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 投稿番号:101633 投稿日:2018年05月16日 02時19分21秒  パスワード
 お名前:空の青海のあを
長上郡の服部氏族C\(課題確認52):109

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

長上郡の服部氏族C[(課題確認51):108
http://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/101632_64.html
の続きです。


     自称「歴史探偵」の目で、歴史の奥底に潜む謎を発掘し、解明する。
     最終目的は、服部氏族に関する謎の解明。

前スレの秦氏の活躍のお話は興味深かったですね。
いまだに感動でクラクラしています。

[1]三つ柏服部さんからのコメント(2018年05月16日 11時49分29秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 新しいスレッド、ありがとうございます。

 秦氏に関する書籍は何十冊もあるのですが、何度読んでも今までは余り
よくわからなかった。つまり、把握できなかった。それは、秦河勝以外に
主人公がいない、いわゆる秦氏の「顔」が見えないということも影響した
と思いますし、全体のスケールの大きさも把握を困難にしていたと思いま
す。
 今回、改めていくつかの書籍を選択して読んでみますと、おおよ秦氏に
ついて、その全体像が把握できるようになりました。
 それらの書籍は――
 @小林久三著『異説の日本史』
 A水澤龍樹著『日本のまつろわぬ民』
 B関 裕二著『伏見稲荷の暗号 秦氏の謎』
であります。
 Bの「伏見稲荷の暗号」という副題はちょっと大袈裟で、宿神としての
河勝を意味しているだけで、決して日猶同祖論を展開するものではありま
せん。ここを抜きにしても、Bは実に秦氏研究の精髄であります――
[2]丸三つ柏服部さんからのコメント(2018年05月17日 16時31分07秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 秦氏については、細かく言及するのは時間・労力がかかりますので、
止めておきます。ただ、何かの時には言及したいと思います。

 さて、「大久保長安」に戻りますが、大蔵流の猿楽師でもありました
が、曾祖父の「禅竹」は金春姓であり、「秦河勝」から数えて58代目
に当たります。
 従って、「長安」は一番わかりやすい形で、秦氏の流れ(秦河勝=猿楽
の祖)の中にあり、猿楽の精神と共に、「秦河勝」の血を受け継いでおり
ます。

 また、長安の曾祖父「禅竹」の妻は「世阿弥」の娘であり、世阿弥の
父は「観阿弥」、観阿弥の父は、いわゆる「上島の服部(元成)」で
あります。元成から数えて6代遡ると(七千傑様の系図による)「平宗清」
―「服部家」の祖となります。
 従って、「世阿弥」、「長安」には「宗清」及び「服部家」の血が流
れております。

 松尾芭蕉の父系は、「平宗清」を祖としております。つまりは「服部家」
の血が流れております。

 つまり、観阿弥・世阿弥――長安――芭蕉には、「服部家」及び「宗清」
の血が流れていることになり、シンパシィの通じる間柄であります。

 余談ですが、「服部元成」は、楠正成の弟「正遠」の姉(または妹)を妻
として「観阿弥」を産んでおりますので、その子「世阿弥」、及び世阿弥
の玄孫(世阿弥の娘と禅竹の間にできた子信喜)の孫の「長安」にも、「楠
家」の血が流れていることになります。

 さて、「松尾芭蕉」は「大久保長安」の死後31年後に生まれておりま
す。成長した芭蕉は、大久保長安のことも当然知ったはずでありますが、
果たしてどう感じていたのか、これを知りたいところであります――
[3]空の青海のあをさんからのコメント(2018年05月17日 23時00分39秒 ) パスワード

三つ柏さん


もうビックリびっくりビックリ!
言葉も出ないです・・・
[4]空の青海のあをさんからのコメント(2018年05月17日 23時03分28秒 ) パスワード

あ、そう言えば
川越民俗博物館の服部家は武田の家臣でした。

母衣衆だった絵を見たことがあります。
家紋は服部家の本家を示す車に並び矢でした。


ということは大久保長安が武田にいた話と繋がります。


武田が滅びて川越で商人になったお家です。
[5]三つ柏服部さんからのコメント(2018年05月18日 12時56分56秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 川越の服部家について、私も会ってきましたが、まだ分析ができており
ません。亀山の関の服部家にも行ってきましたが、こちらは伊賀服部家の
流れだと思います。
 川越については、天海がらみで、また話題にしたいと思います。

 大久保長安は、反逆者の烙印を押され、一族関係者の粛清がありました
ので、資料も口伝も極めて少ないようです。同じようなことは、明智光秀
にも言えると思います。

 長安と芭蕉、二人の関係を示す資料は見つかりませんが、やはり芭蕉の
奥の細道、越後の「出雲崎」、及び「佐渡」に向かって読んだ句に、その
思いが込められているのだと推理します。出雲崎という名前自体も謎めい
ておりますし、出雲崎には長安の建てた陣屋もあった。また、芭蕉の頃
にはまだ佐渡から金銀が採れ、出雲崎港に舟で運び込まれたようです。花
街もある賑やかな町であったようであります。

 佐渡は、金銀を産出する島であり、一方で島流しという刑場でもあった。
芭蕉は、佐渡を前にして何を思ったか……論理ではない、芸術至上でもない、
詩的感性に基づいて、「佐渡の歴史の悲・暗・混沌・光」を一瞬で言葉で
描いた。世阿弥や長安は、もはや金銀砂子の天の川で能を舞っていた……。

 私の仮説は、「芭蕉は猿楽師になりたかった。俳諧師であったが、あたか
も猿楽師のように、謡曲を唄うように俳句を唄った……」というものですが、
今後、この仮説に基づいて芭蕉を調べて行きたいと思います――
[6]空の青海のあをさんからのコメント(2018年05月18日 14時53分54秒 ) パスワード

消えてしまった・・・


三つ柏さん


>私の仮説は、
>「芭蕉は猿楽師になりたかった。
>俳諧師であったが、あたかも猿楽師のように、謡曲を唄うように俳句を唄った……」
>というものですが


いいですね
いい視点ですね。


かわずの水音
セミの声
天の川   音は無いけど星の煌めきに 音 を感じたかも

など考えました。
[7]三つ柏服部さんからのコメント(2018年05月20日 20時01分44秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 本日は、久しぶりの芝刈り、新緑がすがすがしい一日でありました。

 疲れはそれなりにあり、眠くなってきましたので、睡眠後に書くこと
にいたします――
[8]空の青海のあをさんからのコメント(2018年05月21日 02時15分56秒 ) パスワード

三つ柏さん

まるで腕白小僧ですね。




以下は友人から:

日本の場合,六国史を正史と言います。

正史とは政権が,正当性を主張するために作った史書です。
これの反対が,排史(はいし)若しくは卑史(ひし)と言います。

古事記は排史です。
ですので,古事記は,正当な史書ではありません。


六国史とは,日本書紀,続日本紀,日本後紀,続日本後紀,日本文徳天皇実録,日本三代実録のことを言います。
学者によっては,六国史に,大鏡,今鏡,水鏡をプラスする人もいます。


ところが,天皇家の正統性を主張しているのは,正史の日本書紀でなく,正史でない古事記や先代旧辞本紀(せんだいくじほんき・以後旧辞本紀と言います)の方です。


日本書紀は,神武天皇が,それ以前に日本を支配していた,饒速日と言う謎の王から支配権を奪い取ったと言う事を書いています。
ところが,日本書紀以外は書いてないのです。


2代天皇の綏靖天皇(すいぜいてんのう)ですけど,
この天皇は,兄手研耳命(たぎしみみのみこと)を殺して,皇位に着いたと日本書紀に,書いてありますけど,
古事記や旧辞本紀にはこの事実がありません。

しかも,日本書紀には,手研耳命は朝政の経験も豊富でと書いてあります。


朝政とは,皇位についていたと言う意味です。
豊富と言うのは,10年以上と言う意味です。
最も,心映えが良くなかったので,綏靖天皇は殺したと逃げていますけど。

少なくとも,日本書紀では,度々武力で皇位を奪ったことが書いてあります。


これが,水野祐(みずのたすく)と言う,慶応大だったと思いますけど,
日本古代史の三王朝交代説になっていきます。


でも,古事記も旧辞本紀も,万世一系の書き方になっています。
正史が,天皇家の正統性を否定して,
正史以外が,天皇家の正統性を認めているのが,
日本の古代史です。


私は,これが日本古代史最大の謎だと思います。
普通,反対でしょう?
日本書紀は,天皇家の正統性を否定するために,作られた史書と言う事になります。
なんで,政府が自分らの政権を否定したのかと小一時間。(笑)



それとですね,日本は神武から,男系継承できたと言うのも大ウソで,
日本書紀では,天皇の血筋でなく,皇后の血筋の方が重視されました。

皇后が,饒速日の血統でない場合,たとえ天皇が,神武の血筋であっても,必ず排斥運動が起きています。
これも,日本書紀だけが記載してあります。

反対に,古事記と旧辞本紀は,神武から万世一系,男系男子継承できたように書かれています。
これも不思議です。


日本の場合,政府が編纂した正史が,天皇家の正統性に疑問を挟んでいて,正史以外は,天皇家は正当だと言っているわけです。



天皇機関説ご存知でしょうけど,美濃部達吉博士は,あの人,日本書紀の研究家でしたので,天皇機関説が出てくるわけです。
ですので,明治以降,日本政府は,正史日本書紀研究家を弾圧しています。

日本書紀には,天皇の正統性に疑問を抱いているからです。

今,右翼の日本会議の連中も,わざと日本書紀は読ませないようにしています。
日本書紀読んだら,萬世一系も男系男子継承も嘘だと言う事がすぐわかるからです。

そして,怖いのが,安倍内閣になってから,
防大や自衛隊の将官養成機関である幹部学校で,日本の歴史を教えるのに,
日本書紀研究家をオミットしています。

それで,今の自衛隊の歴史教育は,たいへん偏っています。
これが,あの三等空佐の暴言になったものと思われます。
[9]空の青海のあをさんからのコメント(2018年05月21日 07時42分37秒 ) パスワード

続き:

正史が天皇の権威を傷つけると言う,不思議な国は,日本位です。
ですから,ウヨは,日本書紀を嫌います。
なんせウヨがよりどころにしている万世一系と男系男子継承を頭から否定しているのが日本書紀ですから。


天智が,大化の改新出来なかったのは,男系男子継承にしようとしたからです。


それまでは,皇后の血を重んずる,女系男子継承で皇統をつないできた。

男系男子継承で萬世一系になった最初の天皇が桓武天皇の父親の光仁天皇からです。

この天皇の父親が,志貴皇子(しきのみこ)ですけど,
志貴皇子の母親が越道君伊羅都売(こしのきみいらつめ)と言う人で,
采女=豪族の娘で,豪族が天皇に服従のあかしとして差し出した女奴隷ですけど,
越道君伊羅都売の意味が,越の王の女性と言う意味ですから,
5世紀末に,新羅から欽明天皇への貢物を詐取した越国にいた道君の娘と言われています。


金沢に21世紀美術館と言う美術館がありますが,
この美術館の下に広坂遺跡と言う古墳時代から平安時代初期にかけての複合遺跡があります。

金沢城の下にもあるので完全に発掘はされていませんが,
ここから直線距離で4km位離れた金沢駅の下位までありそうな広大な遺跡です。


この遺跡ですけど,
最初発見されたとき,不明の加賀の国府跡発見と言う文字が新聞とテレビで踊りましたけど,
国府にしたら広大すぎると言うのと
古墳時代に,加賀の国はないので,
今は道君の館跡説が強くなってきています。


この広坂遺跡とセットなのが,金沢市の隣にある,野々市市の末松廃寺跡です。

野々市市は,
石川県では,倶利伽羅の合戦と共に,富樫の居館として,弁慶が富樫をだましに行くため,野々市の富樫の館に行ったと言う記述が義経記にありますけど,
金沢より古いところで,
この末松廃寺も,道君の氏寺跡と言われています。


古墳時代,石川県最大の大河手取川が,野々市から金沢に流れていて,金沢の外港の金石(北前船の時代までは宮腰と言われていました)で海に注いでいました。

そして,末松廃寺の横を手取川が流れていたようです。
この寺の遺跡も広大で,4km四方位あったようです。

それ以上に,この寺は,法起寺方式と言う伽藍配置ですけど,
金堂と塔の基礎が出土していますが,塔の基礎が,奈良の興福寺の五重塔の倍くらいあるので最低でも七重塔だったと言われています。

多分,末松廃寺の塔が残っていたら,七重塔なんて寺院遺跡でも,末松廃寺以外ないようですし,
現存していませんので,
多分,修学旅行の観光バスで,末松廃寺は門前に市を成していたと思われます。



日本書紀の次の続日本紀,次の日本後紀には,道君が好き勝手なことしていますけど,
軍事力が強すぎるので,朝廷がうっかり手出すと,朝廷が負けかねない。

それで,道君に対して「そんな勝手なことしないでよ」と言うのが精いっぱい。

でも,道君が「なに?戦争するか?」と言うと朝廷の方が,先に「ごめんなさい。」と言う記述が大変多くあります。

どうも,奈良時代,越国(越前,加賀,能登,越中,越後全域です)からの税金,奈良の都でなく,道君の収入になったとも解釈できます。


ただ,末松廃寺ですけど,平安時代初めに改築されたようですけど,改築されたのが,奈良時代以前に作られた寺域の1割程度です。

それで,平安時代初期になると,道君相当貧乏したようです。


加賀藩が,加賀,能登,越中で120万石ですから,それに越前60万石と越後全域加わったら,家康の250万石軽く抜くのでは?(笑)

末松廃寺は,源平の争乱期には既に廃寺になっていたようですけど,道君の末裔が,道上氏と言う豪族だと言われていますけど,
この道上氏,一向一揆で重要な働きをします。

一向一揆を終息させていた,富樫政親の大叔父大介をたきつけて,富樫氏に内紛を起こさせます。

これにより,一向一揆勢の勢いが一気に増して,消火不能の大火になり,加賀は百姓の持ちたる国に,一世紀なります。

道君ですけど,日本史に大変な影響を与えた家系だと思います。
[10]丸三つ柏服部さんからのコメント(2018年05月21日 13時45分48秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 古代史については、真実は一つなんでしょうが、二重三重、四重五重、
複雑に入り込み、ねじれ、また粉飾されていると認識しておいた方がいい
と思っています。

 「正史 vs.卑史」という考え方、「朝廷 vs.山の民・川の民・海の民」
という関係ともシンクロしそうで、面白い捉え方だと思いました――

 
[11]三つ柏服部さんからのコメント(2018年05月22日 08時09分24秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 「山の民・川の民・海の民」というのは、大まかな言葉であって、民俗学
的な範疇の用語でしょぅか。
 また、「ワタリ(渡、済)・道々の者・公界往来人(公界人)・漂泊の民」等
も、また民俗学的用語でしょうか。

 工藤章興氏は『秘 独眼龍軍配』の中で、「ワタリ」について、彼なりに
調べた結果をこう書いております――

 「山師、蹈鞴(たたら)師、鋳物師、鍛冶氏、金堀り、木地氏、塗師、炭焼、
 杣人(そまびと)、大工、細工師など、中世の特殊技術者集団のことをいう。
  現代風にいえば、鉱山技術者、土木技術者、山林技術者、建築技術者ら
 の集団で、さらには猿楽師、白拍子、傀儡子(くぐつ)、簓者(ささらもの)、
 河原者などの芸能関係者、車借、馬借などの運送業者などもその範疇に入
 る。
  彼らは、"一畝不耕(いっせふこう)・一所不在"の非農業系職能民であり、
 しかも仕事を求めて各地をさまよい歩いた漂泊の民であった。歴史学者
 の網野善彦氏がいうところの"道々の者・道々の輩"である。」

 こう書くと簡単なように見えますが、ここに歴史の裏の本質が隠されてい
ますので、奥深く底深いところであります――

[12]空の青海のあをさんからのコメント(2018年05月22日 15時36分17秒 ) パスワード

三つ柏さん


>"一畝不耕(いっせふこう)・一所不在"

別称なのは
こういう輩は  農耕に支えられた日本の政府(朝廷や幕府)には許せない存在ですからね。


わたくしの幼いころのことですが  舟に住んでる人達がいました。
水上生活者(現代では蛋民という表現が多いように思います)
です。



下記URLからのコピペ:


日本における「蜑家」

中国の「蜑」、「蜑家」という語、あるいは「蜑女」という表記を用いて、「あま」と読み、日本の漁民や海女を指す例が近世の文書に見られる。

例えば、『南総里見八犬伝』に、「蜑家舟」と書いて「あまぶね」と読む語が登場する。

また、近代から近世にかけて家船と呼ばれる船上で生活する者たちがいた。
漁業を営み、本拠とする海域の中で、陸上に住む者と物々交換などの交易しながら生活していた。
昭和40年ごろまで存在したが、現在では見られなくなっている。

                        小説では宮本輝の「泥の河」が知られてますね

                       

世界的には
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%8B%E6%B0%91

蛋民(蜑民、疍民。たんみん)とは華南の広東省、福建省、広西チワン族自治区、海南省、香港、澳門の沿岸地域や河川で生活する水上生活者である。


陸に土地をもたず、主に船を家とし、水上で漁業、水運、商業などの生業を営む。このため船上人とも呼ばれる。岸辺に「棚屋」や「茅寮」と呼ばれる、簡単な水上家屋を築いて住む場合もある。伝統的な材料としては、木材に加えて、サトウキビの茎や皮などが使われた。

漢民族であり、少数民族には分類されないが、生活様式の違いや教育程度の差などによる被差別民であった。1970年代までは、非蛋民との通婚も限られていた。

ジャッキー・チェン、ブルース・リーなどが主演する香港映画などにも密集する船の姿が映されていたことから、香港・アバディーン(香港仔)の水上居民が有名であるが、その数はすでに激減している。現代では中国全体で見てもその数は減少し、広東省の地方の沿岸と海南省周辺を中心に8万人程度とされる。2006年現在、都会周辺で実際に船で生活している住民は、広州市では黄埔涌に、香港では、ほかに西貢などにごく少数残るだけといわれる。

水産物の販売や、輸送の交渉などで、陸上の人たちとの会話が欠かせないことから、在留地域の方言に近い言葉を話すが、発音や語彙など、一定の差異があるのが普通。主に広東語系の言葉を話す人たちと、福建語系の言葉を話す人たちがいる。

水上生活でもっとも困るのは飲み水の確保で、陸上から購入する場合がある。洗い物などの生活用水には雨水なども利用する。

海の守り神とされる媽祖(天后)信仰をもつ点は、陸上生活する漁民や海運従事者と変わりないが、「鹹水蛋民」と呼ばれる、広東省東莞市を中心に分布する人たちは、洪聖(南海洪聖大王)を信奉し、広州市から新会市を中心に分布する「淡水蛋民」と呼ばれる人たちは龍王を信奉している。



伝承によれば、東晋の末ごろ(5世紀)、農民一揆を首謀した盧循が海沿いに南下したが、一揆に失敗し、水上生活を送るようになった。統治者は「上陸して居住しない」「勉強して字を覚えない」「陸上の人と通婚しない」という3つの禁を出し、これが千年あまり続いた結果、特殊な生活をする人たちが生まれたとされる。

しかし、広東省高要市金利鎮からは秦代以前の大規模な水上建築の遺構が見つかっており、実際には南越族が住む時代からすでに水上生活を送る人たちが多数いたことがうかがえる。

宋代の書『嶺外代答』にも記述があり、漁労に長けた「魚蜑」、水に潜ってカキを採る「蠔蜑」の他、山から木を取る「木蜑」の3種があるとしている。

正字は「蜑」とされるが、その起源ははっきりしない。部首が「虫」となっているのは、人と認めないという漢字を使った差別用語のひとつと考えられる。同音の「蛋」の字は宋代以降に現れ、「疋」の下を「虫」の代わりに音を示す「旦」に作り「疍」とする場合もある。

農業を権力基盤とする歴代中国王朝から差別され、科挙の受験資格も与えられなかった。他の漢民族などが、彼らを海上(船上)から陸に上がらせないこともあった。また、教育を受ける機会も、水上では限られ、文盲も多かった。陸上生活者と同等の人権が認められたのは、中華人民共和国成立後で、20世紀後半の社会基盤の整備とともに、多くの水上生活者が陸上生活に移行した。

以下略


哀しいですね。
今どきは  川に住むとか海に住むとか、船で生活するのはカッコいい生活  になってますが。
[13]三つ柏服部さんからのコメント(2018年05月24日 05時54分25秒 ) パスワード

空の青海のあを様

 「ワタリ」とか「山の民」という言葉は、いわゆる一般的概念であり、
その中身はきっちり定義づけられるものではなさそうです。曖昧模糊さ
が、古代・中世の時代の混沌を示していると思います。

 猿楽師もワタリの範疇に入る……花井吉成、大久保長安も猿楽師、忍者
系の服部氏の一部も猿楽師であった、あるいは装っていた……。

 観阿弥・世阿弥、服部正尚、大久保長安、花井吉成……猿楽師でつなが
り、そのDNAと心は芭蕉にもつながっています。つまり、「猿楽師」が
キーワード。このあたりを中心に調べてみたいと思います――
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