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■■■■小門(おど)海峡

 現在の彦島は下関市の旧市街地と最も狭いところではわずか数メートルの水門で隔てられているに過ぎませんが、現在の JR下関駅周辺から JRの大和町周辺の平地はすべて埋め立て地で、かつては小門(おど)海峡によって隔てられていました。この海峡は日本でもっとも潮流の速い海峡の一つで、速い潮に鍛えられた魚は非常に美味でとれたての魚を振る舞う高級料亭の建ち並ぶ絶好の漁場でした。下の写真は大正時代の小門の漁師です。

 一方、下関漁港は水産物の取扱量は大正時代当時世界屈指であったにも関わらず、漁船の停泊や水揚げに必要な設備が極端に不足していましたので、この小門海峡を埋め立て、漁港設備の充実を図ろうとする計画が立てられました。この海峡をふさぐという前代未聞の大事業は昭和4年に着手され、11年に水門の漁船通過が始まり、12年に完成しましたが、それはすなわち、美しい潮の流れも夜焚も小門海峡から姿を消すことを意味していました。

 宮崎勇熊は著書「馬関土産」で小門海峡を次のように紹介しています。

 小門は市街の西端にあり、後ろには一帯の丘陵をめぐらし、前は一竿を横たうもなお達すべき小瀬戸の海を隔てて、彦島と相対す。
 潮流上下し、その流れ最も急激にして、漁船この間を航するものはあたかも木の葉の狂風に翻るが如し。
 初夏の候より秋期に至る。即ち香魚上がるの時季をまって、漁人船頭に薪柴を焚き、暗夜よく水底を照らし、魚を漁す船は普通の漁船なれどやや小にして、漁夫は概ね一隻に一人もしくは2人、その法は左手に櫂を操り、右手に網を携へ、船の進退操縦自らこれをなし、よく水中の遊魚を見すまして捕う、その技術巧みなることに実に一驚

 下の写真は 2000年に対岸の竹崎から小門海峡を撮影したものです。大正時代から昭和時代にかけて埋め立てが行われたのは写真で言えば左手方向(写っていません)で、この写真の周辺の海岸線のカーブはほぼかつてのままです。中央に見える橋は彦島大橋で、左手の陸地が彦島海士郷(あまのごう)です。

■■■■大正時代の小門海峡(1)

 下の写真は海士郷から対岸の伊崎(おそらく上の写真の撮影地付近)を撮影した大正時代の絵はがきです。

 同じアングルで撮影した風景は下の通りです。

■■■■大正時代の小門海峡(2)

 また、大正時代の小門海峡の絵はがきとして次のようなものも残っています。現在の海士郷は完全にコンクリートの岸壁となっていますが、大正時代はこのような美しい海岸線だったことがわかります。

 上の絵はがきと同じアングルから撮影した現在の様子は下の通りです。

■■■■大正時代の小門海峡(3)

 下の絵はがきも同じく大正時代のものです。同じ位置からの現在の写真は下のようになります。真ん中下あたりにわずかに写っている砂利道が現在は車が通れる程度の幅の舗装道路になっておりそこから撮影したものです。対岸は海士郷です。
 現在の写真と比較すると小門海峡の埋め立ての様子がわかります。上の絵葉書ではまだ大和町の埋め立てが完成しておらずまさに海峡といえます。絵葉書の遠景の山々は九州であることが現在の写真との比較からわかります。

■■■■大正時代の小門海峡(3)

 (1)の絵はがきに写っている対岸の料亭が上の絵はがきにも写っています。海面に岩がつきだしていますが、もちろん現在はこのような岩はありません。

 


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