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六連島を歩く

 あるルートに沿って歩いてその沿線の風景を紹介する「シリーズ・彦島を歩く」2回目は六連島半周ルートを紹介します。(地図を別ウインドウに表示する

 六連島は下関市彦島の北方およそ5kmにあり、下関市竹崎より渡船が就航しており、およそ20分の行程です。下関、北九州市という都市に近いことから、野菜、花などの都市近郊型農業が盛んで、なかでも菊が最も有名で、その他にカーネーション、キャベツ、ウニ、アワビなどが挙げられます。

 六連島には、世界で3カ所にしかない珍しい種類の雲母玄武岩があります。これは、玄武岩が海底で冷えるときに小さな穴ができ、そこに黒雲母と角閃石の結晶が生じた非常に珍しいもので、昭和9年国の天然記念物に指定されています。

 さらに、日本最古の洋式灯台も六連島に現存しています。明治4年、日本でもっとも早く建造されたもので、イギリス人技師クラークの設計です。四万燭光で15秒ごとに1閃光しています。

 

6月のちょっと曇った日曜日、竹崎から10時発の市営渡船「六連丸」に乗って六連島に渡りました。この日は天気は今ひとつだったものの、波はほとんどなく、彦島大橋の下をくぐった船は、六連泊地に停泊する大型貨物船の間を軽快に駆け抜け、あっという間に六連漁港に入港しました。右の写真は間もなく入港する六連漁港とその防波堤です。

 六連島漁港の市営渡船発着場に着いた「六連丸」です。
 船の向こうに見える銀色のタンクは彦島からもよく見える日新タンカー株式会社六連油槽所です。
 船が入港すると、多くの人が船のまわりに集まり、島内の商店に並べられる日用品や食品、あるいは、島内在住の方が購入された大型家電品など多くの荷物が次々におろされ、トラクターやトラックで運ばれていきます。 六連島にも舗装道路はもちろんありますが、いわゆる道路(道交法が適用されるような道)は無く、トラックやバイクなどはほとんど登録ナンバーが付いていません。

 船を降りると目の前に「六連島漁村センター」というのがあって、ここで日用品や食料を調達できます。

 六連島を歩くにあたっては、ここを離れるとジュースの自販機も何もありませんので、必要な物はここで購入しておきましょう。島内の案内地図もありますので、見ておくと便利かもしれません。ちなみに公衆トイレは途中、西教寺にあります。

 ここを起点にして六連島を歩く際には、島を反時計回りに回ることをおすすめします。「彦島を熱く語る」の浅葱女史によりますと、時計回りに島を回ろうとすると「間違いなく道に迷う」そうです。

 島を反時計回りに、つまり、漁村センターに向かって右手方向に歩いていくとこんな感じで道路が続きます。この道路は割と道幅もあり、きれいで、六連島の最も眺めの良い場所にある海上自衛隊六連警備所に続いています。

 右側に見えるかすんだ陸地は吉見、吉母方面です。

 日本最古の洋式灯台である「六連島灯台」はちょうどこの左手の丘の上にあり、数十段の急な階段を上るとすぐ近くにまで行くことができます。

 この道をしばらく上っていくと、右のような景色が目の前に開けます。中央右下よりに写っているのが六連島灯台です。

 ここからは彦島や海峡ゆめタワー、火の山から関門橋も見渡すことが出来ます。

 六連島頂上部が平らな台地になった島で、その台地部分では花の栽培が盛んです。写真は菊の栽培で、遙か彼方まで菊が規則正しく並んでいます。

 農場の中をしばらく歩くと、左手に「国指定天然記念物・六連島の雲母玄武岩」の石碑と見本の岩石が設置してあります。

 案内板によりますと「六連島は、地質時代の第三紀層と、これを貫いて噴出した玄武岩から形成されている。この玄武岩は、灰黒色・多孔質で、孔隙内には雲母の鱗状結晶と黒色角閃石の針状結晶が見られ、美しい雲母玄武岩となっている。これらの現象は、海底に噴出した玄武岩が海水で急速に冷却された事により生じたもので、玄武岩としては世界的にも希有な例である。」とのことです。

 ただ、実際にここに展示してある雲母玄武岩は、もともとはキラキラと輝く美しい岩だったそうですが、長い年月雨ざらしの状態で展示してあるため、表面が風化してしまい、かつての美しさは失われているとのことでした。

 しばらく歩くとこんな感じで道が狭くなってきて・・・

 ついにはこんな感じの道になります。巨大なムカデがはいずり回ってたりして、足下や頭上に気を使います。

 六連八幡宮では毎年、10月4日、5日に例祭が行われます。4日に「個別祓い」をし、「よべの祭り」つまり前夜祭があります。普通のお供え以外に甘酒の湯があり、この湯が特徴で「湯立ての神事」と言われているそうで、氏子たちは笹の葉をこの湯に浸してツユを口に受け、無病息災、長寿の加護を願うそうです。

 7月9日には、お供え物は全部麦であったから「麦祭り」と呼ばれる七社祭りが、島にある七社の世話人が八幡宮に集まって行われます。明治以降は廃止されたましたが、昔は、女人は参拝できない祭りでした。七社とは、貴船、恵比須、青海大明神、宗像、峯像、大歳をいい、石の御堂があるそうです。

 六連八幡宮の境内からは六連島漁港を見下ろすことが出来ます。漁港には私たちが乗ってきたまま停泊している六連丸が見え、大型のコンテナ船がすぐ目の前を通過していきました。

 次に向かったのは西教寺ですが、六連八幡宮から西教寺へはこんな(↑)感じの道を歩いていきます。
 ちなみに、前を歩いているのは今回、六連島半周をご一緒させていただいたみなさまです。

 浄土真宗本願寺派の西教寺は、天正年間(1573〜1592)に織田氏の石山本願寺攻略の際に本願寺身分として従軍し、顕如上人に帰依した麻生与左衛門高房が、下賜した阿弥陀如来像を、天正9年(1581)8月、草堂に祀ったのが基とされています。

 この当時、島の対岸の武久、幡生から三軒ずつ入殖し、この家々が六軒株とされています。その内の一軒が高房入寂後、西教寺を継ぎましたが、具外的に六軒株が、どの家であるかは話者によりまちまちではっきりしません。西教寺の過去帳には、大司家・林幸一家・城戸進家・目黒武治家・西村真詮家(西教寺)が古くから見られます。

 この隣にお軽同行の碑城戸久七翁顕彰之碑があります。また、このすぐ下にかつての小学校あとがあります。

 こんな感じで例によってナンバーのない軽トラが通るのにちょうど良い道幅の道路を港へ向かって下っていきます。道のそばの民家では出荷する花の仕分け作業などが行われています。

 で、仕分け作業はこんな感じ(↑)で行われています。

 12畳分ほどの作業場の中は台の上も地面の上もバケツの中もドラム缶の中も菊、菊、菊、菊・・・・。この日は土曜日だったのですが、月曜日の朝に市場に出荷する花の準備なんだそうです。

 今回は古墳時代の遺跡がある島の西側には寄りませんでしたが、南部の集落と中部東部の農耕地域を歩いてみました。2時間弱の行程でしたが、とにかく花がいっぱいの美しい島でした。

 ただ、今回2時間歩き回っても、渡船場以外ではほとんど人に出会いませんでしたし、集落の路地を歩いていても人の気配を感じる事はあまりありませんでした。住民の方も「若い人はみんな出ていく」とおっしゃっていましたが(極端な話、小学生でさえ昼間は島を出て行くんですから)、本当にそれを感じました。

 でも、無責任な言い方ではありますが、この人の少ない静かさゆえに、私の日常ではなかなか味わえないのんびりした時間の経過の中で半日を過ごすことができ、非常に有意義な時間でした。



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