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■■■■金刀比羅神社■■■■

現在の福浦港は金比羅神社の前からパチンコ屋の前で終わっています。その港の一番奥から、福浦郵便局の裏を通り、山銀裏からバッティングセンターを経由して江ノ浦小学校の前付近まで水路が続いていますが、この水路一体までかつては福浦港が続いていました。
金比羅神宮は、かつては北前船西回り航路の重要な寄港地の1つであるこの広大な福浦湾の入り口にあります。
この神社は小高い山の頂上(遠景参照)にあり、その石段は、日本で最も急な石段だとも言われています。
富田義弘氏の「ひこしま昔ばなし」によると、その石段の段数は277段とも、279段、さらには281段と、登る人が数えるたびに変わっており、それは金比羅狐のイタズラだと言われているそうです。
北前船の船員が個後の船宿に宿泊し、この石段の段数を数えようと登り始めると地元の人々は冷ややかに笑いながら見守っていたそうです。このことを「よそ者の狐ごかし(地元の者でさえ石段の段数がわからないのに、よそ者に確かめられてたまるか。それを小馬鹿にしたからばちが当たってだまされたんだ。)」というそうです。
元国幣社
金刀比羅本宮
下関市彦島福浦町
主祭神 大物主之神
相殿神 神功皇后
末社 竹の小島金刀比羅社
末社 青海島通町金刀比羅社
由緒
文政2年 (1819) 旧藩主毛利元義公が海防と福浦湾の繁栄を図るため、郡代水野忠実に命じて長府忌宮神社境内に祭っていた金刀比羅宮を当彦島福浦湾頭兜山(富観台)に遷座したもので、文政3年
(1820) に神殿・拝殿が完成し遷座祭を行った。その後文政13年 (1830) には、鳥居・玉垣・狛犬。灯篭などがそろい、遷座十周年の式年大祭を挙行した。
北前船入港の折、会場安全を祈祷させ、これが評判となり参拝者や寄港する船が増えて、福浦の港は大変繁盛した。
又、嘉永2年 (1849) に海防調査を命じられた吉田松陰もこの石段を登っており、南陵小田圭(長府毛利藩の儒学者)が残した碑文も歴史を刻んでいる。以来、福浦町民ならびに崇敬者は数度にわたり社殿の改修に力を合わせ、その環境を護ってきた。今日では福浦を愛する心のよりどころとして金刀比羅神社は富観台に鎮座している。
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