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投稿番号:26175 投稿日:1998年10月01日 10時46分48秒
お名前:服部明子
 

平家物語の雑談 その9(のコピー)

キーワード:新平家物語

コメントの種類:歴史


( Date: 1998年 7月 25日 土曜日 4:00:15 PM)

いんこさん

えっ?でした!吉川英治って基盛さまの死には触れていないのですか?
1162年3月17日に亡くなっています。太陽暦では1162年5月2日。

この人、保元の乱に17才で大活躍しているのに6年後には死んじゃったなんて。
私この人、好きみたい。なんかロバート レッドフォードみたいな顔していた気が。。。
そんな顔が浮かぶんです。




いんこさんからのコメント(1998年10月01日 10時47分17秒)
 

( Date: 1998年 7月 25日 土曜日 9:30:11 PM)

こんばんわー。昨日からの二日酔い(笑)をひきずってもうろうとしてますう。

ぎょえー、西川さま、私は「平安摂関史」とはいっても学生時代に勉強してたのは
平安も平安、藤原道長の時代なのですー。あの時代前後、いわゆる摂関政治が花開いた
時代が専門(そんなたいそうなものじゃないす)だったので、院政期、源平時代はまったく
独学であります(笑) ここの掲示板(?)にも平家物語館の方にも、この時代を専門に勉強
されている方々がいらっしゃるようですので私ごときが色々と言うのも僭越ですー(笑)
ですから、素人意見としてとらえてくださいね(あたりまえだっつーの(笑))。

義仲と「松殿の姫」との婚姻は、あきらかに摂関家同士の権力闘争から生まれたものでしょう。
戦乱の方に興味がこの時代向きがちですが、摂関家直系の基実の息である基通、基房、基実、
この三者の間でも激しい(?)権力闘争が繰り広げられていますよね。もうすでに藤原氏のみで
政権をとれる時代などとうに過ぎ去っていますから、彼らにしてみれば、後白河法皇、平氏、
頼朝(鎌倉)、義仲、義経と、それぞれ自分にうまい汁を飲ませてくれそうな権力者をその都度
嗅ぎ分けるのに必死な訳です。あはは 基房は義仲に寄生(笑)することを選び、北陸宮擁立の
時にも朝廷と義仲の間を取り持ったりもしています。結果は四の宮になりましたが、義仲政権(?)
間、基房の息男である師家が摂政となる訳ですね。後に鎌倉に寄生(笑)した基実に蹴落とされますが(笑)
この間の詳しい経過を知るのには、やはり皆様よく御存じの「玉葉」が一番よいのではないかと・・。
天下の文句たれ男、基実が書いてるので、自分のことはさも忠臣で他の者はほとんど悪し様に
書かれてますが(笑)、自分の好きな人々について書いてある悪口(?)は話半分で(笑)読むとよい
のではないかと思います(笑)。 「玉葉」は以前にもここで書いたのですが、
 高科書店というところから出ている「訓読玉葉」というのが読みやすくて良いと思います。
義仲が出てくるのはこれの第五巻です。治承5年から文治元年まで収録されてます。価格は税抜きで
一冊8000円と超お買得ではない(笑)値段ですう。もっと安くしてえー
義仲の婚姻はよって略奪婚ではなかったと私も思いますよ。西川さん(^o^)
もっと色々お話したいですね。義仲在京時というのはなかなか面白いです。

服部さん、基盛の命日(笑)ありがとうございますー。
私は「保元物語」と「平治物語」をまだ読んでないのです。いい本あったら紹介して下さいませ。
基盛は吉屋信子の「女人平家」に出てくるのが素直でとても良い子ですね。ふふふ
ロバート・レッドフォードですか? 金髪くんの武者ですね(笑)
子息の行盛もなかなか地味ですがよさそうな男ですよねえ(笑)。おいおい
景清のゲームやってみたいです。プレイステーション用だったらいいのにな。
でも私ひどいヘタクソなので永久に景清にエンディングを迎えさせてやれないでしょう(笑)。

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 10時47分43秒)
 

( Date: 1998年 7月 26日 日曜日 1:47:35 PM)

今日中に3を読み終わって明日からは4を予定しています。
でも瑠璃子さん出てこなかった。若い頃意識した男女が中年になってから再会して。。。
その後どう2人の仲が展開するのか楽しみだったのに。。。肩透かし食らった感じです。
思わせ振りだけだったの?それともズッと後に進展があるのかしら?

清盛と常盤さんの話は凄かった。講習会の合間に読むべきシーンじゃ無かった。 *(^^)*
吉川英治ってきわどい話を綺麗に表現しますね。司馬遼太郎だったら書かずに省いて
無視してしまうと思うけど吉川英治って根が潔癖なのか禁欲的な方向で書いていてまるで
宮本武蔵とお通さんの話を読んでるみたいでした。

時子が後白河に夫のことを言い付ける話は頂けなかった。まるで「太閤記」を読んでる
みたいでつまらなかった。秀吉とおねねさんの場合はおねねさんに子供が生まれなかった
から信長に言い付けたことは分からないでもないけど、(1)あの時代の女性があんなこと
言い付けるかな?と信じられなかった。(2)時子は子供を10人も生んだ40位の女って
設定なのに母として自信のある女が23才の常盤に嫉妬するかしら?と信じられなかった。

私が堂上家の平氏の女で夫が武士の平氏の出身だったら「武家の男は負けた方の大将の女を
力づくで手に入れて嬉しいの?」と武家の夫の**本能**を軽蔑すると思うのですが。

常盤って、美貌で上流社会に入り込むことが出来て、源氏の大将の義朝の愛人になれて、
夢のような幸せの日々の後に、結局は、足手まといとして義朝から京に置き去りにされて、
挙げ句が敵の男に美貌で言い寄られ、子供までなした後に。。。又々違う男に。。。その
常盤の美貌と袈裟の貞操と時子の意志と巴の武勇を持った女に次回は生まれてみたい。

池の禅尼に清盛が頭が上がらない話は「マザコン」の設定なんだなって思いました。
そして文覚が頼朝をそそのかしたのは清盛に対する妬みからだったの?と思いました。

西川かおりさんからのコメント(1998年10月01日 10時48分15秒)
 

( Date: 1998年 7月 27日 月曜日 1:25:51 PM)

今日は川崎は暑いです・・・みなさまのお住まいの地はどうですか?

服部様>
たしかに巴や静は物語の中で、ものすごく目立っていますね。もしかしたら昔、平家物語が作られていく中で
義仲や義経のキャラクター付けのために、何人もいる彼らの恋人達の中から選ばれたのかもしれません。

義仲・・・武勇に優れるが京に疎い・・・故郷からついてきた武勇に優れる女武将・・・巴御前
義経・・・武勇に勝れ、京にも強い・・・頼朝の前で舞う程の勇気を持つ京の白拍子・・・静御前

もしかしたら静も巴も、実際は「一番愛された女性」ではないのかもしれませんね。

いんこ様>
ふむふむ、三者の権力闘争ですか・・・これは玉葉を読むしかないのかな・・・
実は玉葉には、以前苦い経験?が・・・

結構メジャーな文献じゃないですか。なので私は簡単に見付かると思っていたのです。
しかも私の住んでいるところは県境なので、神奈川県と東京都の図書館を利用できるので、どちらかにはあると思っていたのです。
ところが・・・・なんと無かったんです。訓読どころか漢文のも・・・
あきらめきれなかったので国会図書館まで行ったのに、なんと訓読は貸出中・・・!?
しょうがないので漢文のもので義仲が出てくるところをコピーしたのですが、非常に難解で・・・。
それっきり違う方に興味が行ってしまったので読んでないんですよ。
あのときはマジで、学生時代にもっと勉強しとくんだったと反省しました。たしか図書館にあったはずだから・・・。
幸いにもいんこ様に何巻に義仲が出てくるか教えて頂けたので、購入する方向で考えようかなと思います。

あと、「玉葉」のような当時のものではなく、それらを研究した本に心当たりはありませんか?
当時の都に関しては中学生に教えられるレベルの知識しか無いので、摂関政治の起こり・隆盛・崩壊について
詳しくしりたいなと思うのです。よろしくおねがいします。

服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 10時48分45秒)
 

( Date: 1998年 7月 27日 月曜日 2:53:40 PM)

たしか永井路子の「絵巻」に後鳥羽を後継者にした経緯が出ていたと思います。彼女の
「寂光院残照」も後白河時代が書かれていたように思います。
両方とも文庫で読みましたから手に入り易いと思います。昔の記憶なので申し訳ないで
すが本屋さんにて永井路子のコーナーで確認の上御購入下さい。

「女人平家」未だ読んでいません。基盛さま、可愛いんですか?私の好みの男がまたま
た1人増えそう。夫から「好きな男のファイルケースがいるね」と言われています。
#(^^)#


なかにしさんからのコメント(1998年10月01日 10時49分10秒)
 

( Date: 1998年 7月 27日 月曜日 6:44:40 PM)


 そうそう、ボーナスなくならないうちに超お買い得でない訓読玉葉買わなきゃ(独り言・・・ ^^;)。 わたし、副業(?)でWindows用のプログラムの開発もしてるんですけど、新しいバージョン公開直前の大詰めで、読むのが精一杯状態ですが、女性の目から見た「平家物語」勉強になります (^^;)。

 服部さん、吉川英治の新平家物語、結構速いペースで進んでますね。私は通勤の電車の中で読んで13巻読むのに半年近くかかりました・・・。最近は、ついこないだ買った瀬川康男の絵本「平知盛」に目を通そうと思ってるのですが、かの、タレ目でぽっちゃり型に描かれた知盛の表紙を見るたびに「・・・また今度にしようかな」と本箱に戻してしまうのです(これこれ ^^;)。

 「いないいないばぁ」で有名な瀬川康男さんって、これ(一連の平家物語)を描くために下関にもしばらく滞在したそうですけど、下関に滞在しながらなんでこんな知盛さんになっちゃったかなぁ・・・と思うと夜もぐっすりです(これこれ ^^;)。


いんこさんからのコメント(1998年10月01日 10時49分43秒)
 

( Date: 1998年 7月 27日 月曜日 9:34:33 PM)

最近、平家とは全然関係のない旧ロシア皇帝一家の本読んでるので(流行り?)なんだか
頭が混乱してます(笑)。
昔、夢野久作の皇女アナスタシアを扱った小説を読んで以来、アナスタシア生存か死亡か
という論争にずっと興味を持ってきましたが、どこの国でも非業の最期を遂げた貴種とい
うものには生存説というものがつきまとうなあと・・・(無理矢理、平家の世界に結びつ
ける強引なわたし(笑))

なかにしさんお忙しそうですね。西川さんと、なかにしさんが「訓読玉葉」5巻をお買いになっ
たら、私、高科書店からマージンもらってもいいでしょうかね(爆笑)。 発想がせこいぞ、関西人。へへへ

西川さん、東京圏に住んでいると「国会図書館」が使えるからいいですよねー。うらやまひい。
ちっ、国民の税金使ってるのに遠距離に住んでる人間は使えないっつーんですよね。
うーん、「玉葉」を研究した本はあると思います多分。私は持ってないけど・・・
「玉葉 註釈」とか「玉葉 註解」とか(笑)ありそうな気がしますね(うそ(笑)) どなたか
この時代専門に勉強してる方が教えてくださるといいんですが・・・と、他力本願なわたし。
義仲と朝廷との関わりを研究した書物って見かけませんねえ。って私は義仲にはぜーんぜん
詳しくないので難しいっすう。 後白河法皇関係の研究書を読まれるのがてっとり早いのでは?
あと通史としての入門書で一番役に立つのは中公文庫の「日本の歴史」シリーズですね(笑)
これは誰でも知っている本ですが(笑)熟読すると朝廷の動きも結構よく掴める穴本(!?)だと・・
なんかもっとぐだぐだと書きたいんですが、すごく長くなっちゃいそうなんですー(笑)

摂関家の盛衰に関しては山のように史料・資料がありますう。いわゆる「摂関時代」というのは
良房に始まり頼通の時代ぐらいまでを指しますが、「摂関政治」というのも事実上は後三条天皇
即位の時点で有名無実となっております。(そんなこと誰でも知ってるか・・くすん)
で、「摂関政治の盛衰」となると源平時代とはあまり関わりを持ちませんが(もちろん子孫は関係
してきますけど)いかがなものでしょうか??? どういった方面からのアプローチがお好みでしょう???
でも、中学生に教えられる程度も御存じでしたら凄い!!と思いますよー。わたしは片寄った研究(?)
しかしていないので、お役に立てるかどうか・・・とほほ。

平家の人々や義経などは、死んだ後も落人伝説や北行伝説などが残っていますね。義仲にもそういった
たぐいの伝説は残っているのでしょうか?? よければ教えてくださいませ(^o^)。

服部さんへ、永井路子って平家側の小説も書いてるんですねえ。知りませんでした。
「永井といえば鎌倉」と思っていました(笑)。さっそく町に出たら(笑)買いまする。
「新・平家」早く都落ち以降を共に語り合いたいですう(笑)。服部さんの感想が楽しみでーす。

なかにしさんからのコメント(1998年10月01日 10時50分15秒)
 

( Date: 1998年 7月 27日 月曜日 11:12:58 PM)

いんこさん、こんばんは
>「新・平家」早く都落ち以降を共に語り合いたいですう(笑)。

 ひそかに同感!

 玉葉は大阪の阪急古書のまちで全巻揃いを見つけたものの値段が付いてなくて(古本屋さんで値段の付いてない古い本って、値段を尋ねるとたいてい私の買えないような値段が付いてる ^^;)、しかたがないので、高校生向けの参考書かガイドがないかなぁ・・・と思ったのですが、学校教育では玉葉は扱われていないのでしょうか、見あたりませんでした。

ちなみに http://www.books.or.jp/ で「玉葉」でサーチするといくつかヒットしますね。


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 10時50分43秒)
 

( Date: 1998年 7月 27日 月曜日 11:33:54 PM)

私は子供の時に「万寿姫」だったか手塚?の娘が鎌倉へ捕われた母を尋ねて行く話を読んで
ショックを受けた記憶がありますが、あそこで「木曾系源氏」に同情したと思います。

でも義仲は伝説にならないでしょうね。兼平があのような壮烈な死を遂げたからあの2人は
成仏って印象です。誰が何と義仲を誹ろうとおとしめようとあの2人はそういうのを吹き飛
ばす最期だったと思います。牛車の乗り方を知らなかったとか人をもてなすのにキャット・
フードを出したとか悪口1杯言われても京自体がそういう目引き袖引きの社会でしょ?義仲
はそういう「次元の低い」!自分達だけが「上級」?と思っている社交社会に「異質な存在」
として入って行ったから矢面にさらされたけど、あの2人の「最期」は京の人々の悪口をも
う言わせないパワーを発揮したと思います。義仲の悪口を言った人達は後味悪かったと思い
ます。

義経と弁慶は平泉に裏切られ兄に裏切られその他の源氏系武士達にも見捨てられて(伊予の
河野のことですけど)もともと梶原などからは悪意に満ちた取り扱いも受けてるから「同情」
を1杯集めたって思います。義経の「最期」は後味悪かったから「伝説」が生まれる余地が
1杯だったと思います。


西川かおりさんからのコメント(1998年10月01日 10時51分19秒)
 

( Date: 1998年 7月 28日 火曜日 5:33:09 PM)

みなさまこんにちわ。今日も暑いです。しかも窓を開けているせいか近所の子供の声が・・・集中できないよう。
と・・思ったらなんとマンションの屋上に子供がのぼって遊んでいた・・・。おそろしや・・・
とっつかまえてとっちめてやりました。はあ〜親は何してんだ。

なかにし様>
実は「玉葉」には私達が求めている九条兼実の以外に「玉葉和歌集」というのがあるのです。
解説本などを買われるときは注意なさって下さいね。

いんこ様>
玉葉の注釈本は国会図書館に行ったとき一緒に読みましたよ。なんか兼実がどういう生い立ちで、どんな人生観で玉葉を書いたかみたいな内容でした。
今までいろいろな本を読んできましたが、義仲の都での様子については、まともに研究された本は無いのではとおもいます。もし、知ってる方がいたらぜひ教えて頂きたいです。
御白河関連の物も見ていますが、平家物語の「田舎侍」あつかいに踏みとどまり、新しい見解を出そうとしている物には、残念ながら出会ったこと有りません。
最近のものは多少表現が変ってきているようには感じますが表面のことで、義仲の独自性を追求して・・・という私の欲求は満たされません・・・。
まあ、その点は内心あきらめてもいるので、自分で追求しようと思っているのです。
ただ、学校を離れてはやいくとせ。何をヒントに調べたらいいかわからず、困っていまして、そのあたりいんこ様に教えて頂きたいなと思っているのです。

でも、私の質問も悪かったですよね。ちょっとあいまいだったかも。
「摂関政治」が源平時代にはもう終わっていることはわかっています。しかし、形骸化された「摂関」は残っているわけですよね。「藤原」の人々はそれを再び、実権力のある物にしたかったのではないでしょうか?
天皇の力を復活させたかった「天皇家」は「院」という矛盾を抱えた形でその力の回復を果たしました。それをみていて「うちの家も・・・」と思っていたのではないでしょうか。
古いものに縛られるかどうかは、人物個人の気質によるところもあるとは思います。しかし、「権力への念」というのは子々孫々まで伝わって行くものではないかと思うのです。
また、人物個人が自分の力にありがたみを持たせるために「古いもの(血・家柄など)」を利用する場合もあったでしょう。
そんなわけで、「摂関政治がどのようにして始まり、滅びていったのか」義仲の頃の「藤原」の人々をささえる精神構造を知るために読みたいわけなのです。
時代を俯瞰する概説書のようなものから一歩進んだ感じのものでどうでしょう?お心当たりはありませんか?「摂関政治の全体像を知りたいならこれ!」って感じのでいいんです。

ある時代について、歴史を横に見ていくのは意外とやりやすいんですよ。だいたい手に入りやすい歴史の本は「☆☆時代」というくくりになっているものが多いですから。
でもある事象について、歴史を縦に見ていくのはなかなか・・・やっぱりちょっと詳しくないと・・・
いんこ様の興味の方向は違う方に行ってらっしゃるようですが、ちょこっと知識の引き出しをあけて頂けたらと思っています。

☆義仲の生存説について☆

義仲本人の生存伝承は聞いたことないです。
服部様のお考えが的を得ているのではないかと思います。「義仲と兼平の最期」があまりにすごすぎて脚色のしようが無いですから・・・。
でも、周りの人物にはもう、いろいろ有ります。
巴御前があちこち放浪してあちこちにお墓だ、寺だがあるのですが、義仲の妻と言われる山吹も負けず劣らずすごいです。
それにともなって、義仲の子孫の伝承はいたるところにあります・・・。(万寿の話はその一つです)
そのなかでも一番すごいのが
「清水義高は生きていた!」というもの。
義高は、鎌倉に送られて頼朝の娘・大姫と恋仲?になるものの、頼朝に追われ、入間川のほとりで死にます。(吾妻鏡・お伽草紙による。)
ところが、
ある伝承によると、栃木まで逃げて、農民に成りすまし数年過ごし、のちに鎌倉にみとめられ御家人になったとか・・・。
これでは「悲恋」もあったものではないですが・・・。

服部様が「義経の最期は後味が悪かったから伝説が生まれたのでは」と書かれていますが、義高の最期もかなり後味が悪いので、
伝説が生まれたのかもしれませんね。

いんこさんからのコメント(1998年10月01日 10時52分00秒)
 

( Date: 1998年 7月 29日 水曜日 3:08:21 AM)

こんばんわ。って、もう朝か(笑)。

なかにしさん、「阪急古書のまち」=「かっぱ横町」ですね。懐かしいです(泣)。
大阪から離れて半年以上たってしまいました・・・。

西川さんへ
>そんなわけで、「摂関政治がどのようにして始まり、滅びていったのか」義仲の頃の「藤原」の人々をささえる精神構
>造を知るために読みたいわけなのです。
>時代を俯瞰する概説書のようなものから一歩進んだ感じのものでどうでしょう?お心当たりはありませんか?「摂関政
>治の全体像を知りたいならこれ!」って感じのでいいんです。

一歩進んだ感じのもの・・・うーん、西川さんの知識はそうとうなものだと思いますので私などが、いらない本をお勧め
してもお気に召さないのではないかと不安ですう。

王権という点から平安時代全体を分析した珍しい本で、岩波新書の「平安王朝」保立道久著があります。この本
にも書いてありますが、本当にこういった視点の本は珍しいんです。これはいわゆる一般書の部類に入って西川さんには
物足りないかもしれませんが、なかなかいい本です。比較的最近の本ですし。
桓武から遡って後白河上皇までの「王権」とそれを取り巻く人々の相克が割と専門的に分かりやすく書かれていると思い
ます。この本が狭義な範囲の専門書よりも西川さんの御要望に一番近くて比較的理解もしやすいのではないかと思うので
すが物足りなければすみません。それとももう読まれてたりして・・。
この本を読まれて面白いと思われましたら、巻末の参考文献が結構お役に立つのではないかと思います。
吉川弘文館の「摂関時代史の研究」ですとか、五味文彦の「院政期社会の研究」山川出版 などは時代で別れていますが
有名な研究書です。私は結構狭義な専門書を読むことが多かったので、西川さんの御要望に合いそうな本というとこんな
ものでしょうか・・・。あー、読まれてハズしてたらすみませんです。ぺこり

>「摂関政治がどのようにして始まり、滅びていったのか」義仲の頃の「藤原」の人々をささえる精神構造を知るために
>読みたいわけなのです。

西川さんのお望みのように時代を縦に見ていくという要望を満たす点となると当然御承知でしょうが一冊や二冊の本では
難しいですよね。
私も学生時代にたった一人の摂関時代の人間について調べたいと思っただけだった(笑)のに、当時の公卿の日記、歴史物
語、説話集を読むことから始めさせられました(笑)。そしてそれらに登場する人物を把握するための系図史料「公卿補任」
「尊卑分脈」などと首ったけにならないといけないですし(泣)。歴史上の人物に惚れ込むとほんとうに面倒(?)な回り道が
多いですね。そういうことも西川さんは充分御承知な訳で、私が西川さんにお教えできる事はなさそうです(笑)。
反対に私の方が色々と教えて戴きたいぐらいで。
平安時代の有職故実・位階・官職などで疑問が出たらある程度(あくまである程度(笑))お答えできると思いますが、
そんなの殆ど必要ないですねー(笑)

義仲自身に関しては私もあの死に方だと伝説はないだろうなと思っていましたが、落し子伝説や義高などに残っていない
かなと思ったのでした。服部さん、西川さん、ありがとうございました(^o^)。

いんこさんからのコメント(1998年10月01日 10時52分45秒)
 

( Date: 1998年 7月 29日 水曜日 3:12:45 AM)

わー、上の文の改行がめちゃめちゃで凄く読みにくいー。すみませんです(泣)


服部明子さんからのコメント(1998年10月01日 10時53分19秒)
 

( Date: 1998年 7月 30日 木曜日 11:11:12 AM)

「平家物語館」に景清のことを書き込んだのですが私のお気に入りの「彦島」の「平家物
語雑談」にも書くことにしました。

以下は「平 景清or藤原景清or伊藤景清」についての家系的背景です。

景清の先祖は1050年ほど前「平 将門の乱」で将門と対立していた従兄弟の平 貞盛
に味方をした藤原秀郷で、秀郷は藤原南家出身。むかで退治で有名な俵 藤太です。
平 貞盛が平 清盛の先祖に当たる人物です。

藤原秀郷の子孫の伊豆の国司従5位下狩野駿河守維景の更に子孫が伊勢に下だって本姓藤
原俗姓伊藤佐介慶治と名乗り、更に下だって伊勢古市の景綱が保元の乱に子息の伊藤5及
び伊藤6を引き連れて約200年前の昔のよしみで平 清盛に組みし、この戦いで源 為
朝によって伊藤6は胸を射られて殺され、伊藤5は袖を射られました。

この伊藤5が後に平 忠清or藤原忠清or伊藤忠清と名乗る清盛の腹心となりました。
忠清の元の名前は忠景で、忠清と改めた経緯及び清盛との婚姻関係が今1つはっきりし
ません。想像は簡単につきますが。

景清の頼朝暗殺に対する執念の精神的支えは「平治の乱」に於ける祖父と父(景綱・忠清)
の活躍に対する誇りではないかと私は考えています。つまり熊野詣りに出かけた清盛の留
守に信頼+義朝が挙兵し、清盛は京に帰るに帰れなくなったところを景綱・忠清が助けに
行き、この景綱・忠清の軍事的援助と押し込められていた天皇を無事救出し六波羅に行幸
させ、この結果、景綱・忠清は清盛に天下を握らせ、平家全盛の基礎をもたらしたキー・
パーソンだったということです。

忠清は富士川の戦いに副将を務めたのに逃げ帰って清盛から大層叱られたのですが18才
の時に盗賊を捕り押さえた武勇があり臆病者ではないと弁護された話が伝わっています。
忠清の嫡男は忠綱で倶利伽羅峠で戦死。5男が忠光、7男が景清になります。景清が悪七
兵衛と呼ばれるのは日本達磨宗の開祖である叔父の大日能忍を刺し殺した為。景清は実像
が不明な割りに彼の武勇は後世に増幅されて歌舞伎や能、浄瑠璃などの素材となっていま
すが治承4年(1180)安徳天皇の滝口武者にもなっている上、富士川の戦いの後に父
によって源氏追討の為、信濃守に推挙されているので実在の人物である事は確かです。

忠光・景清兄弟は壇の浦から脱出に成功して忠光は大仏供養の日に魚の鱗を目にはめて頼
朝暗殺を謀って見破られたことで知られています。赤間神宮には忠光の塚が7盛塚の後ろ
に従兄弟の飛騨の兄弟の塚と共に並んでいます。

飛騨の兄弟は忠清の弟の飛騨守景家の息子達で清盛の3男宗盛の乳兄弟です。嫡男の景高
は倶利伽羅峠の戦いで戦死。この為「平家の後見」、「平家第1の勇士」と呼ばれた景家
ですが嘆きの余り死んでしまったと書かれています。従兄弟同士の景綱・景高は以仁王追
討を命じられ処刑した人物。

忠清は「平治の乱」の後上総介になり坂東8ヵ国の侍奉行になったのに赴任せず大庭景親
に任せきりにし坂東平氏を造反させたのは忠清の怠慢ということでしょう。忠清は都落ち
には同行せず1184年伊賀平氏の平田家継と蜂起して捕らえられ翌年処刑されました。
私が思うにこの平田家継は忠清の娘婿ではないか?と。

景清は「平家物語館」にも私が書き込んだように最期ははっきりせず頼朝に降伏して
1195年3月の大仏供養の日に断食して自殺したとも1196年の平 知盛の次男の知
忠の京都での蜂起に参加して姿をくらましたとも、滋賀や九州その他での死亡説がたくさ
ん残されています。

忠光・景清の断食死は清盛の側近中の側近平 盛国の話がベースになっているのでは?と
私は思っています。盛国は1185年に捕らえられ鎌倉に送られて岡崎義実に預けられ、
断食を決行して翌年死去。1181年清盛はこの盛国の京都九条河原口の屋敷で亡くなっ
たとの事です。盛国の子供は越中の盛俊・盛継兄弟。

景清が自ら目をくり抜いて。。。という話は私には聖書の「サムソンとデリア」の話が基
にあるのではないか?と思っています。

なかにしさんからのコメント(1998年10月01日 10時54分05秒)
 

 以上は旧電子会議室からのコピーです。各発言は旧電子会議室の発言をそのまま移動しています。もともとの発言のタイムスタンプはコメントの先頭行に書いてあります。また、メールアドレスは個人のメールアドレスを第三者が公開することは支障があるので、便宜上WS彦島のメールアドレスを使用しています。

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