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| [1] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月16日 23時06分00秒 ) | パスワード |
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[131]
さちこさんからのコメント(2002年07月16日 20時29分28秒 )
E-mail=sachiko-hattori@mpd.biglobe.ne.jp
大志万さん
はじめまして。
めずらしい名字ですね。
今別のスレッドで古事記に関った秦氏系の多氏についての話題があります。
オオシですが、大志万さん何かかかわりがあるのでは?
このスレッドは本当に千客万来ですね。そりちゃんさん。
今から出かけますのまた明日にでもコメント入れさせていただきますので
よろしくお願いします。
| [2] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月16日 23時27分20秒 ) | パスワード |
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大志万さん
初めまして。
ようこそ。
<私市>
有名なところでは武蔵7党の1つでしたから
東国が発祥の地ということで
そちらから福知山+綾部の方に移動したのじゃないか、と思いますが
足利尊氏で福知山というのも何かあったようにも記憶にあります。
大志万姓とは珍しいですね。
地名にあれば簡単ですが?
拝領でしたら
足利尊氏関係を読んでいれば何か書かれているかも知れませんね。
足利尊氏に従って東国から移住して来たのでしょうか?
揚羽蝶柄は奈良時代から盛んに使われて来た日本的な紋だそうで
平安時代には武士によって使用されたそうです。
一応平氏が揚羽蝶紋で有名ですが
源氏でも藤原氏でも三善氏でも大江氏でも高階氏でも菅原氏でも使用しています。
たぶん元々武士の家系なのでは?と思います。
| [3] | ![]() | 大志万(おおしまん)さんからのコメント(2002年07月17日 02時25分23秒 ) | パスワード |
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各方面からのご回答、誠に感謝であります。
皆様の深い見識に、大変、感動致します。
また、ご指導をよろしくお願い致します。
●さちこさん
どうも、はじめまして。多氏についてのご返答、ありがとうございました。
意外なアプローチに、大変、驚いております。
さちこさんのご指摘を基に、一度、小生の親戚をはじめ、
足元から調査を開始したいと思います。また、よろしくお願い致します。
●そりちゃんさん
どうも、はじめまして。ルーツへのアドバイス、ありがとうございました。
「何にも変えられない資産だと思います」の言葉には、目頭が熱くなりました。
拙族も、歴史観の世代交代が始まっており、身近な歴史は、
周囲の他界と共に、だんだんと消えていく今日この頃でもあります。
そりちゃんさんのスレッドに出会えたことを、大変感謝しております。
また、よろしくお願いします。
●服部 明子さん
はじめまして。色々とよろしくお願いします。
小生のために新たにスレッドを作成して頂き、大変恐縮であります。
(先ほど、気がつきました。すみません)
私市の件、これまた、意外な発見でした。
足利尊氏の件、福知山というのもあったのも意外でした。
大志万という姓は、そんなに古いものではなくて、
戦国時代に「大嶋(おおしま)」から「大志万(おおしまん)」に変わったと祖父から聞きました。
しかし、なぜ変わったかは、よくわからないということでした。
(現在の大志万家一同は、変わった姓で周囲から、まともに読まれないため、
4月などの人事異動や学校のクラス替え等の時期は、大変苦労しています)
揚羽蝶紋の由来、奈良時代から使用されていたとはびっくりしました。
しかも、源氏・藤原氏・三善氏・大江氏・高階氏・菅原氏でも使用されているとは、
ダブルにびっくりしました。
確か、前に叔父が「大志万家は、平氏でもあり、源氏でもある」ということを言っていたのを思い出しました。(でも、根拠が分かりませんが・・・)
武士の家系というのは、さかのぼれば、皇族や公家とは、一応、
血縁関係と捉えることができるのでしょうか?
例えば、明子さんのように「服部家」のようにです。
また、よろしくご指導のほど、お願いします。
| [4] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月17日 05時46分47秒 ) | パスワード |
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>前に叔父が「大志万家は、平氏でもあり、源氏でもある」ということを言っていた
そうなのですよ。
日本の家はいろいろな意味で平氏でもあり源氏でもあるという複雑な事情があったのです。
婚姻や婿入りで変わったり利害関係で変わったり
大志万さんのお宅もいろいろ事情があったのだと思います。
元々関東と言いますか坂東は「平氏+源氏+藤原氏+武蔵7党」のバッコする土地でした。
それこそ武士の世界でした。
坂東平氏でも源頼義や義家親子の時代に家来となって東北地方へ攻め入ったり
源頼朝の治承の挙兵の後、平家によって冷や飯を喰わされていた坂東平氏は
遅かれ早かれ頼朝に従いました。
その後の足利尊氏にも従ったでしょうから当然<源氏方>だったと思います。
お家に足利尊氏がらみの伝承があるのでしたら
やはり元々は関東のご出身だったのでは?
多分「坂東8平氏の1つ」が「源氏方」になったお家だと思います。
この<方>というのが取れて単純に<源氏>と言い伝えて混乱したのでは?と思います。
大島姓は源氏がらみで確かにいろいろあるようですよ。
源義家の子孫義国の流れ
源義光の末
経基の6男の満快の末
その他
信濃国諏訪神社の1派の神家(みわけ)からも大島姓が出てるそうです。
中国は姓もそのまま守りますし紋も1つだけを守りますけど
日本は姓が簡単に変わりますし紋も替えます。
何かの事情で「大島」姓が「おおしまん」になったのでしょうけど
足利尊氏公が「大きな志が万もある武士だな」と武勇を誉めたのかも知れません。
姓って勝手に名乗りたくても周りが認めなくては意味が無いので
これまで伝わって来たという事はそれなりに周りの人も認めて来たという事ですから
誇りになさったら良いのですよ。
| [5] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月17日 12時48分54秒 ) | パスワード |
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なぁ〜んか気になるので足利尊氏と福知山の関係を調べて来ました:
尊氏は後醍醐天皇の呼び掛けで丹波で突如反幕の挙兵を興し六波羅探題を襲ったのです。
それで尊氏と福知山の関係を調べました。
つまり尊氏のママ・上杉清子の実家の「上杉家」の本貫地が丹波国上杉荘だったのです。
上杉さんは観修寺系藤原氏で庶流だった。
そして福知山というよりは現在の綾部市がポイントのようですね。
ここに安国寺があります。
歴史上の人物「足利尊氏」が生まれたお寺。
現在も尊氏が生まれた時に使われたとされる「産湯の井戸」が残っており
尊氏・尊氏の妻「登子」・尊氏の母「清子」三人の墓「宝篋印塔」もあります。
これでなんとなく浮かんで来ませんか?
私市という地名がどうして丹波にあるのか?
私市は普通名詞なのか固有名詞なのか?固有名詞なら坂東からでしょう。
普通名詞なら、どこにでも「私市」は存在した。大志万氏は元々丹波の一族?
大志万さんのご先祖さまと足利尊氏の関係は私が思ってたよりもうちょっと古いのかも
そして絆はもっと深いのかも
ですね。
尊氏のママの方で繋がってたのかも、ですね。
もう少しで全容が出て来そうな感じ。
大志万家のホンヤさんに問い合わせては?
これだけ基礎知識があれば教えてくださいますよ。
全く知らないで出掛けてはホンヤさんも引くでしょうけど。
勇気を出して問い合わせてみてはいかがでしょう?
| [6] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月17日 12時50分19秒 ) | パスワード |
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世の中、服部家本家のホンヤさんみたいには寛大じゃないかも、ですね>さちこさん
| [7] | ![]() | さちこさんからのコメント(2002年07月17日 22時54分29秒 ) | パスワード |
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う〜ん。私は服部家のホンヤさんしか知らないのでなんとも言えませんが。
寛大なのは確かです。
元は同じ服部同士、わしの嫁さんも同然だがね。
いつでも遊びにきてちょ〜。
とおっしゃてます。どういう発想?
大志万さんを検索していたら、
大志万明子の発声講座。なんてでてきて大笑い。
大志万さん
綾部、福知山近辺は秦氏フェロモンがプンプンしてます。
綾部駅の由来にアヤハトリのことが書いてあるぐらいですから。
近辺の地名も秦氏伊賀と関連ありそうです。
福知山、大江。福地氏、大江氏は伊賀の一族です。
鍛冶氏、物部、烏岳・・・。秦氏ぽい。
ご親戚が元伊勢の宮司さんをなさってるのですか?
秦さんこれはすごいですよね!
元伊勢には色々怪しい話が・・・?
曹洞宗ですか。うちと同じです。
長禅寺といいます。似てますね。
| [8] | ![]() | 大志万(おおしまん)さんからのコメント(2002年07月18日 02時02分31秒 ) | パスワード |
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●服部 明子さん
博識なるご教示、誠にありがとうございました。
小生の家族一同、明子さんのご見解に仰天いたしました。
祖父母は、あまり歴史に関心がなかったそうで、小生の質問に窮しておりました。
そもそも、お恥ずかしい限りで、拙家の名前の由来ひとつみても、
足利尊氏公の時代と戦国時代のずれがあるほど、いい加減な把握の仕方でした。
とりあえず、「一度、大志万本家より、話を聞いておく必要がある」という見解で一致しました。
今夏、小生が中心となって「いとこ会議」を開催します。そこで、ご指導して頂いた内容を親族に話し合いたいと思います。
そして、明子さんの御資料を基に、一度本家に行って聞いてみたいと思います。
幸い、本家と祖父母と仲が良くて、私も個人的に本家の当代と年賀状をやり取りする間柄であります。
よく知る間柄ですが、お会いすると、いつも、近況ばかりの身の上話で終始しておりました。
そして、今まで、先祖の話をしたことはありませんでした。
さて、祖父から、また別の話を聞きました。
大志万家が私市に住み着く前、福知山の隣にある氷上(現・兵庫県氷上郡)にいたらしいです。
そこで、私市いたある豪族を滅ぼして、そして私市に住みついたらしいです。(いつの話か知りませんが…)
ところが、別の豪族・赤井悪右衛門(兵庫県の豪族)に戦で敗れて、領地を取られて、家来に従属(帰農)させられたと聞きました。
信憑性はわかりませんが、このように聞きました。
本日、偶然にも、福知山市史のHPで、以下のものを発見しました。
大変、驚きであります(親族も、知りませんでした)。
かなりマイナーな文献ですが、一度、原物を確認してみたいと思います。
あまり確定したことが述べられていないかと思いますが…。
http://www2.ocn.ne.jp/~fukuchi/sidannkai/kaihou/kaihou.htm
会報「ふくち山」63号(昭和32年 9月)
『赤井悪右衛門の伝記巻物』芦田 完
会報「ふくち山」124号(昭和37年 7月)
『私市の大志万氏由来書』芦田 完
会報「ふくち山」128号(昭和37年11月)
『大志万家文書拾遺』芦田 完
この論稿と明子さんの話が、一致してくる可能性が大きいことかと思います。
また、よろしくご指導のほどお願い致します。
追記:よく分かりませんが、ここのHPに出会ってから、小生の内なる部分、
つまり、今まで小生の中に眠っていた何かが騒ぎ出すのを感じます。
昨日も、偶然に位牌の写しを見ていたら、大志万本家より隠居した「一閑宗牧」
(大志万治左衛門<享保3年7月16日>・現在の小生家の分家先祖)の命日(285周忌?!)でした。
この事実も、偶然発見したものであり、親族誰一人知りませんでした。
気のせいかもしれませんが、とにかく、ここ2〜3日、色々と不思議なことが続いています。
●さちこさん
秦氏との関係、ありがとうございました。
またまた、びっくりしました。
小生の母の実家が綾部市であり、綾部駅にはよく行きます。
アヤハトリのことも、全く知りませんでした。
伊賀一族や秦氏など、色々と繋がっているのですね。
小生は、行ったことありませんが、確かに、本家の伯父様が、
元伊勢(もといせ)の宮司をしていると言っておりました。
まあ、ビジネスだと思います(笑)。
神主の免許を所持しているので、今も、多分勤めているかと思います。
もし来られる際には、小生に言って頂ければと思います。
伯父様にお伝えしておきます。
しかしながら、サービスできるかどうかわかりませんが(笑)。
ところで、検索で拙宅の苗字をしてくださり、ありがとうございます。
大変、恐縮です。引っかかってくる名前の大半の者は、小生の親戚の者です。
某大学地震研究科にいる叔父様や甲子園に出た者など、身近な繋がりです。
大志万明子様も有名ですが、どこの分家か小生はわかりかねます。
しかし最低なのは、たまに事件で検挙されている者がいるので、この場合、一族はかなり迷惑をしております。
当人とは、ぜんぜんお会いしたことがなく、小生の家との繋がりもわからないのですが、姓が同じのため、
周囲からは同一に考えられます。そういう場合は、いつもなぜか謝罪しています。
「うちの遠い親戚が、ご迷惑をおかけしました」と。
こういう場合、本当に全く関係ないけれども、周囲には恥ずかしいですし、迷惑千万であります。
さて、さちこさんとは、曹洞宗の繋がりですね(笑)。
うちの菩提寺の長圓寺は、昔は、違う宗派であったと親戚の叔父より聞きました。
それが、いつの間にか、曹洞宗になったそうです。
福井の永平寺にも近いからでしょうか?
また、現在、小生の家は、複数の宗教があって困っています。
お祈りの間には、曹洞宗や神道など色々あります。
ある宗教の行事のたびに、よくわからないまま、お金を払っております。
檀家でもあり、氏子でもある当家の宗教観に、改めて奇怪さを感じます。
(親族も、神仏習合という感じです。)
また、よろしくご指導のほどお願い致します。
| [9] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月18日 02時37分53秒 ) | パスワード |
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大志万さん
上記
見に行きましたが目次を読むだけでも凄い量ですね。
赤井氏についてですが
丹波氷上郡赤井村発祥の赤井氏は清和源氏頼季流。
丹後の赤井氏はこの末。
その他にも数流れ、
とあります。
福知山市教育委員会または図書館でこの資料を読ませていただいてはいかがでしょう。
コピーをお願いすればしてくれると思いますよ。
大志万家ホンヤさんに是非お話をお聞きになって下さい。
かなりのお家だと思いますよ。
宗教にしてもご先祖を大切になさった結果がいろいろなお祭りを今でも継承なさった
という事です。
ね、ここのサイトってホントにオカルトかかってるでしょ?!
もっと詳しく調べて行きますと向こうから情報がドンドンやって来ますよ。
テレビや新聞でも大志万家に関する情報が出ますし。
珍しい名字ですと新聞に名前が出ますと同じ名字ですから恥ずかしいですけど
そういう人は昔の武士の時代の性格がモロに出たのだと思って下さい。
なにせ武士というのは人を殺してナンボの世界の人間です。
私の先祖でも親を亡くした身内の平将門の土地を一族で寄ってたかって奪ったそうなので
最近の遺産相続問題や保険金殺人などを見ますと50歩100歩あんまり変わらない
と思ってます。
氷上という名前は日本の古代史に出て来ますから
もともと福知山のあたりに大昔から土着してた豪族だったかも
ですね。
力関係であっちに行ったりこっちに押されたりはたまた追い出したり。
ホントだんだん大志万家の過去が見えて来ましたね。
| [10] | ![]() | さちこさんからのコメント(2002年07月19日 00時29分04秒 ) | パスワード |
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秦氏がらみでごめんなさい。
元伊勢と、元伊勢神宮は違うのですね。
丹後なので同じだと思ってました。
元伊勢はなにかと取り上げられます。
マナイ神社がともにあって六ボウ星が刻まれているらしいですね。
篭神社でしたっけ?篭目=ダビデの星なのでしょうか?
とんでも説はとりあえずぬきにして、
この地は秦氏にゆかりがあるのは間違いないと思います。
烏ヶ岳でしたね、
この山を中心として何らかの信仰が行われていたのは地名からして間違いないです。
丹後は聖徳太子の母、穴穂部間人ともゆかりが深いそうです。
秦さんの説の、
秦氏渡来日本海ルート、瀬戸内ルート。
地図を見ると京都太秦でつながります。
なるほどと思いました。(このへんはまた詳しく)
新羅の王子天日矛とアルカヒメ
こういうロマンがあったのか?
簡単に言えば瀬戸内ルートで来た秦氏と、
日本海ルートで来た秦氏の伝承では?
つまり別々に渡来したものの元は同じ一族でこの地でめぐり合えた。
*新羅の王子天日矛。
日本に行ったアルカヒメを探し日本に行ったがめぐり合えなっかた。
確かにこの地は不思議です。
大志万様御協力お願いします。
| [11] | ![]() | 大志万(おおしまん)さんからのコメント(2002年07月19日 10時12分34秒 ) | パスワード |
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●服部 明子さん
色々とありがとうございます。
赤井氏の清和源氏頼季流について、大変びっくりしました。
ただの悪右衛門では、なかったのですね。
また、本日も祖父と話をしておりました。
教えて頂いたご見解を話したところ、祖父もびっくり仰天でした!
祖父と孫(小生)の会話が弾んだのも、久しぶりのことです。
資料についても、どこで入手したら良いかわからなかったので、
大変、助かりました。一度、トライしてみます。
宗教においても、拙宅には複数あって、その芯のない祭り方に疑問と憤りを感じておりました。
しかし、今回の明子さんのご指摘に、はっとしました。
自分の考えが、恥ずかしく思えてきました。
ここのサイトは、確かにオカルトです(笑)。
小生は、いつも科学的な観点からしか信じない人間でした。
まあ、今でもそうですが、とにかく、このHP(具体的には、明子さんやさちこさんの皆様)
に出会ってから不思議な御縁と力を感じます。
ご指導に、いつも感謝しております。
また、よろしくお願い致します。
●さちこさん
色々とありがとうございます。
毎日、毎日が勉強であります。
>元伊勢と、元伊勢神宮は違うのですね。
>丹後なので同じだと思ってました。
すみません。小生の勉強不足で、2つの違いを知りません。
でも、親族が勤めている方は、多分、大江町にある元伊勢神宮の方だと思います。
その他、詳しい由来など、本当に知りませんでした。
秦氏とは、本当にゆかりの深い地域なのですね。
聖徳太子の母(穴穂部間人)も驚きです。
>瀬戸内ルートで来た秦氏と、日本海ルートで来た秦氏の伝承として、
>別々に渡来したものの元は同じ一族でこの地でめぐり合えたということ。
不思議な繋がりですね。ロマンを感じます。
はっきり言って、京都府北部は、ずばり「何もない田舎」という
イメージでしかなかったですが、お話を聞いて見方が変わりました。
(「大江山、鬼も逃げる田舎町(いなかまち)!」と馬鹿にしておりましたが反省しております。
しかし、このあたりの人柄は、みんな親切で、確かに良い人たちです。)
>大志万様御協力お願いします。
とんでもないです。こちらこそ、よろしくお願い致します。
| [12] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月19日 12時02分02秒 ) | パスワード |
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私は土地鑑が無いのでよく分かりませんが
そもそも福知山とか綾部という土地近辺は日本史の古くからの重要な場所だったのです。
私市とか氷上とか土地の名前から古さを感じます。天平時代とか奈良時代です。
土地の名前の由来が分からないのでなんともハッキリしませんが
<兵庫県氷上・氷上姓>
氷上というのも土地名が先にあったのか良く分かりませんが
姓の氷上というのは天武天皇の孫の塩焼王が758年に賜わった姓です。
塩焼王とその子孫達といいますか
氷上一族の不幸は
塩焼王の妻が聖武天皇の娘であった為
つまり彼女は天武天皇から聖武天皇への正統な流れですから
そうではない桓武天皇が平安京を建てる前の、日本史が平安時代を迎える前の、
産みの苦しみの犠牲者だったと思います。
うまく表現出来ません。
日本史の暗黒部分なのですから。
歴史は勝者の記録しか残りませんから
冤罪だったのかどうか
そこに丹波であちこちしてた大志万家が関わってるのかもです。
もしかすると元々おおしま姓を万葉仮名で「大志万」と書いてたのかもですよ。
それから普通の漢字表記の「大島」に変え
再び「大志万」に戻したのかも。
平安京遷都のいろいろな闇の部分は
天武天皇や聖武天皇の系統ではない桓武天皇のサイギ心から起きています。
この桓武天皇を経済的に支えたのが秦氏になります。
ですからさちこさん達がオカルトかかって当然なのです。
何か感じてる筈です。
大志万家は元々丹波の豪族だったのか?
東国から移って来たのか?
ここが分かると面白いです。
大志万家が日本史に深く関わってたというのはかなり古くからだったと思う私の勘は
どうでしょうねぇ?
| [13] | ![]() | そりちゃんさんからのコメント(2002年07月19日 16時56分35秒 ) | パスワード |
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大志万さん、HPにカキコミありがとうございました〜!
第一号ですよ、本当に嬉しい!
日本家系図学会会長の丹羽基二さんによると、
姓の漢字を縁起を担いで佳字に変えることはよくあったそうです。
<大志万家は元々丹波の豪族だったのか?
<東国から移って来たのか?
<ここが分かると面白いです。
本当にわかるといいですね。
でも、絶対大志万さんの家にはなにかありますよ!
だって、ずっと語り継いできているし、「何か」が
あったから子孫にご先祖は伝えたかったのかも。
表舞台から消されてしまったとか、ね。
| [14] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月20日 00時59分04秒 ) | パスワード |
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ちなみに
桓武天皇は天智天皇の子孫です。
桓武天皇の母は高野新笠という半島のご出身です。
塩焼王も彼の妻である井上内親王も共に天武天皇の子孫です。
天智天皇と天武天皇は兄弟で
天智天皇の没後
天武天皇は奥さんと共謀して天智天皇の後継者である弘文天皇を殺しました。
弘文天皇の妻の1人は確か伊賀の女性でした。
兄弟は他人の始まりと言いますが
皇位継承権とか遺産相続の争いというのは昔も今もスサマジイですね。
桓武天皇の即位にはおどろおどろしい内部抗争がありました。
| [15] | ![]() | さちこさんからのコメント(2002年07月20日 02時08分34秒 ) | パスワード |
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天智天皇の后も伊賀です。
伊賀の釆女宅子(?)名張の人で大友皇子=弘文天皇を産んだ人です。
大友皇子は伊賀皇子ともいわれます。
壬申の乱、伊賀の阿拝国は天武天皇側だったそうですが、
伊賀も色々あったのでしょう。
大志万さん。
私が以前買ったとんでも本に面白いことが書いてありましたので、
日曜日にでもまとめてみますね。
| [16] | ![]() | 大志万(おおしまん)さんからのコメント(2002年07月20日 12時45分59秒 ) | パスワード |
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●服部 明子さん
いつもご指導ありがとうございます。
土地の名前からのご指摘で、天平時代や奈良時代にまで
遡るってことは、気の遠くなるような感じが致しました。
氷上姓や塩焼王の悲劇の日本史の暗黒部分など教えて頂き、大変、びっくりしました。
確かに、歴史は勝者の記録しか残りませんからなんと言えませんが、
これが事実だと、本当に悲しい歴史ですね。
また、皇位継承権とか遺産相続の争いというの凄いですね。
明子さんのおっしゃるように、今も変わらないのですね…人間というのは。
このような現実のもとで、当時、丹波で細々と生活していた小生の先祖が関わっていたかと思うと、
難しい政治の前に、大志万家一族は、さぞかしオロオロしていた事だろう、と考えています。
名前の漢字表記の件も、大変、納得致しました。
桓武天皇を経済的に支えておられたのが、秦氏の方々ということは、
確かに、神秘的になりますね。世紀を越えて…。
もともと丹波の豪族なのか、東国から来たのかに焦点を当てて、
この夏、調査してみたいと思います。
>大志万家が日本史に深く関わってたというのはかなり古くからだったと
>思う私の勘はどうでしょうねぇ?
恐れ多い話です。まあ言えることは、昔も今も、国からの租税を搾取される
対象であったことは間違いなさそうです(苦笑)。
また、よろしくお願いします。
●そりちゃんさん
はじめて拝見いたしましたが、本当に素晴らしいHPで感動いたしました。
小生の父母も
「このご時世において、このような形で先祖を大切にされている方もおられるのだな」
と感心しておりました。
>姓の漢字を縁起を担いで佳字に変えることはよくあったそうです。
そうだったのですか。知りませんでした。
もし、それが可能であれば、小生であれば易きに流れ、
人生の中で4回も5回も姓を変えていただろうな、と思いました(笑)。
>「何か」があったから子孫にご先祖は伝えたかったのかも。
>表舞台から消されてしまったとか、ね。
恐れ多い話です。伝言があるとすれば「盆・正月には、きちっとお墓にお参りに来なさい」
ということでしょうか(笑)。また、掃除もしなさいとか(笑)。
最近、ふっと思うのですが、どうして私達の世代で、このような先祖の回帰現象に駆られるのでしょうかね。
小生の父や祖父以上の代で、そのようなことは思わなかったのでしょうかね。
そう考えると、拙宅の怠惰な家系図が見え隠れし、少し呆れ気分になります(苦笑)。
また、書き込みに行きますので、よろしくお願いします。
●さちこさん
伊賀も本当に、色々あったのですね。
かなり、昔への想いに、本当に気が遠くなりそうです。
小生は、この一週間前には、歴史に対して、何も知りませんでした。
改めて、今、小生が元気に生かして頂いている有難さをかみしめております。
さちこさんが、以前に購入された本を勉強された後、またご教示して頂けると幸いです。
また、よろしくお願いします。
| [17] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月20日 14時06分10秒 ) | パスワード |
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大志万さん
我が家も歴史や先祖に興味があるのは母と私だけです。
母が自分の実家は源氏方で83代目と誇りにしていたからで
それを聞かされて育ったので私も母方先祖が誇りでした。
でも母は姉や弟には言って無いのですよ。
これも不思議でしょ?
父は伊賀まで何度も足を運んだのですけど
何も感じなくて
昔の事なんか分かるものか
と諦めています。
私の場合
凄く寒い日に1人で名古屋方面から伊賀に行った時
途中で顔のあたりだけが空気が変わって不思議な感じがしました。
数人の人が私の周りに来た体温の感じ?
その場所が佐那具という場所だと知ってビックリしました。
私を迎えに来た
そう思いました。
その日はいろいろ不思議な体験をしましたよ。
いつか機会がありましたら先祖がいたかも知れないような場所を訪ねてみて下さい。
初めての場所の筈なのに懐かしく思ったりするかも、です。
私には私市という地名が丹波国にあるというのが実に不思議です。
勿論三重県には四日市という地名が残ってますし
他にも八日市とか廿日市とか残ってますから
丹波国の私市が今に地名として残っていても不思議ではないのですが
東国の私市党と関係があるのかないのか
とても気になります。
さちこさん
桓武天皇の塩焼王一族に対する弾圧は
桓武天皇の先祖・天智天皇の子孫に対する天武天皇方よりの冷遇への意趣返しだったので
しょうかねぇ。
そうすると伊賀の人間や秦氏が塩焼王一族の弾圧に大きく関わってた?
織田信長の暗殺事件の真相みたいに面白くなりますね。
歴史が大きく動く時は闇で「あの一族」が暗躍してた?
| [18] | ![]() | 川口 信さんからのコメント(2002年07月21日 09時27分17秒 ) | パスワード |
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服部明子さんのおっしゃるとおり武蔵七党の私市党に関係は繋がっておりました。
【私市氏】
開化天皇の皇子、彦坐主王の後裔で、日下部氏より別れる。
河内国交野郡私市村から地名を負つて、武蔵国埼玉郡私市村に移住したものと思われる。私市氏一族は武蔵七党の私市党とも呼ばれ、埼玉郡北部を中心に大里郡に分布する。
また「交野市のいわれ」には次のように書かれおります。
[6世紀の終わりごろ、敏達天皇は、皇后豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)のために皇后領として、全国各地に稲の実りの良い田を求められたが、その中に河内交野の「あま田」があった。以来この田を守る民部(かきベ=私有民)は、皇后のために労投するものとし「きさいべ」(私部)と総称する5〜6カ所の農村落が「あま田」の周辺に制定されるようになった。
「私」は、中国の前漢時代から「后」と同じ意味に使われ、我が国ではこれを「きさき」と読み、「きさい」は音便である。「部」は、朝廷に属する各種職業人の集団であり、「私部」は、皇后のために稲作をする人々の集団である。
この「私部」の範囲は、天野川流域を含め私部、寺、森、私市、星田、茄子作(枚方)、郡津を合わせた地域の総称と恩われる。
そして現在の「私部」「私市」は、皇后領の中でも主要集落であったため、皇后領廃止後もその名称は残ったと思われる。
なお、私市は一方に山はあるが、その周りを「きさいべ」の村々に囲まれた中心集落で、ここに「あま田の宮」を祭ったから、「きさいべの内」すなわち略して「きさいうち」と称し、後に「きさいち」と変化したものと思われる。]
大志万姓についてはあちこちリサーチしているのですがなかなか遭遇しないのですが続けて探して見ます。あせらずドッシリ構えてください。幸いに本家があるそうなのでこんなに良い条件があるのはラッキーですね。
| [19] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月21日 10時42分31秒 ) | パスワード |
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川口さま
ありがとうございます。
「きさいち」の「きさい」とは「后」から出ているのでございますか。
知りませんでした。
また河内国から武蔵国に渡って有名な私市党が武士として発展して行ったのですか。
場所的に当然でしたでしょうが
丹波国とは都にとっては重要な場所だったという確信が持てました。
漢字の本来の意味が現代とはかけ離れていますから
こうして昔々の語源まで辿りますと
見えなかった歴史が浮かんで来ますね。
ありがとうございました。
| [20] | ![]() | 大志万(おおしまん)さんからのコメント(2002年07月21日 13時37分55秒 ) | パスワード |
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●服部 明子さん
お母様の実家が83代目とは、びっくりしました。
凄いですね!!明子さんで、84代目ですね。
本当に、代々大切に守られた歴史を感じますね。
また、明子さんのオカルト体験も、納得がいく感じでした。
今、上記で川口さんがご指摘された「交野市私市」ですが、実は、
現在の小生の通勤途中地です。
ここを通るたびに、前から、「福知山・綾部の私市一緒の名前だな」
と思っていました。しかし、今回のご指摘でびっくりしました。
もし、何がしらの由来が「私市」で繋がっていると考えると、
夏の暑さも、一気に冷えた気分でした。
明日からの通勤が、怖いです…。
>丹波国とは都にとっては重要な場所だったという確信が持てました。
小生も、本当に知りませんでした。
また、よろしくお願い致します。
●川口 信さん
はじめまして。一緒のご協力、並びに、ご指導ありがとうございました。
武蔵七党の私市党に関する情報、大変驚きました。
また、交野市私市についてのご教示、大変、感謝でした。
まさか、そのような由来があるとは、知りませんでした。
明子さんもおっしゃたように、漢字の本来の意味が、現代とはかけ離れているのですね。
川口さんのご指摘通りに、昔々の語源まで辿りますと、そこの地には、
必ず深い歴史があり、何かの変化で現在の名に繋がっているのですね。
とても、身近に考える事ができて、大変、勉強になりました。
本当に、見えなかった歴史が浮かんで来ますね。
>大志万姓についてはあちこちリサーチしているのですがなかなか遭遇しないのですが
>続けて探して見ます。あせらずドッシリ構えてください。
>幸いに本家があるそうなのでこんなに良い条件があるのはラッキーですね。
リサーチ、どうもありがとうございます。本当にお手数をおかけしています。
川口さんや明子さん、さちこさん、そりちゃんさんのご指導により、
ここ1週間で拙宅の知らなかった歴史が、一気に急展開する事態に家族共々、
正直、動揺が隠せません。でも、ご指導どおり、どっしりと構えたいと思います(笑)。
本家の件も、親戚がどこまで歴史を知っているかわかりませんが、
また、直接インタビューにトライしてみたいと思います。
今後も、ご教示のほど、よろしくお願い致します。
| [21] | ![]() | 川口 信さんからのコメント(2002年07月21日 14時51分03秒 ) | パスワード |
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大志万さん 初めまして。
大志万姓について。発想を変えて「大島家」で検索したところ豊臣秀吉公に仕えた大島光義にたどり着きました。
旗本大島家の項目です。
家紋:揚げ羽蝶/梅
清和源氏新田氏流。美濃の大島に住んで大島を名字とした。大島光成は信長、秀吉に仕えて一万五千石を領したという。関ヶ原の役を機会に家康に従った。その跡は三人の弟に分知して、されぞれ庶流家を出している。同じ揚げ羽蝶紋を使用しており、この関係を調査するのも良いかも知れません。だけど源氏とありますが。
あくまでも推論ですが貴「大志万家」がこの大島家関係だとしたら、もしかして足利尊氏でなく足利義昭から大志万姓を拝領したかも知れませんね。
岐阜には足利義昭に滞在し、織田信長は義昭を奉じて上洛したことは有名で、その近辺には明智光秀などおり、これで美濃から福知山にも関係してきますが。この岐阜大島家で桔梗紋を使用した家もあります。
| [22] | ![]() | さちこさんからのコメント(2002年07月21日 23時16分29秒 ) | パスワード |
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大志万さん
以前読んだ秦氏ユダヤ人説の本を今日まとめる予定でしたが、
梅雨も開けて天気もいいし暑くなりそう、山へでもいかない?
伊吹山は花がいっぱいで涼しいなどと友人に騙されて行ってしまいました。
実は山頂も下界に比べれば涼しいといえ、
約一時間の山頂への道のりは暑いわ、日焼けするわで大変でした。
伊吹山〜? どこなんだあ〜?
と思われることと思います。
天下分け目の関ヶ原のすぐ近くです。
明子さんは当然ご存知ですよね。
思わぬ所で不思議な旅でした。
明子さんが伊賀の地で不思議な体験をされたのはよく判ります。
私もそうです。
母の実家細川家(大阪)へ行く途中いつも名阪国道を通りました。
伊賀のあたりを車で通ると行ったはずがないのに、
私はここは知ってるとか、
ここで降りたことがあるとか変なことを言ってたらしいです。
まあ、うちの両親は仕事で忙しかったし、
伊賀へは遠足、町内の旅行で行っていたのでこのへんの記憶はあいまいですが。
でもここにお城があって、
大きな蛙がいて?私が紅い小物(何か判りません)を持っていた。
そんな記憶があって。不思議だったのです。
今日三重県の北勢地方、藤原町を越えて岐阜、滋賀へと抜けたのですが、
不思議な所でした。
薬子の変で敗れた秦氏系藤原氏(式家)がこの地へ落延びたことは、
他のスレッドでお話しましたが。
伊勢長島一向一揆の服部友貞が(明子さんや私の先祖)
織田信長に追われ自害したところです。
その後、この地の畑中家が、(秦氏です)
友貞を守護神として現在まで供養をしてをしてくださってるしいです。
で、不思議だったのは丹後の真奈井神社(元伊勢にある六ボウ星の神社)
と同じ、真奈川、そして多志田川が藤原近辺にあったのです。
びっくりしました。
私の言ってる多氏(オオシ)は、
古事記の太安万呂が多氏とされるように、
多=太=大は同じと考えられてます。
古代のことなのではっきりしたことは言えませんが、
万多親王が多氏と親密で、多氏がマン田氏を(字が出ない)
けなしていることからも逆に親密だったと考えるのですが。
だから大志万さんのマンの字は特別な意味があるのではと。
聖徳太子のママ、穴穂部間人。
間というのは神と人とをむすぶ人、
穴は山に住む人=鬼という意味。
曽我氏でありながら丹後へ逃げてきたという言い伝えがあるらしいです。
だから実は聖徳太子のママは秦氏なのではということです。
間は間者、忍者でもあるそうな。
太子のママ、うちとご同業なの?
話は支離滅裂ですが、
藤原の山奥に明智工業というお店がありました。
ただの屋号か明智氏がこの地に来たの?
本当に不思議な藤原越えでした。
| [23] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月21日 23時55分21秒 ) | パスワード |
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だって上記「藤原」は
私やさちこさんのご先祖の平貞盛と盟友だった藤原秀郷公のご子孫が移り住んだ所で
共に平家一門として、途中南朝方としても、我が服部家とは伊勢長島一揆まで
長い長い日本の歴史を一緒に生きて来た人達の住んできた土地ですもの。
私も行きたいと思ってるのですけどね。行かない方が良いのかも、とも思ってます。
あの米野の相場の伊藤家ホンヤさんは蔵の資料を絶対公開したくないそうな。
服部家ホンヤさんとはエライ違いですが
江戸時代へのいきさつを考えれば伊藤家ホンヤさんがいじけるのも仕方無いとも思います。
我が家は江戸時代うまくやったと向こうは思ってるのかな?と。
江戸時代での境遇の差。
これが資料公開をするかしないかの差になってるのじゃないかな?と。
公開して下さったら平家の藤原(伊藤)忠清一族の凄い記録があるのかも。
関ヶ原前夜大垣城を石田三成に明け渡した時の伊藤盛正?の意外な情報が
埋もれているのかも。
あそこって伊藤家のそういう思いが沈んでいるのですから
服部家の人間が通過すればビシビシ感じるのは当然だと思います。
| [24] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月22日 00時01分06秒 ) | パスワード |
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今朝頂きました平家の血を受け継ぐ方よりのメールを「平家オタク度」の方に
書き込ませて頂きますね。
こちらにも重複して掲載しましょうか?
明子様
私市・私部は私の生まれ故郷ですよ。交野は枚方の外れで
私の通学路でした。その昔、交野が原の桜狩り、と詠われ有名
なところでここの春霞が好きでした。
高校は四条畷で、楠一族の戦死した所でした。
なんとも不思議な書きこみに出会って、ゾーッとしています。
私市は、きさいち、といってましたが、私部は、きさべ、といいま
した。この辺りの田圃で蛙をとったり、イチゴ畑で美味しいイチゴ
を盗み食いしたものです。
このスレッドも目を離せません。いつか私も書きこみをと思って
いますが、皆さんの博識に圧倒されています。
| [25] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月22日 00時32分43秒 ) | パスワード |
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お旗本・大島家=揚げ羽蝶紋?
かなり背筋が・・・
明智光秀も福知山に関係しますから
凄いお話が出て来ましたね。
旗本・大島家が源氏の新田を称しているのは
やはり南朝方だったからでしょうね。
私の母の家の言い伝えでは南朝方で戦っていた時は
菊水紋を使用した
と聞いています。
そういう時もあったのでしょうね。
我が家の家系書には「折敷3文字紋」で大坂の役で落武者になって「松皮菱の尻合わせ」
に替えた、と書かれているので、なんらかの事情で楠氏の菊水紋を使ったこともあった
という事だと思います。
| [26] | ![]() | さちこさんからのコメント(2002年07月22日 00時44分52秒 ) | パスワード |
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うへ〜!
今寝かけていたら、
オイノ坂。西に指せば備中の道、
東を指せば天なを暗し。なんて本能寺の漢詩を思い出し、
たしかオイノ坂、
以前城之崎温泉から京都にむかう途中にこの辺りがオイノ坂と父に教えてもらった
記憶があるのです。
多分このルートは福知山(大志万かさん)ら亀岡(秦さん)への道だったのですが。
オイノ坂はどのあたりだったのでしょう?
と、思いついて書き込もうとおもったら。
あらら。
四条畷ですか?
私の母が四条畷高校の出身です。
四条畷の戦い、
摂津湊川の戦い両親は古いのでよく知ってます。
でもびっくり。
| [27] | ![]() | 大志万(おおしまん)さんからのコメント(2002年07月23日 00時52分35秒 ) | パスワード |
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●川口さん
大変、御貴重なご意見、ありがとうございます。
「旗本大島家」について、びっくりしました。
字は違いますが、確かに、「大嶋(おおしま)」から「大志万(おおしまん)」に
変わった経緯があると祖父から聞きました。
もし、この現象と結びつくなら、川口さんがおっしゃったような関係があることになりますね。
また、名前の拝受の件も、足利尊氏でなく足利義昭からという見解は、感銘を致しました。
確かに、岐阜には足利義昭に滞在し、織田信長は義昭を奉じて上洛したことは有名ですね。
そして、明智光秀も関係してきますから、美濃から福知山の繋がりも出てきますね。
実際、私市の周辺には、「大志万家」という姓よりも、「大島家」が多いです。
「大島家」の家紋は、丸に揚羽蝶でしたが…。しかし、桔梗紋を、今度、探してみたいと思います。
もし見つかれば、これは、本当に大発見です。
また、よろしくお願いします。
●さちこさん
伊吹山、お疲れ様でした(笑)。
ドライブウェイから登られたのですか?
僕も一度行ってみたいのです。標高1377メートルで、伊吹高原が綺麗なんですね。
>明子さんが伊賀の地で不思議な体験をされたのはよく判ります。
>私もそうです。
僕は、まだ、伊賀に行ったことがありません。
行けば、何か感じるかもしれませんね(笑)。
もし何も感じなければ、僕は違う系統ということですね(笑)。
とにかく不思議な藤原越えも、お疲れ様でした。
>万多親王が多氏と親密で、多氏がマン田氏を(字が出ない)
>けなしていることからも逆に親密だったと考えるのですが。
>だから大志万さんのマンの字は特別な意味があるのではと。
そのようなご見解、考えたこともありませんでした。
一度できる限り、調査したいと思います。
老ノ坂(おいのさか)とは、亀岡市と京都市西京区の境目にある、国道9号線の峠道の名前です。
俗に、老の坂峠と呼ばれています。
現在は、京都縦貫自動車(京都丹波道路。有料道路)が出きて、老ノ坂は、した道となっています。
さちこさんが、城之崎温泉から京都に向かわれた時、多分、
高速で老ノ坂付近を通られたときに「新老ノ坂トンネル」がありますので、そこで、
父上様がおっしゃったのでしょう。
ちなみに、国道9号線沿いは、以下のルートです。
福知山市→天田郡三和町→船井郡瑞穂町→船井郡丹波町→<観音峠>
→船井郡園部町→船井郡八木町→亀岡市→<老ノ坂峠>→京都市西京区(西芳寺(苔寺)付近)
母上様が、四条畷高校ですか?
小生の周辺にも、四条畷高校の出身の方が多いです。
ちなみに、今、通勤途中に、JR四条畷駅を通っており、
たまに四条畷高校の前も通ります。
色々と、ご縁がありますので、本当にびっくりしています。
また、よろしくお願いします。
●服部 明子さん
他のスレッドのご紹介、ありがとうございました。
歴史だけでなく、皆様の各人生の側面が、何かの引力によって、
このHPに参加している方々の生活に、密接に繋がっている気が致しました。
「世間が狭い」とはいえ、こんな短期間で、異様な感じを受けます。
>私も(藤原へ)行きたいと思ってるのですけどね。
>行かない方が良いのかも、とも思ってます。
思い切って行かれては?
明子さんなら、もっと感じるものがあると思います。
僕は、最近、オカルトに恐怖を感じていますが…。科学主義者なのに(涙)。
>お旗本・大島家=揚げ羽蝶紋?
>かなり背筋が・・・
>明智光秀も福知山に関係しますから
>凄いお話が出て来ましたね。
本当に、びっくりしました。
大島家=揚げ羽蝶紋なら、私市に多く見られます。
とにかく、仕事のメドがつき次第、8月にでも、本家に訪ねていきたいと思います。
服部本家様のように、色々なお話が聞ければと願っております。
また、よろしくお願いします。
| [28] | ![]() | さちこさんからのコメント(2002年07月23日 00時59分36秒 ) | パスワード |
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昨日は疲れてたので支離滅裂でごめんなさい。
なんで急に本能寺なのかですね。
福知山から亀岡このルートを車で走ってた時に父がいいました。
ずっと前のことですが、
「備中に向う途中、光秀が本能寺に進路を変えたのはこの辺り」
そんなことを思い出したからなのです。
なんかまた秦氏絡みかと。
明子さん
藤原町は怖くありませんよ。とって食われるわけじゃない。
ぜひお越しください。ご案内します!
確かに不思議な所ですが、
結構交通の要所で田舎なのに飲食店が沢山あります。
(すぐ近くの菰野や大安にはマクドナルドもありますよ)
「焼肉の藤原」
なんていうのがあります。
こんなのは全国でここだけかも?
でも「迷える子羊さん」は、
遠慮したほうがいいかもです。
美味しいラム肉入荷しました!なんてことに??
冗談はさておいて、
関ヶ原の戦いの後、
島津家が鳥羽のあたりへ逃げたのもこの藤原ルートだそうです。
島津も秦氏。
秦氏にとって特別の場所かも?
平家にも関るのであればなんか面白いことに!
私は伊藤家ホンヤさんのことは判りません。
伊藤家には近づきたくないのです。(笑い)
また教えてください。
明子さんが日本へ帰省(?)なさった時は、
藤原へご案内します!(伊吹山へもね)
そして友貞のお墓参りも一緒にしましょう。
費用は私が持ちますから御心配なく。
そのかわり私がアメリカへ行ったら、
ラスベガスとグランドキャニオンに案内してください!
| [29] | ![]() | さちこさんからのコメント(2002年07月23日 01時05分29秒 ) | パスワード |
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多志万さん
もたもた書いてるうちに、
先越されてしまいました。
寄り道ばかりでごめんなさい。
でも結構、寄り道が後でなるほどということも?
大志万さん。A型?
| [30] | ![]() | 大志万(おおしまん)さんからのコメント(2002年07月23日 01時13分16秒 ) | パスワード |
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●平家の血を受け継ぐ方さん
明子さんより、書き込みで拝見いたしました。
交野市私市出身とのこと、大変、身近に感じております。
本当に素晴らしく、良いところですね
また、四条畷高校との関係も、びっくりしました。
色々と繋がっているかもしれませんね。
これが、ご縁の始まりであることをお祈りいたします。
| [31] | ![]() | 大志万(おおしまん)さんからのコメント(2002年07月23日 01時28分59秒 ) | パスワード |
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●さちこさん
秦氏繋がりのインスピレーション、感心いたします。
また、何かありましたら、お願いします。
ちなみに僕の血液型は、B型です。
遺伝的に、正確にいうとBO型ですが。
さちこさんは、O型ですか?
几帳面にカキコしていますが、興味深々でたまらないからです(笑)。
おかげで寝不足続きですが…。
周囲から、僕の寝不足の目の隈を見て、
「何かにとりつかれているよう」というお言葉をもらいました。
その時は、かなり苦笑いでした。
それでは、またです。
| [32] | ![]() | 『迷える子羊』さんからのコメント(2002年07月23日 02時26分45秒 ) | パスワード |
![]() |
大志万(おおしまん)さんへ
はじめまして、『迷える子羊』と申します。
実は、私、
川口さんの〜
>【私市氏】
>、武蔵国埼玉郡私市村に移住したものと思われる。私市氏一族は武蔵七党の
>私市党とも呼ばれ、埼玉郡北部を中心に大里郡に分布する。
この『私市党』の支配地域に住んでいます。
私も、この『武蔵七党(しちとう)』を調査しているのですが、
この『諸党』〜複雑怪奇なのです。・・・???
特に『私市党』には謎が多くあります。
従って調査段階に付き、『筆』(PCだろ!)が思う様に進みませんでした。
でも、川口さんすごい。(ひょっとして関東の方ですか。?)
も、もしかして、古代日奉姓の川口さんでは、ないですよね。・・・?
私も『曹洞』繋がりで〜す。
私市党(きさいとう・「騎西党」ともいう)
| [33] | ![]() | 川口 信さんからのコメント(2002年07月23日 09時37分01秒 ) | パスワード |
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『迷える子羊』さん 宜しくお願いいたします。
日奉姓の川口家ではありませんが興味があるので以前調べたことがあるのですがあまり資料がないので良く分かりませんでした。宗派は徳川家に仕へ浄土宗、知行地の関係で真言宗、曹洞宗等のお寺に関係し、現在は法華宗のお寺に檀家として名を連ねております。
大志万さん あくまでも素人の歴史好きな者の仮説ですので興味があったら調べてください。一族が何百年も親戚関係を続けているなんて羨ましい限りですね。
なんだかこちらの「大島家」の系統が気にかかるで。
現在静岡県の大島家について調べたのですが、やはりこちらにも美濃安八郡大島村に興る新田氏流大島光俊の後裔という家々があり、家紋も揚羽蝶(丸に揚羽蝶も含む)を使用しており、また浮線蝶、対い揚羽蝶、浮線蝶菱なども使っております。
「大名廃絶禄」より
大島光義(おおしまみつよし)1508(永正5)〜1604(慶長9)
美濃関藩主。初名光吉。美濃大島の出身で、幼少にして孤児となったが、13歳の時に戦場で敵を射殺して以来、弓の名手として世に知られるようになったという。織田信長に仕えて姉川、長篠の戦いなどに参加し、本能寺の変後は丹羽長秀、次いで豊臣秀吉に属して弓大将を務めた。1598年、摂津・美濃・尾張国内で1万1200石を与えられる。1600年、関ヶ原の役が起こると自身は東軍の一員として会津征伐に従軍したが、2男・3男は西軍に属させ、家名の存続を図った。戦後、美濃関1万8000石に加増され、1604年、97歳で没。生涯53度の合戦に臨み、41通の感状を得たという歴戦の勇士であった。没後、遺領は4子に分封され、それぞれが旗本となったため、関藩は光義の死によって廃藩となった。のち長男光成・4男光朝の系統は断絶したが、2男光政の川辺大島家・3男光俊の迫間大島家は明治まで無事に存続している。
あまり関係がないと思いますが参考までに。
| [34] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月23日 12時27分28秒 ) | パスワード |
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>色々と繋がっているかもしれませんね。
実際は繋がっているでしょうね。
神代の時代から。
●平家の血を受け継ぐ方さん●は日本武尊が腰掛けたという言われのある石の存在する
土地のご出身ですから、日本の歴史に深く深く係わっていらっしゃる、ので
大志万さんのご先祖さまの時代からかもですね。
●平家の血を受け継ぐ方さん●は本姓源氏俗姓のご名字自体が
木曾義仲の孫の義茂の末裔でいらっしゃいますから源氏とは係わりがありますね。
信玄の時代に、このご名字を継ぐように、と頂いたそうです。
●平家の血を受け継ぐ方さん●はご先祖さまが甲斐武田騎馬軍団の4名将の内でも
特に知謀をうたわれた方で
(百姓衆も入れて人望の高さでも群を抜くとうたわれた方です)
長篠の合戦では武田勝頼に引くように進言したのに受け入れられず
わざわざ戻って勝頼が無事に逃げ延びたのを確認して死を選んだという
武士の鑑とされる人物ですから
有名人をご先祖さまに持ってはご子孫としては大変でしょうね。
●平家の血を受け継ぐ方さん●のお名前を拝見すれば
ご先祖さまの逸話の数々がすぐに連想されてしまいますから。
●平家の血を受け継ぐ方さん●のご先祖さまは
さらに甲陽軍鑑では信玄が今川氏真を攻めた時
城内にあった宝物を全て持ち出すようにと信玄が命じたのを
「そんな事をしたら殿は貪欲な武将として後世に名が残ってしまう」と諌めて
全て火中に投じたという逸話が語られていますね。
そして生涯1度も負ける戦さをした事がなかった、という有名な武将の
ご子孫でいらっしゃいます。
お祖母さまの方が平 維盛の子孫でいらっしゃって
皇竹さんのお友達でいらっしゃいます。
●平家の血を受け継ぐ方さん●は
ご容貌は
平家系じゃなくて源氏系でいらっしゃるようですよ。
わたくしの手元に持ってる資料のご先祖さまにソックリ。
どこかから画像を手に入れてコピー&ペイストしたいくらい。
でも、以上で合ってるのかどうか、ご本人さまはどうおっしゃいますでしょうか?
| [35] | ![]() | 『迷える子羊』さんからのコメント(2002年07月23日 15時54分19秒 ) | パスワード |
![]() |
え!?
誰!?だれ!?
『○○昌○』って私の隣村ですが・・・???
○○○○さん???
やっ!?やはり『○○○景』だったの・・・?
納得!
| [37] | ![]() | 『迷える子羊』さんからのコメント(2002年07月23日 16時44分17秒 ) | パスワード |
![]() |
だめだ!美濃って・・・?
土地勘のない私には『市名』だと『とんと』見当が付きません。
>平家の血を受け継ぐ方さん
・・・私、色んな家姓を持つ人間(少数派=良くわからない)としては、
なんだか寂しく感じます。
せ!?せめて『平家物語を熱く語る!!』の皆さんに留めて頂けませんでしょうか。(出来れば)
だ!だから私『迷って』います。
| [38] | ![]() | 『迷える子羊』さんからのコメント(2002年07月23日 22時32分38秒 ) | パスワード |
![]() |
『飯富』ですか・・・?
『http://www.ymg.urban.ne.jp/home/kenf/zassou/zassou-akinotakedaitizoku.htm 』でしょうか。
私この『武将』大好きなのですが・・・?
『鬼退治』とか・・・?
???『善光寺』とか・・・(なぜか、ここでも善光寺)
きっと私の先祖は『善光寺』に違いない。・・・?
意味不明なので引っ込みます。
それでは、また。
| [40] | ![]() | 『迷える子羊』さんからのコメント(2002年07月24日 01時51分59秒 ) | パスワード |
![]() |
大変失礼しました。
上記、〔36〕削除は、『訂正』の為、削除いたしました。
| [41] | ![]() | 隈さんからのコメント(2002年07月24日 21時10分08秒 ) | パスワード |
![]() |
大志万さん、初めまして。
すっかりご挨拶が遅れまして、申し訳ありません。
私も2年前からこのサイトの不思議なパワーに呼び寄せられ、ご先祖探しをしています。
うちは母方の祖母の家が服部姓で、女紋が向かい蝶(蝶が2匹向かい合っている)です。
この間からエールを贈るためにカキコをしようと思いつつ、
忙しかったのと、他の常連さんの溢れるパワーに押されてしまったのとで、
なかなか書けませんでした。
ご先祖様探しはいろいろな事が分かってくるにつれ、
次々と新たな疑問点が浮かんできたりして長期戦になることが多いですが、
本当に飽きない冒険旅行の様なもので、楽しいです。
それでも行き詰まった時は、このサイトで思わぬヒントが得られますよ。
お互い頑張りましょう。
で、川口さんが書いておられた戦国武将の大島氏ですが、
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/osima_k.html
『尊卑分脈』に拠れば、里見義俊の孫義継がはじめて大島蔵人を称しており、上野国新田郡に大島七郷と呼ばれる地域があり、そこを名字の地としたものと考えられているが、『姓氏家系大辞典/大田亮氏著』では、新田流ではなく、土岐流の大島氏ではないかとしている。
とあります。もし土岐氏流なら、桔梗紋を使っていても不思議はないですね。
丹波に縁があったとしても不思議はないし。
秦氏系ですね〜。
ちょうど昨日、本屋でこんな雑誌を見つけました。
「週刊 日本の街道11 京都・周山街道」
国道9号ではなく、162号ですが、京都御室仁和寺を起点に
嵯峨〜高雄〜槙尾〜栂尾〜中川〜小野〜周山〜美山〜堀越峠〜名田庄〜小浜
という経路を辿ります。
周山は明智光秀の城があったところですね。
名田庄には、天社土御門神道本庁(ここは古くからの安倍氏の領地)があります。
嵯峨野から小浜。ここも秦氏街道ですねぇ。
密教寺院もたくさんあります。
高雄の神護寺は、もともと和気氏の氏寺。空海所縁の寺院ですね。
このお寺は源氏と平家、双方に縁の深いお寺。
源頼朝に平家追討を勧めた文覚上人が、一度没落した寺を復興。
そして、安徳天皇の異母弟・後高倉院とその妃・北白川院も、復興に尽力しました。
この寺に「伝源頼朝像」と「伝平重盛像」がともにあるのは、
この寺に源氏と平氏、それぞれに縁の深い人々が集まったからではないか、
と書かれています。
大志万さんのお家が「源氏でも、平家でもある」とおっしゃっていたのを思い出しました。
| [42] | ![]() | 隈さんからのコメント(2002年07月25日 11時19分13秒 ) | パスワード |
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そういえば、柘植氏の中にも揚羽蝶紋を使っている家がありました(三つ巴紋が主流らしいですが)。
揚羽蝶紋って、もともとは蚕の蛾を紋章化したのを、「蝶の方が格好良いから」と改めたものらしいですね。
やっぱり機織り人・秦氏が好んで使う紋なのでしょうか?
| [43] | ![]() | 川口 信さんからのコメント(2002年07月25日 18時05分21秒 ) | パスワード |
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大志万さん 大変失礼申し上げました。
貴大志万家はやはりご先祖様の言い伝えは正しいかと思われます。何故かというと
「太平記 足利 大島」で検索すると出てくる出てくる。まだちょっとしか検索していなのですが。下記のようなのがありました。
☆十寄神社
(東京都大田区矢口2−17−28)
新田義興に従って、矢口の渡しで憤死をとげた井弾正忠・大島周防守・南瀬口六郎・由良兵庫助・同新左衛門・世良田右馬助・市川五郎・土肥三郎左衛門・松田与市・宍道孫七・堺壱岐権守・進藤孫六左衛門の12騎と、主新田義興を祀っています。古くは十時明神・十騎神社などともよばれました。社殿のうしろに小円墳(現在は樹木が茂っている)があり、これが従者の墓だと伝わっています。
☆その情報をキャッチした上野国住人・大胡(おおこ)と山上(やまがみ)の一族らは、おそらく他人に先を越されたくないと思ったのであろう、新田(にった)一族に所属の大島(おおしま)某を大将に取りたてて500余騎の軍団を編成し、「いざ、薩タ峠へ援軍!」と、笠懸原(かさがけのはら:群馬県新田郡)へ繰り出した。
これは違う浅野家の検索ですが
☆これは忠臣蔵で有名な茅野三平の父のことです。父重利は、大島家に迷惑の及ぶことを考えて、これを許さない。 大島家は美濃出身の旗本で、萱野家は大島家の所ちなみに、後に、茅野三平は同志と合流するために江戸に上ろうとするが、 その意図をさ領の椋橋荘(豊中市大島町)の代官を勤めており、 三平も大島家の推挙で浅野家に仕官し長矩の中小姓となったものである。 三平は、忠孝の板挟みになり、翌元禄十五年一月十四日の主君の月命日の日に、自宅の長屋門の一室で自害する。 時に二十七歳。
などがありいずれも美濃「大島家」に繋がります。揚げ羽蝶を使い、新田氏族、足利尊氏に仕えたなど状況証拠が揃いました。貴大志万家はやはり足利尊氏に仕え武功をあげ苗字を拝領したことが推察されます。足利尊氏の在任期間は1338〜1358年でその時に拝領なら六百六十年から六百四十年余となり、分家する以前にも長い歴史があった旧家と伺えます。
「太平記」を良く読んでみようと思っております。何か分かりましたらまた書き込みます。
| [44] | ![]() | 大志万(おおしまん)さんからのコメント(2002年07月25日 19時26分03秒 ) | パスワード |
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●『迷える子羊』さん
はじめまして。いつも色々と書き込んでくださりまして、ありがとうございました。
仕事の関係上、ご返答が遅くなり、失礼しました。
今後とも、よろしくお願いします。
さて、『私市党』の支配地域に住んでおられ、また、曹洞宗とのこと、大変ご縁を感じいたします。
『武蔵七党(しちとう)』を調査されて、いかがでしょうか?
謎が多いとのことでしたが、是非とも、『迷える子羊』さんのご尽力によって、
解明されることをお祈り致します。
福知山と綾部の私市について、ここで皆様にご指導してくださった内容を元に、
今度、調査に行きます。
『私市党』について、何かありましたら、ご報告致します。
小生は、わからないことが多いので、またご教示お願いします。
●川口 信さん
いつもご教示、ありがとうございます。
素人とは思えない川口さんの博識に、大変、勉強させて頂いております。
大島光義公についての記載、とても感謝でした。
美濃安八郡大島村に興る新田氏流大島光俊の後裔なのですね。
また、家紋も揚羽蝶(丸に揚羽蝶も含む)を使用している事実に、びっくりです。
小生の姓と家紋を考えれば、川口さんのご指摘は、確かに近いです。
記載して頂いた大島家の歴史より、戦国時代、関が原、そして、明治まで、
家名存続に、苦労していた歴史を強く感じました。
結構、これだけでも感動でした。
大島家との関係について、今後も注意を払って見守っていきたいと思います。
また、よろしくお願いします。
●服部 明子さん
いつもご指導、ありがとうございます。
「平家の血を受け継ぐ方さん」についての記載、大変感謝でした。
「武士の鑑」とは、スゴイ先祖をお持ちなのですね。
有名人をご先祖さまに持っては御子孫様も、おかしなことはできませんね。
「生涯1度も負ける戦さをした事がなかった」って、まさに孫子の兵法ですね。
小生の「数打てば、当たる!」というモットーとは、恥ずかしいばかりです(笑)。
ご容貌も、ご先祖さまにソックリとは…。
先日、徳川家の末裔の方がテレビに、出ておられました。
今は、牛を飼って農業をされていましたが、末裔の方のお顔が、
あの家康公の肖像画にそっくりでした。びっくりしました。
「皆から、そのように言われます」
とテレビでもコメントされていました。
やはり、DNAは、隠せないものがあるのですね(笑)。
また、よろしくお願いします。
●隈さん
はじめまして。どうも、ご丁寧に御挨拶及びエールをありがとうございました。
隈さんも、2年前に来られたのですか。
女紋が「向かい蝶」とは素晴らしいですね。
ご教示の通り、本当に御先祖様探しは、新たな発見や疑問が出てきたりと
毎日が冒険の気分であります。
小生は、まだ、「冒険暦10日」という新米者ですが、
今後ともよろしくご指導のほど、お願い致します。
大島氏について、大変勉強になりました。
「週刊 日本の街道11 京都・周山街道」についても感謝です。
周山の地名にびっくりです。実は、20年前に京北町周山に住んでおりました。
とても、自然が多くて、緑豊かな町でした。
また、小学校の時、レクレーションで城跡にも登った記憶がありました。
(余談ですが、団体一行が城跡(全くの森の中)に到達したときに、ススメバチの巣と遭遇し、
みんなススメバチに刺されて、パニックになって下山したという恐怖の場所でした。
関係のない話ですみません。)
まさか、隈さんのお話で、周山が出てくるとは思いもよりませんでした。
高雄の話など、源氏と平家、双方に縁の深いお寺に、感心しました。
そのようなお寺もあったとは驚きです。今度、訪ねたいと思います。
本当に、小生は知らないことが多いので、またご教示をよろしくお願いします。
| [45] | ![]() | 大志万(おおしまん)さんからのコメント(2002年07月25日 20時10分09秒 ) | パスワード |
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●隈さん
いつもご教示、ありがとうございます。
7月25日の記載分、只今、拝見いたしました。
仕事の関係で、ご返答が遅くなり、大変失礼しております。
柘植氏の中にも揚羽蝶紋を使っている家があることに驚きました。
揚羽蝶紋って、もともとは蚕の蛾を紋章化したものとは、知りませんでした。
そう考えると、機織り人・秦氏とかなり関係が深いですね。
また、よろしくお願いします。
●川口 信さん
いつもご教示、ありがとうございます。
7月25日の記載分、只今、拝見いたしました。
仕事の関係で、ご返答が遅くなり、大変失礼しております。
川口さんの豊富な博識に、本当に感心しております。
「太平記」や「足利」「大島」、そして十寄神社について、
詳細にご教示くださり、大変、感謝をしております。
浅野家からの検索を通して、美濃「大島家」に繋げ、揚げ羽蝶、新田氏族、
足利尊氏に仕えたなど状況証拠が揃えられたとは、驚きました。
>大志万家はやはり足利尊氏に仕え武功をあげ苗字を拝領したことが推察されます。
大変、恐れ多いご見解に、恐縮しております。
>分家する以前にも長い歴史があった旧家と伺えます。
小生の知識では、考えも及びませんでした。
また、よろしくお願いします。
| [46] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月25日 21時00分16秒 ) | パスワード |
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新田義興と共に大島氏が出ていらっしゃいましたか。
義興が欺されて殺されるお話は安部龍太郎だったかの短編小説集「鎌倉掻擾」だったかに
に出てた記憶です。
この大島氏は南朝方でしたか。
この平熱は南朝方の子孫が多いように思いますが。
美濃の土岐氏でしたらバリバリの「足利」系ですね。
| [47] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月31日 09時38分42秒 ) | パスワード |
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ビックリの発見がありました!
朝日新聞社の週刊朝日百科(1)の日本の歴史:源氏と平氏の
4ー34ページに驚くべき発見がありました!
タイトルは「平氏知行国・荘園・家人図」の章ですが
この若狭国の欄に
嶋時康(遠敷郡志万郷)
の名前がありました。
この本は平熱の管理者の方に送って頂いたばかりの本でして
この知行国のページはすごく気になってたのです。
で、さっき新しいスレッドにこの本の紹介をして、詳しく見てたら
「志万」という地名を発見!
オカルトかかってるぅ〜
「志万」の豪族のお名前は「嶋」氏だった?
そして「読み」は「しま」だった?
| [48] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月31日 10時08分15秒 ) | パスワード |