服部明子の平家物語研究室

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■ 対談・熊本県清和村の安徳天皇陵について

服部明子 「今日はなかにし@お世話係さんをお招きして熊本県清和村にあるという安徳天皇陵についてのお話を伺います」

なかにし@お世話係 「Webサイト日子の島をいつも利用していただいている方から、熊本県の山奥に安徳天皇陵があるという情報を頂きまして、さっそくお参りに行って来ました。実は、一部の旅行ガイドブックにも紹介されているほど有名らしいんですけどね」

服部明子 「なるほど」

なかにし@お世話係 「場所は、熊本県清和村。九州自動車道の松橋インターチェンジから、およそ1時間。観光地として有名な通潤橋から車で2、30分です。以前訪れた椎葉村や五家荘同様、やはりここも車1台分ぎりぎりしかないような、林道を延々走らなければなりません。安徳天皇陵は山の中腹にあるのですが、そののぼり口に神社があり、山道を登ることの出来ない方は、こちらでお参りすることも出来ます。この神社は、林道からはずれたところにありまして、車で神社の直前まではいることが出来ますが、こんな山の中で脱輪しては助けも来ないので、私は念のために林道の離合所に車を止めて、神社まで15分ほど歩きました。この神社の脇に、安徳天皇陵へののぼり口がありまして、長い階段が続いています。階段はきれいに整備されていますので、危険はありませんが、かなりキツイです。安徳天皇陵は円墳で、正面には石組みがあり、祭事を行うスペースがあります。壇ノ浦の合戦後、落ち延びてきた安徳天皇は、この地で17歳で崩御されたそうです。下の神社と、御陵には17歳の頃の安徳天皇の御尊影があります。ちなみに、今回は熊本側から入りましたが平家落人伝説で知られる宮崎県の椎葉村にかなり近いです」

服部明子 「(写真を見ながら)なんとも凄い山の中ですねぇ。円墳・祭事場がある・鳥居がある・ホコラがある。。。ふぅ〜ん。。。」

なかにし@お世話係 「それが、写真を見てもおわかりの通り、田んぼがまわりには広がっていまして、農作業をしておられる方とか、道路工事? の作業の方とかおられて結構にぎやかでした。一番近い集落まで車で10分程度でしょうか。今年の春に秘境ルートを走ったときには何時間にもわたって自分以外の人間の存在を感じませんでしたのでその時の林道よりははるかに、人の生活の場に近いです。それから、二位の尼の墓も熊本にあるらしいですね。宇土花園というところだそうです。現地の案内板に書いてありました。」

服部明子 「二位の尼の墓ですか、これまた不思議ですねぇ。」

なかにし@お世話係 「いつか機会を見て足を伸ばしてみようと思います」

服部明子 「円墳が作られた、というのが凄いですよね。伝説の枠内ならせいぜい塚とかホコラとかは作られるでしょうが人手もお金も掛かる本格的なモノはかなり<有力な人>がいないことには出来ませんから。では誰が一緒にいたか? という謎も出てきます。二位の尼は安徳天皇崩御の後にご動座あって熊本に墓があるのか?という疑問も出て来ますし。あの凄い山の中に、円墳がある、ということが実に不思議です。。。 」

なかにし@お世話係 「ここの安徳天皇陵は、ごく最近、それも去年とか今年とかというレベルの天災で、周辺の山の斜面が崩れたようで、修復作業と、あわせて休憩所のような施設の建設が行われておりました。で、現場の脇に、折れた四角柱の由来書がころがっていたのですが、御陵はこの付近の開田の際に見つかったそうで、「石棺と一字一石が出土したが 」だそうです。「出土したが 」の下で柱が折れていまして、続きに何が書いてあったのかを知りたくてあたりを散々探したのですが見つかりませんでした。この地に残る伝説によると、17歳で崩御された際は確かにここに埋葬されたそうですが、追っ手が迫ったので、宇土花園に再埋葬されたのだそうです。安徳天皇崩御後、二位の尼はこの地で御陵を守っていたが、追っ手が来たので、安徳天皇の御尊骸と共に宇土に逃げ、後年二位の尼もその地に埋葬されたと言うことでしょうか?? 「なんで、人目に付きやすい宇土に?」という気もしますが」


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