| [1] | ![]() | 今井俊一さん からのコメント(2004年11月02日 20時00分23秒 ) |
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私は今井俊一と申します
系図などは現存しておりませんが,伝聞によると粟津でなくなった四郎兼平の長男は大阪は忠岡町で名前を変えて,生き続けたとのことです。
私の先祖は次男で,四国に渡り,いったん徳島県は祖谷に移り住み,その後高知県に移って,私に続いているとのことです。
| [2] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん からのコメント(2004年11月03日 02時05分20秒 ) |
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10年ぐらい前徳音寺に行った時
九州系の今井さん御夫婦が来ていらっしゃいました。
昔は数えの17才ぐらいで長子が生まれてたりしますから
きっとたくさん男子を残していらっしゃったのでしょう。
| [3] | ![]() | 今井裕子さん からのコメント(2004年11月15日 10時45分43秒 ) |
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今井俊一さん、暇潰しのギャンブラーさん、返信どうもありがとうございました。
兼平さんは各地に子孫を残していらっしゃるみたいですね。
どんな私生活を送っていたのかを考える参考にもなりました。
ありがとうございました。
今井裕子
| [4] | ![]() | 今井○○さん からのコメント(2004年11月29日 15時54分22秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2004年12月01日 18時16分23秒
| [5] | ![]() | チェザリスさん からのコメント(2006年06月08日 10時41分31秒 ) |
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http://www.ff.e-mansion.com/~kyaro/kisokiso/kisokiso.html
http://www.ff.e-mansion.com/~kyaro/kisokiso/jinbutu/siten/imai.htm
こちらに結構詳しいです。
| [6] | ![]() | 今井豊和さん からのコメント(2007年01月08日 22時33分21秒 ) |
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私の家も今井四郎兼平の家系と聞きます。私自身は徳島出身なのですが、今井家子孫の家系は岐阜の高山に確かに存在します。
| [7] | ![]() | 今井拓也さん からのコメント(2007年06月23日 03時48分54秒 ) |
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| URL=http://http//www.imaiseikaku.co.jp |
私の家もそうです。余談ですが6年前滋賀で夜道に迷い細い路地に入り込んでしまい奇跡に近い偶然に兼平庵の前にいました。その時は夜で雨も降っていましたので一年後の10月頃お経を知ってる友人を連れて2人で供養をしていた時、厳かな衣を着たお坊さん2人と50人位の老若男女の団体さんが後から来て周りでお経を挙げ始めました。聞いてみたところお坊さん以外の全員が今井四郎兼平の子孫でした。そして毎年諏訪から10月のこの日に御参りにくるそうです。偶然に偶然が重なる、これは運命だったのでしょう。
ご先祖様も粋ないたずらをしてびっくりさせて下さったのでしょう。
| [8] | ![]() | 今井まおさん からのコメント(2007年12月18日 00時21分38秒 ) |
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私も叔父から今井四郎さんと関わりがあるときいたことがあります。しかし、皆さんと違い関東違い関東の埼玉秩父小鹿野です。埼玉にゆかりがあったのでしょうか?知りたいです。
| [9] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん からのコメント(2007年12月18日 12時52分30秒 ) |
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今井まおさん
埼玉なら「関係ありそう」ですね。
(わたくしは埼玉県は土地鑑がゼロなので良くあかりませんが)
まず木曾義仲の父の義賢は上野+北武蔵に勢力を張っていて
武蔵の豪族の秩父重隆の婿だった。
義賢は甥の義平に襲われて比企郡嵐山町の大蔵館で岳父の秩父重雄隆と共に殺された。
ただし木曾義仲の生母は遊女だったようですよ。
だから秩父重隆の娘じゃないみたい。
これで義仲は乳母の夫を頼って中原兼遠を頼って信濃国木曾で育った。
乳母子の1人が今井四郎。
義仲は武蔵まで進出したそうですから
当然今井四郎がお供したでしょうし。
ここの経緯は上横手雅敬の「院政期の源氏」で読めると良いですね。
それから埼玉の県の教育委員会の出してる資料から読めるかも。←県立図書館にあるかも
また埼玉の地元の歴史研究家からお話が聞けたら良いですね。
御先祖さまが日本史の中でも立派な日本男児の代表で
「男の中の男」だなんてステキですね。
御先祖さまを敬愛なさってお祀りなさるときっと幸せになれますよ。
| [10] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん からのコメント(2007年12月18日 23時43分19秒 ) |
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>(わたくしは埼玉県は土地鑑がゼロなので良くあかりませんが)
「あかりません」は「分りません」の入力ミスです。
決して風邪で鼻声というワケではありません。
笑
| [11] | ![]() | 日本の苗字七千傑さん からのコメント(2007年12月19日 21時39分32秒 ) |
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| URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/ |
今井まおさんへ
全国に今井の地名は夥しく多い。
有名な今井四郎兼平の末裔に結びつけたい気持ちはわかりますが、
ナンセンスと言わざるを得ません。
埼玉県域に限定しても、武蔵国埼玉郡今井邑、武蔵国児玉郡今井邑の二カ所があります。
貴殿の居住地からは児玉郡今井邑発祥の児玉党今井氏と思われます。
また信濃発祥の今井四郎兼平が居住したと伝えられる武蔵国都筑郡今井邑のように地名遷移の例もありますから、何らかの姻戚関係があったことも考えられます。
これから先は貴殿の地の利を生かして郷土史を研究すれば、思わぬ発見が得られる可能性もあります。
| [12] | ![]() | 今井信元さん からのコメント(2007年12月26日 21時36分16秒 ) |
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はじめまして。
今井信元とといいます。
現在は横浜に住んでおります。
家の近くには、今井兼平が作ったといわれている今井城跡(保土ヶ谷区)があります。
さて、自分の祖先も今井兼平の末裔といわれています。
ただ、祖母などの記憶などによると、我が家は江戸時代初めに長野県岡谷市今井(中央自動車道岡谷IC周辺)の地に根付いたといわれています。
興味あることは、木曾家とのつながりを意識してか結婚式際に羽織る着物に「丸に笹竜胆」を付けていました。
普段は、表家紋はとして「丸に井」を使っております。しかし、特別なこと画ある際には、裏家紋である「丸に笹竜胆」を使っております。
同じような慣習があるのならば教えてください。
また、自分が調べた限りでは、義仲が粟津で敗死後一族はばらばらになり、一部は長野県佐久から上野の国に逃れたたという記述をかなり前の文献で読んだ記憶があります。
そして、しばらくして長野の地に戻ったとも書いてありました。
どうも、我が一族はその流れらしい感じがします。
| [13] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん からのコメント(2007年12月26日 22時27分55秒 ) |
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今井信元さん
初めまして。
良いお話ですね。
| [14] | ![]() | 兼平英雄さん からのコメント(2008年09月18日 01時25分42秒 ) |
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兼平英雄といいます。自分の先祖は津軽藩の家臣らしいです。幕末に追いやられて落武者となり、青森県鰺ヶ沢周辺に部落を造って暮らしていたそうです。
今でもその末裔が暮らしているとか。
自分の実家は横須賀市ですが、鰺ヶ沢に親戚がいます。
今井四郎兼平との関連は・・・無きにしもあらず?!
| [15] | ![]() | 東京の今井さん からのコメント(2008年10月04日 22時15分53秒 ) |
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| URL=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95%E5%85%BC%E5%B9%B3 |
中学の歴史の授業で自分の先祖を調べるという課題のようなものがあったときに、父から先祖は木曾義仲の第一の家臣だと言われたのを最近になり思い出し、調べてみたところ「今井兼平」という名前にたどりつきました。
小学生のころなので記憶は曖昧ですが、父方の親戚を訪ねて飛騨高山の近くへ行った事があり、そのあたりには今井姓が大変おおく、地元の小学校の生徒のほとんどが今井さんだという話を聞いたのをおぼえています。
ちなみに父方の祖父は奈良県に住んでいましたが、元々は北海道の出身だったと思います。
関係はありそうでしょうか??
| [16] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん からのコメント(2008年10月04日 23時47分51秒 ) |
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東京の今井さん
日本人で今井兼平を嫌いな人って存在するでしょうか?
義経は毀誉褒貶・好き嫌い、分かれますが
今井兼平は男として否定する人がいるとは思えません。
世界共通かな?男道として完成してる人として。
>ちなみに父方の祖父は奈良県に住んでいましたが、元々は北海道の出身だったと思います。
ご存知のように明治維新後元士族がドッと北海道に移住しました。
知り合いの北海道の農家の人も元は岐阜の出身だと言ってました。
名古屋からも(幕末は名古屋も大変だったんですよ〜。尊王vs攘夷の争い)
1部の武士が北海道に移住しました。
ですから「元々北海道」というより「北海道に移住した」の方が妥当かと思います。
北海道は元々はアイヌの方々の土地ですから。
で、ここでちょっとしたアイデアを書きます。
明治の初めの御先祖さままで、御自分から遡ってお1人お1人、除籍謄本を取得なさってはいかがでしょう?
明治の初めに住んでた所、というのは江戸時代に住んでた所の可能性が絶大ですから
かなりのことが分ると思います。
もちろん関が原+大坂の役以降
その場所に定着を余儀なくされた
というのもありますが。
明治の初めに登録された本籍あたりに今もお住まいの今井さんが御本家かも。
>小学生のころなので記憶は曖昧ですが、
>父方の親戚を訪ねて飛騨高山の近くへ行った事があり、
>そのあたりには今井姓が大変おおく、地元の小学校の生徒のほとんどが今井さんだという話を聞いたのをおぼえています。
木曾義仲第一の侍大将でしたから
そりゃ正妻・側室・一夜かぎりの女性・その他・関係のあった女性達が多かったでしょう。
男子で言えば嫡男嫡流庶子庶流その他
また女子の流れでも
明治維新以降「今井姓」を称した家も多いでしょうしね。
それだけ「立派」な人物だったということですよ。
| [17] | ![]() | 今井 Rさん からのコメント(2008年11月20日 15時23分57秒 ) |
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こんにちは。
僕も今井四郎兼平の子孫です。現在は川崎に住んでいます。
僕の父方の祖父は群馬県甘楽郡の出身です。
僕の今井家は群馬県の名家録にのっていると叔父さんから聞きました。
記述内容は、僕の祖先の江戸時代の当主は甘楽郡総代名主を務め、今井市衛門何がしと名乗っていたようです。
そのせいか、明治生まれの僕の曽祖父(群馬出身)は今井市衛でした。
僕はどうやらその流れのようです。
| [18] | ![]() | 今井○○さん からのコメント(2008年11月25日 04時42分28秒 ) |
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幼いころから祖母に今井兼平の男児直系と言われて育ちました。
平安末期に兼平自害の報告を聞いた家族は、ご神木を持って群馬県勢多郡北橘村箱田へ落ちたと聞かされています。その後、兄弟間での相続争いで今井の姓は上箱田と下箱田に分裂。その後和解したもののご神木は下箱田の木曽三社神社へ遺品は上箱田の木曽神社へ祀りました。
明治28年・京都平安遷都1100年祭に祖父は他界していたため祖母が招待されて出席しております。その後、現在に至るまで北橘村上箱田に在住しておりますが、私も含めて名前に兼がついています。
また、20年前に火事により家計図と刀等の宝は焼けてしまい現存しておりません。唯一10000坪以上の土地が残っているだけです。
話は変わりますが、樋口兼光の子孫は新潟へ義仲の子孫は愛知へ落ちたと聞いております。
| [19] | ![]() | 暇潰しのギャンブラーさん からのコメント(2008年11月25日 06時18分40秒 ) |
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今井○○さん
家系図は
どなたかがコピーをお持ちと思いますよ。
上箱田系、下箱田系でどなたかがお持ちでしょうし
和解なさっていらっしゃるなら
更に親睦を高めたら
どなたかが写させてくださいますよ。
そうなると良いですね。
とりあえず間もなくのお正月とか来年のお盆とか
そういう機会に話題にお出しになれば
情報が頂けますよ。
我が家も50年ほど前にコピーしたモノをワタクシがコピーさせて貰い
今はコピーさせてくれた家に我が家のをコピーして送ることになっています。
笑
今はコピー機がありますから
何通かコピーして諸家に配っておいたら
有事の際、お互い、助け合うことになると思います。
| [20] | ![]() | 今井さん からのコメント(2008年12月04日 18時05分53秒 ) |
パスワード |
http://www.rr.iij4u.or.jp/~komao/yoshden_top.html
↑↑↑
今井兼平・木曾義仲について
ここのページに詳しく書いてあります。
| [21] | ![]() | ぴょんきちさん からのコメント(2009年01月02日 19時00分53秒 ) |
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僕も四郎兼平の末裔にあたります。長野、新潟、富山に今井の地名や朝日の地名が在るのが先祖との関連がある事が、皆さんのおかげで分かりました。兄の樋口兼光の子孫に、樋口兼継(直江兼継)がいます。NHK大河ドラマがたのしみです。
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