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 投稿番号:101281 投稿日:2012年05月31日 23時25分33秒  パスワード
 お名前:アキ
蔵座家@椎葉村仁田尾:菅原道真:清経孫

コメントの種類 :質問  パスワード


はじめましてアキと申します。

僕の性は蔵座です。

僕は里帰り分娩のため生まれは母方の実家の鹿児島で、育ちは関東です。
父の性の『蔵座』の方の話を子供の時に聞いた時、平家の落人の末裔と聞いたことがあります。
父は引っ越した後の熊本の湯前で生まれておりますが、祖父や曽祖父は宮崎県椎葉村の人でした。

宮崎の椎葉村を調べましたらば確かに平家落人伝説があります。

ですがその中で『蔵座』というワードは僕が調べた中では出てきません。

祖父か曽祖父の時までは家計図が残ってたとのことですが洪水の被害にあった時に紛失してしまったとのことです。

『蔵座』とは・・・・・・もしくは『蔵座一族』とは平家の伝説に少なからず関わりがあったのでしょうか?

親戚の1人には蔵座は平家の者ではなく、源氏の追っ手の者だったという人もおり何が真実なのかもう全く分かりません。
江戸時代は商人だったということも聞いたことがあるのですが、皆さんが『蔵座』について何か知っているのであれば色々と教えていただけませんでしょうか?

[1]空の青海のあをさんからのコメント(2012年06月01日 07時38分25秒 ) パスワード

アキさん

初めまして。

詳しい方からレスがつくと良いですね。
7000傑さんから。



蔵座 ぞうざ >くらざ           熊本
左座 ぞうざ >さざ            熊本 福岡
造座 ぞうざ                 
藏座 ぞうざ                 
蔵坐 ぞうざ                 
蔵坐(藏坐)


こんな感じで九州に多いらしいように載ってましたが
絶滅危惧姓ですね。

頑張って男の子を大量生産しないことには100年もたないかもですね。
御先祖さまに申し訳ないから、子孫繁栄に務めてください。


どういう由来なのでしょうね?



御先祖さまの除籍謄本を取り敢えず取得して
それから関係各所の教育委員会の発行する歴史を手に入れて
   各地の公立県立図書館などでも調べることですが
現在関東にお住まいなら、国会図書館を利用できるのではありませんか?

国会図書館が利用できるならいろいろな情報が得られるのではないでしょうか。


ネットには結構いろいろな方達が載っていますね。
地名にも蔵座というところがあるし。愛知県にもあってビックリしました。
結構「普通的固有名詞」でしょうか?笑


御先祖さまの伝承は大切です。
お休みには椎葉村などにいらっしゃってムカシのお仲間にお会いになってはいかがでしょう。

それには明治の初めの戸籍謄本が手に入ると良いですね。
[2]空の青海のあをさんからのコメント(2012年06月01日 12時45分08秒 ) パスワード

菅原道真ゆかりの仁田尾左座氏についてちょっと調べて来ました:


http://yumeko2.otemo-yan.net/index_77.html

左座家(ぞうざけ)
熊本県八代市泉町仁田尾65


平安時代 延喜3(903)年、菅原道真が太宰府で亡くなる。
延長元(923)年、菅原道真の嫡男は政敵である藤原一族の追討ちを避けるために左座太郎(ぞうざたろう)と改名し、五家荘(ごかのしょう)仁田尾(にたお)の地に落ち延びました。その後も代々仁田尾を支配しました。



左座家(ぞうざけ)
熊本県八代市泉町仁田尾65
TEL 0965-67-5510

開館時間  
4月〜11月 8:00〜17:30 
12月〜3月 9:00〜17:00

入場料
大人(高校生以上)200円、小人(小中学生)100円  

休館日
毎週火曜日(ただし祝祭日の場合はその翌日)
12月29日〜1月3日         

アクセス
九州自動車道松橋ICから85分 八代ICから95分


行ってみてはいかがでしょう。
なんとなく「平家方」と「南朝方」だったんじゃないかという印象を受けます。


ムカシ住んでた所の御近所に(噂によれば)菅原道真の子孫の一家が住んでいて
お父さんは、さる有名大学の医学部に研究に来てて
子供さんが、男の子が3−4人いて、みなさん優秀なんだけど
下にいくほど優秀度が増すって噂に聞きました。


わたくし自身は長男さんと直接の知り合いだったんですが
ものすごく性格の良い男の子で

その子繋がりでお父上とも話したのですが
この父上がまたまた素晴らしい人で

この父上からの御紹介で(慶応の医者で)アメリカに来てた方を紹介されたのですが
この方がまた素晴らしい医者で


菅原道真の子孫だよと噂に聞いた時
  お〜
  なるほどね〜
菅原道真が今に至るも日本人に人気だというのが納得でした。

人間が上品だったし
本当に心優しい一家だったし
優秀だし

改めて思い出しましたよ。


あ、仁田尾さんという方もムカシ住んでた御近所にいらっしゃいました。
まさか全然知らなかったので
今更ながら日本人って、みんな繋がってしまうのねえ。
[3]空の青海のあをさんからのコメント(2012年06月01日 13時20分27秒 ) パスワード

>親戚の1人には蔵座は平家の者ではなく、源氏の追っ手の者だったという人もおり
>何が真実なのかもう全く分かりません。


みんな、それぞれ「事実」を語ったのですよ。


「真実」については、あなたの1番身近な人の語るところに「真実がある」と思えば良いのですよ。


人間がこうして「生」を繋いで来たこと
「家」を存続させて来たこと
そして「姓」を繋いで来たこと

そこには、もう、大変な血と涙の歴史があるのですよ。


あなたの御先祖さまについては、それはあなたの身近な人から聞くことね。
そしてあなたは御自分の子孫に聞いたことを伝えていかなくてはいけません。
それがあなたの家のアイデンティティなんですから。


確かに平家方だったと<も>思います。

   1137(保延3)年、平清盛、中務大輔兼肥後守となる。

つまりココで平家方と繋がっただろうという状況証拠になります。



   もしかすると、清盛なんか大っ嫌い!、という人がいたかも知れません。
   その人は源氏方についたかも知れません。
   状況証拠として、源為朝という人物が九州で暴れていたから、この人に心酔していた人物がいたかも知れません。


同じ一族でも平家方についた人々もいれば源氏方についた人々もいたでしょう。
ですから
事実は、そうなんですよ。平家方もいた、源氏方もいた。

それで当たり前なんですよ。


だから、あなたの身近な人が語る話があなたにとってのアイデンティティなんです。


確かにいろいろな話を知れば知るほど混乱します。
世の中に流布する話の方に引っ張られることもあるでしょう。

でも、あなたの身近な人が語る話をあなたの家のアイデンティティにしてください。
そして
決して向こうの話を否定はなさいませんように。


   だってねムカシは結婚がややこしいから。
   一族とはいえ「敵同士」なのに、モトモトは一族なんだから、と婚姻したってこと、有り得ますよ。
   そうするとホントに話がややこしくなります。
   ふふふ


あなたの御先祖さまだって、風雲急を告げる時には、多いに迷ったはずです。
そういう時には家の中が2つに割れて
    (ま、勝手に2つに分かれるもんですよ)

負けた方は勝った方に命乞いをして生き永らえたことだってあったろうし
負けても自分の子供達だけは命を赦してくれと泣いて懇願したこともあったろうし。

とにかく情報を集めて読みまくったら「涙・涙・涙」の連続かもよ。


このレスで、菅原道真がらみらしいと分かったので
熊本県などの教育委員会から古代+中世の史料をもらいなさい。
また郷土の史家を紹介してもらいなさい。
そして国会図書館でいろいろ調べなさい。


もしかすると菅原道真がらみじゃない家かも知れないしね。


取り敢えず菅原道真はとっかかりということで
御自分で調べてください。
お年寄りが鬼籍に入る前に、お盆やお正月などのお休みを利用して、とにかく情報を集めてください。

焦らないことです。
1100年以上の歴史を調べるのに数年で分かろうなんて無理ですよ。



また期待して会いに行った人が関係無いなんて言ってもガッカリしないようにね。
その人が知らないだけということってありますから。

先祖のことなんか興味の無い人、いくらでもいます。
逆に話したくて話したくてたまらない人もいるのですよ。

だから今の内にそういう人を捜し出さないとね。
[4]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2012年06月01日 14時39分05秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

平家部落は、肥後国八代郡五家荘(久連子、椎原、仁田尾、樅木、葉木の五部落から形成)。
仁田尾と樅木は菅原道真の裔、仁田尾の蔵座は後に左座に改称、家紋は梅鉢。
椎原は緒方姓ばかりだから、鹿児島の禰寝姓と同様に婿入りして称姓したのが真相、平姓じゃ都合悪いから禰寝姓、緒方姓を称えたわけですよ。
従って禰寝姓、緒方姓の中には揚羽蝶紋を用いている家もある。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/011/01102.htm#001

詳細は「肥後国誌」を国会図書館で閲覧などをすると良い。
[5]空の青海のあをさんからのコメント(2012年06月01日 18時47分57秒 ) パスワード

7000傑さんが簡潔要領良く御先祖さまと参考資料をお知らせ下さいましたね。


ではもう少しコピペ:

http://yumeko2.otemo-yan.net/c4034902.html


『肥薩国誌』によると、平安時代に藤原氏によって太宰府に流された菅原道真の子孫・左座家が藤原の追討を避けてこの地に入り、仁田尾・樅の木に、また壇ノ浦に破れた平清経の孫3人も逃れ来て緒方姓を名乗り、それぞれ久連子・椎原・葉木に隠れ住んだと伝えている。椎原には、緒方家の屋敷が残っています。


菅原道真は昌安2(899)年右大臣となり学者政治家として遣唐使を廃止し国風文化を強調した。このため、藤原一族にすれば道真が目の上の瘤的存在になり藤原時平の陰謀により、延喜元年(901年) 大宰権帥(だざいごんのそち)として九州筑前の国に左遷された。

伝説によると、当時道真には2人の子どもがおり兄を菅宰相、弟を菅千代丸といった。道真の死後、この2人の菅兄弟は立派に成長していったが、藤原一族にしてみれば、この兄弟の仕返しが恐ろしくなり、2人を討ち取ることが藤原家の安泰につながると考え筑前へ向け、追討の軍勢を差し向けた。

このことをいち早く耳にした兄・宰相は左座太郎と弟・千代丸は菅次郎と改名し、少数の家臣を連れ、延長元年(923年) 肥後国高瀬を経て甲佐まで入り、左座太郎主従は現在の柿迫から笹越峠をすぎ『奥』という所に住みついた。これが仁田尾左座氏の祖先である。

弟・菅次郎主従は兄と甲佐で別れ矢部郷に居住していたが、兄・左座太郎の呼び寄せで姓も左座と改名し樅木に居住したとされている。
[6]空の青海のあをさんからのコメント(2012年06月02日 10時06分49秒 ) パスワード

アキさん


常々思っていたことが確信になりました。



平家の落人伝説が今もあるということは
   その場所は元々その人々を受け入れるだけの深い関係があったからじゃないの?
と思っていました。


   もし平家の落人が知らない土地に少人数で落ちて行った場合
      その土地の人間にみぐるみ剥がされたり
      恩賞目当てに山狩りされて捕らえられたり
      殺されたりしたのでは?
   

   そして、その土地の伝説として
      「ムカシ平家の落人がこの村に来たことがあった。
         (村の者達で  虐殺した  または  捕えて恩賞に預かったけど それは)
       もうムカシの話だ」
   という具合に伝えられて来たんじゃないかな?


でも、今でも平家の落人伝説が伝わっていて、その土地に平家の子孫と噂される人々が住んでいるというのは
   一時期平家の力が飛ぶ鳥落とす勢いの時
   村の人間も平家方になって出て行った
   でも源平合戦になって、平家が負けて以降は、次々と村に戻って来た
   
   村の者は黙って受け入れた
   
   その後、源氏の追っ手が来たものの、村の皆で口裏を合わせて無事に過ごした 


こんな感じで椎葉村とか祖谷谷とか白川村とか湯西川などの平家落人で有名な場所は続いて来たんじゃないかな?


同じ平家の落人伝説でも
「過去の一時的な話」と「継続してきた話」の違いはココじゃないかな?と。



平家落人の保護者で、宇都宮家なんかの有力な庇護者の場合も落人が住み続けられたと思うし
伊賀・伊勢は元々平家の本貫地だし
その他、平家が守護なんかで貰ってた地も平家落人が安心して暮らせたんじゃないかな?


落人伝説はもう800年以上も経っているからどんどん風化していくけど

椎葉村の場合は
菅原道真という日本史の超カリスマの子孫ということで
鎌倉幕府から派遣された役人でも手が出せなかった
というのもあったんじゃないかな。

   そうか、椎葉村は菅原道真がらみだったのか、です。
   笑
   名家だものね。
   教養のある役人が来れば敬意を払ったと思います。


平清経の孫達も椎葉村に来てたとは100%知りませんでしたが
きっと清経が椎葉村出身者に良くしてたんでしょうね。
多分、婚姻という形もあったろうし。


やっぱり人には優しく親切にしておくべきなんですね。
どこでどう、自分の孫の命を助けられることになるやら。

平家は身内を大切にした、という生き方がココにも出ているんでしょうね。


やっぱり持つべきは立派な先祖ですね。
[8]アキさんからのコメント(2012年06月05日 01時15分40秒 ) パスワード

空の青海のあをさん

色々とレスありがとうございます!!お返事遅くなりまして申し訳ありません。
そして色々な情報を本当にありがとうございます!

平家の話から道真にまでのびるとは思ってもみませんでした。国会図書館にてちょっと調べてみようと思います。
まだ祖父の生家だった宮崎の椎葉、父親の実家の熊本とどちらもまだ行ったことが無く大変ですが少しずつ調べていこうと思います!まずは椎葉の方からですね。

タイトルの件ありがとうございました。こちらの方が分かりやすいのでこのままにてお願い致します!

[9]アキさんからのコメント(2012年06月05日 01時20分51秒 ) パスワード

日本の苗字七千傑さん

レスと貴重な情報をありがとうございます。

レスの中に『仁田尾の蔵座は後に左座に改称、家紋は梅鉢』とありましたが
菅から蔵座に改称しその後更に左座へ改称を行ったと言うことでしょうか??
[10]空の青海のあをさんからのコメント(2012年06月05日 03時58分08秒 ) パスワード

アキさん

「五家荘」というこでも、ちょっと載っていました。
全文はURLでチェックしてね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%AE%B6%E5%BA%84


五家荘としてのまとまりが成立したのは、緒方・左座両氏が阿蘇氏の勢力に従って砥用方面に進出したとされる戦国時代初頭(明応-永正期)と推定されている。その後、島津氏の進出や豊臣氏の九州攻めによって緒方・左座両氏は砥用方面を失い、五家荘の民は再び山の住人になった。その後、熊本藩(加藤氏・細川氏)の支配下に入った。細川氏は五家荘の支配を強化し、寛文5年(1665年)には五家荘の住人代表が藩主細川綱利への謁見を許されている。ところが、貞享2年(1685年)に地頭の地位を巡る左座一族の内紛を細川氏が仲裁できなかったため、江戸幕府は貞享2年7月19日(1685年8月18日)に五家庄の支配を幕府の天草代官に移すことを決定した。


参考文献:

http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/zouzake.html

『秘境五家荘の伝説』 山本文蔵著・発行 1969
『わたしたちの泉村』 泉村小学校社会科副読本 1999



江戸時代はその土地の名家の子孫を捜し出して抱えたのですよ。

   だから蔵座家が名家ということは江戸時代まで伝わっていた
   それが今も伝わっている

ということですね。


   もし名家の子孫というのがウソ800なら村の人が黙っていませんから
   ウソなら、細川家に地頭として召抱えられるワケが無かった
   ということです。


後に地頭の職を巡って一族の中で争いが起きたというのも国会図書館で調べてみてください。

非常に人間的ですね。
   うちが本家だ
   うちが宗家だ
座や職や位が1つしかないと、争いますものね。
今でもよくある話です。


別れて争った、ということは
   それぞれ双方に「正当な」言い分があった
    だから、細川家では納められなかった、
のでしょう。


ついには幕府が出て来た。
スゴイね。
幕府が出て来た、ということは
それだけ、蔵座家が名家だったから
でしょうね。


名家ゆえの争いだった、かな?

この争いで「損をしたのは細川家」ですね。
日本中に(細川はアホ)というのがバレちゃった。

   藩主がアホなら
   賢い家老もいなかった、
   賢い家来もいなかった、
   ということが日本中にバレちゃった。


1番トクしたのは幕府ですね。
名実共に、徳川幕府のモノになっちゃった。


   ま、細川にしてみれば、このあたりで済んでラッキーだったかも。
   下手したら御家のお取り潰しということだって有り得たかも知れないんだから。
      幕府がお取り潰しに熱心だったのを思い出してください。

   この時の将軍は学問好きの綱吉だから、興味があったでしょうね。
   「菅原道真公の子孫が争っているのか」なんてね。
   それで、細川の家に任せるなんてもったいない、自分のモノにしちゃえ、だったかも。笑




1つ取っ掛かりが出来ればそこからドンドン派生して情報が得られます。
今、アキさんに御先祖さまからのパワーが来ているんですよ。


同じ一族でも「平家方だった」という話もあれば「源氏方だった」という話もある。

あなたの血脈の1番近い人の話があなたのお家の「アイデンティティ」です。


実際に椎葉村でも鎌倉幕府の役人の味方になって落人狩りに協力した家もあったでしょう。

だから、「うちは源氏方だった」としか言えない家もあったと思いますよ。
   だって、同じ村の人には「アソコの家は平家方」「アッチは源氏方」というのはちゃんと伝わっているから
   ウソ言ってもバレますから
   「椎葉村は平家落人の里だけど、うちは源氏方だった」と言う家があって当たり前なんです。


ムカシの話ですからね。ムカシの話ですけどね。

椎葉村なのに「うちは源氏方だった」という家はそれなりに尊敬に値しますよ。

今じゃ「椎葉村で源氏方だった」と名乗るのは肩身が狭いでしょけど「それは事実」なのだからウソは言えないのですよ。


だからレスの3つ目に書いた
  
   >親戚の1人には蔵座は平家の者ではなく、源氏の追っ手の者だったという人もおり
   >何が真実なのかもう全く分かりません。

   >みんな、それぞれ「事実」を語ったのですよ。

本当に、皆さん、事実を語っているのですよ。
これが「人間」ということです。


中には菅原道真の子孫ではない蔵座を名乗る人がいても良いではありませんか。
どこかで、何らかの理由で、繋がっているのでしょうから。

中には蔵座の有力者でも源為朝に惹かれて源氏方になって平家の世になって別の姓に変えた人もいるでしょうしね。

逆に小さな繋がりから蔵座を名乗っている人もいるでしょう。



御先祖さまのことを一生懸命調べていると御先祖さまがいろいろ教えてくれますよ。
そしてアキさんを守ってくださいますよ。
そういうのが分かるようになりますよ。


わたくしも久し振りにウチの先祖が「力になってやれ」と言って来ましたから。
うちの先祖が泣いて喜んでいます。← 肥後に関係があったので。
にっこり



とにかく明治の初めの戸籍謄本=除籍謄本=が手に入ると良いですね。
これはあった方が良いですよ。
誰か持っているはずです。

お盆やお正月なんかに、一族に会えたら良いですね。
[11]空の青海のあをさんからのコメント(2012年06月05日 10時47分46秒 ) パスワード

もう1つ蛇足ですが

同じ苗字を名乗っていても「うちは源氏方だった」という人物がいる背景に
こういう事情があったかも・・・
というコトを書こうと思います。


日本ではキリシタンが禁教になり   <捕まれば>   極刑にされました。


だけど日本中にキリシタンは江戸時代中、いたんですよ。
長崎だけじゃないです。
長崎が「隠れキリシタン」で有名なのは「捕まえて極刑にした」歴史があるからです。
そのキリシタンは命よりも信仰を選んだから。
島原の乱についても戦後処理が残酷を極めたから日本史に残っているわけで

他の土地では  <捕まえない>から<極刑が無かった>から  キリシタンがいたことが語られないだけ。

みんな知ってても黙っていたんだと思う。



   つまり、キリシタンも取り締まる役人もカシコカッタんですよ。



   わたくしは元々は名古屋の出身なんですが
   名古屋にも江戸時代、隠れキリシタンがいくらでもいたんですよ。


み〜んな、身内だから、知ってても黙ってて、捕まえなかったんです。突き出さなかったんです。


だいたいね、隠れキリシタンを捕まえる役人が・・・実はキリシタン・・・とかね。


そういうコトはなんとなく分かっていましたが
ある人物が実は某有名戦国大名の末裔で江戸時代には隠れキリシタンを取り締まる役人だった
ということを知って


それで椎葉村の「うちは平家の落人を追っ掛ける方だった」という話も分かるんです。



    自分の土地のキリシタンもね、島原の乱のようなことさえ起こさなきゃ、領主は構わないのですよ。
    静かに自分達だけで信仰していれば良いのですよ。
    だけど表立って「信仰の自由を!」なんて叫ぶ者が出て来たら罰さないことには領主も困るし、
    そのキリスト教徒の<遠い>縁者達も連座制で磔獄門で困ります。


日本人のお家芸の「談合」とか「なあなあ主義」とか
これで日本人は生き抜いて来たんですよ。

とにかく誰かが取り締まり役にならなきゃいけないし
かと言って、知ってても、まさか自分の姻族を捕まえるわけにはいかないし

そこは、きっと、うまくやってたんだと思いますよ。


    本当の信仰とは?
    なんて必ず言い出すのがいて
    こういう存在にはどう対処したか
    御自分の心の中で考えてください。


椎葉村でも
お役に忠実で、平家落人を捕まえて鎌倉幕府に突き出していたような家は
椎葉村では村八分になって
結局は生きていけなかったでしょ。


たくさん情報を集めて
そういういろいろな「事実」が分かると良いですね。


また「左座」と苗字を変えた「ぞうざさん」はどういう経緯だったんでしょうね。
こういうのも国会図書館で分かるかも知れませんね。



また家紋が梅とか梅鉢でなくてもガッカリなさいませんように。

家紋は1家に1紋と決まっているわけではなく、菅原道真=梅鉢紋  というのは代表紋  ということですから。


いろいろな事情で家紋に手を入れて、それが数百年の間にまたまた変わって、
明治以降、1家に1紋のような感じになって、今に至るわけです。


兄弟でも正妻系と側室系でちょっと変えたり
嫡流でも長男はコレで次男以下はアッチとか変えたり
エライ人から拝領して、それで、定着というのもありますしね。


家紋もアイデンティティということになりますから
梅鉢にするも良し
今に伝わる紋を使い続けるも良し。


わたくしの家も、家書に書かれた家紋の話をどうしたら良いのか、迷っています。

今の家紋は、大坂の役で敗れて落人になり、匿ってくれた住吉大社所縁の家紋です。

戦国時代までの家紋に戻すべきか
住吉大社さんへの感謝を子孫代々「家紋」で伝えていくべきか

大いに考え中です。
[15]道真子孫さんからのコメント(2018年04月11日 07時42分34秒 ) パスワード

4番、9番のコメントについて、「蔵座は後に左座に改称」は間違い。逆です。
左座(ぞうざ)の読みをそのままに漢字を蔵に変えたのが蔵座(ぞうざ)、漢字をそのままに読みを「さざ」に変えたのが左座(さざ)です。
左座(ぞうざ)→蔵座(ぞうざ)
左座(ぞうざ)→左座(さざ)
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