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 投稿番号:100580 投稿日:2003年11月02日 22時09分37秒  パスワード
 お名前:嘉村孝
伊王島の俊寛僧都の墓
キーワード:伊王島 俊寛
コメントの種類 :史蹟  パスワード

 大変ご無沙汰しております。
 只今、九州におりまして、今日は雨をついて、船で長崎市港外の伊王島に渡り、俊寛僧都の墓に参拝してきました。
 この件については多分、今迄散々論じられていることかと思いますが、私の出身地佐賀では、佐賀市郊外の嘉瀬に俊寛僧都の墓があります。実は俊寛僧都は鹿児島の南ではなく、長崎港外の伊王島に送られ、後に嘉瀬に帰って死んだのだというわけです。 
 嘉瀬津は古い港であることから戦前の「史跡名勝天然記念物調査報告」などでは、さほど荒唐無稽なことではないということになっています。担当者が、平家当局に対しては鹿児島の南に連れていったと報告したものの、実際は長崎だった、というわけです。
 その場合の墓の所在は、こうして伊王島と嘉瀬の少なくとも2説(実際はもっとたくさん)あるわけですが、今日、伊王島を訪れると、ここのは石碑自体は江戸時代で、割合新しく、嘉瀬の方が古いなという印象でした。しかし、対岸・野母半島の深堀には有王や亀王の遺跡などもあり、それなりの伝承もあるようです。
 そんなわけで、よくは判りませんが、もう一つ、伊王島の船溜りの形が、以前行ったことのある山東半島・蓬莱の倭寇防衛の根拠地によく似ていたのに興味を覚えました。日本の最西端はやはり大陸と何かにつけて近そうです。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年11月03日 00時49分54秒 ) パスワード
  

>日本の最西端はやはり大陸と何かにつけて近そうです。

港のあった所は京や鎌倉や江戸より世界に開けていて目も違う場所を見ていたでしょうね。
[2]嘉村孝さんからのコメント(2003年11月03日 10時13分23秒 ) パスワード
  

 そうなんでしょうね。私はその意味で、博多こそ日本の入り口を続けてきた町と思っています。そして、門司なども。
 
 話し変って、伊王島対岸、長崎を付け根とする野母半島の真中・深堀にも行ってきました。有王、亀王の塚があるところです。で、ここは鎌倉時代の建長年間に千葉県外房の夷隅郡大原町深堀から三浦一族が地頭として渡ってきたところで、沢山の史跡があります。
 後に、鍋島藩に属し、江藤新平さんなども本来ここの人。
 ぺーロンで有名ですが、「葉隠武士だよ心意気、、、」なんて歌までありまして、私の(平和的な)武士道研究?に興味津々のところです。
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