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 投稿番号:100763 投稿日:2005年04月08日 08時10分44秒  パスワード
 お名前:暇潰しのギャンブラー
「いえつぐ」は宗盛の家人?

コメントの種類 :人物  パスワード

NHK大河ドラマ「義経」の第13回は頼政の決起でした。
息子の仲綱の馬を宗盛に召し上げられ
挙句仲綱の馬は「仲綱」と名を変えられ虐待を受けました。

テレビで宗盛の命を受け「仲綱」を虐待する役は「いえつぐ」だった?

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月08日 08時15分04秒 ) パスワード

あんまり聞き取れませんでしたが「いえつぐ」と言ったような気がします。

「いえつぐ」と言ったら伊賀の平田の家継だと思いますから
その息子か関係者?


ま、コネ的には伊賀の平田の家継が宗盛の乳母の家または乳母の夫だった、
とも考えられます。

家貞の嫡男が小松家の家老
家貞の6男が知盛の乳母の夫
こういうのから考えると家継が宗盛の乳母の夫だったとも考えられるのでは?と。

[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月08日 08時19分45秒 ) パスワード

貞能が戦後宇都宮氏を頼って落ちて行った話がありますが
「家次」という人物も宇都宮氏を頼って落ちて行き、断られ、更に山の中に分け入った
そういう落人伝説があるそうです。


この家次と「いえつぐ」は同一人物なのか?


NHKの大河のクレジットには「家継」と書かれてました。
[3]太郎さんからのコメント(2005年04月11日 08時35分22秒 ) パスワード

こんにちは!「義経」見ましたよ。
「いえつぐ」は平田家継でしょうね。
原作の「宮尾本・平家物語」でも、家継が清盛の父忠盛の馬をひく場面や、宗盛に命じられて平家伝来の鎧を手に入れる場面など出てきます。

ちなみに平田というと、平田太郎俊遠という人もいるのですね。
http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/record/kurokawa.html

○「俊遠」は、何と読むのでしょうか?
○この人は家貞・家継親子と何か関係があるのでしょうか?
○源希義(頼朝の末弟)を討った人ということですが、大河ドラマにも出てくるのでしょうか?

いろいろ「?」が生まれてきました。
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月11日 10時52分51秒 ) パスワード

太郎さん

ありがとうございました。

いえつぐ
宗盛家では重要な立場だったようですね。

とすると「平田家」が宗盛の乳母の家だったかもですね。
あちゃ〜

宗盛の乳母の家の1つというのは充分考えられますから
現実はやっぱり平田家継関係だったのかも。
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月11日 10時53分19秒 ) パスワード

○「俊遠」は、何と読むのでしょうか?

「としとお」でしょうね。

[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月11日 11時02分08秒 ) パスワード

土佐国宿毛の黒川ですか。

平田の太郎ですか。
平田家の長男という意味ですね。
多分正妻腹じゃなかった、ということでしょうね。

母親は盛俊系の女性かなと連想行きましたが完全に空想です。
[7]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月11日 11時06分46秒 ) パスワード

源希義:

1180年に亡くなってます。東鑑には1182年死亡と誤記されてるそうです。

義朝の子で頼朝の同母弟だそうです。
平治の乱(1159)で敗れ土佐に流されたのだそうです。
高知市介良荘(けらのしょう)に住んでたそうです。
治承の戦いで夜須に逃れる途中殺されたのだそうです。
[8]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月11日 11時09分19秒 ) パスワード

俊遠の「遠」の出所が分かりました・・・・本当か?


土佐は当時桜庭良遠が治めてたそうです。
ですから「遠」はここから頂いたのでしょうね。

そうするとママは桜庭氏の娘か?
盛俊とはどういう関係か?

このあたりから名前を1字ずつ貰ったって感じ。
[9]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月11日 11時13分12秒 ) パスワード

桜庭良遠は

http://hyohyohyo.cool.ne.jp/hyohyohyo/mousounihonsi/genpei/m_sakurabayositoo.html

阿波重能の弟だそうです。
[10]太郎さんからのコメント(2005年04月11日 14時49分06秒 ) パスワード

早速のレスありがとうございます!

>4 確かに、原作やドラマでの描かれ方からすると、宗盛と家継の関係は深かったように思われますね。

>5 やっぱり俊遠は「としとお」でしょうね。経遠(つねとお)とか盛遠(もりとお)とか、そういう名前が平家物語に出てきますからね。

>6 
>平田の太郎ですか。
>平田家の長男という意味ですね。
>多分正妻腹じゃなかった、ということでしょうね。
 俊遠が正妻腹じゃなかったと考えられる理由は何でしょうか?

>8 
 盛俊の俊と、桜庭良遠の遠、ということは大いに考えられますね!すごいなあ。
 そういうところまでは考え付きませんでした。
[11]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月12日 04時31分25秒 ) パスワード

>俊遠が正妻腹じゃなかったと考えられる理由は何でしょうか?

平田の太郎で嫡流でしたら
京都六波羅または伊賀の平田で頑張って仕事をしてると思うのです。
特に清盛の子の家人としてバタバタ働いてたと思うのです。


実際に土佐に赴任してたというのは、本流から外れてるな、と。


平信兼の息子も罪があって伊豆の山木に行かされてましたから
俊遠が土佐に居たというのは六波羅や伊賀には居られなかったのじゃないか、と。
理由は分かりませんが。


平田の家継の正妻腹で嫡男だったら名前はやっぱり「家」から始まるんじゃないか
と思います。

平田太郎俊遠が名前に「家」も「継」も「貞」も使用してないというのが
家庭の事情を表しているんじゃないかと。

「遠」は桜庭良遠の「遠」だろうなと思いますね。
「俊」が頭になってるという理由が私には面白いです。


機会があったら
土佐国高知市宿毛の黒川?
ここに行ってみたいです。

案外家継の嫡男より有能で追いやられたのかもですね。
土佐で平家で平田さんというのが気になってきました。(笑)
[12]太郎さんからのコメント(2005年04月12日 09時19分13秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2005年04月12日 09時45分50秒
[13]太郎さんからのコメント(2005年04月12日 09時52分19秒 ) パスワード

平田俊遠について書いてあるページを見つけました。

「古代末期に波多郡を与えられた平重盛が、歌人平田俊遠を平田においたといわれている」
http://www.geocities.co.jp/Bookend/6815/newpage84.html

俊遠は歌人だったのですね。
とすると、「俊」の一字は藤原氏の歌人からもらっていたりして?
[14]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月13日 04時30分01秒 ) パスワード

おお太郎さん
面白いサイトの御紹介をありがとうございました。


歌人にして武人「平田俊遠」なんて平家の面目躍如たる人ですね。
歌も詠めるし武士としてもぬかりのない人。

歌人だったら「藤原俊成」の「俊」かもですね。
[15]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月13日 09時16分21秒 ) パスワード

歌人平田俊遠の「かじん」という形容詞をちょっと考えてみたのです。

「歌人」が土佐の田舎に派遣されたこと。
これは都の雅な世界にいたい「歌人」にとってはこれほど悲しい左遷はなかったのでは?と。

「家人」であったらどうか?
これは誇りでもあるのでは?と。


それでひょっとしたら「家人」をうっかり「歌人」と入力してしまったミスではないか?と。
[16]太郎さんからのコメント(2005年04月13日 23時37分16秒 ) パスワード

詳しく知ってそうな人に、メールで質問してみました。
お返事いただけるといいのですが・・・
[17]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月14日 00時48分57秒 ) パスワード

太郎さん

ありがとうございました。

「歌人」と「家人」の違いは大きいですから。
違いがハッキリすると助かります。

「家人」を「かじん」と読んで「歌人」とうっかり入力したのか?
それともモトモト名のある「歌人」だったのか?

わたくしもお返事が知りたいです。


「平田」というのは米作日本にとって「良い地名」「良い名字」ですから
もともと日本中にあると思います。

重盛の家来で土佐で平田を名乗った人物は
伊賀の平田の出身者関係なのか
土佐に行って平田を名乗ったのか
ロマンは果てしなく広がります。
[18]太郎さんからのコメント(2005年04月15日 08時21分04秒 ) パスワード

メールを出した人からお返事を頂けました。
あの文章は宿毛市史(75-78)の引用で、「歌人」ではなく、「家人」の変換ミスだったそうです。
ギャンブラーさんのご指摘の通りでした。

俊遠という人物は、最近初めて知ったのですが、平家方で平田と名乗り、源頼朝の末弟を討った人物として名前が残っていることからすると、平家の誰かと血縁で結ばれていた可能性が高そうですね。
そこら辺の系図が見つかるといいなあ・・・
ロマンが果てしなく広がりますね。
[19]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月15日 11時08分58秒 ) パスワード

太郎さん

重ね重ねありがとうございました。
「歌人」じゃなくて淋しいです。


>平家の誰かと血縁で結ばれていた可能性が高そうですね。

はい。
きっと「盛俊」関係で重盛の家来だった人でしょうね。
理由は通字に「俊」を使っているから。

そして桜庭家とも関係がある。
良俊と義兄弟になったか、ママか妻の出身が桜庭じゃないか、
そんな風に連想が行きます。

それか桜庭の人間が重盛の家来として都に来てて
盛俊の娘を妻として貰ったか母としてしていたか
それで俊の字を拝領したか。


本姓平氏で俗姓平田氏。
桓武平氏で「俊」の字を使っているのは秀衡(または季衡)の子孫になりますね。

秀(季)衡の子孫が「俊」の字を多く使っていますね。
そして家貞と近い同族になります。

どっちにしろ重盛の家来の1人である可能性は確かに高くなりますねえ。

秀(季)衡には秀継と盛光と盛国との3人の息子があって
・秀継の家は終わってしまう
・盛光の子孫に俊の通字と使う子孫と家貞の子孫がある。
・盛国の子孫に盛俊や盛継がいる。


どっちにしろ重盛の家人の1人だったのでしょうね。

[20]太郎さんからのコメント(2005年04月15日 19時26分08秒 ) パスワード

おお!!詳しいコメントをありがとうございます!!

桓武平氏季衡流の子孫について、下記のページを参考にさせていただいたところ、
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/fclan_index.htm
ギャンブラーさんのご指摘どおり、盛光の子孫には俊の通字を使う子孫が大勢いるとともに、家貞や平田家継(家次)も盛光の子孫ですね!!
以上のことからすると、盛光の子孫には家継以外にも平田を名乗った人がいた可能性が考えられ、平田俊遠もその中の一人だった、という可能性が出てきますね!!

そして宿毛市史の記述からすれば、重盛の家人だったと考えられますね!!
[21]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年04月15日 22時10分47秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

東鑑の寿永元(1182)年十月条に「小松内府家人平田俊遠」とあり、土佐吉良氏の祖に当たる土佐冠者源希義を討った人物です。
小松内府とは平重盛であることは皆様もご承知ですね。
また吉良系図に後裔と思われる平田俊継、継遠の名も見えます。
土佐国幡多郡平田(枚田)邑発祥となっていますが、伊賀国山田郡平田邑の地名が遷移した可能性も考えられます。
治承2(1178)年からの土佐知行国主は藤原経宗、国守(土佐守)は藤原宗実(実は平重盛七男で藤原経宗の養子となり藤原に改姓)です。
土佐平田氏は通字などから桓武平氏季衡流伊勢氏一族であることををうかがわせます。
[22]太郎さんからのコメント(2005年04月15日 23時37分18秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2005年04月22日 00時01分46秒
[23]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月16日 03時46分21秒 ) パスワード

日本の苗字七千傑さん
ありがとうございます。


>土佐国幡多郡平田(枚田)邑発祥となっていますが、伊賀国山田郡平田邑の地名が遷移した可能性も考えられます。
>国守(土佐守)は藤原宗実(実は平重盛七男で藤原経宗の養子となり藤原に改姓)です。
>土佐平田氏は通字などから桓武平氏季衡流伊勢氏一族であることををうかがわせます。

(自分に都合の良い部分のみ目が行ってしまいます)


やはり重盛の家人
つまり伊賀の一族関係
ひょっとすると   土佐平田氏は通字などから桓武平氏季衡流伊勢氏一族である?  ですね。


伊賀平田関係または重盛の家老の貞能関係
どっちにしろ家貞を中心としたあのあたりの人間みたいですね。
[24]太郎さんからのコメント(2005年04月16日 10時17分39秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2005年04月16日 10時19分19秒
[25]太郎さんからのコメント(2005年04月16日 10時20分23秒 ) パスワード

>23 
>伊賀平田関係または重盛の家老の貞能関係
>どっちにしろ家貞を中心としたあのあたりの人間みたいですね。

重盛の家人となると、家貞の息子か娘婿、家継の息子か娘婿、貞能の息子か娘婿で、系図に書かれていなかった人、という可能性もありますよね。
何しろ系図によっては、家貞の息子として貞能しか書いていないものもあった気がしますから。
[26]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月16日 11時21分49秒 ) パスワード

>重盛の家人となると、家貞の息子か娘婿、家継の息子か娘婿、貞能の息子か娘婿で、
>系図に書かれていなかった人、という可能性もありますよね。

系図に書かれてない人はひょっとすると何倍もいたかも知れないですね。
系図に載るのは主だった人だけで、その他大勢は省略でしょうから。

「平田の太郎」からでは伊賀の平田家継の太郎(最初の息子=長子)でしたら母は伊賀の無名人の娘だった
と考えられますし。

長子というのは嫡男の前に生まれてしまって迷惑な存在ともなるんですよね。
平泉の秀衡さんとこも長嶋一茂演じる長子は余分で後に生まれた泰衡が正妻の子だから嫡男になってますね。

俊遠が家継の長子としたら土佐に出されたという可能性もありますし。
もしそうなら俊遠にしてみれば土佐に来れて良かったかもしれないですし。

>国守(土佐守)は藤原宗実(実は平重盛七男で藤原経宗の養子となり藤原に改姓)

重盛の7男の「家老」として土佐に来てたなら「身を立てた」という解釈も成立しますね。
だって重盛は平家の嫡流の家ですから、ここの7男の家老だったら
順番はかなり下でも「主流」に繋がってますから。


藤原経宗という人物は京都では結構いい身分の貴族でしょうから
(ひょっとすると重盛の妻の関係か?池の大納言の関係か?)
多分俊遠には土佐に来れて(腕が振るえる)と喜んでたかもです。


桜庭の兄の阿波重能の裏切りがあったから歴史から消えてしまったんでしょうね。


こうして故人の若い頃をいろいろ思いやってあげられて
きっと俊遠は草葉の蔭で喜んでるんじゃないかしら?
[27]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年04月17日 11時34分03秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

藤原経宗について
藤原師実の孫で藤原道長の流れを汲む摂家に準じる藤原北家流の本流です。
平治の乱(1159)で平清盛に捕らえられて阿波に流され、その後まもなく召喚される。
治承2(1178)年当時は従一位左大臣というナンバー3の公卿です。
当然、京都に常駐しなければならず、平宗実を養子にして土佐守に任じたわけです。
経宗の父経実は大炊御門家(旧侯爵)の始祖とされています。
[28]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月17日 15時27分41秒 ) パスワード

日本の苗字七千傑さん

ありがとうございました。

凄い人の養子になったんですねえ。

>大炊御門家(旧侯爵)

これからでも凄い家格だったと分かりますね。
[29]太郎さんからのコメント(2005年04月21日 23時56分57秒 ) パスワード

あれ?
日本の苗字七千傑さんのHPを見たら、家貞の子供のうち、「家次」がなくなってませんか?
前は書いてあったはずなんだけどなあ。
[30]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年04月22日 04時11分00秒 ) パスワード

「義経」の家貞の息子に「時定」というのが出てたようですが
家長の前の名が時定なのか?
家長の子の名が時定なのか?

私は知盛さまと手と手を取り合って入水したというのを時定と思っているのですけどね。
家長では年齢的に知盛さまよりかなりの年上と思うのでこの人は乳母の夫だと思ってます。
[31]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年04月22日 18時08分55秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

太郎さんへ
 
家次について
平氏系図諸本で、高棟王流、貞季流、季衡流の子孫が錯綜しております。
それは右兵衛尉宗清と右京大夫宗清を同一人物、筑後守家貞と左兵衛家貞を同一人物と誤認したことから生じたものと思われます。
各流の系譜を再考して従来の矛盾点を解消する為に「日本の苗字七千傑」では
「系図綜覧」坂東諸流綱要に準拠して再編および訂正しました。
家次(家継)は貞季流に属します。
詳細は姓氏類別大観 http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/fclan_index.htm
の平氏貞季流を参照下さい。
[32]太郎さんからのコメント(2005年04月22日 23時33分07秒 ) パスワード

>日本の苗字七千傑さんへ

HP拝見致しました。
家次・貞能の兄弟は、桓武平氏季衡流ではなく、桓武平氏貞季流だったのですね!
今私も講談社学術文庫「平家物語」12巻の巻末の系図で確認しました。
再編・訂正お疲れ様でした。

ちなみに、家長も、家次・貞能の兄弟だと思っていたので、それはショッキングでしたが・・・
(貞能は重盛の側近、家次は宗盛の側近、家長は知盛の側近、という風に兄弟がそろって清盛の息子たちに仕えていたのか、と思っていましたので)
[33]太郎さんからのコメント(2005年05月03日 21時32分32秒 ) パスワード

>日本の苗字七千傑さんへ

今、水原一先生の「新定・源平盛衰記」第一巻を読み始めたところ、
家貞については93ページに「進三郎大夫季房が子」と書いてあり、これは日本の苗字七千傑さんの作成なさった系図と一致しますね。
しかし、次の94ページに家貞の「子息平六家長は歳十七」と書いてあり、この本を信じるなら家長はやはり家貞の六男(家継・貞能の兄弟)ということになりそうですね。

まだ家継や貞能は出てこないので、とりあえず読み進みたいと思います。
[34]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年05月04日 01時49分43秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

太郎さんへ
 
〇範季(進平太)−季房(進三郎大夫)−家貞(筑前守)……尊卑分脈・坂東諸流綱要
〇範季(筑後守)−家貞(筑後守)−貞能(肥後守)……坂東諸流綱要
〇範季(進平太)−季房(進三郎大夫)−家貞……系図纂要
〇貞光(木工允)−家貞(左兵衛)−家長……坂東諸流綱要
〇貞光(木工頭)−家房(新三郎大夫)−家貞(左兵衛)−家長……平家物語
〇貞光(木工頭)−季房(進三郎大夫)−家貞(左兵衛)−家長(平六)……源平盛衰記
〇貞光(木工允)−家房(新三郎大夫)−家貞(左兵衛)−家次……系図纂要
   ※貞能、家長、家実も家貞の子としている。
〇貞光(木工頭)−季房(進三郎大夫)−家貞(筑後守)……大橋系図
 
平家物語、源平盛衰記、系図纂要、大橋系図のグループに共通するのは貞光と家貞の間に季房(或いは家房)が一代余分に挿入されており作者が家貞(筑後守)と家貞(左兵衛)を同一人物と誤認したものと思われる。
尊卑分脈には貞光(木工允)以降の記載が無く、中興武家系図は進氏を範季の後裔とする。
[35]太郎さんからのコメント(2005年05月04日 13時29分22秒 ) パスワード

うっわ〜!!
これだけ錯綜していたんですね、家貞の系図は。
まるで伝言ゲームで、少しずつ伝達内容が変わっていってしまうように・・・
例えば「季房」と「家房」は読み・漢字ともに似ているので、聞き違い・写し間違いで変わってしまった可能性がありそうですね。

詳しく教えていただき、ありがとうございました!!




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