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 投稿番号:100623 投稿日:2004年03月14日 16時24分59秒  パスワード
 お名前:高校生
宇都宮戸田氏に仕えた花菱紋の和田氏
キーワード:和田 菱
コメントの種類 :質問  パスワード

初めまして!!
自分の母方は和田(本家)といいます。徳川家康が譜代大名である戸田さんに仕えていました。出身は三河の国で、戸田さんとともに越後高田、島原、最終的には宇都宮で明治維新を向かえました。このことは私の家に伝わる家伝によって知ることができます。
家紋は丸に花菱です。鎌倉時代に活躍した侍所筆頭和田義盛、藤原秀郷などの人物が先祖としてからんでくるかと推測しているのですが、何か情報はないでしょうか??
 新参者のくせにこんなに質問をしてしまってすみません。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年03月15日 01時40分48秒 ) パスワード
  

古代に和田国というのがあったそうですよ。(私は初耳ですが)

それに非常に日本的な伝統的な名前なので
日本全国に存在するので
特定するのは難しいでしょうね。


桓武平氏の流れの相模国三浦氏系もありますし
清和源氏の流れの信濃国佐久の小笠原氏系もありますし他にもあるそうですし
楠正成の親戚の和田さんもいらっしゃるし
守屋系もいらっしゃるそうですし
鹿児島までの日本中に多い御苗字ですねえ。


ただ家紋が花菱でしたら甲斐源氏の武田氏に結び付けてしまいます
気分は源氏方・源氏系だったのかしら?と思いますが
この家紋をいつから使用したかという問題が出てきますし
家紋は1家に1つじゃないですから
よく分かりませんね。


合理的に考えますと
戸田家の分限録に載ってるでしょうから
そこで記録したのが御先祖さまという事になりますね。

宇都宮の県図書館にいらっしゃって(または郵便で問い合わせる)お調べになれると思いますよ。
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年03月15日 02時50分11秒 ) パスワード
  

またまた推測ですが

花菱ということで
武田の割り菱・花菱に似てるなとか
小笠原氏は三階菱・松皮菱に似てるなとか

と考えるとやっぱり「源氏」または「源氏方」だったのかしら?と。
清和源氏なのでしょうか?
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年03月15日 03時21分57秒 ) パスワード
  

戸田さんについてちょっと調べてみました:


信濃松本藩の戸田氏は本姓清和源氏
義家5世の孫信義が建保元年1213年尾張国戸田庄の地頭になり戸田氏を称した。

子孫の康長が関が原・大坂両陣に戦功があり松平姓を拝領、

支藩に宇都宮藩・大垣藩・下総曾我野藩・足利藩・美濃野村藩。


ということは
状況からすると矢張り甲斐か信濃か武田か小笠原か
あの辺りのご出身かも。

戸田家家中で花菱紋を使用できたという事はかなりの身分があったという事でしょうね。
花菱紋でしたら武田をイメージしますからよほどの家でないと禁止されたと思うので。
戸田氏を調べていったら出てくるかもですね。


もともと三河の出身なのか
どこかから三河に来たのか
そういう古いことが分かると良いですね。

他の人から情報が来易いようにタイトルをちょっといじりますね。
[4]高校生さんからのコメント(2004年03月15日 20時03分04秒 ) パスワード
  

返信ありがとうございます!!
家伝である「落葉集」によると、戸田家に仕官したのは寛文、延宝のころではないか、と推測されるとあります。理由は、1,寛文、延宝、天和の頃の家臣名を書いた「田原分限帳」にて和田姓が出てくる。それ以前(承応3年)1654年に書かれた「田原御家中知行御扶持切米取覚」には和田姓が見あたらない。
2,和田家本家に現存する最古の位牌が元禄13年(1700年)のものである。
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年03月16日 03時20分10秒 ) パスワード
  

>「田原分限帳」にて和田姓が出てくる

田原藩ですか?
愛知県渥美半島の?

そうしますと愛知県田原の教育委員会に問い合わせてみると良いかと思います。
(田原は幕末に渡辺崋山が家老してた所です←彼は江戸生まれみたいですね)
(もっと前はここの家から松平家に嫁に入った女性の実家が子供だった徳川家康を売り飛ばした藩じゃないかしら?この女性は戸田藩の姫君だったのかしら?)


当時のことをまとめた歴史編纂書が手にはいるといいですね。
教育委員会でしたら教えて頂けますよ。
扱ってる本屋さんも教えていただいたら郵送で取り寄せることも出来ますし。


私は土地鑑が無いのでなんとも言えませんが


もしかすると江戸時代になってから「和田姓」を名乗ることが許されたのかも知れません。
私の母方も江戸時代末期にやっと本来の姓に戻すのを許されたので。
分限帳でつき合わせていくと1654年以前和田姓の前に名乗っていた名字が分かるかもです。


普通は家系書には本姓が何だったか祖神(祖先になる天皇とか)がどなたか最初に書かれていると思うのですけど
そういうのが分かったらいいですね。
[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年03月16日 03時24分24秒 ) パスワード
  

それから系図の御先祖さまのお名前の通字が「義」でしたら源氏系かとも思いますが
途中から使わなくなったりという事もありますねえ。

それに通字は藩主のものと同じだったら禁止されたりもしますし。
藩によって禁止の文字ってありますし。


江戸時代より前の御先祖さまのお名前から分かるかも。


系図を何度も何度も読んでると向こうから教えてくれますよ。
田原にいらっしゃる事が出来るといいですね。
[7]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年03月16日 03時42分01秒 ) パスワード
  

戸田さんの歴史を書いたものが手に入るといいですね。
尾張時代・三河時代・越後高田、島原、最終的には宇都宮時代。


そこに御先祖さまが出て来ると良いのですが。


江戸時代は名家の子孫を捜し出して来て雇うということも行われていました。
和田義盛は巴御前を頂いて男子が生まれて、という話を聞いてますから
花菱紋という事で木曾義仲につながるのかしら?と思ったり。


和田姓は日本中に存在するし
和田姓を頂いた立派な武将がいろいろな時代に!別々に?存在するし
やっぱり家系図の最初の御先祖さまが重要かと思います。

人からはいろいろ言われるかも知れませんが
自分の家!というアイデンティティの問題ですから
御先祖さまが書き残した事を伝えて行くのが良いと思います。

小さな謎の書き込みが実は決定的な他の和田氏との「差」という事がありますから。


私も「書き間違い」かと思ってたら「それが決定的な証拠」というのに出遭った事があります。
[8]高校生さんからのコメント(2004年03月17日 21時06分35秒 ) パスワード
  

ご返信ありがとうございます。
僕のもちあわせている知識などびびたるものなので、ほとほと感動します!!!

ところで、通字ですが、江戸末期ごろまでははっきりとしています。本家にはよく「利」という文字が使われています。
[9]高校生さんからのコメント(2004年03月17日 21時18分29秒 ) パスワード
  

さきほど発見したのですが、清和源氏武田流の米倉氏は裏門として丸に花菱をしようしているのですが、、和田姓は出ていないんです。どうでしょうか??
[10]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年03月18日 01時52分33秒 ) パスワード
  

>本家にはよく「利」という文字が使われています。

公家や武士で「利」を使用してる家が分かると良いですね。

公家では藤原利仁という人物がいますね。魚名の孫だそうで915年に鎮守府将軍。
敦賀の御名に屋敷跡があるそうです。
上記の「藤原氏出身かも」という書き込みに合いますね。


武士で有名な家ですと「前田家」になりますか。
前田なら名古屋の中川区の荒子出身ですから  ← 尾張という地理的近さ 
それに家紋が「梅鉢」と「花菱」で似てるかも。


結論は「分からない」ですね。


やっぱり家系書の最初が分かると良いですね。
家系書の最初に「どこの何者の末裔」というのが誇らしく高らかに謳われてるのが家系書ということで普通ですからどなたか御親戚の方から見せてもらえると良いですね。


花菱紋は源氏・平氏・藤原氏・その他
日本の全ての姓の家に使用されている非常に一般的な紋ですから
紋から探るのは難しいです。

時代時代で替えたりするし。拝領するという事もあるし。落武者になって隠すという事もあるし。


日本は名字と家紋が非常に複雑な民族だと思います。それが日本人のアイデンティティなんですけど。


普通家系書にはどの代で名前を変えたとか紋を替えたとか書かれているので
この書かれた巻物を見せて頂けると良いのですが
親戚によっては「絶対見せてやらない!」という家もありますから

お彼岸とかお盆とかでお年寄りの御親戚があつまる席で話題に出せばどなたかが漏らしてくれますよ。

「見たいな。どなたが持ってますか?」と振ればどなたかが教えてくださいます。
(かならず裏切り者がいてバラす人がいますからこういう人が見つかると良いですね)
[11]大石 りくさんからのコメント(2006年01月20日 09時53分45秒 ) パスワード

 わたくしは、清和源氏の流れを受け継ぐ武田信玄殿から、命をうけ、とだはん5代目か、6代目に大垣に使えた文官 大石家の血をひくものでございます。明治維新後、お殿様、戸田伯爵とおなりになられたりっぱな方、に、
「ぜひ、大阪の堺で教師におなら。」
となんと8さいのときから寺小屋で教師をしていた 大石兵之助 がひいおじいさまです。なんと、大正九年二月二八日に 大正天皇から勲章をいただきました。その子どもが、戦争中、なんと長居小学校(大阪府)で教師をしていたころ、肺病になり昭和19年5月になくなりました。父親は教師はしておりませんが工業高校のおめんじょはもっております。わたくしも、大石安雄、文子さんという滋賀に住んでいた方から「津田梅子さんの意志を引継ぎなさい。」といわれました。私も中学・高校数学教員免許をもっております。
[12]塩野凡夫さんからのコメント(2009年04月04日 12時11分38秒 ) パスワード

私の祖母は和田京と言います。最上義光に二千七百九十石で仕えています。そこへ来る前は上野国和田城主でした。上杉憲政方でしたが武田信玄に降り勝頼に仕えました。その後上杉景勝に仕え数々の戦功があったということです。今NHKのドラマに出てくる時期です。慶長5年景勝所領減に依って最上義光に拾われたようです。最上家改易になり庄内藩酒井忠勝に家臣四百石になります。和田七郎左(右ともいう)衛門正直といいます。≪きょうはこれまで。市立前橋図書館に「和田氏系譜」、鶴岡市立郷土資料館に「和田家先祖書」、また山形の最上家博物館にもいろいろあります≫
[17]お初ですさんからのコメント(2017年09月01日 20時00分24秒 ) パスワード

私は戸田で、家紋が丸に剣花菱です
親は土佐の出身で、私も興味があり調べて参りました。
近くの神社やお寺、更に過去の武将を調べる中に祖が物部氏がこの一帯で活躍致しました。
戸田もかつての武士や家臣等努めていましたが、武蔵七党からの武将も居まして、こちらも物部氏と関係があります。 和田氏については分かりかねますが、
戸田は推測になりますが、美濃の大垣に関係があるかと、そして紀伊や出雲にも関係があるかもしれません。摂津等もです。剣は鏡との関係もあるらしいです。 詳しくないですが。幕末からの出身が解れば辿りやすいかと思います。
[18]お初ですさんからのコメント(2017年09月04日 01時00分31秒 ) パスワード

塩野さん、お聞きしたいのですが、戸田氏とは何か関係してますか?それと氏神様等神社等関係はありますか?知多の昔話で戸田氏は龍神様のお話に出てくるのですが、それが土佐の家の近くの山に海の神社や月の神社、大龍神があるのです。奏氏殿様関係等も、何かわかる事をお聞きしたいのですが、私はそちらに関係している戸田氏です 戸田氏はいくつも流れはあるのですが、和田氏もいくつかあるのでしょうか?
[19]お初ですさんからのコメント(2017年09月16日 17時14分20秒 ) パスワード

土佐の戸田です。色々調べて見て、土佐国の家紋を調べていた方が居まして、菱家紋は清和源氏義光流とのこと。家の古い地名に亀が入って居ますが 地区の龍王がありまして、どこかの方が龍王について調べてまして、カゴメカゴメの歌に秘密が隠されている。との事です。鶴と亀が出てきます、そしてあちこちに浦島太郎の伝説が有りますが、この地区もそれにちなんだ、場所が有ります 有名でもありません、私がそのように感じたまでなのですが、行基健立のお寺も昔有りました その近くに先祖のお墓が有りますが、大分古くほぼ字が消えてしまってます。この辺りは佐竹氏が持っていました。古くは近くに茶臼山城等お城がいくつかあったようです。戸田は清和源氏の説もいくつかあるようで、調べて見ると、時代は分かりませんが、美濃や宇都宮にも関係があったように感じます。家族や婚姻関係や、諸々考えればあちこちに居てもおかしくないように思います。遠い昔の戸田の誓願寺には鶴と亀の門があるような事を見た気がします。系譜があちこち途切れたりはしているようですが、どこかに必ず謎はあるように思います。ちなみに誓願寺にも菱家紋が使われているようです。
[20]お初ですさんからのコメント(2017年10月03日 14時27分21秒 ) パスワード

過去の掲示板だったようで、もう除いてらっしゃるかは分かりませんが、いくつか、気になりましたので、のせておきます。私は土佐の戸田です。私の先祖の名前に源兵衛と申すものが居まして、小笠原家の中に戸田忠秀なる人物が出て来ます。その子供が源七郎、源兵衛なる方です。土佐のこの辺りは佐竹氏が支配してましたが、佐竹氏も小笠原氏も河内源氏にあり、又昔、新田義貞等、土佐に居たので、もしかしたら、河内源氏での関係もあるかもしれません。我が戸田家もこの河内源氏との関係のある人間かもしれません。ちなみに、小笠原氏は菱家紋を使って居ます。又、何か気づきましたら返信下さい
[21]お初ですさんからのコメント(2017年10月04日 21時45分03秒 ) パスワード

もう1つ、和田義盛という方が源義経の紹介の義経の
死後に出てくるのですが、義経との何か関係、
もしくは、源氏との関係は有るのか?実は実家の墓所の近くには万福寺、行基建立で万福寺は義経との関係がある神社なので、何か関係するのか疑問を持ちました。我が戸田家とは関係はあるかは正直分かりませんが 大体昔から居る先祖の土地は、同じ士族が集まっている事や、明治前からその辺りの婚姻も、身分も絡むような気がします。ちなみに、家の、明治初期からの婚姻の相手は土佐藩士方のみよじが多い気がしました。
[22]お初ですさんからのコメント(2017年10月05日 10時49分32秒 ) パスワード

何度もスミマセン。和田さん、和田義盛でネットで調べられるとお分かりになられますが、源氏の関わりが書かれて居ます。和田義盛の兄弟には小笠原家の名前も入り、頼朝や義経の記事も載せられて居ます。もし、義盛が先祖の関係であれば、家との関係も繋がるかもしれません。まだあやふやだらけですが
[23]お初ですさんからのコメント(2017年10月05日 22時05分09秒 ) パスワード

和田義盛の墓所の白旗神社が天照大神になられています。家の先祖の墓から近い神社がイザナミイザナギの神社になります。何かのお力になれたらとのせておきますね。家の先祖も分ければと願います。幾つも、のせてしまい申し訳ありません。家の先祖のことも調べていたのて。では、失礼致します。
[24]お初ですさんからのコメント(2017年10月07日 10時58分39秒 ) パスワード

宇都宮藩戸田氏は通字が忠となっております。家の先祖の同じ名前の父親が忠秀 その子に源七郎、源兵衛 同じ忠は使われておりますが、その辺りの情報が薄く、又土佐に居る家が、いつこの土地にきた理由や、時代が不明な点は気になります。和田義盛氏の祭神の
天照大神の親に当たる家の戸田家の神社の祭神がイザナギイザナミには共通があるようには思います。ちなみにお寺は天智天皇が建立、この辺りは馬にちからを入れていた時代があるのですが、宇都宮藩の戸田の兜に馬の毛が使われていた。これにも気になった部分があり、戸田氏は水に関する氏なのですが、例えば水軍、家は、水に関係していますが、新田にも関係が有りますが、和田氏は共通は有りますでしょうか?そして、義盛の幼名は小太郎、家の又先祖の中に孫太郎なる人物、これが幼名かは、分かりませんが、大変似ていて、八幡太郎との関係が有るのか?これは言い過ぎかもしれまんが、歴史には共通もあると思いますので、天智天皇からすると藤原氏と思いますが、関係してきた方を考えると源氏とも。そこから戸田氏の系譜を見ると、戸田忠系 祖が戸田信義 八幡太郎 との関係もありそうなと。色々分家されてますので、家の詳しい系譜は分かりませんが、今はこれが、妥当と、そんな感じになります。
[25]お初ですさんからのコメント(2017年10月07日 16時38分16秒 ) パスワード

少し繋がりがあるような記事を見つけたので、お話します。家の戸田源兵衛なる同姓は小笠原家の系譜なのか?載っていたのですが、そこに穴沢貞長が有りました
穴沢氏は会津藩で有りまして、会津藩で調べて見ると、和田氏の系統方が出てきます。三浦で間違いなければ、その方が常陸佐竹氏に頼りと書かれていました。先祖が和田義盛であり、家紋が花菱である場合ですが、昔、白村江の戦いに勝った唐、中大兄皇子=行基、天智天皇の軍は北陸や新潟に行き来していたようなのです。その行基建立寺が万福寺等、この地に有りますが、ここを支配していたのが佐竹氏で有りますが。これが合っているかは分かりませんが。家紋が菱家紋を使われている。ちなみに、穴沢氏と小笠原氏は同じように三階菱です。家や和田氏が花菱なのは分けるためでもあったのかと推測します。
[26]お初ですさんからのコメント(2017年10月08日 13時30分05秒 ) パスワード

桓武平氏三浦氏流和田氏と言う氏があるのですが、黒川氏であって、黒川氏の中の越智氏の中に関係があれば、家と繋がる可能性が高いと、色々調べて分かりました。Wikipediaで調べれば、繋がりも分かるので、調べて見て下さい。いつか繋がる事を願いまして。
そして、戸田氏もどの方が居たのか分ければ良いですね。家は小笠原家や佐竹氏、津野氏、越智氏と関係が有ります戸田氏になります。東北、四国、北陸、新潟辺りに移動していたように思います。では失礼致しました。
[27]お初ですさんからのコメント(2017年10月10日 11時50分11秒 ) パスワード

越智氏の中に秀郷流なる人物が居たような。唐と百済の合戦から唐と物部氏は関係が有るようで、唐は中大兄皇子が関係しています。中大兄皇子は行基、天智天皇であります。唐は百済に勝ち、又天智天皇は蘇我氏を滅ぼしました。蘇我氏は物部氏に勝った氏です。その唐から出た子の一人が河野氏の祖の玉澄 行基建立万福寺、玉澄健立海津見神社が家の先祖の墓の真下に有りました。一人一基のかなり古いです。 高知県の菱家紋は源義光流となってます。 そして菱家紋を用いる人物は、甲斐源氏との繋がりがあるようです。話は飛び飛びですが、この越智氏と源氏はなんらかの関係があるようで、書かれていました。確かに家の先祖の墓の真下にあるお寺と神社はそのものです。さて、桓武平氏の坂東平氏ですが、私共に関係あるのは三浦氏や佐竹氏で有りますが、伊勢平氏とは敵であったようで、これが源平合戦になります。家の先祖や和田氏は、三浦氏や佐竹氏、そして越智氏と繋がりがある清和源氏義光流甲斐源氏の小笠原氏と関係します。先祖代々水田に関わり、又軍では水軍との関係が有りました。何故、小笠原氏かは前に述べました、戸田忠秀子源七郎源兵衛は小笠原家に載っており、小笠原家は清和源氏義光流甲斐源氏であることが、ただ情報が薄いので言い切れませんが。繋がり的には大きいと思います。そして秀な郷なる人物は確かに和田氏の祖にあたるような気がします。歴史はかなり古いですが、ご先祖を大切にしたいですね
[28]お初ですさんからのコメント(2017年10月10日 12時14分37秒 ) パスワード

すみません、追加だけ 秀吉郷の事は越智氏は支流で、太平氏で載っています。越智氏に繋がりがあります。
[30]お初ですさんからのコメント(2017年10月13日 21時31分12秒 ) パスワード

新たな事が分かりました 土佐の山内一豊時代に、家の町に居た山内の守役
に林一吉なんですが、山内姓を貰ったのですが、その林一吉は祖父が森可成といい、美濃森氏で、森氏は戸田氏を称した方も居ます。伊予の戸田勝隆も関係するかもらしいですが、その林一吉の父親は河野氏で美濃稲葉氏で支流には和田氏も要るのです。いったいどんな繋がりなのでしょう。
佐竹氏、南部氏、はやはりこの地域に居ますし、
和田氏は島原や宇都宮等、行かれたのですよね?家が何処を移動したかは分かりませんが。ただ、越後はほぼ確定されますが。
岩手県や福島県等も、そこからが分かりませんが、佐竹氏や南部氏とは繋がって移動した気もします。後は、美濃辺りも。それは美濃には、海津市という場所や海津見城もあったり、ただ大垣とは違う気もするのですが。 ちなみに家の婚姻に二宮姓が居まして、二宮というかたは、山内家臣であったようですが。家の婚姻の方と繋がりがあるかは分かりませんが。
[31]お初ですさんからのコメント(2017年10月14日 10時16分13秒 ) パスワード

和田義盛の墓は白旗神社ですね。白旗神社は義経の墓所であり、平家の墓は八王子神社に作られたとの白旗神社の歴史に書かれています。義経の首かどうかを確かたのは和田義盛、神社の由来は、白旗が源氏のものだと頼朝が確かめたのです。
ここの和田氏の方が繋がりがあるかは分かりませんが、土佐の長曽我部は、蘇我氏の子孫であると言われて居ます。そして、家の方は、前に書きました、義光流であり、義光は新羅の関係があり、物部氏の支流越智氏は、河野氏があり、河野氏は、高岡郡に居ました。子孫関係も居ます。そして、源氏と越智氏は何らかの関係があり、その歴史はかなり古く、長曽我部は越智氏も滅ぼしますが、越智氏の関係する江戸時代、山内氏の林一吉は河野氏であり、又森可成が祖父。又森氏の八幡太郎義隆は戸田氏も称した方が居まして、多分清和源氏であるでしょう。ちなみに、義経は岩手県で殺されました。岩手県は、九戸氏も、南部氏も居た場所、九戸氏は小笠原氏の可能性もある説なのです。時代はこの文書からはバラバラになりますが、何かの繋がりがあるような気がします。
[34]箱柳永田さんからのコメント(2017年10月26日 19時31分57秒 ) パスワード

  高校生 殿
 三河出身の和田氏にこだわれば

 >https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%9F%8E%E5%8F%A4%E5%9F%8E    畠山系統に志貴庄の和田氏が有ります。
  (志貴庄は安城から碧南の地域が想定されている)
 碧南市の称名寺に寄進か何かの記録があったと記憶してます。
 >https://iko-yo.net/facilities/55898  


http://www.sukima.com/23_chitawan01_02/33syomyoji.html
  すきま漫遊記さんの説明が<好みです>ので、紹介します。
 
 
[35]お初ですさんからのコメント(2017年10月27日 23時23分56秒 ) パスワード

只今、大体の出自ではないかと思う事が、家は陸奥国からと書きましたが、そこには九戸氏が有りますが、南部氏が支配していた説と、小笠原氏の説が有りますが、おそらく、小笠原氏の説だとおいて考え調べました。九戸氏の支流には上野氏が有りますが、戸田信義を祖とする、森姓からの出自だと思いますが。家がどの辺りを行き来したかは分かりませんが、そうすると田原藩等との繋がりが出て来るかと。ちらっとずつの調べ方なので、万が一間違えがあればスミマセン。ただ、土佐の佐竹氏や南部氏、山内氏、林氏、三浦氏等の関係からも今回のようになりました。
家と別家であれば申し訳ないです。
[36]お初ですさんからのコメント(2017年10月27日 23時34分14秒 ) パスワード

後、渥美 阿曇氏の関係が有りまして、福岡県に神社が有りますが。家は神別になりますので、お寺は神社の隣に有りましたが、移動されて、今は金比羅様と馬頭観音が有りますが。 昔は種馬を生産していたらしいです。この仁井田には伊達氏も宇和島藩に向かう途中の経路となったり又、歴史のある場所でも有りますので、又興味あれば。では
[37]お初ですさんからのコメント(2017年11月03日 00時01分33秒 ) パスワード

新たな発見と言うか、一番、関わりのある場所を見つけました。愛知県の白山社(戸田)で有ります。白山社の祭神はイザナギで有り、こちら、家の近くの海津見神社の祭神がイザナギイザナミで有ること、海津見神が祭られている、本神社は福岡県の阿曇氏との関連がある神社が有りますが、阿曇氏は渥美の地名の関連が有りまして、これは田原藩の渥美の地名が一致。又この白山社には五社が有りまして、その一つに八幡神社が有りますが、そこにはお米について書かれていました。こちらも共通が有ります、この戸田氏は森信義が戸田氏を称して居ます。かなり共通も有ること、又、上野上村城もこの戸田氏の関連が有ります 戸田氏には藤原氏を称している方も居ますが、この田原藩は藤原氏と言うより、清和源氏での戸田氏との関係が有るような気がします。ちなみに宇都宮藩については、藤原氏、清和源氏でのどちらかというのは分からない部分で有りますが
[38]お初ですさんからのコメント(2017年11月04日 23時35分33秒 ) パスワード

田原藩の三宅氏の系譜に和田氏が有りますが、関係ありますかね
[39]お初ですさんからのコメント(2017年11月06日 11時17分13秒 ) パスワード

もう一つ、◯に剣花菱を使った朝比奈氏が有りまして、元は四国出身なようです。
家と繋がりがあるかは分かりませんが、 それと、家の氏神が、海津見神で、山の神 海の神で、神社やお寺等、神が集まる場所で家の地名が有りますが、戸田氏の中にはこうした信仰した方もおられます。後、もう一つ、秋元氏はご存知ですか?戸田氏から養子が入ってます。こちらは宇都宮氏で、こちらの関係も通じればと。では
[40]お初ですさんからのコメント(2017年11月08日 23時46分12秒 ) パスワード

又新しく情報を、ある掲示板に形原松平家と言う記事を見ました。形原松平家の中に花菱を使った方が居ます。そこには戸田忠次が乗せられてました。田原藩ですね。九州には剣花菱を使う方々が居ますが。一つは龍蔵寺家、一つは形原の松平家、一つは平家。この中にだとすると松平家が関わりがあるのかと。
[41]お初ですさんからのコメント(2017年11月09日 10時57分38秒 ) パスワード

土佐の出身の剣花菱を使う方で小野義真が居ますが、この方は兄弟に林有造と言う人物が居ます。林氏でしょうか!? 又この小野義真は岩崎弥太郎とも関係があり、板垣家とも関係が有ります。この家は伊賀氏との関連があり、山内氏も又関係してます。同じ土佐で、林氏も家との関係がおそらくあったと、家紋が小野氏と同じ事と、林氏は家の地域を支配していたので、身近だったと、多分土佐に来た時はこの林氏、山内氏と関係していたとすれば、美濃から移動してきた可能性が出てきました。田原藩から美濃に家は移動したかもしれません。推測ですが。
[42]戸田氏さんからのコメント(2018年01月17日 22時54分34秒 ) パスワード

久しぶりに投稿致します。土佐に先祖が居る方に丸に剣花菱を使った朝比奈氏がいらっしゃるようです。朝比奈氏で土佐で知られる方が山内氏家臣朝比奈右京、朝比奈玄蕃であります。そして朝比奈弥太郎なる人物。同じ家紋を使う士族は関係するような記事を見つけました。家の系譜は分かりませんが、その点も関係するならば、何かヒントがあればと今回投稿致しました。では


[43]お初ですさんからのコメント(2018年03月04日 11時31分03秒 ) パスワード

和田様、掲示板はいらっしゃらないかもですが、家も調べて見て分かった事だけを記します。家の総本社は伊予の大山祗神社、
久松松平定勝の子孫が関係してます。そして、土佐藩主山内忠義の妻が定勝の娘で、忠義は土佐の家の関係する神社の系列になりますが、そこを整備されて来たり、開拓等してきました。又定勝の妻は奥平氏、定勝の母は家康の母なので家康と定勝は父親違いの義理の兄弟になります。定勝の兄弟は戸田康長の妻であります。家はいつこの土地に来たかは定かではありませんが、明治時代の初めの生まれた私の祖祖母
伴氏で、菅原道真の天満宮が祖祖母の方では祭られていますが、久松氏は菅原氏なんですよね。これがどういった関係があるかはわかりませんが、神社との関係から伊予の久松氏とももしかすると無関係ではなかったかもしれませんが、分家の分家かもしれないので、まだ探りでしかないです。奥平貞昌の子孫は戸田氏も称してますし、婚姻や子孫を辿ると、美濃や宇都宮の秋元氏にも繋がりはあるかと。歴史はあちこちに存在してますのでお互いに頑張りましょう。
[44]お初ですさんからのコメント(2018年07月08日 08時41分27秒 ) パスワード

色々調べて来て、新たな事を発見しました。家の家紋が分家の丸に剣花菱 戸田氏は松平との関係が有りますが、戸田氏ではなく松平で家紋を調べて見ました。すると、松平庄右衛門重勝がこの家紋を使用してました。同族になるものも変形を使用したり、ここから繋がりがある戸田氏では、田原戸田氏忠次、又文殊戸田氏、宇都宮藩等にも居たかと思いますが。 家は色々入れてきましたが、移動や分家であるので、神社や宗教に置いては今迄投稿した文からはずれるかもしれません。田原戸田氏で関係する人物は松平信光の八男から発祥があるかもしれません。和田様がこの系統から繋がりが有るかは不明ですが。戸田氏で花菱を関係する松平では、能美松平家かと
[45]お初ですさんからのコメント(2018年08月11日 13時39分19秒 ) パスワード

以前の投稿に誤りが有りました。修正させて下さい。
家の先祖が分かりました。熊本藩士細川氏家臣で有りました。
侍張に先祖の名前、時代が一致、更に熊本から大正時代婚姻関係が有りました。
相手は川口と言いましたが、お嬢様であったようです。
細川と言えば足利氏であるため、そちらの縁も有るかもしれませんが分かってません。
[46]お初です。さんからのコメント(2018年12月03日 08時28分49秒 ) パスワード

久しぶりの投稿になります。調べましたら、熊本藩に戸田一族として、孫助(勝秀)の名を見つけました。家は同じく、孫を使いましたがこの孫助とは親戚関係にあたる可能性はあるかと。そうしますと、遡ると、勝便、勝則、まだ遡ると政光に当たります。この時代の何処かに和田

[47]お初です。さんからのコメント(2018年12月03日 08時33分58秒 ) パスワード

和田様とぶつかれば。和田様は義盛が先祖かもしれないと。家の今の大山祗神社には義盛の奉納もあるようです。源氏関係はいつかの時代では源氏との絡みがあったのかと。家紋に関しては、武田と言うより、三条家の家紋にも似てますから正親町の養子と考えればそちらの絡みが強いかもしれませんね。
[48]高校生さんからのコメント(2019年03月12日 20時35分27秒 ) パスワード

お久しぶりです。
約15年振りにこの掲示板に来ました。
当時、高校生として、この質問を、させたいただいたものです。

質問をしてからしばらくはここに来ていたのですが、時間が空いてしまい、久しくおとずれましたら、沢山のお返事をいただいていた事を知りました。
皆様ありがとうございます。

さて、和田氏の件につきましては、現在も調査中です。

最近、作手の和田城に、奥平氏一族である、和田出雲守貞盛という方がおり、奥平氏から武田に下ったという事を知りまして、もしかしたら、と思っているところであります。
[49]戸田さんからのコメント(2019年03月19日 02時07分37秒 ) パスワード

15年も経つのですね。和田様の仕えた戸田氏のお殿様の名前を是非知りたいです。家は、江戸時代に、肥後細川氏家臣略系譜に幕末の先祖の名を見て、ああと、納得しました。私の祖母は熊本県産まれ、家紋は、桜。明治時代には、土佐にて、小森喜八郎と言う土佐藩士と共に移住した、吉村家が明治時代の分かる範囲で古い婚姻になります。父は長崎県で産まれ、土佐では、同じ地域に、谷干城が有名で有りますが、果たして、宇都宮関係かは、はっきりはまだ分からずに居ますが、六つ星、連嶢、唐花を家紋とした戸田は、松本藩、宇都宮藩、足利藩の3つになります。
しかし、何故土佐に来たかはわかりませんが、江戸時代の支配されたのは尾張林氏が土佐では支配されていたようで、和田様のヒントにも何もならなく申し訳ないです。因みに家の隣村にあたる戸田氏は、伊達に仕えていたようで、和霊神社を氏神としています。勿論親戚関係では有りませんが。又、同じ郡には、家紋を七曜の戸田が水戸から来た津野氏から招かれ来たようです。同じ県でも様々なようなので難しいかもしれませんが、何か又、教えて下さい。
[50]戸田さんからのコメント(2019年03月19日 02時39分23秒 ) パスワード

和田奥平氏と言うのは初めて知りました。凄いですね。武田方になった時代もあったのですね。家は、武田の関係は今は見当たりません。大山祗神社の寄進は松山藩主松平氏であったり、同じ土佐の神社が高岡神社で、神職は佐竹東家から、岩崎氏になっていますが、何しろ土佐は明治時代からなので、難しいです。私からしたら、調べる事に偉い方が出てくるので、戸惑いばかりです。家紋は同じ一族間で変形されながら使っていたらしいですね。なので、和田氏でも、きっと変形された唐花を使う一族が居れば同族の可能性が高そうですね。松平でも、形原、能見等は剣花菱を家紋としていた方も居ますし、日光東照宮にも、花菱を使っていたり、かの徳川家康の親が武田なんて説もありますから。又、明智光秀も、何らかの形で関わりがあったのかもと、ガラシャが細川の関係から考えて見たり、歴史は面白いです。
[51]戸田さんからのコメント(2019年03月28日 09時34分13秒 ) パスワード

本家の付き合いがないので、自分なりに聞いて調べて見ましたが、丸に剣花菱の本家の家紋の有りえるとすると、剣唐花らしいです。この剣唐花は藤原北家閑院流が使われていた家紋で、大名戸田の他に松平もこの唐花を江戸時代使用していました。どこの系統に属すかは分かりませんが、家の家紋は多分この辺りから又、大昔は中国と何らかの関係があったのかもしれません。戸田は海や、船との縁、又、山との縁が有るようなのです。家の神社は海上安全を祈願するための神社、戦争時代は海軍で有りました。これは、家の関係なので他は分かりません。今は長野県に居るので、こちらでは毎年穂高神社に行ってました。同じワタツミの関係です。この神社は又、土地はアルプスとの関係も有るらしいですね。因みに諏訪大社と言う大きな社も有りますが、家は、全く関係ないです。
[52]戸田さんからのコメント(2019年04月01日 15時31分15秒 ) パスワード

島原藩にも居たそうですので、九州の熊本藩の細川氏は以前は小倉藩に居たみたいでその有力家臣犬甘氏は信濃小笠原に仕えてました。信濃にも戸田の時代が有りましたが、それよりも昔に小笠原氏は信濃以前には新潟の関係が、あり、その小笠原氏の系譜には、戸田氏の名前も有りました。穴沢氏がまだ居た時代です。そうなるとあちらからも九州に移動をした一族も居たりと、本当に広くの関わりが有りますね。犬甘は犬養とも書き、信濃安曇野にも多く居たようで、穂高神社の関係も有りました。家は、果たして、何処に属すかは定かでは有りませんが。同じ唐花の一族が見つかればと今探してます。明治時代からは神道でワタツミ祭神になっていたのは確実で
父は長崎県佐世保で産まれました。家は、長野県に居て、穂高神社にお参りに行き、土佐共に山の神、海の神を祭って居ることが、いつからで先祖の関係とがまだ確実ではないので、又、調べて行きます。又、覗かれましたらお返事お待ちしております。
[54]戸田さんからのコメント(2019年04月15日 05時14分57秒 ) パスワード

家紋に戻りますが、我が家の剣花菱の剣を無くすと、古形の家紋の花菱になるそうです。剣は男家紋の意味でつけられたようです。戸田氏の殿様はどなたになられるかご存知でしたら教えて下さい。
[55]戸田さんからのコメント(2019年06月17日 21時17分43秒 ) パスワード

我がルーツは、海神を祭る、ワタツミ、天火明命の尾張族に行き着きました。戸田氏でも、もしかしたら様々な家が存在するかもしれませんが、ルーツを辿ると、又様々な事が見えてくるかもしれませんね。正確な証明は有りませんが。あちこち調べて見たので多分と言うところでしょうか。
[56]戸田さんからのコメント(2019年07月22日 22時02分15秒 ) パスワード

こんにちは、あちこちの戸田に関係する場所には昔話等、船や海に因む物が存在しています。例えば知多にも、戸田忠昌菩提寺、新宿区の松源寺にも、存在しています。戸田家は信仰心が厚かったようですので、今に至っても、海に、船に簡単する戸田家も多いかと思います。家は戦時中海軍でも有りました。又、推測にもなりますが、龍や中国にも何か縁があったかもしれません。これらはかなり古い時代の事なので、関係あるかは分かりませんが、もしかしたら源氏柄みもあったかもしれません。
[57]戸田さんからのコメント(2019年09月27日 19時57分08秒 ) パスワード

久々に投稿致します。和田氏の系統は幾つかあるようで、例えば、大中臣氏の和田氏、河内和田氏等が存在し。別々の系統が存在するので宜しければ調べて見て下さい。我が戸田氏においても、幾つか有るようで、たまたま我が戸田の隣の戸田氏は宇和島藩伊達氏に使えた戸田氏、和霊神社で有りました。いつか、その戸田さんの話は家の神社と違うので、別の家だと教えて頂きました。神社にもゆかりがあったりするそうです。前にも書きましたが、我が家はワタツミで、安曇連の関係する神社です。本社大山祗で、物部氏神職なので、そちら側に何らか関係があったのかも知れません。山と海が神様で、龍の関係があったことまで調べました。歴史は様々に繋がりが有るので面白いですが、繋がりがあるからこそ、今が有るのだと。
[58]お初ですさんからのコメント(2020年09月22日 08時46分03秒 ) パスワード

又久しぶりに訪問しました。調べて見て、家の剣花菱の家紋について、昔藤原北家では、松皮花菱を分家が略して、剣花菱を使用しているようです。とある文から調べました。すると、閑院流松皮菱、或いは、松皮に花菱が検索されました。我が家は戸田姓でも、母屋を含め二件しか有りません。江戸時代は武士だったので、別の場所から来た可能性が大きいです。神社はワタツミなので、阿曇関係が深いと思われます。阿曇氏は消えた後、中臣氏に入り、藤原氏になっているかもしれません。神仰皇后や、卑弥呼等にも、繋がりを持っていたかもしれません。中間の時代がまだ分かりませんが、とりあえず入れておきます。
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