| [1] | ![]() | さなえさん からのコメント(2011年07月21日 15時43分42秒 ) |
パスワード |
みなさん こんにちは(^^)
スレッド{三河国服部家家紋〜}のほうで、三河一色の服部家について、自分の足で調べたことと、直感(霊感?)のみでコメントさせていただきましたが、まだまだ知りたいこともたくさんありますし、新たにひらめいたことも出てきましたので、新スレッドをたてさせていただきました。(ありがとうございます。管理人さまはじめ、ここのサイトに関わる多くのみなさまに感謝です。)
三河一色の服部としましたのは、わたしの勘のみによりますが・・・どうも、おとなりの岡崎市の服部(徳川家康・服部半蔵のながれ)とも弥富市の服部(後醍醐天皇の御子息のおとも)とも、ちょっと違うと思ったからです。(もちろんどこかで先祖がつながっていた可能性はあると思いますが・・・)
| [2] | ![]() | さなえさん からのコメント(2011年07月21日 16時08分05秒 ) |
パスワード |
前スレッドでは、[38]の名も無き忍者さんさんのコメント(スレッド{隈さんへ:各姓の服部氏}[34]の服部誠さんのコメント参照)より
湯舟荘五地頭のことが頭から離れずにいたのは、事実として、愛知県の現・西尾市一色町に三矢姓がたくさんある地域だからなのもあります。後でわかったことですが、三矢(または、三ツ矢)姓は、全国的にみるとめずらしい姓みたいですね。しかも、家紋は○に縦の矢羽が三つ並んでいる(服部は矢羽が二つ)ことから、関係性を充分に感じました。
なので、さなえ的に ここからもあそこからも、わかったこと気づいたことを少しずつ書いていきたいです。みなさまのツッコミお待ちしていますので、よろしくです。
| [3] | ![]() | さなえさん からのコメント(2011年07月24日 21時41分11秒 ) |
パスワード |
地理、歴史に詳しい方なら・・・当たり前のことかもしれないですが・・・
先日、道路地図を見ながら、こんなことに気ついたのです。
「伊賀上野市から三重県津市まで、一本の道がある・・・」それは、国道163号線。よく見れば、服部町の服部川をさかのぼる川づたいの道で、長野峠を超えれば、また沢つたいに下れば・・・どうしなくても津に着ける道。
正直、「これだわ!!」と、叫んでしまいたくなる発見(私には)です。
津市とは、「津」と名の付くとおり、古くから港として栄え、人(異国人含む)や物のゆきかったところです。その昔は、安濃津と言われていたらしいです。
そこから船で、三河湾の現在の西尾市の寺津町辺りに着いて、碧南・西尾・一色あたりに住み着く・・・なんて、理にかなうというか・・・ありえる話だわ。
| [4] | ![]() | さなえさん からのコメント(2011年07月24日 21時50分07秒 ) |
パスワード |
[2]の訂正 服部誠さんのコメントは[34]では無く[48]です。ごめん
| [5] | ![]() | さなえさん からのコメント(2011年07月24日 22時11分26秒 ) |
パスワード |
天正以前、伊賀の湯舟庄五地頭だった、岩田・服部・三つ矢・田名瀬・杉本姓のうち、田名瀬姓以外の姓は、現在も寺津周辺にいらっしゃる・・・これは、事実なんです。
しかし、史実では、天正(伊賀)の乱で、織田信長の軍勢に焼き討ちされ、女子供も皆殺しにされたことになってる。
でもでも、情報はきっとわかっていたからね。体の悪い老人やら、足手まといになりそうな人たちは、自ら残り、一部の勇士も身体を張って残ったのかな?そして敵が来る前に、服部川を遡ったのだと思うわ。
| [6] | ![]() | さなえさん からのコメント(2011年07月24日 22時22分02秒 ) |
パスワード |
「生きるために生まれてきたんだ。」
最近、そう思うんです。
以前の私は、現実に生きることに苦しさを感じてばかり・・・「何のために生まれてきたんだろう。」って、いつも思ってたよ。
ご先祖様がつないでくれた命だったんだね。
ご先祖さま、ありがとうございます。
ここのサイトのおかげさまです。
| [7] | ![]() | さなえさん からのコメント(2011年07月24日 23時01分09秒 ) |
パスワード |
話が、前後して申し訳ない・・・
[3]の国道163号線は、伊賀路(大和路)というらしいよ。古くからあるんだね。
| [8] | ![]() | さなえさん からのコメント(2011年07月25日 09時33分57秒 ) |
パスワード |
あ、また間違えた!
伊賀街道(大和街道)でした。
| [9] | ![]() | さなえさん からのコメント(2011年09月02日 13時10分42秒 ) |
パスワード |
先日、伊賀上野のむらい萬香園(お茶、お土産の店)さんにまたまた行って来ました。新情報です。服部町の本家服部さん所に、昔から大きな水車があって「くるまや」と呼ばれていたらしいです。屋号とか、通称とかでしょうね。残念ながら水車は(昨年?)とりこわされ、ここのお店のテーブルになってます。
そこで、またひらめいたのは・・・
服部の家紋の、源氏車とか御所車とか言われる「車」の部分は、本家の服部家の水車にもからまってるかも・・・なんてね。
水車は、昔は精米や小麦や蕎麦の製粉につかわれたもので、大きなものだったら・・・周りの人も借したかな・・・?それで商売したかな?
でも、もっと前からの天皇(朝廷)と服部家とののかかわりがあることはいなめないから、やっぱりその前からかな?家紋は、御所車かな?
伊賀の服部家さんのこと、もっと知りたくなりました。知ってる方、教えてくださいね。
| [10] | ![]() | さなえさん からのコメント(2011年09月02日 13時37分02秒 ) |
パスワード |
日本家系協会、日本家系家紋研究所出版の「服部一族」なる本を手に入れたくてしらべたら、現在出版されてないようで・・・思い切って、(株)日本家系協会に電話してみました。
「現在使われておりません」だって・・・とほほ、遅かったのね。
これも、どなたか入手のしかたわかりませんか?または、見せてください。おねがいします。
| [11] | ![]() | さなえさん からのコメント(2011年09月02日 13時48分16秒 ) |
パスワード |
それから、伊賀街道通ってきました!よ。
感想は、思ったよりも険しさがなくて、いい街道でした。津市が近かったです。
伊賀の方がかなり険しかったからかな?伊賀は、上野を少しはなれると・・・地図どおりいっても、すごく山に入ってしまったりして、不安になりました。霧も出るしね。だけど、山に囲まれたところに、のどかな里がポンと現れると、まるで桃源郷です。これだったら、身も隠せそうだし・・・幸せに暮らせそう・・・。
それを、不便と思うか、良しとするか、は・・・やっぱり、個人の価値観か・・・
| [12] | ![]() | さなえさん からのコメント(2011年10月07日 20時01分50秒 ) |
パスワード |
こんなことを書き込むなんて・・・いささか頭が変なやつと思われると、自分でもよく分からないが・・・先祖が書いてほしい様な気がするので、書き込むことにしました。言い訳をすると、ますます怪しいとも思ってます。
私の想像、または夢のはなしです。
え〜、三河湾の碧南から一色あたりに、たどり着いた服部氏のことですよ。
先祖がたどり着いたのは、天平の乱の後〜徳川幕府ができる頃で、とにかく世の中がぐちゃぐちゃでした。
津から海賊といわれるような人たちに、お金をはらって、三河湾でもあまり人の住んでいない、港も無いようなところにおろしてもらいました。
そこは、葦が背丈以上に生い茂り、足元は、海水と淡水が入り混じる様子です。陸地だと思って、刈のねぐらを造ったのに、明け方冷たい海水で目が覚めたりしました。雨が続くと大変です。腰まで水につかりまして、子供たちを両肩にのせたままでした。
それでも、すこしでも土地の高そうなところを探して、まわりの葦を切り取り、土砂を積み、何とか住めるようにいたしました。
葦は、身を隠すのに好都合ですし、少し上(かみ)の人たちは、持っていくとお金や物に変えていただけました。ありがたかったです。もちろん、服部の姓であることは、秘密です。
もともと、伊賀の里の人は、なんでも、自分達でできます。鍛冶のできる者は、かみ(上流)の農家の鍬を直したり、指物、大工の得意な者は、それをして生計の足しにできます。薬草の調合の得意な者もおりました。もちろん、野良仕事(農業)は、第一です。誰もが協力して土地からつくり、田んぼになりましたよ。
そうそう、綿花もつくりました。あれは、塩に強いいい木ですね。少し上流の(現・西尾市)天竹(てんじく)町の天竹神社は、大昔、崑崙人(こんろんじん・現在のインド人)が漂着したそうで、その方が持っていた綿の種を持っていて。日本に初めて、綿造りを、教えたそうですよ。面白いですねえ。でもその時代は、それから綿製品が庶民に伝わるまでは、すぐではなかったようで・・・、政治的意図があったやもしれませんねえ。
以上が、三河に着いたときのお話です。
ありがとう。
| [13] | ![]() | 日本の苗字七千傑さん からのコメント(2011年10月07日 20時34分39秒 ) |
パスワード |
| URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm |
>これも、どなたか入手のしかたわかりませんか?または、見せてください。おねがいします。
服部一族に限らず、日本家系家紋研究所出版の一族シリーズは約30年前後の昔のものだから今更購入は無理でしょう。
所有者にしても稀覯本だから、閲覧依頼は無理でしょう。
この種の本は、出版された時しか買い時はありません。
どうしてもなら国会図書館に行って、有ったら数回に分けて複写依頼をするしか方法はありません。
| [14] | ![]() | さなえさん からのコメント(2011年10月07日 20時46分01秒 ) |
パスワード |
どうして伊賀の里の人が焼き討ちに遭わなければならなかったのか!!
先祖の思いを代弁しつつ・・・また、私の夢か空想のお話をします。聞いてくださいね。
え〜、ここは伊賀の里です。
まわりは美しい山々に囲まれております。夏はちと暑いらしいが、川があり、田畑があり、木々もあり・・・いいところじゃよ。
わたしらは、よそでは、恐れられとると聞いたけどなんでだろうなあ。
確かに、まつりごとは嫌いじゃ。まつりごとする人間もすかん。わしらは、まつりごとするやつ等の裏をしっとるで・・・嫌なんじゃよもう。そんで、伊賀の山ん中で・・・幸せに暮らしたかっただけじゃよ。
幸せに暮らすために、役行者さんみたいに強くならねばと思ったしね。身体も鍛えたさね。ただ身体を鍛えてもね・・・だめなんじゃよ。心も大事。心がピーンと真っ直ぐ、真っ直ぐ立っ取ると、自分でも信じられん力がでるもんだ。
それから、わしらは仲間を助けたいだけで、戦争したいんじゃないよ。逃げるが勝ちとは、よく言ったもんだ。わしらの七つ道具は、逃げるためのもんじゃよ。ははは・・・
わしらをスパイ呼ばわりするやからもおるらしいが・・・そんなようなことをしっとった奴も、おったらはずかしいが・・・本当はな、平和に暮らすために、情報をいち早く察知してだな、上手くまとめるっつうことをしたかったんだが・・・世の中が変わるときってのは、ほんとに恐ろしい情報ばかりじゃな。上手くいかんかったわい。
ほんとに、日本の行く末は・・・ありゃりゃ、現代の人に申し訳ない。わしらはわしらの業(カルマ)というものがある。現代の人も、心して、いい国つくってくだされよ。
聞いてもらって、うれしいぞ。ありがとう。
| [15] | ![]() | さなえさん からのコメント(2012年03月23日 09時22分09秒 ) |
パスワード |
しばらくぶりです。
あれから、三河一色の服部氏について・・・特に、新しい資料などなく・・・たんたんと生活させていただいてました。
ところが先日、初対面で私の旧姓(服部)も知らない方に「あなたの先祖が、お腹を空かせていますよ。ひとりは、甲冑をつけた平氏の武者です。もうひとりは、室町のころ、宮中に仕える女性です。」って言われちゃったのです。びっくりです。もしかして・・・私のつたない先祖調べの意味は、そ・こ・か・ら〜??って思いました。
| 【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
||||||||||||||
| ◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.25 Rapah. |