| [1] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん からのコメント(2004年11月25日 06時17分46秒 ) |
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菊水紋はイコール楠木正成というイメージです。
我が家も当時菊水紋を使ってたと聞いてます。
(わたしも嘘だろ〜と思ってましたが他からも聞いてへえ〜っと改めて日本の紋ってややこしいと思いました)
楠木正成の場合は後醍醐天皇さんが盃に菊を浮かべて下賜して以降使用したと言われてますから
楠木氏もその前は橘紋を使ってたかも知れないですし他の紋だったかも。
楠木正成にあやかって他の家でも菊水紋を使用したでしょうし。
他には楠木正成の一統の橘さんや楠さん和田さんその他橘姓系の家が使用してますね。
源氏系や穂積系の鈴木さんも使用だそうです。
源氏系でも南北朝の時、新田側で楠木氏と懇意にして養子など頂いてたら当然菊水紋使用ということもありますでしょう。
家紋は錯綜するから何ともいえませんが
ホンヤさんにあたるお家が系図をお持ちでしょうから早めにコピーなさいますように。
| [2] | ![]() | 太郎さん からのコメント(2004年11月26日 00時41分25秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2004年11月26日 00時41分57秒
| [3] | ![]() | 太郎さん からのコメント(2004年11月26日 00時44分07秒 ) |
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私の知り合いで、菊水さんという人がいます。
家紋名がそのまま苗字になっているような苗字ですね。
こういうのって、珍しいのでしょうか?
| [4] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん からのコメント(2004年11月26日 02時10分55秒 ) |
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菊水なんて変わってますね。
初めてです。
でも蚊取り線香のブランドに菊水というのがあったような?
昔、徴兵制度があった時、新兵さんは殴られるのが当たり前で
足利出身という地名でさえ殴られる理由だったと聞いたことがあります。逆賊扱い
でしたら新田さんとか楠木さん菊水さんなんて殴られるところ免除だったかもですね。忠臣扱い
やっぱり名字とか家紋とかいろいろ奥が深いですね。
| [5] | ![]() | 布袋竹さん からのコメント(2004年11月26日 10時46分44秒 ) |
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| URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/ |
新田といえば、鹿児島・宮崎の県境近くに、新田山という場所があります。
ニッタでなく、シンデンと呼ぶようですが、ここは平家落人集落とか
刀鍛冶の子孫が住み付いたと言うことでしたが、それらしい佇まいはみせていましたが
二人にハナシを聞いたら、ひとりは全然知らず・もうひとりは、そんな話を聞いたと
だんだん風化されているのですね。
先日11.23の祭日、末吉町の住吉神社の流鏑馬の帰り、近くだったので寄ってみました。
あ、また付近に悪七兵衛景清の墓と呼ばれる石塔群があり、ここにも寄ってみました。
景清の墓との伝承は、この付近は平氏の所領が多かったので、鎌倉時代の古墓を琵琶の音で語った
盲目の僧の物語と結び付けられたものでしょうネ。
菊水から外れました。菊水紋は東シナ海の甑島に行くと、いくつか見られます。
| [6] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん からのコメント(2004年11月26日 12時40分28秒 ) |
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>菊水紋は東シナ海の甑島に
菊水紋と甑島ですか。
組み合わせが謎です。
東シナ海にも南朝方の武士が亡命したんでしょうかねえ。
足利義満の時代に南朝方の武士が捕らえられ偽って倭寇として中国に引き渡されて釜炒の刑に処されたと聞くので
やっぱり東シナ海にも落人として渡ったんでしょうかねえ。
それとも時代がもっと下がって元寇の時代に東シナ海に取り残された?移った?のでしょうか?
こういうお話はちゃんと記録されるといいなと願っています。
| [7] | ![]() | 布袋竹さん からのコメント(2004年11月27日 09時25分36秒 ) |
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| URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/ |
甑島は九州本土から40−60キロの西の、東シナ海に浮かぶ列島です。
大きく上・中・下の3つの島からなり、この中甑島・下甑島に菊水の紋があります。
各島の集落は数えるほどしかない島ですが、その半数以上に
平家のオチノヒト(落人)の伝説が残されています。
楠木正行は軍に殉死したとされているが、難を逃れて船で甑島に逃れてきたという
伝説が残っています。その墓と言われる供養塔もあり、正行の子孫として菊水の紋の
和田家があります。
楠木一族はこの正行の名前の付いた中甑の山だけでなく、下甑島にも逃れてきて
下甑島にも、武家屋敷町の中に菊水のついた家が残っているので、小川・島津氏の中で
うまく士族「郷士」で続いていたのでしょう・
島だけでなく、本土・国分方面にも、楠木正勝らが隠遁したと伝えられているそうです。
| [8] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん からのコメント(2004年11月28日 03時07分25秒 ) |
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布袋竹さん
ありがとうございました。
>正行の子孫として菊水の紋の和田家があります。
和田氏はもともと楠木氏と親戚だそうですからこれはすんなり理解出来ます。
源氏系池田氏は正行の末裔として菊水紋を使用だそうですから
なるほどと思いました。
南朝方の源氏系でしょうね。
| [9] | ![]() | 楠木正子さん からのコメント(2007年05月17日 09時25分43秒 ) |
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私の実家も菊水のご紋で子供の頃から、先祖は楠木正成だと聞かされていました。同じ菊水のご紋の方って先祖は親族?家族?え?
| [10] | ![]() | 楠木正子さん からのコメント(2007年05月17日 10時31分42秒 ) |
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元弘の乱は、天皇親政を目指した後醍醐天皇による鎌倉幕府執権北条氏討滅の戦いである。未然に発覚した正中の変(1324)の後も、天皇と北条氏の軋轢は日増しに強まり、たび重なる討幕計画に憤激した北条氏は武力で天皇を威圧する。これ耐えかねた天皇は元弘元年(1331)八月、京都を脱出して笠置山に向かう。元弘の乱の始まりである。この乱を契機にして、正成の名が頻繁に歴史に登場するようになる。
先にも述べたように、楠木氏は勢力を持つとはいえ所詮河内地方の土豪にすぎない。それにも拘らず笠置山に避難した天皇が頻りに正成を頼るようになるのである。『太平記』には、天皇が京都を脱出して東大寺から鷲峰山を経て笠置山に行在された時、南訶の夢により、「この辺に楠木と名乗る武士やある」と下問し、これにより正成は召し出されたことになっている。他方公家方の歴史書である『増鏡』には、勅命によって笠置山に集結した武士の中に正成の姿が見えたことで、天皇が安堵したという記述がある。楠木氏と関係の深い金剛寺や観心寺が歴代天皇の庇護が篤かったことを考えると、両者は以前より何らかの形で結びついていたと考えるほうが自然であろう。
この笠置山での出合いの時、天皇の眼にとまったであろう正成の軍旗が観心寺に保存されている。この族には「非利法権天」としたためられている。
非は利に勝つことあたわず
利は法に勝つことあたわず
法は権に勝つことあたわず
天は明にして私なし
あやまりやまちがいは利、すなわち力にはかなわない。この力も取り決めや法則によって執行できるものである。しかし、この法則は権力によってつくられるものであり、最高のものではない。天、すなわち真理の前においては権力も束の間のものでしかない。いつの時代でも天こそが私心なき平等な心なのである。つまり、真実に基づいて行動すれば、必ず至誠天に通ずるということであり、正成の信念を軍旗が象徴しているのである。
正成勢の参集にも拘らず、笠置山の攻防は幕府軍の勝利に終わる。天皇は捕われ隠岐に、同道した尊良親王は土佐、尊澄法親王は讃岐にとそれぞれ配流される。正成は護良親王と共に赤坂城を抜け出し、捲土重来を期して幕府軍の前から姿を消す。結果的に幕府軍の勝利に終わった笠置山の攻防であったが、正成の天皇方への参戦は重要な意味を持っていた。すなわち、それまで態度を保留し、形勢を観望していた、本来天皇方につくべき武士達に決起を促すことになったからである。正成の情勢判断の確かさが遺憾なく発揮されたのである。それは決して勢力の勝る方に靡いて時流に乗るという軽薄な判断ではない。忠孝の理想のもとに、歴史の流れを冷静な視点で見つめ、北条氏の前途を確固たる自信を持って見極めていたのである。そうした信念のもと、夥しい敵軍に包囲されながらも、孤立無援の奮闘した正成は大いに称えられてよいだろう
| [11] | ![]() | SAKURAさん からのコメント(2007年05月17日 10時50分18秒 ) |
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実家は長野県下伊那なのですが我家も女紋は菊水です。
楠木正成の家来の恩地左近の子孫だと伝えられています。
新宮という地名や川がありお天皇様などの祠お神明様など…山の名前や地名に落ち延びる前の故郷の地名が付いているようです。
あまり古い物は残ってはいませんが、仏壇には古そうな山伏が背負っていたような箱の中に入った仏像があります。
母は落ち延びた時に背負って来た物では無いかと言っています。
お寺には過去帖が残っているとは聞いていますが…我家独自のお寺があったのを離れた経過があり見た事はありません。
太平記で楠木正成が菊水の家紋をいただいたのを見て、両親から聞いていた事は本当だったんだとびっくりしました。
以後、地主であったり古城という小さい城の家老だったとも伝えられていて跡地も我家が管理しています。
我家のルーツを父にもっとよく聞いておくべきだったと思っている所です。
朝、テレビで菊水楼(奈良)が出てきて家紋を見たので検索していて偶然にも辿り着きました。
楠木正子さんのご先祖の家来だったかなぁ…??
| [12] | ![]() | mamboさん からのコメント(2008年01月09日 14時36分21秒 ) |
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和田氏の末裔の者です。
和田氏は楠木氏とは姻戚(親戚)関係となります。
和田とかいて「にぎた」と読みます。
私が父から聞いた我が家の祖先は正成(長兄)の弟、三男楠木正氏氏から連なるものと聞き伺っております。
正氏は三男坊という事もあり、和田氏へやられたんでしょうね、文献によって楠木正氏とかいてある場合と、和田正氏と書かれているもの、両方あります。
もちろん我が家の家紋は菊水紋となります。
ところでSAKURAさんの書き込みに非常に興味を持ちました。
女紋で菊水という事があるんですね?
女紋は母から娘、そしてそのまた娘へと継がれて行く紋なので、例えお父さんが菊水であっても、娘は母方の紋を継いで来たはずです。
また、恩地氏の家紋が菊水紋を使用しているという事も初耳です。
恩地氏は大阪府八尾市辺りの神主の出自であり、同地を統治していた名氏と考えられます。
おそらく楠木氏に仕えるまでは、楠木氏と同盟(対等)関係にあったのでは?と推測されます。(家格としては恩地氏の方が上と思われます)
そういった事を踏まえ考えた時、果たして恩地氏が菊水紋を使用するか?(歴史の古いお家柄だこそ、余計に自身の家紋を尊重するはずです、当時の通念で考えれば)という事です。
恩地氏が菊水紋を使用する事は楠木軍の一将として出陣時以外は考えにくいと思います。
しかし、確かに長野辺りには菊水と関係のある様な地名は沢山ありますね?
恩地氏の云々という事より、ご先祖が大楠公に肖って頂戴されたと考えられた方が現実的だと感じます。
| [13] | ![]() | Goさん からのコメント(2008年03月29日 18時26分11秒 ) |
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家のら家も菊水紋です。
苗字は城なんですが関係あるんですか??
子供の頃から楠木家と関係があるように聞かされています。
最近結婚が決まり気になったのでよろしくお願いします。
| [14] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん からのコメント(2008年03月30日 07時29分05秒 ) |
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Goさん
全く分りませんが
平家+南朝方の流れ
というのは思います。
御名字の城氏とは
古代の「城氏」=きし
または桓武平氏平貞盛の弟の繁盛子孫の「城氏」=じょうし
から来ているのでしょうか?
中古代の秋田城介は日本史上時々目にします。
九州では筑前・肥後に城氏がいらっしゃるそうです。
平家の城氏は歴史に出てきます(城助茂)。
ムカシ子供の時に「城」と書いて「たち」さんとおっしゃる家がありました。
多分三重県の館氏と関係があるのかなと思います。
やはり平家がらみでしょうね。
紋が菊水で家伝に南朝方のお話があるんでしたら
元は平家で南朝方だったということでしょうね。
名字や家紋は事情でしょっちゅう変わりますから
やはり御親戚の方の集まり(お正月とかお盆とか)で話題に出して
いろいろお訊きになったら良いと思いますよ。
| [15] | ![]() | ミケーレさん からのコメント(2008年10月06日 14時37分12秒 ) |
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うちの家紋は菊水で、名も楠です。本家は浄土真宗本願寺派の寺です。みなさんが言う様に、名・家紋は変わる事があるので、家系図でも残っていない限り判断は難しいでしょう。
| [16] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん からのコメント(2008年10月07日 02時26分43秒 ) |
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ミケーレさん
バリバリ「楠で菊水」ですかあ!
その上
浄土真宗でしょ。
反織田信長ですね〜
江戸時代はどうなさっていらっしゃったんでしょう?
実に興味があります。
ミケーレさんの御先祖さまもどこかの藩に「名家」ということでお抱えになってたんでしょうか?
>名・家紋は変わる事がある
それは確かですが
御先祖さまのことを誇りになさってください。
お祖父さまや伯父様方は軍隊でも良い扱いだったのでしょうね。
(足利出身者は住んでた所が足利というだけで殴られたなんて話ですよ)
そういうのも含めて楠家のアイデンティティなんですから
しっかり一族の皆様からお話をお聞きになってください。
もし明治維新で姓を名乗る時に楠姓や菊水紋を使用したとしても
そこには何かの理由があったはずですから
>>家系図でも残っていない限り判断は難しいでしょう。
なんてお思いにならないでください。
世間に胸を張って「うちは楠姓で菊水紋」とおっしゃってください。
笑
| [17] | ![]() | 案山子さんからのコメント(2008年10月27日 00時50分08秒 ) | パスワード |
私の実家の家紋も菊水です。
そういえば、浄土真宗でした。
父は香川出身で、姓は楠ではないのですが、先祖が平家の落人だと言ってました。
ここにカキコしている皆様と何か関係があるのかしら?
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