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投稿番号:26136 投稿日:1998年09月30日 12時43分54秒
お名前:なかにし
 

平家物語の雑談 その13

キーワード:平家物語

コメントの種類:歴史


 旧「WS彦島電子会議室・平家物語の雑談 その12」の続きです。



服部 明子さんからのコメント(1998年09月30日 14時53分28秒)
 

彦島に転戦を余儀なくされた平家は途中宮島にダイバートしましたが
この私は迷子になりそう。暫く迷走を続けそうです。

なかにしさんからのコメント(1998年09月30日 20時58分13秒)
 

 私のサイトの方に道案内を今夜中に準備しますね。しばらくお待ち下さい。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月02日 23時20分04秒)
 

いんこさん:
平 盛国(1113ー86)
清盛、養和元年閏2月、九条河原口の盛国の家で没する。

と新平家物語(13)の註に書かれていました。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月02日 23時54分16秒)
 

今日から14巻目「壇の浦の合戦」をいよいよ読みます。

平家の軍議って「会議のための会議」って印象ですね。「形はあっても中身が無い」。
後世の「小田原評定」。
管弦の場面はヨーロッパの「会議は踊る。されど進まず」に相当ですか。

p.130に「九州は緒方、臼杵、菊池が源氏方になり九州に引いての2段構えがとれなく
なっていた」と書かれていました。もう、本当に平家には行く所が無くなっちゃったんです
ねぇ。

「御身隠し」ですか。
やっぱり安徳天皇の生存説の可能性はあったのですねぇ。

いよいよ彦島の地名が出て来ましたね。前以て中西さんのホームページで知っていたので
(あぁ、あそこのことか)って地名と事件が結びつきましたよ。またまた地図にアクセスし
て「彦島」舞台の場面を読み返して頭に叩き込まなくちゃ。

中西さん、「彦島」の詳細の地図を講談社に売り込んだらいいのに。読者にも都合が良い
ですよ。

なかにしさんからのコメント(1998年10月03日 08時28分24秒)
 

 おぉ、いよいよ彦島が登場ですか。

 続きはまた夜書きます(これこれ ^^;)

なかにしさんからのコメント(1998年10月05日 18時49分20秒)
 

 130ページのところは、宗盛がもうちょっと屋島で粘ってくれたら、知盛が浮き足だった九州を押さえることができたんじゃないかと思うんですけどね。

 当然の事ながら敗者の歴史は伝承としてしか残りませんので、私の地図も特に根拠のないものですが、当時の地形などから推定すれば、まぁ、あんな感じでしょうか。普段の日常生活の中で、「今私が歩いているこの道を平家の武将達も歩いたんだ」って思うとワクワクしますね。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月05日 21時01分46秒)
 

p. 130の平家ってホントに「明日」が無くなっちゃった立場に立たされたってことなんです
よね。
知盛が「屋島は彦島よりずっと条件が良いのになんで支えられなかったのか?」屋島が落ちては
終わりではないかと口論している場面がありましたが、屋島の負け方って「不甲斐ない」を通り
越しています。
だからこそ、壇の浦の合戦が輝くんだ、と思います。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月07日 10時29分32秒)
 

知盛さまが入水?したところ迄読みました。
吉川英治の「新平家物語」って思わぬ話の展開があって納得の行かない点もたくさん
あります。
彦島あたりからが私には意外の連続で、ワケが分からない話が多過ぎます。
吉川英治の書き方も苦労して書いているのがミエミエですし。

* 安徳天皇って亡くなってはいないかもしれない。
* 中西さんの安徳天皇生存説は可能性があるって思いました。

「壇の浦の合戦」はかなり無理があって読み直さないと吉川英治の言いたい事がよく
分かりません。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月08日 12時50分06秒)
 

いよいよ義経が京都に行くところです。

吉川英治って性格的にホンのちょっと分裂しているな、と思う所が再びありました。
作者の2重人格的なところがチョロッチョロッと出て来るところが気になりました。
禁欲的な宮本武蔵を描く作家としての吉川英治と好色的な姿が本来の吉川英治の
実像なのかと読んでて不愉快になりました。司馬遼太郎だったら禁欲的な態度で貫く
のに、と比較せずにはいられなかったです。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月09日 22時46分49秒)
 

昨日私に声を掛けて来た男の子が非常に親しげでチョット戸惑ったのですが、なんとこの人は
「先祖は九州の熊本出身で(菊池氏)、戦さに敗れて奥州まで逃げて来た者の子孫」と話して
いました。本人はそれ以上の情報は持っていなくて、平氏との係わりとか源氏に転んだことや
後世に南朝方に付いたこととか、戦国時代大友氏に敗れて歴史の舞台から消えたことなど全く
知らないようでした。「菊池」氏と言えば日本の姓氏の中ではいわゆる名門の1つに数えられ
るのに、歴史に興味が無いとこんなところなんでしょうね。

私って、よくよく先祖との係わりがあるようで、どうしてこの人と「菊池氏」の話をするよう
になったかというと、「出身が仙台」との話から私の弟が仙台の大学に行って今は東京に住ん
でる、という世間話から「実は実家は水沢」と言ったの「あぁ、江刺ね」と隣の市の話をして
「良く知ってるね、ホントはウチは江刺が実家で。。。」と言うので「私の先祖も墓が江刺に
あるから。でも今は北上市に編入されてる場所だけど」と話したからです。

この人はアメリカに操縦を習いに留学して来てた人で、コンピューターは全然駄目という人で
すが、インターネット始めなさいよ、と押しつけてついでに私のメール・アドレスもあげまし
た。いまや時代はインターネットでご先祖捜しですね。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月10日 14時33分47秒)
 

やっと15に入りました。いよいよ舞台は義経の悲劇の本格化です。

吉川英治ってホント人物設定が意外というか書き飛ばしているというか、初めは宗盛の子供に
8才の女の子がいて、と書かれていたから、この子が安徳天皇「女の子説」の原因か?と思っ
ていたら突然この子のことは消え、8才の男子の名前が出て来ました。ま、昔は妻がたくさん
いたから同じ年の子供が複数生まれていたとしてもおかしくないですが。

私は宗盛が死を前にしてジタバタしたことをみっともないとは思いませんが、殺されることが
分かっていて、尾張の内海で処刑され首が義朝の墓の前に供えられるんじゃないか?と恐怖し
た話は吉川英治らしくウマイと思いました。

息子の清宗は17才というのに父親の処刑の様子を聞いて死んで行くところが父に似合わぬ
ナカナカの人物だったと思います。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月12日 10時23分35秒)
 

いよいよ義経の都落ちです。西国落ち。これは御先祖の親義とか為朝のことから?それとも
平家が西国落ちして勢力を盛り返し木曾軍に大勝したことがあるから?ずっと下だって足利
尊氏も西国落ちして勢力を盛り返し新田軍をさんざん打ち負かしたけど、「西国落ち」とは
戦略的に、具体的に、そんなに意味のあることだったのですか?九州ってひょっとすると都
よりずっと経済的に豊かとか人間が多いとかだったのですか?


さてさて、平家の人々が流される話が書かれていて、ここに飛騨の四郎兵衛景経さまも流さ
れた、と書かれていました。「平家物語」では宗盛どのの乳兄弟の飛騨の三郎左衛門景経は
宗盛が海に落とされて泳ぎ回っているのを和田の兵が捕らえようとするのを「手を出すな」
と救いに入り堀弥太郎に矢を射られ倒れたところを殺された、と書かれています。「大臣殿
は乳母子が目の前にてかやうになるを見給ひて、いかばかりの事をか思はれけん」p204
とあります。


首取られた人が生きてるなんて。吉川英治、出て来なさぁーい。何なのよぉ!
脇役をいい加減に扱わないでよね、ホントにぃ!怒れちゃうんだからぁ、あたし。


捕らえられて流されたのは弟の飛騨の四郎兵衛景俊のほう?赤間神宮にこの兄弟の塚が従兄
弟の上総の五郎兵衛忠光の塚の隣に並んでいます。私には感覚的に「流された人物」がいる
のは分かるんですけど、混乱しています。忠光は壇の浦では亡くなっていないと思うのに塚
がある。三郎左衛門景経の塚があるのは壇の浦で亡くなっているから当然。しかし四郎兵衛
景俊の墓があるのはどうして?越中次郎兵衛盛継の塚も赤間神宮にあるから、赤間神宮の塚
石は200年位前、平家ファンの人達が寄進した時は現在立っているたったの14基じゃな
く、もっともっとたくさんの塚が存在していたということなのでしょうね。

どうやら私が捜し求めていた人物の名は50%の可能性で「景俊」だったようです。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月12日 14時11分28秒)
 

上記1行目は「義親」が正しいんですよね。ごめんなさい。m(_ _)m

なかにしさんからのコメント(1998年10月13日 00時55分14秒)
 

 恥ずかしながら、そのあたりって何も気にせず読み流してました。新平家物語もう一回全編通して読んでみないとですねぇ<自分 一度全部を読んだあとは自分の気に入ったところしか読み直さないんですよねぇ。トホホ・・・。もっとトホホなことは小宰相の身投げが新平家にないことさえいんこさんに教えられるまで気が付きませんでした (^^;)。そう言われてみるとそうだなぁ・・・みたいな。どんな記述がどの本に書かれていた物だったか、っていうのが頭の中でゴチャゴチャになっちゃって、新平家にないものは自動的に古典平家やその他の本から頭の中で補足してるみたい (^^;)。

 でも、まぁ、「重衡と千手」の描写や「灯籠のおとど」の描写など、脳裏に美しい映像として訴えるシーンが多いのでそれだけで新平家には満足してたりしますが・・・。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月13日 14時06分04秒)
 

吉川英治の「新平家物語」って何であの話が省かれているのよ、の1つにいんこさん御指摘の
小宰相の身投げ話がありますが、何時の間にやら通盛どのが死んじゃって私も、ウッソォー、
でした。この話ってかなり読ませると思うけど吉川君は飛ばしているのよね。どうして?

今日は久しぶりに瑠璃子さんが出て来て「初恋の人が清盛だった」と語る話がありました。
とうとう瑠璃子さんと清盛君のラブシーンは無かったけど、清盛にとって瑠璃子はケバイ女の
自分の母親の手元に存在する女性ということで2の足踏んだってことかしら?瑠璃子にとって
自分は清盛の母のすぐ近くにいた女だから清盛の妻になる女性としては可能性が1番高かった
という自信と期待はあったのかしら?と思いました。

時子がたくさん子供達を生んだという設定は無理があるけど、清盛がマザコンで、自分の母の
ような女とは結婚したくない、というのは読めました。結婚するのは家庭的な女性と、という
ことで時子と結婚し、家庭に落ち着けなかった母の様になるんじゃないかと恐れて瑠璃子とは
それっきりに<吉川英治も>させたんじゃないかな?清盛って家庭を大事にした人だったので
しょう。

吉川英治の作品の面白さって庶民的なレベルの話も忘れず書き込まれるところ、かな?
歴史小説でありながら時代物に落ちそうで再び歴史物に立ち戻る振幅の揺れが面白い。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月14日 13時57分14秒)
 

今日は大物ノ浦の難破を読みました。
平家の亡霊話が書かれてなくて嬉しかったです。運が落ち目になると同じ嵐の中の船出でも
屋島に向かった時とは全く違い、丁度平家が負けなくても済む戦に勝てなかったように義経
も苦労するんだ、と思いました。
それにしても人徳は施して置くべきなのですね。

なかにしさんからのコメント(1998年10月15日 23時10分59秒)
 

 中央公論社から「双調 平家物語 全12巻」(橋本 治 著)なるものが出版されるそうです。「双調」ってのは雅楽の世界の言葉のようですが、どういう意味なんでしょ??

 10月25日が第一回の配本で、以下隔月巻数順に刊行だそうです。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月16日 00時03分23秒)
 

橋本 治ってエロっぽい作品の?中央公論社出版だったらマジメ作品かしら?
12巻は無理ですねぇ。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月16日 12時24分32秒)
 

吉野で静が捕らえられ京に送られて時政の尋問を受けたところです。
いよいよお話は奥州落ちが始まり義経ファン涙の舞台に移ります。

だけど、壇の浦の後、平家の子供達が土に埋められ水に漬けられ殺された場面は
これからも書かれ無いような気がします。源氏が何をしたのか、書かないなんて
ずるいよ、吉川英治。

なかにしさんからのコメント(1998年10月16日 13時07分55秒)
 

 このあたりの不公平については、いんこさんの登場を願いたいところですが、判官贔屓、あるいは、源氏はエライ!平家は悪者・・・っていうのが半ば常識化している状態では、源氏が何をやったか・・・なんてことをストレートに書くと、著者は非難ごうごうですよ。そもそも筆者自体そういう源氏が悪いことをした・・・って事実は頭の中に存在していないのでは??

 だから、ここで私の出番なんですね(笑)。

なかにしさんからのコメント(1998年10月16日 13時47分02秒)
 

 義経もおとなしくお坊さんになればよかったんですよね。食べ物もないような状況で戦を続ける必要もなく、奥州まで追われることもなく、妻や子供につらい思いをさせることもなく、その方が彼にとっては幸せだったでしょうにね。

いんこさんからのコメント(1998年10月17日 11時15分07秒)
 

こんにちは。
「新平家」の義経はいい子ちゃんすぎますう。別に義経が大嫌いって訳じゃないけど、
あちらにもこちらにも誠をつくそうとする人物に描かれていて、かえって親しみが
わきません。
少しくらいのエゴを出した方が小説の人物としても成功すると思うけど・・。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月18日 12時41分12秒)
 

最近大江広元が気になります。
頼朝の冷酷人間像や後白河に引っ掛からなかったのはヒトエに大江広元の
帝王教育の賜物だったのか?と。
一体どういう人物だったのか?と。
よっぽど京都の貴族階級には愛想をつかしていたのだろう、と。

なかにしさんからのコメント(1998年10月18日 23時14分05秒)
 

読売新聞の下関版です。

平家一門題材の作品寄贈

 水墨画かで関西芸術短大教授の坂田明道さん(70)が、源平合戦の「壇ノ浦の戦い」で入水した安徳天皇を祭っている下関市阿弥陀寺町の赤間神宮に、平家一門を題材にした作品3点をこのほど寄贈した。

 作品は、入水する安徳天皇と祖母・二位の尼を描いた「御座船」。安徳天皇の母・建札門院の閑居を表現した「大原閑居」、源義経の逃亡を拒む平知盛を描いた「大物浦の知盛」。中国・唐代以来の伝統的技法を重んじた作風で、「御座船」は、事情を知らない幼い帝と、悲しい運命に顔を背ける二位の尼のコントラストが印象的だ。

 10年前に市内で個展を開いたこともある坂田さんは「平家ゆかりの地で多くの市民や歴史ファンに見てもらえれば」と寄贈を申し出た。

・・・だそうです。この「御座船」の安徳帝、こっち見てます (^^;)。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月19日 12時21分38秒)
 

今朝、12時間前に書き込んだのですが、アップされませんでした。
かなり慣れて来たので私に入力上の手違いがあったとは思わないので、平家の亡霊のせいで
しょうか?だとしたら「大物ノ浦」亡霊談は有りえた話だったのかしら?以下は今朝私が
書き込みしようとした内容です。


私は「大物ノ浦」の亡霊話は好きじゃないんです。前にも書きましたが知盛さまが亡霊と
なって義経の西国落ちの邪魔をしたという話は知盛さまの性格からは考えられないんです。

平家の「亡霊」達が阻止しようとしたというより平家の「残党」達が義経の都落ちを阻んだ
という話の方が納得がいきます。例えば景清とか越中の次郎兵衛とか忠光とかが義経憎しで
義経のあとを付け狙っていて、嵐の尼崎から船出しようとする義経1行を襲った、というの
なら私には合理的な事件だと思えるのですが。


*この「御座船」の安徳帝、こっち見てます (^^;)。
8才の子供。平家の1番大切な子供。そして身分は天皇。
日本人には直視出来ない最期ですよね。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月19日 12時34分46秒)
 

もうあと少しで15巻を読み終えます。
静のお母さんの卑しさって、吉川英治が入り浸っていた売春宿のやり手婆の
姿なのかしら?と思いました。

この母にして静が生まれた、ということは吉川英治には静が好みの女性なの
でしょう。

吉川英治ってかなり遊んでた人だなと思いました。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月20日 22時42分41秒)
 

16巻目を読んでいます。

私は義経って大物ノ浦からの脱出に失敗してからすぐ吉野経由で奥州平泉にダイバート
したのかと思っていたので意外でした。

佐藤忠信の「女難」事件は結構良く書いてありましたが、でも「美」が無いですねぇ。

後白河法皇の「大原御幸」は何故?建礼門院に会いに行ったのかと思ってはいましたが
吉川英治の「実は義経に会う予定だった」という推論にオヤオヤ!と思いました。
まさか?とは思うんですが、でも建礼門院に会いに行った真相は優しい舅として気の毒な
嫁を慰めに出かけたとは絶対信じられません。後白河ってホント喰えないオヤジです。

平家が滅んで1番後悔したのはやっぱり後白河でしょう。自分で仕掛けて置いて後悔する
なんて1番の策士は後白河ですよ。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月24日 13時48分12秒)
 

やっと「新平家物語」16巻全部を読み終わりました。4ヵ月かかりました。
中西さんのお蔭がなければ一生読むことが無かったでしょうね。
改めてお礼申し上げます。

「知盛」さまは私の想像していた人物像とは違っていましたね。
「教経」どのは本来は!病弱だそうで?私には信じられなかった。
「義経」の奥州での姿には無理があった。
「頼朝」って家康に似ているんじゃないですか?
「時忠」が1番男を挙げた人物だった。
「平家」滅亡後の源氏方の姿は「醜い」の1言でした。
「北条」氏がやっぱり最後の勝者ってことですか。
「源氏方武士達」も哀れだなぁ。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月24日 14時52分08秒)
 

夏時間制を利用して仕事前に少しずつ毎日読んで1998年の思い出となりました。
源平合戦とは最終<笑>者が北条平氏だったという紆余曲折の戦いだったのですねえ。
これは最後にどんでん返しの来るオセロゲームと同じで後味が悪かったです。
北条1家を除いて誰が何の為に戦ったのか馬鹿馬鹿しい程むなしい争いだったのですねぇ。

頼朝の死因はやっぱり「暗殺」がいい。殺意は誰もが持っていたのだから。ひょっとして
政子だって「熟年離婚」のように又は「平成の毒婦」のように用済みの夫には消えて貰った
のかも。

吉川英治は静御前を衣川館で義経と一緒に死なせてあげるのかしら?と思っていたのですが
史実通り川越どのと最期を遂げさせたのですねえ。川越どのには幸せな死だったでしょうけ
ど1読者としてはなぁんかスッキリしないんですよ。それに義経の家来達の最期もウヤムヤ
だし。安宅の関の話は長々と書かれているのに奥州に着いたとたん話がスグに結論になって
しまって「配分おかしいんじゃないの?吉川英治」と思いました。


服部 明子さんからのコメント(1998年10月24日 23時01分09秒)
 

印象に残ったことを書き込みします。

1) 山の峰々の奥深く逃げ込んだ平家落人が「○盛の子孫」を名乗っていることについて
本当は「○盛さまに仕えていた者」の子孫と吉川英治は暴露していますが少なくともその家
が「○盛」ゆかりの者達だったとの記憶を伝えているのなら、それはそれで良いではありま
せんか。

2) 頼朝暗殺を企んだ者の中に越中の次郎兵衛の遺臣がいたと書かれていましたが「不死
身の盛継どの」の実像には盛継の遺志を継ぐ者達が複数いたとの証左なわけでロマンとなっ
って語り伝えられたのだから、これもこれで良いではありませんか。

3) 平家の滅亡には「美」が伴なうのに源氏の没落は生々し過ぎます。平家の戦さぶりを
腰抜けと罵倒し、義経の戦術を誉め讃えても、義経の最期は奥州平泉にナイコウをもたらし
しっかり引っ掻き回したのみならず忠衡や頼衡を泰衡に殺させた挙げ句が平泉まで滅亡させ
てしまいました。さらに正妻の川越家まで改易になったなんてどうして?自分の兄によその
家まで破滅させた義経って。。。弟をさんざん利用して死に追いやりついでによその家まで
滅ぼした頼朝って。。。更に権力は手にしても幸せな子供達を残せなかった頼朝の死は当時
の人々には源氏のような人間ではありたくないと思わせたのじゃないかしら。なんのための
源氏1族なのか、家族なのか、兄弟なのか、後味が悪過ぎます。

平家の「血は水より濃し」と源氏の「兄弟は他人の始まり」の違いが私達日本人に突き付け
られた時代だったということなのかしらと読んでて思いました。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月26日 22時25分31秒)
 

中西さん:

「平家後抄・下」を再びひっくり返し始めたのですが「上」は手に入りませんでした。
絶版になっているので無理です。一応こちらの旭屋書店に半年捜して貰ったのですが
やっぱり見つかりません。もし、そちらでタマタマ見つかることがありましたら「上」1冊
私の為に確保お願いします。ホントに「ついで」の時で充分です。来年日本に行きますから。


知盛さまに4男目がいることが「発覚」しました。僧侶になっていましたが。
そして2男の知忠を落とした「紀」家には、景清の娘が嫁いでもいるのです。

「平家後抄」詳しすぎて仕事前にちょっと目を通す、という具合にはいかないので今日
から「地獄の思想」を読み直そうと思っています。

なかにしさんからのコメント(1998年10月27日 09時07分12秒)
 

 はぁはぁ、覚えておきます (^_^)。

いんこさんからのコメント(1998年10月27日 13時05分24秒)
 

こんにちは。ひさしぶりに覗きにきたら「平家後抄」のことが・・・。
わたしの愛読書!! 大好きな角田文衛氏の本〜!!
「平家後抄」下は絶版になっており、版元でも増刷の予定はないらしいのですが、
私が手に入れた方法で服部さんも御試しになってみて下さいませ。
「ふる本文庫やさん」と入れて検索されたら、小倉の「ふる本文庫やさん」という
ところが出てきます。そこで、まずこのふる本文庫屋さんに捜している本の在庫があるか
検索してみてください。あったらそのまま指示通りに注文する。ない場合も捜して
下さいというふうにメールを出す。すると、日本のインターネット提携している
古本屋さんの間で捜してくれます。あと、一般の読者の方も見られるので、その方々
も持っていらっしゃれば連絡があります(^^)。

わたしは、ここで「平家後抄」下を登録後、2日後に連絡があり、100円で手にはいり
ました。とりあえず、登録されといてみては?? 海外でも発送してくれますし。
アドレスが今ちょっとわかんないので検索してくださいね。YAHOOで出てきますー。
上巻もとても面白いのでぜひ読んでください〜。

服部 明子さんからのコメント(1998年10月27日 22時53分40秒)
 

いんこさん:
ありがとうございます。

服部 明子さんからのコメント(1998年11月18日 15時04分46秒)
           パスワード

「頼朝の精神史」が講談社選書メチエから1500円で。著者は山本幸司。
「稀代の政治的人間の真実に迫る」だそうです。

服部 明子さんからのコメント(1998年11月21日 13時46分42秒)
           パスワード

平家物語館が新しくなりましたので御紹介を。

http://www1.plala.or.jp/cons/tips.html


服部 明子さんからのコメント(1998年11月21日 13時54分23秒)
           パスワード

ごめんなさい。↓が玄関です。

http://www1.plala.or.jp/cons/

服部 明子さんからのコメント(1998年11月25日 13時09分33秒)
           パスワード

かむろ倶楽部が下記に転居の上復活しました。

http://uma.neko.to/kamro.html

なかにしさんからのコメント(1998年12月04日 00時05分00秒)
           パスワード

 特に新刊ではないようですが、本屋さんで見かけたので買いました。



絵で読む古典シリーズ「平家物語」学研 \2,000

 まだ、全然見ていないのですが、ペラペラとめくってみた感じ、平家物語の現代語訳とか、平家物語に登場する場面の現在の写真とか、屏風絵とか、平家物語の女たちとか、いろんな内容が盛りだくさんのようです。

なかにしさんからのコメント(1998年12月04日 00時06分22秒)
 

本人によりコメントは削除されました。 1998年12月04日 00時06分51秒

服部 明子さんからのコメント(1999年01月04日 00時08分53秒)
           パスワード

いんこさんから聞きました。

>1月18日に岩波文庫から「子午線の祀り」が復刊されるようです。

知盛さまと厳島のミコさんの幻想的なお話です。

是非読んで下さい。

服部 明子さんからのコメント(1999年01月04日 00時10分08秒)
           パスワード

いんこさんから聞きました。

>1月18日に岩波文庫から「子午線の祀り」が復刊されるようです。

知盛さまと厳島のミコさんの幻想的なお話です。

是非読んで下さい。

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