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 投稿番号:100787 投稿日:2005年06月16日 19時19分09秒  パスワード
 お名前:秋風ピュー
平山武者所季重について

コメントの種類 :人物  パスワード

保元、平治の両乱にて華々しく登場し、待賢門の戦いで悪源太義平に従った17騎として戦い、後の木曾義仲との宇治川の戦いにおいても橋渡りの先陣の誉れに浴し、一の谷でも九郎義経に従い熊谷次郎直実と先陣を争った平山武者所季重。かくも華々しい戦績を残しながら、その子孫の系譜はほとんど語られることがありません。武蔵七党、日奉西党の平山氏のその後の系譜をご存知の方がいらっしゃいましたらお教えいただきたく存じます。よろしくお願いいたします。

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[1]平山名無しさんからのコメント(2005年07月23日 14時31分07秒 ) パスワード

平山在住です。
平山氏は戦国の世も生き残り、江戸時代には松本藩の旗本をしていたと聞いた事があります。現在平山に残る石碑にもそう刻まれています。また、平山城址公園駅の図書館前には平山氏館の址があり、そこにはやはり先祖のゆかりの地に嘆いた子孫の方が建立した石碑が建っています。今度詳しく見てきます。
[2]平山名無しさんからのコメント(2005年07月23日 14時58分35秒 ) パスワード

平山季重の墓(東京都旧跡)によれば、台石は季重25世の孫松本藩士平山季良が建てたと刻んであります。
[3]秋風ピューさんからのコメント(2005年07月24日 22時01分46秒 ) パスワード

>平山名無しさん。

平山武者所季重の25世の子孫が松本藩士ということは12世紀後半に平山武者所季重、あるいは其の子供あたりが源平の勲功などによって現在の長野県あたりに所領を拝領したということなのでしょうか?
1代を25年で計算すれば625年になり、平山武者所季重が活躍した年代を約1200年として考えれば1825年になります。これは文政8年ごろとなりシーボルト事件の数年前となります。まあ、細かく1825年に確定しなくても大体このあたりでしょう。
日野平山には平山武者所季重が地頭職として拝領した土地などが伝わっているでしょうか?
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年07月25日 00時28分18秒 ) パスワード

日野市観光協会のHPを御覧になれば「平山季重フェスタ開催中」なんてのが出てます。
こちらで情報が得られると良いですね。
[5]秋風ピューさんからのコメント(2005年07月26日 18時55分18秒 ) パスワード

ありがとうございます。
今週にでも早速行ってみようかと思います。
[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年07月26日 23時27分24秒 ) パスワード

秋風ピューさん

是非是非パンフレットでも入手し、サワリの部分をお知らせを。
たくさんの方が見に行かれますように。


ひょっとすると幕末の新選組の皆さんは平山系の武士の末裔かもですね。
江戸時代に名字を持っていたのですから
小島さんとか宮川さんとか土方さんとか
江戸時代前はそれなりの家で江戸時代にも名主でかなりの力を維持してたんでしょうね。

最近我が家の遠い親戚にも新選組に加わってたという人物が新聞に出てました。
[7]秋風ピューさんからのコメント(2005年07月29日 23時46分17秒 ) パスワード

暇潰しのギャンブラーさん

昨日早速日野市平山の平山季重フェスタへ行って参りました。
新宿より京王線に揺られること半時少し平山城址公園駅を降りたところに平山地区センター内にこじんまりとしたフェスタ会場がありました。
ちらりと覗いてみたところ日野市の職員らしき方と地域振興員らしい方の二人が雑談をしている他は客がいませんでした。
私が申し訳なさそうに入っていくと快く迎え入れてくれ、なにくれとなくパンフレットなどを手渡してくれました。(しかもなぜか2部づつ)
NHKの義経コーナーには松坂慶子さんが着たといわれる衣装が展示されげおりました。平山季重に関するパネル展示に関して説明してくださったのは、申し訳ありません、お名前を失念してしまいましたが、上記地域振興員のような方でした。この方は日野市の誇りである新撰組に関してのスペシャリストのような方で、私が平山季重のパネルにあった甑島小川氏系図に関して質問したときなどは質問に対する応答が巡り巡って新撰組の話題に落ち着いてしまうほど傾倒されているような方でした。
この続きは次回へ続きます。
[8]秋風ピューさんからのコメント(2005年07月30日 00時01分48秒 ) パスワード

日野市平山の平山季重フェスタの続き

フェスタ会場にあった甑島小川氏系図によると西党の平山季重の系譜は一般にネット上や図書館資料にあるような系図とは若干ことなっておりました。
それによると、まず普通の西党は日野氏族の裔ということでした。私は少なからず驚いてしまいました。だって図書館などで調べると必ずといっていいほど西党の平山氏は日奉氏族といわれているからです。このフェスタのパネルなども日奉西党という前提の基に作られているのに、甑島小川氏系図では日野氏族となっているのです。
それに、やはりどの文献にも平山季重の父親は平山(日奉)八郎直季となっているのに甑島小川氏系図での直季は、まったくの別系統でした。また季重の父親は上田三郎宗季の子で季綱となっておりました。
もし、平山季重に興味ある方はぜひとも平山季重フェスタへ行ってみるべきですね。この系譜を見るだけでも一見の価値ありです。

またまた、次回へ続く
[9]秋風ピューさんからのコメント(2005年07月30日 00時21分43秒 ) パスワード

日野市平山の平山季重フェスタの続き^2

その他、江戸時代の一勇斎国芳作の源平合戦一谷先陣争い図が展示してありました。これは江戸時代に刷られた木版画らしいのですが、現存していてしかも保存状態が素晴らしく良い状態でした。この版画の構図も面白くて、平山武者所季重と熊谷次郎直実、小次郎直家親子が一の谷西城戸へ攻撃を仕掛けた場面でした。平家方の越中次郎兵衛盛次、上総五郎兵衛尉忠光などが躍動感溢れる戦いを表現していました。
熊谷小次郎直家は騎馬にて、次郎直実は徒歩でした。
そして平山武者所季重は目糟毛に跨り、青い母衣、青い二引両の旗指しての平山季重一世一代の晴れ舞台という感じでした。

しつこいでしょうか?またまた続きます。
[10]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年07月30日 00時44分47秒 ) パスワード

秋風ピューさん

行かれてヤッパリ良かったですね〜
どんどん書いてくださいね。楽しみにしています。



[11]布袋竹さんからのコメント(2005年07月30日 21時18分54秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/

秋風ピューさん

スレッド7、8に懐かしい名前・というか、
小川・・・は私の実父の名前で、祖父は小川・、曽祖父も小川・・・、
ゆえあり、父は別の姓になりましたが・祖父までは、甑島出身です。

●小川は、本姓日奉「古代に日奉部が置かれ、太陽神を奉る。
●武蔵二宮一帯を領していた小川太郎季能は、武蔵野守日野宰相宗頼の子孫
恩賞で甑島地頭として、嫡男小川小太郎季直が下向した・と聞いております。
次男家はそのまま当地に留まり、父の従兄弟と叔母がここを訪ねて、家紋が
同じのと、長男は甑島に下向したと、伝えられ「書かれて」いるとのことでした。

昨日、私の掲示板に父の母方の親戚という方が、下のアドレスを見たと言って
私の掲示板にカキコして、世の中狭い、と同時に、驚いています。
http://www.minc.ne.jp/~hotei/tabuse.html

暇潰しのギャンブラーさん、ここの常連さん
ここは偶然というのが、多いですネ。
[12]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年07月31日 00時52分45秒 ) パスワード

布袋竹どの

やっぱり血で繋がっているんでしょうね。


ワタクシの幼稚園以来の親友も7・8で繋がりますから布袋竹どのとも繋がり
全くの他人のつもりが実は繋がっている。

偶然のつもりが必然なんですよね〜
[13]秋風ピューさんからのコメント(2005年09月09日 11時55分45秒 ) パスワード

日野市平山の平山季重フェスタの続き^3

書き込み遅くなりました。先日の日野市平山季重フェスタの帰り道に平山城址公園へ足を伸ばしてみました。平山城址公園駅の南側の丘陵地帯の中腹に宋印寺があり宗印寺の中には平山季重坐像がありました。小さな像で顔はぷっくりという感じでした。この像を見ていると源頼朝が「かおはふわふわとして稀有の任官なり」と評した意味が伝わってきます。
なんというか憎めない顔ですね。武者所として武勇に優れた平山季重は晩年剃髪して仏教に帰依したと伝わりますが、彼の晩年に何があったのでしょうか?
平山城址公園を散策して帰ってまいりましたが、本当に平山という土地は何か安らぎますね。穏やかな時間の流れとでも云いましょうか。

フェスタの後にいくつかの文献をあたってみたのですが、平山季重の子孫は日本の所々に散ったようですね。東京でも日野市平山以外に桧原村や福生市などにも平山季重の足跡が残っているそうです。
その他、千葉県多古町、栃木県那須、筑前福岡、対馬などに平山季重がらみがあるそうです。
これら、日本全国の平山季重について誰かご存知の方はおられますか?
[14]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年09月09日 12時17分03秒 ) パスワード

未確認ですが
噂では叔父との所領争いから法然に帰依した?


安田元久著「武蔵の武士団」は参考になるでしょうか?
[15]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年09月09日 12時24分42秒 ) パスワード

日野市立図書館に平山氏+平山季重公に関する書類がたくさんあるようですよ。
1度ネットで検索なさってみてください。
もうなさってたらごめんなさいね。

頬がぷっくりして福福しい印象ですね。
善人という感じ。
[16]平家蟹さんからのコメント(2006年02月12日 22時20分26秒 ) パスワード
URL=http://www.officebusters.com/

今、やっている歌舞伎座、二月大歌舞伎の昼の部の「一谷ふたば軍記」という作品に平山季重が登場しますよ!!
今日見て来ました!!(悪者の役になっておりましたが。。。)
[17]石橋義承さんからのコメント(2006年02月26日 15時54分33秒 ) パスワード

はじめまして、石橋と申します。
1505年から私の曽祖父の代まで千葉県香取郡におり、同郡中村(現多古町)の平山氏と何度か姻戚関係があった関係で、平山氏についても調べています。
秋風ビューさんが>>13で言っておられる多古町の平山氏です。

『千葉県香取郡誌』によりますと、季重から15世の季助以降下総に住み、伊能忠敬の実家神保氏と姻戚関係にあり、忠敬(婿養子ですね)の妻の母も平山氏、忠敬の偉業も平山氏の支援があった由。


>甑島小川氏系図では日野氏族となっているのです。
日野氏って日野富子とかで有名な、あの公家の日野氏ですか?
甑島小川氏系図はどこで見れるでしょうかねぇ。
フェスタの存在すら知りませんでした。行ってみたかったです。
[18]秋風ピューさんからのコメント(2006年03月10日 00時06分55秒 ) パスワード

ご無沙汰しておりました。
私なりに調べたのですが6世紀後半敏達天皇時代に武蔵国に設置され土豪と化していたそうです。その後、平安時代後半に京の都で発生した花山法皇への不敬事件で武蔵に流刑となった藤原宗頼を迎え入れて藤原貴族との姻戚関係を持つに至った。
この藤原宗頼が藤原真夏流の日野資朝の裔だということでしょうか?だから日奉氏でもあり、一面では日野氏と言われる所以でありましう。
日野富子が藤原真夏流かどうかは、ちょっと図りかねますが恐らく遠からずというところではないでしょうか。
甑島小川氏系図の現物はフェスタの時に現地で見たのが最初ですが、現物はどこでしょうねえ?ネット上ならあるでしょうけど・・・。国立国会図書館などにあるのでしょうか?
[19]布袋竹さんからのコメント(2006年03月10日 11時44分30秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/heike.html

福生市がネットに載せていた一部です。

市の名前の由来

■地名は文化財
 「福」という文字と「生」という文字を書いて「ふっさ」と読みますが、初見で読める方は残念ですがなかなかいません。難読地名の一つに数えられるわけです。・・・

■平安時代末期の福生村
 「福生」という文字が歴史に登場するのは、11世紀後半です。鹿児島県甑島(こしきじま)の旧家に伝わった小川氏系図(福生周辺の土豪であったが、鎌倉時代に地頭として甑島に領地を与えられて移住する)によれば、寛治元年(1087)に武士団・西党に属する平山宗末という人物が福生村を源義家から与えられ、その後、12世紀半ばの保元3年(1158)には子孫の平山季重が保元の乱の恩賞として再び福生村を与えられたことが記されています。
 このことから福生市域は、平安時代末期に西党(にしとう)平山氏によって開発が進められ、そして所有されていたことが想定されます。

系図の現物は分かりませんが、複製されたり、印刷されているものはいくつもあると思われます。フェスタで見たのは、開催者日野市にあるのでは?
[20]児島さんからのコメント(2006年08月11日 20時58分21秒 ) パスワード
URL=http://www9.ocn.ne.jp/~aysk535/index.html

平山季重の父親は平山(日奉)八郎直季とあるは、児島八郎盛宗で宗綱子息の養子
筑前福岡、対馬などに平山季重がらみがあるそうです。
平山李重ー本告季能櫛田宮の宮司職に補任されたのである


九州に転封した季能の子、小川季直は配下の武士団とともに
宝治元年(一二四七年)前後に甑島に入島し、文禄四年(一五九五年)に改易
武蔵野守日野宰相宗頼の子孫で武蔵野国二宮郷(現在の東京都秋川市)一帯を領していた小川太郎季能は、承久の乱において鎌倉方北条義時につき、宇治川の合戦などで武勲をたてた。小川季能はこの戦功により恩賞として肥後益城郡の七十町と薩摩国甑島の地頭職を授けられたといわれている。
九州に転封した季能の子、小川季直は配下の武士団とともに宝治元年(一二四七年)前後に甑島に入島

鹿児島県薩摩川内市里町里1684-2, 1221(承久3)年の承久の乱で功績をあげた
武将小川太郎季能の子、季直亀城跡
かんざきまちもとおり
神埼町本告牟田(莞牟田). 神埼町本告
牟田(鶴田). かんざきまちもとおりむたやまだ
本告氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/motooi.html
小野氏系図

成田成任ー成壽成南寺修行──家長藤次出羽守──
成田成任野三大夫ー成綱ー佐々木児島盛綱

小野成綱──佐々木盛綱 前下総守野五郎左衛門尉
小野成綱─兼綱 兵衛尉 号中條義勝法橋

成田成任ー成壽成南寺修行─家長藤次出羽守─家衡─時家─頼平─竹崎季長五郎

時資猪俣介三郎、野五郎武蔵大夫横山義隆三男─時範─忠兼野三貫首─清綱─清重人見三郎

http://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/data/keiz/yokoyama3.htm

系図
平貞季━正季━範季 ━ 季房 ━ 季宗 ━ 宗清 ━ 家清
[21]播磨屋さんからのコメント(2006年08月27日 10時34分00秒 ) パスワード
URL=http://www.harimaya.com/

平山武者所季重以後の平山氏の歴史について

このページは、以前から時折、読ませていただいていました。
平山氏に関しては、東京都立中央図書館の蔵書などで
家系図を中心にあれこれと調べていました。
これまで、調べたことをわたくしの運営するサイト
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/m_hirayama.html
にアップしてみました。
まだまだ、未完成なものですが平山氏の中世における歴史を
少しでも世の中に認知いただければと思っています。
ご意見、感想、お叱りなどをいただけたら嬉しく存じます。

平山氏の歴史に関しましては前記の中央図書館郷土資料室にある
桧原村史/檜原村史研究 などが大変参考になりました。
[22]秋風ピューさんからのコメント(2006年08月30日 22時43分53秒 ) パスワード

皆々様。
様々な情報ありがとうございます。非常に興味深く読ませていただきました。
播磨屋さまの家紋world、いつも拝見させていただいております。私が調べた情報として以下参照ください。
現在、千葉県多古町周辺の平山氏は播磨屋さんのページにもありました、平山長寿氏重と善九朗綱景の妹にあたる女子(鶴寿)が、氏重達の従兄弟にあたる季助の子(光義-青梅藤橋城主、季邦の兄弟ですね)との間に生まれた光高の系である。
平山光義と鶴寿は後北条氏が滅び行く時に戦乱を逃れて下総へ落ちていった。
この多古町平山氏の系が桓平族千葉氏との姻族となり後、幕臣となったと思われる。(^-^ 播磨屋さんの系図参照してください ^-^)
季徳___季隆___季助___季邦
   l       L光義
   L政重___ 氏重  l
      L 綱景  l___光高(千葉多古町)
      L 女子 (鶴寿)
因みに季助の子、季邦が信州松本へ移り松本藩士平山氏とも言われています。
この松本藩士平山氏が現在の日野市平山にある季重公居館跡の碑を建立した松本藩士と繋がるでしょう。



[23]平山雄一郎さんからのコメント(2007年02月02日 03時33分49秒 ) パスワード

このページは、まだ存在するんですか?

はじめまして、平山雄一郎と申します。

私の伯父が、平山家のルーツを調べていて、平山姓を名乗るモノが

伊能忠敬の妻になったと聞いたことがあります…。

家系図を見せてもらったのですが、当時は興味がなくてわからなかったのです

が、季重の話を語っていた記憶があります。

何か参考になることがあればと思って投稿させて頂きました。
[24]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月02日 14時10分04秒 ) パスワード

>伊能忠敬の妻

伊能忠敬は元は神保家の出で
若くして佐原のお金持ちの伊能家に婿に入って
ミチさんの後夫になったと記憶していますが

間宮林蔵の妻はアイヌだと聞いたので


ひょっとすると伊能忠敬は後添えを貰ったのでしょうか?
70代で亡くなってますから。
[25]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月02日 14時24分48秒 ) パスワード

http://www2s.biglobe.ne.jp/~auto/nenpu.html
に彼の婚姻の履歴が載っていました。

1783年 38歳で 妻ミチ死亡
1786年 41歳で 内縁の妻
1790年    (彼女は26歳で死亡)
    45歳で仙台藩医桑原家から妻を娶る
       (彼女は5年後死亡)
1798年 53歳で 内縁の妻


こんな記録が載ってました。
[26]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月02日 14時25分38秒 ) パスワード

25については不都合がありましたら削除致します。
ぺこり
[27]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2007年02月03日 03時10分30秒 ) パスワード

今日のニュースで伊能図の模写が147枚見つかったと言ってます。
明治10年頃、海軍が模写したもので
海上保安庁?で見つかったなんて言ってます。


不思議なご縁。
[28]秋風ピューさんからのコメント(2007年03月13日 22時32分38秒 ) パスワード

伊能忠敬は九十九里の小関家に生まれて、17歳のときに伊能家へと婿養子となりましたが伊能家へと入るにあたり、平山季忠の斡旋により一度は多古町の平山家の養子となってから伊能家へと婿養子となったそうです。
平山家と伊能忠敬との繋がりという観点に立てば、(おそらく多古町の)平山家は伊能忠敬のパトロンだったのでしょう。
忠敬の測量隊であった平山郡蔵、平山宗平なども居たそうです。
特に上記平山郡蔵は、パトロン平山季忠の孫にあたり平山季恭=郡蔵(下総国香取郡の人)といったそうです。

海保で伊能図が見つかったニュースは新聞で読みました。昔の海軍水理部にあったものでしょう。戦後に海保が海軍水理部の建物を使っていたために、今回のように「海保から発見」ということになったのでは・・・?
[29]秋風ピューさんからのコメント(2007年03月13日 22時36分30秒 ) パスワード

測量隊員のもう一人、平山宗平は上記平山郡蔵の弟だそうです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/mapsuv200/200nin/200nin.htm
[30]鈴木宣美(スズキヨシミ)さんからのコメント(2007年09月09日 21時41分22秒 ) パスワード

私の母方の先祖の中より、香取郡中村?の壷岡城主・平山季邦の孫、平山有盈なる人物に嫁いでる者がいる関係で平山一族のことを調べています。とりあえず家に、西氏より始まって、播磨屋さんが出されている平山氏系図の中の最後に記載の人物・季邦以降の系図をまとめてあるのですが…まだ解明されていない点も数多くあります…。また、東京日野市の京王線平山城址公園駅前にある季重公居館跡の碑には江戸時代の剣豪・平山行蔵の名前も見えることから、この平山行蔵もこの平山氏と何か関わり合いがあるのではないでしょうか。そしてさらに、幕末の幕臣・若年寄平山図書頭敬忠は行蔵の養子説もあることからこの人物の関わり合いの調査もポイントではないでしょうか?bigimpact.suzuki@docomo.ne.jp
[31]SJTさんからのコメント(2007年09月11日 12時45分17秒 ) パスワード

はじめまして。
いろいろな情報をありがたく読ませていただきました。
遠い遠い親戚にあたるかたがたも書き込みしてくださっているようで、嬉しくなります。

わたしの母方は、松本藩士だった平山家の子孫の家です。このため、松本平山家に関する情報を、昔から収集していました。

・松本での平山屋敷は、松本市開智3丁目、今の開智学校の近く、丸の内病院の駐車場にありました。例のサリン事件の現場の前にあたります。
・松本城内の戊辰戦争出兵に関する碑に、交際方平山杢佐衛門の名前がある(らしい。わたしは未見)
・松本平山家の墓所は松本市蟻ヶ崎4丁目の正燐寺にあります。一昨年にわたしが墓参りした時には、ちょっと藪に埋もれてたので掃除してきました(~_~;)
・松本平山家に繋がる者として、江戸時代初期の僧、観智国師存応がいます。ネット上にも情報は多いですが・・・八王子市由木(平山城址公園すぐ近く)生まれで、もとも江戸の小さな寺「増上寺」の住職でしたが、徳川家康の江戸入府の行列で偶然から家康と知己となり、その後家康は日参して仏の教えを乞うようになったと伝えられます。その後も家康の信任篤く、増上寺は江戸一の大寺として移転され、家康の葬儀での導師も務めました。朝廷からも「国師」の号を賜り、当時の浄土宗では重きをなしていたようです。
・観智国師存応は増上寺の管長を退いた後、台東区蔵前3の正覚寺、通称、榧(かや)寺を開きました。徳川家との縁で、かや寺正面には三つ葉葵の紋が掲げられ、東京転居後の松本平山家の墓所もここにあります。
・第五代松本市長平山泰も松本平山家から出ています。松本市長以前には、台湾の台北県知事、高雄県知事も務めていました。
・そのほかの松本平山家につながる者として、平山毅(東北大学工学部第三代学部長)、平山雄(元国立がんセンター疫学部長。世界で初めて「受動喫煙の害」を明らかにする)がいます。

[32]SJTさんからのコメント(2007年09月11日 12時57分11秒 ) パスワード

続けての書き込み失礼いたします。

ご参考情報ですが、日野市立図書館の郷土資料セクションには、平山季重関連の資料が豊富にあります。

それからまったくの余談ですみませんが、わたくし現在は地理学の研究者をしています。なぜ?か赤ちゃんの頃は絵本よりも地図が好きで、それが高じて今では地理学の研究者になりました。
一昨年に初めて、母方実家の平山家に、伊能忠敬が遠くつながっていることに気づきました。小さい頃から幾度となく眺めた伊能図が、平山一族のさまざまな努力を経て作られたことを知り、不思議な縁を感じてます。


最後に一つすみません、どなたかご存知でしたら教えてください。

平山季重は平治の乱に敗れて都を脱出する源義朝に付き従っていたそうですが、その後、季重はどこまで義朝に同行していたのか分からずにいます。
自分は史跡めぐりが趣味なので、大垣市青墓の源朝長の墓や、知多の義朝の墓なども訪ねたのですが、季重もここまで来ていたのかな?と気になって仕方ありません。
どなたかご存知でしたらご教授お願いいたします。
[34]鈴木宣美(スズキヨシミ)さんからのコメント(2007年09月12日 11時16分29秒 ) パスワード

石橋様はじめまして。多古町の平山氏についてご教示下さいますとありがたく存じます。ちなみに、東京都あきるの市(旧五日市町)高尾・東京都日の出町平井・青森県五所川原市[弘前藩広田組代官所手代]・埼玉県江南町[深谷上杉氏家臣]・千葉県匝瑳市飯高・茨城県瓜連町にも平山氏の流れがあるようです。
bigimpuct@gmail.com
[35]スズキヨシミさんからのコメント(2007年09月12日 13時44分04秒 ) パスワード

江戸時代の剣豪・平山行蔵、また、幕末の若年寄・平山図書頭敬忠(省斎)は西党平山氏と関係があるのでしょうか? どなたかおわかりになる方、ご教示下さい。
bigimpuct@gmail.com
[36]SJTさんからのコメント(2007年09月12日 20時02分00秒 ) パスワード

こんにちは。

青森県五所川原市には、国の重文の平山家住宅が保存公開されてます。市の歴史民俗資料館に隣接してます。わたしは昨年訪ねましたが、立派なものでした。
時間がなくて当地の図書館などで調べものはできず、こちらの平山家が西党平山氏と関係があるのかは分かりませんでした。文献等でもまだわたしは確認したことはありません。この点ご存知でしょうか?

埼玉県江南町の熊谷大橋近くにも、こちらも国の重文の平山家住宅があります。こらちは、1590年の深谷城落城後、深谷上杉の家臣平山豊後守が土着し、その後名主を世襲したとのことです(山川出版社 新全国歴史散歩シリーズ:埼玉県の歴史散歩p29)。こちらはまだ訪ねたことはありません。

蛇足ですが、瀬戸内の瀬戸田の町にある平山郁夫美術館で、氏のおいたちに関する解説も見てきましたが、ご家族は瀬戸内で過ごしてきたようで、西党平山
氏との関係があるとは書いてありませんでした。こちらは関係ないのかな・・・?
[37]スズキヨシミさんからのコメント(2007年09月13日 11時38分19秒 ) パスワード

SJTさん、こんにちは。先日メールをお送りしましたが、ご覧になられましたでしょうか? まだのようでしたら一度、ご覧になってご連絡下さい。ところで、青森県五所川原市の平山家は平山季重の末裔です。このことは、日本家系協会発行の「平山一族」(電話で注文しないと購入できない)という本で確認できます。祖は平山兵部良信(長慶天皇の近侍)だと記述されています。ちなみに、あの平山郁夫氏は無関係のようです。
[38]スズキヨシミさんからのコメント(2007年09月13日 13時26分15秒 ) パスワード

SJTさん、続けて書き込みます。母方の先祖と平山氏の関わり合いをご紹介いたします。 平山季邦(下総壷岡城主・季重より十八代目の子孫)−季家−
季光(長男。それ以外の兄弟で次男から順に、有盈・友則・有純・日寛・満房・日然)。有盈(丸右衛門・清蔵。妻は日色玄蕃の娘。婚姻後、法需院と号した。日色玄蕃が母方の先祖)−有恒(半兵衛・丸右衛門。妻は斉藤隼人の娘)−有明(長男。吉兵衛・三十九歳の時法師。寛保元年一月二日、六十二歳の時没「恵正」)。有宗(有恒次男。吉兵衛・平重郎。妻は司小左衛門の娘・マツ)−有房−若松−子孫有。市兵衛(有恒の三男。亀之助。二十八歳の時法師・宝暦五年五月五日、六十一歳又は六十二歳の時没「是相」)。つまり、

平山季邦−季家−有盈−有恒−有宗−有房−若松−となります。従って、これ以降の系譜で何かご存知の方、あるいはご子孫の方連絡お待ちしております。
[39]スズキヨシミさんからのコメント(2007年09月15日 10時29分43秒 ) パスワード

ところで、日本には○○一族会といった団体が沢山存在しますが、その一団体として、平山季重の末裔(季重以降の系統の平山諸氏との姻戚関係における外戚の末裔で西党平山一族へ深く関心がある者も認める)の方々で構成する「全国平山季重会」といった団体を結成できればと思うのですがいかがでしょうか? 私はまだ若年の身であるため、これに賛同の方で、幹事・会長・副会長・事務局長をお引き受けくださる方是非ご連絡下さい。ちょっと難しいかな?
[40]SJTさんからのコメント(2007年09月20日 12時37分49秒 ) パスワード

こんにちは。

しばらく調査に出ておりましたので、お返事が遅くなりました。

青森県五所川原市の平山家も一族なのですか! 知りませんでした。けっこうあちこちに子孫はちらばっているのですね。

そういえば、平山一族が千葉や松本に散っていった時に、栃木県の那須地方にも向かった系統もあるそうなのですが、ついでがあったので一度行ってみました。
特に地元図書館などで何かを調査したというわけでもないのですが、そこここ「平山」さんがいるので、なんか面白かったです。もしも、役場で「平山さん!」とか大声出そうものなら、職員の半分くらいがこちらを振り向くのでは??なんて思ったりしました。そういえば関係ないかもですが、タレントの平山あやさんも那須出身と言ってましたね。。。

日本家系協会の「平山一族」という文献、初めて聞きました。貴重な情報をありがとうございます


[41]SJTさんからのコメント(2007年09月20日 12時57分14秒 ) パスワード

「全国平山季重会」! いいですね。

別に平山季重うんぬんに関わらず、一般的な話として、先祖(そんな古い時代の人でなくても自分の親、祖父母などからも含めて)のことを子孫が知るということは、非常に良いことだと思っています。
極論的なたとえかもしれませんが、たとえば形式的な墓参りや法事なんかをするよりも、先祖をよく知り顕彰することのほうがよっぽど先祖孝行親孝行であると個人的には思うし、学術的にも価値のあることだと思っています。

各地の子孫の方たちなら、まだ世の知られていない(文献上などにも未登場の)話を知っている場合も多いでしょう。地元の歴史史家の中でも、すぐれた情報収集能力や知識をお持ちの方も多々いるもんだと、常日頃思っています。そのような方たちの知識や情報を、体系的に収集、発表、整理、検証する場があるというのは非常に意義があるように思います。私自身も大学の研究者としての知識経験を還元できそうな機会である気がします。

私自身、いろいろな団体のお役目を拝命してたり、研究調査で頻繁に旅に出ていたりとなかなか余裕がないので、今のところ率先して音頭をとって、何かをバリバリとできるわけではないのですが、できる範囲で協力できたらと思います。

この掲示板も最初に立てられてから時間が経っているので、現在どれほどの方が訪れているか分からないですが、、、まず最初の目標として、賛同者をもう少し募っていきたいですね。
[42]スズキヨシミさんからのコメント(2008年01月09日 13時00分07秒 ) パスワード

慶応生まれ・幕臣平山家出身の天文学者・平山信は、西党平山季重の子孫なのでしょうか? ご存知の方がいましたらご教示お願いします。
bigimpuct@gmail.com
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