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 投稿番号:100714 投稿日:2004年11月24日 18時59分31秒  パスワード
 お名前:夜代
家紋「菊水」について。
キーワード:楠木正成
コメントの種類 :質問  パスワード

我が家の家紋は「菊水」と言うそうなのですが、
鎌倉時代後期に、楠木正成が貰い受けた家紋なんだそうです。
祖母に聞いてみると、我が家は楠木正成の子孫の直系に位置するとか‥。
・・・信じられません;
誰かこの家紋について詳しく知っていらっしゃる方は情報を教えてください。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年11月25日 06時17分46秒 ) パスワード

菊水紋はイコール楠木正成というイメージです。

我が家も当時菊水紋を使ってたと聞いてます。
(わたしも嘘だろ〜と思ってましたが他からも聞いてへえ〜っと改めて日本の紋ってややこしいと思いました)


楠木正成の場合は後醍醐天皇さんが盃に菊を浮かべて下賜して以降使用したと言われてますから
楠木氏もその前は橘紋を使ってたかも知れないですし他の紋だったかも。

楠木正成にあやかって他の家でも菊水紋を使用したでしょうし。


他には楠木正成の一統の橘さんや楠さん和田さんその他橘姓系の家が使用してますね。
源氏系や穂積系の鈴木さんも使用だそうです。

源氏系でも南北朝の時、新田側で楠木氏と懇意にして養子など頂いてたら当然菊水紋使用ということもありますでしょう。


家紋は錯綜するから何ともいえませんが
ホンヤさんにあたるお家が系図をお持ちでしょうから早めにコピーなさいますように。
[3]太郎さんからのコメント(2004年11月26日 00時44分07秒 ) パスワード

私の知り合いで、菊水さんという人がいます。

家紋名がそのまま苗字になっているような苗字ですね。
こういうのって、珍しいのでしょうか?
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年11月26日 02時10分55秒 ) パスワード

菊水なんて変わってますね。
初めてです。

でも蚊取り線香のブランドに菊水というのがあったような?



昔、徴兵制度があった時、新兵さんは殴られるのが当たり前で
足利出身という地名でさえ殴られる理由だったと聞いたことがあります。逆賊扱い
でしたら新田さんとか楠木さん菊水さんなんて殴られるところ免除だったかもですね。忠臣扱い


やっぱり名字とか家紋とかいろいろ奥が深いですね。
[5]布袋竹さんからのコメント(2004年11月26日 10時46分44秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/

新田といえば、鹿児島・宮崎の県境近くに、新田山という場所があります。
ニッタでなく、シンデンと呼ぶようですが、ここは平家落人集落とか
刀鍛冶の子孫が住み付いたと言うことでしたが、それらしい佇まいはみせていましたが
二人にハナシを聞いたら、ひとりは全然知らず・もうひとりは、そんな話を聞いたと
だんだん風化されているのですね。
先日11.23の祭日、末吉町の住吉神社の流鏑馬の帰り、近くだったので寄ってみました。
あ、また付近に悪七兵衛景清の墓と呼ばれる石塔群があり、ここにも寄ってみました。
景清の墓との伝承は、この付近は平氏の所領が多かったので、鎌倉時代の古墓を琵琶の音で語った
盲目の僧の物語と結び付けられたものでしょうネ。

菊水から外れました。菊水紋は東シナ海の甑島に行くと、いくつか見られます。
[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年11月26日 12時40分28秒 ) パスワード

>菊水紋は東シナ海の甑島に

菊水紋と甑島ですか。

組み合わせが謎です。
東シナ海にも南朝方の武士が亡命したんでしょうかねえ。


足利義満の時代に南朝方の武士が捕らえられ偽って倭寇として中国に引き渡されて釜炒の刑に処されたと聞くので
やっぱり東シナ海にも落人として渡ったんでしょうかねえ。

それとも時代がもっと下がって元寇の時代に東シナ海に取り残された?移った?のでしょうか?
こういうお話はちゃんと記録されるといいなと願っています。
[7]布袋竹さんからのコメント(2004年11月27日 09時25分36秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/

甑島は九州本土から40−60キロの西の、東シナ海に浮かぶ列島です。
大きく上・中・下の3つの島からなり、この中甑島・下甑島に菊水の紋があります。
各島の集落は数えるほどしかない島ですが、その半数以上に
平家のオチノヒト(落人)の伝説が残されています。

楠木正行は軍に殉死したとされているが、難を逃れて船で甑島に逃れてきたという
伝説が残っています。その墓と言われる供養塔もあり、正行の子孫として菊水の紋の
和田家があります。

楠木一族はこの正行の名前の付いた中甑の山だけでなく、下甑島にも逃れてきて
下甑島にも、武家屋敷町の中に菊水のついた家が残っているので、小川・島津氏の中で
うまく士族「郷士」で続いていたのでしょう・

島だけでなく、本土・国分方面にも、楠木正勝らが隠遁したと伝えられているそうです。
[8]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年11月28日 03時07分25秒 ) パスワード

布袋竹さん
ありがとうございました。


>正行の子孫として菊水の紋の和田家があります。

和田氏はもともと楠木氏と親戚だそうですからこれはすんなり理解出来ます。


源氏系池田氏は正行の末裔として菊水紋を使用だそうですから
なるほどと思いました。
南朝方の源氏系でしょうね。
[9]楠木正子さんからのコメント(2007年05月17日 09時25分43秒 ) パスワード

私の実家も菊水のご紋で子供の頃から、先祖は楠木正成だと聞かされていました。同じ菊水のご紋の方って先祖は親族?家族?え?
[10]楠木正子さんからのコメント(2007年05月17日 10時31分42秒 ) パスワード

元弘の乱は、天皇親政を目指した後醍醐天皇による鎌倉幕府執権北条氏討滅の戦いである。未然に発覚した正中の変(1324)の後も、天皇と北条氏の軋轢は日増しに強まり、たび重なる討幕計画に憤激した北条氏は武力で天皇を威圧する。これ耐えかねた天皇は元弘元年(1331)八月、京都を脱出して笠置山に向かう。元弘の乱の始まりである。この乱を契機にして、正成の名が頻繁に歴史に登場するようになる。
 先にも述べたように、楠木氏は勢力を持つとはいえ所詮河内地方の土豪にすぎない。それにも拘らず笠置山に避難した天皇が頻りに正成を頼るようになるのである。『太平記』には、天皇が京都を脱出して東大寺から鷲峰山を経て笠置山に行在された時、南訶の夢により、「この辺に楠木と名乗る武士やある」と下問し、これにより正成は召し出されたことになっている。他方公家方の歴史書である『増鏡』には、勅命によって笠置山に集結した武士の中に正成の姿が見えたことで、天皇が安堵したという記述がある。楠木氏と関係の深い金剛寺や観心寺が歴代天皇の庇護が篤かったことを考えると、両者は以前より何らかの形で結びついていたと考えるほうが自然であろう。
 この笠置山での出合いの時、天皇の眼にとまったであろう正成の軍旗が観心寺に保存されている。この族には「非利法権天」としたためられている。
  非は利に勝つことあたわず
  利は法に勝つことあたわず
  法は権に勝つことあたわず
  天は明にして私なし
あやまりやまちがいは利、すなわち力にはかなわない。この力も取り決めや法則によって執行できるものである。しかし、この法則は権力によってつくられるものであり、最高のものではない。天、すなわち真理の前においては権力も束の間のものでしかない。いつの時代でも天こそが私心なき平等な心なのである。つまり、真実に基づいて行動すれば、必ず至誠天に通ずるということであり、正成の信念を軍旗が象徴しているのである。
 正成勢の参集にも拘らず、笠置山の攻防は幕府軍の勝利に終わる。天皇は捕われ隠岐に、同道した尊良親王は土佐、尊澄法親王は讃岐にとそれぞれ配流される。正成は護良親王と共に赤坂城を抜け出し、捲土重来を期して幕府軍の前から姿を消す。結果的に幕府軍の勝利に終わった笠置山の攻防であったが、正成の天皇方への参戦は重要な意味を持っていた。すなわち、それまで態度を保留し、形勢を観望していた、本来天皇方につくべき武士達に決起を促すことになったからである。正成の情勢判断の確かさが遺憾なく発揮されたのである。それは決して勢力の勝る方に靡いて時流に乗るという軽薄な判断ではない。忠孝の理想のもとに、歴史の流れを冷静な視点で見つめ、北条氏の前途を確固たる自信を持って見極めていたのである。そうした信念のもと、夥しい敵軍に包囲されながらも、孤立無援の奮闘した正成は大いに称えられてよいだろう
[11]SAKURAさんからのコメント(2007年05月17日 10時50分18秒 ) パスワード

実家は長野県下伊那なのですが我家も女紋は菊水です。
楠木正成の家来の恩地左近の子孫だと伝えられています。
新宮という地名や川がありお天皇様などの祠お神明様など…山の名前や地名に落ち延びる前の故郷の地名が付いているようです。
あまり古い物は残ってはいませんが、仏壇には古そうな山伏が背負っていたような箱の中に入った仏像があります。
母は落ち延びた時に背負って来た物では無いかと言っています。
お寺には過去帖が残っているとは聞いていますが…我家独自のお寺があったのを離れた経過があり見た事はありません。
太平記で楠木正成が菊水の家紋をいただいたのを見て、両親から聞いていた事は本当だったんだとびっくりしました。
以後、地主であったり古城という小さい城の家老だったとも伝えられていて跡地も我家が管理しています。
我家のルーツを父にもっとよく聞いておくべきだったと思っている所です。

朝、テレビで菊水楼(奈良)が出てきて家紋を見たので検索していて偶然にも辿り着きました。
楠木正子さんのご先祖の家来だったかなぁ…??
[12]mamboさんからのコメント(2008年01月09日 14時36分21秒 ) パスワード

和田氏の末裔の者です。
和田氏は楠木氏とは姻戚(親戚)関係となります。
和田とかいて「にぎた」と読みます。
私が父から聞いた我が家の祖先は正成(長兄)の弟、三男楠木正氏氏から連なるものと聞き伺っております。
正氏は三男坊という事もあり、和田氏へやられたんでしょうね、文献によって楠木正氏とかいてある場合と、和田正氏と書かれているもの、両方あります。
もちろん我が家の家紋は菊水紋となります。

ところでSAKURAさんの書き込みに非常に興味を持ちました。
女紋で菊水という事があるんですね?
女紋は母から娘、そしてそのまた娘へと継がれて行く紋なので、例えお父さんが菊水であっても、娘は母方の紋を継いで来たはずです。
また、恩地氏の家紋が菊水紋を使用しているという事も初耳です。
恩地氏は大阪府八尾市辺りの神主の出自であり、同地を統治していた名氏と考えられます。
おそらく楠木氏に仕えるまでは、楠木氏と同盟(対等)関係にあったのでは?と推測されます。(家格としては恩地氏の方が上と思われます)

そういった事を踏まえ考えた時、果たして恩地氏が菊水紋を使用するか?(歴史の古いお家柄だこそ、余計に自身の家紋を尊重するはずです、当時の通念で考えれば)という事です。
恩地氏が菊水紋を使用する事は楠木軍の一将として出陣時以外は考えにくいと思います。

しかし、確かに長野辺りには菊水と関係のある様な地名は沢山ありますね?
恩地氏の云々という事より、ご先祖が大楠公に肖って頂戴されたと考えられた方が現実的だと感じます。
[13]Goさんからのコメント(2008年03月29日 18時26分11秒 ) パスワード

家のら家も菊水紋です。
苗字は城なんですが関係あるんですか??
子供の頃から楠木家と関係があるように聞かされています。
最近結婚が決まり気になったのでよろしくお願いします。
[14]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年03月30日 07時29分05秒 ) パスワード

Goさん

全く分りませんが
平家+南朝方の流れ
というのは思います。


御名字の城氏とは
古代の「城氏」=きし
または桓武平氏平貞盛の弟の繁盛子孫の「城氏」=じょうし
から来ているのでしょうか?

中古代の秋田城介は日本史上時々目にします。
九州では筑前・肥後に城氏がいらっしゃるそうです。


平家の城氏は歴史に出てきます(城助茂)。


ムカシ子供の時に「城」と書いて「たち」さんとおっしゃる家がありました。
多分三重県の館氏と関係があるのかなと思います。
やはり平家がらみでしょうね。


紋が菊水で家伝に南朝方のお話があるんでしたら
元は平家で南朝方だったということでしょうね。


名字や家紋は事情でしょっちゅう変わりますから
やはり御親戚の方の集まり(お正月とかお盆とか)で話題に出して
いろいろお訊きになったら良いと思いますよ。
[15]ミケーレさんからのコメント(2008年10月06日 14時37分12秒 ) パスワード

うちの家紋は菊水で、名も楠です。本家は浄土真宗本願寺派の寺です。みなさんが言う様に、名・家紋は変わる事があるので、家系図でも残っていない限り判断は難しいでしょう。
[16]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2008年10月07日 02時26分43秒 ) パスワード

ミケーレさん

バリバリ「楠で菊水」ですかあ!
その上
浄土真宗でしょ。

反織田信長ですね〜


江戸時代はどうなさっていらっしゃったんでしょう?
実に興味があります。
ミケーレさんの御先祖さまもどこかの藩に「名家」ということでお抱えになってたんでしょうか?


>名・家紋は変わる事がある

それは確かですが
御先祖さまのことを誇りになさってください。

お祖父さまや伯父様方は軍隊でも良い扱いだったのでしょうね。
(足利出身者は住んでた所が足利というだけで殴られたなんて話ですよ)

そういうのも含めて楠家のアイデンティティなんですから
しっかり一族の皆様からお話をお聞きになってください。


もし明治維新で姓を名乗る時に楠姓や菊水紋を使用したとしても
そこには何かの理由があったはずですから
      
>>家系図でも残っていない限り判断は難しいでしょう。

なんてお思いにならないでください。


世間に胸を張って「うちは楠姓で菊水紋」とおっしゃってください。
[17]案山子さんからのコメント(2008年10月27日 00時50分08秒 ) パスワード

私の実家の家紋も菊水です。
そういえば、浄土真宗でした。
父は香川出身で、姓は楠ではないのですが、先祖が平家の落人だと言ってました。
ここにカキコしている皆様と何か関係があるのかしら?
[18]楠木さんからのコメント(2008年12月06日 22時02分25秒 ) パスワード

我が家は楠木で菊水です。
詳しいことは分からないですが、浄土真宗はたしかです。
直系ではないでしょうが・・・・
[19]右田さんからのコメント(2009年01月16日 16時25分37秒 ) パスワード

うちの家紋も菊水です。
姓は「右田」みぎた で、楠ではないのですが、
以前の「和田」と書いて、にぎたさんとは
読み方が似ていてきになりました。

現在は、東海地方にすんでいますが、
親戚の話では、先祖は九州からきたらしいです。
[20]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年01月16日 23時25分33秒 ) パスワード

右田さん

大内氏を滅ぼした一門の陶氏は
大内氏の一門の重臣、九代大内盛房の弟で右田氏を称した盛長の末
だそうですよ。

陶氏が毛利に滅ぼされた時
杉氏・右田氏と共に亡んだそうです。


大内氏は日本の名族の1つですから
日本史の中にちゃんと書かれていますから
時系列的にお調べになれば「先祖は九州からきたらしい」という
「九州」というのが何故か
というのが分ると思いますよ。
[21]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年01月16日 23時33分25秒 ) パスワード

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ou_migta.html

など右田氏はいろいろ出てますから必要無かったですね。
ごめんなさい。
消そうかと思いましたが記念に残しておきます。

他の人には検索しなくても済みますしね。
[23]橋本さんからのコメント(2009年01月17日 17時45分31秒 ) パスワード

我が家は橋本で家紋は菊水です。
実家は岐阜県、浄土真宗で楠木さんと同じです。
橋本正員の子孫とのことです。
楠木正成の家臣ではないかと思いますが
先祖は和田家から、わかれているようです。
[24]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2009年01月18日 00時32分41秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/

右田さんへ
 
貴家の伝承で先祖が九州から来たとすると、
周防国佐波郡右田保発祥の多々良姓大内氏族ではなく、
豊後国玖珠郡右田邑発祥の豊後清原氏族です。
 
右田氏に至る略系譜は下記を参照のこと。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01214a.htm
 
また菊水紋は、楠木氏族以外でも多くの家が使用しています。
 
 
橋本さんへ
 
橘姓楠木氏と熊野国造和田氏は親戚で、橋本氏は和田氏から分かれていますね。
橋本正員に至る略系譜は下記を参照のこと。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02125.htm
[25]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2009年01月18日 10時35分42秒 ) パスワード

日本の苗字七千傑さん

思い違いと訂正レス
ありがとうございます。
ぺこり
[27]いろいろ知りたい子さんからのコメント(2009年09月23日 18時49分34秒 ) パスワード

九州の福岡に住んでます。
私の実家も 楠姓で、家紋は菊水 宗教は、浄土真宗西本願寺派です。
名字の楠も “楠木”では無く あくまでも“楠”
家紋の菊水も 菊の部分に こだわりがあるようです。

「楠 正行」の 子孫だと 聞いた事がありますが、何せ 幼き時の事なので
詳細は 分かりません。
[28]前田さんからのコメント(2009年10月23日 15時38分47秒 ) パスワード

九州の前田ですが、家も菊水紋なんですが、何かわかりますか?
[29]中村岳夫さんからのコメント(2010年01月08日 00時29分21秒 ) パスワード

菊水家紋の長野県の北部の中村です。

楠系の祖先は、正成の三男の楠正儀の子、楠正秀らしいです。

正秀が長野に来たときの姓は芋川で、
140X年に芋川長知の若宮城が落ちて、
芋川氏が断絶したところに、正秀が芋川を復興したとなってます。

正秀は、1446年に阿瀬川城にて戦死しますので、
それより前となるようです。

私の祖先は、芋川のすぐ近くの字中村に引越し、性を中村に変えたそうです。

戦国武将の芋川親正は、1500年代後半の人ですが、
断絶したところから、それまでの記録がわかりませんので、
正秀とは系列が違うのかもしれません。
家紋も菊水とは違うようです。
芋川親正は、その後上杉家とともに、会津から米沢へ移ります。

[30]清水さんからのコメント(2010年03月07日 09時32分52秒 ) パスワード

東京に住む清水といいます。私の祖父の戸籍に「士族」と記述されていたそうです。家紋は菊水です。以前からどのような家系だったのか興味がありました。どなたかわかる方がいると嬉しいです。
「裏菊水」という家紋があると聞いたことがあります。この件もご存知の方はいらっしゃいませんか?
[31]石倉さんからのコメント(2010年03月13日 22時49分50秒 ) パスワード

兵庫の石倉と言います。

当家も菊水です。

本家は神戸市の西部ですが、先の大戦の空襲に遭い菩提寺・先祖の墓もろとも

爆砕され、また後に再建されたものの阪神大震災で全壊し、先祖にまつわる物

は全て消失しました。

残されたものは唯一家紋が入った風呂敷のみとなりました。

ただ幼少の頃の記憶の中に、水牛の角と思しき角が付いた甲冑が本家の床の間

に鎮座していたのがとても怖かったのが残っております。

親類一族も先祖にまつわる話を伝承された者もなく、今となってはたどるすべ

を知りません・・・。
[32]酒井さんからのコメント(2010年09月13日 00時03分08秒 ) パスワード

こんばんは〜私も菊水です!幼い頃親父に家の家紋わ菊水やから覚えとけとよくいわれてました!親父の出身地は分かりませんが大阪に住んでます
[34]さんからのコメント(2010年10月25日 14時45分25秒 ) パスワード

兵庫県神戸市にすんでいる平です。
うちは家紋は菊水というか「きくながれ」とおしえられてきました。
お墓の家紋を見るとにています。
うちの父方は沖永良部島で、浄土真宗西本願寺です。
たしか26代目と聞いたことがあります。
小刀と衣類が家宝としてあったそうですがおじいさんのころに
どこかに行ってしまったようです。
なにかおわかりになりますでしょうか?
(コメント再投稿をしました)
[35]山田さんからのコメント(2011年03月04日 16時40分03秒 ) パスワード

6年も前の記事に返事をするというのもなんですが、
皆さん最近まで語られているようなので便乗させてもらいます。

私の母方の祖父が言うには我が家も楠木正行の子孫のようです。
祖父は私が生まれる1年前に亡くなったので直接聞いたことは無いのですが、
先祖は長野の山奥に逃れ、その地形から性を取り「山田」と名乗って隠れたそうです。
私は未だ祖父の本家に行った事が無いので見た事はありませんが、
先祖が逃れた際に一緒に持ってきた摩利支天の像が大事に保管されているそうです。

第二次世界大戦時に祖父が天皇家の近衛の隊長(?)として選ばれたので、直系では無くとも分家の一つか近しい系列にあるのかもしれません。
ちなみに浄土真宗です。

投稿者様、ここにいらっしゃった近しい縁をお持ちの皆さまにとって少しでも有力な情報になればと思います。
[37]ようこさんからのコメント(2011年03月06日 18時43分14秒 ) パスワード

私の旧姓は、三田と言います。実家の父方の家紋が菊水です。浄土真宗西本願寺だとか・・あまり気にしないで過ごしておりましたが、4,5年前に占いで見てもらったら、「あなたの後ろに凄いご先祖様がいて、その方が守ってくれています。」と、言われました。それ以来、「ご先祖様」のことが気になり・・父方の祖父は朝鮮総督府のお役人であったことは聞いてましたが、菊水の家紋ということは、楠木正成の関係者だったのでしょうか・・どなたか教えていただけないでしょうか?
[38]空の青海のあをさんからのコメント(2011年03月07日 01時00分25秒 ) パスワード

ようこさんへ

初めまして。
全く見当違いかも知れませんが。


菊水紋使用:
有名使用者は楠正成。
後醍醐天皇より拝領。
ということで  楠家の代表紋。


橘氏系:橘・楠・和田・甲斐・庄・内島・橋本・松村・吉川

源氏系:松平・正行子孫系池田・坂野・山瀬

藤原系:竹村・内田

穂積系;鈴木
[39]ようこさんからのコメント(2011年03月08日 06時37分11秒 ) パスワード

空の青海のあをさんへ

ありがとうございました。

今日は天気も良いとのことで、車で20分くらいに

ある千早赤阪村までドライブに行ってきます。
[40]空の青海のあをさんからのコメント(2011年03月08日 15時45分09秒 ) パスワード

ようこさん

いかがでしたか?


何か霊感を感じましたか?

結局ここは「村」のままのようですね。
大阪府唯一の村というのもいいですね。


楠正成が生まれた場所、という感じはありましたか?
[41]ようこさんからのコメント(2011年03月20日 10時33分41秒 ) パスワード

空の青海のあをさんへ

千早赤阪村は、以前、仕事場所のひとつだったので良く知っている場所です

が、占ってもらう以前のことだったので、無意識で働いていましたが、今回は

意識過剰のハイな気分でドライブしてしまいました。もう少し春めいていたら

ヨモギとか採れるんですが、ただ寒くて・・・(笑)

四季の移り変わりがはっきりしたいい場所ですよ。吸い込まれるとか霊感とか

は感じられる様な感じないような・・でした。


[42]空の青海のあをさんからのコメント(2011年03月20日 11時46分33秒 ) パスワード

ようこさん


車で簡便に行ってしまうより
電車とかバスとかで時間をかけて足でも歩いて
心の摺り合わせをなさりつつの方がパワーが「来易かった」かもですね。


何度もいらっしゃってたら、そのうちに向こうから来ますよ。
御先祖さまが「なんだ、もう来て行っちゃったのか」と思っていらっしゃるかも。
ふふふ
「最近の馬は足が早いのお」とかおっしゃっているかも。
[43]ようこさんからのコメント(2011年03月20日 17時37分09秒 ) パスワード

空の青海のあをさん

そうですね・・・近鉄富田林駅から金剛バスってのが出ているらしく、そのバ

スだと、思い過ごしかもしれないご先祖様に会えるようです。もう少し暖かく

なってきたら、リュックでも背負ってハイキングに出かけてみようかと思いま

す。日ごろの仕事から離れてゆっくり空気を吸うのもいいかも・・ですね

ありがとうございました。
[44]空の青海のあをさんからのコメント(2011年03月21日 01時59分54秒 ) パスワード

ようこさん


わたくしの場合はいろいろ体験がありますが

伊賀に行った時
名古屋方向からで

別に何も期待はしてなかったのですが

その電車内はすごく寒くて(山の中だから、しょうがないのね)と思ってました。


ところが、突然、顔の辺りのみ  ボウ〜  っと生暖かいというか
                       ヒトの体温というか

感じましたよ。

他の部分は寒かったです。


あ、迎えに来てくれた
って思いました。


それで先祖って守ってくれているというのを実感しています。

ようこさんも御先祖さまが守ってくださっているようでお幸せだと思います。


うちも楠正成がどーたらというのは母方父方双方にありますから  (母方は菊水紋を使ってた時期がありましたから)
ようこさんが御先祖さまを実感できますように
と願っているのですよ。にっこり
[45]ようこさんからのコメント(2011年03月22日 17時07分51秒 ) パスワード

空の青海のあをさん

無性に行きたくなって、やはり車で行きました。仕事の合間に向かったので急

ぎ足でしたが、楠公産湯の井戸を階段を下りて見てきました。後は車で、金剛

山麓にある千早城跡、下千早城跡、上千早城跡を通っただけでした。途中、頭

が重くなってきて、気が遠くなってくるような感じがして、空の青海のあをさ

んみたいに顔の周りのみが・・・とか全然ありませんでした。山の上まで行っ

たので、気圧のせいかも知れないですね(笑)。時間がある時に再度行ってみ

ます。
[46]空の青海のあをさんからのコメント(2011年03月23日 01時41分27秒 ) パスワード

ようこさん


お仕事の合間、ですか。

いいですね。


>頭が重くなってきて、気が遠くなってくるような感じがして、
>山の上まで行ったので、気圧のせいかも知れないですね(笑)。

あらあら

よく分かりませんが「気圧」が関係するというのは「高い山」なら分かりますが。


なんだか不思議な体験ですね。


いよいよ御先祖さまに御対面というのでしょうか。
また行ってみてください。
[48]さなえさんからのコメント(2011年04月12日 11時05分02秒 ) パスワード

おじゃまします。

ようこさんも、伊賀にいってらしたのですね(^^)。わたしも、また行きたいです。千早城とかも・・・

わたしは、最近まで歴史とかぜんぜんわからなかった人ですが、先祖をたどって・・・平熱さんにお邪魔させていただいているしだいです。パソコンも上手く使えませんので、そのところ許してくださいませ。

ところで、以前スレッド・伊賀餅と伊賀忍者の関係のほうで、ときおさんに教えて頂いた本「鬼の太平記・まんじゅう伝来史」があるんですが・・・楠木正成さんのことや菊水紋のこと「非理法権天」の本当の意味(作者の想像かもしれないけど、こちの方がしっくりする)など書かれていて、興味深い本でしたので、お知らせしますね。ときおさんの言われるとおり、わたしには難しい本でしたが・・・何かに読まされた気がします。先祖の気概のようなもの感じましたよ。不思議ですねええ。        では(お邪魔しました)。

[49]空の青海のあをさんからのコメント(2011年04月14日 01時25分31秒 ) パスワード

昨日NHKの番組を見ていたら
「菊水」という御名字の麻布大学の先生が出演なさっていました。

「極める」というシリーズの「動物行動学」についての番組です。


良い名字ですよね。
トクですよね。
軍隊に行っても殴られずに済む名字でしょうね。



日本人には「楠」とか「菊水」とかには、良いイメージがありますよね。
[50]さなえさんからのコメント(2011年04月14日 09時05分32秒 ) パスワード

[48]で、わたしまちがちゃったので、訂正します。
伊賀にいったのは、空の青海のあおさんで、ようこさんが、千早へですね?

こんらんさせました、ごめんなさい。
[51]さなえさんからのコメント(2011年04月14日 09時15分59秒 ) パスワード

楠木正成さんは、忍者の親分的存在、弱者の見方、反勢力側なイメージですが・・・わたし(服部党?)にとったら、「カッコイイ!!」の一言です。菊水紋もなんだか、意味深・・・です。

今日も、思ったことをかいちゃったけど・・・よかったかな?どうも〜(^^)
[52]今井 綺羅さんからのコメント(2011年07月24日 00時29分03秒 ) パスワード
URL=http://yamabukimiku@yahoo.co.jp.

私の家も、菊水です。
家は何百年も昔お寺だったそうです。上杉謙信もいらした寺です。印もあります。もう自分の家じゃないからあるか分かりませんけど・・・。他の人に譲って分家になってしまいました。苗字は、今井です昔は斉藤でした。私の家はひいひいおじいちゃんの時代まで名前が戦国武将に近いように心がけていたそうです。高熱で亡くなったといわれているおじいちゃんは今井信秀だったそうです。まあ、こんな感じです。
[53]さんからのコメント(2011年08月05日 15時56分57秒 ) パスワード

私の母方が、姓『楠』、家紋『菊水』です。
曾祖父が貿易を生業としていた、というのは聞いたことがあるんですが、先祖については知りません。
楠木正成がご先祖様なんでしょうか??
それとも、たまたま…?
当方、山口県の者です。
[55]庄司さんからのコメント(2013年03月17日 22時12分47秒 ) パスワード

庄司ともうします。私の里は、和歌山の龍神ですが、家紋が菊水です。楠から和田ではなく、庄司を名乗った人がいるようです。お婆さんが十津川村の玉置氏で、何れも熊野国造です。
[56]さなえさんからのコメント(2013年03月18日 18時15分46秒 ) パスワード

庄司さんへ

 わたしは、一昨年十津川村に少しですが行くことができ、玉置神社で神秘的な体験ができました。近くに龍神温泉があることも知り、「すごい地名だな・・・」と思っていました。何の参考にもなりませんね。先祖(服部)がお世話になったかもしれませんので、「ありがとうございますね。」

お彼岸のせいか・・・、頭がほわほわしています。ごめんなさいませ。

[61]颯風さんからのコメント(2013年08月20日 13時41分09秒 ) パスワード

こんにちは。私の家の家紋も菊水です。

祖父の出身が大分県日田の津江です。
姓は室原で、祖父は蜂の◯城の室原◯幸氏の従兄にあたります。

日田は豊後国玖珠はすぐ近くのようですのでルーツは
清原源氏なのかな…?

しかし菊水紋の方が多くてびっくりしました…
とても珍しがられるので…先祖がどこかでつながってるのかな?
と思うとワクワクします。
[69]辻の坊さんからのコメント(2013年10月28日 00時23分12秒 ) パスワード

我が家も菊水、浄土真宗です。
現在、宮城県に住んでいますが、祖父の代まで奈良県の下市におりました。
楠木正成の子、正行から池田教正の流れだと確認出来ています。
江戸初期には天河で能楽に携わっていました。
古くから伝わる家系図は偽物だと思っていましたが、専門家に鑑定を依頼したところ、
本物であると確認され驚いています。
又、天河神社にて当家の位牌を見ていただいたところ、遠縁であることも確認できました。
全く、驚いております。
[72]和田 倭さんからのコメント(2013年12月16日 18時05分00秒 ) パスワード

我が家も 祖父の代まで下市に住んでおりましたが その前は天川村和田です。
苗字も和田ですが 宗派は浄土宗です。多分下市に 「西迎院」が 浄土宗なので
改宗したのでしょう。

天川村和田は 和田孫三郎正頼が天川に移り住み 和田という地名になったと聞き及んでおります。(近くに天河神社あり南朝天皇や皇子が住んでいた)そこで南朝をお守りつつ天川和田に住んだものと考えます。その天川村和田は 浄土真宗の「豊永時」なので和田に住んでいた頃は 浄土真宗であったと思います。以前天川村和田を訪れた時には お寺の中に石碑があり 和田某(多分ご先祖様)と有りましたが今はもう石碑は無くなっているようです。また 現在天川村和田には 和田姓はどなたもおられない。

和田正頼の父親は 和田和泉守正武で岸和田古城 堺城岸寺城(大饗城 オワイジョウ)を拠点として南朝側として戦っていた模様です。

その家系を辿りますと 5代前に和田成氏と言うご先祖があり 熊野国造家 和田に繋がります。

この和田家の読み方は ワタ若しくはワダであり ニギタやミギタとは 読みません。 ニギタやミギタは 橘系又は藤原系で 河内に来たものです。

その 成氏の子供に正俊 その息子正玄(正遠)が 楠木正成の親となります。
では なぜ楠木と名乗ったのでしょう。

私は成氏より数えて13代前に 真主と言うご先祖がおられますが その真主は橘島田麿(奈良麻呂の子供)の子供で 熊野国造家に養子に来られた後 その三代後の広方が 橘の姓を後醍醐天皇時代 改姓許された経緯がありますので その橘と熊野本宮に関わる楠木で 橘朝臣楠木と名乗ったものと解釈しております。

なので 楠木家も元々は 和田(ワタ、ワダ)上古(646年)までは熊野国造家として名乗っており 広方より3代のみ橘で 又和田庄司、和田国造を朝廷から賜りまた和田の姓に戻しています。

その正成の子供で正儀 末裔の方々が又熊野に戻り神職を現在もしていると聞いております。

鎌倉後期より南北朝時代に河内を拠点としたので 同じく河内拠点の和田という姓が 3系(熊野国造家、藤原系 橘系)入り乱れて混乱する所以です。

参考ですがhttp://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02125.htm
[73]和田 倭さんからのコメント(2013年12月16日 18時44分22秒 ) パスワード

補足

楠木正成が 何故楠木姓を名乗った原因は 前回橘姓の関係もありますが

正成の父親が 橘盛仲の娘を嫁に迎入れた後 和田姓から 楠木姓を名乗ったようですね。 
父親は千早七郷領主 和田正玄(正遠) 左近大夫・千剣破館に住す。

長男 楠木俊親、 次男 楠木正成、 三男 楠木正氏、 四男 楠木正季、

五男 楠木恵秀 となりますが この楠木姓は 元々和田姓です。
[74]名無しさんからのコメント(2013年12月29日 17時02分09秒 ) パスワード

はじめまして

我が家は、菊水紋を使用しております、姓は「中村」と申します。
浄土真宗西本願寺派です。
出身は甲信越地方です。

何か皆さんと関係があるのでしょうか?
[75]中村岳夫さんからのコメント(2014年07月26日 21時42分35秒 ) パスワード

名無しさん、2010/01/08のコメントを書いた中村です。
もちろん浄土真宗です。
祖先は長野県北部の芋川です。
共通するところがあるなら、遠縁かもしれませんね。

[76]ヤスさんからのコメント(2014年09月20日 11時32分23秒 ) パスワード

私の家紋も菊水です。
苗字は「大塔」、かつて本籍は奈良県吉野郡大塔村戸野でした。
現在は大塔町となっているみたいですね。
現在の戸籍は何かと面倒だったので、現在両親が住んでいる静岡の住所に移してしまいましたが。
[77]名無しさんからのコメント(2014年12月27日 01時51分58秒 ) パスワード

中村岳夫さん
2013/12/29に投稿したものです。

私自身は違うのですが、曽祖父は長野県の黒姫付近の出身なので、おそらく遠縁ですね。
びっくりしました。
[78]青木どなうさんからのコメント(2015年02月03日 23時11分52秒 ) パスワード

「芋川」姓についてですが、1189年、藤原鎌足の後裔といわれる弥次郎兼定が信濃の国の上水内郡(現在の長野市飯綱町)に来て、荘園を築き、地頭となり、姓を改め「芋川弥次郎兼定」と称したのが始まりだそうです。

その後、楠正成の子、正儀の四男正秀が芋川長知の娘を娶り後を継いだため、
「菊水」紋を使うようになったようです。

ただ、家紋は「対い鶴に若松」で「菊水」は裏紋として使われたようです。

何年も前に、長野県立博物館で「武田・上杉 信濃武士」展が開かれ、
芋川家伝来の甲冑が展示されていましたが、「対い鶴に若松」紋が使われて
いました。

私もかつて芋川姓を名乗っていた一人です。



[79]中村岳夫さんからのコメント(2015年04月08日 17時02分38秒 ) パスワード

私の祖先(中村で菊水紋)も柏原(黒姫あたり)の出身です。

中村祖先と小林一茶の祖先が、
芋川を出て、柏原(黒姫あたり)を開拓(に参加)したと記録に残ってました。

私の祖母も一茶の末裔か親戚らしいです。

青木どなうさん
当家菊水紋の中村(芋川)と違う、芋川親正の家紋が、
「対い鶴に若松」だったのでしょうか?
その展覧会見たかったですね。
[80]庄司さんからのコメント(2015年11月20日 07時43分14秒 ) パスワード

私の親方の父親は、和歌山の庄司で、家紋は菊水です。
和田から楠へ、そして庄司を名乗ったとみています。
父方の母親は、十津川の玉置です。何も熊野国造系との認識です。
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