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投稿番号:26194 投稿日:1998年10月01日 20時56分22秒
お名前:近藤栄次郎
 

彦島の歴史を学ぼう!

キーワード:彦島/歴史

コメントの種類:提案


新コーナーの誕生を祝福します。
彦島は平家にまつわる歴史ばかりだけでなく縄文、装飾古墳時代の遺跡さらには、江戸期の巌流島、福浦港。維新にまつわる話などたくさんあります。これに六連島の歴史を入れれば、いっぱいあります。
 そこで、この話は、あまり人に知られてないぞ!ということを出し合ってみませんか。
 例えば、維新の大きな原動力となった奇兵隊などの長州諸隊。その力は、今で言う私ども庶民、当時の農民ですが、毛利藩が正規の制度として農兵を訓練するより5年も早く、彦島(当時・引島)・六連島の農民が農兵として取り立てられ海防の任務にあたっています。 ということは、奇兵隊の原点は彦島では…とかいう風に。
いかがですか。



近藤栄次郎さんからのコメント(1998年10月02日 15時34分04秒)
 

福浦湾に「りんご山」という地名があったのをご存じですか。
「りんご山」の由来をめぐっては謎に包まれています。
果物の「りんご」は明治以降、名前ですから古くからあったとするとなぜなのか。昨年の「学ぶ会」では
講師の教育委員会の方は北前船の寄港地で「備後」(びんご)の倉庫があって、それがなまって「りんご」になった可能性もあると言われていましたが、
先日、彦島に長くおられる元・教師が昔、親から聞いた話では「神功皇后」の「じんぐう」がなまって「りんご」になったと言うことです。
仲哀天皇、神功皇后の伝説は、六連島、蓋井島などにもありますから、これら両島と近い、天然の良港である福浦湾に「出兵の基地」を求めて立ち寄ったことも想像できます。
この話、知っていました。

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