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 投稿番号:100748 投稿日:2005年02月16日 21時37分35秒  パスワード
 お名前:さちこ
祝開港! 中部国際空港 セントレア

コメントの種類 :ニュース  パスワード

全国的にはあまり話題になってないであろうとスッレド立てました。

中部国際空港セントレア。

まさしく伊勢平氏の拠点であった地域でしょうね。
常滑。
伊勢湾、三河湾。
古代からの自然の良港。
平家ばんざ〜い!

明日2月17日開港です!

[1]さちこさんからのコメント(2005年02月16日 21時58分22秒 ) パスワード

御無沙汰しておりました。

秦熱にも書き込みたい事、たくさんですが、
とりあえずこちらを優先しました。



1996年に現在の県立みえ夢学園高等学校地内で3,500m2の発掘調査が行われ、中世の安濃津の一部が顔を出した。遺構とともに壷・土器(山茶碗)・瓦その他様々な遺品が出土し、街並みがあったことが実証された。常滑から窯ごと仕入れていた未使用の山茶碗の出土は、『平家物語』に記される「伊勢平氏は酢瓶(すがめ)なり」とも関連して常滑焼の大型壷の集積場でもあったことが予想される。

1498(明応7)年に起こったマグニチュウド8.4と推定される東海沖地震による津波で安濃津の港は忽然と姿を消す。その後この港は修復されなかった。それは人と物の動きが東海道をはじめとする陸の道に変わったためでもある。伊勢神宮の力の弱体化、経済面から戦国大名が各地の中世商人集団と手を結んで力を延ばしていくこと、そして戦国末期の戦術方法の変化も影響した。江戸時代に入って、伊勢詣での参宮(伊勢)街道の宿場としての復活はあったが、海の道の復興はこの時もなかった。
 2002年、空の道が主流の今、中部国際空港への海上アクセスの津市新港整備が着手される。500年の歴史を経、広域行政区を結ぶ陸の道が集中する安濃津は、空の道につながる海の道の拠点県都としての責務を担って「港」を復活させる。

http://www.pref.mie.jp/tseikan/hp/seikatsu/culture/rekishi/mannaka/uminomichi/uminomichi.html

津から海へそして世界へ。。。少し寒いな(笑)
でも、何故か津から常滑の空港行きの高速船は岡山の船会社らしいです。

あっ!今飛行機の飛ぶ音が聞こえました!
何だろう?
小牧から新空港へ移すものかな?
こういうのは珍しいです。

やっぱり飛んでる次々と(笑)

見物してきます。

ではまた。
[2]さちこさんからのコメント(2005年02月16日 22時03分43秒 ) パスワード

いや〜。

今日は特別かも。
空港で働く皆さんは大変かも。
[3]アカコッコさんからのコメント(2005年02月17日 07時57分35秒 ) パスワード

新聞記事より。

 IATAの指定する空港コード「NGO」が名古屋空港から引き継がれ、正式に開始された。
 国内線と国際線が同じビルに入るため、乗り継ぎ時間が大幅に短縮される。

 同県豊山町の名古屋空港は小型機主体の県営空港として再出発する。

 成田・関西に継ぐ国際線3大拠点空港として、海外25都市、国内24都市と結ばれる。

 3月25日に開幕する愛・地球博(愛知万博)の国内外の見学者を迎える窓口にもなり。


 ビバ!!『中部国際空港・セントレア』
[4]さちこさんからのコメント(2005年02月18日 21時33分23秒 ) パスワード

無事開港しましたが静かです。
時々取材のヘリコプターが飛んでるぐらい。

一昨日の夜はやはり20機ほどの飛行機を常滑へ移したらしく、
おそらく小牧から伊勢平野へ向って四日市あたりで旋回し常滑へというコースをとったのでにぎやかしかったのかも?

地元ではそれなりに話題でしたが、
よその地域では新名古屋空港が開港、地方空港の開港位の受け止め方でしょう。
でも侮るなかれ(?)
名古屋の空港ではなく、伊勢湾の空港なのです!

セントレア名物色々あれど目玉はやはり展望風呂でしょう。

http://enjoy.centrair.jp/relaxes/index.html ←くつろぎ処
http://enjoy.centrair.jp/relaxes/miyanoyu/index.html  ←お風呂

昨年の秋商業施設が少し公開されたのですが、
セントレアのライバルは長島温泉と言ってました。
いったいどういうコンセプトの空港やねん(笑)

実は三重県の木曽岬も空港建設候補地になっていてのです。
立地条件、コスト等考えると三重県側の方が有利だったのですが、
まあ三重県と愛知県の力の差でしょね。

三重県民感情に配慮してか、
発表当初は常滑沖と言わず伊勢湾東方に建設などという表現をしてました。

木曽岬に空港建設しておけばここは豊富に温泉が湧き出すので、
「源泉かけ流し湯の空港」だったのに残念ね(笑)

成田、関空が国内線が少ないのに対してこちらは国内線が充実しているので、
他の都市から海外に行くための乗り継ぎの空港としては便利です。

いえいえ乗り継ぎではなくぜひ愛知万博そして三重へおこしくだい。

http://enjoy.centrair.jp/access/index.html  ←アクセスマップ

船で鳥羽や津に渡るのもいいと思います。
鳥羽から渥美半島に渡って三河へも行けます。
渥美から船でまた知多にも戻れます。
三重県の平家ゆかりの地は宮島のようなものはなく、
本当に伝承だけの史跡のようなものがあるだけですが。

でも鈴鹿の山々を背景にした湖のような伊勢湾の穏やかで豊かな海が、
何故この地で平家が繁栄したのかをあなたに教えてくれることでしょう。

商魂たくましい伊勢のおばちゃんも教えてくれるでしょう。




[5]布袋竹さんからのコメント(2005年02月19日 10時32分58秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/

テレビニュースだけでなく、結構話題を提供しています。
2時間しか滞在しない外国「サイパンだったか・島」から
第1便で到着のツアーに出かけた名古屋の知人もいたというから・
それに、900円のいも洗いの展望風呂に出かけた人も
しかも、高速船で空港迄、と

伊勢の安濃津から天智天皇の后大宮姫が、船で南薩摩に戻ったという
伝説もあるから、昔から海上交流があったのでしょうね。
[6]つげとしさんからのコメント(2005年02月20日 01時43分20秒 ) パスワード

伊勢志摩スカイラインの中程に朝熊山(555メートル)があり、
その山頂パーキングから、伊勢湾の眺めがきれいなのですが、
そこから、白くセントレアが浮かんでいる姿が見えると聞きました。

地図や、電車などでの移動にかかる時間から結構な距離感を
感じてしまいますが、測量された地図や県境のない時代だと、
「見える」ことで近い距離感になるのかもしれませんね。




[7]さちこさんからのコメント(2005年03月01日 23時00分35秒 ) パスワード

スレット立てといて書き込み遅くてごめんなさい。

>第1便で到着のツアー
サイパン0泊2日弾丸ツアーですね。
小牧最終便をチャーター機でサイパンに向かい数時間滞在の後、
新空港へ朝一番乗り!
私も申し込みました(笑)
でも疲れるだけではと躊躇してたのです。
で、申し込み開始時間を少し過ぎてどんな状況か訊ねたらもう満席!
満席ときいたら行きたくなるのが人情。
キャンセル待ちをしたのですが100待ち。
150人乗りの飛行機だったのでとても無理でした。
お友達はかなり気合を入れたのでしょうね。
羨ましい!

全国一の服部家密集地名古屋港区辺りは、
意外と知られてませんが航空宇宙産業が全国でも有数です。
航空業界に関しては明子ギャンブラーお姉さまが詳しいと思いますが、
今までボーイング社の下請けをして部品を製造してました。

今までは開発部門には携わってはいなかったのですが、
次世代航空機ボーイング787(7E7)の35パーセントを、
ボーイング社と開発し製造するのだそうです。
今までは船便で2週間かけてアメリカまで運んでいてのですが、
今度は完成品をセントレアから空輸。
残りの部分をアメリカの工場で繋げて受注からわずか三日で完成させる計画とか。

先日H2Aロケットの打ち上げが成功しましたが、
これは名古屋の隣の飛島村から船で鹿児島の種子島に船で運びました。
この村には航空宇宙システムセンターがあるのですが、
昔ウチがいた木曽岬から車で5分位の所で馴染みのある村です。

勿論名古屋の三菱がこちらに工場を移したからなんですけど、
なんで伊藤、服部だらけの村で宇宙ロケット。。。イメージが。。。

宇宙産業では筑波が有名ですがこの辺りも平氏にゆかりのあるところ。
こちらで開発製造されたものが飛島に運ばれてくるのですが。
霞ヶ浦から利根川そして伊勢湾へと船で運ばれてくるのですが、
きっと平氏もこのルートで物資を運び込んでいたのでしょうね。

何故この平氏ゆかりの地で宇宙産業が花咲いたのか?
偶然なのかそれとも海から空そして宇宙を目指す土壌や気風があったのか?
ロマンです。

国際宇宙ステーション計画がありますが、
日本担当部分は筑波、飛島で製造されます。
船でケネディ宇宙センターへ運ぶのですが、
ケネディ宇宙センターとのイメージのギャップ。
筑波、種子島は許せるけど飛島村は許せん(笑)

ロケットが完成したら熱田神宮へ参拝してお札をもらい、
ロケットにお札を貼って航海の安全と打ち上げの成功を祈り送り出すとか。
最先端科学技術も最終的には神頼み?

つげとしさん。
お久し振りです!
セントレアはもう行きましたか?
あまりにも混雑してそうなので私はもう少し落ち着いてから行こうと思ってます。
もしかしたら四日市からも定期便が出るかもしれません。
何といっても船が最短距離ですから。
また何故か瀬戸内の船会社が名乗り出ました。


堺にいた徳川家康が本能寺の変のあと伊賀から伊勢の白子へ、
そして船で常滑へ向かい三河に戻りました。(他説も有り)
何故このルートをと考えてしまいますが、
鉄道や高速道路のない時代ごく普通のルートだったのかも。

四日市からセントレアの管制塔がよく見えます。
白子ならもっとよく見えると思います。
伊勢から三河に行くのは名古屋経由という先入観がありましたが、
すぐそこに見えてる知多半島の向こうが三河なんですよね。

何故三河に柘植家が多いのか?
徒歩以外の交通手段が船だった時代、
伊賀と三河は現代人考えるより身近だったかもしれないです。

余談ですが父が伊勢台風で奇跡的に助かり、
曽祖父も水害で孤児になって服部家の養子になった事は以前書きましたが、
曽祖父は長島から常滑まで流されて助けられたそうです。
多分江戸時代終わり頃の話。
今ならニュースで一躍有名人ですね。
でも昔はこんな事も結構あったかも。

「また服部家のガキが流れてきたぞ〜。」とか(笑)

この間の日曜日ちょっと用事があり岡崎へ行きました。
伊勢湾岸道路が東名と繋がってこちらも便利になりました。
岡崎まで一時間かからない程でした。

帰りにふと見ると伊賀八幡宮看板があったので、
あまり時間がなかったのですが立ち寄りました。

神社の前に伊賀川が流れおそらく昔は海岸線ももう少し近く、
水上交通の要所だった場所に建てられた雰囲気の神社でした。

回りの祠には、
伊勢社
上総社
安芸社、讃岐社等の瀬戸内系の祠もあり、
やはり伊賀八幡宮はバリバリの平家ゆかりの神社という感じです。

見取り図です。
   ↓
http://home.freegate.co.jp/~hachiman/map/keidai.html

この伊賀八幡宮を昔から代々一族の氏神として信仰しながら、
源氏を称する某将軍家って(笑)
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