平家物語を熱く語る!!一覧に戻る
投稿番号:26177 投稿日:1998年10月01日 11時12分31秒
お名前:なかにし
 

平家物語の雑談 その11(のコピー)

キーワード:平家物語 蓬子 俊寛

コメントの種類:歴史


( Date: 1998年 8月 19日 水曜日 0:07:16 AM)

蓬子・・・
 私も「新平家物語」の弁慶の身の回りの人間関係がよくわからないんですが、弁慶の身内の話を持ち出したのはピンときません。数年前のテレビの「義経」の女ったらしの弁慶もイマイチでした。御覧になった方がどれくらいいらっしゃるかわかりませんが、高松の「平家物語歴史館」の弁慶は勇猛そうでいい味だしてます (^^;)。
 あと、弁慶の母、さめの描写もなんだかいやだな・・・。

俊寛・・・
 吉川英治の「俊寛」についてはみなさんに同感。「足摺」るばかりのかわいそうな俊寛より俊寛らしい気がします。そういえば、俊寛が鬼界が島から生きて帰り、義経に兵法の極意(なんていうんでしたっけ??)を伝授したっていう浄瑠璃だったかなんだったかありましたね。俊寛僧都・・・なんでしたっけねぇ???
 そういえば、鬼界が島って鹿児島の沖ですよね。ふむふむ・・・。

なかにし・・・
 え? 私がお酒飲んだら?? 寝ます(これこれ ^^;)。



服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時12分59秒)
 

( Date: 1998年 8月 20日 木曜日 11:38:59 AM)

7がちっとも先に行けないでいます。

でも「以仁王」のあたりで足利又太郎忠綱が伊藤5 又は 藤原忠清の嫡男で出て来る
話はウッソォーです。どこかで忠清の嫡男は上総の太郎と読んだ気がします。なんだか
吉川英治はケッコウいい加減に書き飛ばしていたように思います。

今は頼朝の山木館襲撃を読み終わったところです。私は感情移入が激しくてなかなか
先に進めずにいます。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時13分26秒)
 

( Date: 1998年 8月 26日 水曜日 0:02:41 PM)

やっと8に至りました。
7は時期的に「privateな理由」もあってなかなか読み終えられず随分時間がかかりました。

知盛さまは飲んでも赤くならないし、めったに酔いも見せない人とありましたが私の印象
ではちょっとのお酒でも赤くなってしまう人だったような気がします。重衡さまは日頃も
飲めないほう、とありましたが(へぇーっ)です。酒豪は能登殿だけか?それも酒乱付き?

私は一杯のウイスキーを前におしゃべりが続く男がいい。お酒を飲む男より、お酒が入って
日頃はしないお話をしてくれる人がいい。これが私の好みの男。でも残念ながら、私の過去
にこういう人はいなかった。良く考えてみたら私にはお酒を飲みに行った経験が無かった。
なぁーんか昔、知盛さまがお酒を飲みながらいろいろな物語をしてくれたような気が。。。

7のp.392に頼朝の挙兵に年はいくつだったか清盛が問うシーンで「34才なら知盛と
同い年だな」と言う場面があってアレレ?でした。宗盛と頼朝が同い年なのに。知盛さまは
2人より5才若いです。

p.419では有盛が富士川の合戦に出陣してるし。。。うっそぉー、でした。有盛って
幼いから壇の浦で資盛と行盛さまに手を取られて入水したんじゃなかったっけ?

でも「上古の遺習」として平家の富士川遠征には遊女達が同行したと書かれていました。
これは私もそんな気がします。

p.422に富士川の合戦の敗因が書かれていました。
大庭景親・伊東祐親軍の蹉跌
治承4年の不作・キキン
退却路に於ける源氏方の伏兵

水鳥の話は8に出て来るんでしょうね。斎藤実盛の「親や子の死体を乗り越え、乗り越え
坂東の兵は戦う」話は富士川の合戦の時の話だったと思っていたのですが。。。

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時13分56秒)
 

( Date: 1998年 8月 27日 木曜日 0:49:52 PM)

富士川合戦の敗因に前記以外で「民の疲弊および困窮」が出ていました。

以下は木曾義仲の侍大将だった「西 武兵衛」の子孫からの手紙:
「巴と義仲」見ました。頼朝の兄が義仲の父を襲って殺したので、義仲は生まれながらにして
頼朝と平家の両方を敵に回さねばならなかったのですね。義仲自身が源氏のエースとしての
実力を持っていたのに「源氏」によって殺されたなんて。
要するに義仲は父も自分も息子も男子は皆殺されてしまう。

**エドガー・ケーシー流に考えたら**義仲は木曾が好きな性格のさっぱりしたいい人だっ
たし、平家を討てたし、巴という魂の伴侶も持てたし、巴の父にも大切にされたし、京都で翻
弄されたけど、**何が大切かを取り戻して**「木曾に帰ろう」となって「巴は落ちのびて
弔ってくれ」と絆を結べたんだから、いい人生だったと思う。

でも私個人には義仲の人生は気の毒だ。本当に気の毒だ。
以上。

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時14分18秒)
 

( Date: 1998年 8月 27日 木曜日 1:22:43 PM)

8読んでます。

吉川英治の「新平家」なかなか良い解釈もあって勉強になります。でも(この話はどう表現
するのかな)と期待していることが全く書かれていなかったりしてがっかりもあります。

富士川の合戦の敗因の1つである大庭景親と伊東祐親の敗北が平家の作戦にソゴをきたした
ことはそんなに重要だったのかと意外でした。だけど伊東の親父さんもいいけど息子もなか
なか、たいした男だ、と思いました。私って潔い男にすぐ惚れてしまうのです。 (^^)


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時14分43秒)
 

( Date: 1998年 8月 30日 日曜日 4:36:51 AM)

8の真ん中を読んでいます。

義仲を間に巴さんと葵さんの闘い。義仲ってLucky Guyです。
でも巴の印象が全く違ってました。

ねぇ、中西さん、女性2人に挟まれて男性はどんな気分なんでしょう?
単純に幸せ?それとも困ったなぁ?


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時15分10秒)
 

( Date: 1998年 8月 30日 日曜日 0:33:58 PM)

やっと8読み終わりました。

「うるみ声」ですか?!こーゆー声を出す機会ってウチの夫婦には無い。
ウチなんて3分も喧嘩が続かないから、つまらないなぁ。
政子のようにねちねち絡んでもみたいけどカラム基になるような危機もなかった。

朝鳥の妻の蓬子、頼朝の妻の政子と亀の前、義仲の妻の巴と葵。そして清盛の妻時子。
各タイプの女達の登場が面白かったです。特に、つまらない女だった亀の前がセクシーに
なって登場して「うわなり打ち」がやっと出ました。頼朝が亀の前に会いに行って泊まった
ことが凄く意外でした。ひょっとして頼朝って優柔不断男なのかしらと思いました。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時15分36秒)
 

( Date: 1998年 8月 31日 月曜日 2:32:25 PM)

9です。

経正って評判通りの貴公子でした。それで経正って結構人気があるのか。でも私の好みの男
にはちょっと遠い。この人って私には*中西さん*のイメージです。。。 (^^;

知盛さまって結構病弱だったのですか?以仁王の時にも大病してたし、清盛の死の時も
病気だったし、あの人が壇の浦を死に場所としようとしたのは実は自分の病気のことが
あったから?

宗盛はイメージ通りの御曹子でした。so far(今のところですが)。

維盛がねぇ、イメージと全然合わないんです。私にとっての維盛って黙って立ってりゃ
美しい男だけど行動力に欠ける「ヤサ男」で人に嫌味などとても言えない人と思って
いたのですが。この人って平家の嫡流5代目のプライドでもってた人なのかしら?

資盛は壇の浦で入水して(君も武門の子だったんだ)と私は再評価したのですが右京大夫と
逢ってて清盛に叱られたのは伊予の河野が平家に叛旗を翻した時でもあったのか。

私の母は「結婚相手は源氏系にしてね、平家のような軟弱はよしてね」と言ってたけど、母
には軟弱男=資盛だったのでしょう。だけど軟弱男=平家の男というのは偏見だと思います。
確かに平家の人々というのは源氏のような泥臭さとか残虐さとか徹底性には欠けるけど、良い
意味の貴族性(豊かさとか寛大さ)があったと思います。私は生まれ変わったら今度は経正の
大ファンになりそうです。

いんこさんからのコメント(1998年10月01日 11時15分59秒)
 

( Date: 1998年 8月 31日 月曜日 11:36:49 PM)

「新平家」経正の竹生島の場面は美しいですよねぇぇぇっ。大好きなシーンです。
9巻あたりから平家の有終の美が際だってきますよー。綺羅で雅びで秀麗で・・・
褒め言葉満載(笑)。でも経正は生まれた年がはっきりしないんですよねえ??
「新平家」ではちょっと年くってますけど、私の理想では28から30ぐらいの間で
あってほしいなあと・・・(笑)。ミーハーです。

都落ちしてからも平家の人々が楽や歌に慰めを求める場面がいくつか出てきますが、
そういうところがどれもとても綺麗に描かれていて、視覚に訴えてくる文章だなあ
って思います。

経盛の一家って品がありますよねえ(笑)。経正は優雅だし、敦盛は小公子セドリ
ックみたいだし(笑)、次男の経俊の印象がいまいち薄いですけど・・・。

資盛について私はいまだ評価が定まらないんですよー。なんだか小松家の人々って
行動に一貫性がなくて、しっかりしたイメージがつかみにくいです・・・。うーん

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時16分21秒)
 

( Date: 1998年 9月 1日 火曜日 0:15:14 PM)

今日読んだのは山吹が葵を射殺したところ。仕事前に読むのはちょっと刺激的でした。
私は山吹が葵を助けに来たのかと思いましたよ。私は甘いなぁ。女の嫉妬や怨みは恐ろしい
っていうのスッカリ忘れていました。

義仲の叔父・行家について吉川英治はあんまり悪く書いていないような気がしますが。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時16分41秒)
 

( Date: 1998年 9月 9日 水曜日 10:57:39 PM)

今は10の真ん中を読んでいます。いよいよ義仲の討ち死にのシーンでしょう。
義仲の叔父・行家のことが書き込まれていないのが残念です。行家って悪運強い人
と思います。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時17分08秒)
 

( Date: 1998年 9月 10日 木曜日 2:54:11 PM)

やっと10の終わりです。義仲が死んで、冬姫が自害したところです。

木曾軍のこと、吉川英治は好意を持っていないんだ、と思いました。
巴は私のイメージとは全く違っていました。私は「女性」としての巴しか考えたことがあり
ませんでした。「母性」の人、巴ということで和田義盛に預けられた経緯がやっと納得出来
ました。
今井兼平の良さが全く無視されていて私は不満でした。泣けなかった。泣きたかったのに。
どうやって読者を泣かしてくれるんだろう、と期待していたのでウッチャリを食わせられた
気分です。
義仲は女性に対して反省したのかしら?信じられない。反省したとしたら、女性を従軍
させたことだったんじゃないかしら?でも山吹も葵も義仲を恨んでいないから吉川英治の
書き方が中途半端でした。紙面の都合で端折った感じがしました。体調が悪かったのかも。

木曾軍の話を読んで今までの10冊の話の中では一番人間が書けていたんじゃないかと思い
ます。後白河の不気味さとか野性の義仲とか女性間の嫉妬や怨みとか、冷泉の局の姿とか
結構小説としての「お話」というより「文学」として読みました。

なかにしさんからのコメント(1998年10月01日 11時17分38秒)
 

( Date: 1998年 9月 11日 金曜日 0:54:29 PM)

>ねぇ、中西さん、女性2人に挟まれて男性はどんな気分なんでしょう?

 自分にとって巴さんと葵さんの様な人間関係だと幸せかもしれないですね。やっぱ、男は良い女性に支えられて強くなるってところがありますからね。身の回りの良い女性は多いほど良いのではないでしょうか。ただ、男を強くした良い女性というのは、多くの場合墜ちていく・・・っていうのがさみしいですね。

 で、これがシチュエーションが変わって、巴さんには葵さんの存在を、葵さんには巴さんの存在を知られてはならないような状況だと幸せと緊張が交代〃に来てなかなか落ち着いていられないのでは (^^;)。「香水のにおいついてないだろうか」って、家にはいる前に自分の左肩のあたりをクンクンにおってみたりして(これこれ ^^;)。

>経正って評判通りの貴公子でした。それで経正って結構人気があるのか。でも私の好みの男
>にはちょっと遠い。この人って私には*中西さん*のイメージです。。。 (^^;

 経正さんは、良いですね。私も知盛さんの次を挙げてといわれれば、男なら経正さんでしょうか。経正さんを想像して私に会うと結構失望するかもしれないですねぇ (^^;)。私は、あかねさんの描く「なかにしさん」そのものですから、どっちかというと・・・ちょっとおもいあたらないですね(苦笑)。私はたぶん、あの時代には「猫」だったと思うので、平家物語には登場しないと思います(これこれ ^^;)。

 で、知盛さんが病弱だったという感じはしないですけどねぇ。そんな病弱な人が平家本体に先行して浮き足立った瀬戸内を鎮めたり、彦島に西の拠点をきずいたりといった任につきますかねぇ。やっぱ、かっこいい人は病弱が似合うという設定上の問題では・・・?? 史実はどうなんでしょ?

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時18分09秒)
 

( Date: 1998年 9月 11日 金曜日 1:43:41 PM)

いんこさん、史実では知盛さまは病弱だったのでしょうか?

中西さん、男性は複数の女性を愛している場合、彼女達が仲良くしてくれると、ますます
「男」として強くなれるのですかぁ。。。うーーん、参考になります。はぁーーーっ。
「女」が「男」を良くするって「男性側からの発想」には目が醒めました。

そして、中西さんって感性が、経正に似てますよ。私は経正って全く知らなかったのに
読み進むにつれて内的な感じが(あれ?中西さんみたい!)って思いました。

私は知盛さまが理想の男性なんですけど、吉川「知盛病弱」説でイメージが壊れてきて
しまいました。だから壇の浦を最期の死に場所としたの?って。これは困るのです。
他の人達を巻き込んで入水を強要したとか無理心中みたいで。

でも、だから平家一門でも越中の次郎兵衛どのとか景清とか忠光とかの元気印系は
壇の浦から脱出して最後まで源氏に抵抗し続けたのかしら、とも思い始めました。あと
6冊頑張って読みます。

いんこさんからのコメント(1998年10月01日 11時18分38秒)
 

( Date: 1998年 9月 12日 土曜日 7:10:58 PM)

知盛殿、病弱説(?)っていうのどこかで読んだなーと思って風邪にもめげず(笑)
ムキになって捜してしまいましたよーん。

これはどうやら「玉葉」からきた説みたいですー。
「平家後抄」も書いておられる、角田文衛氏の著書に「王朝の明暗」というのが
あるのですが、その中に「平知盛」という一章があります。

その「平知盛」の中で角田氏は、知盛が治承四年(1180)には万死に一生を得るような病
をし、又、養和元年(1181)には東国征伐の最高司令官を病のために戦線離脱していると
述べられています。

これらは「玉葉」の中に記述があるらしく、養和元年の方は私の持ってる「玉葉」で
確認しました。でも治承四年の載ってる方の本が引っ越しの時のほどいてない荷物の
中にあるみたいなので確認してませーん(笑)。でも、載ってるのは事実でしょうね。

その「玉葉」の記述から角田氏は知盛殿が武将として気力も不屈の闘志も備えていた
けれども身体の方はあまり頑健ではなかったのでは・・・というようなことを推論さ
れているので、吉川英治氏も「玉葉」を読んでそう思ったのでしょうか???。
でも角田氏は最後に、知盛に要求されていたのは、個人的な剛勇ではなく、軍を統率
・指揮する将軍としての能力であったと結ばれています。

角田氏は私の大好きな(?)研究者なんですが、でも「2年続けて大病したから病弱」とは
決められないんじゃないかなあと私は思うのですが・・・。
養和元年の方の病名は「所脳により」ってなってるだけですし、そんな不治の病みたい
なものじゃないと思いますよー。服部さま(^^)。
「新平家」では教経も病弱っていう記述がたしかどこかにあったような気がする・・(笑)

なかにしさんも言ってられるように、格好いい人は「病持ち」っていう設定だと私も思いたい
ですねえ・・・。ふふふ
私も平家の人物では経正が、なかにしさんのイメージでーす。
おだやかでやさしそうな方って・・・って思いこんでまーす。

ふひー、こんだけ書き込んでクタクタになってしまったー。バカなわたし・・・
でも、知盛様、病弱説のわたしの知ってる例をお知らせしなければと、力んでしまいました(笑)
お後はよろしくー。ガクッ。(寝込む音)

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時20分21秒)
 

( Date: 1998年 9月 12日 土曜日 10:35:59 PM)

いんこさん

有難うございます。そうか、知盛さまはホントに大病してたのか。
教経どのの病気持ちはウッソーです。鬼の撹乱の方だと笑ってしまいます。
おヌシが?って。

知盛さまは個人的な豪勇の人物ではなく将軍的存在の人物だったのか。この指摘は
中西さんのお考えと同じだったのですねぇ。

基盛さまの若すぎる死といい知盛さまの病い持ちといい、平家には運さえ味方して
いなかったのねぇ、ぐすん。


いんこさんからのコメント(1998年10月01日 11時20分47秒)
 

( Date: 1998年 9月 14日 月曜日 11:14:15 PM)

服部さーん。
おひまな時でいいので、前に平家物語館に書き込んでられた知盛殿の子息
知忠に子供がいて、その子孫が足利義満の暗殺をしようとしたっていうのを
くわしく教えてくださーい。お願いしますう。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時21分54秒)
 

( Date: 1998年 9月 15日 火曜日 0:02:00 PM)

1)今日読んだ11ではあっという間に通盛殿が首になりました。えっ、でした。
吉川英治ってどうなっちゃってるの?

2)手元に資料が無いのですが、知盛さまの孫は伊賀で育てられ、伊賀の北ということで
「北」姓を名乗り子孫が南朝方となり、1379年正月15日、足利義満を暗殺しようと
して失敗し本姓の「平 頼秀」の名で斬首になった、と記憶してます。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時22分23秒)
 

( Date: 1998年 9月 17日 木曜日 1:53:39 PM)

現在11の後半に入ったところです。重衡が3種の神器を返すように手紙を送ったところです。

1)一の谷の合戦の平家の敗因は後白河の謀計に引っ掛かった、というのが新しかったです。
2)熊谷直実が敦盛を討った理由も新しかったです。
***A)周りに源氏の兵がいたこと。首を取らねば自分が疑われること。
***B)敦盛が義経を知っていると言ったから敦盛を見逃してやってはやばいと思ったこと。

人間の甘さや弱さがよく出ていたと思います。平家と熊谷直実の。


いんこさんからのコメント(1998年10月01日 11時22分48秒)
 

( Date: 1998年 9月 17日 木曜日 8:07:57 PM)

ありがとうございます。
へー、南朝方になってるんですねえ。でも足利が源氏ってことを考えると
面白いですね。またいつか詳しく教えてくださーい(^^)。

義満って人も色々とくせ者ですよね。
「一休さん」のおじいさんかもしれないし(笑)。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時23分15秒)
 

( Date: 1998年 9月 19日 土曜日 0:50:03 PM)

日本語って読みが難しいですよね。地名も人名も。
伊賀の地名はですねぇ、見当がつかないのです。神さびの伊勢の国の地名も読めない。
奈良や京都の古さとはちょっと違った、マイナーな土地だけに、古代の、万葉仮名の、
世界です。伊賀は今でも時間が止まったような隠し国です。それだけに人の顔も独特な
容貌を持った人を伊賀で見掛けました。

壇の浦から落ちて行った先の伊賀の地は与野の花垣という村。奈良の月ヶ瀬村のすぐ
近くです。私は去年「よの」ということでつつじできれいな柘植の「余野」を考えて
いました。この柘植は伊賀の東部にあり頼朝を助けた宗清の拝領した土地に当たります。

壇の浦の前年残党を集めて蜂起した平田家継の所領地が最近分かりました。伊賀國
山田村の平田はJR伊賀上野駅から川に沿って忍者の元締めの百地三太夫の喰代砦に
行く途中にあります。

私にとって平田家継は青年武将の姿であり、藤原忠清の娘婿だろうかとまで想像が入
っていたのに某氏によると忠清に近い年輩の老人だったようで私の夢が壊れかかって
います。家継は頼朝の追討使を殺したのに力尽きて捕らえられ処刑されたのですが、
今は、年なのによく戦った、と称賛してあげたい。この人の名前を打つ度に涙が止まり
ません。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時23分41秒)
 

( Date: 1998年 9月 20日 日曜日 9:10:29 AM)

やっと11終わりました。

千手の前の登場です。白拍子という設定には意外だったのですが教養の深さで納得しました。

頼朝の目の前に現われる女は全て敵という態度の政子の嫉妬は凄いですね。「頼朝どのは
100%私だけのものよ」ですか。
フーン、と思わずうなってしまいました。
でも女性の「営巣本能」と思えば納得も出来ますが。私に欠けているのはこれなのだから。

「いかなる丈夫も、男であれば、女性の愛には囚われるに決まっている」
(11巻のページ339です ) ↑ 女性の私には
こういうのも分かりませんが、男性達は女性に対しては本音が隠せないものなんですか?
女に言ってはならない秘密をバラしてしまう。。。特にピローイングの時に。。。
ま、映画などでは敵方の女スパイがベッドシーンで秘密を聞き出しますが。でも私は今迄
その男がバカだからスパイの女に言ってはならない秘密を漏らすんだと思っていたのですが、
あれれ?男性って正直なんだ、と思いました。この会話を読んで、男性達って自分達のことを
ついついホントの事を女性には隠せない生き物と知ってるんだ、とほほえましく思いました。

だから政子が頼朝の浮気をスグ感付くのか、とも思いました。

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 11時24分11秒)
 

( Date: 1998年 9月 21日 月曜日 0:53:35 PM)

重衡どのと千手の前が死んで1つの山が終わりました。

1)「千手の前の章」面白かったです。特に上記にも書き込みましたが、同じく秘密を
話してしまうにも男女の差があるところ。

男性は物理的に裸になると精神的にも無防備になって秘密を暴露してしまうのか。
女性は恋をすると秘密を持っているのに耐えられなくなって暴露してしまうのか。

男性は、自分達が女性には隠し事を続けるのが出来ないことを自覚している。
女性は、男性に隠し事を暴露してより深い愛を得たいと願うから味方をも裏切る。

同じく秘密を暴露するのにも男性には女が、女性には理由が、必要ということか。


2)重衡どのと千手の前の最期のシーンが印象的でした。
「同じ場所で、同じ瞬間に」という究極の死を遂げることが出来て千手の前には
これ以上の生き方、死に方は無いから良かった。

「死ぬ時は一緒に」というのは恋する者たちの究極の願望ですから、重衡どのの
妻と恋人と愛人の3人のうち「死出の旅路を共に出来た」千手の前が1番幸せですね。


3)「千手の前の章」は実に気分良く読む事が出来ました。梶原なる卑しげな人物も
いましたが、おおむね登場人物は良い性格の人達で、重衡どのの最期がさわやかになり
ました。

南都で極刑にしようと叫ぶ僧達に反対して正論を唱える人物が出現したり、工藤祐経が
人柄の良さで重衡どのの名残り惜しさを叶えてあげたりと人間のプラス面が書かれてい
て重衡どのがさわやかに死んで行ったように私も読者として後味が良かったかったです。

いんこさんからのコメント(1998年10月01日 11時24分39秒)
 

( Date: 1998年 9月 21日 月曜日 9:18:39 PM)

「新平家」の重衡の最期はなかなかドラマ仕立てで泣かせますね。
鎌倉方の対応も結構いやみなく描かれてますし。
梶原くんは、うーん・・・(笑)。梶原くんはいつも悪者で気の毒ですねえ。

重衡が頼朝と対面した時に、いやみ(?)を云うシーンがわたしのお気に入りです(笑)。
ハードボイルド小説のヒーローみたいに自嘲まじりで。
しぶいぞ、重衡。って感じ(あ、またミーハーしてしまいました)

最期まで影から重衡をささえた友時の存在も印象に残ってますー。

「新平家」では重衡をとりまく女性3人の中では服部さんがおっしゃるように
千手の前が一番幸せかもですねえ・・。でも実際問題としては、現代に生きる
わたしにはとてもできないような気が・・・(そんな状況にならないって(笑))。


なかにしさんからのコメント(1998年10月01日 11時25分04秒)
 

( Date: 1998年 9月 22日 火曜日 4:06:07 PM)

 本当にいいですよね。新平家の千手の前と重衝の関係の描写は。旅芸人に扮して重衝を追う千手の前のけなげさにこれがまた男の私は惹かれるんだ・・・(^^;)。

 ただ、私が重衝だったら千手の前には生きていて欲しいと思っただろうなぁ、と思いますが・・・。やっぱ、生きててナンボのもんですよ。私には死後の世界はよくわからないですが、片方が死んでも、もう片方が生きていれば夢の中ででもまた会えるのではないか、生きている愛する人を死んだ自分が見守っていることができるんじゃないか、そんな気がしてますから。

 梶原くんは・・・(^^;)、最期は哀れだと思いますが、やっぱ嫌いだな。そもそも、梶原くんが頼朝を助けたから平家は滅んじゃったといってもいいですよねぇ(と、誰かに同意を求める ^^;)。


なかにしさんからのコメント(1998年10月01日 11時25分31秒)
 

 以上は旧電子会議室からのコピーです。各発言は旧電子会議室の発言をそのまま移動しています。もともとの発言のタイムスタンプはコメントの先頭行に書いてあります。また、メールアドレスは個人のメールアドレスを第三者が公開することは支障があるので、便宜上WS彦島のメールアドレスを使用しています。

 このコメント以下にさらにコメントを続けることもできます。

宮崎珠貴さんからのコメント(1998年12月23日 11時57分30秒)
           パスワード

はじめまして。私は、公立中学の国語教諭です。
教科書には木曾義仲の最期が教材として収載されています。
義仲の最期を読み、冒頭部分の暗唱をしましたが、
生徒達なりの実感がこもった、すばらしい、暗唱でした。
私も、この冬休み、「新平家物語」を読もうと予定しています。
じっくり読んでから、また、この、会議に参加させて下さい。

とても、場違いなコメントのような気がしてしょうがないのですが
書かせていただきました。

なかにしさんからのコメント(1998年12月23日 16時14分43秒)
           パスワード

 宮崎さん、はじめまして。

 源平の合戦最後の舞台の壇ノ浦の近くからアクセスのなかにしです。いちお、ここのお世話係ですが、こと、平家物語に関しては、他のみなさんにおんぶにだっこ状態です。

 これからもお気軽にご参加下さい。

 あと、話題に関係なく日記替わりに気軽に使っていただけるページもありますのでこちらもよろしくお願いします。http://www.tip.ne.jp/bbs/index/hikoshima.html

 

服部 明子さんからのコメント(1998年12月24日 10時46分03秒)
           パスワード

宮崎先生

初めまして。
このところ「平家物語の雑談」が低調気味ですのでよろしくお願いします。

コメントを書く人はこちら

コメント:HTMLタグは使えません。改行は反映されます。



お名前:

メールアドレス:

URLアドレス:
 ホームページをお持ちの方のみ、そのURLアドレスを記入してください。