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[6/49]長上郡の服部氏族CXXXX:135:いよいよ核心に‐3
酔石亭主さんからのコメント(2020年06月03日 16時08分49秒 )

三つ柏服部さん 空の青海のあをさん

>大国主が見下ろしたという「国見の岩」
私も行きましたよ。東三河と浜松の出雲族は一体的に見てもいいほどですね。

>読めば読む程錯綜の森となって…「森」が正にこれにあたるのかな
まったく同感。数年前に何冊か出雲に関する本を読み、どうしても全体像が把握できず放り投げてしまいました。

>私が知りたいのは、実は「服部連」についてでありまして
それはもう重々承知しています。ちょっと整理してみますね。

新撰姓氏録:「摂津国神別(天神) 服部連 熯之速日命十二世孫麻羅宿禰之後也」
新選姓氏録:「大和国神別 服部連 天御中主命十一世孫天御桙命之後也」
国造本紀:物部連の祖・天蕤桙命の8世孫の若建命神功皇后朝に伊豆国造に任じられた。
伊豆国造系図:天御桙命の8世孫若多祁命が神功皇后6年に伊豆国造を賜った。次が弥蘇足尼。その次が麻羅足尼で「允恭天皇御宇賜服部連」と脇書。
初衣生神社の神服部宮司:以前訪問の際天御桙命も祖神だと言われ、これは疑問に思った。
初生衣神社 鈴木栄男宮司:神服部家は出雲神社系、大和を本拠:美和(三輪・神)氏族。

まず国造本紀で物部連の祖・天蕤桙命とあるのは、後の続き具合と伊豆国造系図から見て明らかに誤記。麻羅足尼は私も最初にこの名前を見たとき物部氏系かと思いましたが、天御桙命が架空の人物であるにしても物部氏系ではないので、麻羅足尼は物部氏にはならないと見られます。従って服部連の流れは天御桙命→麻羅宿禰(服部連)となり、神服部さんが主張するように天御桙命も祖神だとすれば、結局神服部家も服部連となります。

鈴木宮司の神服部家が出雲神社系で美和(三輪・神)氏族との主張に関して…
浜名惣社神明宮に関し元は浜名県主が祖神・太田命を祀ったものとされ、この県主は三輪氏の系統で太田命は大田々根子命に関連した名前であり、鎮座地名の大輪山も三輪山を想起させます。三ケ日町只木の神明宮も元は三輪氏の大物主命を祭神とする式内社弥和山(みわやま)神社で、同社解説板にも、抑々当神明宮の濫觴は、上古期浜名湖周辺に定着繁栄した三輪(神・美和)氏族の奉斎にかかる式内弥和山神社に当るものにて、云々とあります。要するに浜名湖周辺は出雲神族系が満ち溢れている。

さてそこで、鈴木宮司は以下のように書いています。
  @出雲神社系、大和を本拠:美和(三輪・神)氏族 → 遠江へ移った。
  A神氏:神人(むはびと)の後世、神(じん)氏と称して世々服部となり神御衣(かんみそ)を織った。

神氏とは正しく出雲神族系美和氏族の名前。それが世々服部となり…。これがミソです。神服部氏とは神氏・服部氏の複合ネーム。だから美和氏族とも言える。いつの時点かは不明ですが、両氏族の合体により神・服部氏が成立した。以上で最終回答にしていいでしょうか?



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