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 投稿番号:100771 投稿日:2005年04月26日 22時09分57秒  パスワード
 お名前:源六位
系譜の信憑性

コメントの種類 :質問  パスワード

基本的な質問で申し訳ありません。我が家は代々朝廷に
使えた家で(堂上家ではありません。源姓。)、公に
残る資料では源姓となっております。また、朝廷ゆかりの品が
我が家に伝わっております。
 ただ、天災により明治初期に系図の原本を紛失してしまったそうで、
調べることができません。
 他の誰かが複写したというものは残っているそうですが、信憑性が
欠けるような気がします。
 日本における系譜の信憑性は低いと、専門家の方から聞いたことがあります。
 我が家の系譜を辿る有効な方法はないでしょうか?

[1]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年04月27日 20時41分22秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

大きな図書館などで三上景文編「地下家伝」の閲覧をお勧めします。
天保期までの京都官人(四位以下)の系譜がわかります。
また近藤敏喬編「宮廷公家系図集覧」でも略系が得られます。
 
また系譜の信憑性については「日本の苗字七千傑」Q&A
http://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/q&a2.htm#012
http://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/q&a2.htm#015
http://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/q&a2.htm#016
http://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/q&a2.htm#019
http://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/q&a3.htm#030
などを参照下さい。



[2]源六位さんからのコメント(2005年04月27日 23時53分01秒 ) パスワード

>日本の苗字七千傑さん

早速のお返事ありがとうございます。あまり詳しくは
書けないのですが、我が家は明治に至るまでは朝廷内である役を
勤めておりましたが、住んでいたのは京ではなく河内の某地でした。

その地は某堂上家の所領で、いつのころからか我が家が
そこに居住しておりました。朝廷での役を勤める都度、京へ
赴いていたそうです。

苗字はここでは書けませんが、公の資料や太田氏の著書、家に伝わる
朝廷から賜った品等によりある程度は判明した次第です。
教えてくださった資料にあたってみたいと思います。

系譜を辿る場合、堂上家のように明らかに信頼しうるものでない限り、
安易に結論を出すべきでないと私は思いますので、慎重に調べて行こうと
思います。

一般的に系譜を辿る場合、人々は確固たる根拠なしに自家の出自が
源平藤橘の貴顕の者であるという、安易な結論を出しがちであることから、
私は否定的な目を持って判断していきたいと思います。 
[3]源六位さんからのコメント(2005年04月29日 01時06分40秒 ) パスワード

色々と調べたところ、家に伝わるもので朝廷より拝領した
菊の紋入りの輿が、戦中まであったということが判明しました。
どの程度の価値があるかはわかりません。

また、江戸期に建てられた家屋が残っていますが、これらから家格が
わかったりするものでしょうか?日本家屋のことは詳しくはないですが、
釘隠し、瓦葺の門(随心院にある九条家の門より一回り程小さいもの)、
瓦葺の屋根等を備えたもので、また屋根や門の瓦は家紋入りです。

こういったことに詳しい方がいらっしゃれば教えてください。よろしく
お願いいたします。
[4]藤原さんからのコメント(2005年05月04日 22時50分21秒 ) パスワード

釘隠しや立派な門、家紋付の瓦葺の屋根を備えているというところを
見ると、結構な格式を誇った家だとおもいます。
地方の土豪については、平安期であっても系譜の仮冒が
多く見られます(とりわけ平姓)が、公家の場合は系譜の信憑性が
高いと思われます。
宮廷公家系図集覧は参考になると思います。宮廷でどのような役に
ついておられたのですか?時の天皇から拝領したとおっしゃられた
輿はどのようなものでしょうか?ほかに伝わる朝廷ゆかりの品にも
興味をそそられます。
堂上家ではないとのことで、いずれかの源氏の系統の支流の可能性が
高いと思われます。
[5]源六位さんからのコメント(2005年05月17日 00時58分19秒 ) パスワード

>藤原さん

 コメントありがとうございます。私は普段は仕事に追われてまして、
なかなか調査に時間を割く事ができません。
 プライバシーの問題もあり、どのような役についていたかは
申上げかねますが、輿について少し述べたいと思います。
 輿は葬儀用の輿で、菊の紋が入った総漆塗りのものです。
江戸時代以前は即位式にも出席していたようです。
 あと、祖先が祭られた神社が奈良にあるそうです。いかんせん、
詳しく知っていた祖父が私の幼いころに他界したため、資料により
調べて行くほかありません。
 話は変わりますが、鎌倉期の荘官について詳しい方いらっしゃいませんか?

[6]さんからのコメント(2005年06月17日 21時04分51秒 ) パスワード

荘官は、荘園領主である宮廷貴族から、所領の管理を任され、現地へ
派遣された者です。
朝廷から賜った輿ですか、珍しいですね。天皇家と縁が深い家柄
だったと思われます。
[7]源六位さんからのコメント(2005年07月02日 01時58分29秒 ) パスワード

久しぶりにここにきました。
 その後調べたところ、村上源氏の傍流であることがわかりました。
ところで最近、清和源氏や桓武平氏について興味深い見解
をされている方がいらっしゃいました。
 桓武平氏流の氏族は公家として残った諸氏以外は系譜に信憑性が
全くないとか、清和源氏は満仲と基経がつながらないとか。
 まあ、昔は名乗ったが勝ちのようなところがあったのかもしれません
が、そういう見方もあるのかと感心させられます。
 
[8]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年07月02日 22時14分03秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

源六位さんへ
 
いまだに星野博士の陽成源氏説が多い様ですね。
異なった見方として下記URLがお勧めです。

http://shushen.hp.infoseek.co.jp/hitori/yorinobu1.htm
http://www.geocities.jp/akasakatsuneaki/seiwa/seiwa.html
 
百歩譲って「頼信告文」が偽物で無いとしても、
それは河内石川庄の伝領(相続)順序が、
貞純親王−陽成上皇−元平親王−源経基−源満仲−源頼信
となっているからに過ぎないのです。
貞純親王を除けば「頼信告文」と同じになりますね!
[9]小林雅成さんからのコメント(2005年07月06日 23時49分44秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

源六位様

Sさんから源氏のレスがつきまして平家のレスが無い様なので
小生がコメントさせていただきますと、
日本家系図学会機関誌『旅とルーツ』第74号記載の佐川英一氏の論考
「坂東武士団の出自と偽系図に関する一考察」が参考になると思います。
主に坂東平氏のルーツについての考察です。対外的には桓武平氏族で
ひとくくりにし、個別に平家同士で集まったら、あんたのとこちゃうねんと
うんちく垂れるのに最適かと。書店にはありませんので、日本家系図学会事務局(東京都大田区)に在庫を問い合わせてみてください。

大阪よみうり文化センター
家紋講座 講師
小林雅成
[10]源六位さんからのコメント(2005年07月10日 23時14分46秒 ) パスワード

>日本の苗字七千傑さん
 
 間違えました、経基でした。私が読んだ書物における見解では、満仲は
経基よりも年長者で、陽成源氏とするにも辻褄が合わないとの事でした。
 満仲は皇孫にしては他の源氏よりも低い地位におり、また発祥地の摂津の
多田が、製鉄が盛んな地であったことから、製鉄を仕切る多田の土豪が清和
源氏となったという見解でした。


>小林雅成

 坂東平氏の出自は、坂東一帯の国造が平氏を名乗ったものであるという
見解が多いように思われます。平氏末裔を名乗る諸氏の由来は、平家物語
の地方への伝播に依っているものが多いという意見が大半ですね。


 
 私が系譜について興味をもったのはごく最近で、まだまだ浅知恵しかありません。なかなか研究に割く時間も取れず、人の意見を参考にする程度です。
皆様、今後ともご鞭撻の程よろしくお願い致します。


[11]源六位さんからのコメント(2005年07月10日 23時16分31秒 ) パスワード

>小林雅成さん

申し訳ありません、敬称が抜けておりました。
[12]源六位さんからのコメント(2005年07月23日 02時41分23秒 ) パスワード

スレッド本来の趣旨に基づいて質問します。

父方祖母の実家は江戸期に奈良で代官をしておりました。
言い伝えによると橘姓で、楠正成に橘姓を名乗ることを許したと、、、
家紋は橘、家宝は備前長船長光で、代々生駒辺りにおりました。
このような家伝は、系譜仮冒によくある話のように思われますが、、、

また、母方祖父の系統は中世期に摂津の某所にて荘官を務めていたようですが、
苗字と家紋(九枚笹)等から宇多源氏であるといわれています。
しかし、あまり資料等が残っておらず、わずかに市史に荘官であったことが
記されているのみ。このような場合、系譜を辿る方法はあるんでしょうか?
ちなみに苗字は佐々木ではなく、宇多天皇の孫とされている者と同じ
苗字です。

そして、母方祖母の系統は、江戸期に某藩にて町奉行を務めており、
家紋は木瓜花菱で、公には藤原氏であると言われています。
藤原系に木瓜花菱の一族っていました?苗字は多摩にて帰農した
武田氏家臣団の長と同じです。

日本における系譜は、9割以上が仮冒と聞かされており、いまひとつ
疑問が残ります。

[13]源六位さんからのコメント(2005年07月27日 22時53分15秒 ) パスワード

 日本の苗字七千傑さんのサイトにて掲載されていた、宇多源氏の
系図にて、母方祖父の系譜のヒントが得られました。佐々木定綱の子、
佐々木時綱を祖とする氏族でした。
 佐々木氏というと宇多源氏というより、古代の沙々貴山氏を祖とする
との考えが一般的ですが、佐々木時綱を祖とするということは沙々貴山氏
と考えた方がよいですね。
[14]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年07月28日 02時17分52秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

源六位さんへ
近江国蒲生郡沙々貴神社の祭神は大彦命、少彦命、仁徳天皇、宇多天皇、敦実親王である。
祭神は佐々木氏族の先祖を暗示している。
ササキは仁徳天皇の御名代部である雀部(サザキべ)に由来するものと思われ、近江国蒲生郡は雀部朝臣、雀部臣、佐々貴山公、佐々貴山君などの本貫地である。
平安中期に宇多源氏流の佐々木氏が佐々木庄の下司と佐々木(沙々貴)神社の神主を兼務するあたりから、佐々貴山氏が衰えて佐々木氏が蒲生郡に次第に繁衍する。
蒲生郡に共住した佐々貴山氏と佐々木氏の関係は不明だが、多くの地方豪族の祖が中央から下向した貴族の庶子を婿養子にして源平藤橘に改姓した様に、佐々木氏の多くも古代の雀部氏や佐々貴山氏の末裔であることも真実である。
佐々木氏の全てが佐々木成頼の末裔と考えるのはナンセンスであるが、佐々木神社神主や鎌倉守護に系譜を持つ様な由緒正しい佐々木氏の末裔であれば宇多源氏と考えて良さそうである。
[15]DBさんからのコメント(2005年07月28日 09時31分37秒 ) パスワード

源六位さん

このスレッドは今後どう平家物語と関係してくるのですか?

[16]源六位さんからのコメント(2005年07月31日 21時43分28秒 ) パスワード

>日本の苗字七千傑さん
 なるほど、佐々木時綱から始まる氏族であれば、佐々貴山氏等ではなく宇多源氏と考えられますね。ありがとうございます。
 佐々木や渡辺、佐藤といった、貴姓を祖とすると一般的に考えられている
苗字が何故あんなにも広まったのかと不思議に思っていましたが、古代の部族の改姓が原因の一つと考えられるんですね。渡辺党にしても、党員すべてが嵯峨源氏と血縁のあるものでは無いとの考えが一般的ですし。
 苗字の広がりとして、領主が領民に自己の苗字を与えたことによる広がりも
あるでしょう。難しいですね。

>DBさん
てっきりこの板は平家物語のみならず系譜全般のものだと思ってました。
今後、気をつけます。
[17]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年07月31日 22時28分55秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

平家物語とは、桓武平氏の平正盛から出た六波羅家を中核とした源平藤橘を問わず、傘下に属して協力した諸家の物語である。
佐々木氏にしても、義清は平家方、高綱は源氏方に付き同族同士が戦っている。
源平時代の公家、武家にルーツを持つ諸氏の多くが平家物語に登場しているわけである。
[18]DBさんからのコメント(2005年08月01日 10時12分50秒 ) パスワード

普通に行間を読むと、

1、地下人出自である自身(源六位さん)の系譜の信憑性は極めて高い
2、一方、堂上家を除く桓武平氏の系譜はそのほとんどが仮冒

源六位さんは暗にこの2点を主張しているのみで、[17]のような意識は平家物語に対して皆無では?

確かに2では、平家に関係していますね。

おせっかい失礼しました。




[19]小林雅成さんからのコメント(2005年08月01日 23時15分11秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

DBさんへ

天皇が、地名は二文字にして(そこから名字を起こして二文字を名乗れという暗示)日本に同化せよと法令を発布したにもかかわらず、平安時代になってもひたすら渡来してきた当時の習俗・文化をかたくなに保持し、一文字姓である源・平を名乗り続けた渡来人の集団がみなもと、たいらという武家軍団なのです。
 私は、平家しかかきませんでしたが、勿論源氏にも仮冒はありますよ、Sさんご指摘のメジャーなのでなくてマイナーなのでも、、。あんましいうと系図がうれなくなったり、アクセスが減ったりするのでクレームでるから書かないだけです。
 嵯峨天皇の御言葉の裏をかけば、【源】とは、中国の北魏王朝を打ち立てた王族である【鮮卑】であり、さらにそれはもともと鮮卑山に陣取っていた【東胡種族】の分派であり、それが朝鮮半島に南下して打ちたてたのが【新羅】であります、ちょうせん、ハングルでチョソン(朝鮮)というのは、朝早く起きて新鮮な野菜を食べるって言う意味とちゃいまして、鮮卑族の王朝とみなすのが自然で納得できるのとちゃいますやろか?
 それが海を渡って日本にきたら新羅神社でわざわざ元服しちゃう新羅三郎義光だったりと、、。朝鮮半島では百済を滅ぼし、日本に来ては、百済王族の血を引く平氏を滅ぼすという、歴史は繰り返すのそのまんまやんけ(^^;)源氏って兄弟なのに元服する神社が皆ちゃいますね。
まあ、人文科学的にあーだ、こーだいってもみずかけ・けなしあい的になるから、みんなで、自分の血液とってDNA検査結果をもちよって『あー、あなたのアミノ酸配列は、、。』とか『あなたの免疫グロブリンは、、。』とかいったほうが白黒つくからええんちゃうかな(^^;)『歴史読本』で特集せーへんかな、日本の名族の免疫グロブリンが明かされる!とかいう臨時増刊でねーかなぁ(^^)

ところで、DBさんって名字は安居院さんとか?

さて、うさんくさいというイメージを抱かれた桓武平氏なのですが、個々に検討するとこれってもしかして秦?というパースペクティブでいうと、もしかして♪もしかして♪の世界なんですよ(これもヤバイから書きませんけど(^^;)
さーて、秦熱スレッドへレッツ・ゴー♪

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家紋講座 講師
小林雅成
[20]源六位さんからのコメント(2005年08月02日 00時15分36秒 ) パスワード

>DBさん
 そのようなつもりで書き込んだつもりでは無いのですが、不快に
感じられたのならば申し訳ありませんでした。
 私は地下官人のみならず、下級の堂上家の出自も信憑性は確実
では無いと考えています。
 なにせ、系譜というのは主観の入るものですから、今となっては
真偽を問うのは極めて困難でしょう。



>小林雅成さん
 あまりに系譜について真実を書くと、協力者が得られなくなる
とは研究者の間でよく言われることですね。 
 とんでもない持論ですが、応仁の乱は清和源氏の出自に関する真実を
この世から抹殺するために、清和源氏が起こした乱ではないかと思います。
 なぜなら、京都には日の目を見ない多くの歴史、系譜に関する書物が
あり、その中に清和源氏の真のルーツが記されたものがあったのではと。
 清和源氏が政権を掌握し続けるのに、その出自が皇統につながるものでは
ないとしたら、それはマズイと。まあ、戯言です。
 
[21]DBさんからのコメント(2005年08月02日 02時22分30秒 ) パスワード

小林雅成さん

 上記お話は「秦熱の中でのみ」とのお約束が、『平家物語を熱く語る』ではあるとばかり思っていました。(小林さんはこの方面は既に詳細に解明されているのですね。)


 よくよく考えると、仮冒とは、2種類の意味があるように思えます。

 1つは、現行の史学会で説かれている桓武平氏とは正確な平氏の出自を誤認している、隠蔽しているという意味での仮冒。つまり本来の平氏の出自を正しく捉え得ていないという意味での仮冒。

 2つめは、本来は「桓武平氏」とは何ら関係がないのに、自らの家を飾るために後世、自らの家の出自を「桓武平氏」に偽って繋げているという意味での仮冒。

 2つめは明らかに(箇々の家の)偽りという意味での仮冒ですが、1つめは国家体制が長い年月をかけて形成してきた仮冒、これは仮冒とはいわないのでは?とも感じますが如何でしょう。


 大切なことは、その家が代々「自家は平氏出自である」との伝承を伝えてきているなら、その「平氏出自である」という事で後世の子孫に何を伝えたかったのか、ということではないでしょうか。

 『平家物語を熱く語る』をロムしていますと、中には伝承の域を出ないのではとも思えるものも含め、極めて多くの平家・平氏(落人)の伝承が語られています。

 そうした投稿には1つ1つ、管理人さんが先祖探究への道筋を丁寧に導いておられる。

 あらためて言うことではないかもしれませんが、それぞれの家の系譜とはきわめてデリケートなものであり、先祖代々伝え続けてきたこと、その中には現行の学術的、系譜学的真偽では切り捨て得ない「大切なこと」が含まれている可能性も大いにあるのではないかと、個人的には感じています。   

 それに対し、全てをひとまとめにして「桓武平氏の系譜はそのほとんどが仮冒である」との言説はあまりにも暴力的なようにも感じ、つい上記のようなコメントを発しました。

 こちらから源六位さんへの誤解もあったようです。その点に関しては誠に申し訳ございませんでした。
[22]小林雅成さんからのコメント(2005年08月02日 20時26分01秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

源六位様

>あまりに系譜について真実を書くと、協力者が得られなくなる
そうです。銅鐸や戦国時代の城の構造の研究なら差し障り無いです(^^;)系譜については、なんぴとについても大なり小なり当てはまりますので、センセーショナルなデビューを飾るには方法論としてあるかなとも思いますが、ある程度知名度が出てきた段階で仮冒だ隠蔽だと人の嫌がることいってもメリットゼロです。最近つくづく感じます。ですから、源平藤橘のどれにも分類できない辞書にも無いについてはホントのことをひっそり教えるようにしてます。

>応仁の乱は清和源氏の出自に関する真実をこの世から抹殺するため
結局、足利氏が新田氏を叩いて政権とってはみたものの、『あれは傍流から出た』となめてかかった氏族が多かったから乱が起こったのだと、私はそのように解釈しております。

>その出自が皇統につながるものではないとしたら、それはマズイと。
天皇家の血は流れていると思いますが、嵯峨天皇のお子様の例ですと《臣籍降下》は母方の血統で優先順位を付けているようですので、皇族に残れなかったのは、比較優位に立てなかったのではと(^^;)天皇の寵愛を受けて産まれたが、かあさんの出所がぱっとしなかったと。で、家臣になってしまう。
[23]小林雅成さんからのコメント(2005年08月02日 20時55分32秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

DB様

>2つめは明らかに(箇々の家の)偽りという意味での仮冒
仮冒であっても、後の世に桓武平氏の家と親戚関係になり、既に血が入っている家がある。これなどは血液検査してもわからない、と思う(^^;)

>1つめは国家体制が長い年月をかけて形成してきた仮冒
共同幻想と申しますか、共同主観と申しますか、既に存在するかたちで所与。これはもう、日本にいる限り流れに逆らわないほうが得策と。

>「平氏出自である」という事で後世の子孫に何を伝えたかったのか
ご指摘の通り。色彩尊重でいう、赤色尊重。赤、緋、朱、茜、丹、紅が源平時代の赤白2分法により、平家方に分類して伝承を残したと、、。水軍関連とあとは百済系統の家。

中国共産党のえらい人に・小【平】(とうしょうへい)氏がおられました。過去形ですけど。この人に聞けばなにかわかるかも。源氏については、出自があきらかなのですが、平にいたっては、中国の姓氏辞書でさえなんらかの隠蔽を感じます。学会の重鎮、丹羽基二先生が平は大工道具の【かんな】だと漢字の形成的解釈をしてはりますが、問題は伝説上の皇帝でさえ、姓がわかる中国で、なぜ平という姓については、ルーツが示されてないのだ!現在でも平さんという中国の名字はあります。

>中には伝承の域を出ないのではとも思えるもの
なんでこんな伝承なんやろという疑問とその裏を読み解くのが肝要です。
その大切なものが、頭ごなしににせもんや、あかんあかん仮冒やといってしまうとその先が無いわけです。
 けなし合いというのは、日本人の祖先は何世代にもわたりやってきていることですので、そろそろやめにして、真実を照射する意気込みをこの掲示板から発することができたらええなぁ、と。
[24]源六位さんからのコメント(2005年08月10日 01時34分26秒 ) パスワード

>小林雅成さん

別スレで家紋コンサルタントと仰っていましたが、
題から外れるものかもしれませんが、質問よろしいですか?

ある方の著書に家紋の起源は平安時代の牛車の紋様から
始まり、最初にできた家紋の一つが桜紋であると書いてありました。

どうでしょうか?





[25]小林雅成さんからのコメント(2005年08月10日 21時49分10秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

源六位様

>小林雅成さん
わての名前に引用マークつけんといてや〜(^^;)

>ある方の著書に家紋の起源は平安時代の牛車の紋様から
>始まり、最初にできた家紋の一つが桜紋であると書いてありました。
秋に学会がありまして、もしその著者が、その学会に所属していると変にコメントしたのがバイアスかかってつたわっては困るので、出典を明示してもろうてからレスしますさかい、よろしゅうお願いいたします。どの本?誰が書いてはる?



どうでしょうか?
[26]源六位さんからのコメント(2005年08月15日 11時00分53秒 ) パスワード

>小林雅成様

返事遅れて申し訳ありません、丹羽基二氏の家紋
という本です。実業之日本社から出版されています。
[27]小林雅成さんからのコメント(2005年08月18日 22時45分12秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

ユダヤの聖なる数6がお好きな源様へ

家系研究協議会創立25周年記念大会が来月10日にありまして、
http://www.geocities.jp/kakenkyou/kinenannai.html

小生は、出席します。よって、姓氏研究の重鎮たる丹羽基二先生の著書
に関するこの時期のコメントは諸般の事情に鑑み差し控えさせていただきます。



[28]源六位さんからのコメント(2005年08月21日 23時10分24秒 ) パスワード

小林先生

そういえばユダヤの星は6ですね。丹羽先生は重鎮でしたか、残念。
最近、色々な系譜を見てますが、清和源氏の広がりよう、異様なほど
ですね・・・
系譜仮冒があるとしても、それにしても多いですね。
他にも秀郷流や佐々木氏流が大拡散ですね。
いやはや不思議です。

系譜仮冒をすべて抜きにして、真の日本の姿を知りたいと
思う今日この頃です。やはり日本は現在に至るまで中央集権的
なんですねー

[29]小林雅成さんからのコメント(2005年08月21日 23時28分18秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

源六位様

丹羽先生は、重鎮よ。ベストセラー作家だから、マスコミもあの方だけ別格扱いだし(ギャラの面で)

秋に日本家系図学会の総会があるけど、出てみればわかりますよ。

家系研究協議会にも家系図学会にも両方に所属している会員もいるから、
表立ってはタブーやとおもいますよ。

家系研究協議会創立25周年記念大会が来月10日にありまして、
http://www.geocities.jp/kakenkyou/kinenannai.html

小生は、来賓席にいる腹の出た中年の髪が薄そうやなおっさんですから、
みればおわかりになるでしょう。最近、冗談抜きで、リーブ21とかアデランスが近いとヒシヒシ感じてますねん。
気難しい顔をしているかもしれませんね(^^)
[30]源六位さんからのコメント(2005年08月26日 02時42分13秒 ) パスワード

小林雅成先生

そうなんですかー、禁忌なんですね。9月10日の総会は
森之宮であるんですね。時間があれば是非参加させていただきます。

別のスレで拝見させて頂きましたが、真実を知る者ほど寡黙になるん
ですね。真実は知らぬほうが、また語らぬほうが良いということですね!
それはそれで残念な気がしますが・・・

まあ、私の場合、要らぬ事を語って叩かれてもさほど人生に影響は無いとは
思いますが。





[31]小林雅成さんからのコメント(2005年08月26日 03時47分04秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

源六位様

>9月10日の総会は森之宮であるんですね。
第1部は無料、第2部は有料です。第2部おそらく私は名刺交換ばかりしてるとおもいますよ(^^)

>真実は知らぬほうが、また語らぬほうが良いということですね!
小林って名字出してるでしょ(^^)源六位だと限りなく匿名やからいいんちゃうかな?小生、自称紋章学界の小沢一郎やから(^^;;あんまし人前にはでんよ、最近でてるけど、、。
[32]源六位さんからのコメント(2005年08月30日 00時29分40秒 ) パスワード

匿名に近いとのご指摘を受け、勇気付けられ更なる疑問を呈させて
いただくと、佐藤や伊藤、加藤や渡辺などの多くに広まった苗字
は、通説によれば源姓や藤原姓ですが、やはり秦氏一族ですかね?

別スレで挙げるべきでした、すいません。
[33]小林雅成さんからのコメント(2005年08月30日 22時08分54秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

通説によれば源姓や藤原姓なのですが、個々に検討するとこれってもしかして秦?というパースペクティブでいうと、もしかして♪もしかして♪の世界なんですよ(これもヤバイから書きませんけど(^^;)
渡辺党の渡辺氏は源氏でないのは、紀氏族だとおもいます。

さーて、秦熱スレッドへレッツ・ゴー♪

大阪よみうり文化センター
家紋講座 講師
小林雅成
[34]源六位さんからのコメント(2005年09月10日 17時23分52秒 ) パスワード

>小林雅成先生

今日の総会、残念ながら行けませんでした・・・
病院で予想外の待ち時間にやられました。
兎に角お疲れ様でした!
[35]小林雅成さんからのコメント(2005年09月11日 22時12分02秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

源六位様

名刺交換会みたいなものですから、健康第一でいきましょう。

さーて、秦熱スレッドへレッツ・ゴー♪
1ヶ月経ったら、もう新しくなってますよ!

大阪よみうり文化センター
家紋講座 講師
小林雅成
[36]源六位さんからのコメント(2005年09月28日 00時18分18秒 ) パスワード

>小林雅成先生

しばらく所用で海外逃亡しておりました。
おっしゃるとおり、調査をして判明した真実が積み重なるほどに虚無感が・・・

さて、秦熱へゴーしますよ

ところで、逃亡先で多くの全身黒ずくめのユダヤ人に会いましたが、
やはり6が深く関わっておるようで。
私の祖先の官位も6位、因縁が有るような無いような・・・
伝統的な風習を守るユダヤ人は独特の歩き方をしますね。
[37]小林雅成さんからのコメント(2005年09月29日 01時17分34秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

>調査をして判明した真実が積み重なるほどに虚無感が・・・
虚無にならんでもええんちゃうかなとも思います。日本人は純粋血統よりも悪い言い方すれば雑種の方がはるかに多いのですから。

私事ですが、執筆話が入ってきたので、ちょくちょくはコメントできなくなります。話振ってもレスが無いときは、執筆に追われていてかわいそうなおっさんやおもうてくださいね。

小林雅成
日本家紋研究会 理事
大阪よみうり文化センター 家紋講座 講師
近鉄文化サロン阿倍野 講師
朝日カルチャーセンター 講師
[38]源六位さんからのコメント(2005年09月29日 22時59分34秒 ) パスワード

>小林先生

執筆ですか!それはお立場、お察しいたします。
著書が出版されたら教えて下さいね。
しばらく私も研究に没頭いたします。
また先生の講座にも機会があれば、参加させていただき
ますので、その折にはよろしくお願いいたします。
[39]源六位さんからのコメント(2005年10月06日 23時39分24秒 ) パスワード

ちなみに、私の知り合いは岡山の津山市など中国山地あたりの出身が
多いんですが、あのあたりは蹈鞴が盛んみたいですね。
初めて知りました。
[40]海の民さんからのコメント(2005年10月14日 20時32分48秒 ) パスワード

○藤系の苗字は藤原氏に憧れを持つ土豪だと思われ。
渡辺氏は渡辺党に所属した海賊系かと。
嵯峨源氏の末裔は途絶えているように思われます。
平戸藩主も仮冒かと。
西日本は海民系の勢力が強いように思われます。
政治家の河野氏も伊予の豪族の系譜で、海民系ですね。
[41]源六位さんからのコメント(2005年10月23日 23時15分36秒 ) パスワード

>海の民さん

はじめまして。近頃系譜を研究するにつれ、各氏族が系譜を仮冒
しているかどうかという事を論じるだけでなく、そういったことも
受け入れた視点で歴史研究をして行こうと思うようになりました。

仮冒かどうかのみに視点を当てると、キリが無いということ以外に
虚しくなってきました。

実質的な権力は朝廷以外にあるにも関らず、権力者たちがなぜあれ
程朝廷に対して畏敬の念を抱いていたのか、不思議です。

仮冒は平安期以前からも行われていたでしょうが、朝廷の威光は
ずっと衰えることがなかったのでしょうか・・・

[42]佐藤ノリキヨさんからのコメント(2005年11月01日 17時59分24秒 ) パスワード

全国に平家の落人伝説数多あれど、法師による平家物語の地方伝播を
起因とするものが大半か。
有力氏族の殆どが4大貴姓を称することから、実質にかかわらず朝廷の威光は
衰えず。
ところで、平家の落人といえど、いわゆる平家の武将ではなく
一般の兵士の落人に詳しい方おられますか?
[43]源六位さんからのコメント(2005年11月08日 23時53分30秒 ) パスワード

>佐藤さん
話はそれますが、そういえば篠山の方の温泉に平家方の落人が
入りにきたという温泉ならあったと思います。
鳥取と兵庫の県境に、有名な落人村がありますね。
そのあたりに赴いて現地調査されては?_
[44]参議・義章さんからのコメント(2005年11月16日 12時59分34秒 ) パスワード

渡辺姓の発祥は摂津の渡辺とされ、渡辺党に由来する。

渡辺党の構成は、水運を担った古代の職業集団であると考えられ、

其の辺りを領有していた源融にあやかって嵯峨源氏流を称す。

一族郎党は全国に繁栄。摂津に渡辺村があり、渡辺党の構成員

の住まう村であったと考えられる
[45]さんからのコメント(2005年11月18日 08時15分35秒 ) パスワード

 ○藤という姓は藤原秀郷流が多いですが、佐藤姓が
最も有名ですね。
 しかし、分布ランキング第1位であり、何故にあれほど
広まったのでしょうか?
 分布の10位以内には他に斉藤姓や加藤姓も見られますが、佐藤姓
と同様のルーツでしょうか。
 佐藤姓は東北に多いですね。
[46]源六位さんからのコメント(2005年12月03日 01時16分51秒 ) パスワード

今月の連休に祖谷に行こうと思います。平家落人伝説では
有名なところですから、楽しみです。あと、蕎麦粉の産地として
有名ですね。平家の赤旗や甲冑(だったと思います)が伝わる
との事で、是非行ってみたかったところです。
[47]小林雅成さんからのコメント(2005年12月03日 19時16分02秒 ) パスワード
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm

源六位様

お気をつけていってらっしゃいませ!

お土産話をまた書き込んでください。
[48]源六位さんからのコメント(2005年12月23日 01時19分47秒 ) パスワード

明日から祖谷にいこうという計画が頓挫しました。

うらめしや、寒波!

[49]時平さんからのコメント(2006年01月13日 18時29分04秒 ) パスワード

上の方ほうで清和源氏の仮冒について語られていましたが、満仲
は多田あたりに住まう渡来系氏族の長だおもいます。

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