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 投稿番号:101511 投稿日:2002年02月08日 00時50分52秒  パスワード
 お名前:nyao
「冬月」…関門にゆかりの駆逐艦
キーワード:門司 戦艦 大和 若松 駆逐艦
コメントの種類 :歴史  パスワード

表題を見たら「駆逐艦と彦島がどうやったら結びつくのか」と、
疑問に思う方も多数いらっしゃるでしょう。
しかしご心配なく。
この物語の主役「冬月」(ふゆづき)は門司に何度か寄港した艦であり、
戦後の一時期は彦島で修理を受けたこともあるうえに、
最期は同型艦の「涼月」(すずつき)とともに若松港の防波堤になったという、
関門海峡とゆかりのあるフネなのです。
完成から引退までわずか1年半の短い間ながら激動に満ちた、
駆逐艦「冬月」の足跡・第1話でございます。
…断っておきますが某アニメ作品のキャラクターではないので要注意(笑)

おおよそ軍艦は政府の所有物なので計画と予算がなければ作れません。
「冬月」の場合は対米戦を想定した戦備拡充計画に基づき設計された、
「秋月」(あきづき)型防空駆逐艦の1隻として建造されましたが、
計画原案検討から基本設計完了まで1年、
設計完了から先行試作とも言える「秋月」完成までが2年、
さらに「冬月」の予算が付いてから起工まで1年…合計4年かかっています。
舞鶴で「冬月」が起工されたの1943年(昭和18年)5月9日、
太平洋戦争はとっくに劣勢となりガタルカナルからの撤退も決定。
ついでに言うと「冬月」起工の1ヶ月後に戦艦「陸奥」が爆沈してます。

こんな事情で「秋月」と同様の工期2年では遅すぎるかも知れず、
加えて少しずつ物資が不足しがちになってきた!
しかも「冬月」は過去の日本の駆逐艦より図体が4割も大きい…(汗)
かくして海軍は「冬月」以降の同型艦を一部簡略化して作ることを決定、
起工から1年経った1944年(昭和19年)5月25日に竣工、
即日就役して訓練に入ったのでした。

ひとまず第1話はここまで。

[1]服部 明子さんからのコメント(2002年02月08日 11時51分11秒 ) パスワード
  

私が夫から聞いた話では広島に落とされた爆弾は本来は小倉に落とされる筈だった、と。

ちょうど小倉の工業力を考えてた時だったので
「彦熱パワー」恐るべし
でした。
[2]nyaoさんからのコメント(2002年02月08日 21時17分54秒 ) パスワード
  

>服部さん
小倉が原爆の第一目標と設定されたのは8月9日、
つまり長崎に原爆が投下されたときでした。
広島を第一目標としたときは朝から快晴で目標視認に支障なく、
B29はさっさと投下してすぐ引き上げています。
ところが8月9日は曇り空で高高度から目標を確認できず、
第二目標の長崎に行ってようやく晴れ間が見えたため原爆投下。
この物語の先の話ですが「冬月」が当時門司で防空任務にあったので、
小倉に姿を見せたら見せたで「冬月」の標的になっていたかも。

さて第2話は「冬月」を含む「秋月」型の特徴。
目的が艦隊防空ですからイージス艦の遠い祖先に当たります。
米海軍も同時期に同目的で巡洋艦「アトランタ」級を、
また英海軍も「ダイドー」級をそれぞれ建造していますが、
生産力に劣る日本は極力コンパクトな装備にこだわったようです。
(「秋月」型の重量は「アトランタ」級の4割程度)
「冬月」最大の特徴は当時世界最強の10cm高射砲を装備したことです。
口径10cm・砲身長6.5m(=65口径)のこの高射砲は、
高度11000mまで狙えるうえに垂直射撃も可能で、
最大射程が約20km…当時の巡洋艦の主砲並み。
(フィリピン沖海戦では米海軍がこの長射程にだまされたとか)
加えて発射サイクルは毎分19発とこれまた当時世界最速で、
「秋月」型はこの高射砲を砲塔ごとに2門収める連装砲塔を前後2基ずつ、
2×2×2=計8門装備していました。
ということは全力射撃で1隻当たり毎分19×8=152発の砲弾を、
上空にぶちまけることが可能になるわけでこれは相当派手な射撃です。
現在の高射砲は完全自動化のおかげで毎分60発発射できますが、
1つの砲塔に砲は1門だけなので砲塔単位で発射サイクルを比較すると、
60:38ですから50年前の製品としては優秀の部類に入ります。

ただしこの10cm高射砲は日本海軍の戦略的な弱点の現れでもありました。
というのも10cm高射砲を装備した艦艇は14隻だけ。
<航空母艦>「大鳳」(たいほう)連装砲塔6基=計12門
<巡洋艦>「大淀」(おおよど)連装砲塔4基=計8門
<駆逐艦>「秋月」型12隻 連装砲塔4基=計8門
残りの艦艇に搭載された高射砲は大半が12.7cm砲、
英米流に表現すれば5インチ砲でした。
従来の高射砲とは互換性ゼロなので砲弾も別に生産しなければならず、
ということは砲弾の生産ラインを新規に作らなければならない。
そのうえ防空任務の性質上1回の戦闘で100発単位で砲弾を打ち尽くすため、
それなりの規模で生産ラインを作らなければなりません。
いちいち別個のラインで生産するのは非効率的であるうえに、
最前線で融通が利かないというありさま。

ところが米海軍は「軍艦の高射砲は5インチで統一する!」と、
1920年代の装備・補給改善プロジェクトで規格統一したため、
より効率的な調達が可能になり…ということは予算節約にもつながり、
異なる艦艇の間でも砲弾の融通が簡単に行えるようになっていました。
このことを如実に示すのが1942〜1945年の日米艦艇生産数比較。
<駆逐艦>日本63隻(各種合計):米国175隻(「フレッチャー」級だけで)
<巡洋艦>日本5隻:米国40隻以上
<本格的な航空母艦>日本4隻:米国20隻(「エセックス」級のみ生産)
<商船改造の航空母艦>日本6隻:米国70隻(+英国向けに36隻)
<戦艦>日本2隻:米国8隻

「冬月」が就役したのは艦艇生産で日本が米国に対抗できなくなった、
まさにその頃だったのです。
[3]服部 明子さんからのコメント(2002年02月08日 22時31分12秒 ) パスワード
  

そうですか、長崎が犠牲になったのですか。
では夫に訂正を伝えておきます。

駆逐艦は自然現象から名付けたと聞いたことがありました。
戦艦は昔の国の名前からだったかしら?


>米海軍は「軍艦の高射砲は5インチで統一する!」と、
>1920年代の装備・補給改善プロジェクトで規格統一したため、
>より効率的な調達が可能になり…ということは予算節約にもつながり、
>異なる艦艇の間でも砲弾の融通が簡単に行えるようになっていました。

合理的ですね。


>生産力に劣る日本は極力コンパクトな装備にこだわったようです。

いかにも日本的思考ですね。
こういうのを piecemeal attack と言うらしい。(兵力の逐次投入)
「サンショは小粒でもピリリと辛い」「精鋭主義」というか
小出しで頑張ろうという発想だそうです。

これの代表例が「ガダルカナル作戦」だったとどこかで読みました。
日本的発想の大敗北だったって。

ゼロ戦は今でも称賛されてるようですが。
[4]nyaoさんからのコメント(2002年02月09日 00時40分43秒 ) パスワード
  

>駆逐艦は自然現象から名付けたと
よくご存知で…。

さて物語の第3話は「冬月」の足跡・1944年編です。

平時ならば完成後きちんと運用試験を行ってから就役するのですが、
第2話で触れたとおり戦局悪化で艦船不足が深刻だったため、
完成して即日就役させられることになりました。
その5月末の日本海軍は「あ」号作戦…マリアナ沖海戦の準備で、
艦隊防空のために猫の手も借りたいほどでしたが、
就役間もない「冬月」をいきなり最前線に送り出すわけには行かず、
6月下旬までひたすら慣熟訓練。
その間にマリアナ沖海戦は日本側の大敗に終わり、
最初に与えられた任務は…敗北必至のサイパン島へ逆上陸!?
しかし準備段階で中止となり小笠原方面への輸送任務に差し替えられ、
6月下旬から7月中旬まで輸送船団の護衛任務。
そして7月14日「冬月」は初めて門司に入港して、
今度は自ら陸軍部隊を南大東島まで輸送。
7月下旬から9月中旬までの2ヶ月間を各種訓練に費やし、
9月下旬に横須賀のドックに入り整備。

船団の護衛任務は旧海軍の艦艇が不得意とする業務でした。
というのも高速一撃離脱を基本に訓練されていたうえ、
本格的な対潜水艦用装備も不充分だったためです。
では「冬月」はどうだったかというと「潜水艦相手は少々苦手」。
燃料を満杯に積めば最大9000海里=約17000km航行でき、
また最初から強力なレーダーがあるためレーダー索敵は得意でしたが、
肝心の水中聴音機材(ソナー)が旧式だったため水中捜索は苦手だったとか。
10月の護衛任務でそのソナー不良が祟って潜水艦の奇襲を受け、
魚雷1発を艦首に食らい全治1ヶ月の損傷。
どうにか目的地の呉に着いた10月14日、
本来ならば「冬月」も合流していたはずの小沢艦隊は、
捷一号作戦におけるオトリ任務…エンガノ岬沖海戦のため呉を出港。

また最前線に行きそびれた格好になり乗組員は切歯扼腕だったでしょうが、
「冬月」自体に関しては不幸中の幸いだったかもしれません。
なぜならば小沢艦隊に同行した「秋月」型の4隻は、
再び日本に戻ることなく11月までに沈んでしまったからです。
特に悲惨だったのは「秋月」と「初月」(はつづき)の2隻で、
「秋月」はハルゼー機動部隊の空襲で10月25日に爆沈(潜水艦説もあり)。
「初月」は他の艦とともに25日夕方まで沈没艦の救助に当たりましたが、
日没前に現れた米海軍の巡洋艦部隊に最も近かったため脱出できず、
単独で2時間奮闘しましたが最期は袋叩きにされ沈没。
日本では最近まで「初月」の最期について不明でしたが、
米海軍の交戦記録やわずかに残った「初月」生存者の証言から、
数年前やっとその詳細が本になって世にでています。

ではたった1隻の駆逐艦相手に米海軍がなぜ2時間以上もてこずったのか?
第1の理由は駆逐艦というより巡洋艦に近い大きさだったこと。
同じ防空艦の「アトランタ」級よりは確かに小型でしたが、
日米英の他の駆逐艦に比べると度外れて大型だったのです。
(当時の標準は全長100m程度だったが「秋月」型は約130m)
第2の理由は「初月」乗組員の技量が他に比べて突出しており、
巧みな回避行動を行ったこと。
そして第3の理由は第2話で紹介した「当時世界最強の高射砲」。
「初月」は巡洋艦並みの射程を利して遠距離から発砲しており、
当然ながら米海軍部隊の至近に着弾。
装甲貫徹用の砲弾がなかったため致命傷を負わせることはできませんが、
通常の5インチ砲では絶対有り得ない長射程は脅威になります。
これらの理由により米海軍の巡洋艦部隊は「初月」を巡洋艦であると誤認し、
通常よりも遠距離からの射撃を行ったためなかなか命中せず、
とうとう戦闘終了まで勘違いに気づかなかったというわけです。

ともあれ修理を終えた「冬月」は<最期の相棒>「涼月」(すずつき)とともに、
1944年の11月下旬から航空母艦「隼鷹」(じゅんよう)を護衛して、
呉〜マニラ〜馬公〜佐世保のルートで輸送作戦に従事し年末を迎えました。
そして同型艦「初月」が米海軍を戸惑わせた驚異的な戦闘能力は、
翌年4月「冬月」が激戦を生き延びるのに役立つことになります。
[5]服部 明子さんからのコメント(2002年02月09日 12時15分32秒 ) パスワード
  

運・不運は何が幸いするか分からないものですねぇ。
乗組員の皆さんはご無事だったようで、良かったです。

今は若松港で防波堤になっているのですか。
役目を無事果たして更にそういう形で役に立って「生きている」のですから
土地の皆さんには是非知って貰うべきですよね。

ヨソで駆逐艦が爆破されて沈められた哀しいお話はいくつも聞きましたけど
味方によって爆破されたりとか
「冬月」が今でも役立ってるというのがいいですね。
[6]nyaoさんからのコメント(2002年02月10日 01時32分01秒 ) パスワード
  

第4話はちょっと息抜きに「模型」のお話。
艦船の模型というととっつきにくいイメージがありますが、
少なくとも日本では模型店に行けばたいてい売っています。
日本で最もポピュラーな艦船模型は1:700スケールで、
水の上の部分だけ再現した「ウォーターラインモデル」。
かく申す私も中学卒業まで兄弟で2桁は組み立てていました。
これより大きな模型となると店頭で見ることは少なく、
せいぜい1:200スケールまでが限界。
1:250「大和」なんて作ったらそりゃもう大変、
模型の全長が1mオーバーなので買った瞬間から苦行。(笑)
*本物の「大和」は全長280mくらい
さらに大きな模型を作ろうとすれば完全自作の覚悟が必要で、
ラジコン装置まで付けようものなら…何年必要だろう?

「秋月」型の模型は確認できたのが2種類。
ひとつは気軽に買える「ウォーターラインモデル」。
これまでの話に登場した「秋月」「初月」「涼月」「冬月」のほか、
「照月」(てるづき)「霜月」(しもつき)
「春月」(はるづき)「宵月」(よいづき)
…実在した12隻中8隻がプラモデルになっています。
模型本体は1隻1000円くらいで入手できますが、
接着剤は昔と違い別売りになっています。
*残りの4隻が不憫だ(笑)
もうひとつは1:200の船底付きですがこれがでっかい。
完成すると全長70cm近くになるらしいので箱も大きく、
そのうえ定価を見ると…6000円!
今のところ「秋月」「初月」の2隻を確認していますが、
大きすぎて狭いアパートでは組み立てるのも苦労しそうです。
作っているメーカーも覚悟がいるんだろうなぁ。
ただしこちらはラジコン装置を組み入れる余裕があるので、
手こぎボートのある池ならば思いきり楽しめそうです。

今回のスレッドのきっかけになったのは当然ながら前者で、
福岡の模型店でプラモデル「涼月」の箱を見たら、
「冬月」といっしょに若松港の防波堤になったと書いてある。
下関に戻ったらプラモデル「冬月」買うぞ!と決心して、
近所の模型店に行ったら「涼月」はあるけど「冬月」はなし。
とりあえず「涼月」でお茶にごしすることになりました。
部品54個…おぉ小さい小さい!
以前組み立てた「秋月」より格好いいけど部品がさらに小さい!
こりゃピンセットが必要だ!
ラジコンカーより数倍慎重に組み立てる必要がありそうです。
[7]服部 明子さんからのコメント(2002年02月10日 09時22分06秒 ) パスワード
  

>福岡の模型店でプラモデル「涼月」の箱を見たら、
>「冬月」といっしょに若松港の防波堤になったと書いてある。

では是非とも2艘とも作ってあげて下さい。

だけど、どこで寝るのか、それが問題になりそう・・・
(^^)
[8]nyaoさんからのコメント(2002年02月12日 03時08分49秒 ) パスワード
  

2隻とも作るとなると…塗料を多めに買って良かった(笑)
という話はさておき話はいよいよクライマックス…?
第5話は1945年編。

前年秋から「涼月」とともに行動していた「冬月」は、
戦艦「大和」の水上特攻に「涼月」ともども駆り出されました。
海軍内部でも実施部隊でも作戦反対の声が上がっていたのですが、
結局は「一億総特攻の先駆け」の名分に押し切られてしまいます。
この作戦に参加した10隻を型式別にまとめますと…。
戦艦
「大和」
巡洋艦
「矢矧」(やはぎ)
駆逐艦
「初霜」「霞」(かすみ)「雪風」「磯風」「浜風」「朝霜」「涼月」「冬月」
他にも当初計画では「響」(ひびき)が加わる予定でしたが、
直前になって機雷に触れ損傷し編成から外れました。
この「響」は敗戦後賠償艦としてソ連に引き渡されています。

4月6日の出撃に際しては徳山から豊後水道まで対潜水艦部隊のエスコート。
そして翌7日「大和」を中心に9隻が護衛の輪を構成しましたが、
まずお昼前に「朝霜」がエンジン故障で脱落。
続いてお昼からひっきりなしの空襲開始。
敵味方ともメインが「大和」であることは分かっていたので、
当然ながら攻防の中心は「大和」とその周囲。
防空専門の「冬月」と「涼月」は盛んに全力射撃しますが、
戦闘機の直衛がないと分かった米海軍の戦闘機部隊は、
ロケット弾で駆逐艦に打撃を与えようとします。
実際に「冬月」はロケット弾を浴びましたが幸い不発。
その間に「浜風」と脱落していた「朝霜」が沈没、
先頭を突っ走っていた「矢矧」も立て続けに魚雷を食らい航行不能。
わずかの間を置いて再び攻撃が始まると、
満身創痍の「矢矧」に横付けしようとした「磯風」が巻き添えに…。
おまけに「涼月」と「霞」が爆弾を立て続けに食らって立ち往生!
陣形が乱れたところへ「大和」への魚雷投下がいよいよ本格化し、
そのうちの1本が「冬月」に!?
ところが米海軍は船底の深い「大和」に狙いを絞っていたため、
「冬月」に向かってきた魚雷は2mの差で船底を通過〜〜〜。
魚雷も爆弾もことごとく避けて派手に対空砲火をぶちまける「冬月」に対し、
とうとう米海軍の攻撃機隊は集中攻撃を差し向けますが、
大半は回避され突っ込んだ魚雷もことごとく船底を通過〜〜〜。
「初霜」と「雪風」も魚雷の深度設定が深かったおかげで命拾いしましたが、
当の「大和」は左舷に9発も集中して魚雷を食らったため、
午後2時半ごろ転覆し爆沈。
ほぼ無傷でピンチを切り抜けた「冬月」「初霜」「雪風」の3隻は、
他の艦の救援…実際には乗員救助に走り回り、
航行不能になった「磯風」と「霞」を砲撃処分して佐世保へと退却。
あれ?「涼月」は?
前部が派手にやられて前進すると壊れそうだから…ということで、
佐世保までバック走行で戻ったとのこと。

佐世保で約2ヶ月修理・訓練を行った後「冬月」は、
6月になって門司へと回航されました。
門司は戦争中輸送船団の基地として賑っていましたが、
3月末以降B29による関門海峡への航空機雷投下が始まり、
5月上旬以降は大型船の航行がほぼ不可能になってしまい、
対策の一環として「冬月」の防空能力を活用することになったのです。
実際に撃墜戦果もあったそうですが焼け石に水でそのまま敗戦。
敗戦となれば外地にいる兵士や民間人の復員輸送が待っていましたが、
8月20日「冬月」は門司で機雷に触れて航行不能!
仕方ないから彦島(たぶん三菱)で応急修理してまた門司に戻され、
ついで1947年佐世保で上部構造物を撤去され、
最後は「涼月」といっしょに若松港の防波堤になりましたとさ。
[9]服部 明子さんからのコメント(2002年02月12日 10時17分12秒 ) パスワード
  

>この「響」は敗戦後賠償艦としてソ連に引き渡されています。

戦後賠償で?
ま、いろいろぶん捕られたというのは分かってましたけど。
[10]nyaoさんからのコメント(2002年02月13日 00時12分27秒 ) パスワード
  

<おまけ>参考文献などは以下の通りです。

『雪風ハ沈マズ』
豊田穣・著、光人社、1983年
連合軍からも最優秀艦と評された駆逐艦「雪風」の軌跡を描いた作品。
このフネは戦後中華民国に引き渡され1970年に解体。
日本には主錨と舵輪が返還されたそうです。

『海上護衛戦』
大井篤・著、学習研究社、2001年 *文庫本
またこの本が参考文献になっちゃいました。(汗)
元々は1953年に日本出版共同から出版され、
次に1975年に原書房から(ここは軍事関連の書籍が多い)、
そして1992年に朝日ソノラマから出版された後、
昨年になって「学研M文庫」から4度目の出版という、
ある意味数奇な運命をたどった作品。
太平洋戦争のことをより深く知りたい人はこの本をよむべし。

『1/700洋上模型ハンドブック2002』
衣島尚一・著、モデルアート社、2002年
旧海軍の主要艦船データベースとしても使えるという、
極めてお堅い洋上模型カタログ。

また以下のWebサイトの情報も参考にしています。
「東江戸川工廠」
http://www.venus.dti.ne.jp/~jam/index.html
半分くらいはここからのネタだったりします(汗汗)
「抹茶の個人ページ」
http://macchann2.hoops.livedoor.com/index.htm
こちらには若松港にある「軍艦防波堤」の情報があります。

そして忘れてならないのが…。
1/700ウォーターラインシリーズNo.441「涼月」
アオシマ文化教材社、1999年 *プラモデル

…ということで「冬月」の物語はこれにておしまい。
[11]服部 明子さんからのコメント(2002年02月13日 00時30分55秒 ) パスワード
  

>連合軍からも最優秀艦と評された駆逐艦「雪風」
>このフネは戦後中華民国に引き渡され1970年に解体。
>日本には主錨と舵輪が返還されたそうです。

解体してスクラップにしたのかしらと思いましたが
錨と舵輪が日本に返還になったのですか。
「礼儀」に感謝ですね。
[12]nyaoさんからのコメント(2002年02月13日 00時34分59秒 ) パスワード
  

…参考文献をもうひとつ忘れてた!
『誰も知らない、もうひとつのレイテ沖海戦』
阪口雄三・著、文芸社、2000年
駆逐艦「初月」に関するおそらく最初の文学作品。
いかに「初月」がなぶり殺しに遭ったかを描いた意味では、
日本人に与える衝撃は相当大きなものになると思われます。
ただ通常の軍事関連の書籍を読み慣れた人にとっては、
丁寧な文体はかえって読みにくいかも…?
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