(^^)
[98]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年09月11日 04時17分34秒 ) パスワード

重くなって来ましたので続きは
古代日本に栄えたロマンな一族:秦氏6
へどうぞ。
http://www.hikoshima.com/bbs/heike/100819.html
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