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投稿番号:42046 投稿日:1999年11月17日 01時17分33秒  パスワード
お名前:G−CROW
 

今更ながらですが、ペトログラフについて

キーワード:ペトログラフ

コメントの種類:オススメ


以前に紹介されてたりするかもしれませんが
日本文芸社ラクダブックスの「日本超古代文明の謎(鈴木旭著)」は、
彦島のペトログラフについて、かなり大風呂敷広げてて楽しいです
表紙からして、彦島のペトログラフの絵がかかれてますしね

まぁ、いわゆるトンデモ本の部類に入るんでしょうが
彦島のペトログラフは、古代シュメール文字で解読できると書いてありまして
彦島=日子王の島=シュメール系部族の神殿であったという説が唱えられています
個人的には、ロマンがあって信じたくもなるのですが
一般的には、どんなもんなんでしょうか?

日本・ユダヤ同祖論というのもありますし
現在の天皇族を神格化した日本神話以外の日本神話(古史古伝)を読んでみると
定説から見るととんでもないことが書かれてたりしますが
全部が全部ウソだとも言いきれない気がします

現に、漢字伝来以前に日本に文字はなかったという説を覆す証拠が
この彦島にあるのですから

まぁ、ペトログラフはそうでなくても、重要な遺物だと思うのですが
なんか、ほっとかれてますよねぇ
これを基に、町興しとかできないものでしょうか?
観光客に荒らされなくていいという見方もありますが・・・

確か、綾羅木の考古学博物館では、ペトログラフに触れてなかったような気がしますが
開館当初のことでしたので、今はどうなっているのでしょうか?
それだけペトログラフは、学校で教える定説から
黙殺されているということなんでしょうか?
さみしい限りです


なかにしさんからのコメント(1999年11月19日 23時13分32秒)
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>漢字伝来以前に日本に文字はなかったという説を覆す証拠が
>この彦島にあるのですから

 そうですね、これは大切なところですよね。気にかけておられない方が多いですが。

 下関市の調査では証拠不十分で定説がないという、何とも歯切れの悪い結論になったようです。シュメールも時による解読の解説も読んだことがありますが、確かにそれもありかもしれない、とは思います。

市の学芸員の方の解説は以下に書いてあります。
http://www2.tip.ne.jp/~nakani00/special_2/spe2_2.htm

 結局周辺の証拠があまりにもなさ過ぎるので結論が出そうにない問題ですが、地元の古老の話と、市の調査結果が大きく異なる点は気になります。地元の古老は「複数の石がかつては存在して遺跡の形をなしていたが、造成工事やそれに伴う盗掘などで、石が失われてしまった」と言っていますが、市の調査結果は「トレンチを入れても何も無し」です。ただ、わたしはこのペトログラフに関する学術的な調査論文を読んだことがないので、正確な調査結果はここに書くことが出来ません。

G−CROWさんからのコメント(1999年11月21日 02時30分35秒)
 

本人によりコメントは削除されました。 1999年11月21日 02時33分16秒

G−CROWさんからのコメント(1999年11月21日 02時37分32秒)
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上のちょっと間違ってしまいました

おお、なかにしさん、ここのマスターさんですね
初めまして、彦島在住のG-CROWと申します
学芸員さんの解説を読ませていただきました

>文化財に指定はしたくなかった
なんたることでしょう、これは

指定したくなかった=保存したくない=なくなってもいい=抹殺したい

と、とれるじゃないですか
おまけに、ペトログラフに屋根と囲いを作ったのだって
どこぞのバカ者が落書き(っ手言うか、破損)をした後でしょ?
情けないですよね

漢字伝来以前に日本に文字がなかったという説は、明らかに間違いですよ
神道でも使ってますが、神代文字ってのがゴマンとあるんですから
その中には、イースター島に伝わるロンゴロンゴと似たやつもあるのに
誰も調べようとしないんですかねぇ、日本の学者は?
定説(例のニュース以来、嫌な言葉)を覆そうって夢や野心のある人はいないんでしょうね、多分

そういえば、下に吉田さんの発言があったのには驚きました
上に紹介した本に、吉田さんの調査の状況も少し載ってましたし
本を持ってたのですが、まだ読んでない内に友達に貸しちゃったんです
早く返してもらわなきゃ

それはともかく、東北辺りの縄文遺跡から、似た文字でも発見されない限り
注目を集めることはないでしょうね
昔、テレビで、ムー大陸の特集をしてたときに出たのは、覚えています
ファーイーストリサーチのインターネットセクションに依頼してみましたが、調べてくれるでしょうか?
もしこれを読まれて興味を持たれた方は、同じく依頼してみてください
人数が集まれば、調査してれるかもしれませんよ
ホームページはここ
http://www.ntv.co.jp/FERC/index.html

なかにしさん、彦島のピラミッドってのは、おもしろいですね
あの写真は、本当にUFOなんでしょうか? 続報求む!!

G−CROWさんからのコメント(1999年11月23日 03時02分47秒)
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そういえば、ペトログラフの裏にアパートかなんか建ちましたが
何も出てこなかったのでしょうか?

よく考えたら、ペトログラフって、ある意味、オーパーツじゃん

そう言えば、角島にも遺跡があるんですよねぇ
橋が開通して、荒らされなきゃいいけど・・・

あきおさんからのコメント(1999年12月02日 11時25分28秒)
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彦熱のみなさん、おじゃまします。

G-CROWさん

>本を持ってたのですが、まだ読んでない内に友達に貸しちゃったんです
早く返してもらわなきゃ

ごめん!まだよんでなかったのね。
2年間も借りっぱなしです。
ムー大陸のときに返せば良かったね。
ピラミッド、今度帰ったときに地質図つくってみよっか??
1:10.000の地図は彦島公民館で手にはいるかな?

なかにしさんからのコメント(1999年12月02日 12時35分33秒)
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>そういえば、ペトログラフの裏にアパートかなんか建ちましたが
>何も出てこなかったのでしょうか?

 あのあたりは、もう、何度となく掘り返されていますから、出る物があっても出尽くしていると思います。

 地元の古老の話では、ペトログラフのような石は複数あったし、列石の参道のような物もあったそうです。でも、割ってアパートの基礎にしたり、いつの間にかなくなったりして散逸してしまったとのことです。教育委員会側はこの古老の意見を否定していますが、おそらくは正式な情報収集はしていないのではないかと思います。

 否定するなら、否定するなりの根拠が必要なわけで、「トレンチ入れても出ない」ってのは否定する理由になりませんからねぇ。言ってみれば、「私の友人に女性はいない、だから地球に女性はいない」っていう理屈と同じですもんねぇ。

 ただ、いずれにしても、今となってはどうにもならない問題ですが。最後(?)に残されたペトログラフも、なんだか見る見る消えていくようなきがします。

あきおさん、いらっしゃいませ、どうぞごゆっくり。

Rodyさんからのコメント(1999年12月02日 20時06分38秒)
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テトリガンスに触発されて、初めてゆっくりこのスレッド見てみました。
「彦島の歴史を学ぶ集い」のページも初めて読みました(すみません)

大濱先生のお話、リンゴとくじらに近い発音の言葉を探していらっしゃるとか、色々ご研究の成果が楽しみですね。

一方でペトログラフの件は、黙殺されてるようで残念ですね。

なかにしさんのおっしゃる古老のお話で行けば、今、周辺に建っている古いアパートを解体する時、誰か
立ち会っていれば、基礎の石になんか彫ってあったりして。なんて思ってしまいます。

テトリガンスも、壁画があるなんて(もちろん知りませんでした!)なんかえらいことのような気がするん
ですが・・・どんな運命をたどるのでありましょう。

>そう言えば、角島にも遺跡があるんですよねぇ
>橋が開通して、荒らされなきゃいいけど・・・
角島の、西角旅館の玄関に”シュメール語が書かれているといわれている石”が祀ってありますよね(^^)
泊まった時見ましたよ!石の彫り物はほとんど判らなかったけど、立派な説明看板があって色々書いてありました。
他に島内に遺跡があるんですか?

なかにしさんからのコメント(1999年12月03日 12時34分16秒)
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Rodyさん、こんにちは

>今、周辺に建っている古いアパートを解体する時、誰か
>立ち会っていれば、基礎の石になんか彫ってあったりして。なんて思ってしまいます。

 今建っているアパートは何代目かの新しいもので、昔、木造の長屋式の社宅を作るときに、出てきた巨石をざくざくと砕いて基礎にしたらしいです。しかも、そのあと、長屋を壊して、鉄筋のアパートを建てたりしていますから、原型のまま存在しているはずがないという感じです。

 もっとも、都市開発にあたって、遺跡を大切にしようという発想は、現代の豊かな今の時代だからこそできる発想で、外国の産業に追いつくべく、あるいは、戦後の復興を果たすべく、もっというなら、明日家族に飯を食わせるべく、必死になってみんなが働いていた時代の出来事ですから、遺跡を破壊したからとって、一概に責めることもできないかとも思います。

 ただ、今残っているペトログラフについては、一つの考え方として、西アジアから伝わった文字だとしても、途中のルートに杉田岩刻画のようなものが見つかっていないから、違うだろう、などといった一連の発想はあまりに素人的すぎて情けないです。「あるものが存在する」ことを証明するのは非常に簡単ですが、「あるものが存在しない」ということを証明することは非常に難しいということを、行政側も知らなければならないと思います。

 結果として、何の価値もないかも知れません。でも、日本に漢字以前に文字があったことを示す貴重なものである、という説もある以上、とりあえずは保存するべきではないでしょうか? あれだけの石をいっこ保存するのにどれだけの場所が必要ですか?? ねぇ。

 将来、どこかで似たようなものが見つかって、日本にも漢字以前に文字があった! という展開になったときに、「そういえば下関にも同じものが見つかっていたらしいぞ」「いや、あれは、教育委員会が価値のないものだと判断したので、風雨にさらされて消えてしまったよ」ってなことになったら・・・どうやって責任取れますか?

 そもそも、日本に漢字以前に文字がなかった、ってのもめちゃくちゃな話で、文字という概念がない「生物」にいきなり漢字を与えて、それが使えるようになりますか? いきなり日本書紀がかけますか?? そんなことができるなら、文字伝来の時代の文化人(当時の天才)よりもはるかに高等な教育を受けている日本人はみんな、世界十六カ国語を使いこなしてますよ。

 大濱先生のお話はおもしろかったですし、伝説の時代のことなどは非常によく調べておられて師と仰ぎたいほどですが、唯一「トレンチいれて何も出なかったから、何もない」の考え方の点だけは不満でした。現代の発掘技術よりも古老の話のほうが信憑性が高いこともあるのではないかな、そんな気がします。

服部 明子さんからのコメント(1999年12月03日 14時04分24秒)
 

本人によりコメントは削除されました。 1999年12月03日 14時06分27秒

Rodyさんからのコメント(1999年12月03日 18時56分16秒)
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>今建っているアパートは何代目かの新しいもので、昔、木造の長屋式の社宅を作るときに、出てきた巨石をざくざく
と砕いて基礎にしたらしいです。しかも、そのあと、長屋を壊して、鉄筋のアパートを建てたりしていますから、原型
のまま存在しているはずがないという感じです。

うーん残念ですね。
今日「彦島」HPの「ペトログラフ」関連記事を色々探して読んでました。そしたら「泰山さんHP」情報も入ってき
たりして、なかにしさんって、「平家物語」方面以外にも精力的な活動されているのですね。再認識いたしました。
彦島ピラミッドのお話もとても興味深く拝見しました。

それから「goo」で検索したりして、その他の「ペトログラフ」HPもちょっと覗いたんだけど、
大濱先生のペトログラフに対する少々冷たい態度が、少し合点がいきました。
「超古代遺跡」などと、ちょっとオカルトな雰囲気が漂ったりするわけですね。
でも、よく言われていることだけど、「判らないもの」は黙殺する学問の風潮は良くないですよね!
行政として、古老のお話と言うのを信じられないまでも、否定はしないくらいのスタンスでいて欲しいと私も思います。
いつか、真実が明らかになってくるまでせめて現物やデータは一つでも多く残しておいて欲しいものです。

杉田のペトログラフ、文化財に指定されて屋根と囲いがついているそうで、現地の画像なども拝見しました。あれだけ
じゃ風化は食い止められないんでしょうか?

それと、「地元の古老」の方に冨田先生がお話を伺われたのももうかなり昔になるんでしょうね。あらためて情報収集
したとしてももうタイムオーバーなんでしょうかね・・・。

Rodyさんからのコメント(1999年12月03日 19時04分56秒)
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>角島の、西角旅館の玄関に”シュメール語が書かれているといわれている石”が祀ってありますよね(^^)
>泊まった時見ましたよ!石の彫り物はほとんど判らなかったけど、立派な説明看板があって色々書いてありました。

この時の写真がありました。説明看板がばっちり撮影されていて、
説明文を書かれているのはやっぱり吉田信啓氏でした。

服部 明子さんからのコメント(1999年12月03日 22時54分58秒)
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日本人は「失われたユダヤの7部族の1つ」という話を聞いたことがあります。

良く分かりませんが青森の「戸来」村?はユダヤの「ヘブライ」の意味だとか。
そこでは古代ユダヤ語(ヘブライ語)が少し残っている、とか。

更に、古代、日本人はカムチャッカを渡って中南米に渡りメキシコに住み付いた、
と。だからメキシコのピラミッドはエジプト式ではなく西アジア的に頂上が平面
になっている、とか。


こういう話を聞いていると「アダムとイブ」が人間の先祖だったように思えて来
ます。古代のロマンって果てしなくていいですね。

シュメール語なんてホント古い古い言語で人間の言葉のオオモトでしょうから
「人間はどこから来たのか」と考え出すと、西アジアのあそこかな?と。


でも、日本の歴史には不幸な時代があって、日本人はタカマガハラから降りて
来た、ということにしていたので、それを否定するような研究は御法度だった
わけです。

現在でもその傾向はあると思います。新しいことが発見出来ても誤差範囲の小
さい発見の方が学会に受け入れ易いのでは?と。

今でも日本には某御家族が国民の人気の的になってますから、あそこの家が元々
朝鮮半島出身だったと分かってはまずいし、さらに西アジア出身だったとされて
は世間を騒がせるから、古代の天皇陵の発掘調査を宮内庁が許可しない、と私は
考え、あまりにも底から引っ繰り返すような事実は覆い隠そうという政治的判断
がある<あった>のでは?と思います。

あきおさんからのコメント(1999年12月04日 00時27分00秒)
 

本人によりコメントは削除されました。 1999年12月04日 01時06分06秒

あきおさんからのコメント(1999年12月04日 00時32分57秒)
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こんばんわ。
家の鍵をがっこに忘れて帰ったのを
家に着いてから気付いてしまいました。

なかにしさん、おひさしぶりです。
以後、ちょくちょくおじゃまさせていただきます。
服部さん、Robyさん、はじめまして。
あきおと申します。どうぞお見知り(みえないんだけど…)を。

ペトログラフ自体はとても謎めいていて、面白いとおもいます。
ただ、年代的にどうなんでしょう?

山川出版の「世界史」の教科書には
「メソポタミアでは3.000B.Cごろからシュメール人が都市文明を…」
とあります。つまり、約5.000B.P.前ということになりますが、
これは日本本土ではだいたい縄文時代中期にあたりますね。

縄文人とこのペトログラフを作った民族の関係が気になるところですね。
それより前の文化期?となると…一万年以上前?旧石器??

う〜〜…ん??

たぶんこの辺が問題なのではないでしょうか?>服部さん

それにしても約5.000B.P.前というのは面白い年代です。
約6.000年前は縄文海進が影響するので、例えば
現在の海水準を5m引き上げると
彦島はどのような地形になるのでしょうね?

なかにしさんからのコメント(1999年12月04日 01時55分36秒)
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みなさん、こんばんは。

 彦島ピラミッドに関しては、泰山さんの研究に私がお手伝いするという形で、じっくりと時間をかけて謎を解明していきたいと思っています。
http://plaza14.mbn.or.jp/~taizan/
↑泰山さんのページにまだ中身はないですが、彦島を扱うコーナーが新設されました。餅は餅屋といいますか、私が一人で四苦八苦推論するよりも、わたしは現地の情報を収集する、泰山さんは他のピラミッドとの比較論を展開しながら系統だててまとめる、そういう分業で効率よく進めていきたいと思っています。

 ペトログラフについては、あとで考察するとして、今回はピラミッドの方から責めていくことにしています。最終的にでもペトログラフと統一的に話が出きればと思っています。

 それから、こういう話題に関しては Rodyさんがおっしゃるとおり、オカルト的になりがちですから、職務として研究をしている大濱先生をはじめとする方々は、あまり「本音」で入っていきたくないところかもしれないですね。本音では古代の貴重な文字かも、と思っても、それを表だって言ってしまうと、自分の研究人生が遂行できなくなるような異端児になってしまうのではないかと。だからこそ、学閥に縛られない人たちの活躍が大切ですね。

 私の友人に最近、某ご家族のルーツについて熱心に研究をしているジャーナリストがおります。非常にリスキーな研究ではありますが、大きな興味を持って展開を観察しています。

 彦島は山がすとんと、海に落ちる地形ですので、5m海面を上げても大きくは変化無いと思います。現在の福浦湾が江ノ浦小学校まで入り込んできたり、江ノ浦や本村、迫、西山方面の最近造成された埋立地が沈んだりする感じかと思います。

G−CROWさんからのコメント(1999年12月04日 16時42分17秒)
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ありゃりゃ、ちょっと見ないうちにこんなにもたくさんの発言が・・・
かなり長文になりますが、ご容赦を

なかにしさん>地元の古老の話では、ペトログラフのような石は複数あったし――

最初に紹介した本には、ペトログラフの岩が最初に発見されたのが大正13年で、
当時、小学生だった土地の古老(名前は書いてありません)が、学校の先生に「今
日、石棺を開けるから見にいける人は行って見学しなさい」と言われたとか
ですが、その時、発掘調査に立ち会った学者たちからは、何の報告も公表されず
に、9年後の昭和8年になってから、『防長原資料』に「とりあえず古墳の一部と
しておく」という簡単なコメントが発表されたに過ぎない、と書かれています
『防長原資料』とは今も存在するのでしょうか?

Robyさん>他に島内に遺跡があるんですか?

日本ペトログラフ協会のメンバーの調査によると、「遺構は標石を高さ1.3m、東西
15m、南北45mの長方形に積んで築いたもので、北端中央には後世に立てら
れた鳥居があり、石囲いの南端に自然石を組み合わせた石殿2基がある
4辺の石囲いの中央にはそれぞれ約1mの通路用隙間があるが、石囲いの中は聖域
とされ、地元の人々の話では、『オナラをしたら尻が腐る』タタリがあるといわ
れる神聖な場所で『明神様』を祭ると言い伝えられている」とのことです
旅館の看板に書かれたものと同じ物でしょうか?

なかにしさん>もっとも、都市開発にあたって、遺跡を大切にしようという発想は――

確かにそうです。それがなくては今の日本もなかったのでしょうから・・・ですが、
今、彦島はベッドタウン化計画でもあるのか、あちこちで木々が倒され、山は削ら
れ、斜面はコンクリで固められ、自然が減ってきているような気がします。寂しいも
のですね

なかにしさん>ただ、今残っているペトログラフについては、一つの考え方として――

ペトログラフの立て看板に、韓国かどこかに似た文字が発見されているとか書い
てありませんでしたか?
象形文字とか、線刻文字は世界各地にあるんですから、日本にあったって不思議
じゃないと思うんですけどねぇ
黒船と戦争で負けたことが、大陸至上主義みたいなものを作ってるんでしょうかねぇ

服部さん>日本人は「失われたユダヤの7部族の1つ」という話を聞いたことが――

かつて父親のことを「あだ」、母親を「えば」と呼んでたとか聞きました
日ユ同祖論と言うヤツですね。大和朝廷の頃からユダヤ人が日本に入ってきてい
て、今ではよくわからない大和言葉がヘブライ語で読むと意味が解かったりとか、
神社の造りがユダヤの神殿の建て方に似てたりとか、日本の家紋の図柄がシュ
メールの紋章に似てたりとか、いろいろ共通点があるみたいですね
それから、青森には、キリストの墓なるものもあるそうで、古伝「竹内文書」には、
モーゼやキリストは日本に来て勉強していたなどと書かれているそうですが、そこ
までくると、ちょっと眉唾モノですかね?

服部さん>今でも日本には某御家族が国民の人気の的になってますから――

今の日本の神話は、当時の天皇家が自分たちを正当化する意味で作られた話で
すので(旧約聖書の創世記も、色んな地方の神話の寄せ集めでもありますし)、当
然、他の支配者たちが持っていた『神話(古史古伝)』と言うのも存在するわけで・・・
まぁ、内容が突飛過ぎるものもあるので、受け入れられていないようですが、もっ
と歴史的、考古学的に調べてみると、興味深い内容だと思います

Robyさん>「超古代遺跡」などと、ちょっとオカルトな雰囲気が漂ったりするわけ――

古代遺跡ならOKなのに、『超』がつくといかがわしくなる。古代文明を超えたって
意味なんでしょうけどねぇ、超能力とか、超科学とかと「いっしょくた」にされてるん
でしょうね

あきおさん>縄文人とこのペトログラフを作った民族の関係が気になるところですね
それより前の文化期?となると…一万年以上前?旧石器??

これも紹介した本によると、彦島八幡宮の宮の原遺跡から出土した曾畑式土器
は、吉田教諭(吉田信啓さん?)ら古代言語学研究グループの手によって、
BC7000年ごろのものと判明したらしいです

なかにしさん>彦島ピラミッドに関しては――

期待しています。エジプトには山がないので、風水でいう龍脈を操るためにピラ
ミッドを造ったという説もありますが、彦島の龍脈やら龍穴やらはどうなってるんで
しょう? その辺も調べてみると面白そうですね

あ、それから、興味深い(?)追加情報を
シュメール語は言語学的に言うと、日本語と同じ『は・が・を・に』等の助詞が使わ
れる『膠着語』に分類されるそうです。でもなぜか、シュメール文化を継承したはず
のアッカド人、バビロニア人、アッシリア人等の使う言語は全て、単語自身が形態
変化によって示される『屈折語』に分類されるセム語系言語なのだそうです
さらに、シュメール語は、文字一字で意味を表す表意文字と、音のみを表す表音
文字とを使っていたそうです。日本人も、表意文字の漢字と表音文字のカナを
使っていますよね? 漢字は、そういう意味で便利だったから取り入れたという考
え方はできないでしょうか?

Rodyさんからのコメント(1999年12月05日 02時32分41秒)
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みなさんこんにちは。

G−CROWさんはじめまして。
角島の遺跡に関してありがとうございます。
「後世の鳥居」がある、これは遺跡というのは灯台近くの夢崎明神様のことだったんですね。
「つのしまの民話」という本、私この夏角島に行って偶然買い求めたのですが、これに「おしりが腐る」祟りの話が
入ってました。ではもともとあった石群を、明神様として島の人が祀られていたということでしょうか。

あそこではこの夏不思議なお話を聞きました。島の人に伺ったのです。

夢崎明神様の場所はちょうど「ハマオモト自然群生最北端の地」でもあり、海に突き出た地形にハマオモトが密集した
小高い丘になっています。大浜海水浴場の砂浜はそこからずーっとつながっているんですが、同じ砂地なのにハマオモ
トが根を下ろすのは丘のところだけだそうです。それは海風が強くて、種が落ちても吹き飛ばされてしまうからで、逆
にそのハマオモトの丘だけ、いつでも無風に近く不思議だとおっしゃるのです。実はその方は飼っておられた動物に死
なれて以前その丘に埋めたそうなのです。そして時々今でもお線香を手向けてやるのだけどお線香が風でとばされるこ
とがなく不思議だというお話でした。

行った時、灯台の所には最近出来たそうで、きれいな公園がありました。そこの休憩所の屋上に、「ハマオモト群生地」
が見られるように望遠鏡がついていて、私も覗きました。8月6日、台風が近づいていて小雨は降るしかなりの風だっ
たのですが、確かにそこのハマオモトはほとんど揺れていませんでした。「ほんとやね」と両親とも話をしました。

なんか、夏に聞いた忘れかけていたお話までもがこのスレッドにつながってきて、だんだんドキドキしています。
こっちの方に話を持ってこない方がいいのかもしれませんが、ちょっと不思議なお話でした。

G−CROWさんからのコメント(1999年12月05日 17時54分04秒)
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どもども、Robyさん

>台風が近づいていて小雨は降るしかなりの風だっ
たのですが、確かにそこのハマオモトはほとんど揺れていませんでした

確かに不思議な話ですね
なにか不思議な力でも働いているのでしょうか?
古代の遺跡はそんな力の働く場所に作られるとも言いますしね

それから、「日本超古代遺跡の謎」という本(こんなのばっかり・・・)に
面白い記述があります

角島には昔から毎年5月13日になると、4挺櫓の船を仕立て
対岸の特牛(コットイ)まで牡牛(コッテと読むらしい)を
神に会わせるために送る祭りがあった

ということですが、これはシュメールの故事として伝えられる
「神牛舟」にそっくりなのだそうです。さらに、

奈良時代から、「角島=特牛の産地」と言われ、豊かな魚場に囲まれ
恵まれた漁業環境にありながら漁業を営むことが許されず
古代の昔から「牛と放牧と農業の島」とされてきた

ともあるのですが、本当でしょうか?
「つのしまの民話」という本に、その辺のことは書いてないでしょうか?
もし本当にそんな話があれば、「特牛」を「コットイ」と読む理由がようやくわかりますね
もしよろしければ、調べてみてください

服部 明子さんからのコメント(1999年12月05日 18時46分40秒)
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10年位前にユタ州の「モルモン教会の神殿」を見に行った時に牛が何やら意味して
いたのを思い出します。

私は(日本ではさしずめ鹿だなぁ)と比較しただけですが
上の書き込みを拝見して古代バビロニアとか西アジアでは神との関わりの動物は
牛なのかな?と改めて思いました。

日本の場合「牛頭」(ごず)は仏教で地獄の番人だそうですね。
身体は人で頭は牛、と。

何か関連性があるのでしょうか?そんなことを思いました。

G−CROWさんからのコメント(1999年12月06日 01時08分07秒)
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>古代バビロニアとか西アジアでは神との関わりの動物は
牛なのかな?と改めて思いました

ちょっと調べてみました
有名なところで、出エジプト記でモーゼが十戒を授かっているときに
なかなか帰ってこないので、人々が牛の偶像を造って儀式を始めますよね
あれは、ユダヤ教よりも古い宗教の神様『バアル』を崇める儀式だったそうで
シュメール神話の神様ではないのですが、中近東辺りで牡牛が神として崇められていた
という事実はあるようです
実際には、牡牛は、バアルより上の『エル』という神の象徴みたいです
バアルといえば、キリスト教では全く違った姿の悪魔ですけどね
元は一緒の神様です

日本の宗教、神道では、特に牛について神格化されていたという記憶はありません
牛頭、馬頭(めず)は、仏教ですから、元はインドだったと思います
牛を神の使いとして食べないのは、ヒンドゥー教でしたっけ?

あ、忘れてました
日本には、牛鬼という妖怪がいましたね
頭が牛で、身体が、鬼とか、蜘蛛とかの妖怪です
山口県でも出てたみたいですよ、牛鬼

服部 明子さんからのコメント(1999年12月06日 01時21分45秒)
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ありがとうございます。

「牛」は宗教上+伝説上、意味を持つ動物なのですねぇ。


どこかにギルガメシュ神話の本があったと思うので捜してみます。

なかにしさんからのコメント(1999年12月06日 01時47分10秒)
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 昨日、知人を案内して久しぶりにペトログラフに上がってみました。

 新しくできた三菱の社宅がちょうどペトログラフの目の前で、近くの畑も公園になっていたりして、だんだん追いつめられているような感じでした (^^;)。この社宅が、ちょうど、ペトログラフと彦島ピラミッドを結ぶ線上に出来たので、
http://www2.tip.ne.jp/~nakani00/desima11.htm
のような写真はもう撮れなくなってしまいました。同じ位置に立つと視野の半分は社宅の建物です。

 対面の清盛塚にも寄りましたが、管理しておられた平さんがどうかされたのか、今までお供え物も欠かされたことの無かった清盛塚ですが、今回は荒れていました。

 テトリガンスにも行きましたが、こちらは相変わらずです。海上交通の安全を守る神様がまつられているからか、良い風よけになるからか、人の出入りがあるようで、割と新しい靴跡があったり、焼き肉の網が置いてあったりしました (^^;)。

服部 明子さんからのコメント(1999年12月06日 02時06分34秒)
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やっぱり宝クジ買わなくては。。。

Rodyさんからのコメント(1999年12月06日 10時06分47秒)
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角島の旅館敷地内ののペトログラフ岩について、遅くなりましたが少し書きます。
ここは「遺跡」という感じではなくて、普通の旅館の玄関先に、高さ100cm
ちょっとくらいの岩が一つ、下に砂利を敷いて、鎖で囲まれて、きれいに祀られているのです。
細い注連縄が岩に巻かれてい、お塩も盛られていました。
そして吉田信啓氏の説明看板が立ち、過去に撮っていた写真の中では次のように読めます。

ペトログラフ岩
この岩に彫られている文字は、今から約四千年前のシュメール語で
上からAlde(牛)、Gud(大地の男神)、右側の長い線がNyK(大
地母神)と読めることから、恐らく古代にメソポタミヤでセム族の
侵入により政治力を失ったシュメール民族が海洋部族となって方々
に散った際、海流に乗って到来した部族が牛神信仰の祭事と
して刻んだと考えられる。
 因みに特牛とは聖なる牡牛であり、コッテもまたシュメール
語である。(国際ペトログラフ学会・吉田信啓)

ここには過去二度宿泊したことがあるのですが、なぜ敷地内にこれがあるのか
ここから掘り出されたものなのか訊いたことはありません。(その時はそれほど
興味がなかったので)吉田氏が見えられているので取材されていると思いますが・・・。

>G−CROWさん
「つのしまの民話」に、牛に関する記述はありませんでした。
最近見つけたのですが、「つのしまの民話」はHPで読めます。
http://www.town.houhoku.yamaguchi.jp/minwa/minnwa_f.html
です。

>なかにしさん
テトリガンス、そんなところにあるのですか(^^;)・・・。空想してた景色とちょっと
違ったかな(深い森の奥で、超秘境という感じに思い始めていた)
でも地元の皆さんは心得られていてむやみに荒らす人はいないのでしょうね。
伝説も恐い話だしね(笑)

>服部さん
ぜひ彦島へ!!!

服部 明子さんからのコメント(1999年12月06日 11時17分35秒)
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RODYさん:

ありがとうございます。
ふふふ

G−CROWさんからのコメント(1999年12月07日 00時08分46秒)
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ああ、なんということでしょう!
Rodyさん、今まで名前を間違えていました
無礼をおゆるしくださいませ

角島の民話を読んで参りました
鬼の岩の話は、どこかで聞いたことのある話ですね
テレビでやってた日本昔話でも、似た話がありましたよ
北欧神話にも、似た話がありした

悪心ロキが巨人に城を造らせるんだけど
期限内に城が完成したら、女神フレイヤと太陽と月を報酬に約束をさせられる
そして城が、あとちょっとで完成するというところで
これはいかんと、ロキは牝馬に変身して巨人の馬を誘惑し
巨人は、城を期限内に完成することはできなかった、という話です
しかもオチまでついていて、ロキは妊娠して
後にオーディンの愛馬となるスレイプニルを産んだそうです

牛鬼の話はありませんでしたが、牛鬼でちょっと思ったんです
牛鬼は、牛なのに海や水辺に関係がある妖怪なんですよね
もしかすると、牛を象徴とする海人族が漁村なんかを襲ってたとしたら
そんな話になりませんかね、バイキングみたいな感じの人たちなら
牛みたいな角のついたカブトと、鬼の身体=外人の身体だったりすると?
でも、北欧のバイキングが日本海やら瀬戸内海に現れるってのは
ちょっといただけない話ですね
鬼=丑寅(鬼門)=牛の角と、虎のパンツをはいているという話がありますけど・・・

全く関係ない話ですが、石川県にモーゼのお墓があります
キリストと同じく、モーゼも日本に来て死んでいたそうです(竹内文書)
楊貴妃の墓よりすごいですね(楊貴妃の墓の辺りからもペトログラフが出てたとか)

でも、モーゼパークってのは、やりすぎ・・・
興味のある人は、検索エンジンで調べてみてみて
彦島もこのノリで、島興しをすればいいのに
日本ペトログラフ研究発祥の地とか
彦島ペトログラフパークとか言って
関門橋が見えるように木を切って公園を造れば(あ、森林伐採だ)
少しは観光客を呼べるのではないでしょうか?

なかにしさん>対面の清盛塚にも寄りましたが――
清盛塚の隣に、地鎮神の石碑がありますが
やっぱり彦島の地鎮神は、清盛さまなのでしょうか?
それとも、名もない神様なのでしょうか?

Rodyさんからのコメント(1999年12月07日 14時14分25秒)
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G−CROWさん>
いえいえ。お気になさらないで(^^)
モーゼパーク、思わず検索して覗いて来ました。弘法大師ゆかりのお土地なのですね。
「モーゼのお墓」あまりにも突飛ではありますが、
・巨人骨が出た
・竹内文書
・米軍が戦後調査に来た
なんか「何かある」という気にはさせられますね。
日本にも、まだまだ判らないことがいっぱいあるんだなあ〜という感想です。

G−CROWさんからのコメント(1999年12月07日 18時54分46秒)
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Rodyさん、お許しありがとうございます
竹内文書には、その他に、釈迦、孔子、マホメットまで日本に来て
いろいろ学んでいったという記述があるそうです・・・

他に、何かあるといえば、四国の剣山や、江ノ島に
十戒を納めた聖櫃が眠っていると言う説もあったりします
トンデモ本に書いてある説ですけど、実際に掘ってみたら
なにやら人の手の加わった形跡があったらしいですから
何かあるのかもしれませんね
やるんだったら、徹底的にやって欲しいもんですが
一時期、流行った徳川の埋蔵金も出てきませんでしたし
不景気だから、出資する人はいないでしょうねぇ・・・

なんか、どんどん話がずれていってるような気が・・・
でもこのスレッド、かなり長くなりましたね
みなさまのおかげです。ありがとうございます



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