近藤栄次朗 シャベリン(アーツ) マイホームフォーラム
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 投稿番号:100341 投稿日:2002年07月31日 09時23分31秒  パスワード
 お名前:くみん
鋳物師阿保と関東御家人安保

コメントの種類 :書籍・文献
本人によりコメントは削除されました。 2003年01月15日 20時17分43秒
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[1]服部 明子さんからのコメント(2002年07月31日 09時29分27秒 ) パスワード
  

私が頼朝関係の本で読んだ時
石橋山の合戦で敗れた頼朝が安房国に渡り
世話になった漁師?に姓を与え
それが「安保」姓だったように記憶していますが
この出所が今以て見つかっていません。

世話になった漁師?はもう1人いて
そちらの姓は失念しています。

昔の私の知り合いに安保さんがいらっしゃるので記憶に残ってたという次第です。
その方は確か東北のご出身だったと思います。


このレス、私の思い違いだったら削除します。
[2]くみんさんからのコメント(2002年07月31日 09時45分48秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2003年01月15日 20時17分12秒
[3]川口 信さんからのコメント(2002年07月31日 12時33分42秒 ) パスワード
  

くみんさん 初めまして。
阿保姓について調べました。広島県御調郡向島町に多いみたいですね。隈さんのご先祖の地と関係しています。
 伊賀の阿保君、近江の阿保朝臣の後裔、丹党の武蔵の氏、など甲斐・上野・出羽の氏などがある。阿保肥前守忠実は高師直に属し、観応2年に甲斐の秋山新蔵人光政治と四条河原で戦ったという(太平記)。
今、太平記を読書中で何かわかりましたらお知らせします。

 ☆大田原家は、前三者(那須家・福原家・芦野家)とは違い那須一族ではありません。その祖は武蔵の武士団として知られる武蔵七党の一つ丹党であるといわれています。
 一般に丹党は宣化天皇の末裔である多治比(丹治比)姓であるとされていますが、『古代氏族系譜集成』では紀国造の末裔大丹生直(オオニウノアタイ)の後で、丹党の丹は丹治比氏を略したのではなく丹生氏を略した丹であるとしています。
 この丹党は武蔵の西北部、特に秩父郡に広がりました。その中でも特に勢力があったのは、新里丹三大夫恒房の子安保二郎実光より起こる安保氏です。実光は源頼朝の挙兵以来付き従い有力御家人となりました。
 那須七騎の大田原家・大関家はこの安保氏の後といわれています。しかしその祖忠清は『系図綜覧』所載の「武蔵七党系図」には名前がなく、そのつながりは曖昧です。...これで東北地方に安保姓が多いことが分かります。ちょっと気になったのが「こけし」関係でも安保の名が出てきます。

 http://opac.yokohama-cu.ac.jp/kichosho/ko-2.html
 
 上記HPには「安保文書総目録」が記載されており。安保姓を名乗った人物名が数多く記載されています。足利関係に多くあります。北畠関係は南朝方ですのでこの関係から安保姓が出てくるのかも知れません。 
[4]くみんさんからのコメント(2002年07月31日 13時35分54秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2003年01月15日 20時18分58秒
[5]川口 信さんからのコメント(2002年07月31日 16時26分56秒 ) パスワード
  

 丹党の安保氏の家紋はカタバミ紋で貴安保家とは違っておりましたが無碍に違うともいえないようです。
 
 「鋳物師 由来」で検索したところ下記のようなHPの文章がありました。

[“中山丹治武信”
 武信が鋳銭司だったかどうかは存じません。もし分ればお教え下さいね!
 ですが、武信は配流されたとはいえ、東国の要衛の地に行ったわけで、確か阿保親王が大宰府へ流された時は隼人?を押える役割も担ったかもしれず、その子の在原業平が東国へ配置された折には、藤原を押えよと命じられていたので、武信も何か軍事に関る重要な役を密かに?命じられていたのかもしれませんね。阿保親王系統も鋳師と関り深いようですし。尚、800〜900年と云えば、刀剣鍛冶の技術が完成し、名刀工が続出した時期だそうで、後の平将門や藤原純友、藤原秀郷等とも、ここで丹治氏は関る?基礎が出来たのかもしれません。私としては武信さんは、時代から見ると、武具生産に関っていたか、或いは銅や鉄等の鉱物産地を秩父で押えたような気がしております。]

 私には分からないのですが参考までに。阿保親王の系統も当たると良いみたいですね。
[6]くみんさんからのコメント(2002年07月31日 18時56分50秒 )
  

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[7]くみんさんからのコメント(2002年08月01日 12時14分52秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2003年01月15日 20時20分02秒
[8]さんからのコメント(2002年08月01日 15時06分52秒 ) パスワード
  

くみんさん、どうも初めまして。

川口さんが書いておられるように、
広島県御調郡向島の先祖・服部家のルーツを調べている隈です。

そう、向島には今も安保さんがたくさん居るようですよ。

そして実は、私の「ひいひいおじいちゃん」、服部賢助の母親も、安保家出身だったそうです!
またまた平熱名物、繋がる繋がる!
しかも、うちの先祖と同じ茗荷紋なのですか。。。

もうここまで来ると、単なる偶然ではありませんね。ご先祖様のお導き。


そんな訳で、私も安保氏の出自のことは気になっています。

向島の郷土史料では、向島の安保氏は武蔵丹党の安保一族であると書かれています。
頼朝の重臣で武功を挙げたが、数十代を経て浪人、向島に定住したと。
でも、どういう経緯で遥か関東から流れてきたのか書かれていない。

実際は阿保親王系統で、伊賀・伊勢から流れてきたんじゃないの?と思ったりするのですけど。

もし、どなたか向島の安保氏の出自についてご存知でしたら、お知らせ下さい。m(_ _)m


現在、三重県では久居市の辺りに多いみたいですね。
[9]くみんさんからのコメント(2002年08月02日 10時14分14秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2003年01月15日 20時20分20秒
[10]さんからのコメント(2002年08月02日 17時12分32秒 ) パスワード
  

くみんさん

ありがとうございます。

意外と三重県には多くないのですね。
しかしそれにしても、どうして向島にこんなにたくさん??
不思議ですね。

向島にたどり着いた経緯が、
どこかに(郷土史料等)書かれていたらいいのになぁと思います。
[11]くみんさんからのコメント(2002年08月02日 18時11分52秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2003年01月15日 20時20分34秒
[12]くみんさんからのコメント(2002年08月02日 18時29分14秒 ) パスワード
  

平安時代は武蔵国郡司(伊賀国よりで出向く)
鎌倉時代は北条御家人。
南北朝時代は北畠伊勢国司の配下。
 *安保城は三重県丹生村にあり丹生神社もある(空海ライン)
室町時代は後北条の武将。
 *北条早雲は伊勢氏。もしくは浮浪侍ともいわれていますよね。
職豊時代は守護大名北畠氏の重臣。
江戸時代は藤堂家お抱え鋳物師(私の先祖)

平氏、南朝、落人、そして昭和13年の「北畠奉賛会」という結社の一員。
この結社は堀口蘇山なる人物が主宰。明治天皇が南朝を正式とした後な
ので、堂々と過去を辿った人たちなのか、右翼結社なのか?
キーワードは、
鋳物師ネットワークと武蔵・伊勢国。
鋳物師が芸能民からセン民化し、そして武器作り一族になったものと、
武将になったものと、落人になったもの。
[13]川口 信さんからのコメント(2002年08月02日 18時53分01秒 ) パスワード
  

北畠家臣団の名前にも安保氏の名前を見出せます。安保若狭守(三枝氏)、安保大蔵大夫(三枝大江氏)側用人頭・多芸住人などがあります。これによると三枝大江氏となっておりますが。

これは検索出見つけたbbsのコメントですが。安保さんの関係することなのではないでしょうか。
 
 ☆明治23年の前の戸籍は、伊勢国奄芸郡中山村(現、三重県津市。藤堂津藩)です。藤堂藩お抱え鋳物師の家系であったようです。

 たしか東京の人だったみたいで(女性)の名前でコメントしていました。江戸時代の屋敷の絵図で探していましたが。
[14]くみんさんからのコメント(2002年08月02日 19時18分11秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2003年01月15日 20時20分57秒
[15]くみんさんからのコメント(2002年08月02日 19時26分48秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2003年01月15日 20時21分12秒
[16]川口 信さんからのコメント(2002年08月02日 20時55分57秒 ) パスワード
  

別に徳川家康公の事を調べている訳ではないのですが、川口家の事について調べていたらたどり着いたものです。ジオシティズの方は広告塔のようなもので本物の方はヤフーの検索にも掲載されました。皆様のおかげと感謝もうしあげます。「川口」「華陽院殿」「華陽院殿とその周辺」でもいずれでも検索OKになりました。更新しようともパソコンが壊れており、古い'98を引っ張り出して使っております。

 くみんさんのご紹介の堺:南宗寺についてのHPがありました。

 http://www.hannan-u.ac.jp/~ida/1615.htm

 家康公のお墓ばかりでなく千利休の供養塔もあるそうですね。これからゆっくりと読んでみます。

 
[17]くみんさんからのコメント(2002年08月07日 21時38分35秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2003年01月15日 20時21分23秒
[18]安保さんからのコメント(2002年08月31日 02時36分42秒 ) パスワード
  

はじめましてこんにちは 私は安保(あぼ)と申します。三重県の津市が出身です。
祖父と父は隣の美里村というところにすんでいました。そこには現在、数軒しか安保さんはありません。私の祖父が長男で、その兄弟が周辺に住んでいたようです。おそらく祖父の何代前かは不明ですが、何処かから移り住んだものと思われます。
父親やおばさんたちの話では、「その昔は鉄砲鍛冶をしていた」とよく聞いたとのことです。
全然調べてもないので、この程度しかわかりませんが、最近になって急に、自分の姓に興味が湧いてきて、これから調べていきたいと思っています。
この地方で安保さんが多いのは、一志郡嬉野町というところです。何件あるかこれから調べます。私の出身地津市は10数件だったとおもいます。
[19]服部 明子さんからのコメント(2002年09月01日 03時57分44秒 ) パスワード
  

阿保さん

初めまして。
服部氏の記録にも「矢筈車は服部氏」という箇所に
阿保という村にも服部氏が住んでたというのが記録されています。

現在のどこに相当するのか分かりませんが
昔の地図を見る機会があれば載っているのではと思います。

多分そこが阿保さんのご先祖さまのいらっしゃった最初の所だと思います。

もし分かりましたらまたお知らせ下さいね。
[20]あぼうさんからのコメント(2002年09月10日 18時16分22秒 ) パスワード
  

始めまして

自分も安保(あぼう)といいます。
自分の出身は、岐阜県中津川市です。
おじさんがたしか福岡町にいて、近くの神社に行ったときに
たくさんの安保姓の名前が神社の石に彫ってあったのを
覚えています.
先祖のことは、あまりわからないんですが江戸時代の先祖は、
農民だったとのことです.
家紋は藤が入ってたと思います.
岐阜の安保姓は、やっぱり三重からきたものなのでしょうか?
[21]服部 明子さんからのコメント(2002年09月12日 06時44分12秒 ) パスワード
  

はじめまして。

岐阜の中津川ですと信濃に近いですね。
三重県出身としたら南北朝の戦いの頃に信濃国浪合村まで戦いに行って
そこに定着したのでしょうか?

詳しく分かったらまたお知らせ下さいね。
[22]うきえさんからのコメント(2002年11月18日 22時53分23秒 ) パスワード
  

阿保は伊賀の大族ですよね。
[23]川口 信さんからのコメント(2002年11月26日 08時20分51秒 ) パスワード
  

三、四日前の新聞に史跡歩記というコーナーに安保氏関係のある金讚神社(かなさなじんじゃ・埼玉県神川町)という記事が出ておりました。

 金讚神社は氷川神社(さいたま市)に次ぐ二の宮と称された古宮である。駐車場前にある多宝塔は天文3(1534)年、武蔵七党の一つ丹党の阿保(安保)弾正金隆が寄進したもの。関東では珍しい大変立派なもので、国の重要文化財に指定されている。金讚神社には本殿がなく、御室山を神奈備(神体山)として祀る社。このため同社は拝殿のみを設けている。景行天皇の41年、日本武尊が東征凱旋の時、おばの倭姫命(やまとひめ命)から賜った火打ち石を御霊代(みたましろ)として御室山に鎮座し、天照大神・素盞嗚尊を祀ったのが創立とされている。本殿はなく拝殿だけという官・国幣社は信濃の諏訪大社と大和の大神神社(オオミワ神社)とこの金鑽神社の3社だけの珍しいものである。

 「カナサナ」というのは金砂の義であり、製鉄にちなむ地名である。近くからは鉄銅が採鉱されたことから、これを産する山を神として祀っている。付近には金屋という採掘・製鉄集団に関係している集落があり、この祭祀集団(おそらくは渡来氏族)によって祭祀されていたと思われる。
 丹党の分布は秩父・児玉両郡を根拠として入間・大里諸郡より上野・信濃に及び 広く全国に有り、丹党の主な氏に「中村・小鹿野・薄・勅使河原・安保・高麗・加治・中山・判乃・井戸・大河原」等がおり全部では この氏族を合わせまして四十五家がありますが、この四十五家は一部のようです。
 播磨国には守護職は安保実員(丹党)、下河辺行平(秀郷流)地頭職は三方西荘 大河原時基 三方荘 安保信員 西志方郷 安保光泰がおりました。大河原の名は二つあり、一つは飯能(高麗の側)で児玉党(平系)もう一つは秩父の方です。

これは別の話ですが、服部氏は伊賀国にいて、伊賀国一宮の敢国(あえくに)神社を祀り、黒人(くろうど)祭を主催していた。これは動かし難い伝承としてある。全身これ黒づくめの衣装で祭をするという。
 敢国神社の祭神は少彦名命・金山比女命であるという。服部氏以前この神社を祀っていたのが伊賀国にいた敢・饗・閉氏あるいは阿保・阿部氏ではないかといわれる。饗氏は膳(かしわで)氏と同様、食膳の贄物を司った一族ではなかったか。などの説もあります。

[24]服部 明子さんからのコメント(2002年11月26日 10時25分25秒 ) パスワード
  

武蔵国が出て来ましたか・・・
なかなかややこしいモノですね。

[25]世良 康雄さんからのコメント(2019年12月02日 03時46分09秒 ) パスワード

 三方庄 宍粟市一宮町生栖梶原大歳神社出生の私父世良英雄神戸市西区秋葉台の西警察署児童指導委員ですが、父故郷や神戸市西区押部谷町に安保氏子孫は存在するでしょうか?

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