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投稿番号:43988 投稿日:2000年01月01日 10時17分21秒  パスワード
お名前:服部 明子
 

平家物語の雑談 その21


コメントの種類:歴史


10月23日(土)の朝日新聞の記事より:


「宮尾本・平家物語」
週刊朝日11月5日号から連載開始

だそうです。
宮尾登美子の平家物語はさぞかし面白いでしょう。
単行本で出たら買いたいです。


まさとしさんからのコメント(2000年01月01日 12時36分52秒)
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そういえば、源氏物語は漫画になってましたけど、平家物語は漫画になったことはないのでしょうか?
あったら読んでみたいのですが。

服部 明子さんからのコメント(2000年01月03日 10時20分04秒)
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朝日新聞社

週刊朝日百科:世界の文学:第27号

「平家物語・太平記ほか」

1月11日(火)発売

週刊分冊で毎週火曜日発売A4判変型・中綴じ
オール・カラー36ページ全121冊・定価560円(税込み)


ちなみに24号が「源氏物語」で21号が「古事記・日本書紀ほか」だそうです。

服部 明子さんからのコメント(2000年01月08日 22時22分52秒)
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新聞の謹賀新年のご挨拶の広告にこんなのがありました:


よろい・かぶとの復元・制作・修補
(社)日本甲冑武具研究保存会指定


たちばな甲冑工房

福島県相馬市中村字北町22
0244-37-2212

福島県相馬郡鹿島町広町65
0244-46-5382

http://www.fusion~isp.ntf.jp/tachibana/
http://www.fusion-isp.ntt.jp/tachibana/

URLは文字が小さ過ぎて読めません。。。(^^;

服部 明子さんからのコメント(2000年01月08日 22時30分37秒)
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甲冑でしたら姫路城の裏の「明珍」さんが有名ですが。

服部 明子さんからのコメント(2000年01月10日 03時22分27秒)
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1月8日(土)の日本経済新聞(夕刊)の記事<味文化>より


ユズの年間生産は約1万トン。
そのうち5割近くのシェアを占めるのが高知県だ。

源平の合戦に敗れた平家の落人が健康を守る食生活の糧として、
山間部で栽培を始めたという歴史がある。

以来、同県ではユズは食生活に欠かせない調味料となっている。


服部 明子さんからのコメント(2000年01月11日 13時31分40秒)
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源氏物語の話題です。(^^;


日本経済新聞の記事より:


光源氏という陰影に富んだ王朝期の男の遍歴を描いた「源氏物語」は世界文学史上の奇跡ともいわれる。

欧州では男たちが野で狩りと戦争に明け暮れていた頃、極東の島国にブルジョワ末期を思わせる優雅な愛の物語が突然生まれたのは、単なる文明の気まぐれだろうか?


「源氏物語」が1人の才媛によって書かれた千年前の日本は、やはり国際化と情報化伝達の変化のさなかにあった。

大陸からの漢学が貴族社会の教養の基盤を高める一方で、女性を中心に表現の場を広げたのが平易なかな文字の発明だった。

服部 明子さんからのコメント(2000年01月20日 22時23分42秒)
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今年の毎日新聞の記事だと思いますが、1月19日にアメリカのロスの日本人社会で発行され
ている「羅府新報」に以下の対比の転載がありました。



「にっぽん・この1000年の権力者たち」つれづれ気まま人物点描


昨年の春、京都の六波羅蜜寺に空也上人の像を見に行った。
念仏を唱える口から6体の阿弥陀が現われているあの有名な像である。
「市の聖」の姿を写実的に造形した立像は見事なものだった。



同じ宝物殿の中に平清盛(1118〜1181)の像があった。
この清盛の座像(鎌倉時代・重要文化財)もなかなか心に残る像だった。

経巻を手にした僧形の清盛の表情には気品が漂う。
清盛というと傲岸不遜の権力者というイメージがあるがここには全く別な清盛がいた。

歴史上の人物について私たちには先入観がありすぎる。

清盛について言えば、私など子供のころ読んだ「源平盛衰記」(勿論子供向きに書き直したも
の)のイメージが刷り込まれている。

清く正しい源氏に対して平家は悪の権化であり、その最たる人物として清盛は描かれていた。

もっともこの像が清盛の「実像」を伝えるものというわけでもないだろう。
現代に生きる人間だってなかなか理解出来ないのだから、歴史上の人物の「実像」をとらえる
など、夢のまた夢かもしれない。



さて、清盛に続く日本史上の権力者は源頼朝(1147〜1199)である。

米国タイム誌が12世紀の重要人物の1人に頼朝を選んだという記事を年末に読んだ。
たしかに初めて武家政権をうち立てた彼が歴史に残した足跡は大きなものがあるだろう。

「似せ絵」の名手、藤原隆信の作品とされる肖像も風格と思慮深さをうかがわせる
(ただし、描かれているのは頼朝ではないとの説もある)。

弟・義経に対する厳しい処置など「判官びいき」の中ではこの人物も悪人だが、どうして大変
な人物だったに違いない。



以下

足利尊氏・・・鎌倉幕府打倒までの動きはさっそうとしているのに弟・直義との抗争などでは
優柔不断な印象がある。

織田信長・・・本能寺で非業な死で終わるその果敢な人生があらためて人々を魅了する。

徳川家康・・・40年以上前の山岡荘八の「徳川家康」が「たぬきおやじ」のイメージを一新
した。



豊臣秀吉・・・日本人の中の「人気度」は昔は秀吉がダントツだった。「太閤記」はさまざま
なかたちで日本人に読みつがれてきたし、大衆ドラマからテレビドラマまで、秀吉はいつも日
本人のヒーローだった。

その「人気度」は多分近年(?)相当変わっている筈だ。山岡荘八で「たぬきおやじ」のイメ
ージを一新した徳川家康や、その果敢な人生が人々を魅了する織田信長に比べると、秀吉は晩
年の朝鮮出兵という「汚点」がぬぐいがたい。

服部 明子さんからのコメント(2000年01月24日 04時13分52秒)
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昨日、尾張の「服部家ホンヤ」から昨年の行事の記録が届きました。

1999年5月21日に国の重要文化財「服部家住宅」で
琵琶と語りの夕べが催された、
という記事がありましたのでご紹介。


琵琶演奏家の北川鶴昇さん(66)が平家物語の冒頭の1節や源氏物語の胡蝶の巻より
「春の宴」を演奏。

北川さんは薩摩琵琶を手に、平家物語冒頭の「祇園精舎」や、光源氏が庭で夜もすがら
遊びに興じる場面を歌った「春の宴」および、平家一門最後の場面を曲にした「壇の浦」
の3曲を披露。


この演奏会の連絡先として
琵琶学研究会( 052-722-6502 )が載ってましたので、ご参考まで。

北川鶴昇氏は各地で演奏や講演活動を続ける一方、名古屋・栄の中日文化センターの講師
を務め、後進の指導にも当たっている、と書かれていました。



ホンヤからの手紙には:

昨年1月には名古屋市博物館で「尾張の天王信仰」の企画展があり、津島神社の神官でも
ある服部家ホンヤからも徳川家康拝領の小袖を始め、屏風など12点出品した、と
書かれていました。

「津島神社」は伊勢・尾張南朝方の拠点で、「浪合記」には服部家ホンヤは平宗清の子孫
と書かれています。

「流れ」というのなら反論はありませんが。。。
また、「浪合記」は徳川家の系図捏造?に使用されたので、明治維新後の価値はかなり
低くなっています。新田(源氏)の4男の子孫である得川家より徳川氏が出た、という
お話です。で、徳川氏も南朝方だった、と。

江戸時代のホンヤは徳川氏と共に栄え共に滅んだので今でもお声が掛かるようでした。
ホンヤは別に「平家の子孫」は標ぼうしていません。南朝方以降は隠せないので時々
名乗ってますが。



それから、ホンヤからの手紙に、
今年の雛祭りでは、名古屋の徳川美術館で2月15日から旧暦の雛祭りに当たる4月9日
まで、徳川家の雛人形展が開催されるので、ウチのを借りに来る、と書かれていました。

同封の新聞記事によると、これは天保12(1841)年にホンヤに嫁に来た人が持参した物で、
御殿にみたてた高さ2。5メートルの5段飾りに人形などが飾られているそうです。

御殿侍やお庭番の人形もいるんだそうです。←お庭番って?


階段を昇る勅使は背を向け、段を昇る格好のまま飾り付けてある。
内裏さまの狩衣とお雛さまの12単衣には、天皇家が使用した「16弁の菊」や
「桐」の御紋が刺繍されていて、興味深い、と新聞記事に書かれていました。


ホンヤは、保存が悪くてボロボロだから恥ずかしいんだけど、と書いていましたが。

なかにしさんからのコメント(2000年02月05日 19時02分29秒)
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 赤間神宮は壇ノ浦で入水した安徳天皇を祀る下関市の神社ですが、海底の竜宮城を模した特徴的な水天門は昨年9月の台風18号で屋根の銅板がはがれるなどの大きな被害を受けました。

 その修復の屋根の張り替えが最近始まりました。屋根の破損は水天門の他、社務所にまで及んでいましたので、今回は水天門とそれに続く回廊、社務所のすべての屋根を張り替えることになりまして、使用する銅板は12,500枚にも上るそうです。厚さ0.4ミリの銅板を使って、今後最低でも50年間は持つのだそうです。

 ちなみに工費は2,500万円で、工期は4月10日まで。銅板張り替え直後のしばらくは金色に輝く水天門を見ることが出来るので楽しみです。

 赤間神宮のオフィシャルサイトはこちら。http://www.tiki.ne.jp/~akama-jingu/

服部 明子さんからのコメント(2000年02月05日 21時55分50秒)
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こんなレスを頂きました。
(この項、幕末サバイバルゲームの重複)


幕末ごっこで盛り上がってますね。 
平安時代しか知らない私にはいまいち話が見えません(泣)。
だからたとえば「源平合戦 RPG」

あなたの宗盛度は95%(おろおろ)なんてのがあったら、とても分かりやすい。
その他
・あなたの俊寛度
・あなたの行平度
・あなたの敦盛度
・あなたの海尊度
・あなたの小督度
・あなたの後白河度

なんてあったら,世情を計る上でもすごく楽しかったりして。

服部 明子さんからのコメント(2000年02月10日 13時46分02秒)
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群馬県の赤城山には平家の落人が逃げて行ったようです。

そんなメールを頂きました。

服部 明子さんからのコメント(2000年02月15日 12時39分32秒)
 

本人によりコメントは削除されました。 2000年02月15日 12時47分51秒

服部 明子さんからのコメント(2000年02月15日 12時42分26秒)
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伊藤姓と伊東姓の違いについてメールを頂きました。


伊藤と伊東は同じ本姓藤原氏出身です。

伊藤さんは伊勢に下った藤原さんで
伊東さんは伊豆の藤原氏ということでございましょう。

伊東さんの方も平家方ですから、伊勢の伊藤と伊豆の伊藤が同じでは不便なので、
それに坂東の<いとう>ということで伊藤から伊東に変えたのでは?

でも混同もありますよね。

服部 明子さんからのコメント(2000年02月15日 12時58分20秒)
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「彦島」と「彦部」氏との関係を尋ねられました。
残念ながら関係は無いと思います。


「彦部」氏は足利尊氏の家来の高 師直の1族です。

天武天皇6世の孫、高階峯緒の末で
高階を縮めて「高」とだけ称したそうです。

1説に「高麗帰化族」ではないか?とも。


この高階の支族に
太田原、大多和、岡松、南、大高、小高、大平、窪田、
彦部、刑部、芦屋、田中などがあるそうです。

なかにしさんからのコメント(2000年02月23日 23時47分21秒)
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 「彦島」の名前については、よくわからないみたいで、8世紀頃にはすでに漢字表記では「引島」、つまり、「ひくしま」または「ひきしま」または「ひけしま」と呼ばれていたことが文献に残っているようです。

 その後しばらく「彦島」と呼ばれていたそうですが、知盛さんが、「彦島」の名称を古来の「引島」に改めたのではないかという説もあるようです。敵を引きつける意味があったのでは? と言われています。

 で、再度「彦島」に戻ったことが予想されるのが、彦島の古文書に「建保2年(1214)4月2日、和田義盛五男朝日奈三郎の弟和田伝左義信来たり、父通成に頼みて比里に住す。義信の歌に「比里は彦豊出見の命のり それを名付けて彦島とかや」 これより引島を彦島と改名す」とあるのだそうです。

 書いている自分も時代の流れと変化がよくわかりませんので、機会があればまとめてみます。

なかにしさんからのコメント(2000年02月23日 23時49分34秒)
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 だいぶ前に、「関連書籍」で紹介した、内海清美さんの和紙人形で作られた平家物語絵巻「観●平家」が、パリの日本文化会館で展示されていて、パリの人々の関心を集めているのだそうです。今朝のNHKテレビニュースでやってました。

服部 明子さんからのコメント(2000年03月16日 12時07分10秒)
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野間は源義朝が平治の乱に失敗し、家来の鎌田の妻の実家(長田氏)に身を寄せた所、元が平氏出身の長田ということもあり、源義朝を入浴中襲って殺しました。

知多半島にあります。
私は子供の頃、よく海水浴に行きました。



中部新空港漁業補償

野間漁協、55億円で決着

愛知県関係の交渉完了

 中部国際空港(伊勢湾常滑沖)の漁業補償問題で、愛知県は十五日、同県知多
郡美浜町の野間漁協(大崎正明組合長、組合員約二百五十人)に対し、最終の補
償額として前回より三億二千万円上積みした五十五億円を提示した。漁協側はこ
の受け入れを決めた。難航した野間漁協が決着したことで愛知県漁連関係の補償
交渉はすべて終了し、暗礁に乗り上げている三重県漁連と中部国際空港会社(平
野幸久社長)との交渉が焦点となる。

 愛知県は今月十日、同漁協に五十一億八千万円の補償額を初めて提示したが、
漁協側は「漁場が受ける被害に見合った額ではない」と拒否していた。最終提示
は、松島淳登同県副知事が「最終的な提示で、精いっぱいの額だ」と説明し、理
解を求めた。漁協側は役員会で協議して受け入れを決め、県側に伝えた。

 大崎組合長は「不満はあるが、交渉を決裂させるわけにはいかない。役員の全
員一致で受け入れを決断した」と説明。また、国への空港島などの埋め立て免許
申請については、役員会で議題にならなかったが、「補償を受け入れる以上、埋
め立て手続きなどを進めるのは否定しないという認識を持っている」と話した。

 野間漁協を除く愛知県漁連(四十一組合)との漁業補償は、すでに計三百八十
四億六千万円で決着しており、独自に交渉した野間漁協を合わせた補償総額は四
百三十九億六千万円となった。
服部 明子さんからのコメント(2000年04月01日 13時35分30秒 ) パスワード
  

以下の書き込みが掲載されていませんでしたので再度アップ致しました。
下から読んで頂きますとご理解頂けるとおもいますのでよろしく。

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レスを頂きました
Name:服部 明子
Email:akikohsmith@mindspring.com



「カリスマ的」だと思うな。

実際の頼朝は、甲府の善光寺が近いと思うよ。
国立博物館の像も、恰好よ過ぎる。



甲府は頼朝の他、実朝、熊谷直実などの像もあり楽しい。
行きたいねえ。


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カリスマとしての頼朝の姿
Name:服部 明子
Email:akikohsmith@mindspring.com


絵の方は「将軍」となって「神」になった頼朝のカリスマ的「姿」ということでいかがでございましょう?


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レスを頂きました:その2
Name:服部 明子
Email:akikohsmith@mindspring.com



甲府・善光寺にも行きたいね。
行き先が増えるねえ。


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レスを頂きました
Name:服部 明子
Email:akikohsmith@mindspring.com



『朝日新聞の2月6日の日曜日の「名画日本史」に源頼朝像について書かれています。』

左翼の赤新聞が何を言うか。



『記者は「神護寺」の頼朝像は「違う」ということで見に行った』

最初から、こういう考えで物事を見るのが、左翼人種の特技。
素直に、真っ直ぐに物事が見れない、哀れな地球には不要な人種。



『実物の前に立つと圧倒的な存在感に「ヨ・リ・ト・モ」とうめかざるをえなかったと書いています。』

何を言ってるかだよ。
そんなことは、分かってる。
こいつ、800年記念展に行っていないな。
圧倒的存在感?
こいつは馬鹿だ。
そんな小さいもんじゃない。
あの像は、神だよ。
鎌倉では(複製だから)感じなかったけど、本物の前では総毛だった。
震えた。
それ程の感銘を与える。
下らん輩に、何が分かるか。




『甲府の善光寺にある木像が本物なのは確かだそうです。』

源頼朝像で、最古のものだと云うくらいは誰でも知っているさ。
あれが頼朝の本当の顔だったら、私は泣いちゃうなあ。


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源頼朝像
Name:服部 明子
Email:akikohsmith@mindspring.com


朝日新聞の2月6日の日曜日の「名画日本史」に源頼朝像について書かれています。

記者は「神護寺」の頼朝像は「違う」ということで見に行ったけど
実物の前に立つと圧倒的な存在感に「ヨ・リ・ト・モ」とうめかざるをえなかった
と書いています。


頼朝像本家:

甲府の善光寺にある木像が本物なのは確かだそうです。
作られたのは正治元年正月13日だそうです。
これは本物だとはっきりしているそうです。



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