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■■■■海士郷(Amanogo)

 小瀬戸をはさんで本土の伊崎の対岸にある"海士郷(あまのごう)"は、もともと"天川(あまかわ)"と呼ばれました。宝町時代の人今川貞世の『道ゆきぶり』は「ふくらの島よりつかひきたり、小舟にて大川といふわたしをして参りたいと申ししかば…」と書き残しています。
 また、『長門国志』の著者中村徳美はその中で.「大川は海部郷なり、三代実録貞観元年(859)の条に長門国医師従八位下海部男種麿(あまべおたねまろ)と見ゆ、この氏人の祖此国の海人部に定められて此所に住せられし故に地名になりけん」と書いています。
 そうした伝統もあってか、保元の頃(1156)河野通次が彦島に根拠地を求めてから、水軍にかかわりのあった人々がこの地を中心に漁業に従事するようになり、現在の海士郷を形成したものと考えられます。
(下関市教育委員会発刊「下関の地名」より許可を得て転載)

 地勢的には、貴船明神下から海士郷までの現在の工場の並ぶ平地はもともと海で、現在の道路よりも20メートルほど山側に道があったところを、江戸時代後期から何度かに分けて、山を削って埋め立てる工事が行われました。北部の、現在油槽所のあるあたりは1854年頃から明治にかけて埋め立てが行われました。


身投げ岩


安徳天皇御尊骸漂着の地

廃屋

海士郷から海峡ゆめタワーを望む

現在の小門海峡

小門海峡と平家物語

小門の夜焚(大正元年頃

 


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