| [1] | ![]() | 彦中38卒同期会景山さん からのコメント(2007年03月09日 23時06分11秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2007年04月05日 11時51分03秒
| [2] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年03月11日 11時05分59秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2007年04月05日 11時48分08秒
| [3] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年03月18日 00時04分55秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2007年04月05日 11時52分07秒
| [4] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年03月25日 19時25分43秒 ) |
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24日(土)同期会準備委員会の第1回目の飲み会。
なのに、集まる集まる。
ふふ・・・。 顔と、名前、全く判らぬ者がいるいる。
済みません。
本当に、私は、人を知らなすぎた。 反省しています。
景山君なんか、昨日は、Nさんの葬儀でも会っても判らない。
N・K子さんとは、なにー『いとこ』?。 世間は狭い。
今が、一番懐かしさが籠もって、楽しいです。
梅光の君が、当時は、すごく高校時代、楽しくなかったと聞いて、『嘘・嘘』と、38年を、振り返る。 あのセーラー服が、魅力だった。
| [5] | ![]() | 田辺信司さん からのコメント(2007年03月26日 17時53分22秒 ) |
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| URL=http://www2.tip.ne.jp/~tanabe03/index.html |
同期会準備委員会の開催、ありがとう!
予想を遙かに超えた楽しい時間を持つことが出来ました。
安藤や刀根と話していると、正にシナプスがプチプチと音を立てながら繋がって行く思いでした。時には痛みも伴っていましたが。
と云うのは、自分が50年間信じていた思い出が、間違いだったと一瞬の内に知らされた時などです。
でもでも、自分一人では描ききれない、一面的な少年時代の記憶を、違った角度から光を当ててもらうことに因り、立体的な映像へと変わって行くとき、楽しさは倍増されました。
8月12日へ向けてにの景山の努力に協力するよ!
ちなみに記憶の薄れない内にと書き始めた、つたない旅行記が有ります。
リタイヤしたら本気で書こうと思っています。
| [6] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年03月26日 18時54分13秒 ) |
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田辺 ちゃんへ。
福田の会合、楽しかった。
ホームページ、拝見致しました。
もっと、写真を、多く、どんどん、コメントを入れて下さい。
いいなー。
早速海外も考えて、¥500預金使用目的を考えていきます。
まだ、女房と、国内も行っていない県が、あるので、早く消化したいです。
どうしても、5月連休・祭りを、目指していますので、高く、予算も厳しく対応しています。
女房のパスポートも取得させねばなりません。
海外も、前後の工程で、通常日の4〜5日の工程で結構、行けそうですね。
東欧・ロシアは、良さそうですね。
我々の世界観が、確かにずっぽり、固定してからの旅ですと、感激が違うと思います。 次回また、第2回目のノミニケーション致しましょう。
| [7] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年03月27日 11時45分52秒 ) |
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景山 さん
昨日、メールで、名簿送りました。
名簿の空白埋めて下さい。
開催スタッフとしても、協力してくれると思います。
協力者にして下さい。
御願い致します。
みんなの、動静が判ると楽しいですが、
御逝去されてる同期生の報告を、聞くのが、つらいですね。
| [8] | ![]() | 平野豊雄さん からのコメント(2007年03月27日 21時56分18秒 ) |
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会が始まる前は、45年近い時間を越えて、互いの心理的な距離が
そう簡単に埋まるものなのか、不安やしりごみする気持ちがありました。
でも、飲んで語り合ううちに、驚くほどすみやかに、
その距離はほぼゼロ化、至福の時間になりました。
よかった、よかった、とういうしかないひとときでした。
あの場のみんなに感謝。
そして、校歌をあんなに素直に歌い、聴けたのも、
もちろん、初めてのこと。当分余韻にひたれそう。
8月12日には必ず下関に帰って来ます。
P.S 田辺くんへ。あの時、誰かわからなくてゴメン。
あとでアルバムの写真で確認して、「彼」だったのかと了解しました。
同時に、これでわかれ、というのはムリだとも思いました。
細身で色白の少年だった「彼」と、
ふっくらした山本晋也ふうの「君」との落差は越えがたい、
オレのせいじゃない・・・。
でも、中学時代に「君」がいつもたたえていた、不思議なあたたかい「笑み」は
変わっていないと思いました。夏に改めて。
(平野はパソコンに不案内なので、景山が代打ち)
| [9] | ![]() | オランダシシガシラさん からのコメント(2007年03月28日 16時02分24秒 ) |
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景山様 お世話ご苦労様です。
お話の内容からすると、私の連れ合いの高校の同期ですね。
高校の方は、10年ほど前より、4年ごとに同期会やっていますね。
第一回マリンホテル、第二回亀山儀式殿、第三回古串屋でした。
最初名簿を整理することから始め、案内作成・発送・集計等々傍から色々手伝いました。
オリンピックの年に開催ですから、次回は来年、余力を残して、高校の方もお力添えお願いします。
彦中同期会のご盛会をお祈りいたします。
| [10] | ![]() | 三浦義幸さん からのコメント(2007年03月28日 16時32分51秒 ) |
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景山 さんへ
名簿調査、2弾目、
メールにて、送ります。
遠方組の名簿も、把握分送ります。
8月12日の盆には、帰省してくれるでしょう。
同期会は、始まってる。
平野君・金君・中川原君の、遠方の参加はうれしいですね。
| [11] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年03月28日 20時12分33秒 ) |
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三浦! 早速の協力ありがとう! エクセルに転記したよ。
彼女とはイトコではなく、正確に言えば「マタイトコハン」
の関係だ。ただ、オフクロの世代までの彦島の「地」の世界は
メッチャ濃いので、遠くても近いんだ。葬式に来てたんだって?
ぜんぜん気がつかなかったよ、ごめん。
田辺! 二日酔いの翌日、「あいつ、いいやつだろ?」
「うん、抜群だ。でも覚えていないんだ」
拡大写真を見せながら「こいつなんだけど」
「ひゃあっー、この田辺!? 悪いこと言っちゃたな。
覚えてないと本人にも言ったんだ。でもこれだけ違うと・・」
というのが平野のP.Sの経緯さ。
田辺の文章を読んで安心したよ。何か書かないと掲示板が
なくなってしまうとのことで、しかたなくグチャグチャ書いてたのさ。
でも、俺の文章は気をつけて書いてるつもりなのに、いつの間にか
固い文章になってしまうから、嫌になっていたんだ。
田辺の文章は読みやすい、いい文章だけど、俺のそれと遠い縁戚関係に
あるような近しさを感じたよ。俺も気にせず、書いていこうかと
いう気になったよ。ホームページ読むのも楽しみだ。
Faxの情報、受け取ったよ。ありがとう。
オランダシシガシラさんへ
関係者以外の初めての参加です。どうもありがとうございます。
ご推察された通りの景山だと思います。
ただ、僕は高校の方は全く興味がないのです。
一度、修次に誘われて出たことがあります。激しく後悔したのを
覚えています。「30年経ったんだ、彼らの経年変化を見るのも
悪くないかな」ということで、不覚にも出席しました。
半年ぐらい前に、内田樹氏が自身のブログで「エピキュリズム」
や、「ミスティフィケーション」等の語彙を使って、
日比谷高校を嫌な学校だったと評していたことがあります。
僕はそれを読んだ時、若干うらやましい気持ちになりました。
「そんなもん、あるだけましやないか」ってね。
ただ、彦中出身者の名簿に関しては協力はいといません。
こちらの方が新しい分、より情報が正確だと思いますから。
こちらの方が落ち着きましたら、うどん屋経営の彼に渡しておきます。
こんな反応でも懲りずに参加してくださいね。本土の方々より
少し反応がストレートなのが、彦島なのです。
それを無神経ととるか、正直ととるかは何とも難しいものですが。
再び三浦、田辺へ
「立ち上げ会」楽しかったね。26人も出席したのに、
席を移動する人が少なかったね。あんな宴会初めてだよ。
みんな、周りに偶然隣り合わせになった人との追憶や、
情報交換に夢中で、他の席に移る気配なしだったね。
話がはずみ、飲む方もおろそかになり、飲み放題に達せず、
飲んだ実数の方が安いといって、人の良い店主が再計算
したんだってね。飲み放題に達しなかった宴会ってのも
初体験だ。
「彦島ナショナリズム」なんてものは全く持ち合わせていない
けど、「彦中ナショナリズム」はいつの間にか僕の心に
醸成されてたのかもしれないなあなんて、酔った頭で考えて
いました。それに校歌もいいねえ。校歌の水準としては
いい歌だと思うよ。うん! なんかおおらかな歌でいいね。
「景山、うん、いい、彦中いいよ。やっぱ彦中だよ!」宴会が
終わった直後の輝いた平野の顔が印象的でした。
修次と三人でした最後の旅行以来の彼の爆発でした。僕たちは
「ふく田」で多くの「修次君」と出会えました。ありがとう!
平野は今日、東京に帰って行きました。僕ら2人の春のお祭は
終わりました。ケの世界に戻ります。さあ、名簿、名簿だ。
| [12] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年03月28日 20時32分22秒 ) |
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追伸
書きかけて中座、オフクロと食事をした。オフクロは厚揚げとネギを白ダシで
煮たもの、僕は平野用に用意したビーフシチューが今頃になって、いい味になって
そっちの方を食べるといった変な組み合わせの夕食だった。
食後、掲示板の文章を完成して投稿したら、三浦君の投稿が来てた。
ありがとう、確かに受け取りました。
| [13] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年03月28日 22時40分25秒 ) |
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22人ぐらい、記憶と、名簿で整理してます
そちらとの、ダブリもあると思うけど、確認して下さい。
未確認の5人ぐらい、類推でTELしていきます。
PM22:38,営業から貴社、日報書いて、
『日子の島』拝見。
今会社から、メールしてます。
ゆっくりしたら、名簿を、メールで送ります。
| [14] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年03月29日 11時12分41秒 ) |
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28日;動向報告:連絡事項
7組 濱辺君、連絡取れた。
28日が、誕生日との事。
やっと、今日59歳になったばかりで、
60歳の祝い、とは・・・・笑っていました。
定年が、やはり、60歳で、老後を、すごく気にしていました。
勤務は、ずーと、M重工での勤務、現在系列に出向、頑張っていますとの事。
みんな、生きてるか?・・・との元気な笑い声でした。
西畑君:奥さんと連絡つきました。
勤務先変更ですが、元気で仕事してますとの事。
| [15] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年03月30日 09時52分15秒 ) |
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最近のプライバシー保護の風潮に配慮して、
同期会名簿を作製するのはメンドイことだ。
とりあえず、名簿全体の情報は打ち込み係の景山が
独占して他にはもらさないことにしている。
定期的に開かれる準備連絡会では、それぞれのクラスの
名簿だけ渡して調査を依頼している。
そうするてえと、違うクラスのやつなら知ってるけど、
自分のクラスの人は詳しくないとか、
しょっちゅう会議中名前はあがるが、そのクラスの
連絡委員がいないことで、データが集まらないってことが
多く、推定5,60名は拾えてない状態だ。
現在、所在判明者は270名。高校の同窓会名簿から拾っている
までは効率がよかったが、それ以降は停滞ないし渋滞の状態。
「このままじゃアカンでえ」ということで地域別に捜したらどうか
ということを次回の連絡会で提案しようと思っている。
じゃーということで、名簿にもう一項目追加して、
卒業時の住所を830名分打ち込んでみた。
打ち込み終わって並べかえてみたら、おもしろいこと一つ発見。
おそらく通学距離の関係だろうが、西山小学校出身の人が10名弱
彦中に回されているのが分かった。これ是石に確認した。
「へえー!?」とともに「かわいそー!」というのが実感。
あくまでも相対的にはという意味でだけど、本村、江の浦、角倉の小学校と
較べて西山小学校はお上品だったように記憶している。
彼らはあわれな小羊状態で、入学式を迎えたんだろうなあ。
こちとらとしては、知らん奴は全部よその小学校出身ということで、
十把一絡げだったらから、なにも意識してなかったけど、
彼らは少なくとも入学当初は心細かっただろうな。
| [16] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年03月30日 10時29分25秒 ) |
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景山さん
いや、いや、『哀れな子羊』は、みんなでした。
まだ、軍隊調が、残ってる、訓練でしたね。
入学当時の不安は、みんな当時からあったと思います。
小学校でも、中学校でも、高校でも・・・
今も昔も、友達いや、話が出来る仲間を、いや、朝の挨拶できる、仲間を
探してたように思えます。
この逆転が、今は、同級生だけで、グループを造り、いじめになり、
昔は、動物的ボス猿と同様の団体行動をとるように、弱い者をいじめるなどは
無かったと、思っています。
女の子などが、すごく、正義感を出して、物を言ってたのを、覚えています。
最終角倉小学校の卒業の私にとっては、5年2学期で、江の浦小学校からの分離は、すごく寂しい感じでした。
学校が変わっても、体育の授業は、いつも、工程の草抜き・石ころ拾い。
更に、教室のイスなどは、江の浦小学校から、角倉小学校まで、
生徒が手で運びました。
皆さんは如何でした?
『2部教室・にぶきょうしつ』と言う言葉をご存じでしょうか?
江の浦小学校が、マンモスになり、教室が足らなく、1週間づつ、
午前・午後の授業でした。
給食がある、午前がすごく楽しかったと、思っています。
食べたら、帰れた開放感は充実していました。
金比羅宮(福浦町)・田の首八幡宮の祭礼時は、福浦・田の首の生徒だけ、
途中、帰宅させて、祭り参加をさせてくれました。
勉強をしたとかは、全く無く、中学校で初めての英語の時間;アルファベットが、書けなく、ショックでした。
それからは、いくら英語を勉強しても、全く拒否反応。いや、能力でしょう。
ちなみに、『哀れな子羊』の言葉は、夏目漱石の小説だったと思いますが、
ヒロイン;みね子の言葉では?・・・初めて出会いました。
| [17] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年03月30日 10時51分29秒 ) |
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RE;
『校庭』が、『工程』になってる。
すみません。
後記
長雨が降れば、江の浦小学校は、長靴を超える水たまり。
雨が降れば、運動会は出来なかった。
まだまだ、角倉小学校のグラウンド造成、整地事業は、崖スキトリ事業は、
失業対策事業での遂行でした。
まだ、本当に働くところが無い時代でしたね。
16歳頃の高校のアルバイト(鉄工所の雑益)が、日給¥130だったと思います。
その後、植木等の歌で、給料¥13,800−のヒットだったと思います。
県庁の、高校初任給¥9,800−だったと覚えています。
18歳頃の、価格はおぼえているけど
コーヒー ¥50− うどん¥15〜¥25位でした。 ビールー¥150−
中学校時の、杉田のバクダンキャンデーが、いくらだったヶー????
山根君が、相場を知ってるから、今度聞いてみよう。
弟子待の、お好み焼きが、確か¥50あれば、2人が食べれたと思いますが。
なにせ、中学校時代、金を使うというのは、バクダンキャンデーか、
駄菓子屋の¥10・¥5ーの時代。
するめいかの醤油を垂らして、新聞紙で食べた記憶。
中学校では、あまり、金は使っていないよう。
記憶に余りない。
江の浦商店街での、オリタ商店の学生服くらいが大きい買い物では?
そろばんの授業料落としたときが、ショックだった。
| [18] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年03月30日 14時46分21秒 ) |
パスワード |
三浦よ、この長さは「後記」というより「その2」ってのがふさわしいよ。
僕は今回の同期会準備に関わりだして、不思議に感じるのは、妙に田の首と
縁があるなってことだ。
「立ち上げ会」の10日前ぐらいにマタイトコハンの彼女と電話で話をしていた。
高校の名簿で彼女の欄が空白になっていたからだ。半年くらい前に、他の親戚の
法事で彼女の弟さんに初めて出会った。すごく感じが良くなおかつ抑制感を
もった人だったので、僕は彼に事情を話して彼女の電話番号を入手した。
言っておくけど、僕は彼女とは全くの疎遠で、僕のジイチャンの法事の時、
彼女が彼女のバアちゃんと一緒に来ていて、「あの娘、あんたと同じ彦中よ」と
誰かに教えられ、「僕ら、親戚らしいな」「そうみたいね」の一言ずつ会話を
交わしただけの記憶しかないんだよ。
彼女と電話で話しているうちに彼女の性格の良さが分かってきた。
磊落とクレバーを矛盾なく体現している人だと分かった。
聞けば、御夫婦でペンションのオーナー業についているという。
ちょうど「立ち上げ会」のあと、平野と萩への一泊旅行を計画してたので、
元来お銚子者の僕としては、即決「じゃあ、あんたとこ泊まるわ」と予約。
彼女も「ちょっと親の具合が悪いんだけど、その時はまだ大丈夫でしょう、
歓待するわ」と受けてくれていたんだ。
水曜日の夜彼女から突然電話があり、お父上のご逝去の報告とついては葬儀の
あとの留守番を頼みたいと要請されたんだ。依頼されること自体、名誉なことで
即、受けて、お通夜、お葬式、お留守番の過程に身をおいたんだ。
再び言っておくけど、彼女の家を訪ねるのは、もちろん今回が初めてだったんだ
よ。考えてみるとお骨揚げに行くほどでもない遠い親戚で、
なおかつ、親しい(10日前に親しく話したからね)人ってことで
僕を思い出してくれたんだろう。おまけにウィークデイも暇っていう
のだから、なおさらだ。
通夜のあとの宴で彼女に声をかけたんだ。
「不謹慎かもしれないけど、お葬式の翌日に立ち上げ会があるんだ。来ない?」
ってね。そしたら彼女「行く、行く!」って即答。
彼女は大泣きの3日間と翌日からの2日間は大笑いという日々を過ごした
ことになる。お父上への良い供養になったことだと思うよ。
これが田の首第一弾。
第二弾は「立ち上げ会」の席で同じクラスだった準備委員の人の息子さんと
僕の甥っ子が仲良しだったこと。この方も生まれも育ちも田の首。
「あらー! ××君のあのカップクの良いお母さんが、景山さんのお姉さん!?」ってなもんだ。おまけにお互いのオヤジが勤めていた会社が同じだったりとか。
この調子だったら、同期生と出会って、詳しい情報交換をするたびに、
これまで見えてなかった物語や関係の糸が見えてくるのではないかと
思って、ちょっとこわくなったな。
15才の時から修次ん家にはしょっちゅう行ってたんだ。修次が亡くなるまでね。
2年前にこっちに帰って来てからは2カ月に一度ぐらいのペースで墓参りに
行ってたけど、ここまで再び縁が深くなるとは想像できなかったな。
おまけに今回知り合った三浦も生粋の田の首ッ子だもんな。
きっと修次君が呼びよせてくれたんだよって、僕らより上の世代なら
言うな、うん。
| [19] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年03月30日 19時29分43秒 ) |
パスワード |
それは、今回すぐ感じたし、亡くなって存在感がもっと拡大するときが、
過去にありました。 今も、それは、すごく感じています。
修ちゃんとは、15才からか、仲が良かったのか?
N校での修ちゃんは、Y・修ちゃんだったんか!
3年7組の学級委員・生徒副会長、リレーのアンカー、文武両道でした。
背も高く、少しはにかみやで、シャイでした。
平野君の、色男ぶりより、修ちゃんの方が、好きだった。
いつもあこがれで観ていた。
転職の職場勤務(小野田)が、遠いので、気にしてたが、
すごくがんばりやだった。
当時、私が宇部新川までの勤務の時でした。
それから、広島の営業地点の立ち上げは、知らなかった。
早朝早く、夜遅くまで、頑張っていた。
また、ゆっくり修ちゃんの話、しよう、中学校時代の話なら、
彼のことは、積もるくらいある。 高校からは、話して下さい。
| [20] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年03月30日 23時11分58秒 ) |
パスワード |
いや、いや修次のことはまだ、話せないよ。今、もうこの時間でアルコールを
放り込みながら書いているけど、飲みながら修次のことを思い浮かべると、
すぐ、涙が出てしまうからね。高校時代からの僕を知っている人がその光景を
見ると信じられないだろうけどね。平野でさえ、僕が涙する状況に初めて
接した時、一瞬戸惑いを見せたよ。僕はパフォーマンス力が強い人間
だから、平気でうそ泣きできる人間だ。ドラマのスジと関係のない、
自分固有の悲しい状況を想定して泣ける女優みたいにね。それとも時たま
見せる景山のジュンなところで泣いているのか、ここは判断停止だって
感じの平野の戸惑いだったと思う。修次が亡くなって、しばらくしてから僕と平野は高校の旧友と飲んでたんだ。
修次はシャイだし、自分がそいつに良く見られたら、そいつの上位に立ってしまって、却って失礼になるってことで、いつも素朴って
雰囲気を相手に感じさせて、心の安定をとる人間だったんだ。
で、そいつが修次の印象を修次が演じた通りの、期待した通りの印象だけで
修次を語ったんだ。そこで、僕はプチっときて、「それは違うよ」と言おう
と思ったんだけど、そいつに怒ってもしかたない、修次が望む通りの印象を
持ってくれたんだから、文句は言えない、僕たちのような濃密な関係を
持てっていうのも、理不尽な話だと思ったら涙が出てきたんだ。
それ以来、アルコール、修次、涙って回路ができてしまって駄目なんだ。
今の名簿収集のピークを乗り切れたら、この場を借りて僕と平野と修次の
話を書きたいと思う。この彦中38卒の場所が一番いいと思う。
| [21] | ![]() | 三浦義幸さん からのコメント(2007年03月31日 02時29分14秒 ) |
パスワード |
判りました。
相当、時間がかかると思うね。
そーと、大事に、置いておきましょう。
時の経過で、・・・
話はまた、何時でも出来る。
生きているから。
今日は、日田まで、板(フローリング材・42mm厚さ)を買いに行った。
行きは、小倉南経由田川経由英彦山・小石原経由日田 です。
街道は、桜・赤木蓮・白木蓮、満開状況。
春満悦。
1軒の製材所は、全部男性・普通ですね。
6Mものの、通し柱の専門製材・階段材を購入。
2軒目は、ほとんどの行程が、女性で作業をしてる。
よく、合理化していました。
4,000万円の設備投資と、説明でした。
原木からのカットも、出荷・包装も、全部、女性だった。
板1枚(2MX42mmの厚さ)に、精神をつぎ込んで、燻煙処理(煙で乾燥)までして、出荷してる。
| [22] | ![]() | オランダシシガシラさん からのコメント(2007年03月31日 11時30分49秒 ) |
パスワード |
景山様
部外者の再度の書き込みお許し下さい。
同期会出席を激しく後悔されたとのこと、
事務局として場所と労力を提供し、
クラス呼びかけ人の皆様が 今の景山様達のように
何回も準備会を開いていたのを間近で見てきた者として
とても残念に思います。
今、景山様が「高校の名簿から」と簡単に言われますが、
10年前歯抜け状態の同窓会名簿を一人でも埋めようと努力したこと等々、
何らかの形で次へ繋がっていくものだと思います。
300人おれば、色々な想い出があり、同期会への見方も夫々でしょうが
「開催してくれて有難う」「今度も(次回こそは)是非参加したい」と
言ってくださる人がいる限り、つれあいたちは第4回の準備に入ることでしょう。
懲りずに 参加いただけることを期待しています。
| [23] | ![]() | 田辺さん からのコメント(2007年03月31日 18時22分44秒 ) |
パスワード |
「哀れな子羊」の話にもどります。
俺は彦中を卒業すると、神奈川県の厚木市に現「マルハ」が創設した幾徳高専に進学しました。いきさつは長くなるので省略しますが、15歳で親の元を離れ、都会の生徒達と寮生活を始めた訳ですが、正に哀れな子羊状態でした。
主に下関の方言の問題が有りました。
寮には120人ぐらいの同級生がいましたが、多くは東京と横浜の連中です。
最初の2〜3ヶ月は、村八分になっていると感じたものです。
それでも、何とか寮生活に溶け込んでいきましたが、当初のダメージは完全には回復することが出来ないまま、新たな悩みが広がり、ついには落ちこぼれてしまいました。
結局3年で高専を中退すると、その後の1年間は、新宿辺りで自暴自棄な生活を送りましたが、根が臆病な俺は、ふるさと下関に帰ることで何とか生き延びる事が出来ました。
だから、下関を離れて日本の何処かで、自分の生活を作り上げている同級生達をすばらしいな〜!と思います。そんな彼らの話をたくさん聞いてみたいものです。
ちなみに景山からの写真は届いていません。
| [24] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年03月31日 20時10分00秒 ) |
パスワード |
オランダシシガシラさんへ
異を唱える文章を書く時、気分は正座のスタイルで、僕は書きます。
相手に批難と受け取られないようにするためです。
冷静になられたら、前の僕の文章をもう一度読んでください。
僕は自分は興味がない、自分は後悔したと述べているだけで、
その会のことを否定していません。
それぞれが頑張ってほしいというのが僕の偽らざる心境です。
例えば、「日本のロックにおける演歌の潜在的な影響」という評論があり、
それを読んだ僕が痛く感心したとします。
「そうか、俺のロック嫌いもこの角度から入れば治るかもしれない」と
勢いでロックの演奏会場に行き、「やっぱ、違ってた!」と激しく
後悔したとご想像ください。
そのロック演奏会の運営スタッフに「どうだった?」と聞かれ、
「うん、やっぱり俺には全然合なかった。後悔してるよ」と言ったら
突然そのスタッフから「俺らの苦労も知らずに文句言うなんて失礼な人だ!」と
抗議され、困惑している僕をご想像ください。
演歌好きもロック好きも分在してもいいでしょう。
音楽なら全部好きという大きな枠をお持ちの人は両方楽しむでしょう。
いろんな人がいて、いろんなグループに自在にからんでいく、
それで、いいんじゃないでしょうか。
数カ月後、時間と空間の軸が絶妙に一致して、僕とオランダシシガシラさんが
同一のグループで、和やかに談笑しているかもしもません。
そういうフレキシブルな関係をお互い構築していきたいと思っています。
匿名の気楽さから掲示板では思わぬ面白い空間ができることは
熟知しているつもりです。ですが、少なくとも僕は「批判」の領域に
なるかもしれないことは、実名でしようというルールを決めております。
オランダシシガシラさんが、この文章で更に御不快になられたら、
実名で掲示板に投稿せよという要請はできませんが、この掲示板の冒頭に
公開しているメールアドレスに抗議の文章を送られるよう希望します。
今のところパスワードは僕だけが管理していますから。
最後にこれはあくまで僕の感想ですが、
ボランティアに努力や苦労はつきものです。
それを自分から言っちゃおしめーだよと感じました。
苦労してるのだから、それを理解せよ、感謝せよと言った途端、
それは等価交換の世界に入り、日常の世界に戻ります。
「いやあ、好きでやってるのだから」で僕は通したいし、
現に好きでやっています。
| [25] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年03月31日 21時16分34秒 ) |
パスワード |
「哀れな小羊」という言葉を偶然、僕が使って三浦と田辺が結構
反応しているのに、驚いている。最後の田辺の投稿を読んで、考えてみた。
そして、分かったと言うか思いいたったことがある。
考えて見ると僕は新しい空間に入って行く時、
一度も不安を感じたことがないんだ。逆に「わくわく」だ。
どんなやつがいるかな、お、けっこう皆緊張しとるな。
この緊張、どんなギャグを飛ばしたら、みんなに受けて、
その緊張がやわらぐかな、なんてことを「わくわく」と考えてた。
教師や、えらい人が「うざい」ことを延々としゃべっている、
どのタイミングで言えば、その「アイサツ」をしているえらい人には
なんのことか分からず、緊張しながらも「ウザイ」なと我慢して聞いている
「これからの仲間」にはドカッと受けるかなとわくわくと狙っている
ガキだったんだ。
教師、ポカン。生徒大爆笑、教師のポカンを見て、さらに腹筋からの
笑いに転じてみんなの笑いがおさまらないというのが、理想的だった。
それに成功した時は数日間は気分が良かったことを覚えているよ。
みなは時間の経過とともに、最初の緊張は解け、そんなギャグで
笑ったことも忘れていくけど、やられた教師はしつこく覚えていて、
犯人の僕に対しては教室の空気を乱す要注意人物だと、ずうっと
マークするという関係だったな。
だから、「哀れな小羊」を自らにたとえるのが不思議だったんだけど、
(だれでも、自分の感覚が普通だと思うもんね)今回のお二人の反応を
冷静に考えてみると、なんだ俺の方が圧倒的に少数派だったのね、
当たり前のことにいまさら、気がついた次第。
| [26] | ![]() | オランダシシガシラさん からのコメント(2007年03月31日 22時09分33秒 ) |
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景山様
場の空気の読めないおばさんですので、皆様の話に分け入り、毎度失礼致しております。
批判したつもりではないのですが、そう思われたのなら申し訳ありません。
彦熱はじめ、もう無くなった下熱の時もそうでしたが、
パーッと思ったことを書き連ねますので誤解されることも多々ありました。
異論・反論があるわけではないので直接メールは致しません。
それにこれは私のルールですが、彦熱の中で話したことは彦熱で対応することにしてますので、
(ボランティア云々のところは、「へェーそうとられるのだ???」でした)
鹿児島から汽車に乗った娘たちが、事故のあおりで何時下関に帰れるか
情報待ちですので、これで本当に失礼致します。
| [27] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年04月01日 07時48分34秒 ) |
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アハハ、やあーめたっと。
田辺へ
僕は18才からずっと京都だけど、方言やなまりのことで、笑われたり、
疎外されたという経験はないな。
関西は江戸時代まで、首都や名目上の首都の所在地だったけど、その時でも
明治以降の東京よりも、方言に対しては寛容だったのではないかと思っている。
トップを取るのは関西以外の勢力がほとんどで、今笑っている方言の地域が
明日にはトップを張っていることもあるのだから、「あたいらよう知りません」
「どうぞ、お好きな言葉でしゃべってもろうて、お好きにしておくれやす」
という姿勢を自然にとるようになったのかもしれない。
15才にして関東か、ちょっとつらいね。しかも濃密な空間の寮住まいとなると
よけいにね。
今の関東の若者の言葉で、あれって7,8年前に感じたことがあります。
たとえば、「コーラス」って言葉。ママさんコーラスの場合は、今まで
通り、冒頭の「コ」にアクセントをつけて読むが、ポップス分野の
バックコーラスを意味する時はアクセントなしで、べたーっと「コーラス」って
脱力気味に読むようになったよね。
「コーラス」をもともとアクセントなしで発していた地域の人が、上京して
「コーラス」と発したとたん、笑われていたはずだよ。
そのまた10年前まではね。
正しい日本の話し言葉は東京の言葉で、そこで暮らし始めた人は一刻も
はやく「なまり」を矯正しなければならないという幻想が支配していたと思う。
「必死で努力してやっと矯正できたと思ったのになんだよ、今の若者の言葉は」
矯正される前のアクセントなしの「コーラス」の方が今風だって!?
って数十年前に上京してそのまま居ついてしまったおじさん達は
あきれているのではないのだろうかと思ったのだった。
| [28] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年04月01日 21時54分14秒 ) |
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10才・小学校の2年の夏休みからの、転校でした。
静岡県清水市・静岡市の2校転校後の、江の浦小学校の転入でした。
やはり、こちらの方言が判らなかった。
うそご(嘘・わざっとと言う意味では?)か?
ほんご(本気)? の
聞き合わせ、なんと応えていいか判らない。
やはり、『浜言葉』で、きつい言い回しなので、最初は全く会話出来ない。
そんな、覚えが残っています。
今は慣れてしまい、廻りの方には、結構きつい言い回しではないかと、
思ってる。 さすが、「われ」、「おまえ・御前」・「わし」は、とは、言えないが、昔の言葉は、農家・漁業の長老クラスとの会話は、結構懐かしいですね。
出ますね。
| [29] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年04月01日 22時13分40秒 ) |
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『哀れな子羊』の件
自分的には、全く、理解・解釈していない。
冷や汗が出る。
聖書からの言葉だと思っていたが、自分的解釈は『迷える羊』だった。
『迷う者・群れる者=羊=(人)』 『導く者=救世主・神』
夏目漱石は、『三四郎』 「ストレイシープ」だった。
子羊は、『弱く頼りないもの、犠牲とされるものたとえに使う。』
「迷える羊」・「あわれな羊」
今頃になって、辞書を引く。
本当にアバウトで、生きてるなーと、思う。
生きてたなーと思います。
平均点の50%で、赤点だった、影響がずーと尾を引いてるのか?
平均点の二分の一での生き方・生き様かも知れない。
反省。
| [30] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年04月01日 22時39分48秒 ) |
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へえ〜、生粋の田の首育ちじゃなかったんだ。
「うそご」「ほんご」なんて聞いたことないな。
そりゃあ、多分田の首周辺で使われていた固有の言葉だと思う。
本村でも本村小学校でも聞いたことのない言葉だ。
世代でも使われる方言は違うというか、減少しているというか、
たとえば、「ジビラ」。五歳上の姉がそれを言うのを聞いて「それなに?」
「あんたジビラ知らんの?」 という光景がたまに発生する。
「ジビラ」とは身長が低めで、がっしりタイプの男性を意味するそうだ。
NHKの「英語でシャベラナイト」(正確な番組名ではないと思う)に出てくる
アナウンサーのような体型の人を「ジビラ」と言うらしい。
色々だね。
| [31] | ![]() | 5組29番渡邉さん からのコメント(2007年04月01日 23時16分40秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2007年04月01日 23時19分25秒
| [32] | ![]() | 5組29番渡邉さん からのコメント(2007年04月01日 23時21分53秒 ) |
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景山君ほか彦中第16回卒業生同期会準備会の皆様
3年5組出席晩業29番の渡邉です。
景山君のすすめで書き込みを初めてします。
3月のはじめに景山君からの電話に驚き、
彦中の同期会開催を喜んでいます。
8月12日には必ず参加します。
スケジュール表に既に書き込みました。
景山君の声はすぐ思い出しましたよ。
その後平野君からの電話もあり、
当時の思いが急速に甦ってきました。
山本修次君の訃報には愕然としました。
彼とは近所で小学校から一緒でしたから。
18歳で彦島をで手以来、
盆と暮れには墓参りに帰るだけで、
同級生に会う機会もありませんでした。
景山君から連絡をもらった参加者の名前と
卒業写真の顔を照らし合わせています。
立ち上げ会の写真を卒業写真と
照らし合わせても判然としません。
すいません。
| [33] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年04月02日 01時30分11秒 ) |
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おーい、渡邊よ。
遠くからありがとう。
うれしいな、こういう参加。
どんどん参加してくれよ。心に残るやつとか思い出したら
どんどん語ってくれ。
一つ助言をしておこう。君は老眼だ。もちろん僕もだ。
漢字変換たぶんこれだろうってことで、いいかげんになってるよ。
それは画面の字が小さいことによって、えい、やー、たぶんこの変換で
いいだろうってことでおこる間違いだ。
それは簡単なことで解決できるよ。
ブラウザをインターネットエクスプローラからMozilla Firefoxに換えるんだ。
Firefoxなら、「表示」から「文字サイズを変える」の「文字を大きくする」を
クリックすればブログのどんな小さな字でも大きくなるよ。
この辺のことが「ええい、面倒だ、ジャマ臭い!」って思うなら、部下にやって
もらったらいいんだ。診察技術や診療技術はもう一つなのに、パソコンだけは
やたら器用な奴が、君の周辺にもいるはずだ。そいつにやってもらえよ。
字の大きさが自分にピッタリに適合すると、びっくりするほど理解力が
違ってくるよ。
渡邊は高校、多分中学も、ピリピリしていたっていう印象を僕は勝手に
持ってたンだ。西山海水浴場で二十歳の頃遊んだのが最後だよね。
今回39年ぶりに僕から電話して、君の声を聞いてうれしかったよ。
僕の覚えている君の声のトーンとまったく違ってたからね。
君は君を取り巻く環境を理解し、いい意味で和解して、ゆとりと創造性を
無理なく手の内に感じているって感じの声だったんだ。
だから、平野にも勧めたんだ、「こいつ、いいよ、電話で話してみろよ」
って。
ようやく、僕たちは思春期前期、中期の屈折をアハハッと話せる時期に
到達したんだ。二次会まではそんなこと話せないだろうけど、
三次会の時には酔った勢いで話そうぜ。
なんか、その時は僕は酔いつぶれていそうだけど。
| [34] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年04月02日 08時03分53秒 ) |
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5 組 渡邊 さん
御遠方??・・・より、
参加ありがとうございます。
5組は、『テント』ですね。
書いては、いけないかな・・・?
お盆には、帰省される方を、開催スケジュール日程にされています。
ぜひ、メールから、交友を暖めて下さい。
| [35] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年04月02日 13時58分51秒 ) |
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同期の皆様へ。
仕事していますか?
今日は、天気がいい。 黄砂も止んで、天気・天気。
仕事をするにはもったない天気。 !!!。
桜が観たい。
今、満開では?
朝倉の手漉き和紙の4代目、井上さんから、
秋月は、『桜の馬場』今満開とのメーセージが、来ています。
最近は、秋月も、眼鏡橋付近にも、
手作りパン屋さん・子供服(手染め)など、
若向けに出店が多くなっているそうです。
岩国の錦帯橋も、先週金曜日5分咲き、
(今日頃は、満開?)の便りが来ています。
あー、行きたい。
一心行の桜も、(台風でやられてしまってるが・・)、夜のライトアップでも、見に行きたいが・・・。
| [36] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年04月02日 14時08分25秒 ) |
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アハハ、君は老眼だと講釈たれながら、渡邉を渡邊と変換してた。ゴメン!
やはり、僕も老眼。
| [37] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年04月02日 17時33分24秒 ) |
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景山さんへ
先日NHKの事、書かれていたけれど、NHKの『みんなのうた』で、
Gackt(ガクト)さんの、『野に咲く花のように』聞いたことありますか?
3月まで、流れていたと思いますが。
昨日は、NHKラジオ深夜便で、『野に咲く花のように』を、
再度、リクエスト曲で、流されていましたが、すごく感激しました。
神戸震災での縁でのGackt(ガクト) さんの作詞・作曲です。
我々の、還暦の歌にいかがでしょう。 いや、青春の歌にいかがでしょう?
『3回目の青春』に向かって、
彦中校歌と『野に咲く花のように』を、永遠のテーマ曲に如何ですか?
子供に教えてもらえば、すぐ唱えると音痴のボクが提案する。
御提案します。
福田での彦中校歌は、非常に良かった。
あんな、新鮮で唱えたのも、不思議なくらい。
もう1曲、みんなで歌える歌を選択したらと思います。
今から、CDを買いに行ってきます。
先々月発売されました。
¥1,000−と思います。
全国で、卒業式で唱われたのではないでしょうか?
| [38] | ![]() | 田辺さん からのコメント(2007年04月02日 18時35分10秒 ) |
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今日、中西(RKB)と水津に、「書き込み」するよう葉書をだした。
返事が来るだろうか?
| [39] | ![]() | 5組29番渡邉さん からのコメント(2007年04月02日 20時17分31秒 ) |
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景山君、
ご指摘の様に老眼です。
高校からは近視、50歳からは老眼です。
Typingには自信があったのですが,校正なしでした。
文字変換不十分反省しています。スペルチェックしていませんでした。
確か、中学・高校とピリピリで鎧を着ていました。
でも、還暦ですから少しは変化しています。
海水浴場での一夜、鮮明に思い出しています。
三浦君、
”5組は、『テント』ですね”は、
当方理解出来ていません。
彦島から離れたかった!! いいえ抜け出したかった。
抜け出したくて、抜け出したくて、抜け出せなかった故郷ですね。
既に彦島に実家もありませんが、今は懐かしさだけ。
少しずつ昔を思い出しながら書き込みするのも
悪くないですね!!
こんな経験は今までありませんでした。
| [40] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年04月02日 20時20分03秒 ) |
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名簿把握状況
今日現在で290名、「ふく田」以来、アイドリングから、加速に入りだした
人が数名いて、主にその方たちの奮闘で、渋滞から抜け出すことができまし
た。感謝!!
次回の準備連絡会から、トップスピードにシフトし、連休突入前までに、
最終判明数の90%は把握したいと、思っています。
残念なことは、亡くなられた同期生がすでに19名判明していることです。
同期会の話が来て、真っ先に会いたいと思った、
山城君が亡くなっていました。
今から思うと、恐ろしく狭い路地をはさんで向かい合わせの家に僕と彼は
物心つく前から遊んでいました。くぎ投げ、ビー玉、パッチン、
けんかゴマ、ちゃんばらごっこ、ゴム銃、夏はセミ取りと西山海水浴場、
砲台山(老の山)や水源地に遠征しての秘密の陣地づくり、もっとも遠い
遠征は東大和町まで、行っての貝堀りだった。
どこかの家のラジオから「風雲黒潮丸」の主題歌が聴こえてくると、
それぞれが三々五々家に帰っていくって感じだったな。
その相棒の山城がもういないのだとがっくりよ。
僕は竹馬の友と、15歳からの親友をすでに失っているわけだ。
みんな! これからはせめて同期会が自然消滅するぐらいまでは、
長生きしようぜ。身内意外にも悲しむ人がいることを肝に銘じて
長生きしようぜ。
| [41] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年04月02日 20時37分47秒 ) |
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渡邉へ
うそぉぅ!
遠く離れた15組の俺でも知ってるぜ、「テント」の意味は。
それとも「シラ」を切っているのかな。
田辺へ
輪がどんどん広がって行くといいね。「ミャンマー・カンボジア篇」を
昨日読んだよ。感想は明日ぐらいに書くよ。
三浦へ
その歌はNHKの総合の方でもちょっと前に取り上げてたように思う。
まあ、採用されるかどうかは、僕たちの世代の認知度にかかってくる
のではないだろうか。同期会出席者の半分は知っていて、そのまた半分が
歌詞さえあれば、歌える状況になってれば、GOってなるんじゃないか。
| [42] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年04月02日 21時24分54秒 ) |
パスワード |
田辺さんへ
お父さんが、南方に行かれての復員と書かれていましたが、
赴任地はどこですか?
私の父親は、フイリッピン、19年の負け戦が判っていた頃、
マニラに逓信省から、無線通信士で、外務省付けで赴任。
マッカーサーの、再上陸で、20年のどさくさは、避暑地のバギオまでの逃避行を。 部下70名中、3名しか生存しなかった。
大岡昇平の『俘虜記』など、問題にならない逃避行を、教えてもらってます。逃避行の殺伐とした中、軍人が、暴力を振り、鶏を捕獲した軍人を、横取りの為に、将校が、銃殺まで、指示した話等してくれました。
良く、聞かされたものです。 死んだ方の、軍足を脱がして使おうとしたら、
まだ、『生きてまーす』と、最後の言葉に、震えおののいた事を、子供ながらも、生還の一部始終話してくれました。
米軍の投降すれば、銃殺との命令の話もありました。
奇跡の生還がなければ、私は生まれていない。
| [43] | ![]() | 田辺さん からのコメント(2007年04月03日 09時15分42秒 ) |
パスワード |
生徒会長だった新国の住所、電話とも名簿記載は間違っていました。
昨日、電話したので判明。
だれか知りませんか?
| [44] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年04月03日 09時37分17秒 ) |
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田辺へ
彼の電話、住所ともに把握できているよ。数週間前、電話で話し、
確認しています。
そっちにはメールでお知らせします。
| [45] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年04月03日 10時17分30秒 ) |
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景山 さん
新国さんが、連絡ついたのは、嬉しいですね。
8日(金)万難を配して、参ります。
13日(金)
行けると、返事したが、スケジュール表、見て返事すれば良かった。
1期先輩との、運営の伝授の会合は、予定が、入ってるので、流動的。
福岡;朝日新聞の会合なので、社長が行けない場合は、私が、代理出席です ので、欠席で、振られると、予定が狂う日です。
もう少し参加決定流動的にしておいて下さい。
三宅さんも、また、太ったのではと思っています。
| [46] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年04月03日 10時49分41秒 ) |
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三浦へ
万難を配しても8日(金)には行けないとおもう。
6日(金)には行けると思うけど。
| [47] | ![]() | 中西 一清さん からのコメント(2007年04月03日 11時55分25秒 ) |
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| URL=http://rkbr.jp/stamina/index.html |
田辺、熊重などと同じ卓球部だった中西です。二人から還暦祝い同窓会の電話をもらい、突然ズキンと来ました。若ぶっていてももう還暦なんですよねー。
万難を排して出席します。お役に立てることがあればご連絡ください。
| [48] | ![]() | 田辺さん からのコメント(2007年04月03日 13時19分35秒 ) |
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中西へ
早速の書き込み ありがとう!
準備連絡会で相談します。
何か協力してもらうような事になれば連絡します。
現在、名簿を作成中です。もし、連絡先を知っている人がいれば、メールでお願いします。
山本のポンはどうしてるかね〜!
三浦へ
おやじの事は夜書きます。
| [49] | ![]() | 景山さん からのコメント(2007年04月03日 14時57分40秒 ) |
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みんなへ
この稿は渡邉に向けて書いたのだけど長くなりすぎた。
でも、せっかく書いたのでアップする。
渡邉以外は退屈で読んで損したって気分になること請け合いなので
無視してくれ。
渡邉へ
青少年の時は、自らを取り巻く関係性が全く見えないものだよ。
誰でも、環境適応不全のような状態に陥るのではないのだろうか。
でも、自分のことはさっぱりでも、他人を取り巻く関係は、少しは見えるのだ。
僕が、勝手に想像するに、君は彦島ではずっと社宅住まいだったんじゃないの?
社宅育ち共通の匂いがするんだ、そんなに強くではないけれどね。
社宅の同級生はもう一つ面白みに欠けると、当時は思ってたよ。
玄洋中出身で、高校で一緒になった同級生達に特に感じていたことだけど、
たしかにいい人ばかりだったけど、みんな80点で、つきあいにくかった記憶がある。
T原だけは違う匂いで気が合ったけどね。
「もうちょっと胸わって話さんかい」というこっちの勝手な不満だった。
あの学区は三井系の企業城下町だったからね。高校で同期になった級友たちは
ほとんど社宅育ちだったように思う。
言っとくけどこれは「社宅」に対する悪口、批判ではないよ。
君は分かってくれるから、安心して書いているのだけど、
ここは公開の場だ。もう懲りたからね、念のために書いときます。
社宅って僕にとってつらいのは、どうして会社のヒエラルヒーが住まいの場まで、
及ぶの?ってことだった。子供心に思ってたよ。どうして重役の奥さんまでが偉いって
ことになって、うちのオフクロが丁寧に頭を下げないとイケンノ?ってね。
社宅の子に悪い子がいないのは、会社の秩序がそのまま住まいの空間まで
浸透しているので、家も、子供も自然に抑制するからじゃないのかなあ。
社宅の世界は奥行きの狭い平面的な空間のように感じるんだ。
そして、やっかいなのは中途半端に知性的な世界でもあることだ。
それに引き換え、僕の育った空間はっていうと、結構強烈だったよ。
当時はそれが普通で当たり前だと思ってたからね。
誰々の家で、大の大人が兄弟喧嘩、今、救急車が来ちょるよと聞くと、
それって飛んで見に行き、垣根をよじ登って中を覗くと、畳の上が
血の海だったこともあったね。
うちのオヤジは社宅が苦手で、一度も社宅に住むことはなかった。
平野と修次と僕の共通点は、ホワイトカラーの社宅とは無縁の路地の世界で
育ったことだと思う。平野が彦島に引っ越してきて社宅に住んだことを
例外にしてね。
修次の披露宴の時、三人で彦中校歌を歌うことにしていた。その時の司会の
人が僕たちの知らない人だけど、高校の10年ぐらい上の先輩だったんだ。
その彼が何度も「景山さん、高校の校歌にしてくださいよ、校歌聴きたいなあ」
なんて勧めるんだ。「はい、はい考えておきます」と言ってたけど、高校の方は
はなから歌う気はなく、本番で彦中の校歌を歌ったんだ。歌った後、その彼が
「景山さん、やっぱり僕は高校の方を聞きたかったな」なんてまだ言うんだ。
気の短い僕は切れかかったよ。ここは修次の地元だから迷惑かけられんの
一心で抑えたね。「客の方が歌いたいという歌を気持ちよう、歌わしたらんかい!
それでもお前、司会のプロか!」って内心毒づきながら我慢したよ。
それぐらい僕らは彦中が好きだったんだ。
平野を除いた二人が遅れて何とか大学にもぐり込むと、時々三人で落ち合うようになったけど、
何度会っても、「彦中」は良かったという話は必ず出たね。彦中時代は三人はばらばらで、
付き合いはなかったけどね。勉強ができることよりも、ちょいと不良の方が人気がある
という3年間だった。彦中をおおっていた軽いバーバリズムを、三人は「心地よい」と
それぞれに感じて通過したんだ。
で、だ。そのバーバリズムを当時の君は嫌いとまでもいかないかもしれないが、
少なくとも親しみを感じることなく通過したんじゃないのかなあ。
そこんとこが、ちびっと違ってただけで、ほんとは資質的には近いものがあったのに、
当時は仲良くなりきれなかったんじゃないのかなあと思っている今日この頃。
お互い故郷を離れて暮らして、違う組織で禄を食み、家族を持ちいのってことを経験
しているうちに、自らの少年期を取り巻いていた関係性を理解してきたんじゃ
ないだろうか。
「見えない関係が見えはじめた時
彼らは深く訣別している」
という詩の一節に、若い時いたく感じ入り、未だに記憶しているが、
その詩の言葉を使って言うと
「見えない関係が完全に見えた時
僕たちはリセットできる」
なんて、言えるかもしれないね。すでにリセットし始めているのかな。
| [50] | ![]() | 三浦 義幸さん からのコメント(2007年04月03日 14時58分46秒 ) |
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噂の中西一清。
TVで見るだけ。 まだ会ったことがない。
卓球部の水津には、聞いていたが、本物に会えそうだ。
中西一清に会える。
楽しいじゃん。
これは、すごい、宣伝になる。
すごいことになる。
今日は、AM11:30頃は、晴天。
唐戸の、ドームの所;カラトコアから、南へ、幸町までの両サイド通りが、
満開・満開。
桜並木最高です。
貴船の1丁のテキサス:パチンコ屋から入っても良し。
風が出てきて、花びらが舞っています。
この雨では、今日限りでは?
ぜひ、日差しがあるうちに散策をお勧めします。
| [51] | ![]() | 田辺さん からのコメント(2007年04月03日 18時07分04秒 ) |
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三浦へ
うちのおやじは、昭和19年1月に門司港から出航し、プサンとマニラを経由してシンガポールに送り込まれました。
この輸送船で、君のおやじさんと一緒だった可能性は無きにしもあらずだね。
シンガポールからは、インドネシアのスンダ列島を東進しスンバワ島まで行く予定だったけれど、連隊の船が潜水艦に撃沈され、一つ手前のロンボク島で足止めを食っていたそうです。
この間、幾度となく米軍機からの機銃掃射を受け、ジャングルの中を逃げまどう間に、多くの戦友を亡くしたと話していました。
その後、あの悲惨なインパール作戦が失敗すると、おやじの隊はビルマに進攻してきたイギリス軍に抗戦するため、いったんシンガポールに戻され、そこからマレー半島縦断鉄道でバンコクに運ばれる途中のクアランプールで終戦を迎えました。
そして、再びシンガポールに連れ戻され、近くのレンバン島と云う捕虜収容所に入りました。
その時、すでに日本の輸送船は壊滅状態だったので、その収容所で長い期間またされたようですが、その間に、多くの日本兵が亡くなったようです。
結局、おやじは、21年6月にアメリカの輸送船に乗せられ、広島の大竹港に復員しました。
その時、アメリカの輸送船でもらった、ご飯の缶詰の空き缶を後生大事に保管していました。
もちろん、その空き缶は、今も我が家に保管してあります。
と云うようなことで、私も、おやじの奇跡の生還がなければ、この世に生を受けていませんでした。
| [52] | ![]() | 景山昌夫さん からのコメント(2007年04月03日 18時37分52秒 ) |
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田辺へ ミャンマー・カンボジア篇を読んで。
僕は旅の企画が苦手だ。たいていは僕のツレアイ様が企画を立て、
あれやこれやと僕に相談して、僕は真剣にそれに応じるという形で
同意し、彼女の方針通りに旅をするという形が多い。
「真剣に応じる」のは、その姿勢が感じられないと、彼女の旅が完全な
ものにならないからだ。決まったら、へーい、運転ですか、お安いご用で。
荷物持ちですか、お安いご用でっいった感じで全面的に協力する。
企画から旅行、後の一人反省会まで、含めると同じ旅を僕の十倍
楽しんでいるのだから、協力するのは当然だ。
だからと言って、僕が、旅が嫌いなわけではない。結構行けば楽しんでいるよ。
人様の企画に乗って、先入観なしに現地に行き、思わぬ景色や、もの、人に
出会うのが一番楽しく感じているから、そうしているだけだ。
ただ、一つだけ例外があって、旅の行程に「自由時間」というのがあると
がぜん張り切るんだ。6、7年前、社員旅行で函館で自由時間があると分かった
とたん、職場を抜け出し函館の地図を買いにいったよ。わずか3時間余りの時間を
いかに有効に割り振っていくかとってことに頑張るんだ。
観光スポットには目もくれず、ビールに合うソーセージか、チーズか、ピザの
店をまず捜し、次になるべく地元に密着したスーパーをチェックしておいて
2、3軒回る。そのうち少なくとも一件は、女性専門の売り場以外はくまなく
回って、「こんなもん、何に使うんだろう」「この魚、どうやって料理
しているのかな」なんて、思い巡らせるのが好きなんだ。
てっことで、田辺の「ミャンマー・カンボジア篇」を読んで、僕が興味をもって
読んだのは次の三点。いや、四点か。
@超美人の娘さんとあったので、ひょっとして田辺が画素数落とし忘れて
アップしていたら確認できるぞと思い、マイピクチャーに保存して
ビューアーで拡大して見たけど、そんなことはない、ボケタまま拡大
されただけでした、やっぱりな。おバカな景山でございます。
Aやっぱ、マーケット訪問だな。お、もっと書いてくれって感じだよ。
Bバストラブルの地点近くで、休憩場所を提供してくれた親子の情景だな。
一度家に帰り、スカートをはいてきた女の子のくだりなんて最高だ。
いい文章だ。スカートをはいた後の女の子のシャイな笑顔の写真が
添えられていたらもっと良かったと思う。
Cプノンバケンの頂上で聞いた音楽が下関の平家踊りのお囃子と酷似していた
ということに、興味を持った。
僕がだよ、僕が思うに、下関にあって他にはないものとして、誇れるものは
二つあると思っている。
一つは、「ももたろうの天ぷらうどん」で、B級と上品さがこれほどまでに
マッチいいものか、と思うほど、毎回美味しいと思っている。麺のコシを
重んじない地方もあるんだと理解して食べてくれたら、下関以外の人も
必ず、おいしいと感じてくれる水準にあると思う。
もう一つが平家踊りさ。特にあの太鼓の複雑なリズムは、ちょっと日本では
例外の方に入るのじゃないかな。録音ないのかい?そのプノンバケンの頂上で
聴いた音楽の。聴きたいな。
最近はデジカメのボイス・レコーダー、驚くほど性能がよくなっているので、
次に同様なチャンスがあった時、録音頼むな。
次回の感想から、前段の文章はないから、そうくどくはならないと思うよ。
| [53] | ![]() | 5組29番渡邉さん からのコメント(2007年04月03日 23時20分15秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2007年05月04日 14時07分27秒
| [54] | ![]() | 三浦義幸さん からのコメント(2007年04月04日 05時17分08秒 ) |
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田辺さん
貴重な話、ありがとう。
インパール作戦も、失敗の作戦の最大なるものと、NHKで、解説されていた事
マレー半島鉄道は、『戦場に架ける橋』だったけー、早川雪舟の軍人姿が、妙に、印象に残ってる。
戦争体験は我々は、聴く体験だけど、ずいぶん、影響は、多大でした。
今度ゆくり、飲みながら語らいましょう。
親父の、捕虜生活は、少ししゃべれたので、食生活がふんだんで、快適で、
天国だったと話していた。
終戦後、下関の長府にニュジーランド兵の駐留の時も、すぐ志願したみたい。
雑役の、ワイシャツの洗濯だけは、閉口だったと、印象に残る。
昔?は、パンツをはいてなかたのですね。
シャツの前後で、止めて、着ていたと聞いています。
当然汚れが、通常でない。
またゆくり、ここで書けない事ばかりだからなー。
中西一清の海外旅行記も楽しく観ています。
けっこう、おじさんグループでの旅日記で、おもしろい。
田辺さんも、どんどん書き込んでください。
| [55] | ![]() | 景山昌夫さん からのコメント(2007年04月04日 11時35分08秒 ) |
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三浦や田辺のオヤジさんの戦争体験を読んで、心痛むのを感じる。
オヤジやオフクロの戦時中の体験を聞いている時の、僕自身の
「時間」の問題だ。
戦時中や、親の結婚式の話なんて、僕にとっては「はるか昔の話」と
して、聞いていた。自分の生まれる前の時間はセピア色に変色した
世界と捉えていた。今になって見ると分かるが、十年や十五年前は
昔ではなく、ついこの前のことだ。今につながるリアルな体験として
オヤジは語っていたのに、僕は「昔話」として聞いていた。
自分が子供を持った時に、そのことに焦点を当てて考えてみると
容易にわかることだったのに、そのことに思いいたらなかった。
気づいたのは五十才前だった。その時はもうオヤジはいない。
オヤジが元気で生きているうちに、ついこの間のこととして、
リアルな時間を共有しながら、僕が生まれる前のオヤジの経験した
ことを聞いておきたかったと後悔している。
せめて、今も元気なオフクロと話しておくべき、と思うのが自然だが、
これがうまくいかないんだなあ。
短期記憶は不確かだか、昔のことは結構覚えているよ。
ただ、オフクロは昔からカッパエビセン。話しだすと止まらない。
しかも必ず、自分をいい方に脚色して話す、素晴らしい資質を
お持ちなので、「へへえ、母上さま参りました。話を向けてしまった
あっしが悪るうござんした」と退散せざるをえないんだな。
実直、無邪気、素朴、訥弁といった属性に囲まれていたオヤジ。
そのオヤジの話を僕は「ついこの間」の時間感覚で聞きたかったなあ。
| [56] | ![]() | 三浦義幸さん からのコメント(2007年04月04日 12時09分52秒 ) |
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